除夜の鐘を聞こうと、青柳の本願寺へ急ぐが、既に終わっていた。
時計を確認したら、午前0時ではなく、なんと午前1時?!
テレビを観ていて、時間を間違えたのだ。
テレビを1時間観ていたと思っていたら、2時間も経っていた。
本願寺から帰る門前で、見知らぬご婦人に「今年も、良いお年を」と挨拶された。
暗闇なので、気付かなかったが近所に住む人だったかのか、と思い直す。
境内には、焚火の残り火があった。
ビッグAで日本酒2合買って帰宅、飲みながら、囲碁・将棋番組などを観る。
除夜の鐘を聞こうと、青柳の本願寺へ急ぐが、既に終わっていた。
時計を確認したら、午前0時ではなく、なんと午前1時?!
テレビを観ていて、時間を間違えたのだ。
テレビを1時間観ていたと思っていたら、2時間も経っていた。
本願寺から帰る門前で、見知らぬご婦人に「今年も、良いお年を」と挨拶された。
暗闇なので、気付かなかったが近所に住む人だったかのか、と思い直す。
境内には、焚火の残り火があった。
ビッグAで日本酒2合買って帰宅、飲みながら、囲碁・将棋番組などを観る。
ロケ地
【広島県】広島市(庚午橋、桂ヶ浜、原爆病院、荒神橋、相生橋、元安橋、灯籠流し、原水禁大会、十字屋楽器店、庚午北街の太田川放水路河口近く、中本総合印刷、吉島刑務所付近、広島湾の海岸、平和大橋、平和記念公園、原爆ドーム、供養塔、原爆の子像、原爆慰霊碑)/呉市(音戸大橋、狩留賀海岸)/坂町(水尻駅附近の国道31号線)俳優の吉永小百合さんが主演し、被爆者の青年との純愛を描いた映画「愛と死の記録」(1966年)の公開50年を機に、原爆資料館(広島市中区)は5日、東館地下1階の情報資料室で、脚本など関連資料の展示を始めた。いずれも脚本を手掛けた小林吉男さん(89)=埼玉県川口市=から寄贈された。吉永さんのメッセージも飾っている。9月中旬まで。無料。
映画は、4歳の時に被爆した男性が19年後に白血病で亡くなり、恋人の女性が後を追って自ら命を絶った実話を基にした。男性役は渡哲也さんが演じた。
会場には脚本のほか、モデルとなった二人の友人たちへの取材ノート4冊、ロケハンで撮影した二人の思い出の喫茶店の写真など計15点が並ぶ。吉永さんは事務所を通じ「実際に広島で起きた悲劇は、撮影当時21歳だった私の胸に深く残りました」とのメッセージを寄せた。
当時映画を見た西区の辻靖司さん(74)は「生きていたら男性は自分と同年代。資料から、二人の生きざまを淡々と伝えようとした熱意を感じる」と見入っていた。
小林さんの家族が5月下旬、資料館への寄贈を持ち掛けた。次男のきよしさん(62)=千葉県我孫子市=は「父は戦争の矛盾や生きることへの問題提起がしたかった。その思いが多くの人に伝われば」と話している。(有岡英俊)
吉永小百合が「愛と死の記録」撮影当時の逸話明かす
2018年7月14日 20:35 102
「愛と死の記録」のトークイベントが本日7月14日に東京・武蔵大学の江古田キャンパスで行われ、ヒロイン・和江を演じた吉永小百合が出席した。
「愛と死の記録」トークイベントの様子。左から宮崎信恵、吉永小百合。「愛と死の記録」トークイベントの様子。左から宮崎信恵、吉永小百合。大きなサイズで見る(全2件)
左から宮崎信恵、吉永小百合。
左から宮崎信恵、吉永小百合。[拡大]
このイベントは「第12回被爆者の声をうけつぐ映画祭」の一環として行われ、「風の舞」の監督・宮崎信恵が聞き手となって進行した。吉永は1966年に公開された本作の撮影を「ドキュメンタリーのような形で撮影したんですけど、広島にまだSLが走ってた時代で、SLを背景に渡哲也さんとのシーンを撮影しました」と思い返す。被爆者の女性も出演していたと明かし「渡さんが『おばあちゃん、元気でな』と呼びかけると『あいよ』と答えてくださって。それがとても素敵でした」と回想する。
撮影時には夜にリハーサルが行われていたという。吉永は「ある日、渡さんがいらっしゃらなかったので、みんなで探したら自分の部屋の押し入れで寝てらしたんです。心から主人公の幸雄を演じてくださっていたので、疲れていらしたんでしょうね。私もつられて演じることができ、素晴らしい作品となりました」とほほえんだ。宮崎は「吉永さんはそれまで浜田光夫さんとのコンビが多かったですよね?」と質問。
吉永は「実は幸雄役も浜田さんの予定だったんですが、直前にお店で起きた喧嘩のとばっちりでけがをされて、出演することができなかったんです」と明かした。
ドラマ「夢千代日記」への出演をきっかけに原爆被害の実態を知り、原爆をテーマにした詩の朗読を続けている吉永は「詩をもっとたくさんの人たち、子供たちに伝えたいという思いで続けています」と述べ、観客に向けて「どうかこの映画をご覧になって、核兵器のない世界を目指して一緒に行動していただければどんなに素敵でしょう」と語りかける。
イベント後、囲み取材に応じた吉永。
「未来の子供たちへ伝えたいことは?」という質問に少し考え込む様子を見せ「戦争のことを知らない子供たちもいるんですよね。
大きな戦争があって、たくさんの人が亡くなったという悲しい過去があったうえで、私たちがいるということを伝えたいです」と語る。
また、戦争で亡くなった人々への思いを問われると「私は俳優ですから、過去にあったことを次の世代に伝えていくことが役目だと思っています。
終戦した1945年に生まれたということも何か意味があるんじゃないかと思います。どこまで続けられるかわかりませんが、それが活動の原動力になっています」と述べた。
競輪から見えてきたのものがある。
それは、楽しむことなのだ。
車券を買い、それが的中すれば、楽しみになる。
だが、外れることの方が多いのだ。
大袈裟になるが、研究、工夫の課題が明らかになってきた。
課題は、自分の至なさである。
越えがたい壁に直面するが、それは<壁を越える楽しみ>にもつながるものだ。
至らなさは、想定内のことであり、進化する予兆でもある。
予兆とは:すでに起こり始めたできごとの一部がある現象として現れかかっていることをさす。
前触れ、前兆、きざし。
100円、200円を惜しむことで、幸運を逃す競輪ファンが少なくない。
2021年12月29日 若手激突 ヤンググランプリ 静岡競輪
11レース
並び 1番(単騎)4-2 3-7 5-6 8(単騎)9(単騎)
レース評
四日市記念を制してからの坂井は超充実。佐々木がマークの形。高橋を利す小原、能力高い寺崎、完調なら当然、山口も。
1-2 1-4 1-5 の3連単車券で勝負する。
その時、縦目の2-4 をどうするか迷う。
つまり、1番の山口 拳矢選手(競争得点113.50)が車券に絡まないケースが、頭によぎるが2-4をおさえなかった。
100でも2-4を買っていれば、8280円となり、翌日のグランプリの軍敷金になったのだ。
特に、新町の競輪仲間の倉持勝男が「2番の小原 佑太(競争得点112.21)は、115期でヤンググランプリが今年最後のチャンス、同期の高橋 晋也をマークするので勝つ可能性がある2流しだ」と言っていたが、利根輪太郎はあくまで1番山口 拳矢選手に拘ってしまう。
利根輪太郎より競輪ファン歴が長い倉持の指摘を真剣に受け止めていなかった。
5番町田 太我選手(110.12)を追走した4-2ラインが恵まれる展開になる。
1番は捲るも4番に外に張られて失速する。
5-6のラインの6番石原 颯選手が離れ、そこに1番がはまって5-1の並びになった時は、1番の勝機も見えたが、走る格闘技の競輪のアヤでもあった。
1番はさらに8番伊藤 颯馬選手にも弾かれ伸びきれなかったのだ。
1番はやはり落車した影響もあり本調子ではなかったようだ。
2-4 8,280円(45番人気)
2-4-9 5万7,470円(261番人気)
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
× | 1 | 2 | 小原 佑太 | 12.0 | 差 | 脚溜め一気 | ||
2 | 4 | 高橋 晋也 | 1車身1/2 | 12.3 | 差 | 番手飛付き | ||
△ | 3 | 9 | 寺崎 浩平 | 1/4車輪 | 11.8 | 最後方捲る | ||
○ | 4 | 7 | 佐々木 悠葵 | 1/2車輪 | 11.9 | 外し捲るも | ||
注 | 5 | 1 | 山口 拳矢 | 1/8車輪 | 11.8 | 高橋に捌れ | ||
▲ | 6 | 5 | 町田 太我 | 3/4車身 | 12.5 | B | 裸逃げ不利 | |
7 | 6 | 石原 颯 | 1/2車輪 | 11.8 | 早々に離れ | |||
◎ | 8 | 3 | 坂井 洋 | 1/2車身 | 12.3 | S | 捲るも半端 | |
9 | 8 | 伊藤 颯馬 | 1/4車輪 | 12.2 | 内差し失敗 |
今日は、午後3時から友人たちと東京・新橋で交歓した。
新橋は大学時代に居酒屋でアルバイトした街であり、3度目の職場の関係で毎週、週刊新聞の校正のために新橋の印刷所に通った街である。
さらに、仕事でも訪れたことがある、新橋駅ビルの日本精神病院協会を思い出す。
また、新橋は高校を出た姉が慈恵医大病院のある教授の雑用係になっていたので因縁がある。
その姉はその後、銀座のリッカーミシンの事務職員としての勤務となる。
そして、当方も大学時代には、そのリッカーミシンでバイトをしたが、バイトの仲間の女子大生に恋し、失恋した苦い思い出である。
新橋の居酒屋で友人たちと飲みながら、過去を追憶した。
今日は、午後3時から友人たちと東京・新橋で交歓した。
新橋は大学時代に居酒屋でアルバイトした街であり、3度目の職場の関係で毎週、週刊新聞の校正のために印刷所に通った街である。
さらに、仕事でも訪れたことがある、新橋駅ビルの日本精神病院協会を思い出す。
また、新橋は高校を出た姉が慈恵医大病院のある教授の雑用係になっていたので因縁がある。
その姉はその後、銀座のリッカーミシンの事務職員としての勤務となる。
そして、当方も大学時代には、そのリッカーミシンでバイトをしたが、バイトの仲間の女子大生に恋し、失恋した苦い思い出である。
新橋の居酒屋で友人たちと飲みながら、過去を追憶した。
11レース決勝戦
並び 9-1 2-5-6 4(単騎) 7-8-3
レース評
清水は凡走なし。その番手があるなら松浦に展開は向きそうだ。
結束の関東ラインから平原が悲願のVも。郡司、古性にも一発
悔いの残るレースであった。
3-4-2を買っていてのに、4-3-2を買っていなかったのだ。
2車単
出目作戦から、あえて3番平原 康多選手の隣りの4番古性 優作選手から車券を買う
4-5 4-6 4-7 4-8 4-8を買う。
4-3は23.8倍なので買うの勝算を止める。ここが出目作戦の綻び!
それなのに、3-4ー2を買ったのは、新聞の予想に乗っただけで、結局は4番古性 優作選手から配当が高い選手に流す。
それにしても7-8-3のラインの3番手から2着になって平原 康多選手の勝負強さはすがだ!
典型的は3番手捲りである。
7-8-3の並びでも、<勝算はある>との覚悟がレースに臨んだ平原選手の勝負凄さ!
同時に問題なのは、7番吉田 拓矢選手の走行である。ファンは期待しているのだから、車券に絡むレースを常に心掛けるべきだと指摘したい。
繰り返すが、ファンはあくまで車券に絡むことを常時期待して、予想し車券を買って勝負しているのだ。
大差の9着とは、あまりんも無様!
単なる、引き出し役に過ぎないなら―レース前に、自身の立場を宣言すべきでは?
取手地元の<競輪人間学>発信の立場で、彼に大いに期待するがゆえに、あえて<苦言>を呈したいのだ。
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
注 | 1 | 4 | 古性 優作 | 11.4 | 捲 | |||
○ | 2 | 3 | 平原 康多 | 2車身 | 11.6 | 差 | ||
× | 3 | 2 | 郡司 浩平 | 1/2車身 | 11.5 | S | ||
4 | 5 | 佐藤 慎太郎 | 3/4車輪 | 11.5 | ||||
◎ | 5 | 1 | 松浦 悠士 | 1/2車身 | 11.6 | |||
6 | 6 | 守澤 太志 | 1車輪 | 11.3 | ||||
▲ | 7 | 8 | 宿口 陽一 | 1/4車輪 | 11.9 | B | ||
△ | 8 | 9 | 清水 裕友 | 3車身 | 12.1 | |||
9 | 7 | 吉田 拓矢 | 大差 |
関東勢が吉田拓矢―宿口陽一―平原康多で打鐘前から全開の先行勝負。周回中からこの後ろに位置していた単騎の古性優作が清水裕友の仕掛けに併せて一気の捲り発進。そのまま番手捲りの宿口を飲み込んで頂点の座を射止める。「近畿の選手として恥ずかしくないレースをと思っていた。初手の位置が関東の後ろになりそこからと。難しかったが、ジャンからは大体想定通りに。一瞬詰め過ぎてミスったかなと思う所はあったが、踏むしかないともう1回踏んで。自力を出そうと思っていたから、出せて良かった。最後の直線は長くて、なかなかゴールが来なかった。1回出場したらまた走りたくなると聞いていたが、改めて素晴らしい舞台だなと。力は余す所なく走れた。脇本雄太さんのお陰でGⅠが獲れたが、自分の力でもやれると証明したかったから良かった。来年は1人では心細いから、自分の力で近畿の選手と走れるようにできれば。1番車は荷が重いけど、近畿を引っ張れる選手になっていきたい。家族、近畿の仲間、練習付けてもらった方など色んな人に感謝の気持ちを伝えたい。プレッシャーを楽しむのは2流だと思っているから、それを背負って。1億円の使い道? 特に欲しいものはないから、強くなるための投資ができれば。デビューからグランプリを見ていて、まさか獲れるとは思ってなかった。来年は1番車に恥じないように、近畿を引っ張って行ければ。凄い応援をしていただいて、不思議な感覚。ファンには感謝したい」。
宿口マークの平原は直線伸びて2着。「悔しい。でも出し切って負けたので。(宿口)陽一もちゃんと力勝負して、その上を行かれてるワケなので。それで自分も行くワケにはいかないし。古性君がうまいし強かった。後ろは気にしても仕方ない。出し切るだけなので。やるべきことはやれたし、納得はしてる。前の二人(吉田、宿口)は悔しそうだったけど、三人出し切れてるので清々しい負けです」。
中団で絡む動きはあったが、郡司浩平が3着に伸びて「行ければ自分で動きたいと思ってたんですけどね。ホームで(車間が)詰まったから、絶対来ちゃうなと思ったけど、整って一呼吸置いたところだったので行けなかったですね」。
KEIRINグランプリ2021
2021年12月30日最終日
8レース
将来有望 S級特選
並び 1-7-8 6-5 4(単騎) 9-2 3(単騎)
レース評
吉田−鈴木が初日に続きワンツー決着。南関勢は何でもありの総力戦で臨む。村田からの狙いもいいし、両坂本も不気味な存在
昨日、車券に絡まなった1番吉田 有希選手が強い勝ち方をした。
4着になり決勝戦への進出を逃した吉田 有希選手には、意地があっただろう。
それにしても、悔やまれるのは、用事があったので8レースを変えなかったことだ。
思えば、今年は1-5の車券で負けることが多かったので、どこかで1ー5で勝負をするつもりでいた。
1番吉田 有希選手を軸にすれば、1-5の3連単車券が買えたのだ。
今日は、友人の柏木峰男さんから、1点買いの2倍法を再確認した。
1レース100円—100円
2レース100円—200円
3レース200円—400円
4レース400円—800円
5レース800円—1600円
6レース1600円—3200円
7レース3200円—6400円
8レース以降は省略
以上の配当ならプラスとなるのが2倍法なのだ。
結果
1-5 1,570円(3番人気)
1-5-8 2万2,800円(47番人気)
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
◎ | 1 | 1 | 吉田 有希 | 12.6 | 捲 | B | ||
△ | 2 | 5 | 村田 雅一 | 3/4車輪 | 12.5 | 差 | ||
3 | 8 | 塚本 大樹 | 3/4車身 | 12.5 | ||||
○ | 4 | 7 | 鈴木 竜士 | 1/2車輪 | 12.5 | |||
5 | 4 | 坂本 周作 | 1車輪 | 12.2 | ||||
注 | 6 | 9 | 桐山 敬太郎 | 1/2車身 | 12.5 | |||
× | 7 | 2 | 中村 浩士 | 8車身 | 12.6 | |||
▲ | 8 | 3 | 坂本 亮馬 | 4車身 | 13.9 | |||
9 | 6 | 南 潤 | 5車身 | 14.5 | S |
前受けの南潤が突っ張り先行。併せられて外に浮く厳しい展開となった吉田有希だが、粘り強く最終的に捲って押し切る強い内容。
「スタートは取りに行ったけど、南さんがめちゃくちゃ早かった。桐山敬太郎さんが来る前に仕掛けようとは思っていて、後ろの動きを見ていたら南さんに併せられた。そこからはやり合うしかなかったので。外併走の時は目一杯。1回ひるみそうになったけど、引いたら末着だと思って外で粘った。少ない脳みそをフル活用したが、2日目は思ったようなレースができず。脚力もまだ微妙で、上手くレースを運ばないと勝てないなと。来月の頭には記念の斡旋があるから、そこではしっかりとレースを組み立てれるように。昨日のヤンググランプリを見て良いなと。かっこ良かったから来年はそこに出れるように。自分のやる事は変えずに来年も走りたい」。
南潤から切換えて迫った村田雅一が2着。「スタートは前を取れれば良いなと。南君は力勝負がしたいと言っていたから、自分も付き合うよと。踏み出しが凄くて普通に口が空いた。吉田君に当たった時に止まったと思ったけど、彼は強いね。バックでは南君のスピードが落ちて、坂本亮馬君にも掬われて対応できず。それがなければもう一発持って行けたかな。自分は必死で余裕がなく前に踏んだ。この3日間は重かった。12月が走りっ放しだったから、最後に疲れが出た感じ」。
3億円事件 53年目の真実 前編
欠端 大林2021/06/12 文春オンライン
社会派の推理小説、スパイ小説の名手として知られた直木賞作家・三好徹(本名・河上雄三)さんが今年4月3日、誤嚥性肺炎のため死去した。90歳だった。
三好さんは1931年生まれ。横浜高等商業学校(現・横浜国立大学)卒業後、読売新聞に入社。記者として活動するかたわら小説を書き始め、1966年に『風塵地帯』で日本推理作家協会賞を受賞。同年読売新聞を退社し、1968年に『聖少女』で直木賞を受賞。人気作家としての評価を不動のものとした。
読売新聞においては、いまなおグループのドンに君臨する渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆と入社同期。入社試験の成績は三好さんが首席で、渡邉氏が次席だったというエピソードを、渡邉氏が自身の著書の中で明かしている。
「“河上三兄弟”と言えば、私たち昭和の新聞記者の間では有名でしたよ」
そう語るのは、読売のライバル朝日新聞の元編集委員(80)だ。
「三好さんの父は元国鉄マンで、兄の敏雄さんは一部上場の産業機器商社『第一実業』の元会長。三好徹こと雄三さんは読売のスター記者から売れっ子小説家に転身。そして弟の和雄さんは、東京地検特捜部でロッキード事件の捜査にも加わった元エース検事。特捜部長をつとめたあと、弁護士となってからは日本テレビのニュース番組でご意見番をつとめておられましたね。三好さんの人気作品の多くは新聞記者が主人公になっており、僕らにとってはそれが誇りでもありました」(全2回の1回目)
◆ ◆ ◆
「戦後最大の強盗劇」に日本は騒然
さて、ここに1本の音声データが残っている。
三好さんが、戦後最大の未解決事件と呼ばれる「3億円事件」(1968年)について語ったものだ。
事件発生から40年の節目を迎えようとしていた2008年秋、三好さんのご自宅にうかがい、改めて事件に関する証言を求めた。
三好さんは、3億円事件について並々ならぬ関心を抱いていた。事件発生当時はすでに読売を退社し専業作家となっていたが、捜査幹部や現役の警視庁担当記者に対する取材を独自に重ね、公訴時効成立後の1976年に小説『ふたりの真犯人 三億円の謎』(光文社、のち改題し文春文庫)を発表している。
「そうか、40年か。もうそんなにたつか。あなたが生まれる前の話? まいったな、ハハハ…」
自らいれたインスタント・コーヒーを記者にすすめると、当時77歳の三好さんは苦笑した。
3億円事件は、1968年12月10日に東京・府中市で発生した現金強奪事件である。冷たい雨が降る冬の日の朝、東芝府中工場の従業員に支給される予定だった約3億円の現金が、白バイ警官に扮した犯人に現金輸送車ごと奪われた。
当時の大卒初任給は平均約3万円。現在の貨幣価値に換算すると、ゆうに20億円以上となる大金を奪い去るという「戦後最大の強盗劇」に日本は騒然となった。
「僕はいまでも複数犯と考えていますね」
犯人を現場から取り逃がしはしたものの、塗装されたニセの白バイや、別の現場に残されていた逃走用車両など、多数の遺留品から容疑者は簡単に特定されると思われた。
だが、捜査は意外な難航を見せる。単独犯か、複数犯かをめぐって意見が割れた捜査は迷走し、ついに真犯人を検挙できないまま、7年後の1975年に公訴時効を迎えた。事件の核心はいまなお謎に包まれている。
「僕は、平塚八兵衛さんの考えには賛成できなかった。あの人は終始単独犯を主張したけれども、僕はいまでも複数犯と考えていますね」(三好さん)
平塚八兵衛は、警視庁で「捜査の神様」と呼ばれた伝説の刑事である。迷宮入りが濃厚視された吉展ちゃん誘拐殺人事件(1963年)を、執念の捜査で解決に導いたことで知られる。
上司や同僚に対しても、物おじせず自説を主張するため、ついた異名は「ケンカ八兵衛」。自分自身が見て聞いたことしか信じないという、妥協なし、職人肌の人物だった。
3億円事件では事件発生から4カ月後、平塚八兵衛とは盟友関係にあった武藤三男捜査一課長(当時)の依頼で捜査に加わることになった。
平塚は、その時点で主流だった複数犯説を完全否定し、単独犯行であると主張した。だが、これが捜査迷走の大きな原因になったとも指摘されている。
「複数犯だと思っていても、八ちゃんの言うことに誰も異を唱えることができなかった。部下はもちろん、上司もね。ただ、平塚八兵衛の言うことが絶対ということはない。名医は自分の成功した手術については語るけれども、失敗した手術もたくさんあるわけです。ただ、それを語ることはないからね」(三好さん)
事件を深く調べるようになったきっかけは…?
三好さんがこの事件を深く調べるようになったのには、あるひとつのきっかけがあったという。
「事件が起きた翌年(1969年)の10月だったかな、警視庁の刑事が話を聞きたいと言って僕のところに連絡があったんですよ」(三好さん)
すでに事件発生から10カ月以上が経過していたが、犯人に直接結びつく手がかりは浮上せず、捜査は手詰まりになっていた。
「集められたのは梶山季之、佐野洋、結城昌治、生島治郎、そして僕の5人でした。場所は、当時カジさん(梶山季之)が仕事場にしていた平河町の都市センターホテルです」(三好さん)
人気推理作家を集めた警視庁が聞きたかったことは…
梶山季之は、草創期の週刊誌ジャーナリズムで活躍した「トップ屋」として知られ、1969年の長者番付文壇部門で1位となった人気作家である。また、三好、結城、生島の3人はいずれも直木賞作家だ。佐野も直木賞の候補作家である。
当代の人気推理作家を全員集合させた警視庁は何を聞きたかったのか。
「2人の刑事が“脅迫状”の実物を持ってきまして、そこに書かれた文章からどのような犯人像をイメージするかと聞かれたわけです。僕や佐野は新聞記者出身(ともに読売出身)だから、事件取材には慣れているが、文章心理学や筆跡鑑定の専門家ではない。捜査のプロがアマチュアの推理作家に意見を求めたわけですから、極めて異例のことだったと思いますよ。執念を感じるとともに、相当、捜査が難航しているなという印象でしたね」(三好さん)
刑事が示した「脅迫状」は、事件において重要な意味を持つ証拠品だった。
3億円事件が発生したのは1968年12月だが、この年の4月以降、多摩地区では多磨農協に現金を要求したり爆破予告を繰り返すなどの「脅迫事件」が断続的に起きていた。事件発生4日前には、東芝にボーナスの現金を運ぶ役回りだった日本信託銀行の支店長宅にも脅迫状が送りつけられている。
「少なくともこの脅迫状を書いた人間はそう若くはない」
一連の脅迫状は、その筆跡から同一人物が作成したものと断定され、「脅迫状の作成者=3億円事件の容疑者」という構図がほぼ確定していた。
「当時、例のモンタージュ写真のイメージもあって、犯人は20代前半くらいまでの若い男というのが定説になっていた。しかし僕は、少なくともこの脅迫状を書いた人間はそう若くはない、僕と同世代かそれ以上だと言ったんです。僕は旧制中学校制度の最後の卒業生で、僕らまでの世代と、それ以後の世代では、漢字、送り仮名、書き言葉の使い方がかなり違うことを知っていました。脅迫状にあった“オヌシ”などという言葉は20代の若者は使わないし、使ったとすれば高度な偽装で、いずれにせよ若者にできる芸当じゃない」(三好さん)
たとえ現金強奪の実行犯が若者だったとしても、脅迫状を書いたのはもっと年配の人物であり、三好さんはそれを「複数犯行説」の理由の1つとして挙げた。
「僕ら5人の作家は、脅迫と現金強奪が同一犯という点で意見が一致していました。結城昌治は、“ウンテンシャ”などといった特殊な言葉から、警察関係者か、車両に詳しい業界の人間であると主張していましたね」
1968年12月10日に東京・府中市で発生した現金強奪事件、通称「3億円事件」。
冷たい雨が降る冬の日の朝、東芝府中工場の従業員に支給される予定だった約3億円の現金が、白バイ警官に扮した犯人に現金輸送車ごと奪われた。
現在の貨幣価値に換算すると、ゆうに20億円以上となる大金を奪い去るという「戦後最大の強盗劇」の捜査は、当初の予想とは異なり、難航を極めていた。
事件から約10カ月後には、警察は事件の重要情報を呼び出した5名の推理作家に伝え、彼らに意見を求めるという型破りな手段までとっていた。そしてその後、事件は急展開を迎えることになる――。(全2回の2回目。1回目を読む)
「八兵衛さんはなぜ容疑者のアリバイ調べもせずリークしたのか」
刑事たちが作家5人に極秘の聞き取りをしてから約2カ月後の1969年12月12日。毎日新聞が超ド級のスクープを放つ。
このスクープが社会面のトップを飾った新聞が、まさに配達されようとしていた早朝、警視庁は府中市に住む運転手K氏(当時26歳)に任意同行を求め、同日中に別件逮捕した。
K氏は、脅迫状の特徴からマークされていたカナタイプ経験者で、地元に土地勘もあり、350㏄のバイクにも乗っていた。
「当時、僕はチェ・ゲバラ伝を書くためにキューバへ渡航する準備で忙しかった。容疑者浮上のニュースを聞いて、大いに驚きましたよ。やはり、捜査本部はあのとき脅迫状の分析を早期に詰めようとしていたのかなと思いました」
事件からちょうど1年目の容疑者逮捕――だが、その直後に事態は暗転する。犯行時刻には、東京・日本橋で民間企業の入社試験を受けていたというK氏のアリバイが確認され、翌日に釈放。
“大スクープ”は世紀の誤報となり、誤認逮捕という失態を演じた捜査本部には厳しい批判が浴びせられた。
この容疑者の情報をリークしたのは平塚八兵衛自身だったことを、後に毎日新聞記者の井草隆雄氏(故人)が回想している。平塚は、自宅に呼び寄せた井草氏に捜査資料を示し書き写させたものの、ふと「筆跡が違うんだよなあ」と苦々しげにつぶやいたという。
当時の事情を知る元全国紙記者が語る。
「下山定則国鉄総裁が轢死体で発見された下山事件(1949年)で、朝日は他殺説を展開し、毎日は八兵衛さんの主張する自殺説を支持した。以来、八兵衛さんと毎日のパイプが強固になったと思います。それにしても、八兵衛さんはなぜ容疑者のアリバイ調べもせずリークしたのか。いまでもよく分かりません」
「真犯人しか知り得ないはずの非公開情報を捜査幹部から聞いていた」
三好さんは、それ以降も3億円事件の捜査関係者に取材を重ねた。
時効成立まであと3ヵ月となった1975年9月には、『週刊読売』(現在は休刊)誌上で3億円事件の「捜査担当責任者座談会」なる企画が組まれ、浜崎仁氏(事件発生当時の捜査一課長)、笠間主計氏(捜査一課長)、北野一男氏(捜査一課長代理)、伏見勝氏(読売新聞社会部記者)が出席。三好氏はこの座談会の司会をつとめている。
現職の捜査一課長が週刊誌の座談会に登場するのは極めて異例だ。笠間氏と北野氏は、この事件の犯人像について、すでに警視庁を去っていた平塚八兵衛と根本的に異なる考えを持っていた。彼らは複数犯説を支持していた三好さんと信頼関係があったのだろう。そうでなければ座談会に出席するはずがない。
「時効成立後、3億円事件の自称実行犯が次々登場してね。なかには本ボシかもしれないと思わせるような告白をする人間もいた。しかし僕は、彼らは真犯人ではないとすぐに確信できた。なぜかと言えば、書かないという条件で、真犯人しか知り得ないはずの非公開情報を捜査幹部から聞いていたんです」(三好さん)
犯人の自白の信用性を高めるものが「秘密の暴露」だ。
警察や検察が捜査情報をみだりに公開しないのは、取り調べにおいて犯人しか知らない情報を引き出すためでもある。
発煙筒とともに現場に残されていたもの
犯行があった日の朝、ボーナス約3億円を積んだ日本信託銀行の現金輸送車(セドリック)がニセの白バイに止められた。
警官に扮した犯人は「ダイナマイトが仕掛けられているかもしれない」と行員4人を退避させ、車の下にもぐり点検するふりをしつつ、用意していた発煙筒に火をつけた。煙を見た4人がさらに遠ざかると、犯人はキーがささったままのセドリックに急いで乗り込み、エンジンをかけると悠然と現場から走り去った。
実はこのとき、発煙筒とともに、あるものが現場に残されていた。
「燃焼して煙が出なくなった発煙筒の残骸とともに、使用済みのマッチが落ちていたんです。当日は雨が降っており、犯人はマッチで発煙筒に火をつけようとしたが、なかなか点火しなかった状況が残されていた。後になって、多くの自称実行犯が、発煙筒のヒモを引いたとか、ライターで火をつけたなどと語っていたが、警視庁はそういう連中をまったく相手にしていなかった」(三好さん)
マッチは何本使われたのか
三好さんは、前述の小説『ふたりの真犯人 三億円の謎』のなかで、現場にマッチが残されていたことに言及している。小説仕立てではあるが、捜査幹部が実名で登場するなど細部は実質的なノンフィクションである。
「それを書いたら、その後に出てきた自称実行犯たちの一部が“実はマッチを使った”と言い始めた。どうもいろいろ読んで、勉強しているみたいなんだな(笑)」(三好さん)
事件発生から50年が経過した2018年12月、3億円事件をモチーフとした1冊の本が話題となった。白田という人物による『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』(ポプラ社)がそれだ。
同書も、フィクションとうたってはいるものの「実行犯の手記」ではないかと話題になり、結果的に13万部のベストセラーとなった。
この作品にもまた、発煙筒の着火方法についての記述が登場する。「マッチを使用したが最初はうまくいかず、発煙筒の包装を剥がし、火を直接火薬に当てた」という趣旨の説明がなされているが、結局、何本のマッチが使われたのかは書かれていない。
ちなみに、発煙筒は日本カーリット製の「ハイフレヤー5」だったが、むき出しの発煙剤に直接火を当てるというのはあまりに危険な行為で、通常の燃焼効果は得られず、ごく短時間でそのような手順に踏み切ることができるとは思えない。「秘密の暴露」とはほど遠い内容である。
「真犯人にはどうしても聞きたいことがあるんだよ」
では、現場に残されていたマッチの軸の本数とはいったい何本だったのか――すでに三好さんは泉下の人となったが、ここでそれを明かすことは控えたい。
時効成立後も情報源との約束を守り、核心の情報を最後まで書かなかった三好さんの「仁義」に敬意を表するためである。
「真犯人にはどうしても聞きたいことがあるんだよ。現金を何に使ったかとかじゃなくて、この犯行計画の立案者は誰だったのか。そして何かに着想を得たとすれば、それは何だったのか。聞いてみたいね」(三好さん)
生前の三好さんが心待ちにしていた真犯人による「真実の告白」。これまで誰も答えられなかった「マッチの本数」が明かされる日はやってくるのだろうか。
華城連続殺人事件 後編
菅野 朋子2021/05/09 文春オンライン
韓国初の連続殺人事件にして、10人もの犠牲者を出した「華城連続殺人事件」。同事件をモチーフとしたポン・ジュノ監督映画『殺人の追憶』を通じて、世界中を震撼させた。
長い間、模倣犯が起こしたとされる8番目の事件を除き、9件の事件は未解決のままだったが、2019年9月、事態は急転する。DNA鑑定により、別の事件で服役中の男、イ・チュンジェが容疑者として浮上したのだ。
イが未解決だった9件に加え、8件目の事件についても自白すると、8件目の犯人として20年間服役した男性の存在に焦点が当たることとなった。(前後編の後編/前編から読む)
8件目の事件の再審で、真犯人が詳細に自白
8番目の事件は「華城連続殺人事件」の中で唯一室内で起き、模倣犯罪とされたのは前述した通り。この事件の犯人とされたのは、農機具修理工だったユン・ソンヨ氏だった。
ユン氏のえん罪の可能性が高まると、韓国社会は騒然となった。
ユン氏は無期懲役となり20年間服役した後、模範囚として減刑され、2009年、仮釈放された。韓国の刑事法では、無期懲役囚で20年以上服役した模範囚の中で審議を通過した者に限り、仮釈放が可能となっている。
ユン氏は出所後、華城市には戻らず、収監中から手を差し伸べてくれたシスターの家の近くに住まいを借りた。
姉や弟に連絡することもなく、ただ黙々と仕事をし、ひっそりと暮しながら、聖堂に通っていた。再審が始まってから出演したテレビ(KBS)のドキュメンタリー『ソンヨ』では、「叔父も姉も弟もみな事件で苦労した。誰かを巻きこんでしまうかもしれないと思うと怖かった。だから人と会いたくなかった」と話している。
イの自白からひと月後の2019年11月、ユン氏は再審を請求した。翌2020年1月には再審が開かれることが決定し、同年5月から裁判が始まった。
8番目の事件で残されていた証拠品ではDNA鑑定が成立せず、イの自白が唯一の証拠とされた。裁判所は2020年11月、イを証人として出廷させた。ここでイは室内に侵入した経路について、当時は塀を越えたとされたが外門から侵入したこと、犯行に及んだ後下着を身につけさせたが逆に着せてしまったことなど、犯人にしかわかり得ない事実を詳細に語った。
そして、「(殺人事件で)証拠隠滅もしなかったのですぐに警察がくるだろうと思っていたら来なかった。どうして捜査線上に自分の名前が挙がらなかったのか不思議だった」と話し、「ちゃんと捜査していたら(自分のところに)来たはず。見せるだけのための捜査だったのではないか」と批判までしている。
実は、イはこの事件を含めて3回ほど警察の尋問を受けていた。しかし、いずれも証拠不十分とされ取り調べられることはなかった。イがO型だったため除外されたといわれる。
当時の鑑定結果はねつ造か? 31年目の無罪確定
法廷でのイの証言からひと月経った同年12月17日、ユン氏に無罪が言い渡された(検察は控訴せず24日、無罪が正式に確定)。事件から31年目のことだった。
当時、ユン氏を逮捕した警察官と起訴した検事、DNA鑑定を行った科捜研の人物は検察に送致されたが、いずれも事実関係を否認した。時効が過ぎているため「公訴権なし」として処理されている。
ユン氏が逮捕された際に用いられたDNA鑑定は「放射性同位元素鑑定法」で、そもそも不確かな鑑定方法だったことが明らかになっている。
これは、サンプルに放射線をあてて各成分の含量を測定した後、他のサンプルとの同一性を確認するもので、当時これを採用するところは海外でもほとんどなかった。
韓国でもこの8番目の事件以外では使われておらず、研究所内でも使用に反対する声が大半だったが、担当者が押し切ったという。
また、鑑定された陰毛がユン氏のものではなかったという話も出ている。この話が本当であれば、結果を焦った警察がねつ造したことになる。
この時に警察がまっとうな捜査をし、イを逮捕できていれば、自白で新たに発覚したものも含めた7件もの殺人事件や性的暴行事件は防げていた。
イは94年に起こした義理の妹の殺害事件では証拠隠滅を図っていた。被害者の頭をハンマーで殴った際(この後絞殺)床などについた被害者の血痕を丁寧に拭き取っていたという。しかし、洗濯機の下にあったほんのわずかな血痕が逮捕につながった。
もし、この事件でイが逮捕されていなければ、殺人犯は今も野に放たれたまま。華城連続殺人事件が解決することもなく、ユン氏はえん罪の汚名を生涯背負わなければならなかった。
ユン氏は再審を請求した心情をこう語っている。
「人としての名誉を取り戻したい。ユン・ソンヨという名前を取り戻したい」(KBSドキュメンタリー『ソンヨ』)
ユン氏は3歳の時に小児麻痺を発症し、幼い頃から脚が不自由だった。小学3年生の時に母親が交通事故で亡くなると、父親は家を出ていったまま戻らなかった。姉や弟はみな親戚の家にばらばらになった。ユン氏は叔父の家で暮すことになったが、従兄弟が学校に通う間、田畑の草刈りに出かけたという。中学校には通っていない。
「カネもなく、後ろ盾もなく、力もなく」
ドキュメンタリーのプロデューサーが「どうしてあなたが逮捕されたと思いますか?」と問うとこう答えた。
「カネもなく、後ろ盾もなく、力もなく、持っているものもなく、無学だから、目をつけたんじゃないかなあ、警察は」
警察だけではなかった。最初の裁判に国選弁護士は現れなかった。二審で現れた別の国選弁護士に無実を訴えたが供述書にも目を通すこともなく、法廷では「障害者だから減刑してほしい」と繰り返したという。
刑務所でのユン氏のあだ名は「無罪(ムジェ)」だった。
「私はやっていない、無罪です、何度もそう言っていたので、いつの間にか、『おい、無罪』と呼ばれるようになった」(KBSドキュメンタリー『ソンヨ』)。
刑務官の中にはユン氏の生真面目な生活態度などから犯人ではないのではないかと思った人もいた。この刑務官は出所後の働き場所を紹介し、無罪を勝ちとった法廷で、裁判が終わった後にユン氏と抱擁し喜ぶ姿がテレビに映し出されている。
時は流れて、桑田碧海。
『殺人の追憶』の始まりとなった稲穂の姿は、今の華城市ではほとんど見られない光景となった。住宅不足から華城市も開発が進み、今現在広がるのは高層マンション群の波だ。イの実家は畑を売り数十億ウォン(数億円)を手にしていることが報じられている。
「殺人の追憶」
「華城連続殺人事件」は「イ・チュンジェ連続殺人事件」と名を変えた。
しかし、イは犯罪を自白しても時効成立によりその罪は法で裁かれることはない。今も刑務所で以前と変わらない日々を送っている。『殺人の追憶』は刑務所で見たそうで、イがもっとも気にしていたのは自分の健康と収監生活だったという。
イのことを恨んでいるか、ドキュメンタリーでこう訊かれたユン氏はこう答えた。
「恨んでも歳月は戻せない」
そして、まるで自分のことのようだとこんな歌詞を繰り返した。
「時計は故障すれば止まってしまうが、歳月は止まらない」
当初、犯行現場には、下着に付着した精液やたばこの吸い殻、犯人のものと思われる髪の毛、スニーカーの足跡などが残されており、ほどなく犯人が捕まるかと思われたが、捜査は難航を極めた。
韓国全国からベテランの捜査員が捜査本部に次々と投入され、動員された警察官は延べ205万名あまり。捜査の対象となったのは2万1280名、指紋鑑定の対象者も4万人以上にのぼった。しかし、犯人逮捕には至らなかった。取り調べを受けた中には、その後、自死する者も出ており、捜査に当たった警察官の中にも過度なストレスからか自ら命を絶った者もいた。
12月30日、午前4時45分~CSテレビのムービープラスで観た。
本作品が題材にしている『華城連続殺人事件』は、韓国の未解決事件としても有名な事件の一つでした。
本作品以外にも韓流の刑事ドラマ『シグナル』など多くの作品でも、取り上げられている事件ですが、2019年に既に別件で服役中の受刑者が容疑者として特定されたことから、この『殺人の追憶』は再び脚光を浴びました。
あらすじ
実際に起きた未解決連続殺人事件をテーマにした衝撃サスペンス。
1986年10月23日、農村で若い女性の変死体が発見される。地元の刑事パク(ソン・ガンホ)は地道な取り調べを始めるが、現場は大勢の見物人で荒らされ、なかなか証拠がつかめない。やがて、第ニの事件が起きてしまう。
この映画では史実どおり犯人が捕まらないが、彼はこの事実が過去そして現在において何を意味するのか、ラストの衝撃的なひとことで観客に問いかえす。
【公開】
2003年(韓国映画)
【原題】
Memories of Murder
韓国で560万人を越える動員数を記録。事実を基に綿密に構成された脚本と緊迫感あふれる映像で、犯人を追う刑事たちの焦燥感が身近に迫る。
東京国際映画祭アジア映画賞受賞。
主役は『シュリ』『JSA』で知られる、韓国の名優、ソン・ガンホ。
田舎町の少々、愚鈍な刑事を演じるため、体重を10kg増やし役作りした。監督・脚本は『ほえる犬はかまない』のポン・ジュノ。
シネマトゥデイ (外部リンク)
映画レポート
昨年ようやく公開された「ほえる犬は噛まない」を00年の映画祭で観て以来、筆者の中では「次の動きが気になる監督ランキング世界一」となったポン・ジュノ韓国社会のローカル性に執着したミクロな視点を、汎世界的でマクロな人間描写・歴史認識へと繋げる稀有な才能は、エンタテインメント度を増した本作でさらにパワーアップしている。
86年、ソウル近郊のある農村で起こった未解決連続殺人事件。これを忠実に映画化した本作は一応サイコ・ミステリというジャンルに区別できるだろうが、ゴアな猟奇趣味はきわめて稀薄。あくまで主眼は事件を捜査する刑事たちの熱情と挫折を描くことにある。しかし、リアリスティックな警察ドラマと言い切るのもまた躊躇させるのだ。
時代はチョン・ドゥファンによる軍事政権下。灯火管制のサイレンの中で防空演習に駆られる民衆の姿や、反政府デモ鎮圧のため警察官が出払っていて殺人の兆候をキャッチしながら防げない、といったキナ臭い描写が断片的に置かれているのが象徴的だ。
つまり閉塞と抑圧のなかで、誰も気づかぬうちに人間性が失われていく「見えない恐怖」をこそ、ポン・ジュノは描こうとしているのである。
たしかに軍事政権は崩壊したが、それで社会は抑圧から解放されたのか? 不安に満ちた空気の中で蠢く「見えない犯人」は、あいつであり、あなたであり、またわたしであったとして何の不思議もないのだ。 (ミルクマン斉藤)
ポン・ジュノ監督にとって長編2作品目となる本作は公開当時韓国内で大ヒットを記録し、韓国の映画賞である大鐘賞で監督賞・作品賞を受賞。また東京国際映画祭アジア映画受賞作品です。
事件が起きた郊外の刑事をソン・ガンホが演じるほか、ソウル市警から派遣されるイケメン刑事を『12番目の容疑者』にも出演のキム・サンギョン、また容疑者と思しき男性役を『22年目の記憶』『ラスト・プリンセス』またNetflixドラマの『上祐階級』に出演のパク・ヘイルが演じています。
そこへ第二の殺人事件がおきますが、現場保存も多くの見物客により荒らされてしまいます。
またある日、懇意にしている女性のソリョンから、クァンホという男が殺された女を追いかけていた話を聞きます。
クァンホは右側の顔面にやけど跡があり、手指も自由にならず、知能レベルも子供のように低かったのです。
尋問室にクァンホを連れ出したパク刑事はクァンホを誘導尋問し、同僚のチョ刑事は暴力を働きくことでクァンホを脅します。
ある日、一人の男性が最初の事件現場を訪ねていました。
連続して女性を狙った殺人事件がおきていることから、男性を見かけると襲われるかもしれない不安に村の女性は足早に歩きます。
その一人の怪しげな男性からも逃げようとして土手に落ちかけた時、パク刑事が男性ともみ合い助け出してくれました。
車に乗せたパク刑事は刑事と知らずに捕まえたことを謝ります。そして、刑事なのに喧嘩が弱くてどうすると笑いかけます。ソ刑事は、刑事が人を見る目がなくてどうすると応酬するのでした。
クァンホのスニーカーを証拠として没収したパク刑事は、第二の殺人事件現場に残っていたスニーカー痕の写真を撮り、照合を進めます。
そして証拠とスニーカー痕が合致したことから、パク刑事はクァンホをこれまでの2件の殺人事件の犯人として尋問を進めますが、クァンホは殺していないと言います。
パク刑事はクァンホに無理やり自供を進めさせ、誘導する形で殺害状況の話をさせます。一件目の殺人事件についてはうまく話せないクァンホもスニーカー痕の残っていた二件目の殺人事件の状況については、詳細に説明できたのです。
一方、ソウルから来たソ刑事は、クァンホを犯人説とすることに疑問を抱いていました。
そして現場検証の日、クァンホの手を見て子供の時から指がくっついておりうまく使えないことを確認したソ刑事は、クァンホは犯人ではないと告げ、現場検証を中止するように伝えます。
それを受け検事側もクァンホの検挙はできないとし、捜査は振り出しに戻ります。
しかし、クァンホが説明した二件目の殺害現場の状況は、あまりにも当事者しか知りえないほどの詳細さでした。
事件の解決が進まないことから、捜査本部にソウルから上層部の警部がやってきます。
そこで事件の共通点を尋ねたところ、二件の殺人事件の被害者はともに独身であり若くて美しいという点、また雨の日に起きており、必ず赤い着衣であったことが確認できたのです。
ソ刑事は事件は二件だけでなく、まだ遺体が見つかっていないだけで三件起きているといいます。2カ月前に捜索願が出された村のヒョンスンも、失踪当日に赤い洋服を着ており、また雨が降っていたのです。
そういうソ刑事にパク刑事は「ヒョンスンはしょっちゅうソウルに行く」と言っていたと取り合いませんが、警部はソ刑事の自信ある仮説に機動隊を出動させ、遺体捜索を始めます。
そして、ススキ野原で実際に遺体が発見されます。
遺体で見つかったヒョンスンもまたこれまでに起きていた二件の殺害事件と同じ手口でした。後ろで手を縛られている、被害者の持ち物を用い殺害され、殺害後には下着を被せていたのです。
刑事たちはクァンホの父親の店で食事をしています。誤認逮捕のお詫びで、パク刑事はクァンホに新しいスニーカーを渡します。
食事後、カラオケを楽しむ彼らでしたが、酔いも回ったころパク記事はこんな田舎に何をしに来たのかとソ刑事に絡みます。
そして、自分たちの足を使った地道な捜査方法が功をなすこと、ソ刑事のように頭脳で捜査するのであれば大韓民国ではなく、広大な土地のアメリカに行くべきだと揶揄するのです。
二人をいなすように泥酔状態から起き上がった警部は、今回の連続殺人事件の犯人は再び事件を起こすだろうと断言し、警察はその前に先回りしなければならないと叱咤しました。
雨の夜、婦警に赤いワンピースを着せておとり捜査を実施しますが、犯人検挙には至りません。
おとり捜査の途中、雨宿りの最中に出会った女子学生から気になる話を聞きます。犯人が捕まらないのはトイレの下に隠れており、夜になると出てきては女性を殺すからだという話でした。
一方、雨の中工場か帰る旨の連絡を受けた女性は、傘を持って歌を歌いながら旦那を迎えに行きます。
その途中自分の歌声とは違う口笛が聞こえ、不安に駆られるなか逃げるように走るものの、犯人の餌食となってしまうのでした。
今回も現場の足跡以外には目ぼしき証拠が見つかれず、事件現場に犯人の痕跡を見つけられず、捜査に行き詰まりを感じ始める刑事たち。
髪の毛一本も現場に落ちていないことから、犯人は無毛症ではないかと仮説を立てます。
また婦警はFM局から放送局のリストを取り寄せ、事件が起きている夜に必ず「憂鬱な手紙」という曲が流れていることを突き止めていました。
はがきによるリクエストが届いていたもので、ペンネームは「テリョン村の寂しい男」となっていました。
パク刑事はサウナに通い、毛のない男性を探して始めます。一方、ソ刑事はラジオ局に行きリクエストはがきを調べはじめます。
無毛症の男性を探すのにも埒のあかないパク刑事は、ソリョンの提案もあり霊媒師を訪ねます。
霊媒師に殺害現場の土を祈祷した紙に書けると犯人像が浮かび上がると言われたパク刑事はチョ刑事を伴い、先日の殺害現場を訪れます。そこへソ刑事も訪ねては、「憂鬱な手紙」の曲を流し始めます。
するとそこへ、怪しげな男性がやってきては持ち込んだ女性下着を殺害現場においては、自慰をはじめたのです。
しばらく様子を見ていた刑事たちでしたが、怪しい男を確保するために動き出します。
逃げ足の早いその男を必至の思いで追いかけ確保し追及するものの、その男は妻が病気であり、自分の妄想による性的欲求を満たすためだけに変態行為を行っていたことが判明します。
パク刑事はまたもや誘導尋問で自白へ誘いますが、その男話す内容には一遍性がなくつじつまが合いません。
一方、女性学生の話していた内容が気になるソ刑事は、学校へ向かいます。そこで、学校の近くの畑で泣いていた女性がいることを知り、その女性の家とおぼしき場所を訪ねます。
そして、その女性から実はその女性も同じ手口で連続殺人犯の犯人と思われる男性から強姦されていたことを聞き出します。恐怖で犯人の顔は見ていないものの、自分をつかんだ手が女性のように柔らかい手であったという有益な情報とともに。
警察署に戻ったソ刑事は、現在不法に拘留されている変態男の手を確かめ、その堅さから、犯人ではないと釈放を命じます。
自分の手柄を取られたような気になったパク刑事はソ刑事につっかかり、暴力を振るいますが、そこへ警部がやってきて彼らを止めます。
そこへ、ラジオの生放送から「憂鬱な手紙」が流れ出し、ソ刑事が窓を開けると雨が降っていました。
焦る刑事たち。婦警はラジオ局に電話し、曲をリクエストしたもののはがきを確保しておくよう伝えます。
翌朝、同じ手口で殺害された裸体の女性遺体が見つかります。
推定犯行時間はパク刑事とソ刑事が喧嘩をしていた頃。そして、今回は女性の遺体の膣内から桃の破片が9つ見つかりました。
一方でラジオ局から見つけたリクエストはがきにより、差出人の名前がパク・ヒョンギュであると判明し住所も判明します。駆け付けるパク刑事とソ刑事。
そして大家からパク・ヒョンギュの勤め先を割り出します。
セメント工場で事務をしているパク・ヒョンギュはとても大人しそうな知的な男性でした。
尋問する刑事たちは、パク・ヒョンギュの柔らかい手に確信を強めます。またパク・ヒョンギュが工場で働きだしたタイミングと事件が起き出したタイミングが同じであることを突き止めます。
しかし、目撃者もなく、容疑者の自白以外には犯人検挙はできません。
ソ刑事は気づきます。クァンホの供述が詳細だったのは、クァンホが事件を目撃していたからであったことに。クァンホが目撃者だったのです。
ソ刑事とパク刑事はクァンホに現場で見たことをもう一度話すよう言います。しかし怒られるのが怖いクァンホは、刑事たちの焦りに脅え、逃げてしまいます。
彼が逃げたのは線路の上で、パク刑事が危ないからとクァンホを迎えに行きますが、やってきた汽車にクァンホは轢かれて死亡してしまいます。
パク・ヒョンギュが怪しいと思うパク刑事ですが、物的確証がないため、勾留できずに釈放されます。
一方で科学捜査犯は被害者の服から犯人の精液を見つけますが、韓国の技術ではパク・ヒョンギュとのDNA鑑定はできず、米国への鑑定依頼の結果を待つしかありません。
またチョ刑事は取調室での愚行により足に刺さった釘から破傷風になり、足を切断しなくてはなりませんでした。
パク刑事もまたソリョンに呼び出され、犯人検挙に忙しく走り回る体を心配され、点滴を受けていました。
そんななかパク・ヒョンギュが一人が酒をたしなんでいる様子を見張っていたソ刑事ですが、尾行しようにも車が動かず実行できませんでした。
先回りしたものの帰宅も確認できず、パク・ヒョンギュがどこかでまた犯行を犯すのではないかと焦る警察社内。
その頃、おばあさんの容態を確認しに夜道を歩くソリョンとすれ違った女子学生は、殺人犯によって縛り上げられていました。
翌朝、雨降る中で遺体が発見されます。またも膣内に異物が入っていました。
そして、殺された女子学生は、ソ刑事が学校を訪れた際に案内してくれた女子学生だったことから、怒りと悲しみに駆られたソ刑事は、パク・ヒョンギュに暴力を振るい、拳銃を向けます。
そこへアメリカからのDNA鑑定結果とともに、パク刑事が駆け付けます。
ソ刑事は結果を確認しますが、DNAの一致は見られませんでした。
何かの間違いではないかと思うものの、結局犯人検挙に至らない刑事たちの悲しみ。
土砂降りの中ソ刑事はそれでもパク・ヒョンギュを撃ち殺そうとしますが、パク刑事が阻止し、目を見つめながらパク・ヒョンギュを逃がします。
数年後、警察を辞めてジュースミキサーの販売員になっているパク元刑事は、その営業で連続殺人事件で彼が最初に立ち会った事件現場の近くを通ったことから、車を降り、当時同様、水路の中を覗き込むのでした。
勿論水路の中には何もありませんが、パク元刑事の目は刑事の目だったのです。そして、通りがかりの女の子が、先日他にも水路を覗いていたおじさんがいたと聞きます。
そしてその人は「昔自分がここでしたことを思い出しに見に来た」と言っていたと聞いたパク元刑事は、その人の人相を聞き出しますが、女の子は「よくある普通の顔」としかいいませんでした。
まだ犯人が自由に生きていることを確信するパク元刑事の前には揺れる稲穂が広がっていました。
KEIRINグランプリ2021
10レース 10RS級準決勝(12月29日)
並び 7-1 2-8 4-9 5-3-6
レース評
吉田の相手はグッと強くなったが、それでも通用するはず。
諸橋のガードも心強い。野原の一撃、小川−荒井も仕掛けひとつ。
想定内の先行争い
1番人気 4-9(3.4倍)
2番人気 9-4(4.4倍)
2-8 4-9 7-1の3車ライン入り乱れる展開に。
4番吉田 有希選手にとって、先行争いに巻き込まれる展開となる。
これがまさに競輪の難しさで、後方待機の5-3ラインにとっては、捲りごろとなる。
強い選手がやり合ってもつれる。
2番桐山 敬太郎選手にから絡まれた9番諸橋 愛選手が2着に。
最後は、5番小川 真太郎選手をマークした3番荒井 崇博選手が恵まれて1着に。
新星に期待するも、先輩選手たちにはそれなりの意地があった。
つまり、先行して勝てるほど競輪は甘くないとの<洗礼>を受けたのだ。
本命4番吉田 有希選手決勝戦への進出を阻まれる。
結果
3-9 3,490円(12番人気)
3-9-5 1万6,890円(45番人気)
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
△ | 1 | 3 | 荒井 崇博 | 11.2 | 差 | 捲りを差す | ||
○ | 2 | 9 | 諸橋 愛 | 1/2車身 | 11.9 | 差 | 直線鋭伸び | |
注 | 3 | 5 | 小川 真太郎 | 1/8車輪 | 11.5 | 後方捲上げ | ||
◎ | 4 | 4 | 吉田 有希 | 3/4車輪 | 12.0 | 番手嵌るも | ||
▲ | 5 | 1 | 近藤 龍徳 | 1車身1/2 | 11.9 | 野原に離れ | ||
× | 6 | 7 | 野原 雅也 | 3/4車輪 | 12.3 | B | カマすも裸 | |
7 | 8 | 二藤 元太 | 2車身 | 11.7 | 前任せ一緒 | |||
8 | 2 | 桐山 敬太郎 | 2車身 | 12.1 | 諸橋に捌れ | |||
9 | 6 | 西川 親幸 | 3車身 | 11.9 |
踏み遅れて
|
押さえて出たのは注目の吉田有希。
桐山敬太郎が諸橋愛と絡む動きを見せた所で一気にカマシたのは野原雅也。
吉田が番手に嵌る展開となったが、小川真太郎の仕掛けに乗った荒井崇博が直線鮮やかに突き抜ける。
「ホームでは野原君が行くと思っていたから読みは良かった。でもあの位置になるとは。ジャンの所の桐山君の動きが上手だった。自分はコースを間違えずに良かった。そこだけ。伸びは変わりない。決勝は山田英明がいるから任せて。あとどうするかは彼が決める事」。
吉田の番手で捌いてから諸橋が伸びて2着。
「疲れた。桐山君がじゃましに来た所でエネルギーを使った。虚を突かれた感じだったが、技術で何とかカバー。でも脚を使って最後に伸びなかった。吉田君には流す所は流して良いし、自分の駆けたい所からで良いと。仕事はするからと言ってあった。番手に入ってから吉田君は余裕ありそうだったけど、ホームで脚を使っていたのかな。自分はここ最近で1番良いでき。決勝は栃茨には悪いけど森田優弥君の番手に付けようと思っている」。
捲り上げた小川は3着で決勝へ。
「1番後ろにだけはならない運びをと思っていたが。吉田君が後ろ攻めだったから、枠なりに出て先に切ってと。強い選手がやり合ってもつれ、自分が行きやすくはなった。アップの時から初日よりは感触が良かった。前のレースで隅田洋介さんの捲りを見て、あそこからなら行けるとイメージして。決勝は中四国1人だが、自力で何でもやって」。
2021/12/29 19:08 © 産経新聞
大阪市北区曽根崎新地のビル4階のクリニックが放火され25人が死亡した事件では、防犯カメラ映像などから、患者の谷本盛雄容疑者(61)が周到な準備を重ねて放火し、自らも炎の中へと向かった疑いが明らかになった。専門家の間では、強い自殺願望とともに他人を道連れにする「拡大自殺」との見方が浮上している。他人を巻き込む心理について、精神科医ら専門家に聞いた。
「典型的な無差別大量殺人であり、他人を巻き込みたい『拡大自殺』だ」
今回の事件についてこう指摘するのは、精神科医の片田珠美さん。自殺願望をもつ人のほとんどは一人で自殺するが、ごく一部に、一人で死ねず他人を道連れにしようとする人がいるという。
片田さんによると、一人で自殺する人と拡大自殺を図る人の〝分岐点〟は「本人の性格や考え方が、自責的傾向と他責的傾向のどちらが強いか」だという。
他責的な考え方が強ければ、「自分の人生がうまくいかないのは『他人や社会のせい』と恨みを募らせ、復讐(ふくしゅう)願望を満たそうとして無差別殺人につながることがある」と話す。
これまでに発生した無差別大量殺人事件は、攻撃対象が社会全体に向かう場合と、特定の集団を狙う2つのケースに分類できるという。
平成20年に起きた秋葉原無差別殺傷事件の場合、加藤智大(ともひろ)死刑囚は歩行者天国を訪れた不特定多数の人を攻撃することで「社会全体への復讐を果たそうとした」と分析。
特定の集団を狙った事件としては、平成13年の大阪教育大付属池田小事件を挙げ、「エリートになりたかったがなれなかった宅間守元死刑囚の復讐心が、エリートの卵のように映った有名小学校の児童へと向かった」とみている。
では今回なぜ、谷本容疑者は自分が通院していたクリニックを狙ったのか。容疑者の容体は依然として重篤で、事情聴取など動機の解明が困難となっているため、片田さんは「あくまで憶測」と前置きしたうえでこう語る。
「家族との離別により孤立し、唯一のよすがであったクリニックで、自分の要求が受け入れられない何らかの出来事があったのではないか」。動機の解明には、受診の経過がわかるカルテの復旧がカギとみる。
特に精神科クリニックでは、長時間の相談や、処方薬の追加などを求める患者も少なくないというが、当然ながらすべての要求に応えられるわけではない。
片田さんは「診療に落ち度や問題がなかったとしても、依存欲求が満たされない患者により、医師や病院が攻撃対象となることはある」と実情を語る。
自殺相談の現場では
「今から繁華街に行って大量に人を殺す」「誰かを殺して自分も死ぬ」
約40年前から自殺予防のため無料電話相談を行っているNPO法人「国際ビフレンダーズ大阪自殺防止センター」(大阪市中央区)には、こうした相談が年に1~2件程度寄せられている。
同センターの北條達人(たつひと)理事長(35)は「人間関係などにつまずくうちに被害者意識のようなものが増大し、社会への恨みや攻撃性に変化していくのでは」と推し量る。
同センターでは、相談員は相手の感情を否定せず、耳を傾けることを大切にしている。「過激な表現をするのは『そんなことをしでかすぐらい苦しいんだ』という心の訴えが裏側にはある」と北條さん。
「根底にあるのは孤独。こんな自分を理解しようとしてくれていると感じれば気持ちは変化する」と話す。
北條氏は「私たちのような窓口は、自殺だけでなく事件を予防する役割も担っている。感情を吐き出して受け止めてもらえる場所があるんだと、多くの人に知ってもらいたい」と呼びかけた。
「文春オンライン」特集班 2021/12/29 17:10
「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散……氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”《旭川市長が解決へ決意》 から続く
「文春オンラインの記事が辛すぎて、最初は最後まで読むことができませんでした。私も子どもたちに『学校でこの事件の話は出ているか』と聞いたりもしました。本当にあってはならない事件です」
12月29日、旭川市の今津寛介市長は 文春オンラインの独占取材 にこう答え、「イジメ問題の真相究明」に尽力する姿勢を示した。
今年3月に北海道旭川市内の公園で凍った状態で発見された当時中学2年生の廣瀬爽彩さん。文春オンラインではこれまで爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始したが、いまだ調査は道半ばだ。
爽彩さんの身に何が起きたのか。真相解明の一助になることを願い、当時の記事を再公開する。(初出2021年4月15日、肩書き、年齢等は当時のまま)
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今年2月13日、自宅を飛び出して行方不明となった北海道・旭川市内に住む、当時中学2年生の廣瀬爽彩(さあや)さん(14)が、3月23日に雪に覆われた公園で、変わり果てた姿で見つかった。警察による検死の結果、死因は低体温症。爽彩さんは失踪当日に亡くなった可能性が高いという。
これまで「文春オンライン」では、爽彩さんが壮絶なイジメの被害に遭っていた事実と、失踪前もPTSDと医師に診断され、その後遺症に悩まされていたことを報じた。2019年4月のY中学校入学当初から始まった先輩A子らによるイジメは陰湿かつ悪質なもので、爽彩さんは彼女らの前で自慰行為を強要されたり、撮影を強要された自身のわいせつ画像を彼女たちによって地元中学生らの参加するLINEグループに拡散されたりしていた。
※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。
川へ飛び込んだ事件で、警察も出動
さらに取材を進めると、2019年6月22日に爽彩さんがA子ら10人近くに囲まれた挙げ句、4メートルの高さの土手を降りて、川へ飛び込んだ事件が起きていたことがわかった。この件では、警察も出動した。
この“飛び込み事件”は、地元の情報誌「メディアあさひかわ」(2019年10月号)が報じている。
記事は「自身の不適切な写真や動画を男子生徒によってSNSに拡散されたことを知った女子生徒が精神的に追い詰められ、橋から飛び降りて自殺未遂を図った」と伝えている。
爽彩さんの母親の親族が説明する。
「記事は主犯格の人間を間違えていたり、事実と異なる部分もありますが、爽彩が川に飛び込んだことは事実です。現場は、彼女が過去に凄惨なイジメを受けた、小学校近くの児童公園の前を流れるウッペツ川でした」
取材班も現場を訪れた。川沿いの遊歩道は柵で通行止めされており、乗り越えなければ川岸には近づけない。川岸の土手は川面から4メートルほどの高さがあり、コンクリートで舗装されている。ウッペツ川は、川幅3メートル、水深は1メートルほどの小さな川だ。近隣に住宅はあるが、人通りは少ない。
「助けてください」爽彩さんは中学校に電話したが…
「その日は雨が降っていたんです。夕方6時頃、加害グループのA子、C男、別の中学校の生徒や小学生ら計10人以上がウッペツ川の土手の上に集まった。これは事件後に爽彩の母親が本人から聞いた話ですが、1人の生徒が笑いながら、『今までのことをまだ知らない人に話すから。画像をもっと全校生徒に流すから』などと爽彩に言ったそうです。『やめてください』と爽彩がお願いしたら『死ね』と言われたと……。
『わかりました。じゃあ死ぬから画像を消してください』と爽彩は答えたそうです。しかし、別の生徒が『死ぬ気もねぇのに死ぬとか言うなよ』と煽った。そこから集まった全員に煽られ、爽彩は柵を乗り越え、コンクリートの土手を降り、ついに川へ飛び込んだのです。“自殺未遂”というより、イジメグループたちから逃げるためには川に飛び込むしかなかったのです」(同前)
川へ飛び込む直前、爽彩さんは中学校に「助けてください」と、助けを求める電話をしていた。すると、連絡を受けた学校から母親の元にも「今から公園近くの川にすぐに来てください」と電話があった。母親は急いで現場へ向かったという。
「母親が川に着いたときには、爽彩は男の先生たちに抱えられていました。着ていたジャージはずぶ濡れで、川から引き揚げられた直後だったそうです。爽彩は『もう死にたい』と泣き叫んでいて。その様子を、他の加害生徒たちは公園側の遊歩道から柵越しに見ていただけだったそうです」(同前)
「川に飛び込むとき、みんなが携帯カメラを」目撃証言
この“事件”の一部始終を川の対岸から目撃していた人物がいたという。
「その方(目撃者)が川に飛び込んだ爽彩を心配して、警察に通報したのです。その方は『私見てたの、1人の女の子をみんなが囲んでいて、あれはイジメだよ。女の子が川に飛び込んだときにはみんなが携帯のカメラを向けていた』と爽彩の母親に話したそうです」(同前)
取材班はこの目撃者にも話を聞こうとしたが、すでに亡くなっていることが現場周辺の聞き込みでわかった。
イジメ発覚を恐れた加害少年らは警察に虚偽の証言
幸い川に飛び込んだ爽彩さんに大きな怪我はなかった。だが、イジメの発覚を恐れた加害少年らは、のちに駆け付けた警察に対し、「この子はお母さんから虐待を受けていて、虐待がつらいから死にたくて飛び込んだ」と虚偽の説明をしたという。
最悪なことに、加害少年の虚偽証言を警察が鵜呑みにしたため、爽彩さんの母親は、爽彩さんの病院へ付き添うことを止められたのだという。
「しかし、その後になって警察が調べて、虐待の事実はないことがわかり、母親は入院する爽彩と面会できるようになりました。
川へ飛び込んだ日の夜、爽彩のスマホが母親へ返却されました。母親が電源を入れましたが、当時ウッペツ川周辺で警察に『爽彩の友達だ』と証言していた生徒らからは、心配するメッセージや着信も一切ない。不審に思い、念のために爽彩のLINEを開くと、そこには、A子やB男、C男らによるイジメの文言や画像が残っていたのです」(同前)
加害少年のスマホから上半身裸や下半身露出写真も
この“事件”をきっかけに警察もイジメの実情を認識した。事件から数日後、爽彩さんのスマホのデータからイジメの事実を掴んだ旭川中央署少年課が捜査を開始。当初、加害少年らは自身のスマホを初期化するなど、イジメの証拠隠滅を図ったが、警察がそのデータを復元し、彼らが撮ったわいせつ動画や画像の存在が明らかになった。
そして、刑事らによってイジメに加わった中学生と小学生ら全員が聴取を受けた。母親も警察から事件の概要を聞かされて初めて、爽彩さんが受けていたイジメの全容を知ることとなったという。前出・親族が続ける。
「母親は、警察から『爽彩さんで間違いないか』と加害者が撮った写真の確認をさせられたそうです。その写真というのが酷いものだった。爽彩の上半身裸の写真や、下半身を露出させた写真や動画があったのです。上半身裸の写真には、爽彩の顔は写っていませんでしたが、服は爽彩のものでした」
C男は児童ポルノ法違反も、14歳未満で刑事責任を問えず
捜査の結果、わいせつ画像を送ることを強要した加害者であるC男は、児童ポルノに係る法令違反、児童ポルノ製造の法律違反に該当した。だが、当時14歳未満で刑事責任を問えず、少年法に基づき「触法少年」という扱いになり厳重注意を受けた。A子、B男、D子、E子らその他のイジメグループのメンバーは強要罪にあたるかどうかが調べられたが、証拠不十分で厳重注意処分となった。現場となった公園はその後、小学生の立ち入りが禁止されたが、加害者側は誰一人処罰されることはなかった。
「しかし、彼らは反省すらしていなかったのです。捜査終了後、警察を通して、爽彩の画像や動画のデータは加害者のスマホからすべて削除させたのですが、翌日に加害者のひとりがパソコンのバックアップからデータを戻して加害者たちのチャットグループに再び拡散。その後、警察がパソコンのデータを含め拡散した画像をすべて消去させても、データを保管したアプリからまた別の加害者が画像を流出させたりと、その後もわいせつ画像の流出が続きました」(同前)
中学校、教育委員会は「お答えできません」
結局、退院した爽彩さんと母親は、2019年9月に引っ越しをし、市内の別のX中学校へ転校することになった。しかし、爽彩さんはイジメの後遺症に苦しめられ、医者からはPTSDと診断された。ほとんど新しい学校に通うことができず、自宅で引きこもる生活を余儀なくされた。
その後1年以上にわたりイジメによるPTSDで悩まされた爽彩さんは、今年2月13日に失踪すると、3月23日変わり果てた姿で、見つかったのだった。
爽彩さんと加害者が通っていた地元のY中学校にイジメについて事実確認を求めたが、中学校は「個人情報により、個別の案件にはお答えできません」と回答した。同中学校を指導する立場にある旭川市教育委員会にも事実確認を行ったが、「個別の案件にはお答えできない」と答えるのみだった。
Y中学校に在籍していた教師を直撃
事件当時、このY中学校に在籍していたある教員は、イジメの事実を認め、取材班にこう語った。
「加害生徒には厳しく指導をしました。泣いて反省する子もいれば、ウソをついてほかの生徒に責任を擦り付けようとする子もいるなど、子供たちの反応はバラバラでした。爽彩さんがどうやったら学校に戻れるかについて、教職員間で話し合いを始めた矢先に、転校してしまった」
A子、B男、C男、D子、E子ら加害少年グループのメンバーは爽彩さんが亡くなったことについて、いま何を思うのか。取材班は彼らの保護者にアポイントを取り、保護者同伴のもとで彼らに話を聞いた――。
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中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か?
凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「 娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件 」として書籍化。母の手記「爽彩へ」を収録。
「正直何も思ってなかった」自慰行為強要、わいせつ画像拡散のイジメ加害生徒らを直撃【旭川14歳女子凍死】《旭川市長が解決へ決意》 へ続く
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))