創作 義理と人情 続編 1

2024年11月14日 14時43分02秒 | 創作欄

徹は、日本の宗教団体に入信したメイユウに餞別として100万円を進呈した。

そして、成田空港へ送って行く電車内の中で、「中国国内では、信仰は難しいかもいれないな」と言ってみた。

メイユウは「センセイ、わたし、ないしょで、信心します。センセイの幸せ祈ってます」と決意を述べた。

ちなみ、香港には組織があったことを、歯科技工士の木村虎雄から聞いていたのだ。

木村は日本国内ではなく、香港で折伏され入信していた。

メイユウが信仰する宗教団体は1980年代、すでに世界宗教になりつあった。

「センセイ一度、中国にきてください。まってます」

「行けたらいいのだけれど・・・」それは徹の本心ではなかった。

「センセイ わたしの写真うけとってください」メイユウは浅草で徹から買ってもらった赤いバッグから写真を取り出した。

それはチャイナドレスでベッドに横たわるメイユウの妖艶な姿だった。

だが、その写真は皮肉にも、妻の愛子に見られてしまう。

「あなた、この写真は何なのよ」愛子が突然大声を上げ、怒りにまかせて写真はその場で引き裂かれる。

 

 

 

 

 

 

 


心の財(たから)

2024年11月14日 10時03分22秒 | 創作欄

▼逆境、苦闘といった言葉は、意外とうしろ向きな意味あいを含んでいるが、それらが生命の原動力ともなるものだ。

逆境があらねば圧力はなく、圧力がなければ変化も起こらない―天文学者・ジャストロウ

壮大なる宇宙の誕生 (集英社文庫)

ジャストロウ、 小尾 信彌監訳
 
▼世は無常だ。
しかし変化に翻弄されず、逆に自らが前向きな変化を起こす。
そのためには不動の信念と勇気による実践が大切となる。
▼わが地域こそ、わが本国土でる。
その地域にたいせつにせずに、平和の建設もない。
▼目標に向かって、懸命に挑戦する、ひたぶるに戦う。
歯をくいしばって道を開いていく―振り返ってみれば、その時は苦しいようで、じつはいちばん充実した、人生の黄金の時なのだ。
目的の<宝>さがしも大切だが、全力で目的地への前進する<勇気の旅>もまた、最高の宝となるのだ。
▼世界には、未だ多くの紛争がある。
そうした紛争を克服する思想として、今、仏教思想への関心が高まっている。
その思想とは、人間の尊厳であり、人々に奉仕し、貢献する機会がふえていくことだ。
人間革命の哲学と行動に、世界の知性が期待をよせている。
共生の哲学が世界を包むことだ。
<いつか>ではなく<今まさに>に平和の構築を!
 

創作 義理と人情 おわり

2024年11月14日 03時42分15秒 | 創作欄

メイユウは、女の嫉妬心であったのだろうか、彼女の同居人である姉や従妹の名前なの一切を徹に明かすことはなかった。

「センセイは、わたしだけの人」彼女は徹に一途な気持ちを打ち明ける。

そして、驚くことに、既に日本の宗教団体の信者となっていた。

「センセイ、わたしと一緒に幸せになってください」と徹を弘教するまでとなる。

実は、彼女が勤務する韓国店の同僚から折伏されていたのである。

その後、メイユウの従兄が来日する。

羽振りが良くなったメイユウの従妹の話が、来日の契機となっていた。

この従兄こそが、メイユウの命運を左右するこことなったのだ。

徹がメイユウに与えた金が、皮肉にも従兄の標的となった。

新宿の大久保病院に搬送されたメイユウは、短刀で従兄に腹部を差されたものの、命を取り留めていた。

「もう、わたし、お金いらないです」メイユウが涙を流す。

徹が初めて、メイユウの柔らかい手を握りしめる。

「センセイ、わたしに、最後のキスしてください」徹は一瞬、ためらったが、それに応じた。

「わたし、北京に帰ります。さよなら、センセイのさよならのキス、とても嬉しいです」彼女は、白い数珠を握りしめていた。

徹は、改めて思った。

日本語の文字は、中国の漢字に由来する。

その意味で、中国は日本とは切っても切れない因縁のある国である。

メイユウに日本語を教える中で、そのことを徹な改め痛感していたのだ。

つまり、中国は日本にとっては、<報恩の国>とも言えたのである。

 

参考

折伏(しゃくぶく)とは、仏教用語で、悪人や悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせることを意味します。
 
 
「折」は破邪の意、「伏」は顕正の意で、間違った考え方を打ち破り、正しい道に導くことを意味します。
 
 
折伏は、仏教における化導弘通(けどうぐづう)の方法のひとつで、相手の立場や考えを容認せず、その誤りを徹底的に破折して正法に導く厳しい方法です。
 
 
創価学会では、折伏を「真実を言いきっていくこと」と捉え、誠実に、まじめに、相手の幸せを願って仏法を語っていくことが折伏になるとされています。また、自分が分かっている範囲で話をし、折伏に挑戦していくことも大切です。
 
 
 

創作 義理と人情 5

2024年11月14日 02時20分26秒 | 創作欄

メイユイは、徹から得た金の大半を北京に送金する。

そして、彼女の姉と従妹が来日することなったのだ。

3人は中野・中央の6畳との4畳半のアパートの部屋に同居する。

メイユイはそれまで、新宿・大久保のアパートの4畳半に住んでいたのであるが、徹の斡旋で移転していた。

徹はアパートでメイユイに日本語を教えていた。

彼は過去に国語教師になり損ねた経緯があったのである。

メイユイは徹に恋愛感情を抱いていたが、徹は数か月前に歯科医師の天田孝蔵の勧めで歯科衛生士の戸田愛子と見合い結婚をしていた。

「センセイ、なぜ、結婚、わたしに、隠していたのですか」メイユイは泣くのだが、どうにもならない帰結だった。

「わたし、とても、残念です」二人のやりとりは、日本語が全く分からない彼女の同居人の姉と従妹には通じない問題であった。

徹は既に中国株の運用で3000万円余の利益を得ていた。

徹は再度、メイユウに500万円を渡す。

それが、結果的に皮肉にも裏目に出たのだった。

 


創作 義理と人情 4

2024年11月13日 15時56分59秒 | 創作欄

徹は、65歳で亡くなっ父親真司の遺産の株を運用した時もあった。

日々、営業の仕事で外出しても、株の動向が、気になり、証券会社の店頭の電光掲示板に釘付けとなる。

肝心の期待した父親の外国企業の株も下がり始めていたので、それに見切りをつけなけれならない状態に堕ちる。

そこで、その中の二つの株を売り、日本企業の株に切り替える。

だが、それまでものが裏目に出た。

気落ちした彼は、中国人のメイユイ(美雨)との交際のなかで、中国企業の株に注目して大きな利益を得るこことなる。

その株の運用を指南したのは、営業で知り合った歯科医師の天田孝蔵であった。

天田は、歯科医師対象の講演の後に、突然に参加した歯科医師に対して、講演内容とは全く関係のない話題に転じるのだ。

「皆さん、中国株を買いなさい。有望です」当然、受講者たちは唖然とする。

そして徹は、天田先生が勧めていた中国株で得た利益の一部の50万円をメイユイに手渡す。

「センスイ、こんなにお金たくさん、ほんとに、いいのですか」と彼女は目を丸くするばかりであった。

 

 

 

 

創作 義理と人情 3

2024年11月13日 01時51分56秒 | 創作欄

北側徹は、営業の仕事で北海道はじめ、仙台、新潟、名古屋、大阪、岡山、広島、高知、福岡などへ行っていた。

この間に、忘れていた中国人のメイユイ(美雨)から社内に電話がかかってきたことを同僚の木島紀子から伝えられた。

「とても、可愛い声の人なのね」と紀子が言う。

彼女とは3年前の同期入社であった。

近視の彼女は黒縁の回るい眼鏡をかけていた。

常に黒にセーターとロングのスカート姿であった。

性格がさっぱりしている。

上司である編集長の浅野里美は入社した早い時期に「北側さん、木島さんには手を出さないでね。私の大事な人だから」と釘を刺された。

以前勤務した社の先輩の大森明音(あかね)が「北側君は女に直ぐに手を出すから気をつけて」と余計なアドバイスをしていたのだ。

午後5時の退社時間に、メイユイから電話があった。

「例の彼女よ」電話を受けた紀子はニヤリとする。

「ハイ、北側です」

「センセイ、メイユウです。今日、会えますか?」

「どこで?」

「わたし、新宿歌舞伎町の店にいます。会いに来てください。韓国料理のお店のハヌリです」

徹が以前勤務していた会社は新宿にあり、彼は韓国料理のハヌリを知っていた。

水道橋から新宿へ向かう。

個室の店で、働く女性は皆、チマチョゴリ姿だった。

李朝の王妃

 

「メイユウさんチマチョゴリ似合っているよ」徹を迎えて微笑むメイユウに声をかける。

「わたし、これよりセンセイに見せたいですチャイナドレス」

可愛い声が尖った。

「メイユウさん、その声で歌ってみてください」酒と韓国料理を運んできた彼女と歓談してながら願ってみた。

「センセイ、何うたいますか?」

「そだな、夜来香 (イエライシィアン」

彼女は小声で歌った。

 

 

 

 


創作 義理と人情 2

2024年11月12日 02時03分11秒 | 創作欄

人生には落し穴もあるものだ。

その落し穴は、人間関係に起因する落し穴でもあった。

誰と出会うかによって、人生行路は決まる場合もある。

北側徹は、梅が満開であった夜の東京・湯島神社へ行った帰り、春日通の路地裏のビル地下1階のスナックへ初めて足を踏み入れる。

その店は、韓国パブであったのだ。

40代と思われるママさんの他に、若い4人のホステスが居た。

だが、来店した客は20分ほど、ウイスキーなどを飲むと、ホステスの人と共に店を出て行くのだ。

「二人は何処へ行くのか?」徹は想ってみた。

約1時間後に、客と出て行ったホステスの一人が戻ってきた。

新たな客が来て、同じく20分ほどウイスキーなどを飲むと、ホステスの人と共に店を出て行くのだ。

「買春だな?」徹は確信した。

その店はホテルと隣接していたのだ。

だが、新客の徹は警戒されていたようで、ホステスからの誘いはなかった。

一方、彼はお金で女を抱かない質であったのだ。

韓国人ホステスの一人と思っていた徹の脇に座ったホステスは、にこやかに「メイユイ(美雨)です」と名乗る。

「北京から来たばかりです。わたし、日本語勉強したいです。教えてください」女はビールを徹のグラスに注ぐ。

他のホステスは皆ミニスカートであったが、メイユイはロングスカートであり、しかも野暮な上着姿でもあった。

30分ほどして、徹は店を出た。

メイユイが店の階段の上まで、徹を送り出す。

「わたしは、店やめます。センセイわたしにまた会ってください」メイユイは体を売る女ではなかった。

ママからの「客に身を売ることを求める」要請に抗していたのだ。

「センセイ、名刺ください」すがりつくような声の響きであった。

 

 

 

 

 

 

 

 


創作 義理と人情

2024年11月11日 17時22分04秒 | 創作欄
徹の父親は、47歳で勤務先の大手企業の子会社からリストラに遭った時、人生を絶望し、酒に逃げ道を求めた。
父親は、性格が比較的温厚であり、前途を悲観して酒に逃れても、家族内で暴れるなど粗暴にならなかった。
母親は「あんたが、不甲斐ないから、解雇されたのね!」と厳しく攻め立てた。
10歳の徹と7歳の妹の明美は共に、心が優しい父親を攻め立てる母親をむしろ憎んだ。
徹は同級生の荒川園子に、自身の家庭内の実情を明かした。
2人は、共に本好きで、図書館で出会っていた。
「徹ちゃん、最近、元気ないわね。どうしたの?」園子はその日、絵本を読んでいた。
「お父さんは、仕事を辞めて毎日、家に居るんだ」
「どうしてなの」園子は本を閉じて、徹の目を見詰める。
「よく分からない。でも、お母さんは怒ってばかりで、嫌になる」徹は涙目となった。
「大変なのね」園子の目の優しさが、徹には救いであった。
どのような経緯であったのか、子どもの徹には理解が及ばなかったが、徹の父親は園子の父親が経営する企業に採用されたのだった。
それから、5年の歳月が流れた。
徹と園子は思春期となっていた。
徹の家庭は平穏続きとなる。
「園子さんのお父さんには、本当に感謝ばかり」母親は新年の挨拶に荒川家へ向かう。
 
参考
 
感謝報恩の心を持つということは、人間にとってきわめて大事なことである。

 いうまでもないことであるが、人間は自分一人の力で生きているのではない。

いわゆる天地自然の恵みというか、人間生活に欠かすことのできないさまざまな物資が自然から与えられているのである。

また多くの人びとの物心両面にわたる労作というものがあって、はじめて自分の生活なり仕事というものが存在し得るのである。いいかえれば、自然の恵み、他の人びとの働きによって、自分が生きているわけである。

そういうことを知って、そこに深い感謝と喜びを味わい、そしてさらに、そうした自然の恵み、人びとの恩に対して報いていくという気持ちを持つことが大切だと思う。そういう心からは、いわば無限の活力とでもいうものが湧き起こってこよう。それが事をなしていく上で非常に大きな力となってくると思う。

指導者の条件』(1975)松下幸之助

 
義理とは、交際上の関係や付き合い、いやでも人に対してしなくてはならないことを指し、人情とは人に対する思いやりや情けを指します
 
 
義理と人情の関係には、次のようなものがあります。
  • 義理と人情の板挟み:義理は社会規範としてわれわれを拘束し、人情は人間の情欲や思いやりなどの情として対立・葛藤する関係にあります。
  • 義理人情を解する男:義理と人情が一つのセットとなって、情緒的な人間関係に根ざした心情道徳という性格をもつ場合です。
     
    義理や義理人情は、日本社会の共同体的性格が強くかかわっており、正逆背反の両面的(アンビバレント)な性格をもっています。
 


 
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創作 夢の世界

2024年11月05日 11時05分58秒 | 創作欄

徹は、ツアーで行ったフランスのパリの街中で迷子となり途方に暮れた。

フランス語が話せない。

片言の英語が頼りである。

だが、英語に反発している様子のフランス人の多くが、知らぬ顔をする。

2年前に、新宿の歌舞伎町で出会って親しくなり、パリに招いてくれたアンドレイのアパートを記憶をたどって探すが分からない。

その間に、何処から現れたのか咄嗟にことだった。

ロマ人と思わる少女二人にショルダーバッグを奪い取られる。

唖然として徹は立ち尽くす。

そこへ、日本人の女性が現れ、闘争する少女に追いつきバッグを素早く奪い返したのである。

その人は、画家としてパリに在住する人であった。

名前は名乗ることはなかった。

そして、その人は地下鉄に乗り、徹が泊まっているホテルまで親切にも送ってくれたのだ。

今朝の夢は、ロシアで友人二人の姿を見失う。

駅の通路は満員電車の中のように混雑していた。

徹は迂闊にも、右手のホーム下から電車に乗る女性に気を取られている間に、友人二人の姿を見失う。

通路は末直ぐの急な階段と左手に曲がる通路に分かれていた。

「二人はどちらへ行ったのか?」探しが二人の姿はなかった。

仕方なく入り口にある大きなベンチに座って途方にくれる。

そのベンチには10人ほど座っていて、隣に座る若者二人が笑顔で「日本人だね」と声をかけていた。

「そうです」と徹は相手二人の顔を見ると<日系の若者>だった。

ロシアにも日系の人は住むのかと想ってみた。

その若者もやがて立ち去って行くのだ。

ロシア人には片言の英語も通じなかった。

「どうしよう」と焦るばかりだった・・・そこで目が覚めた。

 

 

 


創作「こだわり」

2024年10月29日 00時48分39秒 | 創作欄

一時期であったが、悪しき幹部たちのあおりとも言うべき、K基金の名目である「ミリオン」へのこだわり。

村田五郎は、アルバイト生活の身であったが、毎年100万円を何としても宗教団体に献金したいと四苦八苦する。

そして、政治活動にも積極的に関わっており、身銭を注いでいた。

「村田さんに殺される」と悲鳴をあげる人の気持ちも今村晃は十分理解していた。

「どうして、そこまで頑張るのか?!」

「好きなんです」と村田は自身の「こだわり」について吐露する。

そんな村田に対して、とことん同行する今村も「やめられない」立場であった。

何かで「吐出したい」今村は願ってきたのだ。

「誰にもできて、誰もやらないことしよう」いつからか、それが今村の信条ともなる。

 

以下のことは、後日に・・・・

村田五郎は5人兄弟の末っ子であった。

父親の健作は、酒好きであり、競馬好きでもあった。

働き者の母絹江は、美容院を経営していたが、サラリーマンの夫に常に金を吸い取られていたのだ。

長女の朝子が、母親を支えて家事のいっさいを担っていた。

長男の一郎は、高校を卒業すると東京の叔父が経営する村田建設の社員となる。


我慢できない人

2024年10月22日 17時51分57秒 | 創作欄

以前も、記したことがあるのだが、「先輩は、我慢できない人」と勤める企業で、大学の後輩でもあった坂田正明君から指摘されたことがあった。

それは、本来は屈辱なことでもあったが、「そうなんだ、それが自分の弱点」と納得した。

また、崇拝していた友人の作家となった先輩からも「君には、我慢が足りないね」と言われ、返す言葉がなかった。

ある機会には、「私の、大切な人だから、彼女を誘惑しないでね」と釘を刺されたのだ。

その相手は当時、創業された有望な企業の女性経営者であり、その大切な人とは彼女の片腕的な人であったのだ。

才覚のある経営者の懇願に、「この際は、ナンパはしまい」と決意した。

実は直観的に、惚れた相手が、自分に惚れていると思い込んだのであった。

その経営者は、私が惚れ込むほどの魅力に満ちた相手であったが、さらに、彼女の片腕の人は、本気で私が惚れるとても魅力のある人であった。

私は当時、愛した木村愛子と別れた間際の時期であり、心の空白を何とか埋めてくれる人を求めていたのだ。

 

 


親友との出会い

2024年10月20日 03時57分45秒 | 創作欄

浅村敦は、過去を振り返り思うのである。

小学生のころの親友は?

「やっちゃ」であり「きみちゃん」であった。

いわゆる幼馴染であり、悪さもした仲間でもあった。

「知恵おくれ」とされた「こんちゃん」のことも思い出される。

小学生1年生のころは、見ず知らずの大人の後に着いて行くと、池上線にも無料で乗れた。

そして、同じ要領で蒲田の映画館へ無料で入館していた。

中学生の時の親友は、秋山君と三村君であったが、二人とも仲違いして、親友でなくなる。

秀才の大野君と仲が良くなったことが、二人に反発されたのだ。

高校生のころの親友は?残念ながら居なかった。

人を寄せ付けない偏屈な性格が災いしたのだ。

唯一の親友は、我が家の下宿人の大学生の菅野さんだった。

彼の実家である福島県の飯坂には夏休み滞在し、その後の秋には、高校を2年生で中退する。

夜間高校での親友は、初めての親友である女性の奥野順子であった。

秋田生まれで3歳年上であった。

時には2人は将来の夢を語る文学仲間の仲であったが、彼女の京王線での自殺で幕が下ろされてしまう。

美貌でもなかった彼女は恋人ではなく、あくまでも親友であった。

言わば崇拝す姉と弟の仲ともいえただろうか。

大学生の親友は?

岡田次郎と先輩の鈴木幸志郎であった。

岡田と出会ったことで、後年には浅村敦は茨城県取手市の住民となった。

鈴木幸志郎からは、ドストエフスキーなどロシアの文学の魅力を教えられた。

 

 


友に会う

2024年10月18日 23時39分45秒 | 創作欄

 

 1台早めの電車に乗ったら友人に会う.同じ水道橋近辺で働いているのに2年ぶりか.
 元エリカ(喫茶店・スナック)現在の「小菊」の常連客10人で,11月3日,大井競馬のナイターに行った話となる.
「半分の人が,プラス」
 やるな!
 エリカは実に様々な人が来て,毎日2,3回は行った.
 元キックボクサーたちとスナックのママさんの息子のボクシング試合を後楽園スタジアムで見たことが思い出される.
 相撲好きのマスターと相撲談義をする人.金曜日は競馬好きの溜まり場となる.
 大半が界隈の商店主,印刷屋,不動産屋,雑誌の編集長,業界新聞の人,区会議員,居酒屋の旦那,ソバ屋の旦那ら.
 江戸っ子を自認するお神輿好きも多かった.
 月に2,3回,マージャンで徹夜をして,そのまま後楽園の場外馬券場へ足を向けた.
 そごいギャンブラーがいて,数十万円はざら,時に数百万円を払い戻す人もいた.

弘子(創作)

2024年10月18日 23時33分51秒 | 創作欄

 

 弘子は大の競輪好きである.主に松戸と取手で観戦するが,記念競輪なら千葉,川崎ぐらいまで出向く.
 メル友の檜垣徹と落ち合い,同じ場所で見るから,顔見知りが増えてきた.松戸はゴール前.取手はバック(向正面)にいる.
 美形の顔立ちなので,男の目にはとまりやすいし,彼女が声を掛ければ,競輪選手も視線を向ける.
 弘子が好きな選手のタイプは自在型.先行,捲りに比べて柔軟性がある.戦法を固定しないで,臨機応戦に戦うのが良い.
 いつもスターで前に行くことだけの,初めから戦法がわかる選手は好きになれない.
 なぜ競輪なのか? 己の肉体だけ.徒党を組んで戦うのも人間臭くて好ましと思う.
 「徹ちゃん.競輪以外,止めなさい」と弘子はアドバイスしたことがある.徹はパチンコが止められない.競輪が終ると駅前の店へ急ぐ.弘子は競輪の余韻を楽しむため喫茶店に誘うが,徹は殆ど応じない.
 弘子が3年前の小倉競輪際に初めて行った時に,偶然,千葉の柏から来た徹に会った.
 「私は,東京の北千住から来たの」
 「へーえ!」と徹は弘子をまじまじと見た.
 「どんな,仕事しているの」
 「何に見える」
 「水商売」
 「そんなものね」
 弘子は花屋である.水商売の女たちに友人,知人が多く.飲みに
行って,カウンターの中に入ったこともある.
 弘子が飲みに来ると,スナックの客が増える.弘子が居るかどうかを確かめ,居ないと顔だけ覗かせて扉をしめ客もいる.
 競輪好きが多いスナック「エイト」に弘子は一番足を向ける.家も妻子も失った男達のなぜか陽気な様子も微笑ましい.
 「後悔してないの?」
 「全然!」徹もその1人であった.死んだ父親の財産を2年余ですっかり無くした男だ.
 「私,2年前に徹ちゃんに会えばよかったな」
 「どうして?」
 「半分財産残ったと思うわ」
 「弘ちゃんは勝負師だからね」とママが口を挟んだ.
 ママの分かれた亭主も競馬,競輪で全財産を無くしていた.
 弘子はこれから大きなレースが続くので,気持が浮き立っていた.

由起子(創作)

2024年10月18日 23時11分29秒 | 創作欄

「あなたに,あったことある」と新入社員が言う.

「うん?・・」
 私は相手を真直ぐに見た.
 新川由起子は病的に痩せていた.長いスカートを引きずるように部屋に入って来た時に,この人は入院歴があるのでは? と直感した.
 「平間さんにも会ったことある」と言う.
 「え! どこで?」と美しい声の藍子が驚いて尋ねた.
 「 池袋」
 「池袋には,最近行ってないけど」藍子は不信そうに由起子を見詰めた.
 とてもユニークな発想をすると社長が採用した.
23歳の由起子は当社が始めての職場で,これまで父親が経営していた不動産屋の事務をしていた.交通事故で父親が亡くなり,1,2年家事を手伝っていたのだ.
面接に来る時,「駅前の交番に居るから誰か迎えに来て」と言った.前代未聞である.
 「面白い子だ」とおおらかな社長が,1カ月前に入った多田寅雄を迎えいに行かせた.
 パソコンをこなせる,ということで採用となる.当社は社員が15名ほどの零細企業であるが,20坪ほどのフロアーを3部屋借りていた.一階は大家がお上さんと二人でやっている酒屋で,夫婦二人の住いは6階.7階は大学生の息子の部屋である.
 バレンタインの日に女性社員たちが,義理チョコを配った.それを見た由起子が退社する時に私を誘った.
 「どこへ行くの」
 「御徒町.買いものするの」
 そして買ったのが1000円の時計5個.
 「これは,徹さんに」
 「これは,社長に」
 「 これは,中島さんに」
 「これは,忘れた.あのハンサムさんに」
 私は馴染みのガード下の居酒屋に由起子を誘った.
 「徹さん,昼間ホテルへ行ったことある」
 「ないな!」
 「あれって,いいのよ」
 私は由起子を改めてまじまじと見た.
 私は由起子に言わせると前世は兄妹と言う.
 「惜しかったな! 兄妹でなかったら.昼間ホテルに行けたのに!」
 私は,突然泣き出した由起子の肩を,抱くようにして店を出た.
 何か悪いことが起こりそうな予感がして,私は上野へ向わず銀座へ行くことにした.
 「由起ちやん,ありがとね.ここで失礼するよ」
 「ええ! 私を送ってくれないの」
 「友達に会うんだ」
 「冷たいのね」由起子の目がすわっていた.
 由起子はそれきり,行くへ知れずになった.