職場の宴会後、同僚女性の手を握りキス迫る 50代の男性栄養教諭

2020年06月30日 22時10分40秒 | 事件・事故

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神戸市と市教育委員会は30日、ハラスメントや児童への暴行で職員4人を懲戒処分にしたと発表した。
【写真】「1回死んでこい」拳で顔面殴る 教員間で暴言暴行  西区の小学校で給食調理を担当する女性職員(52)は停職1月。冷蔵庫の扉を開け間違えた教員を1時間以上、大声で叱るなど2017~19年度、同僚4人にハラスメント行為をした。今年3月には校長に職員室で怒声を浴びせた。  
垂水区の小学校の男性教諭(36)は戒告。コーチを務める少年野球チームの男児を壁に押し付けるなどし、今年2月に暴行罪で神戸簡裁から罰金10万円の略式命令を受けた。市立学校の50代男性栄養教諭は18年8月、職場の宴会後に同僚女性の手を握ってキスを迫ったとして戒告にした。  
環境局の男性技術職員(65)は減給(平均一日賃金の半額)。昨年12月~今年3月、市に届けた経路の通勤定期を解約してバイクで通勤し、約1万7千円を不正受給した。(長谷部崇)
 

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23歳の中学校教員、駐車場で女子中生にキスし胸触り逮捕

2020年06月30日 22時07分08秒 | 事件・事故

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女子中学生にわいせつな行為をしたとして、兵庫県警生活安全特別捜査隊と須磨署は30日、強制わいせつの疑いで、神戸市立中学校の臨時的任用教員の男(23)=神戸市長田区=を逮捕した。

【写真】女子高生「フリーおっぱい」掲げ 通行人に胸触らせ書類送検  逮捕容疑は3月2日午前0時半ごろ、同市内のマンション駐車場で、当時中学3年の女子生徒に対し無理やりキスをしたり、胸を触ったりした疑い。容疑を認めているという。  

同署によると、2人に面識はなく、男が生徒の後をつけたとみている。マンションは生徒の自宅で、母親が110番し、防犯カメラ映像などから男が浮上。当時、男は教員ではなく、4月から新人教員として着任したという。

 

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遺産4200万円を着服した疑い 74歳の弁護士を逮捕「全額使い切った」

2020年06月30日 21時56分56秒 | 事件・事故

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「支払いや生活費に少しづつあてた」と容疑を認めている

大阪弁護士会所属の弁護士の男が、遺産の相続で預かっていた現金約4200万円を着服した疑いで逮捕されました。

業務上横領の疑いで逮捕されたのは、兵庫県川西市に住む大阪弁護士会所属の弁護士・川窪仁帥容疑者(74)です。

警察によると、川窪容疑者は、成年後見人として依頼を受けていた70代の男性が死亡したため、男性の妻から遺産相続に関する業務を依頼されました。

その後、男性の妻が遺産を全て相続することが決まった2018年に、男性の口座から現金約4200万円を自分の口座に移して着服した疑いが持たれています。

警察の調べに対し、川窪容疑者は「私個人名義の口座に振り込み、すぐに全額を出金し、月々の支払いや生活費に少しづつあててしまい、全額使い切ってしまった」と容疑を認めています。

関西テレビ

 

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自分が勤めていたスーパー金庫から104万円着服…"元店長"35歳男逮捕 就任後に複数回手を付けたか

2020年06月30日 21時52分46秒 | 事件・事故

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勤めていたスーパーから約100万円を横領したとして、元店長の35歳の男が逮捕されました。  業務上横領の疑いで逮捕されたのは、北海道旭川市の無職の35歳の男です。
 男は3月5日から5月12日にかけて、名寄市のスーパーで売上金の現金104万円を着服した疑いが持たれています。  
男は5月12日までこのスーパーの店長をしていました。
 男の退職後、本社が各店舗の売り上げを調べていたところ、男の勤めていた店の売り上げに対し、現金が足りないことに気づき、事件が発覚。警察に被害届を出しました。
 この店では、売上金は店長管理のもと事務所の金庫で保管する仕組みで、捜査の過程から男の関与が浮上し、6月29日逮捕されました。  
調べに男は容疑を認めているということです。  
警察は、男が3月に店長就任後、複数回にわたり売上金に手を付けていたとみて詳しく調べてます。

UHB 北海道文化放送

 

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弘中弁護士が読売新聞を提訴 ゴーン前会長逃亡巡る記事

2020年06月30日 21時44分54秒 | 事件・事故

共同通信2020年06月30日20時31分

金融商品取引法違反罪などに問われた日産自動車前会長カルロス・ゴーン被告の弁護人だった弘中惇一郎弁護士は30日、被告の逃亡を黙認したとする記事で名誉を傷つけられたとして、読売新聞東京本社と同大阪本社に慰謝料など計1320万円の支払いを求め、東京地裁に提訴した。

 訴状によると、今年1月31日付の読売新聞朝刊は、「弘中事務所で『謀議』か」との見出しで、ゴーン被告が昨年末に逃亡する前、逃亡を手助けした疑いのある米国人と弘中弁護士の事務所で面会していたとする記事を掲載。

 その中で「逃亡の謀議を黙認していたと疑われても仕方がない」との検察幹部のコメントを紹介した。


東京アラート改定、医療重視を軸 数値基準設けず総合判断

2020年06月30日 21時44分54秒 | 社会・文化・政治・経済

共同通信2020年06月30日21時11分

東京都の小池百合子知事は30日、臨時の記者会見を開き、従来の「東京アラート」を改定して新型コロナウイルスの感染状況や医療態勢を伝える新しい指標の7項目を公表した。東京アラートでも指標となった項目を多く踏襲しているが、医療が十分提供できる態勢かどうかに軸足を置く。警戒の呼び掛けや休業要請に当たって数値的な基準を設定しておらず、分かりやすく伝えられるかが課題となりそうだ。

 警戒の呼び掛けは都の「モニタリング会議」の評価を受けて総合的に判断。会議は原則的に週1回開き、感染状況に応じて随時実施する。


トラックで男性をはね“車体に巻き込んだまま”走行し死亡させた疑いで逮捕…51歳男性を不起訴に

2020年06月30日 21時41分24秒 | 事件・事故

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愛知県豊田市の国道153号線で今年1月、男性をトラックではね、車体に巻き込んだまま走行して死亡させたとして逮捕された51歳の男性について、名古屋地検岡崎支部は不起訴処分としました。  処分は29日付けで、不起訴の理由は明らかにしていません。

東海テレビ

 

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「安倍4選」たった4カ月で賛否が逆転 自民支持層の急な「心変わり」 石破氏と言い切れな「次の首相」

2020年06月30日 21時17分19秒 | 事件・事故

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安倍晋三首相の自民党総裁としての任期は、2021年9月までです。新型コロナウイルスへの対応が焦点になった通常国会が閉会し、政界の関心は安倍首相の後継争い「ポスト安倍」レースに移りつつあります。
朝日新聞の全国電話世論調査を分析すると、自民支持層の心変わりが見えてきました。(朝日新聞記者・磯部佳孝) 【写真】せっかく届いた「アベノマスク」が……寄付の箱に山積みになる光景

自民支持層、「安倍4選」賛否拮抗→反対が過半数に

自民党総裁の任期は党則で連続3期までと決まっています。ただ自民内には、この党則を変えて、安倍首相に4期目も続けることを支持する声もあります。朝日新聞の世論調査では、この「安倍4選」について、次のように定期的に聞いています。     

 ◇ ■自民党総裁の任期は、自民党の決まりで、連続3期までになっています。あなたは、この決まりを変えて、安倍首相が4期目も続けることに賛成ですか。反対ですか。

【全体】 2019年12月 賛成(23%)/反対(63%) 2020年2月 賛成(25%)/反対(60%) 2020年6月 賛成(19%)/反対(69%)

【自民支持層】 2019年12月 賛成(43%)/反対(46%) 2020年2月 賛成(46%)/反対(43%) 2020年6月 賛成(36%)/反対(54%) *その他・答えないは省略 ――

*調査方法=コンピューターで無作為に電話番号を作成し、固定電話と携帯電話に調査員が電話をかけるRDD方式。2019年12月21・22日、2020年2月15・16日、同年6月20・21日に、全国の有権者を対象に調査した。

有効回答数と回答率は以下の通り。2019年12月固定1001人49%/携帯979人44%、2020年2月固定1118人51%/携帯1038人45%、同年6月固定1035人52%/携帯1030人47%。     

 ◇ 「安倍4選」について、全体では反対がつねに賛成を大きく上回っています。これに対し、自民支持層は2019年12月と2020年2月の調査で賛否が割れていたのが、4カ月後の2020年6月の調査では反対54%が賛成36%を上回りました。

自民支持層で「安倍首相離れ」がじわりと進んだ背景には、今年2月以降に深刻化した新型コロナへの政府対応がありそうです。

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麻生氏、公明幹部に「今秋の解散望ましい」 山口代表は牽制

2020年06月30日 21時13分44秒 | 社会・文化・政治・経済

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麻生太郎副総理兼財務相が公明党斉藤鉄夫幹事長と29日に国会内で意見交換し、今秋の衆院解散・総選挙が望ましいとの考えを示していたことが分かった。公明党幹部が30日、明らかにした。斉藤氏は「準備が進んでいない」と慎重な立場を伝えた。
公明党の山口那津男代表も30日の記者会見で「まだブルペンに入っている状況ではない。新型コロナウイルスで現職議員は地元に帰ることができない状況が長く続いた。まずウオーミングアップを始めるという状況だ」と述べ、早期の衆院解散・総選挙を牽制した。  
麻生氏は10日に安倍晋三首相と2人きりで約1時間会談。26日に約40分、30日も20分近く会談している。
衆院議員の任期が残り約1年4カ月となる中、首相が早期の衆院解散・総選挙に打って出るのではないかとの臆測が与野党内で広がっている。
 

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従軍慰安婦問題の真実を懸命に伝えるハルモニたち

2020年06月30日 15時10分46秒 | 社会・文化・政治・経済

2016年7月30日

特集|71年目の命題 ハルモニが伝える真実 ――日本軍従軍慰安婦問題

地図 昨年末、日韓両政府は突如「従軍慰安婦問題」の日韓合意を発表し、「最終合意だ」とした。ところが、被害者である元慰安婦たちには事前に一切の説明もなく、当事者を置き去りにしたものだった。被害者たちは今も当時の記憶に苦しみ、日本政府からの謝罪を待ち続けている。71年前、日本軍はアジアの女性たちに何をしたのか─。ハルモニ(韓国語で「おばあさん」)が証言する。

 

 

「毎日40~50人の軍人を相手にさせられた」

イ・オクソンさん

イ・オクソンさん

 1月25日、韓国の「ナヌムの家()」から二人の女性が来日。イ・オクソンさん(89歳)とカン・イルチュルさん(88歳)だ。彼女たちは第2次世界大戦中に日本軍によって連れ去られ、慰安婦にさせられた。今回の来日は従軍慰安婦問題について、未来の世代に正しい歴史と人権の大切さを知ってほしいと、全日本民医連も参加する実行委員会が企画。東京と大阪で計4回の証言会を開催した。

注…韓国にある従軍慰安婦の被害女性が共同生活を送っている施設。歴史資料館も併設されている。

亡くなった少女の悔しさを

 イ・オクソンさんは1927年、釜山生まれ。15歳の時に移り住んだ蔚山で日本兵に捕らえられ、中国の慰安所に連れて行かれた。イ・オクソンさんが語る。
 「慰安所では毎日40人~50人の軍人を相手にしました。1日は24時間しかないのに、それだけの人数を相手にさせられたんです。抵抗すれば殴られ、鞭で打たれ、刀で切りつけられます。銃で撃たれて亡くなった人もいました。
 私たちが血だらけになって抵抗しても、助けてくれる人は一人もいませんでした。慰安所での生活はあまりにもつらく、たくさんの人が自ら命を絶つという選択をしました。朝鮮から十数万人の少女たちが連れて行かれ、死にました。
 私はなんとか生き延びることができましたが、戦争に負けた日本軍は私たちを中国に置き去りにして逃げていきました。それから2000年まで、私は中国で生活しました。ようやく韓国に戻ったときには、親も兄弟もみんな亡くなっていました。家族は私が亡くなったと思い、死亡届を出していました。私は死んだ人間だったのです。
 日本政府は私たちがお金がほしくて自ら慰安婦になったと言いました。強制的に連れて行ったのではなく、慰安所では良い服を着せ、ごはんをきちんと提供し、良く面倒を見たと言いました。それならばなぜ、私たちは日本政府に謝罪を求めるのでしょうか。
 私は生き残ったから、皆さんと話し合えます。亡くなった人の悔しさまで、生きている私は伝えるべきだと思っています。人間は良心に従い、正しい生き方をしなければなりません。私たちは嘘をついていません。人が家畜や物のように扱われた慰安所での経験を、嘘だと言われた私の気持ちを考えてみてください」。

「頭には今でも残る傷が。人間扱いされなかった」

2つの国が協力して

カン・イルチュルさん

カン・イルチュルさん

 カン・イルチュルさんは1928年に尚州で生まれ、15歳の夏の終わりに中国に連行された。カン・イルチュルさんが語る。
 「私の家は車通りのある道にあって、柿の木が何本も生えていました。秋には柿がたくさん実る豊かな家でした。末っ子として両親や兄、姉たちにかわいがられて育ちました。
 中国に連行されて、両親に会いたいと泣いていると殴られました。沢山の暴力を受け、頭には今でも残る傷があります。慰安婦は人間扱いをされませんでした。当時の悔しさを思い出すたびに涙を流しています。なぜ私は(被害者として)この場にいなければならないのですか。
 ここに来てくれている皆さんには感謝しています。皆さんが(従軍慰安婦)問題解決のために努力してくれているのが嬉しいです。悪いのは日本人ではありません。私の頭に傷をつけた日本兵と、政府です。
 私は日本政府にも韓国政府にも怒っています。日本と韓国は思いをひとつにして、この問題を解決していかなければなりません。両国の人びとが自分の国を誇らしく思えるために、2つの国は協力しあわなければいけないと思います」。

悲劇を繰り返さないために

 時に声を荒げ、時に涙を流しながら訴えた二人のハルモニ。昨年末の日韓合意についても「事前に何の説明もなかった」と憤る。彼女たちが望んでいるのは、日本政府が直接ハルモニたちに謝罪をすることだ。現在まで、日本政府は従軍慰安婦問題の責任の所在を曖昧にし、法的責任も認めてない。日韓合意では歴史教育など、再発防止措置の約束も一切なかった。被害者の存在を無視しながら、岸田文雄外相は「最終的かつ不可逆的に解決された」とまで発言。
 証言会が終わり、控え室でイ・オクソンさんと話をする機会があった。証言会では韓国語で話していたハルモニが突然日本語で話し始めた。
 「(連れて行かれたときは)日本語が分からなかったけど、ぶたれるのが怖くて覚えた。戦争が終わって中国の田舎に55年いたから、一度も日本人に会わなくて(日本語を)忘れた。だけど、ナヌムの家に日本人が来るようになって、(体験を伝えるために)また覚えた。今も勉強している」。
 従軍慰安婦問題の真実を懸命に伝えるハルモニたち。その一方で安倍政権は加害の歴史を反省するどころか、歴史の真実を歪め、日本を再び戦争のできる国にしようとしている。カン・イルチュルさんは証言の最後に「戦争で傷つくのは国民です。二度と戦争が起きないように、韓国と日本が手を取り合って協力し、正しい国をつくっていくことを願います」と訴えた。


軍が慰安婦の検診をおこなっていた

2020年06月30日 14時35分33秒 | 社会・文化・政治・経済

2015年2月2日

特集1 戦後70年 「泣き声が耳から離れない」 戦地で出会った「慰安婦」 元従軍看護婦 中里チヨさん

 今年は戦後七〇年にあたります。「戦争を知らない世代」が増えたのも、不戦を誓った日本国憲法第九条の存在があってこそ。ところが安倍政権は、日本をふたたび戦争のできる国にするため憲法改正をねらっています。過去の戦争で日本が犯した過ちについても、“日本軍が性奴隷にした”というのは「言われなき中傷」(「慰安婦」問題について二〇一四年一〇月、安倍首相)と述べるなど、真実を歪めようとしています。
 中里チヨさんは、元従軍看護婦。「日本軍の管理下に慰安婦さんがいた」と証言します。

中里チヨさん 1926年新潟生まれ。元・川崎協同病院(神奈川民医連)看護部長、全日本民医連看護委員。第二次大戦中に従軍看護婦を経験。

私が従軍看護婦として、中国の海南島に行ったときに見聞きしたことをお話しします。

18歳で従軍看護婦に
 私は一九四四年三月二五日に看護学校を卒業し、志願して軍属の従軍看護婦になりました。一八歳でした。
 四月一日からは、従軍前の訓練を受けるため、東京の目黒雅叙園にあった海軍第二病院に召集され、「日本の軍隊として恥ずかしくない看護婦になれ」と指導されました。私は日赤の看護婦ではなかったので、丸い赤十字の帽子ではなく、三角巾をかぶり白衣を着ていました。毎日の朝礼では「一、軍人ハ忠節ヲ尽スヲ本分トスベシ…」と、とても速いスピードで軍人勅諭を暗唱させられました。
 一一月五日朝、まだ夜が明けないうちに、トラック四台に八〇人の看護婦が乗せられ、横須賀港へ行きました。そこから船に乗り、台湾へ。高雄海軍病院で働いたあと、中国・海南島の三亜海軍病院で働きました。ここで慰安婦さんたちと出会ったのです。

夕方になると号令が
 病院に勤務していたとき、驚いたことがありました。それは夕方六時五分前になると「外出員整列五分前!」という号令がかかるのです。すると二〇人くらいの海軍の軍人が集まってくる。ニコニコしながら集まってきて交代で外出するのです。私は不思議に思って、「どこにいくのか」とたずねました。すると「おもしろいところに行くんだ。そのうちわかるから」と言ったきり、具体的なことは何も言いませんでした。
 あとになって、外出は「慰安婦」と呼ばれる女性がいる小屋へ行くためだと知りました。号令をかけて整列させたということは、軍が外出時間を保障し、公認していたということです。日本の軍隊が組織的にそのような形をつくりあげたことを、私は許せません。


軍が慰安婦の検診をおこなっていた
 あるとき、婦長さんから呼ばれて、「いまから慰安婦の検診をおこなうので、軍医の介助をするように」と言われました。それは婦人科の検診でした。
 彼女たちはトラックに乗ってやってきました。四台に一〇〇人を超す人たちが乗っていました。私の役割は、彼女たちの腕に注射をして、内診をするためのベッドまで連れて行き、消毒をすることでした。病気があるかどうかは、一目みればわかります。淋病だとわかっても、できることは消毒しかありません。痛がってワンワン泣く彼女たちの声は、いまでも私の耳から離れません。
 検診のとき、彼女たちの名札には「兵隊用」「軍属用」「将校用」と書かれていました。「兵隊用」「軍属用」と書かれた名札をつけていたのは、台湾や韓国の女性たちでした。「将校用」と書かれた女性は、日本人なのに韓国名で呼ばれていました。彼女たちは「特殊看護婦」の名で連れてこられ、アパートのようなところに収容されて暮らしていました。私は検診で出会ったひとりと仲良くなり、彼女の部屋に遊びに行ったこともありました。当時の私の月給は九〇円、彼女は二五〇円ほどだと言っていました。
 一九歳だった私は、「慰安婦」と呼ばれる人たちがいること、軍が彼女たちを管理して検診している事実を知り、とてもショックでした。三亜というところは、当時、日本の海軍の司令部があったところですから、海軍・陸軍問わず軍隊が集中していた場所で、慰安所も無数にあったようです。こんなに恥ずかしいことを、日本はしていた。どういう事情があっても、こんなことは許されませんよ。
 終戦後も二年半、海南島にいて、アメリカの捕虜を手当する仕事をしました。戦後も引き揚げるまですごく苦労して、ようやく日本に帰ってきたのは二三歳のときでした。

戦争する国づくりは許しちゃだめ
 私が、このように戦地で見たことを話すようになったのは、民医連に入職してからです。それまでは絶対に話さなかった。話すことができませんでした。
 いまの安倍政権は、戦争中におこった真実を伝えようとしない。「慰安婦」はいなかったことにしようとしています。しかし実際に私は、従軍看護婦として慰安婦さんの検診に携わり、いまお話ししたようなことを何度も目にしたのです。もし「そんな事実はないんだ」と言う人がいたら、「私は三亜にいたとき、こういうことを何度も目にした。不審でしょうがなかった」と直接申し上げてもいいという気持ちです。
 今年は戦後七〇年。これまで以上に真剣に政治について考えなければならないと思います。みなさんには自分の考えをしっかり持ってほしい。絶対に戦争をする国づくりは許しちゃだめ、妥協してはだめです。私は妥協して、戦争に反対することもせず、自分から率先して戦地に行ってしまいました。そのことをとても後悔しています。当時は「お国のために尽くせ」と教育されていたのです。
 民医連のみなさん、共同組織のみなさんは地域でとても大切なことを実践しておられます。どうか、社会をよくする運動の先頭に立ってください。私も、自分にできることをやり続けたいと思います。


「毎週、検診の介助をつとめた」─中里さんの手記から
 医療文芸集団が一九六八年に発行した『従軍看護婦の記録 白の墓碑銘』(東邦出版社発行)。
 「戦争の悲劇をふたたびくり返すまい」との思いで従軍看護婦の記録を集めて発行されたこの本には、「江川きく」の名前で中里チヨさんの手記が掲載されています。そのなかから一部をご紹介します。

 …外来勤務に代わって初めての日だった。その日は、テントで特別の受け付けがつくられ、産婦人科の軍医が出張して来た。やがて、四台のトラックに満載された百人をこす女たちが運ばれてきた。日本中が地味な色のモンペ姿に統一されているというのに、この人たちは、色とりどりの着物を着流しにしたり、すその長い朝鮮や台湾の服を着ていた。いったいこの人たちは誰なのだろう。そして、何が始まろうというのかしら。私がキョトンとしていると、担当の衛生兵が、慰安婦の検診なのだと教えてくれた。
 私はびっくりしてしまった。新潟の村には売春婦とか慰安婦などという人たちはいなかった。だから、そういう人たちがいるということもおぼろげにしか知らない私だった。それなのに、いま私の前にその慰安婦が百人もいる…。
 しかし、軍隊はそんな個人の動揺をかまってはくれない。いよいよ検診が始まることになって、ふと衛生兵の机の上を見ると、慰安婦の名前の上に、「将校用」「兵隊用」「軍属用」と書かれてある。
 「これ、どういうこと?」
 「ああ、これか。将校用は日本人、兵隊用は朝鮮人、軍属用は台湾人だとよー」
 その衛生兵は、なげやりな言い方でそう言った。
 「まあ、まるで品物!」
 私は顔をしかめ、ぶるぶるっと身ぶるいした。

(中略)

 その夜、私はなかなか眠れなかった。聖戦を戦いぬき、大東亜共栄圏をつくろうとする皇軍の勇士たちに、そういう女がついていようとは? お国のため立派に戦って傷ついた兵隊さんを看病してあげたいと一途に思って、死ぬような思いまでしてやってきた私には、あまりにも大きな衝撃だった。私は、何度も手で空を切り、けがらわしい想念をふり払おうと努めた。夜はふけて村の祭りの事が次つぎと映り、しだいに涙があふれてきた。そして、涙の中にさっきの女たちの姿や兵隊の顔が浮かんでくるのだった。
 少女の頭ではとても想像できない重圧に、つぶされてしまいそうな気持ちで一夜を過ごした。
 それから毎木曜日、私は慰安婦検診の介助をつとめねばならなかった。

「慰安婦」とは
 日本軍の管理下におかれ、無権利状態のまま一定の期間拘束され、将兵の性交の相手をさせられた女性たち(吉見義明氏による定義。岩波新書『従軍慰安婦』より)。1993年に内閣官房長官をつとめた河野洋平氏の「河野談話」によって、長期に広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したこと、慰安所が軍当局の要請により設営されたものであることを、日本政府は認めている。

いつでも元気 2015.02 No.280

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016年2月16日

元日本軍「慰安婦」の証言集会 ハルモニが求めているのは 生きているうちに解決を―姜さん そこは「死刑場」でした―李さん

 一月二六日~三〇日、全日本民医連は、市民団体や労組と、韓国から元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)を招き、東京・大阪五カ所で証言集会を行いました。看学生などを含む八六二人が参加。おりしも昨年末、日韓両政府が日本軍「慰安婦」問題で“合意”を発表した直後の来日です。内容は求めるものと遠く、ハルモニたちは、この“合意”を認めていません。思い出すのもつらい被害の記憶と、日本政府に何を求めるのかが語られました。(丸山聡子記者)

 来日したのは、被害者が共同生活をする「ナヌムの家」の李玉善(イ・オクソン)さん(88)、姜日出(カン・イルチュル)さん(87)、「ナヌムの家」所長の安信権(アン・シングォン)さん。現在韓国に生存する被害者は四六人、平均年齢は八九・二歳です。

■“合意”当事者抜き
 昨年一二月二八日の日韓合意で日本政府は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と責任を認め、「おわびと反省」を表明しました。
 ところが“合意”は当事者に連絡もなく決まり、当事者が求める「軍の責任を明確に認めた上での謝罪、法的賠償、真相究明、再発防止」とはかけ離れていました。日本が拠出するとした一〇億円も賠償とは違います。
 しかも、合意後には自民党の桜田義孝元文部科学副大臣が「(慰安婦は)職業としての娼婦、ビジネスだ」と発言、政府もこれを正していません。また日本政府は合意後、「慰安婦を強制連行した証拠は見つかっていない」とする見解を国連機関に公式に伝達。“合意”内容を遂行する意思があるのかも疑われる姿勢です。
 「ナヌムの家」のアン所長は、「これは個人の人権と請求権の問題ですが、当事者たちは合意をテレビで知った」と経過を説明。「早期に解決し両国が真に交流できるように、ハルモニの証言を次代に伝えたい」と話しました。

■いまも殴打の後遺症が
 「日本政府になぜ謝罪を求めるのか、皆さんと考えたい」。証言集会で、イさんは語り始めました。生家は貧しく「養女」の名目でよその家で働いていました。一四~一五歳の時、お使いの途中、道端で二人の男に連行されました。
 「行き先は日本軍が中国に作った“慰安所”でした。そこが何をするところか、分かりませんでした。それほど幼い一〇代前半の娘たちが集められていました」と、イさん。少女たちは一日に四〇~五〇人もの日本兵と性交渉を強いられました。耐えきれず自ら命を絶った少女は多数。拒んだ者は、皆の前で殺されました。遺体は通りに捨てられ、野良犬の餌食となり、骨すら残りませんでした。
 逃亡を図ったイさんも、激しく殴られた上、日本刀で斬られるなどの制裁を受けました。いまも腕や足に傷跡が残り、耳や目もこの時の後遺症で不自由です。「私たちが居たのは本当に“慰安”の場だったのでしょうか? そうではありません。“死刑場”です」。
 カンさんも一五歳で中国の慰安所に。「人間扱いされず、お母さんに会いたいと泣くと殴られた」と、頭の傷跡を見せました。「被害のことを話すたび、心で涙を流しています」とカンさん。時折気持ちが高ぶり、語気を強めます。「お金が欲しいのではありません。日本政府は具体的な加害の事実を認め、私たち被害者に直接謝罪すべきです」。

■証言を聞いた職員は
 大阪民医連の林雅大さん(三三、事務)は、初めて証言を聞きました。“合意”発表後、「詫びたのだからいいのでは?」と言う友人がいたり、「韓国では反発が起きている」と報道があったり…。「直接ハルモニから真実を聞きたい」と考えました。参加して、ソウルの日本大使館前で一九九二年から毎週続いている水曜行動(一二〇〇回超)や、史実を遺すため韓国の人たちが大使館前に建てた少女像のことを知りました。
 「この事実を歴史から消すのは絶対おかしい。自分の二人の娘と重ねると胸が詰まって…。過ちを繰り返さぬよう多くの人に知らせたい」と話します。この後、大阪で毎月行われている水曜行動にも林さんは初めて足を運びました。

* *

 二人のハルモニは語ります。 「敗戦後、日本軍は私たちを山奥に残して逃げました。韓国に戻れたのは二〇〇〇年。嘘はついていません。日本の首相はナヌムの家に話を聞きに来てほしい」(イさん)。「生きているうちに解決を。戦争すれば必ず国民が傷つきます。韓国も日本も、他国を侵略してはいけません」(カンさん)。
 当事者たちの尊厳は回復してはいません。早期解決のためにも、この事実を国内に広げる必要があります。

日本軍「慰安婦」…旧日本軍が戦地に設置した「慰安所」で、軍の管理下で兵士との性交渉を強いられた女性。誘拐や暴行・脅迫、人身売買など、当時の刑法や国際条約にも反する形で連行され、外出や性交渉の拒否などの自由はなかった。国際的には「性奴隷」と呼ばれる。朝鮮や中国のほか、フィリピン、インドネシアなど日本が侵略した国の女性が多かった。

(民医連新聞 第1614号 2016年2月15日)


五・一五事件

2020年06月30日 14時18分08秒 | 事件・事故

五・一五事件 (ちくま文庫)

保阪 正康 (著)

農村指導者・橘孝三郎はなぜ五・一五事件に参加したのか。事件後、民衆は彼らを熱狂的に支持した。貧困が生み出した歴史の教訓とは。解説 長山靖生

内容(「BOOK」データベースより)

1932年、海軍青年将校らが起こした5・15事件。犬養首相射殺のほかに農村有志による変電所襲撃も決行され、その指導者は橘孝三郎。農村の改良活動を実践していた橘は、テロへと突き進んでいった。農村と都市の格差のなか、民衆は青年将校たちの減刑を叫んだ。しかし事件は戦争突入への序曲となる…。昭和の転換点を橘孝三郎ら農村の視点からとらえた名著文庫化。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

保阪/正康
1939年、北海道生まれ。同志社大学文学部卒業。日本近代史、とくに昭和史の実証的研究を志し、歴史の中に埋もれた事件・人物のルポルタージュを心がける。個人誌「昭和史講座」を中心とする一連の昭和史研究で菊池寛賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
5・15事件に関する知識がなかったので、読もうと思ったのですが、橘孝三郎という民間人の軌跡を中心として構成されたノンフィクションであり、著者も述べている様に、5・15事件というタイトルが必ずしもふさわしい、とは思われません。主人公が特異な性格、思想を持ち、一部の人間にある意味で利用された(とは著者は言っていませんが)、ということは判りましたが、5・15事件の全体を知りたいという希望からは離れたものでした。
 
 
橘孝三郎という国士の名を一体どれほどの人々が知るだろうか。
昭和生まれの多くの日本人からも、すでに忘れ去られつつある存在となってしまっている。否、もう知る人はわずかだろう。それは歴史の流れにおいて仕方のないことかもしれない。
五・一五事件は単に「青年将校が起こした犬養首相暗殺事件」という昭和初期に起きた一連のクーデター未遂の一つとの認識としか持たれていないのだろう。
五・一五事件が如何にして起きたのかを知るには、当時の我が国における経済的状況、特に地方農村部の深刻な貧困問題を知る必要があるのだが、そのような歴史的背景があった上での事件であり、橘孝三郎とその愛郷塾の登場は必然であったと強く感じる。
農業は国家の土台であるべきで、これに携わる人々を蔑ろにするような国作りはあり得ない。橘孝三郎らが提唱した農本主義という思想というより、「思い」は尊い。私は学生時代に橘孝三郎という人物と農本主義という考えに出会い、心酔した。この農本主義が五・一五事件との連関性が強いがために、どうも今では悪い意味で用いられているようで残念でならない。しかし、本来は農本主義という考えは万国共通であっても良いくらいの理念である。
本書を著した保阪正康氏は生前の橘孝三郎をインタビュー取材した数少ない歴史家・ジャーナリストであり、私は保阪氏の取材によって特に橘ら愛郷塾関係者らが、三上卓ら海軍青年将校らとどう繋がり、五・一五事件へと突き進むのかが知りたく、その描かれ方に関心を持った。また保阪氏が言う他の事件と比べた際の五・一五事件の特異性についても本書では克明に記されていて学べることも多かった。時代の世論や世相を知るという意味で私自身に有益な書籍であった。
しかしながら、保阪氏の思想の問題なのであるのだが、左翼的というか戦後民主主義的のようなところが感じられ、文中にそういう表現を見つける度に幻滅することも少なくなかった。このような大家であっても現在の価値観からしか過去を語れない著者の思想は残念極まりない。一体、橘孝三郎に会っておきながら、何を学んだのか著者への不信感を抱かずにいられなかった。さらに文庫化にあたり多少加筆したのだろうか、若干時代の流れが前後したり、同じ内容のことをダブらせてそれぞれ別のページに描いたりしていてクドかった。例えば後半の川崎長光による西田税暗殺未遂事件についてわざわざ2回も描いてるのはいかがか。そんなこともあり、評価は星3個にしました。
 
 
 

 

 


五・一五事件-海軍青年将校たちの「昭和維新」

2020年06月30日 13時59分34秒 | 事件・事故

 

小山 俊樹 (著)

ロンドン海軍軍縮条約をきっかけに、政党政治を憂えた海軍青年将校、民間右翼らが起こした五・一五事件。首相暗殺、内大臣邸・警視庁を襲撃、変電所爆破による「帝都暗黒化」も目論んだ。

本書は、大川周明、北一輝、橘孝三郎、井上日召ら国家主義者と結合した青年将校らが、天皇親政の「昭和維新」を唱え、兇行に走った軌跡を描く。事件後、政党内閣は崩壊し軍部が台頭。実行犯の減刑嘆願に国民は熱狂する。昭和戦前の最大の分岐点。

著者について

小山俊樹
1976(昭和51)年広島県生まれ.99年京都大学文学部(日本史学専攻)卒.2007年京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了 .博士(人間・環境学).立命館大学文学部講師などを経て,10年帝京大学文学部史学科講師.准教授を経て,17年より帝京大学文学部史学科教授.専攻・日本近現代史. 著書『憲政常道と政党政治――近代日本二大政党制の構想と挫折』(思文閣,2012年)『評伝 森恪――日中対立の焦点』(ウエッジ,2017年) 共著『昭和史講義1~3』(ちくま新書,2015~17年) 『大学でまなぶ日本の歴史』(吉川弘文館,2016年)『日本政治史の中のリーダーたち―― 明治維新から敗戦後の秩序変容まで』(京都大学学術出版会,2018年)他多数
 
 
五一五事件だけでなく、これをきっかけとしたほかの事件や日本の状況を余すとこなく伝えてくれる。事件当事者達のその後の人生にも記載されている。この作品は、五一五事件を中心とする作品では古典になるのではないか。
新書ではあるが、大作である。
 
 
なんとも後味の悪い不愉快な読後感の本であった。通常の研究者なら自由と民主主義の信奉者で、その自由と民主主義の萌芽は戦前にもあって、そのようやく根付き花開こうとした日本の民主主義を根底から破壊したのが5.15事件に始まる軍部のテロで、だからこそ5.15事件を引き起こした海軍青年将校は「絶対悪」という明快なスタンスを取るはずである。
その絶対悪が死刑にもならず無期だの懲役15年だのの軽微な判決しか受けず、その後の恩赦でのうのうと社会復帰を果たし、その後も何度もテロを含む陰謀に加担し、あろうことか三上卓なる「絶対悪」は戦後も「三無事件」なる自衛隊を巻き込んだ軍事クーデター未遂事件に関与している。血盟団なるテロ組織を率いた井上日召なる狂人も1967年まで生き延びている。井上準之助を射殺した小沼正も1978年まで生き延び、三井財閥の理事長団琢磨を射殺した菱沼五郎も1990年まで生き延びている。こんな理不尽さがどうして許されていいのか。こういう普通の感覚を持つ人間なら当然持つはずの理不尽なテロに対する怒りが、この本の著者には全くない。

全くないどころかむしろテロリストたちに同情し、その「純真な」動機を褒めたたえている。本書はまるで血盟団事件や5.15事件を礼賛するプロパガンダ本のような構成になっている。おそらく著者の小山俊樹は「反体制」なのであろう。貧乏人が金持ちを殺すのは当然の権利だぐらいに考えているのではないか。

確かに1930年代の農村経済は悲惨だった。コメの過剰生産で米価は低迷し、その減収分を補うべく農家がせっせと生産していた生糸が全く売れなくなったのだから。なぜ生糸が売れなくなったのか。その正確な原因を戦後の教科書は隠してきた。なんとなく世界大恐慌のせい、不景気のせいとし、要するに資本主義が行き詰ったからみたいに話を誘導していくが、違う。
アメリカの総合化学メーカーであるデュポンが発明したナイロンが爆発的にヒットし、これまでアメリカの女性のストッキングの原料であった日本の絹糸を市場から駆逐したのが本当の原因だったのである。なんのことはない。日本の生糸はアメリカとの技術競争に敗れたのである。ただ、この影響が甚大だったのだ。何といっても生糸は戦前の日本の数少ない主力商品だったのだから。戦前の日本は農家が紡ぐ生糸を輸出してアメリカら石油だのくず鉄だのを買っていた。戦前の日本は今のような自動車や鉄鋼を輸出できる国ではなかったのである。

こうした農村の疲弊や格差の拡大と、それに対する反発は19世紀末の欧州やアメリカでも起きていた。アナルコサンディカリズムによる無差別テロ、アナーキストによる無差別爆弾テロはパリやロンドン、マドリードで頻発し、おちおちカフェでコーヒーも飲めなかったのが19世紀末の欧州なのである。アメリカのマッキンリー大統領もテロで殺されている。

日本の右翼の特徴は、難解な漢語を羅列しては悦にいる癖があることである。そのよい例が204ページに書いてある「青年の歌(昭和維新の歌)」の歌詞である。「汨羅」「巫山」「社稷」「万朶」と意味不明な漢語の羅列が続く。社稷はそれでも戦前はそれなりに使ったようだが、戦後は絶えている。ほかに「天壌無窮」「統帥権干犯」がある。そもそも人間の行うことは単純で、簡単な表現を使えばいくらでも簡単にいうことができる。ただ、頭が良くないと、物事を簡単にいうことはできない。物事を簡単に言う為には物事の本質を理解していないと出来ない。
だから頭の悪い連中は難解な漢語を振り回しては「分かったふり」をするのだと私は考えている。笑ってしまうのが、三上卓ら海軍のテロリストが至高の理想社会とした「一君万民の平等社会」である。一君万民の平等社会は有史以来、この日本列島で一度たりとも実現したことなどない。社会には必ず豪族がいて、官僚がいて、管理者がいて、彼らが庶民より高い報酬をえていたに違いないのである。この程度のことすら理解できないほど、昭和維新を叫んだ連中は愚かであった。彼ら海軍将校は利用されたのである。

では海軍将校テロリストを利用したのは誰か。著者の意図とは別に、それがロンドン海軍軍縮条約で国際協調を重視する条約派に煮え湯を飲まされた海軍の艦隊派であることが分かる。艦隊派というと、すぐに加藤寛治海軍大将や末次信正海軍大将が出てくるが、これも作られた印象操作だ。本当に悪い奴らは日露戦争の英雄である東郷平八郎元帥であり、同じく日露戦争に従軍した伏見宮博恭海軍令部総長である。特に悪いのは伏見宮で、こやつが大角岑生海軍大臣に圧力をかけて、悪名高い「大角人事」を断行させ、海軍の良識派=条約派のエリートを海軍の中枢から一掃してしまったのである。この伏見宮博恭による条約派一層の人事抗争の手段として5.15事件は利用されたのである。
これには陸軍の一部とメディアも絡んでいる。メディアは売上部数欲しさに自ら進んで5.15事件首謀者の助命嘆願運動に加わり、日本の民主主義を理不尽な暴力で破壊した極悪人どもを、無垢で純真な社会を憂える青年将校という「間違ったイメージ」に作り替えるのに積極的に貢献し、これを日本国民に刷り込んだのである。このテロリストを利用する海軍艦隊派とメディアの共謀関係は、もっと糾弾されていい。

5.15事件の首謀者実行犯の助命を求める血書嘆願書の類は、確かに全国から集まった。しかし私が敬愛する山本夏彦さんは冷たく言い放っている。「あつまったんじゃない。メディアが集めたんだ」

戦後の日本はメディアも学会も、この伏見宮博恭が絶望的な対米開戦に果たした負の役割について、長らく口を閉ざしてきた。伏見宮が行った「絶対悪」を糾弾すれば、その累は必ず昭和天皇陛下に及び、ひいては天皇制そのものを揺るがしかねない。それを恐れたのではないか。天皇制を絶対悪と決めつける日本共産党の勢力も戦後の日本ではまだまだ強かったことを考えると、そうメディアや学会が考えたとしても頷ける。しかし平成天皇陛下のたゆまざる努力によって、いまや天皇制は日本社会に完全に根付き、日本国民のほとんどが天皇制を支持するに至っている。いまだに天皇陛下を「天ちゃん」などと不敬な呼称で呼んでいるのは75歳を過ぎた団塊オヤジだけである。だとすれば、そろそろ伏見宮博恭の真実を公言しても構わないのではないか。伏見宮こそが日本を滅亡に追い込んだ張本人の一人だと指弾する環境は整っているのではないか。

5.15事件に続いて陸軍青年将校が主体となった、より大規模な軍事クーデター、2.26事件が1936年に起きているが、海軍と違い陸軍はテロリストを許さず、北一輝含む首謀者の多くを死刑に処している。その意味では海軍よりも陸軍の方が組織の統制が取れていたともいえる。

驚くのは事件を起こした海軍青年将校の計画の幼稚さ、杜撰さである。首相官邸がどこかも知らない田舎者が、よくテロなんか計画したものだ。もっと悲惨なのが当時の警視庁の警備体制である。警備局は何をしていたのか。公安警察は何をしていたのか。当時は特別高等警察もあったんだろう。何をやっていたんだ。当時の首相官邸の警備体制は、まるでど田舎の駐在さんレベルである。

笑えるのは日本を滅亡に追い込んだ海軍艦隊派のほとんどが自らが種をまき、引き起こしたアメリカとの絶望的な戦争の結果を見ることなく死んでいることである。明治以来我が国が営々と築き上げてきた帝国海軍艦艇のほぼ全てがアメリカ海軍により撃沈され、文字通り帝国海軍は滅亡している。真珠湾攻撃時の連合艦隊の旗艦戦艦長門は撃沈されずに生き残った数少ない軍艦だが、アメリカ海軍によりビキニ環礁まで曳航され、原爆実験の標的にされている。しかし、こうした屈辱的仕打ちを受けた帝国海軍の悲惨な末路を対米決戦を煽った艦隊派は見届けていないのである。これだけが私には残念でならないのである。
 
 
五・一五事件の纏まった本が欲しかったので購入。事件前後の出来事も含めて詳しく書かれています。ただ私には少し読み辛かった。①誰が誰に会ったという類の木を見て森を見ない傾向。②キーワードらしき「〇〇」が多用されて内容がすんなり入ってこない。③時系列が前後する部分がある。等々・・・つまるところ青年将校たちは憎んでもいない犬養首相殺害や発電所攻撃をして何をしたかったのかな。彼らはあたかも幕末の尊皇攘夷運動に奔走した志士気取りに見えますが、「ひと暴れすれば何かが起きる」的で将来構想を持たない迷惑な行動だと思います。或いは明治維新で尊皇攘夷が実現できず尊皇開国に止まったことへの総決算的な考えがあったのかなとも思いました。
 
 
二・二六事件の本は数多いが、五・一五事件の本は少ない。この本は五・一五当日のリアルな再現から始まって、思想指導者の藤井斉の軌跡、浜口首相狙撃以後五・一五までのテロの実行と進む。後半は、事件の黒幕の推理と事件前後の政治変動の分析、法廷闘争、戦後と進む。法廷闘争と戦後の主役は犬養首相射殺実行犯で、軍法会議で名演説をうち、6年の刑期で釈放される三上卓。
歴史書であるが、後半は三上卓を主人公とした伝記小説のような雰囲気にもなってくる。面白いが、法廷闘争、戦後と進むと、だんだん怖くなってきた。著者は歴史家なのに、農村の窮乏と、富裕層優遇の政党政治に、激しく怒って立ち上がり、クーデターとテロを実行した被告達に感情移入し、その行為を評価しているようだから。青年将校達は犬養首相に何の恨みもなく、首相であったので、国家改造の犠牲として殺したにすぎない、と著者が自説を繰り返し主張すると、著者がテロリストと一体化しているようにも見えてくる。
二・二六事件の本は数多いが、五・一五事件の本は少ない。この本は五・一五当日のリアルな再現から始まって、思想指導者の藤井斉の軌跡、浜口首相狙撃以後五・一五までのテロの実行と進む。後半は、事件の黒幕の推理と事件前後の政治変動の分析、法廷闘争、戦後と進む。法廷闘争と戦後の主役は犬養首相射殺実行犯で、軍法会議で名演説をうち、6年の刑期で釈放される三上卓。
歴史書であるが、後半は三上卓を主人公とした伝記小説のような雰囲気にもなってくる。面白いが、法廷闘争、戦後と進むと、だんだん怖くなってきた。著者は歴史家なのに、農村の窮乏と、富裕層優遇の政党政治に、激しく怒って立ち上がり、クーデターとテロを実行した被告達に感情移入し、その行為を評価しているようだから。青年将校達は犬養首相に何の恨みもなく、首相であったので、国家改造の犠牲として殺したにすぎない、と著者が自説を繰り返し主張すると、著者がテロリストと一体化しているようにも見えてくる。
大力作だが、怖かったので、星は4つで。
 
 
 研究の少ない五・一五事件の本格的な研究書である。
 大正期からの海軍軍人中心による国家改造運動。それが、リーダー藤井斉の死などもあり、
大規模なクーデター計画から、政府要人へのテロへと縮小していく。しかも、計画通りには行かない。
 首相である犬養毅の死後、軍部と政党の対立のなか天皇の政党への不信から穏健派軍人の斎藤実内閣が
成立して、政党政治は終わる。
 事件を起こした軍人らの裁判のなかで、彼らの主張への共感や同情により、減刑運動がおこる。
 裁判後、服役していた軍人らは、減刑で出獄する。中には三上卓のように、政治の世界で活動するものもいた。
 この事件後、現状維持か、昭和維新かという二つの潮流がはっきりと渦巻くようになる。こうした、時代の転換点を象徴する事件であったことが、良く理解できる書である。
 
 
 

河井前法相夫妻側へ提供の1億5000万円使途、自民は未確認 「書類押収された」

2020年06月30日 13時42分43秒 | 事件・事故

配信

前法相の河井克行容疑者(広島3区)と妻の案里容疑者(参院広島)が逮捕された公選法違反事件を巡り、昨年7月の参院選公示前に自民党本部が夫妻の党支部に提供した1億5千万円について、検察当局が夫妻の事務所などを家宅捜索して関係書類を押収したため、党として使途の詳細を確認できていないことが29日、分かった。
中国新聞の質問に同党幹事長室が文書で回答した。
二階俊博幹事長は17日、1億5千万円の使途を「支部の立ち上げに伴う党勢拡大のための広報紙を複数回、全県配布した費用に充てられたと報告を受けている」と話した。
ところが23日には「党として支出した先がどうなったか細かく追及しておらず、承知していない」と従来と食い違う説明をしていた。
 幹事長室は回答文書で、広報紙に使ったとの報告が実は参院選の前だったことを明らかにした。さらに、夫妻の党支部からは政党交付金の使途等報告書が詳細を「不明」としたまま党本部へ提出されていたことも分かった。  
1億5千万円のうち1億2千万円の原資が、税金などで賄われる政党交付金と中国新聞の取材で判明している。
幹事長室は政党交付金に関し、従来は「各支部に対し公認会計士による監査を行っているため、買収に使うことができないシステム」としていた。
今回の回答文書では、夫妻の党支部は使途を具体的に証明する領収証などを押収され、チェックができていないことを認めた。
 幹事長室は関係書類が戻り次第、「党の公認会計士が監査を行い、報告書の手続きを進める」とした。

中国新聞社

 

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北大学長を解任 「威圧的な言動」認定 萩生田文科相

2020年06月30日 13時42分43秒 | 事件・事故

配信

萩生田光一文部科学相は30日の記者会見で、北海道大名和豊春学長(66)を同日付で解任したと発表した。
【写真】萩生田光一文部科学相  北大の学長選考会議が2019年7月、パワハラを理由に解任相当とする申し出を文科相に行っていた。04年の国立大学法人化後、学長の解任は初めて。
 文科省によると、名和氏への聴聞や選考会議が提出した資料から、北大の役職員に対する威圧的な言動や過度な叱責などがあったと認定。
国立大学法人法が解任理由に定める「学長に適しないと認められるとき」に該当すると判断したという。  
同法は、選考会議の申し出を受け、心身の故障や職務上の義務違反のほか、「役員たるに適しないと認めるとき」に、文科相は学長を解任できると定めている。
 萩生田氏は「選考会議の申し出を重く受け止め、省内で検討を行い慎重に判断した。このような事態になったことは誠に遺憾だ」と述べた。 
 

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