高血圧の原因

2024年10月14日 23時22分33秒 | 医科・歯科・介護

高血圧の原因は、遺伝的要因や生活習慣など、さまざまな要因が複雑に絡み合って発症するといわれています。

高血圧の主な原因としては、次のようなものがあります。
塩分の摂りすぎ
肥満
喫煙
運動不足
過度のアルコール摂取
ストレス
加齢による血管の老化
高血圧症そのものが遺伝するわけではありませんが、高血圧になりやすい体質が遺伝することは確かです。また、高血圧を持つ家族がいる場合はリスクが高まる傾向にあります。高血圧は自覚症状がないまま動脈硬化を進行させ、脳血管疾患や心疾患などの疾患に罹患するリスクが高くなります。食生活や運動、飲酒・喫煙などを見直し、高血圧を予防しましょう。

高血圧 | e-ヘルスネット(厚生労働省)
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特定健診・特定保健指導に関する研修情報データベース

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吉祥寺みどり内科消化器クリニック武蔵野院

これは情報提供のみを目的としています。医学的なアドバイスや診断については、専門家にご相談ください。生成 AI は試験運用中です。

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高血圧|病気について|循環器病について知る|患者の皆様へ
国立循環器病研究センター
https://www.ncvc.go.jp › ... › 病気について

2023/08/04 — 過剰な塩分摂取 · 肥満 · 過剰飲酒 · 精神的ストレス · 自律神経の調節異常 · 運動不足 · 野菜や果物(カリウムなどのミネラル)不足 · 喫煙.


高血圧 | e-ヘルスネット(厚生労働省)
国立保健医療科学院


2023/03/09 — 日本人の高血圧の最大の原因は、食塩のとりすぎです。若年・中年の男性では、肥満が原因の高血圧も増えています。飲酒、運動不足も高血圧の原因です。


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2.運動不足. 有酸素運動をすると血管が拡張してしなやかになり、血のめぐりが良くなり血圧が下がります。しかし日頃から運動不足の人は血行不良を起こしやすいだけでなく、 ...

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全国健康保険協会

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前へ向かって生きるのである

2024年10月14日 20時55分44秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼「正義」が必ずしも勝つとは限らない。

だが、正義は死んではならないのだ。

それゆえに「正義」は、どこまでも正義であり続けることだ。

▼本当に大事なのは、財産でも、社会的な地位でもない。

そして、名声でもない。

人格である。人間性である。

▼悲観や感傷に流されてはならない。

前へ向かって生きるのである。

▼さあ、出発しよう!悪戦苦闘を突き抜けて!

決められた決勝点は取り消すことは出来ないのだ―詩人・ホイットマン

▼行き詰まりと悪戦苦闘が青春であり、人生である。

だからこそ、「これだけは、絶対に譲れない!」「これだけは、断じて負けられない!」

「こだけは、一歩の退かない」という、という青春の生き方が問われるのである。

 

 


着床前診断とは

2024年10月14日 19時37分44秒 | 医科・歯科・介護

着床前診断のれきし

着床前診断による世界で最初の妊娠は、1990年に報告されました。1998年に日本産婦人科学会から見解が示され、PGT-M(単一遺伝子疾患を対象)が臨床研究として開始されました。日本では、2004年に初めて重篤な遺伝性疾患の1つであるデュシェンヌ型筋ジストロフィーにおいて着床前診断の実施が承認されました。

2006年にはPGT-SR(均衡型染色体構造異常保因者の習慣流産を対象)が見解に追加されました。2018年には臨床研究が終了し、医療行為と位置付けられました。また、2015年からPGT-A(着床前胚染色体異数体検査)が特別臨床研究として開始され、2019年からは実施施設が拡大されて進行中です。

着床前診断と出生前診断の違い

着床前診断

体外で受精させた胚の染色体や遺伝子の検査を行い、病気を持たない可能性の高い胚だけを選択し、子宮に移植して育てることです。着床前診断は出生前診断とは違い妊娠前に行います。しかし、誰でも受けられるわけではありません。

出生前診断

妊娠10週前後の胎盤の一部の絨毛細胞をとって検査する絨毛検査と、妊娠16週前後に羊水をとって検査する羊水検査があります。しかし破水や流産などの合併症を起こすことがあります。一方で、非確定的な検査ですが、採血でできる母体血胎児染色体検査(NIPT)も選択できます。出生前診断は、十分な遺伝カウンセリングを受けた上で、夫婦で検査をするかどうかを十分に話し合い自己決定することになります。出生前診断を受けることを医療者から強要することはありません。また妊娠中は定期的に超音波検査で胎児の様子を調べるため、広い意味で出生前診断に分類されます。

 

着床前診断のイメージ

 

染色体とは

※基本的に大きい順に番号がついています

染色体を顕微鏡で見ると左のように見えます。多くの方が、2対22組+性別を決めるXとYの染色体があります。合計46本の染色体は、それぞれお母さんとお父さんから1本ずつもらっています。染色体は、私たちの体を作る設計図なので、本数が多かったり少なかったり(数の変化)、形が変化する(構造の変化)と病気の原因になったり、リプロダクション(お子様をもうけること)に影響が出たりすることがあります。

胎児の染色体の変化

染色体の変化には「数」の変化と「構造」の変化の2種類があります。
ひとつには偶然におこる胎児染色体の数の変化があります。これは高年妊娠によって頻度が増えます。また、体質として胎児染色体に数の変化をおこす頻度の高いご夫婦もおられます。もう一つが、ご夫婦のいずれかに染色体の構造の変化がある場合であり、均衡型の構造変化を持つご夫婦は健康ですが、不均衡型の胎児の妊娠が生じます。いずれも胚発育不全による不妊および流産、染色体疾患の児の出生の原因となります。
現在、日本産科婦人科学会の特別臨床研究として、これらのご夫婦はいずれも着床前診断(着床前胚染色体異数性検査:PGT-A)の対象となります。

染色体の構造の変化

 

染色体の数の変化

※PGT-Aはこれを検出するための検査です。

 

着床前診断の対象となる方

 
a  PGT-A (preimplantation genetic testing for aneuploidy)
不妊カップルの体外受精・胚移植を行う際に、移植胚の全染色体を検査し、数の変化のない胚を移植し、流産率の低下と妊娠継続率の向上を目的とする。現在の特別臨床研究では、直近の2回の胚移植が妊娠しなかった場合や、過去2回以上の流産歴が対象となる。

b   PGT-M(preimplantation genetic testing for monogenic / single gene defects)
重篤な遺伝性疾患に罹患した児の出生リスクの高いカップルが対象となる。日本産科婦人科学会により事例ごとに個別審査が行われる。「成人に達する以前に日常生活を著しく損なう状態が出現したり、生存が危ぶまれる状況になる疾患」を重篤性の基準としている。

c PGT-SR(preimplantation genetic testing for structural rearrangement)
染色体転座や逆位などの構造の変化を有するカップルが流産を繰り返す場合に、移植胚の染色体を検査し、部分的な数の変化(不均衡型)のない胚を移植し、流産率の低下と妊娠継続率の向上を目的とする。

*これでわかる 網羅的手技による着床前診断のすべて 編集 倉橋浩樹 診断と治療社 より引用

着床前診断に関する日本産婦人科学会の報告

(日産婦誌69巻9号参照)
対象:1995年5月~2015年3月
1.遺伝性疾患の認可
1)神経筋疾患
・筋強直性ジストロフィー ・副腎白質ジストロフィー ・Leigh脳症 ・福山型筋ジストロフィー 
・脊髄性筋萎縮症 ・Pelizeus-Merzbacher ・先天性ミオパチー
2)骨結合織皮膚疾患
・骨形成不全症Ⅱ型 ・成熟型遅延骨異形成症 ・拘束性皮膚障害 
3)代謝性疾患
・オルニチントランスカルバミラーゼ欠損症   ・PDHC欠損症(高乳酸高ビリルビン酸血症)
・5,10-Methylenetetrahydrofolate reductase欠損症
・Lesch-Nyhan症候群 ・ムコ多糖症1 1 Hunter ・グルタル酸尿症Ⅱ型
4)血液免疫
5)奇形症候群
6)染色体異常 重篤な遺伝性疾患児を出産する可能性のある染色体構造異常
7)その他 X連鎖性遺伝性水頭症

着床前診断のメリット・デメリット

メリット

  • 遺伝性疾患が遺伝する可能性のあるご夫婦が子供を持つことを諦めなくて良い。
  • 出生前診断と比べて検査そのものの胎児や母体に対する侵襲度が低い。
  • 妊娠前に行うため中絶による精神的・身体的負担が軽減される。

デメリット

  • 病気の原因の有無がわかっても、疾患によっては個々の症状の有無や程度についてはわからないことが多い。
  • 着床前診断の歴史が浅いため、胚盤胞を操作したことによる出生後の長期的なリスクが不明である。
  • 日本産婦人科学会でご夫婦ごとに審査されるため対象が限られる。
  • 費用が高額になる。

着床前診断の流れ

 

遺伝カウンセリングとは

    • 遺伝に関わる悩みや不安、疑問などを持たれている方々に、まず科学的根拠に基づく正確な医学的情報を分かりやすくお伝えし、理解していただけるようにお手伝いいたします。その上で、十分にお話をうかがいながら、自らの力で医療技術や医学情報を利用して問題を解決して行けるよう、心理面や社会面も含めた支援を行います。

  • 原則として自費診療になっており、施設ごとに価格が設定されています。一般的には5千円~1万円程度の施設が多いようです。施設によって料金設定が異なるので、遺伝カウンセリングを受けようとお考えの施設にお問い合わせください。 >また、特定の遺伝性疾患に対しては遺伝学的検査に保険が適応されています(平成30年度改定)。

「着床前診断(PGD)」とは、顕微授精(ICSI)を行った受精卵の染色体や遺伝子を検査し、異常がないかどうかを調べる技術です。

出生前診断は、羊水検査や超音波検査などによって、生まれる前に赤ちゃんの異常の有無を診断することを言います。
検査が行われるのが妊娠後のため、異常が見つかった場合、産むか、産まないかのつらい選択を迫られることになります。
着床前診断では、受精卵に染色体異常があるかどうかがわかるので、受精卵を子宮に戻す(胚移植)ときに、流産・死産になる可能性の低い受精卵を選ぶことができます。
現在、日本では日本産科婦人科学会の指針のもと、重い遺伝性疾患をもつ方の着床前診断が認められ行われています。

着床前診断対象と遺伝子型

  • デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD):X連鎖性―欠失型・微小変異型
  • 筋強直性ジストロフィー:常染色体優性―反復配列の異常伸長
  • Leigh脳症:ミトコンドリア病―ミトコンドリアDNAの点変異型
  • 副腎白質ジストロフィー:X連鎖性―点変異型
  • オルニチントランスカルバミラーゼ欠損症:X連鎖性―点変異型
  • 均衡型転座保因者の習慣流産

着床前診断(PGD)と同じ技術を用いる「着床前スクリーニング(PGS)」と呼ばれるスクリーニング検査があります。
着床前診断(PGD)は、どちらかが重い遺伝性疾患を持つ夫婦を対象に、受精卵の特定の染色体や遺伝子の異常を調べることが目的で、着床前スクリーニング(PGS)は、それ以外の染色体や遺伝子の異常が原因で起こる流産を減らすことなどが目的です。
着床前診断を受けることで、流産率が減少することが証明されています。
着床前診断は、妊娠が成立する前に受精卵に異常があるかどうかを検査することで、女性の肉体的、精神的負担を減らそうと開発された技術です。

海外では、アメリカ、イギリス、フランス、北欧、ロシア、トルコ、アルゼンチン、中国、韓国、インド、タイなど、多くの国で着床前スクリーニングが実施されています。
日本では日本産科婦人科学会の指針により、着床前スクリーニングは行うことが認められていません。
しかし、2015年2月に日本産科婦人科学会が3年間の臨床研究計画を承認し、今後着床前スクリーニングが不妊治療の現場でも行われる可能性がでてきました。

受精卵が染色体異常を持つ場合、着床ができない、または、着床しても流産、死産することが知られています。
染色体異常のなかでも、流産検体の核型分析からトリソミーが多いことがわかっています。
また、習慣流産の原因の一つである相互転座という染色体異常では、胎児が出産できる可能性のある受精卵は約17%しかありません。
一般的に習慣流産の方の流産率は80~90%と言われていますが、着床前スクリーニングを受けると、着床率が向上するという報告をアメリカの研究所が行っています。

流産は繰り返すと、子宮が傷つき子宮癒着を起こす可能性が大きくなります。
子宮癒着を起こすと、着床が妨げられて不妊症になる、流産の可能性が高くなる、分娩時に癒着胎盤による大出血の原因になるなど、妊娠や出産時に問題が起きやすくなります。
着床前診断、着床前スクリーニングは、流産を防ぐことにより子宮癒着を予防し、妊娠や出産時のトラブルを少なくすることができる技術でもあります。

流産で見られる染色体異常

流産で見られる染色体異常

Maribel Grande : Human Reproduction Vol.0 no.0 pp.1-9,2012を元にオーク会にて作成


「日本大好きロシア人」のスターシャ

2024年10月14日 12時53分18秒 | 日記・断片
「日本大好きロシア人」のスターシャが今回は「百万本のバラ」を歌ってみました Russian STasha sings "Hyakumanbon no bara" (Million roses) STasha loves Japan very much 
 
午後3時からの会合。
午前中、外出する予定であったが、ユーチューブを観て過ごした。
 
事実に基づいて構成された「愛の賛歌」の映像です。エディット・ピアフとブレンダ・リーの歌声をお楽しみください。
 
学校では教えない終戦から昭和戦後の日本史 戦後日本がアジア諸国の中で驚異的な復興を遂げた7つの理由。1964年10月10日、東京オリンピックの開会式で、世界は日本の奇跡を目撃しました。東京大空襲で10万人が亡くなり、首都が廃墟になった後、わずか19年で、アジア初のオリンピック開催都市として東京は復興。首都高速道路、モノレール、新幹線、国立代々木競技場など 
 

創作欄 美登利の青春 5

2024年10月14日 03時35分13秒 | 創作欄

拘置所の面会室は、3人も入れば一杯といった感じであった。
美登利が席に着いたと同時に、扉が開いて女性の係官に先導されて、峰子が姿を現わした。
ガラスの窓越しに見た峰子は、一瞬、笑顔を見せたが、直ぐに涙を浮かべた。
化粧をしていない峰子の頬は青白く、目の周囲は赤く泣き腫らしたままであった。
小さな丸い穴があいたプラスチック製の窓越しに二人は相対した。
「来てくれて、ありがとう」
美登利は黙ってうなずいた。
「来週の火曜日に、初公判があるの。来られたら来てね」
「火曜日なのね?」
「午前中なの」
面会時間は約20分。
峰子の背後に座る係官が二人の会話をメモしていた。
「私のこと、驚いたでしょ」
「驚いたわ。私、新聞読んでいないの。それにテレビもあまり見ていないし、峰子のことは手紙をもらって初めて知ったの」
「そうなの。何も私のこと知らなかったの? 誰かに聞かなかったの?」
峰子は思い出したのだろう、肩を震わせて泣いた。
頭を深く垂れたので長い髪が顔を覆った。
抑えた嗚咽がいかにも悲しい。
美登利は峰子が哀れれに思われ、咽び泣いた。
そのまま、暫く時間が経過した。
あれを言おう、これを言おうと電車の中で思っていたが、美登利の頭は真っ白になった。
特に美登利は、自分が信奉している宗教の教えを峰子に伝えようとした。
係官はペンを止めて二人の姿を冷やかに見ていた。
やがて面会終了の時間が告げられた。
「頑張ってね」
扉の向こうに峰子が姿を消す瞬間、美登利は声をかけた。
峰子はラフな水色のジャージ姿であった。
美登利が3番の面会室の外へ出るとほとんど同時に、和服姿の女性たちも5番の面会室を出てきた。
「あんた、松戸駅まで行くんだろう?」と背後から声をかけられた。
「はい、そうです」
美登利は振り向いて和服姿の女性を見つめた。
「駅まで車で送って行っておげる。遠慮はいらないよ」
強引な言い方であった。
美登利はうなずく他なかった。
「三郎、車を玄関によこしな」
「ハイ、ねいさん。直ぐに車とってきます」
三郎と呼ばれた男が駐車場へ走り出していく。
もう1人の男は、紙袋を抱え和服姿の女性の背後に立っていた。

この男も角刈り頭で三郎ほど背丈はないが、がっしりとした体形である。
「孝治 今度の公判は何時と言っていた?」
「親分の公判は、来週の火曜日、午後1時です」
「そうだったね」
和服姿の女性が玄関の外でタバコをくわえると、男が素早く脇からライタを取り出した。
間もなく、拘置所の玄関の外に黒塗りのベンツが横付けされた。
男二人が前の席に乗り、美登利は和服姿の女性の隣に座った。
「面会の相手は、誰なの?」
和服姿の女性は横目に美登利を見た。
「友だちです」
「男だね?」
「女性です」
「女? 罪は?」
前の席の男二人が背後に目を転じた。
「親子心中です。子どは亡くなり、友だちは死ねなかったのです」
「そうかい。じゃあ、殺人罪だね」
和服姿の女性は眉をひそめた。

 


 
創作欄 美登利の青春 6

「私の名前は、米谷明美。あんたと拘置所で会うなんてね」
和服姿の女性は名乗ると頬だけで笑った。
大きな瞳は人を射るようであった。
厚化粧で隠されていたが、左頬にナイフであろうか切り傷があった。
「お茶、ご馳走するから、私の店へ寄っていって」
松戸駅が近くなった時、米谷明美が美登利を誘った。
深く関わりたくない人たちであるから、美登利は断ろうとしたが、言い出せなかった。
松戸駅の傍のデパートの裏側の道路に面したビルの1階にその店はあった。
男二人は店の前で米谷明美たちを降ろすと車で走り去って行った。
後で知ったのであるが、広域暴力団S連合箱田組の男たちであり、組事務所は新松戸駅から歩いて10分ほどの商店街沿にあった。
明美の店の名前は、「パブ新宿」。
夜の営業時間は午後7時から午前2時までであった。
午前11時から午後5時まで軽食喫茶店として営業されており、女子高校生たちの溜り場となっていた。
「私ね。高校生の頃は、東京の新宿歌舞伎町で遊んでいてね。今は流れ流れて松戸。この店ご覧のとおり、女子高生が多いでしょう。私と波長は合うのね。彼女たち私に色々相談ごとするの」
女子高校生たちを見つめる明美の瞳が優しくなった。
「窓際に居るあの声が大きい子、スケ番なの。昔の私のよう」
美登利はその女子高校生を見た。
よく動く大きな目が特長で、明美のように人を射るような輝きをしていた。
20
歳で子ども産んだ明美には19歳の息子がいた。
フェザー級のプロボクサーであった。
「今度の土曜日、午後7時に後楽園ホールで試合があるの。来てね」
明美はチケットをカウンターのテーブルに置いた。
美登利はコーヒーカップを置き、そのチケットを手にした。
ボクシングの試合を見たことがなかった。
「ボクシングですか? 試合見るの、怖くありませんか?」
美登利は病院の医療事務職であるが、血を見るのは苦手である。
明美は肉弾がぶつかり、激しく打ち合う迫力に血がたぎる思いがして、試合にはいつも興奮した。
美登利は断りきれず、後楽園ホール行く約束をして明美の店を出た。

 


創作 美登里の青春 4

2024年10月14日 03時04分10秒 | その気になる言葉

「頑張れ」
励ましは、確かに重荷になる場合もあるだろう。
だが、真意が伝わるのなら、その励ましは背中を押す力になるはず。
真意が伝わりにくい世の中げもある。
善意が、悪意に捉えられることもあるだろう。
人間関係の微妙さである。
美登里は、病院の勤務を休んで峰子の面会へ千葉県の松戸市内にある拘置所へ向かった。
そこは、まったく無縁な場所であり、1人で行くことに不安も覚えた。
3冊とチョコレートを差し入れるため、前日それを買い求めた。
駅前の交番で拘置への道順を聞いた。
中年の警官が親切に教えてくれた。
椅子に座る若い警官はしげしげと美登里に視線を注いでいた。
教えられた女学校が右手に見えた。
それから公園を抜けた時、母子の姿を見た。
母親はどこか峰子に似ていた。
そして、3歳くらいの女の子を見て、峰子がどのような形で我が子を殺したのかを想ってみた。
拘置所の手前に小学校があったことは、意外だった。
受付で吉田峰子に面会に来たことを告げた。
用紙に面会する峰子の名前を書き、友人 佐々木美登里と記入、住所欄も書いた。
差し入れの包を出したら、「本は差し入れられますが、食べ物はだめです」と係りの人が言う。
「これはチョコレートなのですが、だめですか?」美登里は心外に思った。
「規則です。食べ物を差し入れたければ、所定の店で購入してください。外へ出て50メートルくらい先の右側に店はあります」と言われた。
待合室には和服を着た女性と目つき鋭い男が2人居た。
「あんた、初めて面会に来たんだね」
和服姿の女性が声をかけた。
「そうです」
美登里は改めて女性の顔を見た。
厚化粧であり、普通の女性には見えない。
髪をアップにして粋な感じがした。

30代後半の年ごろであり、顔は綺麗な感じがしたが、どこか異質である。

大きな瞳は人を圧倒するようで、押し出しの強さが漂っていた。

「三郎、案内してやりな」と女性は顎で若い男を促した。
椅子から立ち上がった男は、180cm以上背丈があった。
角刈りで高校生のようにも見えたが、目つきが鋭い。
「おねいさん、何処から来たの」
突き刺すような目とは裏腹に、声は意外に優しかった。
「川崎市の登戸からです」
「登戸? どの辺?」
美登里は男の大きなスニーカーに目を落としていた。
自分の靴の倍くらい大きい。
「小田急線の登戸駅から来ました」
「そうなんだ。遠くからきたんだな」
若者が笑うと白い歯が見えた。
歯並びがいいなとそれを見た。
店のガラス扉を男が開けてくれた。
店は2坪くらいで狭く、果物、菓子、下着を含めて日常雑貨製品が棚に収まっていた。
60
代と思われる男性が店番をしていた。
チョコレートとバナナを買った。
それを店の人がケースに収めた。
ケースごと峰子宛に店から届けられる仕組みだった。
面会室は5つあった。
美登里は3番の札を渡された。
着物姿の女性と男性2人は5番。
1
番、2番は面接中。
男はたちは、ほとんど無言であった。
どのような人たちなのだろう?
美登里は気にした。
そして、峰子と面会したら、どのような言葉をかけようかと考えた。
「頑張って」と言うべきか?
峰子は泣くだろう、自分も泣くに違いない。
美登里はバックからハンカチを取り出した。

 

 


また明日

2024年10月14日 02時03分03秒 | その気になる言葉

散歩仲間の鈴木さんは、午前5時前にはヤオコーに来ていた。

隣設する店の前の窓際で体操をしていた。

過去に兄と共に会計ソフト「ミロク」を開発した経営者であった。

不運で後年は、豪邸を売って、井野団地に住む身となっていた。

彼からは、自転車やブーツ、衣類4着を譲られたのだ。

その彼が今年3月7日、大動脈解離で亡くなる。

「元気?」彼の何時もの挨拶であった。

「また明日」別れ際の言葉も何時も同じであった。

そして、今は散歩仲間の西田さんが「また明日」と別れ道で言うのだ。

最近は、テレビを観ていて午前5時過ぎの散歩に行けないこともある。

散歩仲間の宮ちゃんは、散歩時間を7時に変更した。

午前5時は暗いので、明るくなる時間帯に変更したのだ。

暗いので、散歩で出会う人も、散歩の時間を変更している。

「変わる人」「変わらぬ人」人生はいろいろ。

自分は「変わらぬ人」の中にいる。

「人のため」に変わらぬこともあるのだ。

それが、付き合いなのだ。

大動脈解離とは、大動脈の血管壁が裂け、血液の通り道が、本来のものとは別にもうひとつできた状態です。

その結果、胸や背中に激痛が走り、大動脈が破裂したり、多くの臓器に障害をもたらしたりする重大な合併症を引き起こします。放置すると命にかかわります。

 


創作 鼻息だけは強かった専門紙の同僚の真田

2024年10月13日 13時25分59秒 | 創作欄

「心の中に何か抑圧があるのでしょ。でもそれが、どんな形で作品に表われるのか自分ではわからない」
田中慎弥さんが読売新聞の「顔」の取材で述べていた。
芥川賞受賞作が20万部に達し反響を呼んでいる。
徹は記事を読んで、昔の専門紙時代の同僚の真田次郎を思い出した。
真田は小説を書いていた。
だが、作品をどこにも発表していないと思われた。

「この程度の作品で芥川賞なんか、来年はわしが賞を取ったる」
真田は鼻息だけは強い。
「谷崎の文体、三島の文体、志賀の文体、川端の文体どれでも書ける。今週の病院長インタビューは、三島の文体でいくか」
文学好きの事務の渋谷峰子はペンを止めて、真田に微笑みながら視線を送った。
徹は峰子が真田に恋心を抱いていることを感じた。
現代流に言うと真田はイケメンで、知的な風貌をしていた。
そして、声は良く響くバスバリトンで、声優にもなれるだろうと思われた。
特に電話の声には圧倒された。
徹は学生時代を含め、真田のような美声に出会ったことがない。
声優の若山弦蔵の声にそっくりなのだ。
真田は憎らしいほど女性にもてる男で、夕方になると女性から会社に電話がかかってきた。
「真田、たくさんの女と付き合って、名前を間違えることないいんか?」と編集長の大木信二がやっかみ半分「で言う。
「ありませんね」真田は白い歯を見せながら、朗らかに笑った。
「お前さんは、その笑顔で女をたらしておるんだな。俺に1人女を回さんか」
冗談ではなく、大木の本気の気持ちである。
真田は大木を侮蔑していた。
「大木さんは新宿2丁目あたりで、夜の女を相手に性の処理をしておる。不潔なやっちゃ。金で女を買う奴はゲスやな。徹は性はどうしておるんや」
露骨に聞いてきた。
真田はそれから3年間、どこの文学賞も取らなかった。
そして、反動のように女性関係をますます広げていった。

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<参考>

若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932927- )は、日本の男性声優、俳優、 ナレーター、ディスクジョッキー。

フリー。 ... 1973年より1995年までTBSラジオ『若山弦 蔵の東京ダイヤル954』(当初は『おつかれさま5時です』)のパーソナリティーを務めた。

20122 14(火曜日)

創作欄 美登里の青春 続編

人には、色々な出会いがあるものだ。
美登里は、徹と別れた後、思わぬところで男と出会った。
小田急線の下北沢駅のベンチに座っていると、新聞を読みながら男が脇に座った。
横顔を見て、「ハンサムだ」と思った。
ジャニーズ系の顔だ。
男は視線を感じて、美登里に目を転じた。
「こんにちわ」と男が挨拶をして、ニッコリと微笑んだ。
女の心をクスグルような爽やかな笑顔である。
「女の子にもてるんだろうな」と想いながら、美登里も挨拶をした。
「君は、競馬をやるの?」
男は新聞を裏返しながら言う。
甘い感じがする声のトーンであった。
「競馬ですか? やりません」美登里は顔を振った。
「明日はダービーがあるんだ。一緒に府中競馬場へ行かない?」
赤の他人からいきなり意外な誘いを受けた。
21
歳の美登里は、妻子の居た37歳の徹が初めての男であった。
目の前に居る人物は、徹とはまったくタイプの違う20代と思われる男だ。
「あなたと初対面だし、競馬をやらないので行けません」美登里は断った。
「そうか、残念だな。もし、来る気になったら、内馬場のレストランに居るから来てね。競馬仲間とワイワイやっているから」
美登里は愛想笑いを浮かべて、うなずいた。
男が読んでいたのは、スポーツ新聞の競馬欄だった。
急行電車が来たので、それに乗る。
男は、美登里の存在を忘れたように、新聞に埋没していく。
美登里は登戸駅で降り時に、脇に立つ男に挨拶をした。
「お会いできて、光栄です」控えめな性格の美登里自身にとって、想わぬ言葉が口から出た。
「ではね」
男は爽やかに笑った。
「また、何処かで出会うことがあるだろうか?」美登里は電車を見送った。
男は新聞に目を落としたままであった。
美登里は徹との別れを苦い思いで振りかえった。
最後は痴話喧嘩となった。
徹は美登里の気持ちを逆撫でにした。
徹は妻が妊娠していることを、無神経にも美登里に告げたのだ。
「そんなこと、どういうつもりで、私に言うの」
徹はバツが悪そうに沈黙した。
「この人は、都合が悪いと黙り込むんだ」
美登里は徹が風呂に入っている間に、怒りを込めたままホテルを出た。
渋谷のネオン街全体が、美登里には忌々しく想われた。

 

創作 美登里の青春 2

あれから3年の歳月が流れた。
それは24歳の美登里にとって、長かったようで短かったようにも思われた。
徹と別れたが、気持ちを何時までも引きづっていたことは否めなかった。
美登里の当時の職場は、徹の職場の九段下に近い神保町。

美登里の伯父が経営する美術専門の古本店であった。
現在の職場は、東京・新宿駅の南口に近い国鉄病院(現JR病院)の医療事務である。
その日、小田急線登戸駅沿いのアパートへ帰り、ポストを確認すると茶封筒があった。
裏を返すと友だちの峰子の手紙であった。
お洒落な封筒を好む峰子が、何故、茶封筒なのだろう?
美登里は部屋の灯りの下で、着替えもせず封を切った。
「ご無沙汰で、このような手紙を書くのを許して。私は今、千葉県松戸の拘置所の中にいるの。会いに来てね。その時、何か本を差し入れてね。それから大好きなチョコレートが食べたいの。それもお願い、差し入れてね。私は3歳の娘と心中したのだけれど、娘だけが死んで私は生きてしまったの。死ねばよかったのに、何という皮肉なの。待っています。必ず会いに来てね」
美登里は息を止めた状態のままその手紙を読んだ。

想像はどんどん拡がっていく。
情報が乏しい中で頭を巡らせながら、何度も立ったまま手紙を読み返した。
美登里は新聞を購読していない。
テレビもあまり見ない。
峰子のことは、当然、マスコミで報道されただろう。
美登里は段々頭が混乱してきた。
思えば徹との問題で峰子に相談したことがあった。
「焦ることが、一番、いけない。時間が解決すると言われているわね。今は美登里にとって冬なの。冬は必ず春となる。そうでしょ、自然の摂理でしょ」
あの時、峰子は言った。
そして、妻子のある徹との別れは、意外な展開でやってきた。

 

 

 


創作 全然、大丈夫な人なの

2024年10月13日 12時00分51秒 | 創作欄

人を好きになる感情は、何であるのか?
徹は、新松戸駅前の居酒屋で考えてみた。
57歳の男の朝のときめくこころが、尋常でない。
その女性は、天王台駅から乗った。
取手駅の一つ先だ。
10人の女性がいたとしたら、その人は6番目か7番目かの容姿であろうか。
徹は面食いであるが、これまで愛した女性のほんとんどがそれほど美しくはない。
面食いであるのに、女性の声に惹かれる質でもあった。
「声美人」
そのような表現を徹は、高校生の頃、詩で表現した。
アナウンサーの北玲子さんに惚れ込んいた。
ハスキーな声であるが甘い。
人の心を包み込むような響きだ。
東京上野の美術館で、マドンナの絵画を見た時、この人が声を発したら北玲子さんのような語りかけをするだろうかと想って絵の前に佇んだ。
人の出会いは不思議なもので、50代の徹が再就職した職場に、天王台駅から乗る女性が働いていた。
「どこかで、会っていますよね」
挨拶をした時、女性から問われた。
「そうです。私は取手に住んでいますから、電車内で貴方を見かけたことがあります」
「ああ、電車で見かけました。何時も大きなリックを背負っていますよね」
徹は苦笑した。
ノートパソコン、新聞、書物、ノート、カメラ、ラジオ、録音機などでリックは膨らんでいた。
徹が新しく勤めた職場は、20名余の規模であり、社長が50歳で40歳代が2人、30歳代3人、あとは20歳代の若い人たちだった。
駅から徒歩78分、徹は職場に溶け込もうと社へ向かう社員たちに声をかけた。
「どこから通っているのですか?」
「出身は何処ですか?」
ところが、ある社員には3度も聞いてしまった。
「岩手と言いましたよ!」
相手は当然、むっとして言い返した。
迂闊であり詫びたが、相手は常にイヤホーンで音楽などを聞いているので、その後は声をかけずにいた。
ところで、徹が惚れ込んだ女性は「声美人」であった。
何時か食事か、酒の席に誘いたいと思っていた。
その日、電車内で声をかけた。
その人は何時も本を読んでいるので、徹は車内では声をかけずにいたが、降りた新松戸の駅で肩を並べたので聞いた。
「正月は、何処かへ行ったのですか?」
「秋田の実家へ帰りました。大沼さんは、どうされたのですか?」
問いかけに徹は、「この声だ」と胸が高鳴った。
乗り換えた車内では取り留めのない話をした。
そして突然、思い出したので言った。
「山崎さんに3度も、出身は何処ですか?と聞いてしまったのです」
その人は声を立て笑った。
3度も? でも山崎さん、全然、大丈夫な人なの。気にすることはないですよ」
徹は、「大丈夫な人」と言う表現に何か救われた気持ちになった。
ある意味で、この人の人柄の良さを感じた。
徹は惚れ直したのだ。
だが突然、別れは訪れた。
その人が退社したのである。
ある意味で徹の心は、平静を取り戻した。
淡白な50代の心のときめきは、引き潮のようなものであった。


「文化」とは―生命を開花させるためにある

2024年10月13日 11時08分04秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

遙か紀元前の昔から数千年の伝統を有し、<舞踊の始原>と称されるインド古典舞踊。

広大なインド亜大陸の各地で育まれた流派の数は万を超えるとも。

中でも代表的な舞は四大古典舞踊として知られている。

体は小柄だが、変幻自在のパフォーマンスが場内の視線を奪い離さない。

流麗かつ複雑な表現が特徴であるインド古典舞踊は、信仰に深く根ざし、舞踊芸術として発展を遂げてきた。

インドと日本では信仰や宗教観が異なる。

神々の間で生まれた南インドを発祥とするバラタナティヤムの起源は、寺院に仕える巫女が神々に捧げた踊りにあるという。

バラタナティヤム(英:Bharatanatyam)は、インドタミル・ナードゥ州を発祥とするインド古典舞踊。インド四大古典舞踊のなかで最も古い伝統を持ち、紀元前1000年頃からヒンドゥー教寺院の儀式で行われていたデーヴァダーシー(巫女)による奉納舞踊だったバーラタ・ナーティヤムとも表記される。

 

「舞」は「平和」である。

幸福と喜びの象徴である。

その対極が「戦争」だ。

戦争は残虐・無残な地獄の姿だ。

<我々はこの世に、舞を舞うために生まれてきたのだ>

「中国に仏教が伝わった時、「天空を舞う天女」—「飛天」の逸話がある。

だが、中国では女性が躍る姿を描いていない。

儒教の影響であろうか。

それが法華経によって、踊る女性を描くことが認められるようになった。

その姿が飛天となったと思われる。

中国において仏教の思想が理解されるようになったのは、「芸術の美」を通してであった。

経典も、表現が美しくなければ、人の心を打たないだろう。

「文化」と「仏教」は表裏一体。

「仏法運動」は必ず「文化運動」となっていくものだ。

人生の本当の「幸福」とは、どこまでも自在に、自分らしく、わが生命の舞を「舞い抜いて」いくことではないだろうか。

「文化」とは―生命を開花させるためにある。

人間を最高に高めるのが文化である。

文化・教育運動で、世界を結びつけるソフト・パワーで、世界を結びつけ、各国の友好の絆を築くのである。

生命の高まりこそが自身の可能性を開き、芸術の創造の源泉になる。

人生と苦悩、信念と創造、芸術と信仰—世界にあまたある文化・芸術は、人類は不屈の精神闘争の中で育み、磨き上げてきた遺産ともいえる。

そこから、我々は何を学び取っていくべきか。

そこに文化交流の眼目の一つがある。

人間は文化を通じて真に結ばれる。


女性と子どもの人権を守るエンゼルランプ

2024年10月13日 09時18分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼「人間は忘れるから生きられる。でも、忘れてはいけないことがある」

自らの被爆体験を基にした漫画「はだしのゲン」作者の中沢啓治さんの言葉。

広島と長崎の被爆は人類史において忘れてはいけなうことだった。

日本の反核・平和運動の中心的存在である日本原水爆被害者団体協議会にノーベル平和賞が授与された。

ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチ大統領が各兵器使用の脅威をちらつかせている。

来年はビキニ環礁水爆被害から70年、広島、長崎への原爆投下から80年となる。

ノーベル平和賞は被爆の記憶を引き続ぐことを願う世界の声でもあるだろう。

▼「無声戦中日記」徳川夢声著

冒頭で自身の日記を振り返り「一般国民は実は国民の正体」批判している。

無声は大東亜戦争開戦時、国際時、国債の宣伝録音に参加するなど戦争に協力していた。

▼国連の独立調査委員会は、医療従事者や医療機関にさえ「容赦なく意図的な攻撃」を続けれるイスラエル軍は行為は、戦争犯罪と指摘した。

イスラエル軍はガザ地区の医療関係者を故意に殺害、拘束、拷問しているのである。

▼女性と子どもの人権を守るエンゼルランプ

ドメスティック・バイオレンス(DV)によって傷ついた女性や子どもに対して、安全の確保、心身の健康の回復、自立の支援等の事業を行うとともに、一般市民に対してDVの根絶に向けた啓発に関する事業を行い、もってDVを許さない社会の実現に寄与することを目的としている。

2006年、夫のDVに苦しみ離婚調停に臨女性の代理人を引き受けた上地 大三郎弁護士。

だが、子連れで身を隠し、つきまといを禁じる裁判所の保護命令も受けていだが、探偵を雇った夫に居場所を知られ、刺殺された。

事件は社会に衝撃を与えた。

上地 弁護士は「依頼人を守れず代理人失格。弁護士をやめようかと思い詰めた」

だが、この事件をきっかけにDVの被害者支援に本腰を入れるこことなったそうだ。

 


創作 鼻血が止まらず救急車で搬送された徹

2024年10月12日 23時53分46秒 | 創作欄

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」
死ぬのは「がん」に限る。
ただし、治療はせずに。
著者の中村仁二さんは医師だ。
医師が医療を否定する。
それは、どのようなことなのか?
徹は新聞広告を見て、本屋へ向かった。
1昨年のことであるが、真夏にボランティアである施設へ行き、庭の草むしりをした。
炎天下、1時間ほど雑草と格闘した。
流れる汗とともに、鼻水も垂れてきたと思って、ハンカチで鼻を拭ったら、紺色のハンカチが黒く変色した。
それは鼻水ではなく、血であった。
その日の前日も、夜中に目覚めたら枕に髪が絡み着いた感じがした。
部屋の蛍光灯をつけて確認したら、枕に血溜まりができていて髪の毛に固まった血がベッタリと付着していた。
1
週間ほど鼻血が出ていて、深酒をした日にはドクドクと鼻血は喉に流れ込む。
吐き出しても口に鼻血はたちまち溢れてきた。
「これでは出血多量で死ぬな」と徹は慌てた。
徹は妻子と離婚して5年余、一人身である。
救急車を呼ぼうかと思ったが、午前3時である。
マンションの住民たちに迷惑になると思い、我慢した。
死の恐怖を感じながら、何とか鼻血を止めようとした。
初めはティッシュペーパで対応したが、見る見る血で染まってきて、それではらちがあかない。
そこで脱脂綿を鼻奥に詰め込んだ。
しばらくして、鼻血は止まった。
徹の母親は56歳の時、早朝に鼻血が止まらなく、救急車を呼んだ。
国立相模原病院に搬送されたが、血圧が200以上あった。
徹は自分の現在の状況と重ねて、20代の頃を思い浮かべた。
結局、母親は生涯、血圧降下剤を飲み続ける。
母子は遺伝子的に同じ宿命を辿ると徹は思い込んでいた。
宿命は変えられない。
だが、意志で運命は変えられる。
徹はそのように考えた。
炎天下の草むしりのあと、昼食を食べに松戸駅前のラーメン店へ行く。
「ビールでも飲むか」とボランティア仲間の渥美さんが言う。
徹は日本酒にした。
3
本目を飲みだしたら、また、鼻血が出てきた。
口と鼻を押さえながら、慌てふためいてトイレに駆け込む。
鼻血でたちまち便器は染まっていく。
「これは、尋常ではない」と覚悟を決めた。
結局、乗りたくはない救急車を呼んでもらった。
5
分もかかわず、救急車のサイレンが聞こえてきた。
近くに病院もあり、7分くらいで病院に搬送されたが、血圧を測定したら210もあった。
救急車で血圧を測定した時は180であった。
注射をして様子をみることになる。
10
分後に血圧を測定したら、まだ、200を超えていた。
「まだ、ダメね」と看護師は首をひねる。
そこで、胸に貼り薬を試した。
「動き回らず、寝ているのよ」と看護師にたしなめられた。
徹は携帯電話を持たないので、心配しているボランティア仲間の渥美さんに待合室の公衆電話で、様子を伝えたのだ。
「あんたは、鉄の肝臓を持っている男だ。鼻血くらいでは死なないよ」とボランティア仲間の渥美さんは笑った。
徹の血圧は、胸に貼り薬のおかげで、140にまでいっきょに低下していた。
「月曜日、来て下さい。鼻の粘膜の切れやすい箇所をレーザーで焼きますから、耳鼻咽喉科へ必ず来て下さい」と看護師が言う。
徹はあれから16か月余経過したが、その病院へ2度と行っていない。
血圧降下剤も飲んでいない。
鼻の粘膜は、レーザーで焼かなくともその後、破れていない。


創作 美登里の青春

2024年10月12日 23時38分14秒 | 創作欄

「私が休みの日に、何をしているのか、あなたには分からないだろうな?」
北の丸公園の安田門への道、外堀に目を転じ美登里は呟くように言った。
怪訝な想いで徹は美登里の横顔を見詰めた。
徹を見詰め返す美登里の目に涙が浮かんでいた。
「私が何時までも、陰でいていいの?」
責めるような口調であった。
区役所の職員である36歳の徹は、妻子のいる身であった。
「別れよう。このままずるずる、とはいかない」
美登里は決意しようとしていたが、気持ちが揺らいでいた。

桜が開花する時節であったが、2人の間に重い空気が流れていた。

乳母車の母子の姿を徹は見詰めた。

母親のロングスカートを握って歩いている少年は徹の長男と同じような年ごろである。

「私は、何時までも陰でいたくないの」

徹の視線の先を辿りながら美登里は強い口調となった。

徹は無表情であった。都合が悪いことに、男は沈黙するのだ。

北の丸公園を歩きながら、美登里は昨日のことを思い浮かべていた。
九段下の喫茶店2階から、向かい側に九段会館が見えていた。
美登里は徹と初めて出会った九段会館を苦い思いで見詰めていた。
美登里は思い詰めていたので、友人の紀子に相談したら、紀子の方がより深刻な事態に陥っていた。
「私はあの人の子どもを産もうと思うの。美登里どう思う?」
美登里はまさか紀子から相談を持ち掛けれるとは思いもしなかった。

「え! 紀子、妊娠しているの?」
紀子は黙って頷きながら、コーヒーカップの中をスプーンでかきまぜる仕草をしたが、コーヒーではなく粘着性のある液体を混ぜているいうな印象であった。
「美登里には、悩みがなくて良いわね」
紀子は煙草をバックから取り出しながら、微笑んだ。
「私しより、深刻なんだ」美登里は微笑み返して、心の中で呟いた。 
結局、美登里は紀子の前で徹のことを切り出すことができなかった。

 

創作 美登里の青春 2)

「あの夏の日がなかったら・・・」
美登里はラジオから流れているその歌に涙を浮かべた。
歌を聞いて泣けたことは初めてであり、気持ちが高ぶるなかで手紙を書き始めていた。
「なぜ、あなたを愛してしまっただろう。冷静に考えてみようとしているの。あなたは遊びのつもりでも、私の愛は真剣なの。でも、陰でいることに耐えられない。18歳から21歳までの私の青春が、あなたが全てだったなんて、もうい嫌なの」
そこまで書いたら、涙で文字が滲んできた。
美登里は便せんを二つに割いた。
泣いて手紙を書いていることを、徹に覚らせたくはなかった。
美登里は日曜日、信仰している宗教の会合に出た。
そして会合が終わり、みんなが帰ったあと1人残った。
先輩の大崎静香の指導を受けるためだ。
「美登里さん、私に何か相談があるのね。元気がないわね。会合の間にあなたを見ていたの」
指導者的立場の大崎は、説法をしながら壇上から時々美登里に視線を向けていたこを美登里も感じていた。
美登里と6歳年上の大崎は、性格が明るく生命力が漲り、常に笑顔を絶やさない人だ。
そして何よりも人を包み込むような温かさがあった。
人間的な器が大きいのだと美登里は尊敬していた。
「この人のように、私もなれたら」美登里は目標を定めていたが、現実を考えると落差が大きかった。
大崎は美登里の話を、大きく肯きながら聞いていた。
「それで、別れることはできないのね」
大崎が美登里の心を確かめるように見詰めた。
「そうなの」
美登里は涙を流した。
「それなら美登里さん、日本一の愛人になるのね」
美登里はハンカチを握りしめながら、大崎の顔を怪訝そうに見詰めた。
「日本一の愛人?!」心外な指導であった。
大崎は当然、美登里に対して、「相手は、妻子のある男なのだから、別れなさい」と指導すると思っていた。
改めて、美登里は尊敬する大崎の包容力の大きさを感じた。
そして、美登里は決意した。
「私は、日本一の愛人にはなれない。徹さんと別れよう」


創作 詩は音読するもの

2024年10月12日 23時31分46秒 | 創作欄

「創作品は、しばしば作家より雄弁に作家自身のことを語っている」

大学のサークルである近代文学研究会での大田三郎の指摘に、みんなが肯いた。

だが、徹は実証主義文学論には違和感を持った。

先日、開かれた国文学研究会で、岩城助教授が金田一京助に向かって「石川啄木と芸者の小奴は肉体関係があったと思いますか?」と尋ねたのだ。

「あったとも、なかったとも言えません」

金田一京助は常識的に答えたが、岩城助教授は食い下がるように言い放った。

「先生は、本当のことをご存じなのではありませんか?」

「金田一さんに対して、非礼だな」と大田三郎は呟いた。

「先ほど、お答えした以上のことは言えません」金田一は困惑していた。

「ここは実証主義文学研究会の場ですから、肝心なことを明らかにしたいのです」

岩城助教授は太った腹を突き出しように言った。

会場の人たちは固唾を飲んで、金田一の言葉を待った。

徹は大田三郎の肩に指を突いて、「出よう! 馬鹿馬鹿しい」と席を立った。

「聞きたいが、出るか」 三郎も続いて席を立った。

三郎はロシアの作家・ドストエーフスキイに傾倒していた。

特に「罪と罰」は小学生のころから読んでいたというから早熟なのだ。

一方、徹は高校生になって高校の国語教師の影響で詩を読み始めていたが、小説は数えるほどしか読んでいなかった。

高田守先生は授業でしばしば、詩を読んで聞かせた。

徹はその詩の内容より、高田先生の声に感動した。

徹は自分も詩を書き、高田先生に音読してもらいたいと思うようになったのだ。

同じ詩でも高田先生以外の人が読んでは感動しないのだ。

ラジオ世代の中で育った徹は、多くの声優たちの語りの素晴らしさに想像を膨らませてきた。

三好達治、中原中也、宮沢賢治、石川啄木などの詩を知る。

そして益々、詩は文字で読むより、「聞きたい」と徹は思った。

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<参考>

野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)529日~1945年(昭和20年)127日)は、日本の詩人、童謡・民謡作詞家。

本名は野口英吉。

茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000286/files/4076_13919.html 


創作 「15歳の神話」

2024年10月12日 23時26分32秒 | 創作欄

ロミオとジュリエットではないが、相思相愛の男女関係はある意味で、運命的な出会いであるかもしれない。

それは相性の問題でもある。

高校生の徹と大学生の浩が空き地でキャッチボールを始めると中学生の少女が赤ちゃんを抱いて路地裏から現れた。

少女はポニテールの髪型をしていた。

いわゆる美少女の類型の整って顔立ちである。

徹は小学生の頃、東京・大田区の田園調布で育ったが、大邸宅に住む少女、少年たちには気品が備わっていた。

そして少女や少年たちの美しい母親たちは、揃って着物姿で授業参観に来てきた。

徹は美しい母親たちの容姿に子どもながら強く心を惹かれて、同級生たちを羨んだ。

徹は中学生の少女を初めて見た時、小学生の頃の記憶が鮮明なまでに蘇った。

少女は徹と浩のキャッチボールが始まると待っていたように、赤ちゃんを抱いて現れた。

「あの子は徹に気があるんじゃないか」

浩は銭湯の湯船に浸かりながら言った。

手拭を頭に乗せている浩は、俳優の石原裕次郎に容貌が似ていた。

「浩さんは女の子にもてるでしょうね?」徹は聞いた。

「まあな、でもな、あの子は徹に気があるな」

浩は頭に乗せた手拭を湯船に沈めて、顔を拭った。

「そうだろうか?!」徹は半信半疑であった。

「あの子に聞いてみるか?」と浩は八重歯を見せてニヤリと笑った。

「よして下さいよ」徹は慌てた。

少女の一家は半年前に徹の自宅の裏に引っ越してきた。

少女の父親は顎鬚をはやし、精悍そうな大きな目をしていた。

昭和30年代の東京・世田谷の用賀町には畑があり、雑木林もある新興住宅であった。

「おばさん、裏の一家はどんな人たちなの」下宿人である浩が徹の母親に聞いた。

「ここだけの話だけど、訳ありだね」

「訳あり?」浩の大きな目が見開かれた。

徹の母親は声を落として事情を説明した。

「旦那と奥さんは、年が離れているだろう。再婚らしいんだ。中学生の娘さんと小学生の娘さんが先妻の子、赤ちゃんは奥さんの子なの」

「なるほど」浩はうなずきながらタバコを口にくわえた。

少女の40代の父親と20代と思われる継母は手をつないで、二子多摩川の河原を散歩していた。

徹と浩は多摩川で魚釣りをしていて、二人の姿を見かけたのだ。

それから半年が過ぎて、画家である少女の父親が、娘をモデルに描いた絵が評判となった。少女の裸体の油絵であり、「15歳の神話」と題されていた。