日本国憲法では、第二次世界大戦での悲惨な体験を踏まえた戦争に対する深い反省から、前文 1 項において、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、……この憲法を確定する」として、平和への決意が憲法制定の動機であることが宣言されている。
また、同2 項及び 3 項において、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」として、平和主義の重要性が繰り返し強調されている。
ここでは、国際的に中立の立場からの平和外交及び国連による安全保障の考え方が示されているとともに、平和構想の提示、国際的な紛争・対立の緩和に向けた提言等を通じて平和を実現するための積極的行動が要請されているのであって、このような積極的行動をとることの中に日本国民の平和と安全の保障があるという確信が基礎とされていると解されている。
さらに、9 条においては、前文で示された平和主義の原理が具体的な法規定として表されており、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認等が定められている。
(2)平和に関する諸外国の憲法及び国際条約
歴史上いつの時代にも武力紛争が存在し、20 世紀における二度の世界大戦を経た後もなお絶えない現実がある一方で、これまで、国際社会や諸外国において、戦争の廃絶と平和の確保に向けた努力が積み重ねられてきた。
このような努力が法文化された古い例として、1791 年フランス憲法の「フランス国民は、征服を行う目的でいかなる戦争を企図することも放棄し、また、その武力をいかなる国民の自由に対しても使用しない」との規定を挙げることができる。
その後、このような「征服のための戦争」又は「国家の政策の手段としての戦争」の放棄を定める規定は、フランス第 4 共和国憲法(1946年)、イタリア共和国憲法(1948 年)、ドイツ連邦共和国基本法(1949 年)、大韓民国憲法(1972 年)等の諸外国の憲法や、ハーグ平和会議(1899 年・1907 年)、国際連盟規約(1919 年)、不戦条約(1928 年)、国際連合憲章(1945年)等の国際条約に盛り込まれるようになった。
これらの諸外国の憲法や国際条約と日本国憲法とを比較して、学説の多数説からは、前者は、侵略戦争の制限又は放棄に関わるものにとどまっているのに対し、後者は、戦争違法化の国際的潮流に沿ったものであると同時に、
①侵略戦争を含めた一切の戦争、武力の行使及び武力による威嚇を放棄したこと、②これを徹底するために戦力の不保持を宣言したこと、③国の交戦権を否認したことの 3 点において徹底した戦争否定の態度を打ち出し、際立った特徴を有していると評価されている。
他方、現在、150 近くの国家の憲法において、下表のような形で類型化されるいわゆる「平和主義」条項が設けられており、日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する
。
<世界の現行憲法における「平和主義」条項の類型>
平和政策の推進 48 インド(51)、パキスタン(40)、ウガンダ(前文)、アルバニア(前文)等
国際協和 75 レバノン(前文)、バングラデシュ(25)、ラオス(12)、ベトナム(14)、フィンランド(1)等
内政不干渉 22 ドミニカ(3)、ポルトガル(7)、中国(前文)、ウズベキスタン(17)、スーダン(7)等
非同盟政策 10 アンゴラ(16)、ナミビア(96)、モザンビーク(62)、ネパール(26)、ウガンダ(28)等
中立政策 6 オーストリア(9a)、マルタ(1)、カンボジア(53)、モルドバ(11)、カザフスタン(8)、スイス(173・185)
軍縮の志向 4 バングラデシュ(25)、アフガニスタン(137)、モザンビーク(65)、カーボベルデ(10)
国際組織への参加又は国
家権力の一部委譲 18 ノルウェー(93)、デンマーク(20)、ポーランド(90)、スウェーデン(10-5)、アルバニア(2)等
国際紛争の平和的解決 29 カタール(5)、ガイアナ(37)、ウズベキスタン(17)、キルギス(9)、中央アフリカ(前文)等
侵略戦争の否認 13 ドイツ(26)、フランス(前文)、バーレーン(36)、キューバ(12)、韓国(5)等
テロ行為の排除 2 チリ(9)、ブラジル(4)
国際紛争を解決する手段としての戦争放棄 5 日本(9)、イタリア(11)、ハンガリー(6)、アゼルバイジャン(9)、エクアドル(4)
国家政策を遂行する手段としての戦争放棄 1 フィリピン(2-2)
外国軍隊の通過禁止・外
国軍事基地の非設置 13ベルギー(185)、マルタ(1)、アンゴラ(15)、フィリピン(18-25)、アフガニスタン(3)、モンゴル(4)、カーボベルデ(10)、リトアニア(137)、カンボジア(53)、モルドバ(11)、ウクライナ(17)、ブルンジ(166)、アルバニア(12)
核兵器の禁止・排除 11パラオ(Ⅱ3)、フィリピン(2-8)、ニカラグア(5)、アフガニスタン(137)、モザンビーク(65)、コロンビア(81)、パラグアイ(8)、リトアニア(137)、カンボジア(54)、ベラルーシ(18)、ベネズエラ(前文)
軍隊の非設置 2 コスタリカ(12)、パナマ(305)
軍隊の行動に対する規制 30 アメリカ(修正 3)、メキシコ(16・129)、ボリビア(209・210)、パプアニューギニア(189)、ザンビア(100)等
戦争の煽動・準備の禁止 12 ドイツ(26)、ルーマニア(30)、スロベニア(63)、
トルクメニスタン(28)、ベネズエラ(57)等
戦争の放棄に関する日本国憲法と諸外国の憲法との異同について、政府は、
次のような見解を述べている(衆・内閣委 昭 57.7.8)。
角田内閣法制局長官 外国の憲法との比較でございますが、端的に申し上げて、外国の憲法の中にも侵略戦争の放棄というような規定を持っているものがございます。
しかし、我が国の憲法は、9 条の解釈としてそれのみにとどまらないわけであります。
外国では、侵略戦争は放棄しているけれども、自衛戦争は反対にできると考えていると思います。
しかも、その自衛戦争というのが、先程来申し上げているように自由な害敵手段を行使することができるということを前提として、交戦権もあり、また、我々が持ち得ないというような装備というものも持ち得るというふうに解されていると思います。
およそそういうことは外国の憲法では制限されていないと思います。
ところが、我が国の憲法におきましては、再々申し上げているとおり、自衛のためといえども必要最小限の武力行使しかできませんし、また、それに見合う装備についても必要最小限度のものを超えることはできないという 9条2項の規定があるわけでございますから、これは明らかに外国の憲法とは非常に違うと思います。
2. 制定経緯
(1)憲法 9 条の淵源
「戦争放棄」という文言が初めて明文化されたのは、いわゆる「マッカーサー・ノート4」(1946 年 2 月 3 日)の第 2 原則であると考えられているが、その背景には、1941 年 8 月の大西洋憲章(侵略国の非軍事化の原則)、1945
年 7 月のポツダム宣言(軍国主義者の権力及び勢力の永久除去、戦争遂行能力の破砕、日本軍の完全武装解除)等の米国を中心とした国際的動向や、幣原喜重郎首相(当時)の平和主義思想があり、その発案者が誰であったかという問題については議論があるものの、「日米の合作」であったと一般に考えられている。
その後、マッカーサー・ノート第 2 原則は、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」との文言が削除されるとともに、「紛争解決のための手段としての戦争」との文言が国連憲章上の文言にならい「紛争解決の手段としては、武力による威嚇又は武力の行使」に修正された上で、GHQ 案として日本政府に提示されることとなった。
<マッカーサー・ノート第 2 原則>
和 訳)
国家の主権的権利としての戦争は、廃止される。
日本は、紛争解決の手段としての戦争及び自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。
日本は、その防衛及び保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。
いかなる日本陸海空軍も認められず、また、いかなる交戦権も日本軍に与えられない。
連合国最高司令官マッカーサー(MacArthur, Douglas)が憲法改正案の起草に当たっての必須条件を記したメモ。第 2 原則のほか、第 1 原則においては、天皇は国の元首であり、皇位は継承されるが、その権能は憲法に従って行使され、国民に対し責任を負うことが、また、第 3 原則においては、封建制を廃止し皇族以外の華族制度を認めないとともに、予算の型はイギリスの制度にならうことが、それぞれ記されている。
9 条の発案者が誰であるかという問題については、マッカーサーとする説、幣原首相とする説及び GHQ 民政局長ホイットニーと同次長ケーディスとする説がある。
芦部『前掲書』注(1) 55 頁
この経緯について、西修『日本国憲法の誕生を検証する』(1986 年)学陽書房 44 頁以下に、「非現実的」であると思ったために削除したとのケーディスのインタビューが掲載されている。
<GHQ 原案>
外務省仮訳)
国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス
他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ
(2)制憲議会における修正
日米折衝の上に決定された 9 条の政府原案は、GHQ 原案に対し若干の修正が加えられたものである。
特に、GHQ 原案では二つの文章から構成されていた 1 項は、政府原案では、「他国との間の紛争の解決の手段としては」
の文言が「戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」の双方にかかるように一つの文章とされた。
政府原案は、枢密院での審議における修正を経て、帝国議会に上程され、主として「帝国憲法改正案委員小委員会」(芦田均小委員長)において審議が行われることとなった。
その審議の過程において、いわゆる「芦田修正」がなされ、1 項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言が加えられるとともに、2 項の冒頭に「前項の目的を達するため」の文言が加えられることとなった。
その後、極東委員会からの要請に係る GHQ の伝達に基づき、貴族院での審議の過程において、「文民条項」(66 条 2 項)が加えられることとなった。
この点について、起草に当たった内閣法制局の佐藤達夫は、後年、第 1 項に関する限り、自衛戦争は認められることになると記している。佐藤達夫『憲法講話』(1960 年)立花書房 16 頁
明治憲法下での憲法改正手続では、憲法改正案は、帝国議会に上程される前に、枢密院に諮詢することとされていた。
この点について、芦田は、1957 年 12 月、憲法調査会において、「『前項の目的を達するため』という辞句を挿入することによって原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないことになります。
日本は無条件に武力を捨てるのではないことは明白であります。
そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがってこの修正があっても第 9 条の内容に変化がないという議論は明らかに誤りであります」と述べた。
『憲法調査会総会第 7 回議事録』(1957 年)90-91 頁 もっとも、実際に、芦田がこのような意図をもって修正を行ったか否かについては、議論があるところとされている。
3. 憲法 9 条の規範性
9 条については、憲法制定以来、自衛隊、日米安保条約等をめぐり多くの議論がなされてきており、特に、規範と現実との乖離が著しいと指摘されていることから、その規範性に関する次のような見解が主張されている。
(1)政治的規範と裁判規範
まず、9 条の規範性について、核時代における為政者の目標を示した「理想的規範」であり、国際的にも国内的にも重大な意義を有する「政治的マニュフェスト」であるとし、自衛戦争も自衛隊のための戦力保持の政策も許され
るとする見解がある。
これに対し、9 条の法規範性を肯定し、同条に反する国家行為は違法・違憲とされなければならないとするのが、多数説の立場であるとされている。
次に、法規範性が肯定された場合でも、裁判所がこれを基準として違憲審査権を行使できるか否かについては、見解が分かれる。
同条は前文に掲げる理想を具体化する内容を示すものであり、そこに規範的性格を認めることはできるが、高度の政治的判断を伴う理想が込められた「政治規範」としての性格が強く、裁判規範としての性格は極めて希薄であるとする見解がある。
この見解に対し、特別な根拠が示されていない以上、9 条の裁判規範性をすべて否定することは妥当でないとする見解がある。
なお、この点について、最高裁は、砂川事件において、日米安保条約が「主権国としての我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有」するものであって、「一見極めて明白に違憲無効」と認められないことから、司法審査の範囲外にあると判示し、いわば変型的統治行為論をとった。
また、百里基地訴訟の第 2 審において、東京高裁は、「本条(9 条)を政治的規範であると解し、本条に関する争いを司法の統制外に置くことは、それだけ本条の実効性を殺ぐことにな」ると判示した。
<砂川事件判決(最大判昭 34.12.16)>
日米安保条約に基づく行政協定の実施の一環として駐留米軍が使用する立川飛行場を拡張する目的で東京調達局が測量を実施した際、基地拡張に反対する者が同飛行場周辺に集合して測量反対の気勢を上げ、そのうち数名の者が境界柵を破
壊し、同飛行場に立ち入った。
これらの者は、日米安保条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法に違反したとして起訴された。
第 1 審の東京地裁は、駐留米軍が憲法 9 条 2 項の「戦力」に該当して違憲である旨判示したが、これに対し、検察側は、直ちに最高裁に跳躍上告を行った。
最高裁は、駐留米軍は「戦力」には該当せず、また、日米安保条約は高度の政治性を有するものであって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査にはなじまない性質のものであると判示し、原判決を破棄差戻した。
<百里基地訴訟第 2 審判決(東京高判昭 56.7.7)>
航空自衛隊百里基地の予定地内の土地を所有していた原告は、基地反対派住民である被告との間に土地売買契約を締結していたが、代金支払いをめぐるトラブルから、防衛庁に当該土地を売却し、被告との間の売買契約の解除、所有権移転
仮登記の抹消等を求めた。これに対し、被告が自衛隊の違憲を主張した事件。
裁判所は、9 条は、「前文のように政治的理念の表明にとどまるものではなく、今次大戦の参加とこれに対する国民的反省に基づき、前文で表明された平和主義を制度的に保障するため、戦争放棄という政策決定を行い、それを中外に宣明した憲法の憲法ともいうべき根本規範であ」り、また、「特段の事情もないのに、ただ単に本条が高度の政治性を有する事項に係わるものであるという一事のみによって、本条を政治的規範であると解し、本条に関する争いを司法の統制外に置くことは、それだけ本条の実効性を殺ぐこととな」ると判示した。
この判決に対しては、「一見極めて明白に違憲無効」の場合は統治行為の範疇外であるととらえることができることから、統治行為論としては極めて不整合であるとして、政治部門の裁量を広く認めた点に核心があるとする見解もある(砂川事件最高裁判決における
島裁判官補足意見)。
(2)変遷論
憲法変遷論とは、憲法改正手続を経ることなく、法律、判決、国会や内閣の行為、慣習その他の客観的事情の変更により、憲法の条項の有する意味が変化し、従来の意味とは異なるものとして一般に認識されることをいうとされる。
9 条については、自衛隊の存在を違憲とする従来の多数説が憲法制定時における規範的意味を正しくとらえていたとした上で、
①憲法制定後の国際情勢及び日本の国際的地位の著しい変化により、憲法制定当時の解釈の変更を必要とするに至ったこと、②国民の規範意識も変化し、現在では、自衛のための戦力の保持を容認していることを理由に、憲法変遷を認めることができるとする見解がある。
この見解に対しては、憲法変遷の現象は、9 条について現在においてもなお認めることはできないとする見解が多数を占めており、その理由として、「法の効力は国民を拘束し国民に遵守を要求する「妥当性」の要素と、事実として現に行われ守られているという「実効性」の要素から成り立つ。
憲法変遷を肯定する説は、実効性が失われた憲法規範はもはや法とは言えない、という点を重視するが、それによって妥当性の要素まで消滅すると解することは、日本国憲法のように硬性度の高い憲法の下では、
原則として許されない」ことが挙げられている。
Ⅱ. 戦争の放棄
1. 放棄の動機(「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の意味)
9 条 1 項においては、戦争放棄の動機が「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することにある旨明示されている。
これは、敗戦の結果としてやむを得ず戦争を放棄し、また、日本が好戦国であるとの世界の疑惑を除くというだけにとどまらず、積極的に自ら進んで、国際平和の実現に率先しようとする熱意から発するものであることを示すものであるとされる。
ここにいう「正義と秩序を基調とする国際平和」とは、およそ国際平和が正義と秩序が支配する国際社会においてこそ存在するものであることを前提として、「諸国民の公正と信義」に対する「信頼」及び「諸国民との協和」に基づき達成される「自由な平和」を意味するものと考えられている。
なお、この文言は、いわゆる「芦田修正」により加えられたものであるが、この点について、芦田は、「戦争抛棄、軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、専ラ人類ノ和協、世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明ラカニセントシタ21」の
であって、2 項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を加えたのは、1 項及び 2 項が「両方共ニ日本国民ノ平和的希求ノ念慮カラ出テ居ル22」趣旨を表すためであると述べている。
2. 放棄の主体(「日本国民」の意味)
1 項の「放棄する」及び 2 項の「保持しない」の主体は、「日本国民」である。
ここにいう「日本国民」とは、個々の国民ではなく、一体としての国民を意味し、このため、「日本国」と同義であるとされる。
また、ここに「日本国民」の文言を使用したのは、前文において「日本国民」又は「われら」が平和への決意を表明したことを受けて、戦争放棄及び戦力の不保持がその平和への決意から由来するものであることを強調した結果であると解されている。
3. 放棄の対象(「戦争」、「武力の行使」及び「武力による威嚇」の意味)
(1)戦 争
「国権の発動たる戦争」とは、国際法上、国の主権の発動として認められていた兵力による国家間の闘争であって、宣戦布告又は最後通牒の手続により明示的に戦争の意思表示をするか、あるいは、武力行使を伴う国交断絶の形式で黙示的に表明することを要件とするとともに、交戦法規、中立法規等の戦時国際法が適用される形式的意味での戦争をいうとされる。
なお、「国権の発動たる」という形容句は、戦争が伝統的に主権国家に固有の権利として観念されてきたことを表すものであって、国権の発動でない戦争の存在を認め、そのような戦争は放棄しないという趣旨ではないとされる。
「国権の発動たる戦争」の意味について、政府は、次のような見解を述べている(衆・予算委 平 6.6.8)。
大出内閣法制局長官 憲法 9 条のただいま御指摘の「国権の発動」といいますのは、「国権の発動たる戦争」というような言い方をいたしておるわけでありますが、これは要するに、別な言い方をすれば、我が国の行為による戦争、そういうものを放棄する、こういう趣旨のものであろうかと思います。…(中略)…。
要するに、憲法第 9 条は、我が国が戦争を放棄する、あるいは原則的に我が国を防衛するための必要最小限度の自衛権を行使するということ以外のいわゆる武力行使、武力による威嚇というものを我が国は放棄する、我が国の行為によってそうすることを放棄するということであります。
ただいまのお話(注:国連決議に従う場合は国権の発動に当たらないとの意見)につきまして、国連決議との関連について、いろんな場合があるのはあり得るのかどうかちょっとわかりませんけれども、原則的に申し上げますれば、要するに国連の決議に従って我が国がこれらの行為をするということであれば、我が国の行為でございますから、それはやはり 9 条によって放棄をしているというふうに理解すべきものと思います。
(2)武力の行使
「武力の行使」とは、実質的意味での戦争に属する軍事行動(例えば、1931
年の満州事変、1937 年の日華事変等)をいい、「戦争」との差異は、宣戦の
手続がとられているか否か、中立法規等の戦時国際法規の適用を受けるか否
か等の点に求めることができるとされる27。
国連憲章においても「武力の行使(use of force)」の文言が用いられているが、これは、形式的意味での戦争を制限する国際連盟規約(1919 年)や
これを禁止する不戦条約(1928 年)が締結されるようになると、実質的意味での戦争が多く生じるようになったため、形式的意味での戦争のみならず実質的な戦争を禁止する趣旨から、両方を含む概念としての「武力の行使」を一般に禁止するに至ったものであるとされる。
なお、1 項の「武力」と 2 項の「戦力」との関係については、これらを同義と解するのが一般的である。
「武力の行使」の意味について、政府は、「武器の使用」との関係において、次のような見解を述べている(衆・PKO 特委理事会提出 平 3.9.27)。
一般に、憲法第 9 条第 1 項の「武力の行使」とは、我が国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいい、法案(注 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案)第 24 条の「武器の使用」とは、火器、火薬類、刀剣類その他直接人を殺傷し、又は武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする機械、器具、装置をその物の本来の用法に従って用いることをいうと解される。
憲法第 9 条第 1 項の「武力の行使」は、「武器の使用」を含む実力の行使に係る概念であるが、「武器の使用」がすべて同項の禁止する「武力の行使」に当たるとはいえない。
例えば、自己又は自己とともに現場に所在する我が国要員の生命又は身体を防衛することは、いわば自己保存のための自然権的権利というべきものであるから、そのために必要な最小限の「武器の使用」は、憲法第 9 条第 1 項で禁止された「武力の行使」には当たらない。
(3)武力による威嚇
「武力による威嚇」とは、現実にはいまだ武力を行使していないが、その前段階の行為、すなわち、自国の要求を受け入れなければ武力を行使するという態度を示すことによって相手国を威嚇し、強要すること(例えば、1895年の三国干渉、1915 年の対中 21 カ条要求等)をいうとされ、「武力の行使」に加えて「武力による威嚇」が禁止されるのは、これが、国際紛争の平和的解決の主義に反することはもとより、「武力の行使」又は「戦争」につながる性質を有するためであると考えられている。
「武力による威嚇」の意味について、政府は、次のような見解を述べている(参・PKO 特委 平 4.5.29)。
工藤内閣法制局長官 「武力による威嚇」という憲法第 9 条の規定はかように考えております。
すなわち、通常、現実にはまだ武力を行使しないが、自国の主張、要求を入れなければ武力を行使する、こういう意思なり態度を示すことによって相手国を威嚇することである、このように説明されておりまして、学説も多くはこのように書いてございます。
それで、具体的な例として、例えばかってのいわゆる三国干渉ですとか等々のようなものが例に挙がっているのが「武力による威嚇」の例だろうと存じます。
4. 放棄の範囲(「国際紛争を解決する手段」の意味)
9 条 1 項における「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」の放棄には、「国際紛争を解決する手段としては」という条件が付されている。
この「国際紛争を解決する手段としては」という文言が「国権の発動たる戦争」にもかかるか、それとも、「武力による威嚇又は武力の行使」にのみかかるかという点で見解は分かれるが、前者の見解が多数説であるとされる。
この問題は、同条 2 項冒頭の「前項の目的を達するため」という文言を 1 項との関係でどのように解するかという問題とも関連して、9 条に関する見解の大きな対立をもたらしている32。
「国際紛争を解決する手段としては」という文言が「国権の発動たる戦争」にもかかるとする見解は、不戦条約等国際法上の通常の用語例を根拠に、1 項において放棄されているのは侵略戦争であって自衛戦争や制裁戦争は禁止されていないとする多数説と、すべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされること、自衛戦争と侵略戦争との区別は困難であること等を根拠に、同項において放棄されているのは自衛戦争を含めたすべての戦争であるとする有力説とがある。
多数説は、さらに、2 項において戦力の不保持が定められていることにより結局は自衛戦争も放棄されているとする説34と、同項によっても自衛戦争は放棄されないとする説とに分かれる。
他方、「国際紛争を解決する手段としては」という文言が「武力による威嚇又は武力の行使」のみにかかるとする見解は、すべての戦争及び「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇又は武力の行使」は放棄されるが、不法に侵入した外国軍隊を排除するため武力を行使することは可能とする。
「国際紛争を解決する手段」の意味について、政府は、上記の多数説とほぼ同じ立場に立ち、次のような見解を述べている(参・法務委 昭 29.5.13)。
しかし、政府の見解は、自衛権に基づき一定の実力部隊による自衛行動をとることは可能であるとする点で多数説と異なり、これは、「自衛権」及び「戦力」に関する考え方が大きく異なることに基づくとされる。
佐藤内閣法制局長官 国際紛争の問題でありまして、第 9 条の第 1 項においては、お言葉にありましたように、国際紛争解決の手段としては武力行使等を許さない、その趣旨はこれはずつと前から政府として考えておりますところは、他国との間に相互の主張の間に齟齬を生じた、意見が一致しないというような場合に、業をにやして実力を振りかざして自分の意思を貫くために武力を用いる、そういうことをここで言つておるのであつて、日本の国に対して直接の侵害が加えられたというような場合に、これに対応する自衛権というものは決して否定しておらないということを申しておるのであります。
…(中略)…いざこざが前にあろうとなかろうと、こちらから手を出すのは、これは無論解決のための武力行使になりますけれども、いざこざがあつて、そうして向うのほうから攻め込んできた場合、これを甘んじて受けなければならんということは、結局言い換えれば自衛権というものは放棄した形になるわけです。
自衛権というものがあります以上は、自分の国の生存を守るだけの必要な対応手段は、これは勿論許される。即ちその場合は国際紛争解決の手段としての武力行使ではないんであつて、国の生存そのものを守るための武力行使でありますから、それは当然自衛権の発動として許されるだろう、かように考えておるのであります。