自制心や公共の精神

2018年08月31日 19時00分49秒 | 社会・文化・政治・経済
私は古い世代の人間ですので、やはり人間としてやっていいことと悪いことに対する自分の中の理想あるいは自制心があるし、それを持ちたいと思ってこの社会を生きているわけです。
腹が立っとしても、じゃあ相手を侮辱していいかとうと、それは違うと思います。
私たち一般のレベルでは、昔ながらの常識といか、人を一方的に批判したり侮辱したりしないという矜持くらい持っていいのではないかと思います。
社会を円満に平和に営んでいくために、しなければならない、守らなければならないルールがあるなどと言うと、表現の自由を盾に抑え込まれる。
今そういう時代になっていますけど、自制心や公共の精神が消えてよいものだと思いません。
ヘイトの言語についての、作家 高村薫さんのコメント

大雨警報発令のため地区の会合は中止

2018年08月31日 19時00分49秒 | 日記・断片
今日の午後7時30分からの地区の会合に待機していた。
激しい雷雨である。
どうしようかと思っていたら、「大雨警報発令のため本日の地区の会合は中止とします」との富田さんからのメールが届く。
CSテレビの阪神対DeND戦を観戦していたのだが、雷のため「放送が受信できません」の表示。
しかし、阪神の弱さに呆れている。

敢闘会のあり方

2018年08月31日 15時43分41秒 | 日記・断片
今日(8月31日)、敢闘会の会合が午後1時30分から開かれた。
参加したのは14名、予定されていた会館の部屋はビデオ再生装置がないので、隣の部屋に急遽変更した。
その部屋には椅子が常設されていないので、椅子を倉庫から出して並べる。
当方が司会を務める。
今日は、教育、大学のあり方がテーマであった。
各自に読書の感想などを聞く。
敢闘会のあり方を春川会長が述べる。
会合型中心の老人会ではなく、昼間の時間帯に地域活動、地域貢献を志向するのが敢闘会であることが強調された。
最後に本部長の早川さんの挨拶と体験談などがあった。
終了後には、約10分の中国式の健康体操。
体操をせずに、帰った人も多かった。

国土に潜む危険性をもっと知る努力を

2018年08月31日 11時40分10秒 | 社会・文化・政治・経済
1995年の淡路阪神大震災(死者6434人)
戦後の復興から高度経済成長を遂げた。
国土は繁栄したが、その分、都市は立体的に過密化した。
高層ビルや地下街が造られ、高速の道路や鉄道網が網のように広がった。
湾岸や河川敷が埋め立てられ護岸工事が行われ、人が住んでいなかった都市周辺の丘陵地帯まで宅地開発が進んだ。
しかし、これは裏を返せば危険の蓄積である
そのもろさが一気に露呈いたのが阪神大震災で、いかに私たちが戦後の脆弱な国土設計の上に生きてきたことを思い知った。
ブロック塀の倒壊で女児が犠牲になった大阪北部地震。
死者が出ないと騒がない、本気で取り組まないマスコミや行政。
たとえ死者が出なくともこの国土に潜む危険性をもっと知る努力をすべきだろう。
防災情報機構会長 伊藤和明さん

災害を過小評価する心理状態に

2018年08月31日 11時21分02秒 | 社会・文化・政治・経済
大規模自然災害は、人間が万全を期したと思えば思うほど、その万全を乗り越えて起きる。
岩手県宮古市田老地区
数十年かけ高さ10メートルの防潮堤を延べ2㌔以上造ったが、高さ15㍍の津波に地区ごと飲み込まれた。
万全と思われたゆえに沿岸部の人口が増えて、より大きな災害を招いたとも言える。
人間は自ら体験しない限り、「まだ大丈夫」「自分は助かる」と思いこみたがる。
各人が、自分は災害を過小評価する心理状態に陥るかもしれないと肝に銘じて、早めに行動するほかない。
安全・安心研究センター代表 広瀬弘忠さん

共通の観念が広まっていた江戸の民衆

2018年08月31日 11時07分54秒 | 社会・文化・政治・経済
当事者として「自らに引きつける」工夫を
災害は人ごとではない。
忘れやすい人間に、常に記憶し直すことの大切さを伝えた。
石碑の碑文には「毎年、墨を入れ直し読みやすくするように」との内容も彫ってある。
大阪市大正区にある安政2年(1850年)に建てた地震の石碑。
長年、日本人が自然と向き合ってきた習慣や感情を見直し、今に生かす。
民族学者 畑中章宏さん

リスク察知能力が不可欠

2018年08月31日 10時54分13秒 | 社会・文化・政治・経済
いつ、どこでも起こりうる災害に備える。
「一緒に逃げよう」と言ってくれる隣人がいるかどうかが大事。
地震、豪雨、洪水、噴火、津波、火災。
「起きうる事態を想像する力が大切」
「ここだけは大丈夫」といった思いこみ。
「そんなことになるはずがない」
だが、起きてしまった原発事故。
一般的に数々の天災に対して、人は自分の経験値を頼りにする。
「想定外」は、自然の猛威には通用しない。
リスク察知能力が不可欠。
「これまでなかったのだから、これからもない」と考えようとする。
犯罪や事故も同じで、<安心、安全>との思い込み。
「考えたくない」ことのデータを集め、それに備える。

男子スプリントでは、深谷知広銀メダル

2018年08月31日 09時44分28秒 | 未来予測研究会の掲示板
インドネシアでのアジア大会トラック競技4日目。
男子オムニアムで橋本英也が金メダルを獲得し、男子スプリントではリオ五輪金メダリストと対戦した深谷知広が銀メダル。
女子3km個人パシュートの中村妃智は6位でレースを終えた。
ジャカルタ・アジア大会第13日目(30日)自転車トラック競技・男子オムニアムで橋本英也(チームブリヂストンサイクリング)が金メダルを獲得。2014年仁川大会に続く二連覇を達成した。オムニアムは1日に4種類のレース(スクラッチ、テンポレース、エリミネイション、ポイントレース)を走り、最終的な獲得ポイントで争う競技。橋本はスクラッチ8位、テンポレース2位、エリミネイション1位の暫定1位で最終種目のポイントレースに挑み、ポイントレースでは終盤に香港に逆転されながらも落ち着いたレース運びでポイント獲得を重ね、再び首位に立ち、2位のリウ・チュンウィン(香港)に5ポイント差で優勝した。

同日に開催された男子スプリントでは、深谷知広(日本競輪選手会愛知支部)が準決勝を勝ち上がり、決勝でリオ五輪ケイリンの金メダリストであるアジズルハスニ・アワン(マレーシア)と対戦したが、二本先取される形で敗退。
銀メダル獲得となった。スプリントはタイムトライアル方式の予選を経て、本戦ではトーナメント方式で2選手がトラックを3周走り、フィニッシュの着順を競い合う競技。準々決勝からは同じ相手と最大3回対戦し、先に2回勝利した選手が勝ち上がる。

深谷知広のコメント

決勝の1本目は手ごたえがあったけど負けてしまった。2本目は何度かチャンスがあったものの、それを掴むことはできなかった。アワン選手との力の差はあまり感じていない、経験の差だと思う。今回は自分の成長を実感する大会になった。競技を始めて1年でここまで来れるとは思っていなかった。しかし、金メダルが取れる位置にあったのでやはり悔しい気持ち。短距離種目のうちどの種目が向いているか、自分の特性はまだわからないので、今後、競技をやりながら、全ての底上げを図っていきたい。


男子スプリント結果
1位 アジズルハスニ・アワン(マレーシア)
2位 深谷知広(日本)
3位 イム・チェビン(韓国)

男子オムニアム結果
1位 橋本英也(日本) 119pts
2位 リウ・チュンウィン(香港) 114pts
3位 アルチョム・ザハロフ(カザフスタン) 112pts

女子3km個人パシュート
1位 リー・ジュミ(韓国) 3'33"048
2位 ワン・ホン(中国) 3'40"967
3位 アユスティナ・デリア・プリアトナ(インドネシア) 3'43"387
6位 中村妃智(日本) 3'50"604

アジア大会自転車競技

2018年08月31日 09時31分28秒 | 未来予測研究会の掲示板
アジア大会自転車競技 
8/31 09:00-09:30 女子スプリント1/4
09:30-10:00 男子競輪1
10:00-11:30 女子スプリント1/4
11:30-12:00 女子スプリント5-8th
12:00-12:30 女子スプリント1/2
12:30-13:00 男子競輪Rep
13:00-14:30 女子スプリント1/2
14:00-14:30 男子競輪準決勝
15:30-17:00 女子スプリント決勝
17:00-17:30 男子競輪決勝
18:00-18:30 女子スプリント決勝・授賞式

しまほおずき

2018年08月30日 23時59分21秒 | 日記・断片
8月も終わろうとしている。

取手花火、灯ろう流し、ソニックガーデン、夏祭り、カラオケ大会などのイベントは終わった。

「声が出てないし、下手だね」と家人に言われていまった。
歌ったのは「時代おくれ」であるが・・・
確かに大きな声が、出なくなった。
なぜか?
「マイクがきたなら、十八番(おはこ)を一つ歌うだけ・・・」
散歩仲間の鈴木さんが「しまほおずき」の絵手紙句。
風情ある しまほおずきの すがしさや























児童8名を無差別に殺害した宅間守

2018年08月30日 13時01分47秒 | 社会・文化・政治・経済

児童13名・教諭2名が傷害を負った。

精神障がい者を装った言動を繰り返した宅間守
2003年8月 死刑判決を言い渡された宅間守
法廷内で暴言を吐き続けた宅間守
早期死刑執行がされた宅間守
附属池田小事件の犯人である宅間守は死刑囚として一生を終えていますが、実は宅間守は獄中結婚をしており、更に宅間守の兄は首を斬って自殺をしてしまった。

宅間守が起こした「大阪教育大学附属池田小事件」とは
児童8名を無差別に殺害した宅間守

死刑確定後1年で死刑執行された宅間守
トラブルばかりの宅間守の生い立ち
エリートに異常な嫉妬を抱いていた宅間守
宅間守が獄中結婚した相手とは?
死刑廃止運動家の女性と獄中結婚した宅間守
附属池田小事件後の現在~今も苦しむ事件関係者たち
事件は2001年6月8日10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った宅間守が侵入し、次々と同校の児童を襲撃したというものです。
結果的に児童8名が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負いました。

宅間守は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕されましたが最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたそうです。
その後、宅間守は殺人罪などで起訴されました。
逮捕当初、宅間守は精神障害者を装った言動を取っていましたが、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた精神鑑定の結果で、2度とも「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」とされ、責任能力を認める結果が出ました。
宅間守は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述して医師の診察を受けたものの、宅間守が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の三種類と判明しました。
仮にこれらを10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはないとされています。
また、宅間守の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物が押収されることとなりましたが、これは宅間守が複数の病院に通院しては、医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って薬を処方してもらい、飲まずにため込んでいたものだということがわかりました。

さらに、逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分が検出されず、捜査員がこの事実を宅間へ突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めました。
まず宅間守は法廷内に口笛を吹きながら入廷するところから始まり、「 こんな、結果のわかっとる、おもろない裁判に、ひまなヤツらがようけ来て、あほやのお~」 などと話しています。
他にも宅間守は法廷内で数々の暴言を繰り返しています。
・「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。 あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!! でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」
・「あのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かってよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。」
・「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、 ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、 後悔もない!」
・「わしが8人を死刑にすんのに10分かかっとらんのに、わし一人の死刑に2年近くかかって随分、ご丁寧な事やのー!!」
この様な暴言から、遺族の中には退場者も出ました。法廷内は「宅間死ね」などの怒号が飛び交っていました。
宅間守は1963年11月23日に生まれ、幼少時代の宅間守は度々問題行動を起こし、3歳の時点で三輪車で国道の中央を走って渋滞させたり、小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめるなどの子供でした。
更に猫等の動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害した事もあったそうです。
中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」こともあるそうです。
様々なことから宅間守は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた様に思われます。

尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、定時制高校に編入学するもすぐ退学し、数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、18歳の時航空自衛隊に入隊したが1983年1月に1年強で除隊させられています。
除隊の理由について、鑑定書は「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたと記述されています。

除隊後、宅間守は運送会社やトラック運転手、引越し業者等十数社転職を繰り返していたがいずれも数週間から半年以内で辞職しており、精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、また高速道路を逆走するなど非行を行うようになりました。
1984年にマンション管理会社に勤務していた時には家賃の集金と称して女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こし、事件後宅間守は母親を伴い精神科を受診、入院するが、入院中に5階から飛び降りて重傷を負ってしまいます。
この出来事の後、統合失調症の診断を下されています。
のちに母親に宛てた手紙によれば、入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」であったといわれています。
初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、1989年の出所後父親が宅間の私物を下取りに出しその金を本人に手渡しして父親から勘当されています。
1993年、30歳の時には非常勤の地方公務員になり市営バスの運転手やゴミ収集、小学校の用務員等を勤めていたが、この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水の匂いがきつい」ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒処分を受けています。
1999年4月には小学校教諭等が飲む茶に精神安定剤を混入させる行為をしたとして分限免職されたものの、刑事処分は「責任能力なし」として受けませんでした。
その後再度職を転々とするが、その度に暴行事件等を起こした為長続きせず、2000年末頃から最終的に池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職でした。
十数社の職歴の内ある程度長続きしたのは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されています。


憎しみをもたらしやすい評価

2018年08月30日 12時47分37秒 | 社会・文化・政治・経済
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件から2年以上が過ぎた。
犯人は生きていることへの積極的意味が分からないなど、自己存在に対する不確実感や不本意がつきまとっていたのではないかと見ている。
この不確実感は現代社会が有する価値観と深く関わっていると考えている。
現代は、憎しみをもたらしやすい評価が幅を利かせている。
それは「コミュニケーション能力」と「対人関係構築能力」の優劣である。
これらは、学校社会においても、職場組織においても、人を評価するものとして位置付けられる。
就職面接では重要な採用基準ともなる。
こうした能力が劣ると見なされた人間には、耐えがたい屈辱の感情や生きにくさがもたらされる。
私は長らくひきこもりの研究を続けているが、あるタイプのひきこもりは、こうした屈辱感や生きにくさから生まれている。
本当は死にたくても死ぬことができない人間の死を手伝うのだという身勝手な自己存在感が生まれたのではないか。
犯人は殺傷に及んだ際、意思疎通ができない人を選んでやいばを振っている。
彼は悪いことをしたという意識はなく、助けてやったと考えているのではないか。
それを妄想と片付けるわけにはいかない。
明星大学名誉教授 高塚雄介さん

人の悩みは千差万別

2018年08月30日 11時50分46秒 | 社会・文化・政治・経済
相手の立場に立ってこそ、対話は実りあるものとなる。
まず話を聞き、気持ちに寄り添い、何ができるか共に考え始める。
自分の心を働かせれば、相手の気持ちも動き出す。
この自他共の心の成長こど、対話のもたらす果実にほかならない。
人の悩みは千差万別。
だが、その一つ一つと真剣に向き合う対話が、自他共の成長を促す。
虐待、いじめ問題の対応もまず、話を聞くことから。

智慧と希望の経典「法華経」

2018年08月30日 11時39分56秒 | 社会・文化・政治・経済
人類の進むべき未来を照らす智慧と希望の経典「法華経」。
大乗仏教の魂である法華経の哲理を人間・教育・社会に即してダイナミックに展開。
「哲学不在の時代」を超えて 「生命」 がキーワードの時代へ 「民衆」に呼びかける経典。
法華経とは誰のために説かれた経典なのか。
釈尊在世のために説かれたという面と釈尊滅後のために説かれたという面の二つがあるということである。
今日、私たちのための経典であるということができる。
法華経について、「救われる弟子から救う弟子へ」ということが言われる。
人を救っていく経典である。
法華経は弟子が弘める経典であり、妙法弘通のための経典である。
だから、民衆救済の実践がなければ、学問的に研究しただけでは法華経の心を理解することはできない。