サザード,スーザン【著】〈Southard,Susan〉/宇治川 康江【訳】
内容説明
<原爆投下は正しかった>という日本に対する怒りや憎しみが根強いアメリカ社会。
高校時代に日本に留学した著者は1986年、原爆被害者の谷口稜曄(すみてる)さんの米国での講演の通訳を務めた。
講演後、谷口さんに質問sい、被爆体験とその後の苦悩を知った。
被爆により大やけどを負った谷口稜曄を撮影した報道写真(1946年1月撮影)
1929年(昭和4年)1月26日、福岡県糟屋郡志賀島村で谷口家の三人目の子供として生まれる。
「光が届かない場所を隅々まで照らす」という意味を込めて、稜曄と名付けられた。翌年母が亡くなり、父は一人満州に渡り南満州鉄道(満鉄)に就職。稜曄を含む三人の子供は長崎市の母方の実家に預けられる。
1943年(昭和18年)、淵国民学校(高等科)を卒業し、本博多郵便局)で働き始める。
1945年(昭和20年)8月9日、16歳のとき自転車に乗って郵便物を配達中、爆心地から1.8km地点の長崎市東北郷(現:長崎市住吉町)で被爆。
原爆の爆風で自転車は大破し、激しい熱線により背中と左腕に大火傷を負う。そのまま徒歩で200mほど先の三菱重工長崎兵器製作所住吉トンネル工場へ避難し、機械油で体を拭いてもらうなど簡単な手当てを受け、近くの山へ避難する。
2晩過ごした後、道ノ尾駅から救援列車に乗せられ諫早へ赴くも、諌早国民学校の救護所では満足な治療が受けられず、2日後に長与の遠縁の親戚の家に運ばれ静養。9月10日頃、治療のため、勤め先の本博多郵便局近くの新興善国民学校に開設されていた救護病院に運ばれる。
11月、大村の海軍病院(現在、独立行政法人国立病院機構長崎医療センター)へ移送され、3年7か月後やっと退院する。
1949年3月20日に退院する。しかし、その後もたびたび皮膚の移植手術等の治療を受ける。戦後、原爆によって被害を受けた自らの体験をもとに、核兵器廃絶のための活動を続けた。
2012年8月8日、ハリー・S・トルーマンの孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルと面会した際に、谷口は服を脱ぎ、被爆で背中などに負ったやけどの痕を見せた。
ダニエルは「この星に住む全ての人が見るべきだ」と述べ、核兵器廃絶の決意をあらためて示した。
谷口は「原爆を投下したのは戦争を早く終わらせるためだったと聞いている。広島の後、なぜ長崎にも落としたのかが疑問」と話し、「被爆の事実を知ってほしい」との思いから服を脱いだ。面会後、ダニエルは「心が破れるような思いをした」と述べた。
2017年8月30日 十二指腸乳頭部がんにより長崎市で死去。享年88歳。
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10代の若者だった「語り部」たちのあの日―原子雲真下の「同日同刻」から苦難とともに生きのびた「長い戦後」まで。
12年の歳月をかけ書きあげられたノンフィクション。被爆者の側に徹底的に寄り添った本書の姿勢は、2015年に刊行されるや「原爆投下不可避」論の根強いアメリカ国内で議論を呼び起こした。
目次
プロローグ
第1章 集束
第2章 爆発点
第3章 残り火
第4章 被爆
第5章 動かぬ時
第6章 浮揚
第7章 新たなる人生
第8章 忘却に抗して
第9章 がまん
著者等紹介
サザード,スーザン[サザード,スーザン] [Southard,Susan]
アメリカのノンフィクション作家。アンティオーク大学LA校で修士号取得。
「ニューヨーク・タイムズ」「ロサンゼルス・タイムズ」「ポリティコ」などに寄稿し、アリゾナ州立大学、ジョージア大学でノンフィクション講座を受け持つ。2015年に刊行されたデビュー作Nagasaki:Life After Nuclear War(『ナガサキ―核戦争後の人生』)によりデイトン文学平和賞、J・アンソニー・ルーカス書籍賞受賞。また「エコノミスト」「ワシントン・ポスト」「カーカス・レビュー」の年間ベストブックに選出され、21人目となる「長崎平和特派員」に認定される
宇治川康江[ウジガワヤスエ]
1957年生まれ。葛飾野高等学校卒業後、NHK国際研究室(通訳コース)で学ぶ。
あおぞら銀行、花王、みずほ銀行ほかで日英翻訳業務に携わり、現在はフリーランスの翻訳家。「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
出版社内容情報
「人類の歴史において核兵器の攻撃とその後の惨状を生き抜いてきた唯一の人々である被爆者。人生の終わりの時期に差しかかっている彼らの記憶のなかには私たちの心を奮い立たせるような、核戦争による長期の破滅的影響についての明白な事実が刻まれている」
郵便局の配達員、路面電車の運転士あるいは軍需工場に駆り出されるごくふつうの10代の若者だった「語り部」たちのあの日――1945年8月9日、原子雲下の「同日同刻」から苦難とともに生きのびた「長い戦後」まで。
「赤い背中の少年」ほか5人の主要登場人物とその家族、関係者への聞き書きにくわえ、他の多くの被爆者や治療に携わった医師たちが残した証言、アメリカ軍兵士・司令官の手記、戦略爆撃調査団報告をはじめ占領軍検閲政策、原爆傷害調査委員会をめぐる公文書資料などにあたりながら、12年の歳月をかけ書きあげられたノンフィクション。
被爆者の側に徹底的に寄り添った本書の姿勢は、2015年に刊行されるや「原爆投下不可避」論の根強いアメリカ国内で議論を呼び起こした。
「スーザン・サザードはジョン・ハーシーが広島のためにした以上のことを長崎でおこなった。本書は綿密で情熱的、思いやりに満ちたこのうえない歴史書だ」(ジョン・ダワー)