楽しそうに仕事を

2018年06月30日 12時27分17秒 | 社会・文化・政治・経済
歌は、人を鼓舞する。
歌は、人々の心を結ぶ。
歌は、時代を動かす力となる。
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子どもは、人に愛されれば人を愛する大人になる。
地域に愛されれば地域を支える大人になる。
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アイデアを思い付くためには、「アンテナを張り巡らすこと」「感受性を豊かにし、仕事のヒントに出あった時、感動できる自分であること」
「なぜ、心を動かされたのか、突き詰められる力を養うこと」が大事だと思います。
笑顔をつくるより楽しそうな表情をつくることが大事なのです。
眉間にしわを寄せず、楽しそうに!
JR九州・唐池恒二会長

復興の空間経済学

2018年06月30日 11時46分53秒 | 社会・文化・政治・経済
人口減少時代の地域再生 単行本 –
藤田 昌久 (著), 浜口 伸明 (著), 亀山 嘉大 (著) & 0 その他

商品の説明
内容紹介
◆空間経済学を現実問題に初めて適用
本書は、最先端の経済学である空間経済学を、第一人者が東日本大震災からの復興という喫緊の課題の分析に応用する初めての試み。
近代経済学による体系的復興分析は未だになされておらず、本書の試みは高く評価されると思われます。
少子高齢化の進む中で個々の被災地が創造的に復興し、国全体が均衡的にさらに発展していくために、日本のすべての地域におけるイノベーションの活性化が鍵となります。
この観点からも、イノベーション・モデルを中心とする空間経済学は、適切な分析の枠組みであるとともに、有効な政策提言を提示できます。
本書は、空間経済学に基づいて三陸地域沿海部に焦点を当てて分析を行い、復興の障害となる問題、復興政策の課題について考察します。

◆本書の目次
第1章 人口と国土システムの長期的変遷
第2章 空間経済学から見た国土システムの変容過程と復興政策のあり方
第3章 写真とデータで見る東日本大震災からの復興の歩み
第4章 被災地における人口減少と創造的復興
第5章 自然資源に基づく復興
第6章 サプライチェーンの強靱化
第7章 地域コミュニティの再生
補論 人口減少社会のための空間経済学理論

内容(「BOOK」データベースより)
本書は、被災地域に焦点を当てているものの、被災地域のことだけを考えるのではなく、日本経済全体の一部として地域が安定的に存立するように回復する条件を探ることを目的としている。空間を一般均衡システムとして扱う空間経済学から復興を考える場合、被災地だけを切り出すことは不可能であり、対になる問題として日本経済全体がどうあるべきかを常に考えなければならない。本書はそのような分析を行った初めての成果である。

著者について
藤田 昌久
甲南大学特別客員教授、京都大学経済研究所特任教授
1966年京都大学工学部土木工学科卒業、72年ペンシルバニア大学大学院博士課程地域科学専攻修了、73年京都大学工学部土木工学科助教授、76年ペンシルバニア大学地域科学部助教授、81年ペンシルバニア大学地域科学部準教授、86年ペンシルバニア大学地域科学部教授、94年ペンシルバニア大学経済学部教授、95-2007年京都大学経済研究所教授、03-07年日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所所長、07-16年経済産業研究所所長

浜口 伸明
神戸大学経済経営研究所教授
1987年大阪外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒業、同年アジア経済研究所開発研究部研究員、93年ペンシルバニア大学大学院地域科学研究科修士課程修了(M.A.)、95年ペンシルバニア大学大学院地域科学研究科博士課程修了(Ph.D.)2004年神戸大学経済経営研究所准教授、07年神戸大学経済経営研究所教授、12年神戸大学経済経営研究所所長

亀山 嘉大
佐賀大学経済学部教授
1996年中央大学経済学部経済学科卒業、98年 京都大学大学院経済学研究科修士課程修了、2003年東京都立大学大学院都市科学研究科博士課程単位取得後退学、同年国際東アジア研究センター一般研究員、07年同センター上級研究員、10年香川大学大学院地域マネジメント研究科准教授、13年佐賀大学経済学部准教授、15年より現職

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
藤田/昌久
甲南大学特別客員教授、京都大学経済研究所特任教授、日本学士院会員。1966年京都大学工学部土木工学科卒業、72年ペンシルバニア大学大学院博士課程地域科学専攻修了、73年京都大学工学部土木工学科助教授、76年ペンシルバニア大学地域科学部助教授、81年ペンシルバニア大学地域科学部準教授、86年ペンシルバニア大学地域科学部教授、94年ペンシルバニア大学経済学部教授、95‐2007年京都大学経済研究所教授、03‐07年日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所所長、07‐16年経済産業研究所所長

浜口/伸明
神戸大学経済経営研究所教授。1987年大阪外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒業、同年アジア経済研究所開発研究部研究員、95年ペンシルバニア大学大学院地域科学研究科博士課程修了(Ph.D.)、2004年神戸大学経済経営研究所助教授、07年神戸大学経済経営研究所教授、12‐14年神戸大学経済経営研究所所長、11‐経済産業研究所地域経済プログラムディレクター

亀山/嘉大
佐賀大学経済学部教授。1996年中央大学経済学部経済学科卒業、98年京都大学大学院経済学研究科修士課程修了、2003年東京都立大学大学院都市科学研究科博士課程単位取得後退学、同年国際東アジア研究センター一般研究員、07年京都大学博士(経済学)、同年国際東アジア研究センター上級研究員、09年同センター主任研究員、10年香川大学大学院地域マネジメント研究科准教授、13年佐賀大学経済学部准教授、15年同大学教授、16年同大学経済学部地域研究センター長、同年アジア成長研究所客員主席研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

空間経済学(英: spatial economics)とは、特定の土地において産業の集積や都市の形成が起こるかどうか、あるいは、なぜ起こるのかを理論的に分析する経済学の一分野である。
都市のごく近傍には、牛乳を供給する酪農が立地し、その外側を生鮮野菜の供給地が占め、さらにその外側を穀物生産地が占める。
地理的空間における経済学。

日本では東京に代表される中核都市と、土地に根差した周辺地域が形成されてきた。
ただし、それは固定化されたももではなく、技術変化や政策変化、自然災害の外的ショックにより変化し、市場メカニズムを中心として自己組織化する。
地理的には東京一極集中が進むなか、その対極にあって水産資源に恵まれた地方都市が点在している。
東日本大震災の津波被災地を日本全体の空間的な広がりの中で捉え、日本経済全体の進むべき道を考察する。
こうした課題に空間経済学は重要な役割を果たせるのではないか-藤田昌久さん(甲南大学特別客員教授)

沖縄の死「生きる」

2018年06月29日 13時02分47秒 | 社会・文化・政治・経済
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子 さん

 
私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 
私は今、生きている。

 
私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 
私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 
ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 
私はこの瞬間を、生きている。

 
この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 
たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ


私の生きる、この今よ。

 
七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 
みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 
私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 
あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 
今を一緒に、生きているのだ。


だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 
私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 
大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 
これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 
摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

多文化時代を輝かせる鍵

2018年06月29日 12時55分04秒 | 社会・文化・政治・経済
固定観念を破るのは柔軟な姿勢。
多様な価値観が交わる時代である。
善き縁があれば、善い方向へ変わっていく。
共に人生を歩み、成長したいと思える誰かがそばにいる。
そんな世界を広げることが、多文化時代を輝かせる鍵。

国を追われた人は、いつまでも「難民」という人ではない。
「自分のことだけではない。他人をも固定観念で見てしまう<くせ>が人間にある。

相手がどんどん成長しているのに、いつまでも過去のその人の姿にとらわれる。

西武の打者の山川選手は自信に満ちている

2018年06月29日 11時20分51秒 | 社会・文化・政治・経済
どのような分野であれ、<自信>が必要だと改めて思う。
過去の実績や日々の努力が自信の源であろうか。
さらに、運も作用する。
だが、過信には落とし穴がある。
6月27日 阪神16-6DeNA
阪神は今季最多17安打16得点で大勝した。
阪神の藤浪投手は5失点したものの5回までなげて2勝目(2敗、7登板)
阪神の陽川選手は先制打を含むプロ初の4安打。
昨季まで2年連続ウエスタン・リーグで本塁打と打点の2冠を獲得した打線で、低迷するチームをけん引した。
自信がないように見える選手ばかりの阪神打線。
いい刺激となったであろうか。
そして、昨日は阪神3-2DeNA
約1か月ぶりに同一カード3連勝。
CSテレビでプロ野球を見ているが、西武の打者の山川選手は自信に満ちている。

自信:人間が自らの能力、知識、信念などを信頼している精神の状態を意味する。
自信があればうまくいくと自分を信頼し、未経験の領域に挑戦する場合でも自己不信や戸惑いを克服することができる。

確信:固信じて疑わないこと。また、固い信念。

過信:価値や力量などを実際よりも高くみて、 信頼しすぎること。
自分を過大評価すること増長する ・ 付け上がる ・ 思い上がる ・ いい気になる ・ 図に乗る ・ 調子に乗る ・ 調子づく ・ 調子をこく ・ 驕る ・ 驕り高ぶる ・ 慢心する ・ 自惚...

猫科の特性

2018年06月29日 06時27分53秒 | 日記・断片
今日も午前3時30分前後ではなく、4時過ぎに目覚めた。
空はオーロラのよな幻想的な雲で、燃えるようなピンクに染まっていた。
携帯電話のカメラに収めたが、パソコンに取り込む必要がある。
東5丁目の取手小学校へ向かう道、五島さんが住むマンションの前で荒井さんに会う。
丘の木立で鶯が鳴き長閑だ。
「久しぶり」と何時もの笑顔である。
二人が立ち話をしていると、脇の家の子犬が金網の柵から足を出している。
以前この家には、煩く吠える犬が居たが、その犬ではなかった。
「可愛いな」と荒井さんは手を出す。
小さなピンクの舌をずっと出している。
その舌は左に垂れ下がっている。
激しく尾を振って喜びを表しているようだ。
生まれて数か月であろうか、とても小さい。
全く吠えないので、気がつないところであった。
家からが金網の柵までベランダになっていた。
時計を確認したら4時50分であった。
それから東6丁目で5時5分ころ、犬を連れている武田さんに会う。
縫いぐるみのような褐色の子犬で頭に赤いリボン。
何度も足に飛びついてきた。
散歩の時は常に綱なしなので、走り回っている。
「嬉しいのか、そうか、そうか、何度も<おはよう>をするのか」と当方に飛び付く犬に武田さんは声をかける。
3度目の犬である。
はじめは大型犬のシェパードだった。
その次ぎの犬は事故で骨折してから、手術の失敗で前足を地面に突く様子が不自然となった。
犬は15年くらいの寿命なので、2番目の犬が8年余で死んだのは早かったようだ。
「寂しい」と奥さんがミスターマックで直ぐに30万円の犬を買ったのだ。
家の前の道で猫のタマが何かを食べていた。
「タマ」と声をかけると横になり、腹を見せ甘えるような仕草をする。
だが、食べていたのがトカゲであったので、タマの口から手を話す。
トカゲの内臓が露出していた。
スズメ、ネズミなどタマは庭にくわえてくるので、西田さんは呆れている。
猫のシマオ、クロオと比べタマはメスで野性的だ。
木に登っていて、あらゆる鳥を狙う。
何でも捕えるのは猫科の特性であろうか。

3時30分 走っていく人

2018年06月28日 19時54分53秒 | 日記・断片
夏至は6月21日、つまり、今朝の取手は6月28日。
今後は確実に日々、朝日が上るのが遅くなっていく。
3時30分、まだ真っ暗な中の歩道を走っていく人がいる。
背後からの「タッタッタ」とい足音に初めは何の音かと、怪しむ。
思わず振り返ると、追い抜かれる。
相手は短パン姿でありかなりの走行である。
50代の後半くらいの男性であり、「凄いな!」と見送っている。
信号では足踏みをして、赤から青にに変わるのを待っている。
午前3時台には走る人は、どのような1日を過ごしているのかと、考えてみた。

3日連続、強風

2018年06月28日 12時40分45秒 | 日記・断片
目覚めから部屋は明るくなっていた。
午前4時17分、何時もより1時間遅い。
久しぶりに、散歩仲間の姿を見かけた。
3日連続、強風で帽子が飛ばされる。
木の葉や「枝も千切れて道に散乱している。
道に黒い点、雨が時折、落ちてきたが、直ぐに止む。
約1時間、断続的に雨粒が道路に黒い斑点を残すが、それも直ぐ消える。
真夏日が続き、道路も熱を含んでいるようだ。
午前3時台と違い車の量が増えていた。

読書や生活習慣で子どもが好成績

2018年06月28日 12時31分20秒 | 医科・歯科・介護
 学力テスト分析、不利克服も
2018年06月27日13時47分
時事通信(更新 06月27日 14時18分)

全国学力テスト=4月、東京都内の小学校
写真を見る
 文部科学省は27日、全国学力テストを基にした調査分析を公表した。日ごろから本や新聞に親しむことや、規則正しい生活を促している家庭の子どもは親の収入や学歴が高くなくても好成績の傾向があり、子どもの自制心や意欲の強さと学力の間に緩やかな関係性があることも浮かんだ。家庭の経済状況などによる子どもの学力格差が指摘される中、取り組み次第で不利を克服できる可能性が示された形だ。
前回の2013年度調査と同様、親の収入や学歴が高いほど学力が高いとの結果も判明。ただ、今回の調査で格差縮小につながる変化は見られなかった。

人間性に内在する誠実さ

2018年06月28日 12時13分08秒 | 社会・文化・政治・経済
教育は、世界の諸問題を超えゆくための架け橋。

人間の善良さは見えなくなることはあっても、消えることはない。
自身の体験を語り、他者の体験から学ぶ場を設けながら、人間性に内在する誠実さを具体的な行動に移してほしい。
個々人の物語に耳を傾け、気億にとどめていこうとする姿勢が大切である。
周囲の人に優しい言葉を掛けるといった身近にできる一人一人の価値創造の実践の積み重ねが、世界をより良いものにしていく。
米国エマソン協会元会長・サーラ・ワイダー・コルゲート大学教授

「可逆的」「非可逆的」とはどうゆう意味ですか?

2018年06月28日 11時23分03秒 | 医科・歯科・介護
医学、医療的な分野において、「可逆的」「非可逆的」とはどうゆう意味ですか?
出来れば専門用語なしで教えてください。

r34********さん
編集あり2011/11/2717:30:56

簡単に説明しますね。

「可逆的」というのは一度起きた変化がまた元に戻ることができるようなことを示します。
例えば水が氷になって、その氷は溶けて水に戻る場合、このような変化を可逆的といいます。

「非可逆的」というのは一度変化が起きると元には戻らないことを示します。
例えば一万円札を燃やしてしまうと、もう元には戻りませんよね。このような変化を非可逆的といいます。

体の中で起きる化学反応や組織反応にも同様の変化が起きるのですね。
ご参考まで。

<追加>
少しコメントを。
治癒する疾患そのものに対して「可逆的」とか治らない疾患を「非可逆的」とは言いません。
たとえば「糖尿病は非可逆的である」とは言いません。
「糖尿病による後遺症は非可逆的変化である」というように何らかの疾患に伴う「変化」に関して使います。
---------------------------------
可逆性とは? 
ある変化を考えたとき、条件を変えるとその変化と逆の方向に変化が起こってもとの状態に戻ること。
非可逆性とは?
ひかぎゃくせい:可逆的でない性質のこと、元に戻すことができないような性質のこと。

巨視的不可逆性[編集]例えば、コーヒーとミルクを混ぜることは簡単でもその逆に混ざったものを分離することは難しい。このように「ある方向へ進むことはあっても、その逆方向に進むことは無い」という現象のことを「不可逆な」現象という。

このような不可逆性は、物理学においては、主に熱力学第二法則という法則で説明される。
これは「閉鎖系において、エントロピーという物理量は増えることはあっても、減ることはない」という法則である。
例えばコーヒーとミルクが混ざることはあっても分離することはないのは、「分離した状態よりも混ざった状態の方がエントロピーが高いからである」と説明される。
微視的可逆性[編集]分子や原子のふるまいは量子力学や電磁気学の法則によって記述できるが、これらの法則は基本的に可逆的なものである。つまり、「ある方向に進むのならば、その逆方向に進んでもおかしくは無い」のである。

不可逆性問題[編集]分子や原子のふるまいが可逆的な法則によって支配されているのならば、単純に考えて分子や原子の集合体である巨視的な物質(たとえばコーヒーやミルク)のふるまいも可逆的であるはずである。
にも拘らず、熱力学第二法則によれば、巨視的な物質のふるまいは不可逆なものである。
このパラドックスが、不可逆性問題である。

ボルツマンの解答とそれへの批判[編集]ボルツマンは、分子的なふるまいから、エントロピーが増大することを示している。
ただし、H定理は「分子的混沌の仮定」を置いており、一般に証明されたものではない。
原発は事故の甚大性、非人道性、損害の不可逆性の故に、本質的に他とは異なる
リスクを有している点、リスクを原発で利益を受けている人とは無関係な人に負わせる

手足症候群とは

2018年06月28日 10時55分42秒 | 医科・歯科・介護
抗がん剤によって手や足の皮膚の細胞が障害されることで起こる副作用です。
手足や指先、足底等の四肢末端部(そのほか、時に肘、膝等にも)に、痺れ、皮膚知覚過敏、ヒリヒリ感・チクチク感、発赤、色素沈着、腫脹等が現れる。重篤になると、湿性落屑、潰瘍、水疱、強い疼痛があらわれ、歩行障害、物が掴めないなど日常生活を遂行できなくなることもある。これらの皮膚症状は多くの場合境界が明瞭である。

症状発生までに掛かる期間は原因薬の投与数日後から数カ月後であり、投与量および投与速度に依存する。
初期症状は手掌と足底の疼きおよび/または痺れであり、痛みを伴い、対称性で、境界明瞭な腫脹と赤斑を認める。
その後皮膚が剥離し、症状は寛解する。

症状は原因薬の投与中止後数週間で消失する
手足症候群は通常、細胞毒性を持つ化学療法薬の副作用として発生する。特に、カボザンチニブ(英語版)、シタラビン、ドキソルビシン、フルオロウラシルおよびそのプロドラッグであるカペシタビンで多い[1]。

分子標的治療でも、特にチロシンキナーゼ阻害薬(英語版)であるソラフェニブやスニチニブ(英語版)での発生率が高いが、分子標的薬での手足症候群と従来の化学療法薬での手足症候群には相違点が見られる。

機序[編集]発現機序は不明であるが、ほぼ手掌と足底のみに現れる事や体表面の温度差、血管の分布、細胞の種類の違い(表皮およびエクリン腺で細胞分裂が活発である)等から、表皮の基底細胞の増殖能の阻害、あるいはエクリン汗腺からの薬剤の分泌などが原因として考えられている。

例として、ドキソルビシン誘発性の手足症候群では、次の様な機序が提案されている。

汗に混ざって皮膚表面に拡散する。
角質層に浸透し、濃縮される。
手掌や足底は汗腺の密度が高く、他部位の皮膚の約10倍の濃度の薬剤が蓄積される。
分裂が活発な細胞に対して毒性が発現する。
診断抗がん剤を投与されている患者が手足の疼痛と腫脹を訴えたら、通常は手足症候群であると考えて良い。
造血幹細胞移植後に移植片対宿主病(GVHD)の急性症状(移植後3週間程度)として臨床的および組織学的に同様の症状が出現するので、この場合は手足症候群との鑑別が重要となる。
時間が経過すると、GVHDの場合は身体の他の部位にも影響が出始めるのに対して、手足症候群では症状が手足に限られる。
3〜5日毎に皮膚生検を繰り返す事は、両者の鑑別に有用である。

予防[編集]化学療法実施中に手足を冷やす事は、手足症候群の予防に効果がある。
小規模な臨床試験で冷却法を始めとする様々なアプローチを用いた予防・治療法が検討されているが、充分な規模の無作為化比較臨床試験が実施された事はない。

治療手足症候群の主な治療法は、被疑薬の投与中止ならびに対症療法(鎮痛、浮腫治療)、重複感染(英語版)予防である。
しかし、基礎疾患であるがんの治療は疎かにしてはならない。
中止した抗がん薬は通常、他の抗がん薬に変更して処方を組み直す。

対症療法としては、創傷治療、患部の挙上、鎮痛薬の使用等が考えられる。
ステロイド系抗炎症薬やピリドキシンが症状の緩和に用いられる。
他の臨床研究は結論が出ていない。
数多くの治療薬が医学論文に掲載されている中で、ヘンナと10%ウリジン軟膏は臨床試験されている。

予後原因薬剤を再投与すると、症状は必ず再発する。
長期化学療法を実施すると、可逆性の掌蹠角化症(英語版)を生じ得る。
症状は化学療法の中止後1〜2週間で消失する。

歴史手足症候群は1974年に化学療法関連事象として初めて報告された。

抗がん剤 手足症候群

2018年06月28日 10時44分03秒 | 医科・歯科・介護
近年新たに承認された、カペシタビンやキナーゼ阻害薬によって治療を行う患者の数は増えてきています。

しかし、その副作用のひとつとして挙げられる手足症候群(HFS:Hand Foot Syndrome)が発症した場合、日常生活に支障をきたすようになり、また、重症例では治療の中断を余儀なくされるケースもあります。
そのため、患者とともに初期症状の早期発見を行っていくことが重要となり、さらに医療者側は早期対応ができる体制をとっておく必要があります。

その対応策の一部として、まずは予防的なスキンケアの介入や日常生活の工夫を指導していくことが挙げられます。
介入内容は施設ごとにさまざまではありますが、ここに白河厚生総合病院での取り組みをご紹介していきます。

はじめに
ここで紹介している副作用は必ず起こるというものではありませんが、薬物によっては数十パーセントの服用者に起こるといわれています。
副作用とは気づかずに放置していると、病状に深刻な影響を及ぼすことがありますので、早めに対処することが大切です

手や足の「しびれ」「痛み」など「感覚の異常」
■ 手や足の皮膚の「 乾燥「」赤み(発赤、紅斑)「腫れ」「色素沈着」」「 角化(皮膚表面が硬く、厚くなってガサガサする状態)」「 ひび割れ「」水ぶくれ(水ほう)「」皮膚のはがれおち」
■ 爪の「変形」「色素沈着」
初期症状
手や足にしびれ、ピリピリするような感覚の異常や、やけどをした時のような痛みが起こります。

このような感覚の異常は、手や足に目に見える変化がなくても起こることがあります。

また、手足全体的に赤くはれぼったくなったり、部分的に赤くはれたり、水ぶくれができたりします。

特にかかとや手の指先など力のかかるところに症状がでやすいことがわかっています。

「つながり」が平和観を深める

2018年06月27日 17時52分36秒 | 社会・文化・政治・経済
心の教育とは 心に価値を見だすこと

ズルキフリ・アブドゥル・ラザクさん(マレーシア国際大学協会前会長)
父親は1944年、当時の国費留学生としてマレーシアから来日した。
広島の大学に学んでいた。
翌年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、父被爆。
一命を取り留め、帰国した後はマレー語・日本語の教師となる。
自らの被爆体験を各地で語り伝えた。
その遺志を継ぐ。

市民社会において平和が語られることが、非常に重要です。
市民社会の言説は地に足が着いており、より的確で誠実だと思われるからです。
どんな組織も<個人>から成る以上、いかにして個人が<自分のこと>としての平和観を持つことが重要です。
私は父から、そのことを学びました。
父は広島の原爆を生き抜いてから、自身にはその体験を後世に語り伝えていく責任があると感じ、行動を続けたのです。
これからは、精神的な働きが重んじられる段階に入っていくと思われます。
そうした時代に必要なのが「心の教育」だと、私は考えているのです。
さらに深く自身の内面を見つめるための教育が重要です。
私たちの「外側」にあるものへの関わり方を考える教育です。
私たちの「外側」の世界に起こることは、人間の「内なる心」の具体的な表れであり、心が
環境に反映されるプロセスだと私は感じています。
だからこそ、一人一人の「個人」の心に育まれる平和観が大切です。
「怒りを制御できれば欲望を制御でき、支配欲も制御できる」とイスラム法学者のガザリーは語っています。
エゴの心をコントロールできるようになるための教育が必要です。
現在の世界は、明日に何が起こるかも分からない、複雑な変化の時代にあります。
いずれにせよ、今の若者は、より多くの対話が必要な世代だといえるように思います。
平和のためにどんな行動するのか-そうした対話を重ねながら、社会の全体像を見つめ、再構築していくという難題を避けられない世代だと思うのです。
激動の時代の中で、どう次の世代が継承していくのか―その大きな挑戦に臨むための対話と行動も、これからの青年に必要なことだと思います。

本来貧乏人の遊びではありません

2018年06月27日 16時13分11秒 | 社会・文化・政治・経済
trd********さん
2015/2/1011:12:03

パチンコもそうですが,本来貧乏人の遊びではありません,しかし貧乏人の依存率が高く,悲惨な出来事も多いのが現状です。

パチンコ、ギャンブルも含め所得制限を設けるべきなんです,だいたいからパチ屋の数も多すぎです、今の1,000分の1で十分です。

パチンコ業界も何処まで犠牲者を出せば気が済むんでしょうか。

パチンコ業界に長年関わっていたんで、元々パチ屋の社長と馬鹿を相手に金を儲けましょうと始めた仕事です,確かに儲かりましたが、お客さんの悲惨さを見るに付けやになって辞めたんですが。

不幸な人を生む産業なんです,それで儲けているんですが。

カジノでもそうですが所得制限が必要です,それさえ出来れば,ほとんどの問題は解決できます,パチンコも年間所得2,000万以上位で良いのでは,依存症になっても耐えられます,所得が落ちれば,出入り出来なくなる。

日本ではギャンブルもパチンコも貧乏人相手に儲けています,だからダメなんですよ。

tea********さん
2015/2/1010:23:24

パチンコ依存から抜け出せず、貧困生活に陥っている現実を
見れば、此以上のギャンブル場など無い方が絶対に良いと思
います。
公営ギャンブル、場外で買える施設も多いのです。
カジノ=運営する自治体の資金源,金儲けの対策など必要と
思いません。此以上、貧困者、廃人が増加するのを見過ごす
訳には参りません。

現実には生活保護受給者がパチンコ依存に陥っている悲惨さ
を目の当たりに見ているからです。こうした輩に税金を使わ
れていると思えば腹が立ちます。受給を止めるべきです。

国や自治体はアノ手コノ手で収入を増やそうと模索していま
すが絶対に反対します。

可能なら、ドバイの真似は無理でしょうから,香港やシンガ
ポールの様に,経済特化の都市を作る方が国は儲かると思う
のですよ。