創作 美登里の青春 4

2024年10月14日 03時04分10秒 | その気になる言葉

「頑張れ」
励ましは、確かに重荷になる場合もあるだろう。
だが、真意が伝わるのなら、その励ましは背中を押す力になるはず。
真意が伝わりにくい世の中げもある。
善意が、悪意に捉えられることもあるだろう。
人間関係の微妙さである。
美登里は、病院の勤務を休んで峰子の面会へ千葉県の松戸市内にある拘置所へ向かった。
そこは、まったく無縁な場所であり、1人で行くことに不安も覚えた。
3冊とチョコレートを差し入れるため、前日それを買い求めた。
駅前の交番で拘置への道順を聞いた。
中年の警官が親切に教えてくれた。
椅子に座る若い警官はしげしげと美登里に視線を注いでいた。
教えられた女学校が右手に見えた。
それから公園を抜けた時、母子の姿を見た。
母親はどこか峰子に似ていた。
そして、3歳くらいの女の子を見て、峰子がどのような形で我が子を殺したのかを想ってみた。
拘置所の手前に小学校があったことは、意外だった。
受付で吉田峰子に面会に来たことを告げた。
用紙に面会する峰子の名前を書き、友人 佐々木美登里と記入、住所欄も書いた。
差し入れの包を出したら、「本は差し入れられますが、食べ物はだめです」と係りの人が言う。
「これはチョコレートなのですが、だめですか?」美登里は心外に思った。
「規則です。食べ物を差し入れたければ、所定の店で購入してください。外へ出て50メートルくらい先の右側に店はあります」と言われた。
待合室には和服を着た女性と目つき鋭い男が2人居た。
「あんた、初めて面会に来たんだね」
和服姿の女性が声をかけた。
「そうです」
美登里は改めて女性の顔を見た。
厚化粧であり、普通の女性には見えない。
髪をアップにして粋な感じがした。

30代後半の年ごろであり、顔は綺麗な感じがしたが、どこか異質である。

大きな瞳は人を圧倒するようで、押し出しの強さが漂っていた。

「三郎、案内してやりな」と女性は顎で若い男を促した。
椅子から立ち上がった男は、180cm以上背丈があった。
角刈りで高校生のようにも見えたが、目つきが鋭い。
「おねいさん、何処から来たの」
突き刺すような目とは裏腹に、声は意外に優しかった。
「川崎市の登戸からです」
「登戸? どの辺?」
美登里は男の大きなスニーカーに目を落としていた。
自分の靴の倍くらい大きい。
「小田急線の登戸駅から来ました」
「そうなんだ。遠くからきたんだな」
若者が笑うと白い歯が見えた。
歯並びがいいなとそれを見た。
店のガラス扉を男が開けてくれた。
店は2坪くらいで狭く、果物、菓子、下着を含めて日常雑貨製品が棚に収まっていた。
60
代と思われる男性が店番をしていた。
チョコレートとバナナを買った。
それを店の人がケースに収めた。
ケースごと峰子宛に店から届けられる仕組みだった。
面会室は5つあった。
美登里は3番の札を渡された。
着物姿の女性と男性2人は5番。
1
番、2番は面接中。
男はたちは、ほとんど無言であった。
どのような人たちなのだろう?
美登里は気にした。
そして、峰子と面会したら、どのような言葉をかけようかと考えた。
「頑張って」と言うべきか?
峰子は泣くだろう、自分も泣くに違いない。
美登里はバックからハンカチを取り出した。

 

 


また明日

2024年10月14日 02時03分03秒 | その気になる言葉

散歩仲間の鈴木さんは、午前5時前にはヤオコーに来ていた。

隣設する店の前の窓際で体操をしていた。

過去に兄と共に会計ソフト「ミロク」を開発した経営者であった。

不運で後年は、豪邸を売って、井野団地に住む身となっていた。

彼からは、自転車やブーツ、衣類4着を譲られたのだ。

その彼が今年3月7日、大動脈解離で亡くなる。

「元気?」彼の何時もの挨拶であった。

「また明日」別れ際の言葉も何時も同じであった。

そして、今は散歩仲間の西田さんが「また明日」と別れ道で言うのだ。

最近は、テレビを観ていて午前5時過ぎの散歩に行けないこともある。

散歩仲間の宮ちゃんは、散歩時間を7時に変更した。

午前5時は暗いので、明るくなる時間帯に変更したのだ。

暗いので、散歩で出会う人も、散歩の時間を変更している。

「変わる人」「変わらぬ人」人生はいろいろ。

自分は「変わらぬ人」の中にいる。

「人のため」に変わらぬこともあるのだ。

それが、付き合いなのだ。

大動脈解離とは、大動脈の血管壁が裂け、血液の通り道が、本来のものとは別にもうひとつできた状態です。

その結果、胸や背中に激痛が走り、大動脈が破裂したり、多くの臓器に障害をもたらしたりする重大な合併症を引き起こします。放置すると命にかかわります。

 


ホイットマン 民衆を苦しめる者とは断固戦う

2024年10月10日 13時19分57秒 | その気になる言葉

ホイットマンは、蝶をたいへん愛したことで知られている。

それは、弱い者を守ろうとの彼の「優しい心」「繊細な心」「強い心」の表れであったろう。像は、その心を象徴している。
 
今年はホイットマン没後百周年にあたっている。
 三月には、彼の墓地があるアメリカ(ニュージャージー州)のカムデン市において、ホイットマン協会主催による記念式典が盛大に行われた。
 同協会は、その記念式典の意義をこめ、カムデン市にホイットマン像を設置した。

民主主義の詩人、国民の詩人、人間と宇宙を謳った詩人、ホイットマン。
 わが人生を謳い、人間と生活をほめ讃えて生きる人は幸福である。愚痴は自分も他人をも不幸にする。頭をあげて、人生を「謳い」、希望を「歌う」心豊かな青春であっていただきたい。
 私が、彼の詩集『草の葉』と出会ったのは、約四十年前の二十三歳のころであった。同じくらいの年代の方もいらっしゃると思う。「自由」「平等」「友情」の讃歌、そして「民主主義」「人間主義」の叫びをこめたこの詩集を、私はこよなく愛した。それは、私にとって、まさに青春時代の「宝の一書」となった。多くの詩を暗唱し、折あるごとに人々に聞かせてあげたものである。
 青春に一書を持てる人は幸せである。悪い書物は「悪友」と同じように、自分を堕落させていく。良き”一書”は、すばらしき「親友」と同じく、生涯にわたって自分を高めてくれる。
 なお、創立二十五周年の記念事業の一環として「中央図書館」の増築、蔵書のいっそうの充実を計画していることをお伝えしておきたい。これからも創価の学舎を、さらにさらに充実させていきたい。私は、この生涯を、「教育」にかける決心でいる。

 ホイットマンの青春。それは決して順調な、きらびやかなものではなかった。貧しい農家兼大工の家に生まれた彼は、家の事情から十歳のころに学校教育をあきらめざるを得なくなった。小学校中退、これが彼の「学歴」であった。
 どんなに勉強したくても、お金がない。家が貧しい。働かざるをえない。こうした逆境のなかで懸命に生きぬいたのである。
 この意味では、皆さんはまことに恵まれている。どうか、その分、真剣に勉学に励んでいただきたい。書物も、読める時に存分に読んでほしい。青春時代に数千冊を読破するくらいの気概でよいのではないだろうか。
 私は、小学四年生のころから本を集めはじめた。戦争中は、防空壕に移して大切に守った。その後も夜店や神田の古本屋街などで本を求め、やがて蔵書はゆうに数万冊を超えていた。これらの本の一部は創価大学や聖教新聞社などに寄贈している。それほど、私は読書を愛し、書物と「格闘」した。

 その後、彼は、弁護士や医者の使い走りなど、さまざまな仕事を転々とした。やがて、印刷所の植字工見習となり、活字の知識を身につける。これをきっかけに彼は文学の扉をたたいた。
 作家・吉川英治氏も、印刷所で働いた。私も一時、印刷会社に勤めていた。
 ”決意の人”は、どこからでも未来の扉を開いていくことができる。
 ホイットマンは、スコットシェークスピアダンテ等を読みこんでいった。また古代インドの詩なども学んだという説がある。
 偉大な仕事をなしゆく人は、多くの場合、コンプレックスをもバネにしている。すべてに恵まれて、順調にきた人は、むしろ、ある程度のところで満足してしまう場合が多い。

 彼は十四歳で家を出て自立。十七歳から二年間、小学校の教師を務めたのちに、新聞等の編集にたずさわった。当時のアメリカは、独立して半生記を経たばかりの「青年の国」であった。若々しく、いたるところに進歩と希望があふれていた。
 産業革命も本格的に開始され、日々、新しいアメリカが生まれた。若きホイットマンも、時代の空気を胸いっぱいに呼吸していた。つねに明日を見つめる希望の眼差しと、いかなる逆境にもへこたれない「楽観の心」をもっていた。
 感傷におちいることなく、みずからの課題に体ごとぶつかっていった。
 体ごとぶつかる。困難に直面すればするほど、前へ前へと明るく生きぬいていける人は強い。「楽観の心」は「生命の宝」である。そして、この財産は自分で築く以外にない。
 また彼は、みずからも庶民の一人として、人間のなかに入っていくこと、民衆と語りあうことを何よりも愛した。
 「人間以上」の人間はいない。皆、「人間」である。ゆえに「人間として」光る以外にない。
 生まれたときも、死ぬときも、皆、裸である。地位や名声、財産などでわが身を飾っても、それだけでは一時の幻影にすぎない。一個の人間として偉大かどうか。ここに焦点を定めて生きる人生が「一流」なのである。

 彼は語っている。「私は教授や資本家たちの間には降りて行かない。私はズボンの端を長靴の周りに折りこみ、袖口を捲って、馭者や船頭や魚を取り畑で働く者たちと一緒に行く。私は知っている、彼らは崇高なのだ」(夢想の天才の光と影―ホイットマン『草の葉』の世界 (1)と。
 また彼は、当時、根強く存在していた奴隷制にも、決然と反対の声をあげた。そのため意見の対立から新聞社を辞めることになっても、みずからの信念を曲げることはなかった。
 「弱きもの」を心から愛し、「民衆を苦しめるもの」とは恐れなく断固として戦う。それが青年ホイットマンであった。私も、このホイットマンと同じ心で、青年時代から「民衆のために」戦いぬいてきた。将来、社会のあらゆる分野で活躍されるであろう諸君もまた、どこまでも「民衆を尊敬する指導者」であっていただきたい。

 1855年、彼の魂の集大成である詩集『草の葉』が誕生する。三十六歳のことであった。初版本は、十二篇の詩が収められた95ページの薄い本である。わずか795冊が製本されたという。貴重な”人類の宝”である。しかし、その詩集の誕生もまた、苦難の連続であった。
 まず、引き受けてくれる出版社がなかった。そのため、みずから一部を植字し自費出版せざるを得なかった。そのように苦労して出版したにもかかわらず、評判はきわめて悪かった。
 伝統的な韻律や音調をまったく無視し、俗語をふんだんに取り入れた彼の詩に対し、多くの人が嘲笑し、非難した。
 イギリスの著名な詩人テニソンは、彼を「モンスター(怪物)」と呼んだ(ホイットマン詩集 (世界の詩 27))。また、ある新聞は、「ホイットマンが芸術を知らないのは、豚が数学を知らないのと同じだ」とあざ笑った(ワルト・ホイツトマン訪問記)。翌年、第二販を出版したが、それまでに、わずか十一冊しか売れなかったという。
 彼は深く自尊心を傷つけられた。しかし決して腐らなかった。何があっても「腐らない」ことが大事である。「腐って」しまえば、万事、何の役にも立たない。
 彼は語っている。「私の決心は少しも揺るがない。私は自分の詩の仕事を自分自身の方法で、最後まで力の限り続けていこう」と。(草の葉―ホヰットマン詩集 (1955年) (岩波文庫)
 また彼は、自身の役割が「出撃である」とし、それが勝利するかどうかは、百年の後に決まる、と書き残している(ホイットマンの心象研究 (1957年))。
 戸田先生も、「われわれの行動が、全人類から讃嘆されるのは二百年後であろう」とつねに言われていた。

 ホイットマンが『草の葉』で、”謳いあげたもの”は何であったか。それは、精神の「自由なる飛翔」であり、いわば、「魂の独立宣言」であった。
 今回の創大祭は「大いなる自由へ 魂の独立宣言」とのテーマを掲げているが、このホイットマンの精神闘争にふさわしい、すばらしいテーマと思う。
 彼はうたう。
  さらに勇気を、わたしの兄弟、わたしの姉妹よ、
  歩みをとめるな 何があろうと『自由』は我らが仕えるべき不変の主君だ、
  一度や二度の失敗で、あるいは何度失敗を重ねても、
  あるいは民衆の無関心や忘恩ゆえに、あるおはどんな不実にめぐり逢おうと、
  権力、兵隊、大砲、刑法、たとい何が牙をむき出して見せようと、
  『自由』は抑えこめるものではない(草の葉〈上〉―ホイットマン詩集 (1969年) (岩波文庫)
 ホイットマンは「アメリカ」をこよなく愛した。自分のいる場所を愛せる人は幸せである。わが家、わが母校を愛し、わが友、わが地域を愛することである。他人をうらやんでばかりいるような”自分のない”人間であってはならない。
 やがてアメリカは南北戦争の狂気におちいっていった。その悲惨を目のあたりにして、彼は、やむにやまれず警世のペンを振るう。
 その叫びは『民主主義の展望』と題する著作に集約されている。その中で彼は、知識人の「軽蔑をこめた傲慢さ」、そして政治家の「腐敗、賄賂、虚偽」といった堕落ぶりを、徹底的に攻撃した。
 謙虚に後輩を育ててこそ、真の知識人である。民衆に尽くしてこそ、真の政治家である。学生を見くだしながら、自分の”手段”にするような学者や、腐敗した政治家とは、断じて戦わねばならない。ホイットマンの叫びは、そうした「民衆の声」そのものであった。

 さらに、彼の眼差しは、形骸化した教会の欺瞞をも鋭く射ぬいていった。
 彼は訴える。「多くの教会や宗派など、また私の知っている気味の悪い亡霊たちが、宗教の名を侵害している」(民主主義の展望 (講談社学術文庫))と。
 彼にとって宗教とは、「魂を隷属」させるためのものではなかった。「魂の自立」を勝ちとるためのものだったのである。
 その意味をこめて彼は、「民主主義の真髄には、結局のところ宗教的要素がある」と語っている。だからこそ、本来の使命を忘れ、みずからの保身に汲々とする聖職者たちを最大に侮蔑した。
 彼は未来を、こう展望した。「自覚した魂が、さまざまな教会から完全に離脱した時こそ、真に『宗教』と立ち向かうことができる」と。
 今、まさに、この言葉が大きな光を放っている。
 それでは、新しき理想の世界をつくるにはどうすればよいのか。
 彼は、それは民衆が賢くなることである、と言う。
 「民衆の中に完全な人間をたくさん作り出すことであり、さらに健全で、全面的に普及するような信仰心が現れること」である、と。
 賢明な民衆をつくる。そのためには「教育」が不可欠である。私が教育を重視している理由もここにある。

 さて、よく指摘されるように、ホイットマンは東洋への深い憧れをいだいていた。『草の葉』に収められた詩「インドへの航海」には、その思いが高らかに謳いあげられている。
 先ほどもご紹介があったように、きょうは、ホイットマンが憧れてやまなかった「精神の大国」インドの地より、デリー大学セント・スティーブンズ・カレッジのウィルソン学長ご夫妻が、お見えになっている。学長も、ホイットマンを愛読されているとうかがった。
 同カレッジはデリー大学のなかでももっとも優秀な学生が集まるとされ、本年で創立百十一周年を迎える。
 諸君も、将来、ぜひインドや中国を訪れていただきたい。ウィルソン学長は、私への手紙に、こう書かれていた。
 「インド独立の父、マハトマ・ガンジーは平和の使途でありました。(とくに)私たちセント・スティーブンズ・カレッジでは、心の中でガンジーを特別な人としております。ガンジーが私たちのカレッジと、とても親しい関係だったからです。ガンジーとセント・スティーブンズ・カレッジの結びつきについて、一つの歴史的事実があります。
 ガンジーがまだ南アフリカにいたころ、当時のセント・スティーブンズ・カレッジの学長が副学長を南アフリカに派遣し、ガンジーにインドへ戻って自由のための非暴力運動を開始するよう説得したのです。マハトマ・ガンジーは、学長の住まいを、しばしば訪れ、彼の平和と非暴力の哲学は、そこでの意見交換を通じて系統立てられたのです」

 その意味から、最後に、インド独立の父ガンジーの言葉を紹介したい。
 「あなたがたは、他人にたよることをやめた瞬間から、自由です。この自由(それこそが唯一の真の自由です)だけは、なんぴともあなたがたの手から奪うことはできません」(ガンディーの生涯 (上) (レグルス文庫 (153))
 頼るな、自立した精神にのみ真の自由は宿る、と。
 また「どんなに小さな集団でも、皆が断固たる決意をもち、何があっても消えない信念の炎を燃やして、自分たちの使命を担うとき、歴史の流れさえも変えることができる」と。
 私も何があろうと”断固たる決意”で生きぬいてきた。何も恐れなかった。ゆえに歴史を開いた。

私は自己を披露し、自己を歌う
而して、私の衣はまたあなたの衣であるだろう、
何故といって、私に属する凡ての原子は、等しくあなたにも属するのだから。

さまよいがてらに私は私の魂を誘ひ出す、
夏草の穂を眺めながら、欲するがままに私はよりかかり、又はさまよい歩く。
                   有島武郎訳(残り1340行は略)

「人間関係を広げる」

2024年10月09日 14時48分48秒 | その気になる言葉

「境涯を広げるには、どうすればいいのか」

それは「人間関係を広げる」ことだ。

大事なのは「人間と人間のつながり」である。

「人間と人間の打ち合い」である。

内外の多くの人々と結び合い、つきあっていくことである。

その人は、その分だけ生命が広がる。

豊かな人生になる。

 

 

 


一人一人の生活、行動が基本である

2024年10月08日 13時25分23秒 | その気になる言葉

▼人生は、<ここぞ>という時には断じて勝たなければならない。

▼どのように小さな地域も<幸福と平和>の起点となる。

そして、その地域には偉大な使命の力が秘められているのだ。

▼近隣の交際を大切にすることだ。

一人一人の生活、行動が基本である。

使命の行動いかんで、社会に大きく影響を及ぼすものだ。

▼各自が職場で立派に仕事をやりぬき、信頼を得て、尊敬される、そのことが生き方の理念の証明となる。

▼初めは小規模の組織でも、一人一人が、襲いかかる人生の波浪を乗り越え、勝利の実証を重ねる中で、大きく発展を遂げていくのである。

▼私たちはどこまでも社会人であり、一市民である。

ゆえの自分自身の「仕事」と「生活」を大切にすることだ。

そして「近隣」を大切にすることだ。

良き市民として、現実の社会で、模範の人間の道を歩みとおするのである。

▼真の雄弁は、口先ではない。

知性をかけた正義の行動である。

ゆえに雄弁は組織の力に寄りかかった甘えからは生まれない。

一対一のぬきさしならない百戦錬磨から生まれる。

 


「政治と金の問題」

2024年10月07日 13時25分06秒 | その気になる言葉

なぜ、自民党は、政治と金の問題から脱却できないのか?

国民の政治不信を払拭する本気の政治改革が今ほど求められることはない。

「政治がきたないというより、現実の人間そのもが、あいにく天使に生まれついていないのである」

政治学者の丸山眞男「人間と政治」

「利己的で、ひそかに自分だけは法の適用を免れたいと思っている人間がいる。それを道徳的に改善するのはなく、たとえ悪魔の国であっても悪しき心情などなかったかのように振る舞わせるにはどすればよいかと」哲学者カウント「永遠の平和のために」

「ケーキが大好きな悪魔たちがケーキを切り分ける。ナイフを入れた悪魔が最後の一切れを受け取れるというルールにすれば、一番大きなピースが欲しいと思っている悪魔は細心の注意で均等にカットするだろう。公平にいないと自分が損するからだ。そらくカントはそんなことを考えていた」訳者の中山元さんの解説が示唆的だ。

互いを強制的に従わせる効力を発揮するルールを、みんなで決めるの政治の機能。

政治資金の透明性を確保する第三者機関の設置が期待される。

 

自民党議員たちと旧統一教会の癒着構造問題。


統一教会と自民党、その恐るべき癒着の構造

安倍晋三元首相の銃撃事件をきっかけに、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への批判が高まっている。最大の焦点は、強引な献金の強要、そして政治家との長年にわたる癒着である。
 統一教会がもっとも耳目を集めたのは、合同結婚式が大きく報道された1992年だった。

霊感商法が話題になったのもこのころだ。翌93年には合同結婚式に参加した元五輪選手の脱会などが話題になるも、九四年には報道も鎮火。95年にはオウム真理教事件が起きて、統一教会問題は世間から忘れられてしまった。
 その当時からすでに三〇年の月日がすぎた。思いがけない形で、旧統一教会の問題が再燃した格好である。
 この問題はしかし、放置できない要素を多々含んでいる。9月30日、自民党は、旧統一教会や関連団体と関係があった同党の国会議員を168人から12人追加して180人と発表した。

かかわり方の濃淡はあるにせよ、岸田内閣は大臣8人、副大臣11人、政務官12人が教団と関係があったことを認めており、とりわけ教団のイベントに何度も登壇して、教祖礼賛演説を繰り出してきた山際大志郎経済再生大臣の言動は常軌を逸している。細田博之衆院議長も、萩生田光一自民党政調会長もだ。10月3日に召集された臨時国会でも当然、この件は大きな焦点になろう。
 両者の関係とは、はたしてどんなものだったのか。このたびの騒ぎを機に出版された、話題の新刊書を読んでみた(以下、同教団の諸問題を扱う論者の慣習にしたがって「統一教会」と表記)。

70年代から政治に食い込んでいた統一教会
 有田芳生『改訂新版 統一教会とは何か』はこの問題を四〇年追ってきた著者による、いわば統一教会問題の入門編。1992年に出版された本に加筆された増補版だが、いまも古びていない。
 95年のオウム真理教事件以降、忘れられた統一教会。その間の事情を、有田は〈オウム真理教が一連の事件を引き起こして自爆したのとは対照的に、統一教会は地道に社会や国会議員へと浸透していった〉と書く。同教会はつまり、成功したのである。
 統一教会が、教祖の文鮮明(1920生まれ)によって韓国で創設されたのは1954年。日本では58年に布教がはじまり、64年、東京都によって宗教法人の認証を受けた。
 政治とのかかわりができたのは67年以降である。68年、韓国に続き日本で結成された国際勝共連合(統一教会系の政治団体)の名誉会長は笹川良一。岸信介も発起人に名を連ねた。七四年に大々的に開かれた会合には福田赳夫大蔵大臣(当時)や安倍晋太郎ら衆参議員40人が出席し、演壇に立った福田は〈アジアに偉大なる指導者現る。その名は文鮮明〉とブチ上げた。
 70年代〜80年代に学生時代を送った人なら、統一教会の学生組織「原理研」の存在をみな知っているだろう。が、政界と教団の癒着はこの時代から想像以上に進んでおり、今日の山際・萩生田・細田らと同じような「教団ヨイショ演説」が、もっと大物の政治家によって行われていたわけである。
 それだけではない。

80年代には選挙活動支援や議員秘書に信者を送り込む手法も常態化しており、1990年の韓国の教団関係雑誌に載ったインタビューで、韓国の教団幹部は次のように語っている。〈日本の今度の選挙だけでも、私たちが推してあげたのが、108議席当選しました。今回、私たちが援助しなければ、無所属で出てきた中曾根なんか吹けば飛んだよ。また派閥で見れば、中曾根派は62議席にもなって、安倍派は83議席です。(略)この2派閥を合わせるといくつになりますか? それで安倍と中曾根は、原理の御言を聞け! と言ったら聞きはじめました〉。
 ここでいう安倍とは安倍晋太郎のことである。韓国の信者向けの雑誌だから多少「盛っている」としても、たいした自信だ。
 実際、右の幹部の話はまるっきりデタラメともいえない。
 元信者や元自民党議員の証言を元に、有田は国際勝共連合が「勝共推進議員」と呼ぶ議員の条件をあげている。
〈それは統一教会員たちが選挙活動を手弁当で支援する代わりに、/①統一教会の教義を学ぶため、韓国で開かれるセミナーに出席する/②国際勝共連合系の議員であることを認める/③統一教会を応援する/という条件を受け入れる議員たちのことだ〉。
 右の条件で90年に勝共連合が公表した「勝共推進議員」の現職は、じつに105人(巻末のリストには大臣経験者を含む有力議員がずらりと並ぶ)。

うち100人が93年の衆院選に立候補。19人が落選するも残りは当選。つまり2022年に露呈したのとそっくりな光景が、この時点で繰り広げられていたことになる。
 93年の衆院選とは、自民党が大敗し、非自民八党連立内閣ができた際の選挙である。有田によれば、この選挙は〈「勝共推進議員」がどれだけ当選するか〉が隠れた焦点だったという。知らなかった。いったいあの選挙は何だったのだろう。
 にしても文鮮明が、そうまでして他国の政治に食い込もうとしたのはなぜなのか。〈自分が影響力を与えることのできる政治家をその国の首相や大統領に据えればいいということだ〉と有田はいう。文鮮明は〈少なくとも7か国を操作できれば、われわれは全世界を掌握できる〉と豪語していた。七カ国とは米英仏独ソ、そして韓国と日本である。78年、米下院フレイザー委員会(米国と統一教会との関係などを調査する委員会)の報告書は、教祖の狙いは「世界的な『政教一致国家』を樹立すること」と断じている。なんという教団と、自民党は手を組んだのか。
 91年、文鮮明が北朝鮮を電撃訪問、金日成と会談するなど、教団は路線を変える。冷戦が終結、反共思想(勝共思想)の意味が薄れた国際情勢への対応である。当時は自民党の勢いも衰えはじめていた。反共とは別の部分で両者の利害が一致したのかもしれない。

安倍・菅コンビが仕切った2010年代
 鈴木エイト『自民党の統一教会汚染 ―― 追跡3000日』は、有田本の後の時代、主に安倍・菅政権時代を扱っている。
 統一教会に転機が訪れたのは2000年代後半。全国各地で霊感商法の摘発が続き、教団本部は組織防衛のため政治家対策の強化を図ったのだ。12年12月、第二次安倍政権が発足。奇しくも12年は9月に文鮮明が死去して後継者争いが起き、息子たちを追放した妻の韓鶴子が実権を握った年である。
 かくて統一教会と自民党中枢部は、以前にもまして緊密な関係を築くことになる。〈政権を奪取した安倍晋三は悲願である憲法改正の実現に向け、長期安定政権を目論んだ。

そこで、組織票にとどまらず無尽蔵の人員を〝派遣〟してくれる使い勝手の良い教団を利用しない手はなかったのだろう〉と鈴木はいう。
 両者の関係が顕在化したのは13年7月の参院選だった。
 この選挙には安倍首相肝いりの候補者が立候補していた。比例区から立候補した北村経夫(山口県出身。現在も現職の参院議員)だ。彼を当選させるべく、教団は全面協力。選対部長によれば、仕切り役は官房長官の菅義偉という。組織票の見返りは「教団への警察の捜査を先送りにしてもらうこと」と「選挙後に当時の日本統一教会の会長(徳野英治)と安倍が会うこと」。
 教団組織票の上乗せで北村は初当選。その成果は翌14年の衆院選を経て15年に結実する。教団が1997年以来、再三働きかけてきた教団の名称変更を、文化庁が認証したのである。
 詳細は省くが、その後の教団と自民党のズブズブぶりは想像以上だ。六度の選挙への協力はもちろん、平時にも、SEALDsに対抗する学生組織(ユナイト)を発足させて安倍の政策擁護に努めるわ、教団の引率で米国に議員を外遊させるわ、あの手この手の大サービス。こうした活動への見返りは、教団と近しい議員の入閣であったり、集会への議員の参加や祝電だったりする。21年9月、統一教会関連団体の大会に安倍が送ったビデオメッセージは、中でも最大の見返りだったといえるだろう。
 このビデオ撮影に同行した国際勝共連合の会長(梶栗正義)は、岸信介から三代にわたる安倍との信頼関係を強調し、このように語ったという。

〈この8年弱の政権下にあって6度の国政選挙において私たちが示した誠意というものもちゃんと本人(安倍晋三)が記憶していた。こういう背景がございました〉。
 あらためて確認すべきは、自民党と統一教会との関係は一朝一夕のものではないということ。そして安倍政権発足以来、教団との関係の中枢を担っていたのは安倍晋三その人だったことである。鈴木がいうように〈メディアの監視が働かないところで、政治家と統一教会は共存共栄関係を続けてきた〉のだ。
 地盤・看板・カバンのない候補者にとって、統一教会は無償で人を派遣してくれる便利な組織だった。一方、教団と信者の関係に目を転じれば、これは搾取の構造にほかならない。
 島田裕巳『新宗教 驚異の集金力』は、既成宗教と新宗教のちがいとして、〈新宗教の場合には、ほとんどの場合、専門の宗教家である聖職者は存在しない〉ことをあげている。教祖はいても、僧侶や牧師のような存在がいないため、すべての宗教活動(布教から商材販売や募金活動まで)は信者の無償の労働によって贖われる。選挙活動もそうした無償労働の一環だったわけで、自民党はつまり教団を介して彼ら信者を搾取し続けてきたのだともいえる。
 私がいま気になっているのは、有田本と鈴木本の両著から抜け落ちた2000年代前半、すなわち小泉政権時代の統一教会と政治の関係である。たとえば小泉訪朝に教団の関与はなかったのか。両者のあまりにも深い絆を知ると、すべてを疑りたくなってくる。

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ガザ地区戦闘1年 死者は4万1000人超に いまも終結は見通せず

2024年10月07日 12時30分47秒 | その気になる言葉

パレスチナのガザ地区でイスラエルと、イスラム組織ハマスとの間で戦闘が始まって、7日で1年となります。

イスラエル軍はガザ地区の北部で再び地上作戦を始めるとともに、レバノンでの攻勢も強めるなど事態は悪化の一途をたどっています。

イスラエルとハマスの大規模な戦闘が始まってから7日で1年となるのを前に、イスラエル軍は6日、ハマスが戦闘能力を取り戻そうとしているなどとしてガザ地区北部のジャバリアで再び地上作戦を始めました。

ガザ地区の地元当局によりますと、ジャバリアでは子ども9人を含む17人が死亡したということです。

戦闘はレバノンにも拡大していてイスラエル軍は7日、レバノンの首都ベイルートにあるイスラム教シーア派組織、ヒズボラに関連する施設などに空爆を行ったと発表しました。

これについて、イスラエル軍の報道官は「目撃者によると現地では2次的な爆発が起きていてこれは標的だったヒズボラの倉庫に武器やミサイルが保管してあったことを示している」としています。

ロイター通信が、ベイルート南部の郊外を捉えた映像には、オレンジ色の巨大な炎が写り爆発のあと、炎とともに火花が激しく散り、煙が立ちのぼる様子も確認できます。

一方、イスラエルのメディアによりますと、レバノンからは6日、135発のロケット弾がイスラエル北部に向けて発射され10人がけがをしたということです。

中東ではイスラエルがイランによる先週の大規模なミサイル攻撃への対抗措置をとるとの懸念も高まっていて、戦闘の開始から1年がたついまも終結は見通せず、事態は悪化の一途をたどっています。

住民は国際社会の関心の低下を懸念

レバノンでの戦闘の激化など中東でのさらなる紛争の拡大が懸念されるなか、ガザ地区の住民からは国際社会の関心の低下を懸念する声も聞かれます。

南部ハンユニスで避難生活を続ける男性は「レバノン情勢に注目が集まり、私たちガザの住民のことはあまりニュースで取り上げられなくなっていると感じる」と話していました。

さらに、別の男性は「私たちは切実に停戦を求めている。すでに疲れ果て、もう限界を迎えている」と訴えていました

ガザ地区での戦闘 経緯

 
去年10月

パレスチナのガザ地区でのイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘は、去年10月7日のハマスの奇襲攻撃をきっかけに始まりました。

ハマスがイスラエルに対して大規模なロケット攻撃のほか越境攻撃を仕掛け、およそ1200人を殺害したほか、人質としておよそ250人をガザ地区に連れ去りました。

去年10月

これを受けてイスラエル軍はハマスの壊滅と人質の解放を掲げて、その日のうちにガザ地区での軍事作戦に乗り出します。

激しい空爆を行うとともにガザ地区を完全に封鎖して電力などの供給も止め、水や食料も不足する中、人道状況が急速に悪化していきます。

10月下旬にエジプトとの境界にあるラファ検問所が開放され、支援物資の搬入が始まる一方、イスラエル軍はガザ地区での地上作戦に踏み切ります。

11月にはハマスの重要な拠点になっているとして、地区最大の病院「シファ病院」に突入するなど作戦を拡大し、国際社会から人道危機への懸念が高まります。

11月下旬にカタールなどの仲介で戦闘の休止が実現し、7日間の休止期間に人質105人が解放され、イスラエル側も刑務所に収容していたパレスチナ人240人を釈放しました。

軍事作戦を再開したイスラエル軍はガザ地区の北部に続き、中部や南部で地上作戦を進め、避難者が集まる学校なども空爆の被害が相次ぎます。

イスラエル軍は、ことし5月には多くの住民が避難していた地区の最も南のラファで地上作戦を始め、エジプトの境界沿いに広がる緩衝地帯「フィラデルフィ回廊」を制圧し、支援物資の搬入の拠点となっていたラファ検問所も閉鎖されます。

こうした中、アメリカのバイデン大統領はガザ地区での停戦に向けて3段階からなる新たな提案を発表し、断続的に協議が続けられました。

しかし、イスラエル側が「フィラデルフィ回廊」などでの軍の駐留の継続を求めたのに対し、ハマス側は完全撤退を求め、協議は難航し、いまも停滞したままです。

イスラエル軍は、先月南部のラファを拠点としていたハマスの4つの大隊すべてを壊滅させたとするなど成果を強調していますが、停戦の見通しが立たない中、ガザ地区での犠牲者は4万人を超え、今も増え続けています。

中東での戦闘拡大 経緯

去年10月にガザ地区での戦闘が始まると、イランが主導し「抵抗の枢軸」と呼ばれる中東各地の武装組織のネットワークがハマスへの連帯を示し、イスラエルへの攻撃に乗り出します。

このうち、イスラエルの隣国レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラは、ガザ地区での戦闘が始まった翌日に、イスラエル北部を砲撃し、以来、双方の間で攻撃の応酬が続きます。

また、イエメンの反政府勢力フーシ派はイスラエルに向けてミサイル攻撃などを行うとともにアジアとヨーロッパを結ぶ紅海周辺で船舶への攻撃を繰り返し、世界的な物流にも影響がでます。

このほか、イランが支援するイラクとシリアの民兵組織が駐留するアメリカ軍に対して無人機やロケット弾による攻撃を行うなどイスラエルと同盟関係にあるアメリカにも攻撃の矛先が向けられました。

これに対し、イスラエル軍はシリアにあるイランの軍事拠点などを相次いで空爆したと伝えられています。

ことし4月1日にはシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館が攻撃を受け、イランの軍事精鋭部隊、革命防衛隊の司令官らが殺害されました。

そのおよそ2週間後に、イランは報復として、イスラエルに向けて多数のミサイルと無人機を発射し、初めての直接攻撃に踏み切りました。

その6日後にはイラン中部の空軍基地の付近で爆発があり、イスラエルの対抗措置とみられましたが、被害は限定的でそれ以上の攻撃の応酬には発展しませんでした。

しかし、ことし7月にイランの首都テヘランを訪れていたハマスのハニーヤ最高幹部が殺害され、イランはイスラエルによる攻撃だとして報復を宣言します。

先月27日にはレバノンの首都ベイルート近郊でヒズボラの最高指導者ナスララ師がイスラエル軍の空爆によって殺害され、緊張がさらに高まります。

イスラエル軍がレバノン南部への地上侵攻に踏み切った今月1日、イランはヒズボラのナスララ師の殺害などの報復としてイスラエルに対し180発以上の弾道ミサイルによる大規模攻撃を行いました。

イスラエルは対抗措置をとる構えで、中東での紛争の拡大が懸念されています。

OCHA“ガザ地区 戦闘開始以降4万1689人死亡 子どもが3割近く”

OCHA=国連人道問題調整事務所が2日に発表したところによりますと、去年10月に戦闘が始まって以降、ガザ地区では4万1689人が死亡しました。

このうち、子どもは1万1355人で全体の3割近くを占めています。

また、およそ210万の人口の9割におよぶおよそ190万人が避難を余儀なくされているほか、食料不足が深刻化する中、飢きんに直面している人は人口の4分の1近くのおよそ49万5000人に上っているということです。

国連やNGOなどの支援関係者も犠牲になっていて、去年10月以降、ガザ地区で280人以上が死亡し、その多くはUNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関のスタッフだとしています。

報道関係者の犠牲者も増え続けていて、報道の自由を守る活動をしている国際的なNPO、CPJ=ジャーナリスト保護委員会は4日、ガザ地区の戦闘に関連して死亡した報道関係者は少なくとも128人に上っているとしています。

イスラエル軍はヨルダン川西岸のパレスチナ暫定自治区でも攻撃を行っていて、OCHAによりますと、先月末までのおよそ1年間に678人のパレスチナ人が死亡しました。

一方、イスラエル側では1200人以上が亡くなったということです。

【被害の状況】

 

ガザ地区では激しい戦闘で学校や病院も大きな被害を受けています。

学校・教育

OCHA=国連人道問題調整事務所の4日の発表によりますと、9月上旬までにガザ地区にある564の学校の87%にあたる493校が戦闘の被害を受け、このうち71校が建物を完全に破壊されたとしています。

教育を受けられなくなった子どもの数はおよそ62万5000人にのぼり、OCHAは「子どもたちの学ぶ権利が脅かされている」と訴えています。

病院・医療

また、WHO=世界保健機関によりますと、ガザ地区にある36の病院のうち半数以上が機能しておらず、17の病院が一部の運営を続けている状況だということです。

現地で支援活動にあたっている国境なき医師団が3日、発表した声明によりますと、これまでに14の医療施設から医療スタッフや患者などが避難を余儀なくされ、そのたびに何千人もの人々が治療を受けられなくなったとしています。

支援の状況

ガザ地区では食料や飲み水の不足が深刻で、飢餓のリスクが差し迫った課題となっていますが長期化する戦闘により人道支援が届きにくい状況が続いています。

UNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関のラザリーニ事務局長は2日、10万トン以上の食料が搬入されずにガザ地区の外に留め置かれていると指摘しました。

食料支援を受けることができなかった人の数は9月140万人以上にのぼったとして、ラザリーニ事務局長は「ガザでは飢餓が繰り返し広がっている。これは完全に人災だ。冬が近づき、天候が悪化する中で人道物資が不足すれば、苦しむ人々がさらに増えるだろう」と訴えています。

林官房長官「停戦に向けた取り組み 強く求めていく」

 

林官房長官は7日午前の記者会見で「日本は一貫してハマスなどによるテロ攻撃を断固として非難し、すべての人質の即時解放を求めている。戦闘が長期化する中、ガザ地区で危機的な人道状況が続き、多数の民間人が犠牲になり、イスラエルとパレスチナ双方の市民の安全が脅威にさらされていることを深刻に懸念している」と述べました。

その上で「イスラエルを含むすべての当事者に対し国際法を順守するよう求めるとともに、停戦の実現に向けた着実な取り組みを改めて強く求めていく。G7や国連安全保障理事会の一員として、中長期的な地域の平和と安定の確立に向けて外交努力を重ねる。ガザ地区への人道支援を継続し今後訪れる復旧・復興段階でも役割を果たす決意だ」と述べました。

米 ハリス副大統領「圧力かけること やめるつもりはない」

アメリカのCBSテレビは6日、7日に放送予定のハリス副大統領へのインタビューの内容の一部を公開しました。

この中で司会者が、バイデン政権がヒズボラとの停戦を求めたにも関わらずイスラエルがレバノンに侵攻したことなどに触れた上で「アメリカはネタニヤフ首相に対し何の影響力もないのか」とただしました。

これに対しハリス氏は「ハマス、ヒズボラ、それにイランからの脅威を考えると、イスラエルが自衛するために私たちができるかぎりのことをするのは 間違いなく必要なことだ」と述べイスラエルを支持する姿勢を改めて示しました。

その上で「外交面ではイスラエルの指導者たちに人道支援や戦争の終結などの必要性を訴えて働きかけている。イスラエル、それにアラブの指導者らに圧力をかけることをやめるつもりはない」と述べ、外交的な働きかけを通じて緊張緩和を進めたい考えを示しました。

アメリカでは11月に大統領選挙を控え、中東情勢の混乱を収束できていないとして、バイデン政権に対する批判が強まっています。


戦いは勢いである

2024年10月07日 11時43分03秒 | その気になる言葉

▼牡蠣(かき)は海中の植物プランクトンを取り入れて育つ。

森の養分川から海へ運ばれ、餌となる植物プランクトンの増殖を促す。

目には見えないミクロの世界。

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」サンテグジュペリ作「星の王子さま」の一節である。

キツネに、そう言われた王子は、けんか別れをしたバラに心を寄せる。

すると「絆」や「愛情」が見えてきた。

▼戦いは勢いである。

大変な時こそ、互いに声をかけあい、励まし、ほめたたえあう。

そこに勝利へのリズムが生まれる。

▼勝敗を決するものは、一人また一人の胸の奥に刻み込まれた金剛にして不壊なる一念と情熱である。

▼人には不安を消せない時がある。

そんな時は不安とは反対の安心で打ち消すのがいい。

そして、その安心を引きだすために周囲の存在が大切である。

▼どこにも「親身に相談相手になってくれる仲間がいる」それが地域の安心となる。

殺伐とした現代の人間関係の砂漠に、人間共和のオアシスの絆なを、広げていくのである。

 


会うことで人は触発し合う

2024年10月07日 11時15分37秒 | その気になる言葉

SNSや電話でも人と人はやりとりできる。

だが、会うからこそ伝わってくる<生の情報>や<人の温度>がある。

そこのに心を配ると、会話も弾む。

打ち解ければ、友情を深めることができる。

会うことで人は触発し合う。

元気な人に合えば元気が出る。

笑顔の人に合えば、自然と口角が上がる。

相手の様子を知ると同時に、こちらの真心や熱意もまた必ず伝わる。

 


着実に前進し、中途で投げ出さないことだ

2024年10月06日 20時48分10秒 | その気になる言葉

▼きょうという日は二度と来ない。

大切な一日一日を、どこまでも強きで、「獅子王の心」で勝利することだ。

▼動いた分、語れば語った分だけ自身と社会の歴史は築かれる。

壁を破る挑戦を!

▼自分だけのことだけで精一杯の小さな境涯から、自身の果たすべき役割を自覚して社会へ向かうのである。

▼まずは、十分に考えをめぐらして慎重に対処するのである。

そして意欲を燃やして全力でぶつかるのである。

着実に前進し、中途で投げ出さないことだ。

細心を旨として、こまかく気配るのである。

▼最高の行動とは、最後までやり遂げる「執念」と「細心の注意」が必要でらる。

基本は「最高の作戦であり、最高の行動」とともに「強盛な祈り=一念」である。

この二つが要諦が調和した時、不可能も可能となるのだ。

 


自分と他人を区別する心の境界線 バウンダリー

2024年10月06日 12時37分49秒 | その気になる言葉
の解説

境界。限界限度

 人間関係に悩む要因は、バウンダリーが侵害されることにある。

「私とあなたは違う」を持つことが前提になる。

他人の気持ちを察知しようとし過ぎると自分と他人との境目が曖昧になり、影響を受け過ぎて辛くなる。

子どもには、「私は私」という軸を持たせることだ。

 

 

 


友好を結ぶ地道な活動こそ最も堅実な勝利の道

2024年10月06日 11時38分52秒 | その気になる言葉

▼真心の声掛けには、慈愛と確信の響きがある。

相手の生命を打ち震わす。

▼窮地の中でも前を向いて生きるのであう。

▼「大悪」を乗り越えるだけではなく、「大善」に転じるのである。

▼飛躍のバネは<使命に生きる>決意と行動の基(もと)にある。

▼目の前の苦難を成長への糧に変えると決めて勇敢に進むのである。

▼友好を結ぶ地道な活動こそ最も堅実な勝利の道である。

▼不撓不屈の挑戦の先に栄冠がある。

▼大変だからこそ、やりがいを感じるし、楽しくもあるものだ。

▼苦境に負けず、雄大な自然のよういに悠々を生き抜くことだ。

 


何がっても楽観主義を貫くのでる

2024年10月06日 11時15分25秒 | その気になる言葉

▼平和は自分自身、家族、地域から始まる。

▼太陽は私たちに光で話す。

かおりと色で花は話す。

雲と雪と雨で大気は話す―詩人・ヘツマン・ヘッセ

▼花に香りがあるように、人には人格の香りがある。

▼人に尽くす生き方を貫く。

▼希望の哲学を語る。

▼あなたの成長を待っている人がいる。

あなたの優しさを待っている人がいる。

あなたの勝利を待っている人がいる。

▼現実の課題や悩みから逃げてしまう心を変えるのである。

▼病気によって、一歩も二歩も飛躍する人がいるものだ。

▼何がっても楽観主義を貫くのでる。