夢は些細な願いに過ぎないのであるが、創作「徹の青春」のドラマ化つまり映画化である。
母の故郷の「沼田」が舞台の悲劇的なドラマであるが、このまま埋もれてしまうことが、誠に忍びない心境となる。
夢は些細な願いに過ぎないのであるが、創作「徹の青春」のドラマ化つまり映画化である。
母の故郷の「沼田」が舞台の悲劇的なドラマであるが、このまま埋もれてしまうことが、誠に忍びない心境となる。
私はあの日、白山通りで命を失っていたかもしれない。
その人が居なければ・・・
それなのに、命の恩人に対しても、暴言を浴びせていたそうだ。
その命の危機に対してさえも、記憶は完全なまでに飛んでしまうほど、私自身は非現実の世界に彷徨っていたそうだ。
そして、「どれだけ、酒を飲んだんだ」と警察官に問われ、諭されたあ挙句にパトカーに乗せられて自宅まで送られる。
だが、その記憶さえも、翌日の午前1時まで完全に飛んでいた。
確かな記憶では、宮ちゃんの家で秋田の名酒をコップで3杯飲んだ。
その日の懇談は、午後1時から約1時間だった。
その後は、決まりのコースの取手競輪場へ向かい、食堂の「さかえや」でビール2本と日本酒1合。
さらに、カラオケの「ハーモニー」へ。
だが、その後の記憶を完全に失うのだ。
「酒に、何かの薬が?!が・・・」酒乱人間の被害妄想に、他人は皆さん呆れたそうだ。
もう、何も記すことはない―と思う日々である。
常に、誰かを恋していた。
だが、そんな感情からほとんで無縁になっていく。
相変わらず、酒に浸る日々であり、同時に競輪にほとんど埋没している。
つまり、「利根輪太郎」の生活を継続しているのである。
友人たちには、そんな「利根輪太郎」のリアルな生活は全く明かしていない。
言わば、彼にとっては2重生活を生きているのである。
さらには、ネットの生活もある。
その虚構とも言える世界の新たな空間に、<新たな女性の姿>が怪しげに、魅惑的浮き彫りとなる。
泥酔していたとは言え、徹の記憶は飛んでしまったのだ。
彼は、新聞記事やテレビ報道でこれまで何度も犯罪被疑者の言い訳に「馬鹿な弁明」「身勝手な言い訳」だと冷笑してきた。
だが、自らが犯罪被疑者の立場になった時、言い知れぬ啓示を受けたように慄然とした。
酒は、酒には「魔物」が潜んでいたことを、改めて思い知らされたのだ。
何故、「あの人が?!」足立徹の脇には彼が恋する野村由紀が佇んでいた。
そして、駐車場の元で彼の脇に倒れていたのは、見ず知らずの若い女性であり、コンビニエンスストアの客たちがその場を驚愕して見つめていた。
彼は間もなく到着した警官たちに詰問されていた。
「お前の犯行か?」
その時に、倒れていた女は、何事もなかったように起き上がる。
そして、笑顔となり「ご迷惑をおかけしました。私は突然、倒れるのが性分、病状なのです」と明言する。
その人とコンビニエンスストアの出口で接触した徹は未だに泥酔状態だった。
彼は、近くの精神科病院に勤務する「あの人」にスマートフォンで緊急の連絡をしていたのだ。
「何かあったら、私に連絡してね」彼が密かに恋する看護師であった。
人はなぜ、自ら死を選ぶのか?
伯父の死が徹の拘りの元凶とも言えた。
伯父は、愛した人が他の男を愛して結婚したことが許せぜ、包丁で愛した人の心臓をめがけて刺殺し、その直後に自らの首を切り自死する。
小学生4年生であった徹は深い衝撃を受けた。
伯父の深山明人は当時20代の後半であり、小説家を目指していたんのだが、才能が結実することはなかった。
徹は伯父が遺した本を読んだのは高校生の時であった。
その小説は、太宰治の本をはじめ、坂口安吾、織田作之助、檀一雄などの無頼派の作家の作品であった。
そして、詩作に目覚めたのは、高校の国語教師の峰昭信の影響であった。
20代後半の彼は授業のなかで詩を感情を込めて多感までに朗読する。
徹はその声の匠さに惚れ込む。
将来は声優かアナウンサーになりたいと徹は傾倒していく。
実際、徹はソプラノ歌手を目指していた姉に似て美声だった。
だが、徹は挫折する。
突然の姉の自死に打ちのめされ、高校を2年で中退し、母の故郷で田舎暮らしとなったのだ。
人生をがらりと、100度まで変えてしまう元凶は如何ともしがたかったのだ。
将来を絶望し、母の故郷の群馬の利根川に身を投げた17歳の徹は、死にきれなかった。
彼は皮肉にも体操と水泳で高校時代に花形選手の一人でもあった。
「元凶」の「元」は訓読みで「もと」、「凶」は訓読みで「わざわ(い)」「わる(い)」というように読む。
息子の一人に言われたのは、10年前であろうか?
開き直っている父親の裕二は意に介さない。
原因は、息子が眠るベッドの布団の裏に保管していた、現金3万円を盗んで、取手競輪で使い込んでしまったことだ。
息子の怒りを収めるために、家人の秋子が息子に3万円を返すのだ。
実は、その息子は兄にパチンコで30万円の貸しがあった。
「おい、いつまで、借金を返すんだ」長男は次男を責める。
母親は、暴力沙汰になることを懸念して、次男の30万円の貸りた金を肩代わりして補填するのだ。
幸いなのは、その後に二人の息子がパチンコから、完全に卒業したことだ。
だが、父親は未だに、競輪から卒業できないことだ。
「死の予感」あの予感は、そもそも何であったのか?
21歳の昭が、後年も思い起こすのである。
密かに愛していた、秋田峰子が、自死した時の衝撃は忘れらない。
昭の従姉夫婦が経営していた浅間牧場のレストランは、夕陽のなかで黄昏ていた。
「とても、いい雰囲気になったのね」峰子は、昭に身を寄せて、長い髪を左指で撫でるようにしていた。
「長い髪がいいね」昭は出会いの日に言っていた。
「この、髪切ろうしている」峰子は、山荘の窓の外に映じる浅間山の丸い峯に目を向けた。
「私は、ウソがつけないの。好きな人ができたの」峰子は目を見開き、戸惑うことなく昭に告げた。
昭は、幼いころに憧れ従姉の朝子に面影が似た峰子を失うこことなる。
「愛、恋」は昭にとっては、近く、遠いものとして去っていく。
「人はなぜ自死するの?」昭の問は人生の命題ともなる。
生きことは、人の死にも遭遇することである。
57歳の母の死。その母を裏切った父親の死。
36歳の友人の死、彼は真冬も半袖姿だった。
三島由紀夫に心酔していた友人の能美孝雄はボディビルで体を鍛えていた。
その彼がジョギング中に心筋梗塞で急死する。
友人たちは「能美は死に向かって、走っていたんだな」と通夜の席で言うのだ。
昭は能美の死に顔を確りと目に留めた。
「死の顔を見るのはダメだ」とお棺に近づかない友人もいたが、昭は躊躇することなく、多くの「死に顔」に接してきた。
母親を裏切った父親の「死に顔」が、眠るように穏やかであったことに、昭は言い知れぬ感慨に陥った。
そして、一人娘を残して34歳で行ったと桜山愛の死にも遭遇する。
「私の体を知っている男ね。共白髪まで生きるのね」彼女は昭に抱かれた東京・目黒の下宿先の4畳半の愛の部屋で言う。
愛は妻以外に深い関係になった唯一の人だった。
だが、人妻になった桜山愛の「死に顔」に接することができなかっことがいつまでも残る悔いでもあった。
佐野昭は35 歳になっていた。
息子の誕生を期待していたのに、結果として3女の父親となる。
妻は4人姉妹の末娘であり、女系の血筋であったのだ。
佐野家も途絶えるかと思うのだが、残したいほどの血筋でもない。
昭が勤務する出版社の社長小倉隆治は52歳の若さで心筋梗塞で亡くなる。
酒を飲まないし、タバコの煙を忌み嫌う人であった。
健康に気をつかい、スイミングクラブにも定期的に行っていたのだが、皮肉な結果となる。
葬儀は家族葬で執り行われ、「偲ぶ会」が昭が勤務する出版社の近くの銀座のホテルで開かれた。
昭は自ら挨拶をして回り、多くの人と名刺交換をする。
その流儀が、言わば彼の習性でもあった。
つまり、人脈を増やして、情報源を広げる意図なのだ。
その中に、亡き小倉社長の読売新聞時代の同僚であった峯田直人が居た。
競馬談議となる。
「小倉君には、競馬情報で儲けさせてもらったけど、損もさせられた」と日本酒を飲む峯田は高笑いをする。
「私も同じです」昭も笑い日本酒をあおる。
明日は競馬の春の天皇賞であった。
峯田は京都淀の京都競馬まで行くと言う。
昭は小倉社長と何度か行っていた。
1回目は「社員旅行」の名目だったのだ。
当然、競馬とは無縁の女性社員も旅行に同行する。
京都競馬場は京阪電鉄淀駅下車徒歩2分と近い。
佐野昭は、競馬にのめり込んだことを契機に、インサイダー取引にも加担することなるのだ。
昭は、勤務する出版社の社長小倉隆治の指示で、毎日、東京証券取引所へ通うこととなる。
皮肉にも、昭が最初に勤務した新聞社で担当したのが、株式の分野だった。
それは、言わば無機質な数字を追う日々であり、嫌気がさすばかりで仕事そのものにウンザリする。
昭が大学時代にのめり込んだ文学における「人間の心の機微」とは真逆の経済・金銭の世界であり、嫌気が差す。
昭は、インサイダー取引に加担したことで、競馬資金を得ることになる。
昭の情報によって、数千万円もの利益を得た経営者もいた。
経済専門の雑誌の編集者の昭は、夜の銀座や赤坂のナイトクラブでの接待を受け、帰りはハイヤーで自宅の千葉県柏まで送られる。
クラブを出る際には10万円入りの封筒を毎回のように手渡される。
その金の一部を妻に渡すことは一度もなかった。
妻は30歳の時に新宿の歌舞伎町で出会い深い中となった女だった。
妻の美香は6歳年下であり、偶然にも越後湯沢の隣町の生まれだった。
インサイダー取引とは、金融商品取引法166条以下の定めにおいて禁止されている不正な株式売買を指します。
「インサイダー」は英語で「insider」と表記され、和訳すると「内部の人」や「社員」「会員」といった意味を持つため「内部者取引」とも呼びます。
上場会社の役員や従業員は職務を通じて、一般の投資家が知り得ない有益な情報の入手することができます。
この情報を入手できる一部の人物だけが、その情報を利用して、抜け駆け的に証券取引などを行って利益を得ようとすると、証券市場の信頼性は損なわれてしまいます。
したがって、金融商品取引法では、「上場会社の関係者などが職務や地位によって知り得た未公表の重要情報を利用して、自社株などを売買して、自己の利益を図ること」を、厳しく禁じているのです。
28歳の佐野昭は、経済関係の月刊誌の編集者になっていた。
その出版社の社長小倉隆治は、元読売新聞の記者であり、マスコミに深い人脈があった。
スポーツ新聞の競馬担当記者や、競馬好きな作家たちとの交流もあった。
競馬の馬を数頭持っていて、馬主仲間と銀座のクラブに通っていたが、酒は飲まなかった。
「酒はダメだ。口を付けただけで気分が悪くなる。オヤジも同じだった」
「佐野、俺の代わりに飲め」と同行した昭にグラスを回す。
そして、昭は社内で唯一社長から競馬に誘われる。
馬主仲間の情報は、真に信頼できるのかどうか?!
昭は、暮れのボーナスをもらった後であり、「馬主情報」に乗ってしまう。
だが、その肝心な馬は3着となる。
「佐野、惜しかったな。新年の競馬で取りもどそう」
昭は50万円を失い、社長は300万円も失うが「これも、競馬だな」と余裕を失わず薄らに笑っていたのである。
佐野昭は、26歳まで酒を飲まなかった。
そして、タバコも吸わなかったのであるが、それは酒乱であった父親孝蔵への憎しみの反映でもあった。
昭は、大学時代に交友に誘われたが、麻雀にも加わることが無かったのである。
それも、麻雀に明け暮れ、競馬競輪、競輪好きの父親への強い反発の表れでもあった。
越後湯沢の旅館2代目の父親は、女好きであり愛人となった仲居の木村愛と新潟へ度々行っていたのだ。
それは、新潟競馬や弥彦競輪が主な目的だった。
母親の美祢は、粗暴な夫から度々暴力を振るわれていて、仲居の木村愛の存在を黙認されいた。
だが、借金を重ねて新潟の暴力団員に追われた挙句に、父親は木村愛とともに家を出て行くここになる。
結局、湯沢の伝統ある旅館は、金融機関の斡旋で人手に渡るこことなる。
昭は、皮肉にも大学時代に府中競馬場で、ガードマンのアルバイトをする。
それは親密な交友で、画家の息子であった宗像修司の斡旋だった。
そのバイトは、1年生から3年生まで続けることとなる。
2人は、同じ大学のマドンナ的な存在である後輩の伊藤紀子を密かに恋していた。
その人は子役時代から映画に出ていて、高校生のころに映画俳優から身を引いていたことを他の友人の一人から知る。
「どうりで、あの人綺麗なんだね」宗像は納得する。
昭は父親に似て面食いであっので、改めて彼女に惚れこむ。
映画界とはほとんど無縁な2人は、後輩の伊藤紀子の映像を一度も観ていなかった。
彼女は医師の娘で、当初は医学部を目指していたのだが、心理学科へ進学する。
そして、友人との2人にとって言わば高嶺の花の人は、卒業後にアメリカの大学院へ向かうのである。
昭はサラリーマンとなって数年後の26歳の時に、会社の同僚に誘われて、中山競馬場へ向かっていたのだ。
ふるさを思うと心が熱くもなる。
佐野昭が冬休みに帰郷した越後湯沢は、深い雪に閉ざさられ、背丈の倍ほどの雪の壁の道は幅1㍍で、横になって人はすれ違うのでる。
成人式での出会いで、中学の同期生たちと友好を温めて2年の歳月が流れていた。
新潟の大学へ進学した戸田史郎は、医師を目指していた。
金沢の大学へ進学した三田翔太は、税理士を目指していた。
佐野昭は、戸田史郎に招かれ、三田翔太共に初めて新潟を訪れ、ついでに佐渡島へ行ってみた。
日蓮大聖人が流された佐渡島には、昭は深い思い入れがあった。
昭は大学の同期生の鈴木恵理子に導かれ、日蓮仏法の信仰を初めていた。
昭は友人の二人に日蓮仏法を説いてみたが、共に関心を示すことはなかった。
「人はそれぞれである」昭の感慨である
「お前が、信仰に目覚めるとはな」戸田史郎は、何事にも疑問を挟む中学生の頃の昭の変わりように心外であったのだろう。
「俺は、ヤクザか無頼な人間に生きるよ」とまで中学生の昭は不敵に笑い明言していた。
「お前は、ひにくれものだ」三田翔太は呆れていたのである。
荒れた心をコントロールできずに、街で喧嘩に明け暮れた昭だった。
酒乱である父親孝蔵の家庭内暴力は、借金を重ね家を父親が自ら出ていくまで続いていた。
母親の美祢は、子どもたちをかばって、顔面や手足の傷は癒えることはなかった。
父親への言い知れぬ憎しみは後年まで続いていた。
性交行為は、あくまで相手の同意があっての前提条件で成立する。
徹は、母親との思ぬ体験から、自覚を深めたのだ。
彼は、相変わらず「愛されたい願望」を抱いていた。
本来は、愛するから、相手から愛されるのが道理である。
だが、徹の「愛されたい願望」は身勝手であり、どこまでも甘い願望にすぎなかったのだ。
徹の父親の愛人は、職場の若い部下の女性であり、当時21歳の若さだった。
38歳の父親は、専門学校での亀田優子に愛着を抱いた。
社内には7人の女性がいたが、真司はこれまでどの女性に対して距離を保っていた。
厳密に言えば、相手に対して愛着する感情が湧かなかったのだ。
既婚者が3人、後の4人に彼氏がいるのかどうか、それは詮索するつもりもなかった。
だが、入社して3か月の優子のことが、徐々に気になってきていた。
彼女に彼氏がいるのかどうか、さらには、性の経験があるのかどうかも確かめたくなっていた。
その日は、帰宅する彼女とは同じ電車であったが、二人は互いに離れて立ってたいた。
地下鉄の九段駅から大手町方面へ電車は向かっていたのだが、驚くことに彼女は50代と想われる男から、痴漢行為にあっていたのだ。
そして、彼女は男の手を払いのけると真司の方へ逃れてきた。
だが、男は執拗に彼女を追ってきたのだ。
真司は当然、彼女をかばう。
「真司さん」彼女は、上司である真司に助けを求めすがりつくのだ。
痴漢男にとっては、思わぬ突然の第三者の男との遭遇であっのだろう、身を翻し驚愕する。
真司は無言のまま痴漢男を睨みつける。
それよりも彼は、彼女から「真司さん」と助けを求めれたことに、複雑な感慨に陥る。
痴漢男は満員電車が停車した大手町駅で下車すると逃げ足となりホームの人込みに紛れていく。
「痴漢ですね」
「そうなの。これで3度目なのよ」優子は涙目になっていた。
「私は、痴漢に狙われやすいのかもしれない」
男女の感情は、思わぬ方向へを向かうものなのだ。
「ごめんさい。真司さんなんて呼んでしまって」優子は恥じらうが、彼は初の体験に心が浮き立っていた。
徹は後年、父親が母親を裏切っことを知るこことなる。
徹は17歳となっていた。
母親は興信所に依頼して、夫の愛人の存在を突き止めていたのである。
松井徹の「愛されたい願望」は厳密に言えば、自己本位であり、甘えの構造の帰結とも言えた。
彼の幼児からの母親からの「愛されたい願望」に遠因があったのだ。
母親から溺愛されていた弟への憤りも根底であった。
さらに、母親は夫に愛人が出来たことから、その憤りを息子の徹にまでぶっけた理不尽さは、到底、息子の徹に理解が及ぶ世界ではなった。
性の欲求不満から起因とする母親の苛立ちであろう、あろうことか、中学生2年生の徹に対してまで、母親は性の捌け口を強要する。
寝ていた徹の部屋まで母親は忍んできたのだ。
脇には、13歳の弟が寝息をたたえて横たわっていたのだ。
弟の顔には毛布がかかっていた。
突然の異変に気がつけば徹はすでに、母親から陰部を執拗なでもまさぐられいた。
徹は、本能的に母の求めを強く拒絶した。
そして、息を荒げて息子に挑む母親を跳ねのける。
信じ難い母親の狂気の事態に愕然とする。
そして、最悪の近親相姦を辛うじて避けられのである。
息子の拒絶の前で、母親は我に返り声をあげて泣いたのだ。
「ゴメンね、何もかも、お母さんが悪かったの。本当にお母さん悪かったわ、死んでお詫びするね」
母親の突然の泣き声に弟は、何事かと驚き眼を覚ます。
まさに、徹にとっては14歳の悪夢であった。