2016年4月に最大震度7の揺れが2度襲った熊本地震。死者は272人にのぼります。月日は流れ、自宅の再建、インフラ整備、復興は着実に目に見える形で進みますが…今もなお、地震で大切な人を亡くした遺族はあの日を忘れることはありません。
先天性の心臓の病気で入院中に病院が被災、転院を余儀なくされ、わずか4歳でこの世を去った宮崎花梨ちゃん。
あれから4年―。花梨ちゃんの母親はいま、娘と同じ年くらいの子どものために花梨ちゃんがいた病院でボランティアをしています。月日とともに忘れゆく災害の記憶を後世につなぐためにいま思うこととは。
【まさか…“命を救う“病院が倒壊の危機 4歳の娘を亡くした母】
宮崎さくらさん リビングには花梨ちゃんが好きだったおもちゃが置かれている
熊本県合志市に住む宮崎さくらさん。4年前に娘の花梨ちゃん(当時4歳)を熊本地震で亡くしました。
宮崎さくらさん
「震災があって花梨が亡くなってその時に初めてね、普通に生きていることは全然普通でもなんでもなくて…いつ壊れたっておかしくないんだって。それを教えてもらった。気づかせてくれた。」
熊本市民病院に入院していた花梨ちゃん お絵かきが大好きだった
2016年4月。2度の大きな揺れが熊本を襲いました。のちに本震と呼ばれる4月16日。
花梨ちゃんは熊本市にある熊本市民病院に入院していました。生まれてすぐ心臓の一部に穴が開き、心臓や肺に大きな負担がかかる先天性の病気で、地震発生の3か月前に、熊本市民病院で3回目の手術を受けました。手術の前日に撮影した動画には、花梨ちゃんが笑顔で答える様子も。
花梨ちゃん
「退院したらいっしょに遊ぼうね。おもちゃでいっぱい遊ぼうね」
幼稚園の制服を着てポーズを決める花梨ちゃん
幾度の手術に耐えた花梨ちゃんの夢は「幼稚園に行くこと」
その夢を支えにして、つらい治療も乗り越えてきました。母のさくらさんは花梨ちゃんの回復を待ち、2016年4月から幼稚園に通えるよう手続きを終えていたといいます。ようやく回復の兆しがみえた時、熊本地震が襲いました。
宮崎さくらさん
「とにかく最初は花梨のことを思ったし、とにかく病院が無事であるようにと思いました」
熊本市民病院は2度の大きな揺れで天井や壁が崩落。入院患者全員が転院、退院を余儀なくされました。花梨ちゃんもその1人でした。花梨ちゃんは本震が発生したその日のうちに福岡市の九州大学病院に転院になりました。
宮崎さくらさん
「病院の先生が『途中で心臓が止まるかもしれないけど必ず連れて行きます』とおっしゃって…あの時はとにかくここから出ないと危ないと思っていて、必ず絶対に向こうに着く。着いて治療を絶対に始められるって。絶対元気になるって…それしか考えていなかったから」
呼吸器のチューブなどを付けたまま、救急車で福岡市の病院に向かった花梨ちゃん。通常であれば、およそ1時間半で着く道のりですが、県外へ避難しようとする被災者で道は渋滞していました。結局、病院に到着したのは3時間後でした。
宮崎さくらさん
「移動の負担もあって着いたときは、とにかく今まで見たことないくらい悪い状態だったんですよね。
病院の先生からは『熊本に戻れる可能性はもう数%しかない』と言われたんです」
そして、本震から5日後の午前5時45分。
宮崎さくらさん
「頑張ったねって。本当えらかったって。みんないつも一緒におるけん。もう家に帰れる。家に帰れるけんねって」
家族に見守られながら、花梨ちゃんは4歳でこの世を去りました。
【命を守るはずの災害拠点病院が耐震不足】
熊本地震で壁が崩落した熊本市民病院
花梨ちゃんのように、熊本市民病院では310人の入院患者全員が転院や退院を余儀なくされました。1946年に開設された熊本市民病院は災害拠点病院に指定されていましたが、建物は耐震基準を満たしていませんでした。熊本市では病院の建て替えについて議論が行われていたものの、建て替えはいったん凍結していたのです。
熊本地震の関連死の要因の1つに挙げられたのは、地震で病院の機能がストップしてしまったことによる治療の遅れでした。関連死の2割近くが被災したあとに十分な医療を受けられずに亡くなったことが明らかになっています。花梨ちゃんも熊本地震の関連死と認められました。
【「教訓を後世に」娘が亡くなった病院でボランティア】
2019年10月 熊本市民病院は再建された
熊本地震から3年半となる2019年10月。
「災害に強い病院にしてほしい」という宮崎さくらさんら遺族の意見を踏まえ、建物の耐震化はもちろん、災害時に医療を継続するための計画をとりまとめるなどして、熊本市民病院は再建しました。
病院の宿泊施設でボランティアを始めたさくらさん
花梨ちゃんを亡くしたさくらさんはいま地震の教訓を後世に伝えてほしいと願い、病院に併設された宿泊施設の清掃ボランティアに参加しています。
宮崎さくらさん
「新しい病院にできれば娘と一緒に通いたかった。一緒に再建した病院を見たかった。複雑ではあるんですけど、娘と同じ年くらいの子どもが同じような目にあわないように新しい病院でちょっとでも楽しく頑張れるように、なにかしらちょっとでもお手伝いが出来れば、娘も喜んでくれるし娘にできる事かなと思って」
2018年の厚生労働省の調査によると震度6強程度の地震により倒壊する危険性が高いとされている病院は全国で259にのぼります。花梨ちゃんと同じ悲劇を繰り返さないために…宮崎さんは病院をそばで見守り続けています。
宮崎さくらさん
「震災の記憶の上に教訓が成り立つのであって教訓は命の上に成り立っているので震災から全部がつながっている。
まずは震災のことを忘れないということ。これからも一緒に病院を見守っていこうねという気持ちです」
※宮崎さんの「崎」は旧字体の山に立つに可 今回、常用漢字で表記しています。
※この記事は熊本県民テレビとYahoo!ニュースによる連携企画記事です。
熊本地震から4年を迎えるいま遺族の思いを全2回の連載で伝えます。