捜査の違法性 責任は重大だ
人質司法にも問題点
冤罪事件を防ぐには、任意での取り調べを含めて全面録音録画や弁護士立ち合いを進める必要がある。
大川原化工機事件は[1][2]、生物兵器の製造に転用可能な噴霧乾燥機を経済産業省の許可を得ずに輸出したとして、2020年3月11日に警視庁公安部外事一課が神奈川県横浜市の大川原化工機株式会社の代表取締役らを逮捕するも杜撰な捜査と証拠により[3]、冤罪が明るみになった事件[4][5]。
代表取締役らは一貫して無罪を主張。しかし保釈は認められず、その間に相澤静夫相談役は進行胃がんと診断され入院した。2021年2月5日、代表取締役と常務取締役は11か月ぶりに釈放されたが、7日に相談役は病死したほか[3]、数十回にわたり取り調べを受けた女性社員はうつ病を発症した[6]。亡くなった相談役は、入院治療の必要があると弁護士が訴えたにもかかわらず、病気発覚以前からのものを含めれば保釈要請は計7回も認められなかったという[7]。その一方で、事件を主導した警部及び警部補はこの事件をでっち上げた「功績」で昇進している[8]。東京地方検察庁は第1回公判直前の7月30日、公訴を取り下げ、刑事裁判を終結させた[4][9]。
9月8日、代表取締役と常務取締役、そして相談役の遺族は、国と東京都に対して約5億6500万円の損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に起こした[10]。この裁判では、事件に関わった現職捜査官が、デッチ上げだったのではないかと問われ、事件を捏造だと回答、研究者が、捜査報告書に書かれた自身の意見が実際に語ったはずの発言内容と異なっていると証言するなど、異例の展開となった[11]。2023年12月27日東京地裁は、警察・検察の違法を指摘し、国と東京都にあわせて1億6200万円余りの賠償を命じる判決を下している[12]。
経緯
警視庁公安部による任意取調べ
2013年10月、貨物等省令が改正され、一定の要件を満たす噴霧乾燥機は兵器転用が可能であることから、これらを輸出する際に経済産業省の許可を要することとなった。噴霧乾燥機分野の国内市場70%をシェアする都筑区に本社がある大川原化工機株式会社は、法改正にあたって積極的にヒアリングに応じ、経産省や安全保障貿易情報センター(CISTEC)に対し、全面協力をした[4][9]。
2016年6月2日、大川原化工機は噴霧乾燥機「RL-5」をBASFの子会社へ納入するため、中華人民共和国に輸出した[13]。
貨物等省令の定める噴霧乾燥機の規制要件は以下のとおりであった[13]。
水分蒸発量が1時間あたり、0.4キロ以上400キロ以下のもの。
平均粒子径10マイクロメートル以下の製品を製造することが可能なもの。または噴霧乾燥機の最小の部分品の変更で平均粒子径10マイクロメートル以下の製品を製造することが可能なもの。
定置した状態で機械内部の滅菌または殺菌をすることができるもの。
これら3つの要件にすべて当てはまるときは経産省の許可が必要となる。噴霧乾燥器で生物兵器を製造しようとした場合、機械内部に残る有害な菌に、製造にあたる作業員が暴露するのを防がなければならないが、そのためには「定置した状態で(=機械を分解しない、そのままの状態で)」機械内部に残る有害な菌を殺滅できる性能が噴霧乾燥器に備わっていることが必要となる[5]。会社側は輸出した製品に (3) の能力がなく、規制対象に該当しないと確信していた。ところが警視庁公安部は「ヒーターを空焚きして装置内部の温度を上げれば、一部の菌を殺すことは可能ではないか」という論拠を組み立て[9]、2017年5月頃から「大川原化工機が生物兵器の製造に転用可能な噴霧乾燥器を無許可で輸出した」として捜査を開始した[4]。捜査は、ロシアとヨーロッパの諜報活動を捜査する外事一課第五係が担当。外事一課の管理官と第五係長の宮園勇人警部が指揮した[14]。
この省令の「滅菌」と「殺菌」は、もともと化学兵器禁止条約にあった"sterilized"と"disinfected"から来たもので、化学兵器禁止条約の"sterilized"は完全に微生物を除去し、"disinfected"は殺菌効果のある薬品の使用により菌の感染力をなくすことを意味する[15]。しかし、日本において省令として定められたときにはこの定義は明確に定められなかったというのが、事件時からの経産省側からの説明である。もし省令が化学兵器禁止条約上の二つの語の訳語としてこれらの語を使ったのであれば-そのように考えるのが自然と思われるが-初めからこの機械の機能は「滅菌」にも「殺菌」にも全く該当しなかったということになる。なお、この機械自体は乳酸菌などの菌を生きたまま熱風で乾燥できるというのがウリで、そのために外事課は細菌を生きたまま利用する細菌兵器の開発に利用できるのではないかと見立てたのであるが、それだけに熱風はあくまで液体を乾燥して粉状にするためのものであり菌の殺滅自体を目的とするものではない。
2017年5月18日、宮園の部下の安積伸介警部補は防衛医科大学校を訪れ、微生物学を専門とする防衛医科大学校の四ノ宮成祥教授と面会し「滅菌」と「殺菌」の定義について意見を求めたが、事件の捜査であることは伏せられた。面会は翌年まで何度も行われた。2018年3月28日、来訪した安積は突然ノートパソコンを取り出し、四ノ宮に供述調書を取りたいと言った。安積はあらかじめ作成した文書を画面で見せながら、四ノ宮に確認させた。画面を使っての確認を終えると、同伴の刑事が持参したポータブルプリンターで印刷した。四ノ宮は深く読み返しもせず、ひとつも修正しないまま、署名押印に応じた。公安部は2017年11月15日に作成した「捜査メモ」(乙8号証の33)で決定的とされる捏造を行った。メモには四ノ宮の言葉として「噴霧乾燥機は、末端付近まで100度以上の熱風がいきわたるのであれば、細菌は水分が枯渇すれば死んで感染能力を失うため、機器が機能として持つ温度で殺すことができる」「乾熱による滅菌・殺菌は、蒸気などと同様に一般的な方法であることから、乾熱で大腸菌などを殺菌できるのであれば、特段問題なく輸出規制に該当する機器と判断できる」と記されていた[16][17]。これらの報告書は、警視庁の殺菌理論の根拠として経産省の説得に用いられた。四ノ宮は当該事件の国家賠償請求訴訟に提出した陳述書で「私は機械の専門家ではないので、機械の性能について事細かに話すことはない。安積刑事が話したことを敢えて否定しなかったか、完全に作文しているかのどちらかだと思う」と述べている[18][17]。
2017年10月6日、公安部外事一課第五係は経産省との打ち合わせを開始した。捜査を開始した頃、第五係は部内から「目立った成果を上げていない」と見なされており、幹部は「このままでは人員を減らされ縮小させられる」「経産省に『殺菌概念が無い』と言わせるな。経産省がそれを言ったら事件は終わり」と話していた。同省は公安部の捜査方法に懐疑的であり、10月27日に同省上席安全保障貿易検査官は「本当に情けない話だが、この省令には欠陥があるとしか言いようがない。省令の改正をしない限り、噴霧乾燥機を規制することはできないと考える」と伝えた[19]。打ち合わせは何度も行われるが平行線のままだった。また、経産省側からは問題があるのであれば直ぐにでも止めさせたいのでそのように指導するといった話も出されたが、逆に公安部ではそれでは自身らの手柄にならないとして断ったともいう。2018年2月8日、経産省は突然、ガサ入れを許容する姿勢に転じた。同省の課長補佐は「公安部の新美恭生部長が動いたと聞いている」と説明した[20]。経産省側からは、ガサ入れのために裁判所から令状が出やすい表現をとった、強制捜査で本丸が見つかればそちらでやってくれれば良いと期待していた面もあるといった話も出ている。
2018年2月19日 大川原化工機は噴霧乾燥器「L-8i」をLGグループの子会社へ納入するため、韓国に輸出した[13]。同年10月3日、公安部はRL-5の輸出に関し、家宅捜索と差押えを実施した。
同年12月、公安部は役員と社員に対する任意の取り調べを開始[20]。取り調べは長期間、継続的に行われた。代表取締役O(以下、Oとする)は39回、常務取締役S(以下、Sとする)は35回、相談役A(以下、Aとする)は18回もの取調べに応じ、捜査へ協力した[注釈 1]。その他、会社関係者47人が任意の取調べに協力し、その回数は延べ263回に及んだ[4]。Oは、どれだけ執拗に聴取を受けようと、いずれは警察も自らの見込み違いに気づくだろうと楽観していたという。大川原化工機は会社の経営理念に「平和で健康的な社会作りに貢献する」と掲げていた。会社設立から数年後に他社から転職してきたSも武器商人のような仕事を心底嫌っていた。法的義務がないにもかかわらず、Oとともに海外の全顧客から「兵器転用はしない」という趣旨の約定の提出まで求めるほどだった。Oは取材に対して「われわれはまったくのシロ、潔白であって、どう考えても無罪、無実ですから、きちんと調べてもらえば起訴はされないだろうと思っていました」と答えている[9]。
宮園の無理筋な捜査手法に「客観的な事実に基づき捜査を行うべきです」と進言する部下もいたが「事件を潰す気か。責任を取れるのか」と宮園はその部下を怒鳴りつけ、強引に捜査を推し進めた[14]。
2019年6月、東京地方検察庁に塚部貴子が着任。塚部が担当検察官となった。
同年10月3日朝、Sの直属の部下で、貿易実務検定の資格を持つ女性社員は出勤する際、刑事に阻まれ、家宅捜索を受けた。同年12月から原宿署で取り調べが開始。公安部外事一課の田村浩太郎警部補は、言葉尻をとらえては調書を改ざんした。取り調べは数十回にわたり、女性社員はうつ病を発症した[6]。女性社員は会社の顧問弁護士に相談し、弁護士は当局に「田村浩太郎以外で、原宿署ではなく近くて窓があるところ」と求めた。担当刑事は代わり、町田署と玉川署の窓のある会議室になった。そのときには調書は完成していた。東京地検に出向くと、植田彩花検事は田村が作った調書を見て「これは無理やり取られた調書かな」と言った。植田は同様のことを財務担当社員の調書に対しても発した。しかし担当検察官は植田の上司の塚部になっていたため、公安部の思惑どおりに捜査は進む[6]。
警視庁公安部の「暴走」の背景には[3]、第2次安倍政権における警察官僚の重用、それに伴う警察官僚と政治権力中枢の関係強化、外事警察の存在意義などがあったと指摘されている[9]。第2次安倍内閣発足時に内閣官房副長官に就任した杉田和博は2017年8月3日、内閣人事局長を兼任した[21]。2019年9月13日、国家安全保障会議の事務局である国家安全保障局の局長が、外務省出身の谷内正太郎から警察庁出身の北村滋に変わる。北村は内閣情報官時代に特定秘密保護法の法案策定に関わった官僚として知られていた[22][23]。同年10月31日、北村は長年の目標だった経済安全保障を扱う「経済班」の設置準備室を局内に立ち上げた[24][23]。経済班が2020年4月1日に発足する直前[25]、公安部はついに逮捕に踏み切った。
逮捕、相談役の死
2020年3月11日、警視庁公安部は外国為替及び外国貿易法違反容疑でO、S、Aの3人を逮捕した[4][26]。
安積伸介警部補は、逮捕後に作成されるべき弁解録取書をワープロで事前作成していた。Sに差し出し、署名・捺印するよう求めた。そこには、Sが「社長の指示により許可を取らずに輸出した」との供述内容が書かれていた。Sは「絶対に同意できない」と拒否し「私が前から主張しているように、輸出管理支援団体のガイダンスに従って輸出したと書き換えてくれ」と頼むと、安積は修正に応じる意思を示した。修正作業が終わり、Sは渡された書類に署名捺印した。ところが改めて読み返すと「ガイダンスに従って」という文言は「社長らと共謀して」という文言になっていた。これを見たSは「日本の警察はこんなだまし討ちみたいなことするのか」と激高した。安積は宮園勇人第五係長に相談し、宮園は作り直すよう指示。その結果、署名入りの弁解録取書が2通存在することとなった。弁解録取書は2通とも検察へ送致されなければならなかったが、安積は最初に作成された弁解録取書を公文書であるにもかかわらず破棄した[5][27][28]。
逮捕後、東京地検の塚部貴子は部下に大川原化工機の社員を聴取させた。その結果、5人から噴霧乾燥機の温度が上がり切らない部分があると話しているという立件に不利な報告を受けた。勾留満期(20日間)は目の前に迫っていた[29]。
同年3月24日、公安部の捜査員2人が相談のため東京地検を訪れた。塚部は捜査員から公安部の省令解釈が業界では一般的でないことを初めて知らされた。塚部は「解釈自体が、おかしいという前提であれば起訴できない」「不安になってきた。大丈夫か。私が知らないことがあるのであれば問題だ」と捜査員に伝えた[30]。
同年3月31日、塚部は3人を起訴した[31]。同年5月26日、公安部は「L-8i」の輸出の件で3人を再逮捕。同年6月15日、東京地検は「L-8i」について追起訴[32]。捜査に関わった東京地検の当初の検察官は、公安部の捜査を問題視し取り合わなかったが、後継の塚部は公安部の言いなりで動いた[9]。
裁判所が保釈請求を却下し続ける中、Aは東京拘置所の中で体調を崩した。同年9月15日、拘置所内で輸血を受ける。同月29日、弁護団が緊急の治療の必要性を理由に保釈を請求したが、検察官は罪証隠滅のおそれがあると主張して反対し、裁判所も請求を却下した。同年10月7日、Aは胃に悪性腫瘍があると診断された。同月16日、Aの勾留の執行停止が認められ、大学病院を受診し、進行胃がんと診断された[3]。
2021年2月1日、弁護側はOとSについて6回目の保釈請求をした。このときもまた検察官は保釈に反対するも、同年2月4日、東京地裁は保釈許可決定をした。検察官は再び準抗告を申し立て、東京地裁刑事第11部は準抗告を棄却し、2月5日、OとSは約11か月ぶりに釈放された。 2月7日、Aは病院で死去した。72歳だった[3]。
公訴取り下げ
経済産業省は捜査の初期段階から警視庁公安部と折衝を行っていたが、経産省は「RL-5」が規制対象外である可能性を公安部に幾度となく伝えていたものの、公安部の強硬な姿勢に屈し、最終的に捜査を黙認した[9][33]。公安部は経産省や安全保障貿易情報センターとの折衝内容をメモとして残し、公安部のコンピューターに保存していた[9]。弁護団はメモの存在を確認した上で同年5月24日、主張関連における証拠開示の請求として、メモの開示を検察官に求めた[4][34]。検察は開示しなかったので6月22日、弁護団は裁判所に「検察が証拠の開示をする」請求をした[35]。
公判前整理手続によって、同年7月15日に第1回公判期日が開かれることとなった。 これに対し検察官は、弁護側からの証拠開示請求への対応を理由に、第1回公判を2か月程度延期するよう求め、さらには噴霧乾燥機が輸出規制の要件を満たすかどうか再検討する必要が生じたと述べた。弁護団は黒塗りでも構わないから開示してくれと再度求め、検察官は同年7月30日までに証拠開示をするとされ、第1回公判は8月3日に延期されることとなった[4]。
一部黒塗りで開示すると約束していた期限にあたる7月30日、東京地検は公訴の取り下げを申し立て、裁判を終結させた[注釈 2]。
警視庁公安部は「付属のヒーターで内部を空焚きし、細菌を1種類でも死滅できる温度が維持できれば殺菌に該当する」と解釈した上で温度実験も踏まえて同社の装置は殺菌能力を有すると判断し、立件に踏み切った。東京地検も起訴段階ではこの解釈を問題視しなかった。地検は公安部の法令解釈に従って乳酸菌が死滅するかを実験したが、同社の装置に殺菌能力は認められず、法令解釈について「うがった見方をすると『意図的に、立件方向にねじ曲げた』という解釈を裁判官にされるリスクがある。今後、上級庁に報告する」と指摘していたことから、起訴取り消しは東京高検、最高検を含め検察全体で決定したとみられる[36]。
国家賠償請求訴訟
2021年9月8日、OとS、そしてAの遺族は、国と東京都に計約5億6500万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴。また、法律の上限となる計1127万5000円の刑事補償請求も申し立てた[10]。
同年12月7日、東京地裁は刑事補償法の上限となる計1130万円の補償を支払う決定を出した[37]。
2022年4月13日、参議院の本会議で立憲民主党の杉尾秀哉と日本共産党の田村智子が本事件について言及し、杉尾は「功を焦った公安警察の勇み足とも言えるこの事件は、反中ムードに乗じた経済安保の危うさを象徴している」と、田村は「経済安全保障によって、根拠も不明確なまま身柄を長期拘束し、ひたすら自白を強要する、人権じゅうりんの違法捜査が行われ得ることを示した事件」とそれぞれ代表質問をした。杉尾と田村は岸田文雄内閣総理大臣に答弁を求めるが、岸田は「犯罪の捜査は、御指摘のような問題が生じることがないよう、刑事訴訟法に定める適切な、適正な手続に従って行われるものであると承知をしている」と答えた[38]。
警察庁は起訴取り消しの10日前に当たる2021年7月20日、令和3年版の『警察白書』を発刊し、社名などを匿名にした上で、逮捕に至る事案の概要を紹介していた。2022年8月、大川原化工機の代理人弁護士は警察庁に対し「警察白書」から当該事件の記載を削除するよう要請した[1][39]。
2023年6月30日、東京地裁で開かれた口頭弁論で、警視庁公安部に所属していた4人の警察官に対する証人尋問が行われた。公安部外事1課の男性警部補は、原告側の弁護士から「事件はでっち上げだと思うか」と問われると、事件について「捏造ですね」と証言した。原告側の弁護士がなぜこんなことをやったのかと問い返すと「捜査員の個人的な欲でそうなった」と答えた。裁判長が「欲を抱く理由は何か」と質問すると「定年も視野に入ると、自分がどこまで上がれるかを考えるようになる」と答えた。「業績につながるということか」と尋ねられると「はい」と答えた。別の公安部の警察官も「捜査幹部がマイナス証拠をすべて取り上げない姿勢があった。きちんと反証していれば、こんなことは起きなかった」と証言した[40][41][42]。なお、公安部関係者とみられる人物から会社側関係者に、会社側にとって有利な証言をしてくれそうな人物の名の情報提供もあったとされる。
同年7月5日、捜査ならびに起訴を担当した検事である塚部貴子が証人として出廷[42]。原告側の弁護士から長期間の勾留や、その間にAが亡くなったことについて謝罪の気持ちがあるか問われると、塚部は「当時、起訴すべきと判断したことは間違っていないと思うので、謝罪の気持ちはない」と答えた[43]。公安部の捜査員から起訴する上でマイナスとなる指摘を受けたかを問われると「ない」と答えた。さらに「不利な証拠があるかもしれないと疑いを持てば確認するが、疑いは持たなかった」と証言した。この日の塚部の証言内容は、公安部捜査員が作成した3月24日の塚部と打ち合わせの記録の内容と矛盾するが、12月22日の毎日新聞報道までは明らかとされなかった[30]。
同年7月6日、警察庁は『警察白書』から事件に関する記載を削除したと明らかにした。当事者側からの要請にもかかわらず、1年近く削除されなかったことについて、谷公一国家公安委員会委員長は7月7日「警察庁に対し、削除がこの時期になったという経緯も含めて、丁寧な説明を行うよう指示した。説明することで関係者の理解を得るよう努めていただきたい」と述べた[1]。
同年9月15日、裁判は結審。
同年12月27日、東京地裁は判決で、逮捕や起訴などについて「必要な捜査を尽くすことなく行われたものであり、違法である」と指摘。信用回復のために会社として行った営業上の労力なども踏まえて、国と東京都に合わせておよそ1億6500万円の賠償を命じた[44]。