血液的に純粋な日本人は存在するのか?

2025年01月17日 23時11分38秒 | その気になる言葉

2024年4月18日

理化学研究所

全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴

-ネアンデルタール人・デニソワ人の遺伝子混入と自然選択-

理化学研究所(理研)生命医科学研究センター ゲノム解析応用研究チームの寺尾 知可史 チームリーダー(静岡県立総合病院 臨床研究部 免疫研究部長、静岡県立大学 薬学部ゲノム病態解析講座 特任教授)、劉 暁渓 上級研究員(研究当時:ゲノム解析応用研究チーム 研究員; 静岡県立総合病院 臨床研究部 研究員)、東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センター シークエンス技術開発分野の松田 浩一 特任教授らの共同研究グループは、大規模な日本人の全ゲノムシークエンス(WGS)[1]情報を分析し、日本人集団の遺伝的構造、ネアンデルタール人[2]およびデニソワ人[3]由来のDNAと病気の関連性、そしてゲノムの自然選択が影響を及ぼしている領域を複数発見しました。

本研究成果は、日本人集団の遺伝的特徴や起源の理解、さらには個別化医療[4]や創薬研究への貢献が期待されます。

今回、共同研究グループは、バイオバンク・ジャパン(BBJ)[5]が提供した3,256人分の日本人の全ゲノム情報を分析しました。

この研究を通じて、日本人の祖先に関わる三つの源流(縄文系祖先、関西系祖先、東北系祖先)の起源を明らかにしました。

また、現生人類(ホモ・サピエンス)の最も近縁とされる古代型人類ネアンデルタール人やデニソワ人から受け継いだ遺伝子領域を特定しました。

一部の日本人が持つNKX6-1遺伝子領域は、2型糖尿病リスクと関連しており、この領域がデニソワ人由来であることが明らかになりました。

さらに、日本人の遺伝子における自然選択が作用している領域も同定しました。

本研究は、科学雑誌『Science Advances』オンライン版(4月17日付:日本時間4月18日)に掲載されました。

大規模な日本人の全ゲノムシーケンスから日本人集団の遺伝的構造などを解明の図

大規模な日本人の全ゲノムシーケンスから日本人集団の遺伝的構造などを解明

背景

全ゲノムシークエンス(WGS)データは、遺伝学および生物医学で不可欠なものとなっています。WGSデータの分析を通じて、人間の遺伝的多様性や自然選択のプロセスを理解する上での新たな扉が開かれました。

また、個別化医療や創薬研究におけるゲノムワイド関連解析(GWAS)の解析能力を格段に向上させ、病気に関わるバリアントの同定や治療標的の特定へとつながっています。

しかし、日本人集団を対象としたWGS研究は、限定的な規模にとどまっていました。このギャップを埋めるため、共同研究グループは全国7地域から集めた3,256人分のゲノム情報を解析し、日本人特有の遺伝的特徴を明らかにすることを企図しました。

この大規模なデータセットにより、日本人の遺伝的起源、ネアンデルタール人やデニソワ人との遺伝的つながり、そして自然選択のプロセスに新たな光を当てることができました。

研究手法と成果

バイオバンク・ジャパン(BBJ)により、全国7地域(北海道、東北、関東、中部、関西、九州、沖縄)の医療機関に登録された合計3,256人分の全ゲノムシーケンス(WGS)を行って、「Japanese Encyclopedia of Whole/Exome Sequencing Library(JEWEL)」というデータセットが作成されました(図1A)。

この最終データセットは、45,586,919個のSNV[6]と9,113,420個のindel[7]を含み、そのうち15,410,953個(32.7%)がJEWELで新たに観察されたバリアント[8]です。

これは日本における最も包括的な全ゲノムシーケンスデータの一つです。日本人の集団構造を理解するために、まずコモンバリアント[8]に基づいて従来の主成分分析(PCA)[9]を行いました。

以前の研究と同様に、この分析から沖縄と本土クラスターの二重構造が再現されました(図1B)。

レアバリアント[8]が人口構造を明らかにする上でより多くの情報を提供する可能性があると仮定し、1,835,116個のレアバリアントを使用した次元削減(PCA-UMAP)分析[10]を行いました。

この分析により、日本人口の前例のない遺伝構造が明らかになりました(図1C)。

この構造は、コモンバリアントに基づいてPCAから得られたパターンを再現するだけでなく、いくつかの顕著な特徴を示しています。

具体的には次の通りです。

  • 1)本土の領域間のより明確な分離と、本土クラスターから沖縄クラスターのより明確な区別が観察されます。
  • 2)東北の人々が細長いエリアにクラスタリングされます。

さらに、WGSのデータADMIXTURE分析[11]による解析結果は、日本人口は三つの祖先(以下、K1、K2、K3)の混合によって最もよくモデル化できることを示唆しています。

K1、K2、K3はそれぞれ沖縄、東北、関西で最も高まります(図1D)。

K1(沖縄)成分は、南(沖縄に隣接する地域)を除く本土のサブグループで比較的安定した割合の約12%を維持し、南ではより高い割合の22%を示しました。

K2(東北)とK3(関西)成分は西から東北へ徐々に変化していくことが分かります(図1D)。

全ゲノムシーケンスデータを使用した日本人集団構造結果の図

図1 全ゲノムシーケンスデータを使用した日本人集団構造結果

  • A)サンプルが集められた日本の七つの地域。
  • B)コモンバリアントを基にしたPCA分析を行い、参加者を集めた地域ごとに色分けした。
  • C)レアバリアントに基づくPCA-UMAP分析を示す。
  • B)、C)では、一つ一つの点が個人を表しており、点と点との距離は遺伝学的な違いを反映している。近い点ほど遺伝学的には近縁である。この二つの図では、出身地を元にした遺伝背景の違いにより、色分けして表示している。
  • D)ADMIXTURE分析を行い、三つの集団(K=3)に分けた。沖縄以外の地域からはランダムに100人を選び、沖縄からは全員(28人)をそれぞれ分析した。K1は沖縄、K2とK3はそれぞれ東北と関西で最も高い値を示す。

以前の研究により、日本人が縄文人および東アジア(EA、主に漢民族)の祖先を持つことが示唆されています。

最近の古代ゲノムの分析からは、北東アジア(NEA)の祖先の影響も指摘されています。

この背景のもと、共同研究グループは、縄文、EA、NEAの現代および古代の遺伝データを今回のデータと共に分析しました。

縄文の祖先比率については、沖縄が最も高い比率(28.5%)を持ち、次いで東北(18.9%)である一方、関西が最も低い(13.4%)と推定されました。

これは、縄文人と沖縄の人々の間に高い遺伝的親和性があることを示す以前の研究と一致しています。

また、関西地方は漢民族と遺伝的親和性が高いことが明らかになりました。

さらに、共同研究グループは中国、韓国、日本から報告された古代人ゲノムデータを使って、東北と関西の間の遺伝的親和性の違いを評価しました。

その結果、関西人と黄河(YR)またはその上流地域の中新石器時代および後新石器時代古代中国集団との間に顕著に密接な関係があることが見受けられました。

対照的に、東北地方の個体は、縄文人との遺伝的親和性が顕著に高く、また沖縄の宮古島の古代日本人ゲノム(高い縄文比率を持つ)や韓国三国時代(4~5世紀)の古代韓国人とも高い遺伝的親和性を持つことが示されました。

共同研究グループは、絶滅したネアンデルタール人やデニソワ人から引き継がれた可能性のある遺伝子配列を検出するために、最新の確率的手法IBDmix[12]を使用しました。

JEWELの個々のデータ分析により、ネアンデルタール人由来の約49Mb(メガ・ベース:DNAの長さの単位で1Mbは100万塩基対)とデニソワ人由来の約1.47Mbの遺伝子配列が検出されました。

合計で、ネアンデルタール人から引き継がれた可能性が高い3,079セグメント(ゲノム領域)とデニソワ人から引き継がれた可能性の高い210セグメントが特定され、それぞれ772Mbと31.46Mbのゲノムをカバーしています(図2)。

日本人集団におけるネアンデルタール人またはデニソワ人から混入されたDNA配列の図

図2 日本人集団におけるネアンデルタール人またはデニソワ人から混入されたDNA配列

各染色体にわたり混入された配列の分布を示す密度プロット。

上部のトラック(青で示される)はネアンデルタール人から直接受け継がれたと考えられる配列を表し、下部のトラック(赤で示される)はデニソワ人からの配列を示す。

BBJからGWASの結果に基づいて、引き継がれた配列が106の表現型に与える影響を調査しました。デニソワ人由来2個とネアンデルタール人由来42個を含む44の領域と49の表現型とが関連付けられました。これらのうち43の関連は、以前の研究では報告されていません。

特に、POLR3Eのデニソワ人由来セグメントは身長と、NKX6-1のセグメントは2型糖尿病(T2D)と関連していました(図3)。

デニソワ人から混入された遺伝子の図

図3 デニソワ人から混入された遺伝子

NKX6-1遺伝子の領域におけるデニソワ人から直接受け継がれたと考えられる変異は、日本人集団における2型糖尿病(T2D)と関連している。横軸にヒトゲノム染色体上の位置、縦軸に各変異のT2Dとの関連の強さを示した。

三角形はデニソワ人から受け継がれた変異を指し、灰色の点はそれ以外の変異を示す。

さらに、ネアンデルタール人由来のセグメントはT2D、冠状動脈疾患(CAD)、安定狭心症(SAP)、アトピー性皮膚炎(AD)、グレーブス病(GD)、前立腺がん(PrCa)、関節リウマチ(RA)など七つの病気と関連する11の領域が観察されました。

これらの発見は、特に東アジア人において顕著な集団特異性を示しており、日本人におけるアリル頻度[13]の中央値が欧州人と比較して21.5倍であることが分かりました。

共同研究グループは、日本人口において選択された可能性があるゲノム領域を特定するために、全ゲノムスキャンを、iHS[14]FastSMC[15]という二つの方法で実施しました。

法により、共同研究グループは全ゲノム(MHC、ADHクラスター、およびALDH2を含む)の有意水準で正の選択下にある三つの領域を特定しました(図4A)。

さらに、関西、関東、東北、九州、沖縄の五つの代表的な地域を横断する選択プロファイルの潜在的な地域差を探りました。

本州地域全体で類似の選択プロファイルが観察されましたが、アルコール代謝に関係するADHクラスターシグナルは沖縄では比較的弱く、ALDH2遺伝子領域への自然選択は本土集団でのみ検出されました。

これらの差異は、沖縄のサンプルサイズが限られているため、または選択圧が異なる可能性があるため、さらなる研究が必要です。さらに、iHS法で観察されたシグナルを検証する補完的なアプローチとしてFastSMC法を使用しました(図4B)。

この方法は、過去50世代で選択の対象となった可能性がある四つの候補領域を特定しました。

これには、iHS法で有意であった三つの領域(ADH、ALDH2、MHC)と、候補領域2p25.3が含まれます。

これら三つの領域(ADH、ALDH2、MHC)は、以前の研究でも検出されており、日本人口における自己免疫系とアルコール代謝経路への強い選択圧の存在をさらに裏付けるものです。

自然選択検出の結果の図

図4 自然選択検出の結果

  • A:iHS法では、自然選択された可能性のある三つのゲノム領域が特定された。
  • B:FastSMC法では、自然選択された可能性のある四つのゲノム領域が特定された。
    グラフの横軸は染色体上の位置、縦軸は自然選択の痕跡の強さを表す。
  • プロットは各領域の解析結果を示し、縦軸の値が大きいほど強く自然選択の影響を受けたことを意味する。

今後の期待

この研究は、日本人の起源について重要な洞察を提供しています。

今まで「二重構造」モデル[16]、つまり縄文時代の狩猟採集民と大陸からの弥生時代の稲作移民の混血により現代の日本人が形成されたという説は広く受け入れられてきました。

最近日本列島の遺跡から出土した人骨のゲノムの研究による「三重構造」モデル[17]、すなわち、縄文人の祖先集団、北東アジアに起源を持ち弥生時代に日本に渡ってきた集団、そして東アジアに起源を持ち古墳時代に日本に渡ってきた集団の三集団の混血により日本人が形成されたという説が提唱されました。

しかし、先行研究で用いられた古人骨全ゲノムのサンプル数は制限されており、より多くの解析が必要と考えられていました。

本研究は、大規模な現代日本人ゲノム情報に基づいて、この三重構造モデルの裏付けになり、日本の人口構造をより適切に説明する可能性があると考えられます。

さらに、本研究では初めて日本人の遺伝的構造に対する東北地方人の祖先の影響の重要性が強調されました。

東北地方は歴史的に蝦夷(エミシ)が居住していた地域であり、彼らの起源を調べる必要があります。

遺伝的分析により、現生人類に非常に近い、絶滅したネアンデルタール人やデニソワ人から引き継がれたDNAが現代日本人の遺伝的多様性にどのように寄与しているか、またその病気感受性や表現型特性に与える影響はどうか、という点についての理解が深まりました。

さらに、ALDH2やADHクラスターなど進化的選択を受けた特定遺伝子が日本人の免疫応答やアルコール代謝に重要な役割を果たしていることがすでに示されています。

これらの遺伝特性が健康や疾患リスクにどのように影響するかについて、さらなる研究が期待されます。

この研究は、日本における遺伝学研究の新たなマイルストーンを築き、個別化医療の実現に向けた大きな一歩を踏み出すものです。

まず希少遺伝変異、特定集団に特有の変異、疾患関連遺伝子の機能解析に貢献します。

これらの遺伝的要素を深く理解することで、病気の原因となる遺伝要因の同定が可能になり、新たな治療法の開発ができるようになると期待されます。

さらに、日本人を含む東アジアや世界各地の人々の遺伝的起源と人類史を理解する上で重要な基礎となります。

得られた知見は、日本人集団だけでなく、世界の人々に対する個別化医療の発展や新薬の発見にも役立つことが期待されます。

将来の研究では、より多くのサンプルと遺伝子解析技術を活用することで、よりよい医療ソリューションの提供につながることが期待されます。

補足説明

  • 1.全ゲノムシークエンス(WGS)
    マイクロアレイとは異なり、全ゲノム領域でDNAシークエンスを行い、遺伝子配列を決定する技術。
  • マイクロアレイでは捉えることが難しい頻度の低いSNPの検出などに有用である。次世代シークエンサーの登場と改良により、シークエンスの精度改善とコスト低下が進んでおり、今後さらに需要が高まることが期待される。WGSはWhole Genome Sequenceの略。
  • 2.ネアンデルタール人
    ホモサピエンスとの共通祖先から分離した別系統の人類と考えられている。
  • 3.デニソワ人
    ネアンデルタール人の兄弟種である可能性が高いが、現生人類とネアンデルタール人の混血によって生まれたのではないかという議論もある。
  • 4.個別化医療
    一人一人の体質・病気のタイプに合わせた治療を行うこと。例えば、体質・病気に関連している遺伝子を詳細に調べた上で治療を行う。
  • 5.バイオバンク・ジャパン(BBJ)
    日本人集団27万人を対象とした生体試料のバイオバンクで、東京大学医科学研究所内に設置されている。
  • 理化学研究所などが取得した約27万人のゲノムデータを保有する。
  • オーダーメイド医療の実現プログラム、ゲノム研究バイオバンク事業などを通じて事業が実施され、ゲノムDNAや血清サンプルを臨床情報とともに収集し、研究者へのデータ提供や分譲を行っている。
  • 6.SNV
    一塩基バリアント。ゲノム配列において、ある領域でDNAの塩基配列が個人間で一塩基のみ異なる多様性のこと。SNVはsingle nucleotide variantの略。
  • 7.indel
    ゲノム配列における塩基配列の挿入(insertion)または欠失(deletion)のどちらかあるいは両方。
  • 8.バリアント、コモンバリアント、レアバリアント
    バリアントとは、遺伝子の個体ごとの塩基配列の違いのことで、対立遺伝子(アレル頻度)を保有している割合が高いもの(1%以上)がコモンバリアント、低い(1%未満)ものがレアバリアントである。
  • 9.主成分分析(PCA)
    集団遺伝学で用いられる解析手法の一つ。PCAを用いてゲノム全体にわたる大量のSNP(single nucleotide polymorphism:一塩基多型)の情報を解析すると、各個人が遺伝背景に応じた位置にプロットされるため、個人の間の遺伝的な距離を可視化することができる。
  • SNPとは、ヒトゲノム上の個人差の一つで、ヒトゲノムに約1,000万カ所存在する一塩基の違い。PCAはprincipal component analysisの略。
  • 10.次元削減(PCA-UMAP)分析
    データ解析手法の一つ。PCAと組み合わせることで、PCAだけでは区別できない詳細な個人間の遺伝背景の違いを可視化することができる。UPAMはuniform manifold approximation and projectionの略。
  • 11.ADMIXTURE分析
    人々の遺伝的背景が、異なる集団からどのように来ているかを調べる方法。これを使うと、個人のDNAが異なる地理的または民族的集団からどの程度混ざっているかを推定できる。
  • 12.IBDmix
    現代人のゲノム内における古代人の遺伝子の混入を特定するための方法。
  • この方法は、遺伝的に関連する個体間で共有されるDNAの断片を探し出すことに基づいている。
  • 具体的には、現代人とネアンデルタール人やデニソワ人などの古代人との間で共有されるDNAの部分を特定し、現代人の遺伝子に古代人から直接受け継がれた遺伝子がどの程度含まれているかを分析する。IBDmixはidentity by descent mixingの略。
  • 13.アリル頻度
    ある集団において特定のSNPが出現する頻度をいう。アリル頻度は人種により大きく異なる。
  • 14.iHS
    自然選択によって有利な遺伝領域が選択されると、その領域の集団頻度が急速に増加する。このようなゲノム領域を検出する方法。iHSはintegrated haplotype scoreの略。
  • 15.FastSMC
    ゲノム全領域における自然選択の痕跡を定量化する解析手法の一つ。各ゲノム領域内に含まれる複数のバリアントの共通祖先の系譜を高速に探索することで、数十万人規模のゲノム情報に対する自然選択の解析を可能にしている。
  • 16.「二重構造」モデル
    埴原和郎(ハニハラ・カズロウ)氏による仮説。日本人の祖先集団は、縄文人、そして北東アジアから渡来した弥生人に由来しており、この2集団は日本列島内で徐々に混血したが、アイヌ人と南西諸島の人においては、北東アジアからの渡来人の影響は少なかった、とする説。
  • 17.「三重構造」モデル
    日本人の祖先集団は、縄文祖先、北東アジア祖先、東アジア祖先に由来しており、この3集団は日本列島内で徐々に混血したとする説。

共同研究グループ

理化学研究所 生命医科学研究センター
ゲノム解析応用研究チーム
チームリーダー 寺尾 知可史(テラオ・チカシ)
(静岡県立総合病院 臨床研究部 免疫研究部長、静岡県立大学 薬学部ゲノム病態解析講座 特任教授)
上級研究員(研究当時 研究員; 静岡県立総合病院 臨床研究部 研究員)劉 暁渓(リュウ・ギョウケイ)
研究員 石川 優樹(イシカワ・ユウキ)
研究員(研究当時)小杉 俊一(コスギ・シュンイチ)
(現 客員研究員)
客員研究員 小池 良直(コイケ・ヨシナオ)
上級技師 冨塚 耕平(トミヅカ・コウヘイ)
客員研究員 伊藤 修司(イトウ・シュウジ)
ファーマコゲノミクス研究チーム
特別研究員 曳野 圭子(ヒキノ・ケイコ)
基盤技術開発研究チーム
チームリーダー 桃沢 幸秀(モモザワ・ユキヒデ)
テクニカルスタッフ(研究当時)髙田 定暁(タカタ・サダアキ)
人材派遣 鈴木 邦彦(スズキ・クニヒコ)
骨関節疾患研究チーム(研究当時)
チームリーダー(研究当時)池川 志郎(イケガワ・シロウ)
(現 ゲノム解析応用研究チーム 客員主管研究員)
循環器ゲノミクス・インフォマティクス研究チーム
チームリーダー 伊藤 薫(イトウ・カオル)
特別研究員(研究当時)小山 智史(コヤマ・サトシ)
(現 Broad Institute of MIT and Harvard Research Fellow(米国))
糖尿病・代謝ゲノム疾患研究チーム(研究当時)
チームリーダー(研究当時)堀越 桃子(ホリコシ・モモコ)
(現 ゲノム解析応用研究チーム 客員主管研究員)

東京大学 大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻
複雑形質ゲノム解析分野
教授 鎌谷 洋一郎(カマタニ・ヨウイチロウ)
助教 小井土 大(コイド・マサル)
クリニカルシークエンス分野
教授 松田 浩一(マツダ・コウイチ)
(東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センター シークエンス技術開発分野 特任教授、バイオバンク・ジャパン(BBJ)代表)

金沢大学 人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター
助教 覚張 隆史(ガクハリ・タカシ)

研究支援

本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)ゲノム医療実現バイオバンク利活用プログラム(ゲノム医療実現推進プラットフォーム・先端ゲノム研究開発)「先天的/後天的構造多型に着目した免疫/精神疾患病態解明に関する研究開発」「炎症性関節炎の統合ゲノミクス解析」、同難治性疾患実用化研究事業「シングルセル統合ゲノミクス解析が解き明かす強皮症の病態基盤の開発」、同革新的がん医療実用化研究事業「体細胞モザイクのがん発症および予後因子としての意義解明の開発」、同免疫アレルギー疾患実用化研究事業「先天的・後天的ゲノム情報と臨床情報を用いた関節リウマチの層別化基盤の構築」、同ゲノム医療実現バイオバンク利活用プログラム(ゲノム研究バイオバンク)「利活用を目的とした日本疾患バイオバンクの運営・管理」による助成を受けて行われました。

 


日本人とは?

2025年01月17日 23時07分10秒 | その気になる言葉

日本人Japanese people)とは、日本国国籍を有する[26]や、日本列島に居住する民族[27]集団またはその構成員を指す名称である。より詳しい定義については、定義の章を参照。

本記事では、現代の日本国民の歴史的主体となっている民族の起源、形成、特徴に関する事柄を中心に解説を展開する。

定義

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法律上の定義

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日本国内の法律によると、「日本人」とは、日本国籍を持つ人のことを指し、その対義語は「外国人」である(国籍法第4条)。「日本国民」ともいう。

日本国籍は原則として血統主義に従っている。ただし、許可制の帰化制度も存在する。

民族集団として

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他方、日本人という語は、日本列島に起源を持つ下記の民族集団(エスニック集団)に分類される出自および言語・文化を有する人、あるいはそのように見なされる人の呼称でもある。

  • 大和民族狭義の日本民族
  • 琉球民族(大和民族の支族と分類する考え方と大和民族に類した別個の集団とみなす考え方がある)
  • アイヌ民族(日本列島北部の集団)
  • 日本民族(広義の日本民族):大和・琉球、あるいは大和・琉球・アイヌの集合体を一つの民族と考えた場合

もっとも、大和、琉球、アイヌの3人類集団の遺伝的近縁性が判明している[28]

また、同集団間の混合は相当程度に進んでいる。さらに、日本国内では、上記の民族を系譜に持つほとんどの人々は現在、言語や生活様式、習慣などのうえで、大和民族の文化への同化の流れをうけて互いに非常に似ている。例えば孤立した言語であるアイヌ語の母語話者は、ごく僅かな人数、あるいは消滅したと推定されている。

したがって、文化的相違を込めた意味での著しい民族性の違いが残っている場合はむしろ例外的である。一方で、ルーツの違いを込めた意味での民族性の違いを意識する人もいる。

なお、新大陸などへ移民した日本人の子孫のうち、日本語をはじめ日本の民族に特有な文化のほとんどを引き継いでいない人に対しても日本人という呼称が使われることがある。ただし、日本語では、一般に日系人と呼ばれている。

さらに、「日本民族」は日本国民の総体から成る政治的共同体のネーション[注 2]を意味する「民族」(必ずしもエスニック集団でないもの)を指すもう一つの意味をも持っている。

アイデンティティとして

日本人なる集団の境界線を日本への所属・帰属に係る意識すなわちアイデンティティ(同一性)に求めることができる。そのアイデンティティ集団は、以下のように民族的同一性文化的同一性国民的同一性の各観点別に分析できるが、各集合が大いに重なっているため、曖昧な認識を抱える人が多い。

  • 上記日本の民族を自らのアイデンティティとする人。
  • 日本語母語とするなど、日本の文化文明を自らのアイデンティティとする人。
  • 特定の文化・歴史を有する共同体である「日本国民」を自らのアイデンティティとする人。

<朝鮮系渡来氏族> <中国系渡来氏族>

2025年01月17日 20時17分18秒 | その気になる言葉

<朝鮮系渡来氏族>

系 統 No. 氏 姓 関 連 姓 終止 備 考
百済系 MS01 三善克興 間田・冷泉・野上    
MS02 三善康光 山口    
MS03 町田康俊 佐波    
MS04 布施康清      
MS04 佐波義連      
QD01 百済王善光 三松    
QD02 三松豊俊    
OU01 多々良正恒 大内・右田・宇野・朝倉    
OU02 大内盛房 鰐口・得地・問田・鷲頭・益成    
OU03 大内満盛 杉・仁保・末武・黒川    
OU04 杉 貞弘      
OU05 大内弘家 矢田・内藤    
OU06 大内重弘    
OU07 大内弘幸      
OU08 山口盛幸    
OU09 鷲頭盛保    
OU10 右田盛長    
OU11 陶 弘賢    
OU12 宇野清致    
WA01 和 宇奈羅 高野  
AS01 飛鳥部広成    
SI01 白猪胆津 葛井・蕃良・菅野  
FN01 船 王辰爾 御船・菅野・宮原  
TW01 津 王牛 菅野・中科  
新羅系 MY01 三宅豊背古 和田・児島・今木    
MY02 児島高徳 三宅    
MY03 三宅康貞    
UT01 宇喜多宗家 浮田    
UT02 宇喜多秀継 浮田  
UT03 坂崎直盛 中村  
高句麗系 CM01 背奈福徳/高麗若光 高麗・高倉・新井・吉川・勝・新  
CM03 狛 烏賊麻呂 野田・須波・上・西・芝・東  

 

<中国系渡来氏族>

系 統 No. 氏 姓 関 連 姓 終止 備 考
HT01 秦 酒公 太秦・卜市秦・惟宗・伊統・長宗我部・物集・朝原    
HT02 秦 島麻呂 薗・林・東儀・安倍・岡  
HT03 東儀季兼 薗・安倍    
HT04 惟宗永厚 島津・若狭    
HT05 惟宗忠親 執印・国分・市来・樋口・中島・鹿児島    
HT06 秦 大魚 三上・長宗我部    
HT07 長宗我部能俊 江村・久礼田・野田・大黒・瀬本    
HT08 長宗我部文兼 比江山・戸波・島・蒲原・益田  
HT09 卜市秦田来津    
HT10 秦 物主 惟宗・令宗・宗・神保  
HT11 神保国久/国氏      
HT12 秦 大津父 西大路・松本・大西・新大路・市村  
HT13 秦 忠清 大西・祓川・安田・新小路    
HT14 秦 都理 東・南・大南  
SM01 島津忠久 伊作・町田・大隈・中沼    
SM02 島津忠宗 川上・碇山・・蛤良・和泉・佐多・新納・樺山・北郷・石坂    
SM03 島津氏久 桂・喜入・大野・吉利・寺山    
SM04 島津立久 藤野・亀山    
SM05 島津光久      
SM06 島津忠紀    
SM07 島津忠朗    
SM08 島津歳久 板鼻・赤山・山岡  
SM09 島津家久 東郷・本城  
SM10 島津忠将    
SM11 島津忠弘 喜入  
SM12 島津季久    
SM13 川上頼久    
SM14 島津忠氏    
SM15 新納時久    
SM16 樺山資久    
SM17 北郷資忠      
SM18 北郷忠虎 島津  
SM19 伊集院久兼 日置・今給黎・土橋  
後漢 YA01 東漢 掬 民・谷・倉門・石占・呉原・河原・荒井田・坂上・蚊間    
YA02 東漢爾波伎 山口・文山口・大蔵・谷・文・木津・書・丹波    
YA03 調 老人 河崎・黒木・樋口・星野・木屋・椿原・松尾・谷川・恵口    
YA04 星野胤実    
YA05 大蔵広隅 内蔵・原田・秋月・美気・江上・原・三原    
YA06 大蔵種資      
YA07 原田種直    
YA08 秋月種雄      
YA09 秋月種長      
YA10 秋山種美    
YA11 田尻実種    
YA12 江上光種 成冨・佐野  
YA13 高橋種安/頼種      
YA14 立花直次      
YA15 立花種吉/政俊    
YA16 城井種遠 原田・上田    
YA17 原田正種    
SU01 坂上弓束 丹波    
SU02 坂上田村麻呂 土師・井上・村治・安達・生地・武射・匝瑳・沼垂・岡田・中原・村瀬・榎並    
SU03 坂上浄野 平・佐山・矢嶋・田村    
SU04 田村古哲 片倉・田母神    
SU05 田村宗良    
SU06 村治正清 倉・村上・庄屋・辻・呉庭  
SU07 生地尹澄 杉原・北川  
魏(燕) AM01 赤染真高 常世  
HC01 蜂田末武/身狭 青 深根  
TA01 高向徳留/檜前博徳    
渤海 TK01 高 寿覚 深見  
その他 OTH その他      

 


渡来系氏族は大陸の技術や文化を日本にもたらした

2025年01月17日 20時02分20秒 | 社会・文化・政治・経済


縄文時代ないし弥生時代にすでに日本へ渡来した人々がいたことは確かであり、また平安時代以降も日本に渡って来た人々もいたが、歴史上、特に重要な意味をもつのは4世紀末から7世紀後半に移住した中国や朝鮮半島から渡来人およびその子孫といえる。

ここでは、日本の歴史に名を遺した渡来系氏族として、下記の氏族の系図を掲載している。

なお、不確定な部分があること、および同姓でも渡来系でない名字もあることはご承知おき頂きたい(例えば、「町田」は藤原氏にも存在)。
ちなみに、『新撰姓氏録』(815年編纂)に記載される1182氏のうち、渡来系氏族は326氏と3割弱を占める。

その出身地は、漢が163氏,百済が104氏,高麗(高句麗)が41氏,新羅が9氏,任那が9氏であった。渡来系氏族は大陸の技術や文化を日本にもたらし、大和朝廷では官人として登用されるなど優遇される者も少なくなかった。

【名字索引】

 ※ 読み方が幾通りかあるものは、括弧に示す読み方で整理しています

分類 渡来氏族
ア 行 安宿部・宇喜多(浮田)大内・小野・赤染・秋月・伊集院・太秦・江上・大西・大蔵・生地(オンヂ)
カ 行 百済王高麗児島樺山川上喜入(キイレ)惟宗(コウ)
サ 行 白猪・右田・・佐波・背奈菅野坂崎坂上島津調・城井・神保
タ 行 ・高橋・高向・田尻・多々良・立花・田村・長宗我部東儀
ナ 行 新納(ニイロ)
ハ 行 ・布施・蜂田・原田・檜前(ヒノクマ)・卜市秦星野北郷(ホンゴウ)
マ 行 町田三松三宅・三善・身狭(ムサ)・村治
ヤ 行 矢田・山口・(ヤマト)・東漢(ヤマトアヤ)
ラ 行  
ワ 行 鷲頭

 

朝鮮・中国王朝

系統 No. 王朝 系統 No. 王朝
朝鮮半島系 百済系 KDR1 百済王朝1 中国系 CHN1 秦王朝
KDR2 百済王朝2 CHN2 前漢王朝
新羅系 SRG1 新羅王朝1 CHN3 後漢王朝
SRG2 新羅王朝2 CHN4 魏王朝(三国時代)
SRG3 新羅王朝3 CHN5 蜀漢王朝(三国時代)
高句麗系 KKR1 高句麗王朝1 CHN6 呉王朝(三国時代)
KKR2 高句麗王朝2    

 


帰化人

2025年01月17日 19時47分25秒 | その気になる言葉
帰化人とは、古代に海外から渡来して日本に住みついた人々,およびその子孫。
平安時代以降もたえず少数の来住者があり,また近代には外国人が日本の国籍を取得することを法律上やはり帰化といっている。
来住者の数が多く,しかもそれが社会・文化の発展のうえでとくに大きな意味をもったのは,平安時代初頭までだったので,日本史上で帰化人といえば,主としてそのころまでの人々を指すのが普通である。
現在では渡来人という呼称も用いられる。
帰化の語はもとは中華思想から出た語であるが,日本では中国の慣例に従ってこの語を用いていたにすぎず,とくに王化を強調する意図があったわけではない。
また,皇別,神別と並べて氏族の系統を分類する場合には諸蕃の語が用いられ,蕃別という語は存在しなかった。

初期の帰化人

大陸とのあいだの人間の往来は,弥生時代以前からもつねにあったにちがいないが,それが急に盛んになったのは,応神朝のころ。

すなわち4世紀末から5世紀初頭にかけての時期と思われる。

帰化系氏族の中でも最も歴史が古いと思われる西文(かわちのふみ)氏の王仁(わに)渡来伝説。

秦(はた)氏の弓月君(ゆつききみ)渡来伝説。

東漢(やまとのあや)氏の阿知使主(あちのおみ)渡来伝説などは,みなこの時期のこととなっている。

もちろん帰化人にはこのような社会的地位のあった人々だけでなく,一般庶民や戦争の捕虜なども多く含まれていた。

彼らの大部分は畿内の地域に居住地を与えられて,そこでやがて中小の氏族を形成し,各種の学芸・技術によって朝廷で一定の世襲職の地位を与えられるようになっていった。

その中の代表的な一群は文筆を専門とする諸氏で,彼らはみな史(ふひと)の姓(かばね)を持ち,いわゆる史部流(ふひとべりゆう)の文章を駆使して記録,徴税,出納,外交その他の業務に携わった。

文字の使用は大和国家の行政技術と各種の文化を飛躍的に発達させることになったが,それらの活動は6世紀ころまではほとんど帰化人たちの独占するところであった。

そのほか大陸系の進んだ各種の生産技術なども,初めはみな帰化人の専業で,その数が増してくると,やがて雄略朝のころに東漢氏がそれらのかなりの部分を統率する地位を与えられて,大きく発展することになったらしい。

これらの初期の帰化人はみな百済(くだら),新羅(しらぎ),任那(みまな)(加羅)などの朝鮮各地から来た人々である。

その中には前漢以来朝鮮の楽浪郡や帯方郡に来ていた中国人の子孫で各地に分散していたものもかなり含まれており,そのもたらした文化も主として漢・魏を源流とする大陸文化だったとみられる。

後期の帰化人

これに対して5世紀後半に入ったころから,中国の南朝文化の影響を受けた百済人や任那人などが渡来するようになり,また〈倭の五王〉の南朝通好に伴って中国から直接に渡来する人。

さらに6世紀中ごろ以後になると高句麗(こうくり)との関係が好転したために,北朝系統の文化を持った高句麗人などもそれに加わるようになった。

これらの新しい帰化人たちは新漢人(いまきのあやひと)などとも呼ばれた。

その新しい学芸・技術をもって古い帰化人を圧倒し,蘇我氏の時代から大化改新の前後にかけて,中央集権的な国家制度の発達と貴族的な飛鳥文化の展開のために目覚ましい活躍をした。

初期仏教史上に名高い鞍作(くらつくり)氏の司馬達等(しばたつと)とその孫の止利(とり)仏師,遣隋留学生として中国に赴き,帰国して大化改新に参画した高向玄理(たかむくのくろまろ),僧旻(そうみん)などはその代表的な例である。

百済・高句麗の亡命者と奈良朝の帰化人

ところがやがて663年(天智2)に日本の水軍が唐の水軍との白村江(はくそんこう)の戦で大敗し,百済復興の望みが絶えると,そのとき百済の貴族・官人以下おそらく4000~5000人以上の人々が日本に亡命してきた。

またその5年後に高句麗も新羅と連合した唐の軍勢に攻め滅ぼされたが,そのときにも高句麗王族を含むかなり多数の亡命者があった。

おそらくこのときの亡命者群が,古代帰化人の中では集団をなして渡来した最大のものだったと思われる。

しかしその後は朝鮮半島を統一した新羅との関係がそれほど親密ではなかったためもあって,朝鮮からの渡来者はほとんどなくなり,中国からも,唐僧鑑真(がんじん),波羅門僧菩提遷那(ぼだいせんな),林邑の僧仏哲などのように,遣唐使の往復に伴って渡来したものが散発的にあったにすぎない。

このようにして4世紀後半以来の活発な帰化人の渡来は,7世紀半ばでほぼ終止符が打たれることになった。

その間に渡来した初期の帰化人,後期の帰化人,百済・高句麗の亡命者たちは,それぞれの時期の日本古代国家の社会と文化の形成と発展に貢献した。

さらにその子孫たちは,みな奈良朝貴族社会の大きな構成要素となり,天平文化の重要な担い手として活躍することになった。

しかしそのころには,帰化人たちも渡来後かなりの年代を経ており,また本来の日本人の貴族・官人たちも十分に大陸の学芸・技術を身につけて文化的活動を行うようになったため,一般に帰化人のもつ帰化人としての特色はしだいに失われた。

やがて9世紀に入ったころには,その独自の歴史的意義は認められない状態となった。

弘仁年間(810-824)に編纂された《新撰姓氏録(しんせんしようじろく)》をみると,そのころ京畿在住の氏族で系譜の確認されたもの1065氏のうち,諸蕃すなわち帰化系氏族は326氏で,全体の約30%を占めており,その内訳は漢(中国系)163氏,百済104氏,高麗41氏,新羅9氏,任那9氏となっている。
[関 晃]

 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



利根輪太郎の競輪人間学 お金を遣い過ぎる

2025年01月17日 19時29分55秒 | 未来予測研究会の掲示板

競輪のために、金を遣えるたけ「遣えてしまう」それは、普通・尋常ではない。

金を要求しなくも、金が手に入る<抜け道>。

それは、他人にはとても言えない、言わば邪道であった。

「家には詐欺師がいる」家人は当方を自嘲し「旦那には、早く死んでほしい!」と怒りを込めて念願するのだ。

利根輪太郎は、そのことを反省するばかりである。

そこで、しばらく競輪場へ行くことを止めたのだ。

だが、酒は相変わらず、飲めるだけは飲んでいる。

 


エナジートロンが金曜日に臨時休業に

2025年01月17日 19時10分48秒 | 日記・断片

「ドロドロの血液を改善する」が謳い文句である。

医学・医療的に治療効果を解明してほしいと願う。

飛蚊症の改善、視力がよくなったと効果を語る体験者。

足のいた痛み、腰や肩の痛みやコリが改善したはじめ、足のツリもなくなった人も。

実際にこれまで、杖を突いて歩いていた人が杖を手放した。

こんな体験は他で聞くことができるだろうか?!

もし、血液がサラサラとなれば、心筋梗塞や脳梗塞も減るのではないかと思うのであるが。

温熱効果とマイナス14000ボルトとプラス4000ボルトの電位差で酸性になったの血液をイオン化、アルカリ化するのである。


自然災害「人間尊重の社会」を未来へ

2025年01月17日 13時41分13秒 | その気になる言葉

私たちは「災害の間」に生きている。

阪神・淡路大震災から30年。

東日本大震災や能登半島地震等、甚大な自然災害が相次いだ。

災害を過去の出来事とせず、<必ず起きること>と捉え、将来の災害に備えなければならない。

災害は自分事なのである。

大震災の記憶と教訓を再認識し、防災意識を高めていくことが肝要だろう。

大震災の教訓の一つが「助け合う社会」の在り方だった。

市民自身による自助、住民同士による共助の重要性が認識された。

多くのボランティアが復旧・復興を支えたことも画期となり「ボランティア元年」とも呼ばれた。

災害時に助け合いの基盤となる「人々のつながり」「地域のつながり」をどう強めていくか、苦しんでいる人にどう寄り添っていくかは、大きな課題である。

災害に崩れない人々の「心のつながり」を強めていくことだ。

「レジリエンス(困難を乗り越える力)の強い、「人間尊重の社会」の建設へ。

復興を果たしてきたのは連帯の力だ。

そして、命をつなぎ止める「人の優しさ」である。

災害を<わがこと>とろらえることだ。

いざという時に「自分ならどうするか」と想像し、自分で行動することが求められる。

 


阪神・淡路大震災から30年

2025年01月17日 12時18分26秒 | 社会・文化・政治・経済

【随時更新】阪神・淡路大震災から30年 神戸で追悼式典

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から、17日で30年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では犠牲者を追悼する行事が行われています。神戸市では天皇皇后両陛下も出席されて、阪神・淡路大震災30年の追悼式典が開かれました。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどした「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。


17日午後には東日本大震災と能登半島地震の発生時刻に黙とうが行われます。

17日は兵庫県内の学校で被災体験を語り継ぐ会や防災訓練などが行われ、震災の記憶を次の世代に伝えるための取り組みが一日を通して続きます。

発生から30年が経過し、震災の経験者や遺族も減少する中、過去の教訓をこれからの防災や減災にどうつなげていくのかが一層大きな課題となっています。

11:45 阪神・淡路大震災30年追悼式典 両陛下が出席

阪神・淡路大震災30年追悼式典は、神戸市内の2つの会場を映像でつないで行われ、このうち兵庫県公館では天皇皇后両陛下が出席されたほか、遺族や政府関係者などおよそ400人が参列しました。

式典では、震災の記憶と教訓を若い世代につないでいこうと、開会にあたって県内の高校生たちが祭壇に火をともしました。

そして全員で黙とうしたあと、兵庫県の斎藤知事が「災害はいつどこで起こるか分からない。このことを今、改めて胸に刻みつけなければならず、必要なことは、災害の記憶やこの30年間の歩みを決して風化させないことだ」と式辞を述べました。

続いて、天皇陛下が、犠牲者に深く哀悼の意を表し、世代や地域を越えて経験と教訓を繋ぐ取り組みが進められていることを心強く思うとしたうえで「これからも、震災の経験と教訓を基に、皆が助け合いながら、安全で安心して暮らせる地域づくりが進められるとともに、そこで得られた知見が国の内外に広がり、次の世代へと引き継がれていくことを期待いたします」と述べられました。

また、遺族代表として兵庫県西宮市の武田眞理さん(66)が、実家が全壊し、67歳だった父親の穣さんを亡くした当時の状況を振り返り「父はひとり犠牲になって家族を守り、それは私に強く生きろというメッセージに思えました」と述べました。

そのうえで「悲しいことばかりではありません。多くの方から支えていただき、あたたかいお心が大きな喜びとなり、前を向こうと思えた原動力になったことは忘れません。大切な家族を心の準備もなく失ってしまった私たちですが、心の中で故人はいつまでも生き続けています。悲しい記憶ではありますが、命の大切さを伝えていきたいと思っています」と述べました。

このあと参列者たちは祭壇に花を手向け、それぞれの思いを胸に亡くなった人たちを悼みました。

9:00ごろ 兵庫 芦屋 小学校で追悼式

兵庫県芦屋市の精道小学校では、震災で校区内にある建物のおよそ7割が全半壊し、当時通っていた児童8人と保護者6人が亡くなり、毎年追悼式が開かれています。


17日は児童およそ600人や遺族などが参加し、静かに黙とうをささげました。

式では、亡くなった当時1年生の米津漢之さん(当時7歳)と妹の深理さん(当時5歳)の父、勝之さんが「あの日を知らない人も、人から話を聞くことや残されたものに出会い、触れることによって、感じることはできると私は信じていたい。私が仮にいなくなっても、出会い、語り合い、つながった人々が続けてくれると信じています。だからこそこれからも、伝え、聞き、語り合い、つないでいきたい」と述べました。

在校生を代表して6年生の男子児童が「亡くなった人の思いがいま生きている人の心の中に生き続けているということに気づいて、震災学習の語り継ぐ会はものすごく大切だと思いました。30年前のきょうのことを忘れないでいきたいです」と話しました。

その後、児童たちは1人ずつ折り紙で作った手作りの花を慰霊碑の前に供え、亡くなった人たちを悼みました。

5:46 神戸 東遊園地 灯籠を「1.17」「よりそう」の文字に並べ

17日、神戸市中央区の公園「東遊園地」には犠牲者を悼む灯籠が「1.17」や「よりそう」という文字のかたちに並べられ、地震が発生した午前5時46分には訪れた人たちが黙とうをささげました。

「よりそう」という文字には、震災を経験した人が少なくなっても被災者を忘れず寄り添い続けようという思いや、この30年の間に起きたさまざまな災害の被災地にも寄り添い、支えていこうという思いが込められています。

5:46 ヴィッセル神戸の選手など 神戸 東遊園地で黙とう

阪神淡路大災が発生した1995年に創設された、サッカーJ1のヴィッセル神戸は、地震が起きた午前5時46分に神戸市で黙とうし、犠牲者を悼みました。


ヴィッセル神戸は1995年1月17日に最初の練習が予定されていましたが、チームの活動は炊き出しや支援物資の運搬など市民とともに行う復興作業から始まりました。

17日は選手やスタッフ58人が、追悼行事が行われている神戸市の東遊園地を訪れ、「1.17」や「よりそう」という文字のかたちに並べられた犠牲者を悼む灯籠の前に整列し、震災が発生した午前5時46分に全員で犠牲者に黙とうをささげました。

兵庫県川西市出身で、当時、滝川第二高校に通っていた吉田孝行監督は「亡くなってしまった方の分も一日一日を大事に生きなければならない。サッカーを通して震災を知らない世代にも伝えていきたい」と話しました。

兵庫県尼崎市出身の山川哲史選手(27)は「私を含めて震災を経験していない世代や地元出身ではない選手が多くなっているが、こうした機会をきっかけに、復興とともに歩んできたクラブがどうやって育ってきたのか、応援してくれる人たちにどのような力を与えられるのかを考えていきたい」と話していました。

昨シーズンJ1の最優秀選手に選ばれた武藤嘉紀選手(32)は「自分は神戸の出身ではないが、ここを第2のふるさとだと思っている。地元の人たちが伝えてきた思いをしっかりくみ取って受け継いでいきたい。普通にサッカーができることが幸せなことなんだと改めて感じる。クラブの節目の年でもあるので、3連覇などの目標に向かって、しっかりプレーして多くのパワーを与えたい」と話していました。

5:46すぎ 地震発生の日に生まれた女性 車掌で乗務 誓い新たに

阪神・淡路大震災では、鉄道などの交通インフラにも大きな被害が出ました。


17日、JR神戸線では、地震が発生した日に生まれた女性が車掌として乗務し、安全運行への誓いを新たにしました。

JR西日本で車掌を務める渡辺美公子さんは、1995年1月17日に大分市で生まれました。

渡辺さんは、両親から阪神・淡路大震災が発生した日と誕生日が同じであることを聞き、命を大切にして一生懸命生きていきたいと思うようになったということです。

その後、2017年にJR西日本に入社し、JR神戸線の六甲道駅に配属されました。

震災当時、JR神戸線は高架橋が広い範囲にわたって崩れ、六甲道駅の駅舎も倒壊しましたが、渡辺さんは職場の上司や先輩から、地域の人たちとのつながりの中で鉄道も復興していったことを学んだということです。

17日は、地震が発生した午前5時46分すぎに、渡辺さんが乗務する列車が六甲道駅に到着し、渡辺さんは周囲を見渡しながらホームの安全を確認し、ドアの開け閉めを行っていました。

渡辺さんは「今の美しい神戸のまちなみの背景には震災で大きな被害があったということを忘れずに、車掌として当たり前の日常を支え続けていきたいです」と話していました。

5:47 母親と弟を亡くした男性「教訓を語り継いでいきます」

東遊園地では、神戸市が主催した「追悼の集い」が開かれ、震災で母親と弟を亡くした神戸市の男性が遺族の代表としてあいさつしました。

神戸市垂水区の長谷川元気さん(38)は、8歳の時、当時住んでいた神戸市東灘区の木造2階建てアパートの1階の部屋で被災し、当時34歳だった母親の規子さんと1歳だった弟の翔人くんを亡くしました。

遺族代表あいさつ【動画ノーカットで】

長谷川さんの遺族代表あいさつです。

「阪神・淡路大震災が発生した30年前のきょう、私は小学校2年生でした。その当時、古い木造2階建てのアパートの1階の部屋に、父と母、年子の弟の陽平、1歳半の弟の翔人、そして私の、家族5人で住んでいました。震災が発生し、アパートの2階部分が1階に落ちてきて、1階の部屋は押しつぶされました。父と陽平と私は、押しつぶされた家の隙間にいて奇跡的に助かりましたが、母と翔人は大きな洋服ダンスの下敷きになり、亡くなりました。

母は、保育園の先生だったこともあり、子どもと遊ぶのが上手でした。私だけでなく近所の子どもたちも巻き込んで、おにごっこやかくれんぼをして 一緒に遊んでくれました。温かく、活気に満ちあふれた人でした。弟の翔人とは、よく電車ごっこやサッカーをして遊びました。サッカーボールを転がすと『バン!』と音がなるくらい勢いよく蹴り返してきました。将来はきっと立派なサッカー選手になれる、自慢の弟でした。

そんな母と翔人が亡くなったと知ったとき、私はとても後悔しました。『どうして、もっと母を優しくいたわることができなかったのだろう。どうして、もっと翔人と一緒に遊んであげられなかったのだろう。もっと、母と翔人の笑顔が見たかった。もっと、母と翔人と一緒にいたかった』そのとき、私は初めて知りました。今、自分の周りにいてくれている大切な人は、いて当たり前じゃない。一瞬にしていなくなってしまうこともあるのだということを。家族や親戚、友達といった、自分の周りにいる人のありがたさ。そして日常のありがたさを身をもって知りました。『後悔のないよう、一日一日を大切に生きよう。自分を支えてくれている周りの人に目を向け、感謝の気持ちを伝えよう』このことを胸に刻み、この30年間、生きてきました。

父は、震災25年目にテレビの取材で『奥さんと子どもを失ってつらいはずなのに、めげずに子どもたちを育てられたのはどうしてですか』と聞かれたとき、こう答えました。『それは、2人の子どもたちが生きていてくれたからです。この子たちをなんとか立派に育てなあかんと、必死でした。もし、2人も亡くなって私1人になっていたら、何もできなかったでしょうね』父は、震災後に建てた自宅の1室を教室にし、学習塾を経営しながら、そのかたわらで料理や洗濯などの家事をして私と弟を育ててくれました。そのおかげで、今の私があります。本当に感謝しています。年子の弟の陽平は、好きな漫画のことを語り合ったり、カードゲームをして遊んだりできる、唯一無二の親友のような存在です。陽平のおかげで、震災後も毎日を楽しく過ごせました。ありがとう。

私は『自分の周りにいる人の大切さ』や『日常のありがたさ』など、震災から得た教訓をより多くの方々に伝えたいと思い、『語り部KOBE1995』に加入し、現在はグループの代表として語り部活動を続けています。震災から30年が経ち、神戸に住む半数以上の方が『震災を知らない世代』になったと聞きます。これからますます震災の記憶が風化し、いざ大地震が起こったときにその教訓が生かされなくなるおそれがあります。それを防ぐためには、震災遺構や震災の記録を残して後世に引き継ぐこととともに、災害を受けた人々の気持ちや教訓を語り継ぐことも大切だと思います。

私の母と弟の翔人はタンスの下敷きになって亡くなりました。家具の固定をしっかりしていれば、命は助かったかもしれません。また、震災後すぐは食べ物や飲み物がなく、何も食べられない日がありました。避難リュックを用意していれば困らずに済んだかもしれません。今年の灯籠の文字『よりそう』のように、被災者の気持ちに寄り添い、話を聞くことで、災害を『自分事として捉える』こと。そして『今自分にできることは何か』を考える、 つまりは『防災・減災のスタートラインに立つ』ということが大切だと思います。ここ神戸に住む震災を知らない世代だけでなく、より多くの方々に防災・減災のスタートラインに立ってもらえるよう、これからも震災から得た教訓を語り継いでいきます」

長谷川さんは、あいさつのあと、犠牲になった人の追悼や復興を願い平成12年からともされている「希望の灯り」の前に設けられた献花台に花を手向け、祈りをささげていました。

花を手向けたあと長谷川さんは「震災から30年たったが、30年は特別な年ではなく、母と弟を失ったつらさや悲しみは薄れることはない。一方で、震災の記憶や教訓は薄れていくおそれがある。語り部活動の中で被災した人の気持ちに寄り添い引き継いでいくことで、震災を経験していない人も『災害に遭うかもしれない』と感じてもらうきっかけになり、防災・減災のスタートラインになっていくと思うので、語り継ぐことを大切にしていきたい」と話していました。

5:46 神戸 長田区 倒壊した自宅の跡を訪れ 祈りささげる

神戸市長田区は阪神・淡路大震災で多くの建物が倒壊した上、火災も発生して大きな被害を受けました。


当時小学1年生だった柴田大輔さん(37)は、アパートで両親と2人の弟の家族5人で暮らしていました。

地震でアパートが倒壊して家族全員が閉じ込められ、柴田さんと両親は救助されましたが、弟の宏亮さん(当時3歳)と知幸さん(当時1歳)は助け出すことができませんでした。

柴田さんは弟たちの死を受け入れられず、学校に通えなくなった時期もありましたが、学生ボランティアの支援で立ち直ることができたということです。

その経験から「今度は自分が誰かを守りたい」と考えて消防団に入り、震災の経験を伝える語り部としても活動してきました。

震災から30年となった17日、柴田さんは両親と妻とともに現在は駐車場になっている自宅の跡地を訪れ、午前5時46分に静かに祈りをささげていました。

柴田さんは「震災が起きて30年がたちますが、思いは変わらず、1月17日は自分にとって忘れられない出来事です。家族で頑張っていると弟2人に伝えたいです」と話していました。

5:46 神戸 長田区のパン販売店 仕事の手を止め黙とう

神戸市長田区の國本善之さん(62)が営むパンの販売店は、1995年1月17日、地震で発生した大規模な火災で全焼しました。


近所にパンを配達している途中で地震にあった國本さんはすぐに店に戻りましたが、火の勢いが増してきたため、近くの公園に避難せざるをえませんでした。

國本さんは同じように着の身着のままで逃げてきた人たちに、店から持ち出したパンを配って、地域の人たちを励ましました。

親の代から続く店を絶やしたくないと、地震から4年後、同じ商店街の中に店を再建しました。

17日は震災の当日と同じようにパンを焼いたりサンドイッチを作ったりして店頭に並べ、午前5時半に店を開けると、近所の人たちが早速パンを買いに来ていました。

そして地震が発生した時刻の午前5時46分になると、國本さんや従業員は仕事の手を止めて黙とうし、亡くなった人たちに祈りをささげました。

國本さんは「地震から30年たっても当時の光景をたくさん思い出して、あの時、人を助けることができたのではないかと思うことがあります。今でも店を続けていられるのは地域の人たちによる支えが大きいと思いながら、きょうもパンを焼きました」と話していました。

5:46 震源に近い兵庫 淡路島 亡くなった人たちを悼む

阪神・淡路大震災の地震の震源に近い、兵庫県の淡路島では、遺族や地元の人たちが亡くなった人たちを悼みました。


地表に現れた野島断層の一部が保存される淡路市の「北淡震災記念公園」では、震災で亡くなった人たちの慰霊碑が建てられています。

17日朝は遺族や地元の人などおよそ250人が集まり、淡路島などで亡くなった63人と同じ数の竹の灯籠を園内の池に浮かべました。

そして、地震が発生した午前5時46分に合わせて慰霊碑の前で黙とうが行われました。

集まった人たち全員で、亡くなった人への追悼と復興への思いを込めて「アメイジング・グレイス」を合唱しました。

最後に遺族が慰霊碑に花を手向け、静かに手を合わせました。

地震で自宅が半壊した兵庫県淡路市の70代の女性は「避難生活で地域のみんなと助け合ったことを思い出しました。いま生きていることに感謝しながら、当時の経験を語り継がないといけないと改めて感じました」と話していました。

公園を管理し語り部活動を続ける米山正幸総支配人は「日本各地で起きる地震や自然災害で多くの命が失われています。未来の命を守っていけるように、これからも防災・減災に取り組んでいきたいです」と話していました。

5:46 神戸 高台の公園から追悼のトランペット演奏

神戸市中央区の高台にある「諏訪山公園」では、神奈川県川崎市に住むトランペット奏者、松平晃さん(82)が1999年から毎年、演奏を続けています。


松平さんは地震が発生した午前5時46分にあわせて、童謡の「どこかで春が」を演奏しました。

阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼するとともに、東日本大震災や能登半島地震などの被災地にも思いを寄せ、厳しい寒さを乗り越えて暖かい春が早く訪れてほしいという願いを込めたということです。

松平さんは30年前、震災が起きた前日の1月16日に神戸市内で演奏会を開き、その日のうちに神奈川県の自宅に戻ったため被害には遭いませんでしたが、追悼の思いを込めたトランペットを毎年1月17日に奏で続けています。

松平さんは18日も兵庫県尼崎市で開かれる追悼コンサートで演奏するということで「神戸の人たちが安らげるよう犠牲者を追悼する演奏をできるかぎり続けていきたい」と話していました。

5:46 兵庫 芦屋の寺 “ドラム缶の釣り鐘”鳴らし祈りささげる

 

兵庫県芦屋市の西法寺は、地震の直後から寺の本堂を避難所として開放し、ドラム缶を使って被災した人たちに炊き出しをしたり、仮設の風呂で使うお湯をためたりするなどしていました。

寺では、震災の記憶を伝えようと、ドラム缶の釣り鐘を作って毎年1月17日に鐘を鳴らしているということで、震災から30年のことしは新しい鐘に替えられました。

地震が起きた時刻の午前5時46分になると、集まった人たちは黙とうし、ドラム缶の鐘を順番に鳴らして犠牲となった人たちに祈りをささげていました。

子どもを連れて訪れた芦屋市内の女性は「ドラム缶の鐘があることで、震災当時の様子を子どもたちにもわかりやすく伝えられると思います」と話していました。

西法寺の住職、上原大信さんは「震災を経験していない人に伝えていくことが重要になると考えています。若い方々がドラム缶の鐘を見学に来ることもあり、ドラム缶を通じて今後も震災の記憶を伝え続けていきたいです」と話していました。

5:46 神戸 追悼のつどいに集まった人たちの思い

東遊園地で開かれている追悼のつどいに参加した大阪市の53歳の女性は、30年前、1人暮らしをしていた神戸市長田区のマンションで被災し、災害救助犬に発見されて救出されたということです。

女性は「家具の間で圧迫されている状態だったが、なんとか生き残ることができた。自分が生かされている意味を考えるためここに来た。生きたかった人たちの分をきちんと生きていきたい」と話していました。
一緒に来ていた52歳の夫は西宮市で被災したということで「なぜ自分が生き残ったか、改めて考える場として訪れた。震災経験者が少なくなっているが、こうしたつらい事実があったことがしっかりと伝わっていってほしい」と話していました。

兵庫県高砂市の52歳の男性は「地震による火災で、神戸にいた母親と妹を亡くし、毎年、銘板の前に祈りに来ていて、いつも『申し訳なかった』と悔やんでいます。私は震災当時から高砂にいて被害はありませんでしたが、2人が亡くなったと連絡が来たときの悲しみと衝撃は今でも覚えています。街で2人に似た人を見かけると、今でもどこかで生きているのではないかと思ってしまいます。何年たっても区切りはありません」と話していました。
神戸市東灘区の76歳の女性は「近所で1人暮らしをしていた母親が住宅の下敷きになって亡くなり、母の髪を切って、生きた証しとしてきょうだい3人で分けました。つどいには毎年来ていて、母に近況を報告していますが、この1年、大切な人との別れが続いたこともあって、今回は『つらいを通り越して、苦しい』と伝えました。大切な人との別れのない世界にいたいと思いました」と話していました。


神戸市長田区の83歳の女性は、震災で夫を亡くしたことを振り返り「夫は子どもの様子を確認するため2階にあがろうとした際に、落ちてきた天井の下敷きになり亡くなりました。震災から30年がたちますが、この日が近づくとこみ上げてくるものがあり、知らない間に涙が出てきます。若い人たちには震災の記憶を継承していってほしいと願っています」と話していました。

震災で当時59歳だった母親を亡くした女性は「震災後に生まれた娘と一緒に来ました。母に会わせたかったなという気持ちもあります。みんな元気で暮らしてるので、母には安心してほしいです」と話していました。

灯籠を見つめながら涙を流していた神戸市須磨区の67歳の男性は「一瞬でたくさんの人が亡くなられて本当に悔しいです。当時、壊れた建物の一部を持ち上げようとしていた人からそのための道具を貸してほしいと頼まれたのに、貸さなかったことを、今もとても後悔しています。去年の能登半島地震ではボランティア活動に参加して、助け合うことの大切さを改めて感じています」と話していました。

3歳の娘や妻と参加した大阪市の48歳の男性は、当時、神戸市内の自宅で被災したということです。

男性は「黙とうの前の時計の音を聞くと、あの時のことが鮮明に浮かんできます。娘は生まれてから毎年一緒につどいに来ていて、少しずつ震災のことをわかってきています。震災があったことや、つらいことがたくさんあった中でも人に助けられて思いやりやつながりを感じたことを、子どもたちにも伝えていきたい」と話していました。

兵庫県宝塚市の65歳の男性は「地震が起きた当時はインフルエンザにかかり、自宅ではふだんと違う部屋で休んでいました。いつも寝ている場所には大きなタンスが倒れていて、偶然にも命が助かりました。当時は兵庫県の職員で、震災の発生後は防災の仕事にも携わり、定年した今も防災に関するアドバイザーとして支援活動を続けています。ひとりでも多くの自治体職員に経験と教訓を伝えることで、この助かった命を役立てたいと思っています」と話していました。


兵庫県姫路市で震災を経験したという北海道苫小牧市の40代の男性は「当時、アマチュア無線をしていて、警察署の2階が倒壊したという情報が入り、母親と『まさか』と話していました。神戸の状況を知っていたのに、ニュースを見ているだけで何もできませんでした。そこから防災について学んで、子どもたちに伝える活動をしていて、きょう、母校の高校で特別授業をします。災害は必ず来るので、私のように後悔しないためにも備えをするよう伝えたいです」と話していました。

埼玉県川越市から参加した50代の男性は、震災のあと神戸市でボランティア活動にたずさわったということです。
男性は「まちはずいぶんきれいになったと思います。震災当時のことは忘れないようにしなければならないと思う」と話していました。
そして、ろうそくに火をともしながら「この光が未来につながってほしい」と話していました。

神戸市東灘区の60代の男性は「縁があって20年前から神戸市に住み始めました。市民として、このつどいがどのような意味をもつのか確認したいと思い、参加しました。震災から30年がたちましたが、参加されている皆さんの思いを感じ、改めてこのつどいが継続される重要性を感じることができました」と話していました。

追悼のつどいでボランティアをしているという神戸市中央区の64歳の女性は「例年は1人で参加していますが、ことしは30年の節目なので、単身赴任の夫と一緒に参加しました。ここまで復興してこられたのがすごいです。ボランティアも高齢化してきているので、若い人たちに継承してもらえたらと思います」と話していました。

家族で参加した神戸市須磨区の41歳の女性は「震災で祖母の妹を亡くし、30年の節目でもあるので来ました。今回は、震災の授業を受けた娘が『一度行きたい』と言うので、初めて一緒に訪れました」と話していました。

女性の9歳の娘は「学校では地震でガスや水が出なくなったことなどを学び、避難バッグなどを早めに用意しようと思いました。悲しい出来事なので、二度と起きてほしくないです」と話していました。

18歳の娘と参加した兵庫県西宮市の40代の男性は、当時住んでいた大阪市で震災を経験しました。
男性は「娘から『行ってみたい』と言われて、学校に行く前に早起きして来ました。30年という節目はきょうしかないので、娘にこの様子を見て記憶に残してもらいたい」と話していました。
男性の娘は「つどいの様子は小さいころからテレビで見てきましたが、実際に参加して感動しました。地震は起きてほしくないけれど、いざというときのために備えようと改めて思いました」と話していました。

兵庫県西宮市の21歳の男性は、震災で祖父母と両親が住んでいた住宅が倒壊し、仮設住宅で1か月間暮らしたという話を聞いて育ったということです。
男性は「自分は震災を経験していませんが、当時のことは親から聞いていて、私もつないでいかないといけないと思っています。30年の節目で初めて追悼行事に参加しましたが、若い世代が少ないことが印象的でした。自分たちに何ができるかを考え、教訓を伝えていきたいです」と話していました。

神戸市の29歳の女性は「震災が起きた2か月後に生まれました。私の命を守ってくれた両親に感謝するとともに、これからも風化させないという思いを込めて灯籠に火をともしました。震災を経験していませんが、人生の節目はいつも震災の節目でもあり、5年後や10年後にも来たいです」と話していました。

能登半島地震で被害を受けた石川県七尾市の高校に通う2年生の男子生徒が訪れ、「神戸は多くの人が協力して復興していることを感じました。七尾にはまだ被害のあとが残っていますが、自分たち若い世代が復興に向けた希望を持って頑張りたいです」と話していました。


10歳と8歳の娘2人と参加した神戸市灘区の48歳の男性は、当時高校3年生で、兵庫県西宮市で被災したということです。
男性は「子どもたちに震災について伝えることが大切だと思い、毎年子どもと来ています。アルバイト先で震災に遭って、崩れた隣の酒蔵から人を助け出しました。ことしはなぜかいつもより当時のことを思い出します。当時大人だった人も子どもだった人も、それぞれが頑張って過ごした30年だと思います。たくさんの人が訪れてくれるような街になったので、今は『みんな頑張ったよ』という気持ちがあります」と話していました。

神戸市によりますと、東遊園地で行われている追悼のつどいに17日に訪れた人は午前7時の時点でおよそ1万1000人で、去年に比べて5000人多くなっています。
これまでに午前7時の時点で訪れた人が最も多かったのは、震災から20年となった2015年の1万4000人です。

5:46 東日本大震災で被災した人たちが作った竹灯籠にも明かり

追悼のつどいでは、東日本大震災で被災した人たちが作った竹灯籠にも明かりがともされました。


宮城県気仙沼市の千葉孝志さん(51)は、2011年の東日本大震災で被災し、仕事を失いました。


悪質ホストクラブを摘発

2025年01月17日 11時26分38秒 | 事件・事故

ホストクラブ等の売掛金等に起因する事件等について

ホストクラブは全国で約1000店舗。

東京30%、大阪20%。

2023年1月~24年6月83の事件で計203人を摘発。

背後に匿名・流動型犯罪グループがいるとみて捜査している。

2023年には前年から28%増の2675件となり24年も10月末で2362件の警察への相談がある。

警察庁は、通常国会に風俗法の改正案を提出し、規制を強化する方針だ。

具体的には、うその料金説明を禁止する予定だ。

また、恋愛感情につけ込んだで客を依存させて状態や、客が正常な判断ができない状態での高額の飲食をさせることも規制する。

また、借金の取り立てのために戸惑わせて売春や性風俗店での勤務を求めることも禁止する。

 

ホストクラブ等の売掛金等に起因する事件等について

 いわゆるホストクラブ等の利用客が、高額な利用料金の売掛による借金を背負い、その返済のために、売春させられるなどの事例があります。

 ホストクラブ等での利用料金を返済させるために、人を困惑させて売春をさせたり、性風俗などの有害な業務を紹介したりすることは、売春防止法や職業安定法で禁止されています。
 → 職業安定法に関するQ&Aはこちら(厚生労働省のページ)

 警察では、ホストクラブ等の売掛金等に起因する違法行為について、売春防止法違反、職業安定法違反等で検挙しているほか、ホストクラブに対する立入りにより、風営適正化法の遵守を徹底するなどの取組を推進しています。

検挙事例

  •  当時ホストクラブ従業員であった者が、店での売掛金の返済名目で客の女性に現金を要求し、スカウトマンを介し、ソープランド従業員に紹介して売春をさせた事案。(同ホストクラブ従業員であった者、同スカウトマンその他関係者について、売春防止法違反、職業安定法違反等で検挙した。)

     

  •  ホストクラブの店長らが、店での売掛金を支払わせるため、客の女性をソープランド経営者に売春婦として紹介した事案。(同ホストクラブの店長その他関係者について、売春防止法違反及び職業安定法違反で検挙した。)

     

  •  ホストクラブ経営者らが、客の女性に対し、店での売掛金を返済するよう要求し、同女を指定したビジネスホテルに居住させた上、売春をさせた事案。(同ホストクラブの経営者らについて、売春防止法違反で検挙した。)

一人で悩まずに相談してください

 ホストに売春等を強要されている、追われている等の犯罪被害に関する相談は、最寄りの警察署への通報又は警察相談専用電話(「♯9110」番)をご利用ください。

 なお、ホストクラブ等において、好意の感情を不当に利用した契約(いわゆるデート商法)など、不当な勧誘により締結された契約は、消費者契約法に規定する要件に該当すれば、消費者が意思表示することにより、後から取り消すことができます。
 → ホストクラブなどにおける不当な勧誘と消費者契約法の適用についてはこちら(消費者庁のページ)

 関係機関の相談窓口は以下のとおりです。

【関係機関の相談窓口】
○ どこに相談して良いか分からない方や困難な問題を抱え福祉的支援が必要な場合の相談
  各都道府県の女性相談支援センター
      (電話番号一覧はこちら(厚生労働省のページ)

○ ホストクラブ等との契約などにおける消費者トラブルの相談
  消費者ホットライン
  全国共通の電話番号:188

○ 売掛金に係る契約等の取消の手続等各種法的トラブルに関する相談
  日本司法支援センター(法テラス)
  電話番号:0570-078374

○ 性犯罪・性暴力被害の相談
  性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター
  全国共通番号:♯8891

NEW!! 悪質ホストクラブ対策検討会(報告書を公表しました)


石丸現象とは何か

2025年01月17日 11時16分08秒 | 社会・文化・政治・経済

石丸現象とは何か 石丸伸二氏「165万票」の中身を独自データで分析する

米重克洋JX通信社 代表取締役
2024/7/8(月) 19:34
 
 7月7日に行われた東京都知事選挙では、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏が165万票もの得票を記録し、次点となった。無所属で政党の推薦や支援を受けずに立候補した候補としては、異例の大量得票だ。20年の議員経験と圧倒的な知名度を誇る、前参議院議員の蓮舫氏の得票をも上回る結果となった。

石丸氏と言えば、安芸高田市長時代からYouTubeでの積極的な発信で知られている。

だが、これまでYouTubeを中心にネットで知名度を高めた政治家が、政党の支援を受けずに大量得票したケースは過去に例がない。

その意味では、今回の都知事選の結果はエポックメイキングな内容と言える。

そこで、今回は「石丸現象」を分析すべく、投開票日1週間前に東京都内の有権者2500人あまりを対象にインターネットで情勢調査を実施した。この結果をもとに、石丸氏に投票したのは一体どんな有権者で、何を期待して石丸氏に投票したのかを分析する。調査の概要は末尾に記載した。

この記事のポイント

  • 石丸氏は「政治不信」と「メディアシフト」のかけ算で支持を伸ばしたか
  • 石丸氏支持層はYouTubeを参考に投票先を決めた割合が高い
  • 「YouTubeで政治や社会の情報を収集する人」の投票意欲は高めである
  • イデオロギー的な特徴は弱く、政治不信が強い傾向にある。また、旧民主党政権への評価が低い
  • 結果、無党派層、第三極志向の有権者から大量に集票した。野党も含め既成政党・政治家不信の有権者の受け皿になっている
  • 今後の選挙は「ネット地盤」拡大への対応が重要なポイントになる

そこで、今回は「石丸現象」を分析すべく、投開票日1週間前に東京都内の有権者2500人あまりを対象にインターネットで情勢調査を実施した。この結果をもとに、石丸氏に投票したのは一体どんな有権者で、何を期待して石丸氏に投票したのかを分析する。調査の概要は末尾に記載した。

この記事のポイント

  • 石丸氏は「政治不信」と「メディアシフト」のかけ算で支持を伸ばしたか
  • 石丸氏支持層はYouTubeを参考に投票先を決めた割合が高い
  • 「YouTubeで政治や社会の情報を収集する人」の投票意欲は高めである
  • イデオロギー的な特徴は弱く、政治不信が強い傾向にある。また、旧民主党政権への評価が低い
  • 結果、無党派層、第三極志向の有権者から大量に集票した。野党も含め既成政党・政治家不信の有権者の受け皿になっている
  • 今後の選挙は「ネット地盤」拡大への対応が重要なポイントになる

メディアシフトの波は選挙にも 石丸氏支持層「YouTube参考」約5割

調査では、実際に投票先を選ぶうえで「参考にした情報源」を聞いた。その結果、石丸氏の支持層はYouTubeの動画を「大いに参考にした」「ある程度参考にした」割合が合わせて5割近くに上った。

小池百合子氏、蓮舫氏はいずれも1割程度で、回答者全体でも2割程度であることを踏まえると、石丸氏支持層がYouTubeを参考にした割合は際立って高い

 

 

 


石丸氏が地域政党設立

2025年01月17日 11時02分23秒 | 社会・文化・政治・経済

新党設立の石丸伸二氏「人口減少への準備」迅速に対応へ

2025.01.17(金)

ことし夏の東京都議会議員選挙に向け、地域政党設立を発表した前広島県安芸高田市長の石丸伸二さんがTOKYO MXの番組に出演し、「人口減少への準備に入る判断をすべきだ」と、迅速に対応を進める必要性を訴えました。
TOKYO MXで1月15日に放送した「堀潤Live Junction」に、新たに地域政党「再生の道」を設立した石丸伸二さんが出演しました。番組で石丸さんは都政の喫緊の課題として「東京都でも2040年には人口減少の局面に入る」と述べ、迅速に対策を進める必要があるとの見解を示しました。

石丸伸二氏:「少子化・人口減少を前提とした社会のシステムに組み替える、それを早く取り掛かるのが大事だ。東京都ですら2040年をピークに人口減少局面に入る。なので、早くその準備をしていくという判断が都議会で必要なんだろうなと思う」

石丸さんは新党の政策について各候補の判断に任せる考えで、番組でも「異論を唱える論客が現れても迎え入れたい。党として厚みが増す」と、話しています。

 

石丸伸二氏 地域政党「再生の道」立ち上げ【ノーカット動画】

去年の東京都知事選挙で2位となった石丸伸二氏がことし行われる都議会議員選挙に向けて地域政党「再生の道」を立ち上げ、今後、公募で候補者を募り、42のすべての選挙区で擁立を目指すことを明らかにしました。

目次

【ノーカット】石丸伸二氏が会見 地域政党「再生の道」設立 夏の都議選へ…自身は出馬せず

広島県安芸高田市の前市長で、2024年の東京都知事選で2位の得票となった石丸伸二さんが、2025年夏の東京都議選に向け、地域政党「再生の道」を立ち上げ、1月15日会見を開きました。

 

石丸伸二氏、地域政党「再生の道」設立、3期目NGが「鉄のおきて」 政策語らず...選挙区ごとに「環境全然違う」

配信

石丸伸二氏(2024年6月23日撮影)
面接は1人15分、石丸氏との面談を1対1で行うと説明。「2次選考の結果から公開、公表します」と語った。
エントリー期間は1月15日17時から2月16日まで。  
実現を目指す具体的な政策については、明言を避けた。
記者との質疑応答の中で、その理由について「各候補者が各選挙内で主張すべきことを主張してもらう」と語った。
選挙区が分かれている意味はとして「その地区にゆかりのある人が出ているというのが大事」だとして、「(石丸氏の住んだことのある)錦糸町と練馬区、同じ東京都だが環境が全然違う。
なのに同じ主義主張をする、政策判断の軸を示すのは無理だと思う。実際問題」と説明した。
 

エホバの証人の人來る

2025年01月17日 10時39分29秒 | 社会・文化・政治・経済

聖書の言葉を伝えに。

何時もは家人が対応しているのだが、洗面所で頭髪を整えていたので変わりに出た。

実は、訪ねて信者に対して、「いい子だ」と家人は気に入っている。

ところで、駅前で立っている信者は、実はエホバの教団内の中でも見栄えがいい人として選ばれた人たちであるそうだ。

男女がペアなのは、女性だけだとサタンの世の男性が下心で寄ってくるという懸念からだ。

だからもし一般の男性が女性信者に話かければ、どこかのタイミングで男性信者が会話に割って入ってくるはずである。

実は彼らが目立つように駅前に立つようになったのはここ数年の話で、これはオートロックのマンションが増えてきたことと関係している。

以前は都市部でも一軒家の方が多かったため、玄関ドア脇のインターフォンをピンポンするのは簡単だったのだが、生活スタイルが変わった今はそれが難しくなってしまった。そこで手段を駅前に立つ方法に変えざるを得なくなった背景がある。

 


【大宮競輪G3】脇本雄太の位置奪い3着の森田優弥

2025年01月16日 22時16分03秒 | 未来予測研究会の掲示板

「自分で仕掛けるつもりだった」/初日特選レース後コメント

配信<button class="sc-1n9vtw0-1 eJnCsT" data-cl-params="_cl_vmodule:cmtmod;_cl_link:count;" data-cl_cl_index="26"></button>

<button class="sc-1n9vtw0-1 eJnCsT" data-cl-params="_cl_vmodule:cmtmod;_cl_link:profimg;" data-cl_cl_index="96">大宮競輪「東日本発祥倉茂記念杯(G3)」は16日、初日が終了した。12レースのS級特選の上位3名に話を聞いた。(町田洋一)</button>

1着 伊藤颯馬

2着 寺崎浩平

3着 森田優弥

【関連記事】

利根輪太郎の競輪人間学 競輪の落とし穴

2025年01月16日 21時46分35秒 | 未来予測研究会の掲示板

利根輪太郎は、何度も経験してきたのに、ダントツの軸などないことを思い知らされる。

GⅢ 大宮競輪 万博協賛 東日本発祥倉茂記念杯

展開予想 1-7-8 2-9-4 3(単騎)5(単騎) 6(単騎)

レース評

寺崎の飛び出しと読んで同県番手の脇本から。地元は森田−平原−武藤の布陣。平原に絶好展開もある。

1番の外競りで、内側の9番は競り負けて敗退する。

油断であるし、競りは初めての経験なのか?

初日の特選は観るレースであったと悔やまれた。

出目作戦を貫くことができなかった

特に9レースは3-4-5のボックス車券を買うべきだったのである。

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 6 伊藤 颯馬   14.0   混戦ひと捲
2 2 寺崎 浩平 1車身 14.2 SB 捲られ逃残
3 1 森田 優弥 1/2車身 14.1     叩けず内決
× 4 7 平原 康多 1/4車輪 14.0     森田に続く
5 8 武藤 龍生 1/2車身 13.9     平原に続く
  6 3 北井 佑季 2車身 14.1     単騎で苦戦
7 4 村上 博幸 3/4車身 14.2     踏み遅れて
  8 5 佐々木 悠葵 3車身 14.3     単騎最後方
9 9 脇本 雄太 1車身 14.7     横全然露呈
 
2

2=5
2,140円(10)
2

2=6
4,710円(18)
3

1=2=6
22,710円(63)


1=2
2,880円(34)
1=6
2,470円(30)
2=6
1,680円(23)
5-2
5,090円(20)
6-2
10,030円(34)
6-2-1
146,770円(306)

戦い終わって

戦い終わって写真

 前受けは寺崎浩平で、後方に伊藤颯馬、北井佑季、佐々木悠葵の単騎勢が固まって周回。動きがあったのは最終ホーム手前。4番手から森田優弥が仕掛けると、寺崎は突っ張る。瞬時に森田は番手の脇本雄太をキメるが、脇本も粘って併走に。もつれを伊藤が一気に捲って首位。2着に寺崎が逃げ残り、3着に森田。

 伊藤は「森田さんは叩けなくても、へばりつくだろうと。考えていた通りだった。併走になって脇本さんの番手捲りはなくなったし、後ろもいたので内、外から行かれたら嫌のので早めに仕掛けた。脚は結構回って感じは良かったです。直線が長くてキツかったけど、余裕を持って押し切れたと思う。状態は良いですね」
 寺崎は「後ろからでも押さえて仕掛けるつもりだった。結局、前が取れたけど、単騎勢が動かず4番手に森田君がいたのは想定外。森田君の動きを見てピッチだけ上げれば、どうにかなるかなと。脇本さんが絡まれていたのが分かって、自分は踏むだけ踏んだ。誰も出させる気はなかったけど、颯馬君が良いスピードで来てしまった。状態は悪くないし、単純に脚力が足りないだけ」。
 森田は「どんな並びになっても自分で仕掛けるつもりだった。反応も問題なかったと思うけど、寺崎さんが強くて併されてしまった」。

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