毎日新聞 2021/9/27
インタビューに応じたハーレトさん。自爆を迫られながら、ぎりぎりのところで振り切ってISを脱出した=トルコ南部シャンルウルファで2015年
インタビューに応じたハーレトさん。自爆を迫られながら、ぎりぎりのところで振り切ってISを脱出した=トルコ南部シャンルウルファで2015年
約20年に及んだアフガニスタン戦争は2001年9月11日の国際テロ組織「アルカイダ」による自爆テロで始まり、首都カブールで8月26日に起きた過激派組織「イスラム国」(IS)系勢力による自爆テロで幕を閉じた。自爆テロは古典的な戦術と見られがちだが、専門家の間では「最強の人間兵器」とされる。そのメカニズムを検証する。【大治朋子】
自爆テロのメカニズムとは<暴力的過激主義を追う>
9/19(日) 15:53配信
毎日新聞
「テロ対策」とアフガニスタンの中央集権型「国づくり」を掲げて約20年を費やし撤退した米軍=アフガニスタン南東部パクティカ州で2009年6月、大治朋子撮影
◇「究極のスマート爆弾」
約20年におよぶアフガニスタン戦争は2001年9月11日の国際テロ組織「アルカイダ」による自爆テロで始まり、首都カブールで先日起きた過激派組織「イスラム国」(IS)系勢力による自爆テロで幕を閉じた。自爆テロは古典的な戦術に思われがちだが、テロリズム研究者の間では今も「最強の人間兵器」とされる。
イスラエルのシンクタンク「国家安全保障研究所(INSS)」によると、世界で起きた自爆テロの総数は18年以降は減少傾向にあるが、それでも20年に17カ国で計127件発生し、その大半がアフガンを統治するイスラム主義組織タリバンやアルカイダ、ISやその支援勢力によるものだ。
「自爆テロリストは究極のスマート(精密誘導)爆弾だ。カネがかからず容易だが成功率が高い」
18年夏、テロリズムの研究で知られるブルース・ホフマン米ジョージタウン大学教授はイスラエルの大学院でテロのメカニズムについて講義し、そう強調した。
自爆テロは人間がその五感を鋭敏に研ぎ澄まし、標的に気づかれないよう細心の注意を払って距離を縮め、直前のさまざまなハプニングにも臨機応変に対処しながらタイミングを見計らって遂行される。そんな人間の判断力や柔軟性には、最新鋭の人工知能(AI)搭載兵器もいまだ遠く及ばない。
今回カブールで起きた自爆テロも、ISの広報機関によると実行犯はタリバンや米軍の警備をかいくぐり、米兵たちに「5メートル弱の距離」にまで近づき自爆したという。米国のシンクタンク「ランド研究所」によると、自爆テロはその他の手段を使ったテロ攻撃に比べ平均で4倍の死傷者を出す。
テロ組織にしてみれば、まさに「最強の人間兵器」(ホフマン氏)なのだ。
◇自爆テロの歴史
自爆テロは1980年代にレバノンの首都ベイルートで起きた事件に端を発するとされる。81年12月にイラク大使館、83年4月と10月には米仏両軍事施設などが標的にされ計360人以上が死亡した。
いずれも後にイスラム教シーア派武装組織「ヒズボラ」(アラビア語で神の党)軍事部門最高幹部に就任するイマド・ムグニエ(08年に暗殺)らが指揮したとされる。後に「自爆テロの父」と呼ばれた人物だ。00年から05年にかけてのパレスチナによる第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)でも自爆テロが頻発した。
だが自爆テロはイスラム教系の過激派に限られた戦術ではない。1980年から2005年にかけて世界各地で起きた自爆テロ315件(自爆テロ犯462人関与)を各種文献(アラビア語、ヘブライ語、ロシア語や英語)で分析したロバート・ペイプ米シカゴ大学教授の論文によると、マルクス主義系組織や世俗主義の組織も活用してきた。その大半は「占領者である外国部隊の追放」を動機に掲げており、まさに今回のカブール・テロと同じモチベーションだ。
ちなみに自爆犯はレバノンやパレスチナ、イラクでは8割以上が男性で、特にパレスチナやイラクでは高校卒業以上の学歴、中産階級以上の家庭出身が目立つとされる。
◇「人間兵器」を発掘し製造する
冷徹なテロ攻撃に、なぜ人は突き進んでしまうのか。
2015年1月、ISが日本人男性2人を誘拐し殺害した事件に関し、私は当時ISが拠点を構えたシリアの隣国トルコに滞在しISの元戦闘員8人に個別に取材した。
統計的な傾向が言える数ではもちろんないが、驚いたことにテロ組織が喧伝(けんでん)するような「イスラムVS西洋社会」のようなイデオロギー論を口にした青年は一人もいなかった。彼らが語った参加の動機は「ISが給料をくれると言った」「破壊された国を再建したかった」「武器をもらえたので家族を守ることができると考えた」など。狂信的なイスラム教徒かと思いきや、彼らの視線はもっと実践的で日常的で、言うなれば「就職」に近い感覚だった。
もっとも、欧米諸国で生まれ育ったイスラム教徒の移民2世、3世がシリアに渡ってISに参加したケースなどでは、「イスラムVS西洋社会」といったイデオロギーや自己実現的な動機が目立つとの指摘もある。これについては別の機会に改めて書くとして、ともかくここでは、少なくとも紛争地においては「生きるため」に過激派組織に入る人々がいるという認識を共有しておきたい。
組織はそんな青年らを取り込み、自爆テロをもいとわない「人間兵器」に仕立て上げるが、「生きるため」の就職的感覚で参加した者にとっては自爆へのハードルは高い。
私がインタビューしたシリア人のハーレト(当時17歳)も迷い続けた一人だった。小柄できゃしゃ、長いまつ毛と黒い瞳が印象的な青年だった。インタビューは半日近くにおよんだが少しも集中力が落ちることはなく、記憶を淡々とたどり続けた。
ハーレトは13年6月、当時シリア北部ラッカにあった自宅を訪ねてきたIS戦闘員と名乗る30代のチュニジア人の男に勧誘された。給料として月に数百ドル、戦闘に勝てば500ドル以上の一時金も出すという。農家を営む一家の月収は約250ドル(約3万円)。だが戦闘で廃業状態になっていた。それでも躊躇(ちゅうちょ)していると「これで家族を守れ」とカラシニコフ銃をくれた。
男は何度も訪ねてきて、そのたびに「元気か?」「顔色がすぐれないね」と気遣う。ちょうど兄のように慕っていたいとこ(20)が紛争で亡くなったばかりで「信頼とか愛とか尊敬という言葉を使うところが好きになり」、IS入りを決意した。
だがいったん組織に入ると、男は自爆テロを促すようになった。「天国に行けるぞ」「英雄になれる」と繰り返す。ISの過酷な「トレーニング」は連日のように続く。重い荷物を抱えて走らされたり、武器を清掃したり。それは自爆テロの事前練習だと後で気づいた。同時期に入った近所の友人は次々と姿を消し、自爆したと聞かされた。ハーレトは「疲労とプレッシャーで落ち着いて考える体力も気力もなくなった」と振り返った。
◇運命を分けるもの
自爆テロへと突き進む人とそうはならない人。その違いを分けるものは何か。
イスラエル・テルアビブ大学のアリエル・メラリ教授らはその違いに注目してある調査を実施した。イスラエルに服役中の自爆テロ犯(未遂)と、自爆テロを側方支援した組織のメンバー(通称・ハンドラー、ハーレトに自爆を迫った男のような人物)、そして自爆テロ以外のテロ活動に従事し拘留された者(対照群)という3者に心理学的なインタビューをして違いを検証した(10年発表)。
それによると、自爆テロ犯は自我が弱く、自分の感情や行動のバランスを図る自己コントロール能力やストレス耐性などが対照群に比べて低かった。このため依存心が強く他者に影響されがちな傾向が見られた。一方、ハンドラーらは自我が対照群より強く自己コントロール能力やストレス耐性も高い傾向が目立った。
ISは言葉巧みに影響力を行使するチュニジア人の男をハンドラーに使い、小柄で一見、支配されやすそうに見えるハーレトを自爆テロ候補者にと期待したのかもしれない。
また、メラリ教授は別の論文で、81年から04年までに起きた自爆テロに関するデータを分析。組織が「人間兵器」を製造する過程には三つの段階があると指摘した。①教え込み(Indoctrination)②集団としての誓い(Group Commitment)③個人の誓い(Personal Commitment)――だ。
①は、新規参入者がすでに抱いている怒りや願望を組織の戦略に合う形に整理して再注入する段階。②では、そうした感情をグループで共有させ「誓い」にする。これが互いを引き寄せ、仲間意識を高め、同時に同調圧力にもなる。最終段階の③では、組織が自爆予定者の「遺言ビデオ」を撮影し、自爆後に公表することで新たな勧誘材料にする。
これは特にイスラム系の過激派組織に目立つセレモニーで、自爆予定者の多くは動画の冒頭、銃を片手に「私は〇〇(名前)、生きる殉教者(living martyr)です」などと語る。この段階ではもう引き返すのは至難の業だ。カブール・テロの実行犯とされる青年も自爆ベストを身に着けてライフル銃を持ち、人さし指を立て(タウヒード=「神の唯一性」を意味する)た生前の写真が拡散されている。
◇自爆直前の「微笑」
話をハーレトに戻そう。彼は自爆を迫られ混乱していた時、たまたま母親と携帯電話で久しぶりに話した。自爆テロのことは何も言わなかったが母親は突然、すべてを察知したように「死んではダメ、ハーレト、逃げるのよ」と叫ぶように言ったという。彼は覚醒したように、命がけでISを脱出した。
彼と自爆してしまった青年らの運命を分けたものがあるとすれば、それは何か。
暴力的過激主義についての取材や研究を続けてきた私から見ると、それは最後まで迷い、悶絶(もんぜつ)しながらも自ら思考することを捨てなかったことのように思える。ハーレトは最後まで自分の頭で考え、思考のハンドルを誰かに明け渡すことはなかった。人はさまざまな苦難や不条理に遭遇すると被害者意識を強め、心に落ちるストーリーが欲しくなる。
過激派組織はそんな人々に勧善懲悪の単純なストーリーを授け、その疲弊した思考をハイジャックする。もともと人間の脳は単純な善悪二元論に魅せられやすい傾向があるため次第に視野狭窄(きょうさく)となり、暴力的過激主義、つまり暴力で相手をねじ伏せればすべて解決するといった思考に陥りやすくなる。
自爆犯は自爆する直前、周囲にほほ笑みかけるとされる。イスラエルなどさまざまな場所で被害者らがその「最期の笑み」を目撃している。テロ組織はそれを「歓喜の微笑」と呼び、「正義の聖戦士」となる殉教者だけが浮かべる最高の微笑だと誇らしげに言う。
だがそれは自ら熟考し、悶絶し、さまざまな葛藤の末に進むべき道を自力で切り開く者の笑みとは違うはずだ。【大治朋子】
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イスラム過激派テロの潮流の変化と対応
板橋 功
jiia.
はじめに
最近、「アルカーイダ」という言葉がメディアに氾濫しているように感じる。9.11米中枢同時テロ事件以降は、その犯行組織の名称ゆえにこの言葉がメディアで氾濫するのも無理も無いことであるが、イラク戦争を契機にその傾向が一層顕著となっていることに、著者は違和感を感じてならない。
イラク国内や中東諸国等において武装攻撃事案やテロ事件が発生する度に、「アル
カーイダ」もしくは「アルカーイダと関連する」という言葉が、必須の引用名称となり、報道がなされているように感じるのは著者だけであろうか。
アルカーイダ及び関連するテロリスト・ネットワークによる主なテロ事件としては、2001
年9月11日の9.11事件をはじめ、1993年2月のニューヨーク世界貿易センター爆弾テロ事件、
1998年8月のケニア・タンザニアにおける米国大使館爆破事件、2000年10月のイエメン・アデン港における米国駆逐艦コール号の爆破事件等がある(資料1参照)。また、日本人や日本権益も例外ではなく、アルカーイダ及び関連するテロリスト・ネットワークによるテロ事件の被害を受け
ている。
資料1 アルカーイダ及び関連するテロリスト・ネットワークによる主なテロ事件
1992年 12月 イエメンのアデンにおける3件の爆破テロ事件
8
1993年 2月 ニューヨーク世界貿易センター爆弾テロ事件
1993年 10月 ソマリアでの米軍兵士殺害事件
1994年 12月 フィリピンを訪問中のローマ法王暗殺計画
1994年 12月 在フィリピン米国・イスラエル大使館爆破事件
1994年 12月 フィリピン航空機内爆弾テロ事件及び米国航空機同時爆破計画
1996年 6月 アル・コバール米軍施設(サウジアラビア)爆破事件
1998年 8月 ケニア・タンザニア米国大使館爆破事件
(米国、アフガニスタン、スーダンをミサイル攻撃)
2000年 10月 米国駆逐艦コール号爆破事件(イエメン・アデン)
2001年 9月 9.11事件(ニューヨーク世界貿易センタービル、国防総省に対するテロ
攻撃)
2002年 4月 チュニジア・ジェルバ島シナゴーグ爆破事件
2002年 5月 パキスタン・カラチにおける海軍バス爆破事件
2002年 10月 イエメン沖仏タンカー爆破事件
2002年 10月 インドネシア・バリ島ディスコ爆破事件
2003年 5月 サウジアラビア・リヤド外国人居住区爆破事件
2003年 5月 モロッコ・カサブランカにおける自爆テロ事件
資料2 日本人・日本権益が被害にあったアルカーイダ及び関連するテロリスト・ネットワークに
よるテロ事件
1993年 2月 ニューヨーク世界貿易センタービル爆破事件
1994年 12月 フィリピン航空機内爆弾テロ事件及び米国航空機同時爆破計画
1995年 11月 在パキスタンエジプト大使館爆弾テロ事件(ジハード)
1997年 11月 ルクソール外国人観光客襲撃テロ事件(武装イスラム集団)
1998年 8月 在ケニア・タンザニア米国大使館爆破事件
1999年 8月 キルギスJICA専門家誘拐事件(ウズベキスタン・イスラム運動)
1999年 12月 インディアン航空機ハイジャック事件(ハラカト・ウル・ムジャヒディン)
2001年 9月 9.11事件(ニューヨーク世界貿易センタービル、国防総省に対するテロ
攻撃)
2002年 10月 インドネシア・バリ島ディスコ爆破事件
2003年 5月 サウジアラビア・リヤド外国人居住区爆破事件
2.アルカーイダの概要と現状
(1)アルカーイダ(Al-Qaida)の概要
アルカーイダは、UBLテロリスト・ネットワークの中核をなす組織であり、米国を主な標的としており、常に米国本土での攻撃、すなわち9.11事件に相当するテロ攻撃の機会を伺っているものと考えられる。
アルカーイダは、1980年代終わりに、アフガニスタンにおいてソビエト連邦に対して闘ったアラブ人を結集するために、オサマ・ビンラーディンによって創設され、アフガン抵抗運動のためにスンニ派イスラム教過激派に資金、メンバーの募集、輸送、訓練などの支援を行った。
現在の目標は、同盟するイスラム過激派グループと協力して「非イスラム的」と同組織がみなす政権を転覆させ、イスラム諸国、特にサウジアラビアから西洋人や非イスラム教徒を追放することを通じて世界中に汎イスラム主義のカリフ統治国(Caliphate)を樹立すること。
1998年2月「ユダヤ人と十字軍に対する聖戦のための世界イスラム戦線」の名で、あらゆる場所において米国国民(民間人・軍人を問わず)及び彼らの同盟者を殺害することが全イスラム教徒の義務であるとの声明を発表、2001年7月には、「エジプト・イスラミック・ジハード(ジハード)」と統合した。
世界中にセルを有しており、スンニ派過激派ネットワークとの連携によって勢力が強化されている。
2001年のアフガニスタン攻撃によりタリバン政権が崩壊するまではアフガニスタンを本拠としていたが、現在では東南アジア及び中東などの世界各地に小さなグループで散らばっており、米国の権益に対するテロ攻撃の機会を伺っているものと思われる。
1998年8月、ケニアのナイロビ及びタンザニアのダルエスサラームの米国大使館爆破テロ事件、2000年10月12日のイエメンのアデン港における米軍艦コール号のテロ事件、2001年9月11日の米国における同時多発テロ事件等、米国本土及び在外の米国権益をターゲットにしたテロ事件を起こしている。
また、2001年12月には、アルカーイダとの関係者と疑われるリチャード・リードがパリ発マイアミ行きの航空機内で靴爆弾を爆破させようとした。
さらに、1994年のマニラ訪問中のローマ法王暗殺計画、1995年のフィリピン訪問中のクリントン大統領暗殺計画、1995年の米国航空機同時爆破計画、1999年のロスアンゼルス国際空港爆破計画など、アルカーイダによる数々のテロ計画が明らかになっている。
(2)アルカーイダの現状米国を始めとした国際的なアルカーイダ封じ込め作戦により、アルカーイダ幹部の多数が死亡し、また逮捕され、UBLを始めその他の幹部の多くも逃亡生活を余儀なくされている状況から、
ルカーイダの中枢部隊そのものによる9.11規模のテロ敢行は困難な状況にあるものとの分析もあるが、常に米国本土への大規模テロ攻撃の機会を伺っているものと見られる。
一方、アフガニスタンでは、アルカーイダとタリバンの動きが活発化しており、アルカーイダメンバーが、パキスタンやイランへ浸透し両国で勢力を温存し、テロ攻撃の立案を継続しているとの見方があるなど警戒を要する兆候もある。
また、アルカーイダ・ネットワークは、聖戦を遂行しているイスラム過激派の前衛としてあり続けるために、イラク国内に新たな戦線を構築したとの情報もあり、昨年8月以降イラク国内で発生した一連の自動車爆弾を使用した大規模同時多発自爆テロは、アルカーイダのテロの形態と酷似していること等から、アルカーイダの浸透若しくは影響が強く窺える。
アルカーイダの組織は、アフガニスタンやパキスタン、チェチェンだけでなく中東及びその他の地域で、従前よりはるかに世界中に勢力を拡大していると見られる。
(3)現状の問題点
現状の問題点はUBLが、単にアルカーイダの指導者であるだけでなく、反米感情や反イスラエル感情を有するイスラム原理主義者、殊にこれらの中の若者の間で、精神的な父としての存在となりつつあることである。イラク戦争を契機に、世界のイスラム諸国の中での反米感情が急速に高まったのに伴い、UBL及びアルカーイダ幹部の声明等は、対米及びその同盟国並びに米国に協力する勢力に対するテロ行動のモチベーションを高めるものとなっている。
インターネットの普及は、テロリストの世界にも大きな変革をもたらしている。
UBL等のアルカーイダ幹部の声明が、リアルタイムで世界を駆け巡り、現実にネット上で「異教徒と戦うためにイラクに行こう」という呼びかけが行われている。
インターネットの普及やイスラム各国に所在するイスラム寄宿学校の存在は、イスラム過激派の主張及び勢力拡大の一つの有効な手段となっており、イスラム過激派勢力の裾野が広がりを見せている。
これらの現状は、テロリストの新世代のリクルートを容易なものにしており、これらイスラム過激派の影響を受けたテロ発生の可能
性が世界各地に拡散していると言える。3.アルカーイダに関連する各テロ組織について
(1)アデン・イスラム軍(Islamic Army of Aden:IAA)
この組織は、1998年にUBLに対する支持を表明し、イエメン政府の打倒とイエメンにおける米国等西側諸国の権益に対する攻撃を呼びかける声明を出した。メンバーの多くがアフガニスタン戦争から帰還した旧義勇兵やアフガニスタンの訓練キャンプでの訓練経験者であり、アルカーイダとも密接な関係を持つとされるテロ組織である。また、同組織はロンドンに在住し、過激な説法を行っていたイエメン系英国人アブ・ハムザ・アル・マリスとも密接な関係があるとされている。
なお、このような過激な説法が行われるモスクやイスラム系団体の事務所が、アフガニス
タンのテロリスト養成訓練キャンプ等に送りこむ若者のリクルート活動の場にとなっていたとみられる。
同組織の資産は2001年9月に米国の行政命令13224により凍結され、また国連安保理決議
1333に基づく制裁の対象に指定された。
同組織は、爆弾テロや誘拐等のテロ活動を行っており、1998年12月にはイエメン南部で英
国人及び米国人、オーストラリア人の旅行者16人を誘拐している。
1999年10月の同グループの指導者Zein al-Abidine al-Mihdar(別名Abu Hassan)の処刑以降、同組織と連携する個人が多く、これらの者がテロ活動を行ってきた。2000年10月に発生したサナアにおける英国大使館爆破テロ事件に関与したとして、同組織のメンバー1人と連携者3人が逮捕され有罪判決を受けている。
イエメン当局者は同組織の活動は消滅したとしているが、2002年に仲介者及びインターネットを通じて、同組織のものとされるいくつかの報道声明が出されている。
(2)神の使いと戦いのためのサラフィスト・グループ
(Salafist Group for Call and Combat:GSPC Salafist Group for Call and Combat:GSPC)
1998年9月に「武装イスラム集団(GIA)」の方針に不満を持つ分子により創設された組織であり、GIAより活発に活動している。首都アルジェの近郊及び東部のカビリア地方を主な活動拠点にしており、現在ではアルジェリア国内で最も活発にテロ活動を組織となっている。
主として、政府や軍、警察関係者や施設を攻撃対象としており、GIAとは対照的にアルジェリア国内における民間人の攻撃を避けるとの公約により、一般大衆の支持を得てきたが、時には民間人も殺害している。
海外における支援者は、欧州、アフリカ、中東全域などで活動しており、GIAの海外ネットワークをほとんど吸収したとされている。
これらのアルジェリア人在外居住者及び海外の同グループメンバーは、主として資金及びロジスティックス面で支援を行っている。
また、欧州におけるメンバーの一部は、「アルカーイダ」に共鳴する他の北アフリカの過激派との関係を維持しており、2002年には、アルジェリア国内で同組織のメンバーと接触していたイエメン人の「アルカーイダ」活動家を殺害したことをアルジェリア当局が公表している。さらにアルジェリア政府は、イランとスーダンが過去数年においてアルジェリアの過激派を支援していると非難している。
(3)ウズベキスタン・イスラム運動( (3)ウズベキスタン・イスラム運動(Islamic Movement of Uzbekistan:IMU Islamic Movement of Uzbekistan:IMU)
ウズベキスタンのイスラム・カリモフ大統領の世俗政権に反対し、ウズベキスタンのフェルガナ地方にイスラム国家を建設することを目的に、ウズベキスタン及び他の中央アジア諸国のイスラム過激派が連合した組織である。
主たる目標は、カリモフ政権を打倒してウズベキスタンにイスラム国家を樹立することであるが、同組織の政治的・イデオロギー的な指導者であるタヒール・ユルダシェフ(Tohir Yoldashev)は、活動の標的をイスラムの敵と同人がみなすすべての人々に拡
大した。
同組織のメンバーは南アジア、タジキスタン及びイランに散らばっており、アフガニスタン、イラン、キルギスタン、パキスタン、タジキスタン、ウズベキスタン等で活動を行っている。
1999年2月には、ウズベキスタンの首都タシケントで発生した5件の自動車爆弾事件に関与したとされ、また1999年及び2000年には相次いで外国人の誘拐事件を起こしている。
この誘拐事件の中には、1999年8月の日本人鉱山技師4人等を誘拐した事件も含まれている。
アルカーイダや旧タリバン政権と軍事的に密接な繋がりを持っていたが、9.11事件以降の米国等によるアフガニスタン攻撃により、アフガニスタンでタリバンとともに戦っていた多くのIMUのメンバーが拘束されたり、殺害され、また追い散らされたことから、崩壊に近い状況にあるとも言われている一方、依然として勢力が残存している可能性も指摘されている。
また、野戦司令官であったジュマ・ナマンガニ(Juma Namangani)は、2001年11月のアフガニスタン空爆により死亡したとされているが、指導者タヒール・ユルダシェフは逃走中である。
(4)アブ・サヤフ・グループ( (4)アブ・サヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group:ASG Abu Sayyaf Group:ASG)
フィリピンからの分離独立を標榜するイスラムテロ組織であり、フィリピン南部で活動するテログループの中で最も暴力的である。
幹部やメンバーの中には、アフガニスタン戦争から帰還した旧義勇兵やアフガニスタンの訓練キャンプでの訓練経験者がおり、過激なイスラムの教えを受け、それを擁護している。
同組織は、1991年にイスラム原理主義を伝導するための運動組織「タブリーグ(伝導の
意)」の若者達を中心に、アブバカール・ジャンジャラニが創設したが、その創設段階からUBLが関わっていたとされる。
アブバカール・ジャンジャラニは、1998年12月にフィリピン警察との銃撃戦により死亡した。同組織をその後弟のカダフィ・ジャンジャラニが後継して以降は、身代金目的の誘拐を繰り返しており、政治性が薄れ、盗賊化しているとの指摘もある。
主としてバシラン州及び隣接するスールー諸島のスールー州、タウィタウィ州、サンボアンガ半島等で活動しており、身代金目的誘拐、爆弾テロ、暗殺、恐喝などを行っている。
2000年4月には、マレーシアのリゾート地で外国人観光客10人を含む21人を誘拐、さらに同年外国人ジャーナリスト数人、マレーシア人3人、米国人1人を誘拐した。また2001年5月27日には、フィリピンのパラワン諸島にあるリゾート観光地から米国人3人、フィリピン人17人を誘拐し、米国人1人を含む人質数人が殺害されている。
身代金及び恐喝により資金の大部分を自ら調達しており、また中東及び南アジアのイスラム過激派から支援を受けている可能性もある。
(5)モロ・イスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front:MILF)
ミンダナオ島を中心にモロ族共和国建設を目指し、フィリピンからの分離独立を標榜するテロ組織で、1978年に「モロ民族解放戦線(MNLF)(同組織は1996年9月に政府との和平が成立)」から分派して設立された。同組織もフィリピン政府と和平交渉を断続的に行っているものの、未だ合意には至っていない。
公共機関に対する爆弾テロ、政府・軍・警察施設等への襲撃などのテロ活動を行っている。また、アルカーイダやジェマ・イスラミア(JI.下記参照)との関係が強いとされ、メンバーにはアフガニスタンのテロリスト訓練キャンプで訓練を受けたものがいる。また最近では、同組織とJIの協力・連携が強化されており、ミンダナオ島にJI訓練基地が設けられているとの指摘もある。
(6)ジェマ・イスラミア(Jemaah Islamiya:JI)
1990年代初頭に、アブドゥラ・スンカルがアフガニスタンでUBLと会談した後に設立したとされ、「アルカーイダ」との結びつきを持ち、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン南部及びタイ南部からなる理想的なイスラム国家の樹立を目的とした、南東アジア一帯で活動するテロリスト・ネットワークである。同組織も、アルカーイダと同様に、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン及びタイ南部にまたがってセル(細胞組織)を有し、国境を超えて活動するネットワーク型の組織である。
正確な数は現在不明であるが、シンガポール当局者はJIメンバーの総数を5,000人と推計している。
少なくとも100人のメンバーがアフガニスタンのアルカーイダ訓練基地で訓練を受けたと
されており、実際にテロ作戦を志向するメンバーは数百人いると言われている。
2002年10月12日のバリ島爆弾テロ事件、2003年8月5日のジャカルタ・マリオットホテル爆破事件は、同組織による犯行とされる。
(7)その他
上記のテロ組織以外にも、エジプトのジハード(Al-Jihard)、パキスタンを本拠とするハラカト・ウル・ムジャヒディン(Harakat ul-Mujahidin:HUM)、イラク北部で活動するアンサル・アル・イスラム(Ansar-al-Islam:AI)等、アルカーイダと関連する多数のテロ組織が世界各地で活動を行っている。
4.フセイン体制崩壊による国際テロ情勢の潮流の変化
(1)イスラム社会に無力感と閉塞感の普遍
イラク戦争における米・英連合軍の圧倒的な軍事的勝利及びその後のフセイン元大統領の無様な拘束シーンは、アラブ・イスラム世界に対し、最早正規軍による戦闘では米英軍に勝利することはできないという現実を思い知らせる結果となった。
一方で勝ち馬に乗るか若しくは静観せざるを得ないイスラム諸国の為政者側の現実と市民感覚の間に乖離現象が生じ、イスラム社会に無力感と閉塞感が広がる結果となった。
これらのフラストレーションは、嫌米感情の高まりとなって現れ、反米テロを助長する土壌として影響を与えているものと見られる。
(2)イスラム諸国における原理主義・過激派勢力の台頭化
世界的な経済格差による貧富の差の拡大とともに、世界的な貧困層の増大が深刻な社会問
題となっているが、これら貧困層の拡大は、イスラム圏内においてイスラム原理主義勢力拡大の一つの土壌となっている。
加えて今回のイラク戦争の結末は、イスラム社会に大きな衝撃を与えるとともに、米国の一国支配への強い警戒感を引き出す結果となった。
イラク情勢は、イスラム原理主義及び過激派勢力を強く刺激し、反米・イスラエル行動を過激化させるとともに、米・イスラエルのみならず両国に協力的である国家・体制・勢力に対してもテロの矛先が拡大する結果となっている。
トルコやパキスタンを始めとしたイスラム世俗主義国家はもとより、サウジ、イラン等
の原理主義国家にあっても、イスラム過激派によるテロが頻発するなど、体制側はこのような動向が、各国の内政上の混乱を招くおそれがあるとして強い警戒感を有している。
(3)ジハード「聖戦」・自爆テロを助長する勢力の拡大
今回の米国等によるイラク攻撃を、イスラム世界への侵略と捉えるイスラム勢力にあっては、従来型の正規軍の戦いでは最早勝利し得ないとの覚知から、テロ行為をジハード「聖戦」という大義名分の下に位置付けて、直接行動に走る若者等の増加傾向が見られる。特に最近のテロ情勢の特徴として、自爆テロの増加が挙げられるが、イラク国内だけでも昨年5月以降1月末現在までに、22件発生している。その殆どが自動車爆弾を使用したアルカーイダ型の自爆テロである。
しかし、犯行形態がアルカーイダの手口に似ているからといって、直ちにアルカーイダ
が関与していると決め付けるのは早計であろう。自爆攻撃は、アラビア語では、通常「殉教作戦」と呼ばれている。
このほか、今回のイラク戦争で1万人を越えると言われるイラク人死亡者の遺族は、米・英両国に対し強い怨恨を有しており、憎悪と絶望の膨張が、イスラム過激派の信仰とイスラムの地への侵略に対する「聖戦」というレトリックと相乗し、自爆テロを助長する土壌が形成されている。
テロ対策側にとっては、最も対処が困難なテロ形態となっており、自爆テロを防ぐためには粘り
強い情報活動を積み重ねない限り困難との見方が大方の見解である。
(4)UBL等アルカーイダ幹部によるテロの慫慂
イラク戦の経緯は、UBLの従来からの主張を一面で裏付ける結果となり、反米感情の高まりと相乗してアルカーイダ・ネットワークのみならず世界のイスラム過激派、殊に不公平や抑圧と闘うには暴力しかないと感じる若者層にシンパシーを与え、対米テロにインセンティブを与えているものと見られる。
昨年のリヤド事件では、15人の犯人が自爆したが、その中の1人は19歳であっ
た。
イラク戦争から米国に対抗するには、テロしかないという考え方がアラブ社会の中で広がっており、実行できるのはUBLとその仲間だけであるとの求心力が働いているように見受けられる。
(5)テロの無差別化
アルカーイダ中枢の弱体化は、9.11テロ事件のような高度な組織的テロの敢行を難しくしているものと思われ、その攻撃態様がリヤド事件やカサブランカ事件に見られるように、攻撃が容易で且つ政治的インパクトの強いソフト・ターゲットに対する無差別テロを敢行する傾向が見られる。
5.今後のテロ情勢を左右する要因
(1)国家支援テロに対する歯止め効果~シリア・イラン・北朝鮮に対する牽制
今回の米国主導の同盟国軍が、圧倒的な軍事力によりイラクに屈辱的な敗北を与えたことは、イラクと同様にテロ支援国家として指定されているシリア、イラン、北朝鮮、リビア等に対し、強烈なシグナルを送りつけたことになり、これらの国の支援を背景とした国家支援テロ(スポンサーテロ)が、敢行しにくい状況が醸成された牽制効果は大きかったと見られ、リビアの豹変振りはまさにその典型と言えるものである。
(2)テロ対策に関する国際協力
アルカーイダ・ネットワークに対する国際的な包囲網形成及び検挙攻勢による幹部の拘束などにより、アルカーイダの主体的テロ攻撃敢行能力は低下したと見られる。また、アルカーイダ・ネットワークを始めとしたテロ組織に対する資金源凍結対策も進められており、2003年の米国務省の年次報告によれば、2002年のテロ発生件数は、199件と2001年の355件から大幅に減少した。
しかし、民間の統計資料によれば大規模テロ(死者10人以上)は、2002年に21件であったのが、2003年には59件と2倍以上に増加し、特にイラクにおける大規模戦闘終了後の5月以降、2003年末までに47件が発生するなど、イラク戦争を契機に大規模テロが急増し、テロの脅威が世界に拡散するといった皮肉な結果となっている。
(3)テロ組織の聖域の減少と拡散 (3)テロ組織の聖域の減少と拡散
アフガン地域でのアルカーイダ・タリバン勢力に対する集中的掃討作戦により、これら勢力が自由に行動できる聖域が大幅に減少している。
従来、テロ組織にトレーニングキャンプ等を提供してきたとされてきたイエメンやスーダン、リビア等も米国の圧力により、テロ対策に協力を示して
おり、テロ組織にとっての聖域が減少する結果となっている。
一方、米国のアフガニスタン作戦でアルカーイダの本拠地を壊滅させることはできたが、その結果、新たな危険が世界各地に拡散した側面も見られる。