対話こそ脳細胞を活性化させる

2019年02月28日 17時53分32秒 | 医科・歯科・介護

人間の脳は、周囲の人々とのコミュニケーションを取ることで発達してきたという仮説もある。
対話の人生こそ、人間の生き方であると思える。
心と心を結んでいく対話は重要。
心が通じ合えば、他人といえども命にもかかわる、かけがえのない存在となる。
友情を育んでいく対話こそ脳細胞を活性化させ、<自らの寿命をも延ばしていくことにつながっていく>と思えてならない。

 

 


生涯挑戦の人生

2019年02月28日 17時34分59秒 | 医科・歯科・介護

「いかに生きるか」
「何のために生きるのか」という哲学。
脳は運動感覚や自律神経の調整、記憶や思考をつかさどる。
脳は司令塔であり、その働きを支えているのが、神経細胞であるニューロン。
人間の脳には1000億ともいわれるニューロンがある。
その一つ一つが軸索という線とシナプス(神経細胞間の接合部)を介して連携している。
学び続けて新たな知識を吸収するなど、いくつになっても脳に良い刺激を与え続ければ、シナプスの消失を防ぐことができる。
情熱を傾けて取り組める目的を持ち、生涯挑戦の人生を歩んでいく人は、脳を健康に保つ力がみなぎる。


「神出鬼没ね」

2019年02月28日 13時39分24秒 | 沼田利根の言いたい放題

定年になると、何時に起きてもいい。

当然、何時に寝てもいいし、昼寝の時間も取れる。

テレビは地上、BS、CS、スピードチャンネルなど観放題。

無為に過ごすと、空しくもなる。

家にこもってもいれない、散歩へ行く。

思うにイベント大好き人間として、友人、知人と会うことがない。

 どんど焼き、ひなまつりなど。

皆さん興味がないようだ。

新道のまつりやカラオケ大会、八坂神社の祭り、白山のまつりとカラオケ大会、

とりで産業祭、田中酒造の蔵出しとイベント。

文化祭、新道の防災訓練とバーベキュー。

取手西口でのソニックガーデン。

取手の花火は例外だろうか。

千葉県の柏まつりへも。

「行動的だね」と中田さんが言う。

「神出鬼没ね」とご婦人の一人が言うが・・・


敢闘会の会合へ

2019年02月28日 13時14分47秒 | 日記・断片

10時30分からの敢闘会の会合へ中田さんの車で行く。
家を10時に出て、ミスターマックスで時間調整。
大好きな猫のコーナーを覗く。
ついでの犬のコーナーへ。
10分に中田さんの自宅へ。
東取手病院の方角から取手医療総合センターの裏の道を行く。
雨が降っていた。
「遠回りかな」と中田さんが言うが、この日を佐々田さんも通っている。
車に乗らない当方は最短距離を歩いて会館へ行くが車の人は、色々な道を選ぶ。
林さん、富田さん、寺川さん、春川さんたちの車に乗せてもらい、4通りの道があることを知る。
新道から取手競輪の下の道を行くのが富田さん。
井野団地を経由してキリンビールを裏道を行くのが林さん。
寺田さんは台宿から取手一高の下の道を出て6号へ。
春川さんも同じ。
司会は佐々田。
二階堂さんに次いで、中田さんが初めて、雑誌の巻頭言を朗読。
それから歌の合唱。
ビデオを観てから活動報告。
川原さんは、太極拳仲間との交流や日中友好関係の友人との交流。
中国やインドで日本を教えていたそうだ。
川原さんと同じである。
同じく、パソコン教室や太極拳を教えている米田さんお活動報告。
会長の春川さんが、100回記念のことや今度の敢闘会のあり方などを。
3月、4月は敢闘会の会合がない。
5月は取手本部と牛久本部との合同で開催となる。
最後に総合長の挨拶。
昨年12月半ばで定年となったそうだ。
5時前に置き、6時前にバスで出勤。
4時間くらいの睡眠できたそうだ。
これからの抱負、定年後をどのように活動してきかなどを語る。
人生に定年も引退はない。
どのように、皆さん充実した日々を送るかである。

 


昭和偉人伝 - 作曲家・三木たかし、浜圭介、弦哲也

2019年02月28日 06時13分15秒 | 社会・文化・政治・経済

BS朝日「昭和偉人伝」
2019年2月20日 - 昭和偉人伝 - 作曲家・三木たかし、浜圭介、弦哲也。
幾多の試練に打ち勝ち作曲家へ ... そんな偉人たちを、独自取材と真実のインタビュー、さらには貴重な映像を交じえてつづる、波乱万丈の偉人伝。


三木 たかし(みき たかし、1945年1月12日 - 2009年5月11日) は、日本の作曲家。本名は渡邊 匡(わたなべ ただし)。
歌手・女優の黛ジュン(本名: 渡邊順子)は実妹にあたる。

1945年1月12日、東京都生まれ。
貧困家庭に育ち、借金取りが訪れると妹と押入れに籠もり、紙で書いた鍵盤をひいて遊んでいたという。「さくらの唄」 (唄・美空ひばり)を10代で作っている。
1960年代半ばごろに歌手を志して作曲家の船村徹に弟子入りするも、船村から「君は作曲家の方が向いている」と言われ方向転換する。
1967年、当時の売れっ子作詞家であったなかにし礼の推薦を受け、「恋はハートで」(歌唱: 泉アキ/クラウン・レコード)で作曲家デビューを果たす。
1968年、実妹の黛ジュンに提供した「夕月」が66万枚のヒット。オリコンチャート最高位2位を記録した。
1969年、「禁じられた恋」(作詞: 山上路夫、歌唱: 森山良子)が8週連続チャート1位の大ヒット。自身の作品が初めてNHK紅白歌合戦で歌唱された。
1976年・77年、阿久悠とのコンビで西城秀樹に「君よ抱かれて熱くなれ」から「ボタンを外せ」まで7作品連続して楽曲を提供する。
1977年、「津軽海峡・冬景色」(作詞: 阿久悠、歌唱: 石川さゆり)が大ヒット。第19回日本レコード大賞・中山晋平賞 (後の作曲賞) を受賞した。
1984年 - 86年、荒木とのコンビでテレサ・テンに提供した「つぐない」(1984年)、「愛人」(1985年)、「時の流れに身をまかせ」(1986年)がいずれも有線を中心に大ヒットした。3年連続で全日本有線放送大賞、及び日本有線大賞を受賞。
1994年、「夜桜お七」(作詞: 林あまり、歌唱: 坂本冬美)がロングヒット。同年の第36回日本レコード大賞・作曲賞を受賞した。
2004年からは日本作曲家協会理事長を務め、また日本レコード大賞制定委員や事務局長も務めた。
2006年、下咽頭がんで声帯の一部を切除、その後声を失ってしまう。
2009年1月13日、「NHK歌謡コンサート」で実妹・黛ジュンと30年ぶりに兄妹出演を果たした。自身作曲の「さくらの花よ 泣きなさい」を黛が歌唱しその後ろで三木がギター伴奏を披露したが、これが三木の生涯最後のテレビ出演となった。
2009年5月11日6時5分、岡山県岡山市の病院にて死去。64歳没。
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浜 圭介(はま けいすけ、本名:金野 孝〈こんの たかし〉、1946年4月8日 - )は、旧満州(中国東北部)出身の日本の作曲家。元・歌手。 旧芸名:牧 宏次、大木 賢、浜 真二。 妻:奥村チヨ。
1946年4月8日、旧満州(中国東北部)の収容所で生まれ、青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。
1962年、歌手を目指し上京し、同郷の歌手・森山加代子の付き人となる。
1964年、牧宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー。売れずに弘前市に戻り、屋台を引く。
1966年、大木賢(おおき けん)の芸名で『これが愛さ』で歌手として再デビュー。
1968年、浜圭介のペンネームで作曲提供開始。
1970年、作曲家としての活動と併行し、浜真二の芸名で『おんな道』にて歌手としても再々デビュー。漣健児に師事する。
1971年、奥村チヨに作曲提供した『終着駅』が大ヒット。
1973年、第15回日本レコード大賞作曲賞受賞。
1974年、奥村チヨと結婚。
同年、再び大木賢の芸名を用いて、シングルレコードを1枚リリース。
1975年、北原ミレイに提供した石狩挽歌では、小樽 貴賓館 旧青山別邸(国 登録有形文化財)内 庭園に石狩挽歌の記念石碑が建てられ、なかにし礼、北原ミレイらとともに名が刻まれた。
1980年、八代亜紀に提供した『雨の慕情』が第22回日本レコード大賞で大賞を受賞。
1985年、韓国で発掘した桂銀淑が『大阪暮色』でデビュー、以来多くのヒット曲を手掛ける。
2005年4月29日、春の褒章で紫綬褒章を受章。
2015年7月22日、松坂慶子とデュエットした『哀愁の札幌』を発売する。
そして、神戸
(歌: 内山田洋とクール・ファイブ、作詞: 千家和也)

(歌: 三善英史、作詞: 千家和也)
街の灯り
(歌: 堺正章、作詞: 阿久悠)
折鶴
(歌: 千葉紘子、小柳ルミ子ほか、作詞:安井かずみ)
哀しみ本線日本海
(歌: 森昌子、作詞: 荒木とよひさ)
時間よお前は
(歌: 石原裕次郎、作詞: なかにし礼)
立待岬
(歌: 森昌子、作詞: 吉田旺)
望郷じょんから
(歌: 細川たかし、作詞: 里村龍一)
大阪暮色
(歌: 桂銀淑、作詞: 浜圭介)
すずめの涙
(歌: 桂銀淑、作詞: 荒木とよひさ)
北空港
(歌: 浜圭介と桂銀淑、作詞: やしろよう)
心凍らせて
(歌: 高山厳、作詞: 荒木とよひさ)
愛が泣いてる
(歌: 唐木淳〈黒木憲ジュニア〉、作詞: 荒木とよひさ)
時代屋の男たち
(歌: 唐木淳〈黒木憲ジュニア〉、作詞: 荒木とよひさ)
人形(おもちゃ)
(歌: 香西かおり、作詞: 荒木とよひさ)
女の翼 (歌: 美川憲一、作詞: 岡田冨美子)
大変ね (歌: 美川憲一、作詞: 岡田冨美子)
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弦 哲也(げん てつや、1947年9月25日(71歳)- )は、日本の作曲家。作曲した作品数は2000曲を超える。日本作曲家協会会長。千葉県銚子市出身。本名、田村正稔(たむら まさとし)。
1965年8月、東芝レコードから“田村進二”として歌手デビュー。
1968年、“弦哲也”と改名。苗字は好きなギターの弦にちなんで名付けられた。名前はなかなか名案が浮かばずに徹夜してしまったことから、哲也に決めたという。
その後、北島三郎の公演にギタリストとして帯同した折に、作曲活動を勧められる。
1976年、内藤國雄(将棋棋士)に提供した「おゆき」で、作曲家としてデビュー。
1980年、作曲した川中美幸の「ふたり酒」がヒット。これにより、それまで風呂なしのアパートに住んでいたが、風呂のある家に引っ越すことが出来た。(2013年9月10日放送の「NHK歌謡コンサート」より)
1986年、作曲活動に専念。
2017年5月、日本作曲家協会会長に就任。
石川さゆり
天城越え
石原裕次郎
北の旅人
五木ひろし
人生かくれんぼ
丘みどり
佐渡の夕笛
川中美幸
ふたり酒
二輪草
小林幸子
越後情話
水森かおり
東尋坊
鳥取砂丘
釧路湿原
五能線
熊野古道
ひとり薩摩路
輪島朝市
安芸の宮島
松島紀行
庄内平野 風の中
ひとり長良川
伊勢めぐり
島根恋旅
大和路の恋
越後水原
美空ひばり
残侠子守唄
裏窓
暗夜行路


春風らしくなってきた

2019年02月28日 05時45分41秒 | 日記・断片

午前3時30分散歩へ行く。
この時間帯に、部屋の電灯が灯っている家が少なくない。
それぞれの生活があるのだろう。
どのような生活、どのような仕事なのだろうか、と想ってみる。
時々ではなく、毎日、明るい部屋を見上げる。
家を戻ったら雨が降り出す。
その雨は、24時ごろ降り出し、午前2時に止み、再び午前5時30分過ぎに降りだす。
暖かくなったものだ。
数週間前は雨戸を開ける凍える寒風が室内に吹き込んできた。
そのころと比べると風は花の香を含んで、春風らしくなってきた。


戦い打ち勝つことだ

2019年02月28日 04時45分14秒 | 社会・文化・政治・経済

「勇気ある人の財産を破壊できても、勇気そのものは破壊できない」ユゴー
1851年から続いた亡命生活。
独裁者ナポレオン3世からの「帰国命令」に対して、ユゴーは祖国の自由を求め、敢然と拒否した。
亡命中の19年間、ユゴーは創造の源の中で生き、芸術家・創造者としての時間を集中して過ごした。
もしもユゴーがパリにずっといたら、多くの偉業をなせかなかったかもしれない。
「創造」と「苦難」は、実は切り離せないものだろう。
人は、試練と戦う中で自身に秘められて力を鍛えだしていく。
「今日の問題何であるのか。戦くことである。明日の問題は何であるのか。打ち勝つことである」ユゴー

 


第一歩は何でもない。

困難なのは、最後の一歩だ。


不運は人物を作り、幸運は怪物を作る。

未来にはいくつかの名前がある。


意志薄弱な者はそれを不可能と呼び、臆病者は未知と呼ぶ。

しかし勇敢な者はそれを理想と呼ぶ。


空っぽのポケットほど、人生を冒険的にするものはない。


人生は

愛という蜜をもつ

花である。


人は強さに欠けているのではない。

意志を欠いているのだ。

ヴィクトル・ユーゴーの名言・格言

 ヴィクトル・ユーゴー(1802年~1885年)

 フランス・ロマン主義の詩人、小説家。政治家。代表作は『レ・ミゼラブル』『ノートルダム・ド・パリ』など。

 

 

 

 



鉄道運休や遅れ、増加傾向

2019年02月27日 20時07分16秒 | 社会・文化・政治・経済

30年で3倍超、影響深刻に-国交省
2019.02.26 時事通信

列車の運休や、30分以上の遅延など輸送障害の件数が増加傾向にある。25日には、東京都内のJR東日本中央線で停電が発生し、177本が運休。通勤・通学のほか、国公立大入試2次試験にも影響した。

国土交通省のまとめでは、輸送障害の件数は30年間で3倍以上に増えており、深刻な状況になっている。

 国交省によると、2017年度にあった輸送障害は前年度比603件増の5934件と、1988年度(1883件)の3倍以上。

内訳では、人や動物の線路内立ち入り、沿線火災など外的要因によるケースが2455件で全体の41.4%を占めた。次いで、台風や降雪、地震など自然災害によるものが2022件に上り、係員や車両、施設など鉄道会社の管理に関わる原因が1457件となっている。

 88年度と比べて、線路内立ち入りなどによる輸送障害は6倍以上、災害に伴うトラブルも3倍以上と大幅に増えた。

 一方、鉄道会社の管理に関わる障害の増加は1.5倍。全体に占める割合も4分の1程度にとどまっているが、影響の大きなトラブルも目立つ。

 JR東管内の宇都宮線東鷲宮駅構内で17年10月、電線関係の設備が破損し、ショート。

運休や遅れで約28万人に影響した。同年11月には、東京急行電鉄田園都市線でケーブルが接続部の施工不良で損傷し、運休による影響は約12万6000人に上った。

 18年度もJR北海道千歳線の新札幌駅構内で11月、信号機が倒れて線路をふさぐトラブルにより、90本以上の列車が運休。12月には京成電鉄の運輸指令室で送受信機器を交換した際に起きた不具合で、都営浅草線や京浜急行線が運転を見合わせ、計約40万人が影響を受けるなどした。

【了】


惰性と思考

2019年02月27日 19時52分03秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 商品の説明
傷ついたリンゴは、修復しようとして糖分を多く出すので、かえって甘さを増す。

内容紹介

230万部突破!『思考の整理学』著者による清新なエッセイ!

95歳、脚下照顧という生き方

緑陰徘徊/それぞれの道によって賢い/一日を二日に/銭湯の情操教育
傘を案じる/日本人は目で食う/帽子の啓蒙訪問/玩物喪志/転び方を知る……

頭は明晰に、心は穏かに
当たり前の日常が変わる68の「視点」

【目次】
Ⅰ 晴天と変調
Ⅱ 節約と偶然
Ⅲ 目と舌
Ⅳ スーツと硯
Ⅴ 日の出とマラソン

【本書より 一部抜粋】
かぜと個性
たまにはかぜで寝てみるのもいいものだ。自分の生き方をふりかえられる。

かぜは生活の句読点のようなものでもある。テンもマルもない文章は気味が悪い。

かぜひきはそんな理屈を考えて、自分を慰める。 それにかぜは個性的である。

同じかぜでありながら、人によって千差万別。 またなおりかけの気分が実によろしい。弱気を強気にし、悲観的な人間にも希望というものがあると考えさせる。

【著者プロフィール】
外山滋比古(とやま・しげひこ)
1923年、愛知県生まれ。お茶の水女子大学名誉教授。

東京文理科大学英文科卒業。雑誌『英語青年』編集、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授を経て、現在に至る。

文学博士。英文学のみならず、思考、日本語論などさまざまな分野で創造的な仕事を続ける。
著書には、およそ30年にわたりベストセラーとして読み継がれている『思考の整理学』(筑摩書房)をはじめ、『知的創造のヒント』(同社)、『日本語の論理』(中央公論新社)など多数。

『乱読のセレンディピティ』『最高の雑談術』『新聞大学』『老いの整理学』(いずれも小社)は、多くの知の探究者に支持されている。

内容(「BOOK」データベースより)

95歳、脚下照顧という生き方。頭は明晰に、心は穏かに。当たり前の日常が変わる68の「視点」。『思考の整理学』著者による清新なエッセイ!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

外山/滋比古
1923年、愛知県生まれ。お茶の水女子大学名誉教授。東京文理科大学英文科卒業。雑誌『英語青年』編集、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授を経て、現在に至る。文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 

 
 

 

 
 
 

 

イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるも

2019年02月27日 17時40分46秒 | 社会・文化・政治・経済

イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるも

展覧会概要

イサム・ノグチと長谷川三郎の絆にフォーカスした展覧会が横浜美術館で開催。ふたりがともに歩んだ1950年代が明らかに

国際的に知られる彫刻家、イサム・ノグチと、画家であり理論家としても活躍した長谷川三郎の交友に注目した展覧会「イサム・ノグチと長谷川三郎-変わるものと変わらざるもの」が、横浜美術館で開催される。

両者がともに歩んだ1950年代を、ノグチ作品約50点、長谷川作品約70点を通して明らかにすることを試みる。会期は2019年1月12日~3月24日。

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ニュース

横浜美術館で「イサム・ノグチと長谷川三郎」展 ── 交友に焦点を当てて紹介
(掲載日時:2019年01月11日)
横浜美術館「イサム・ノグチと長谷川三郎 ― 変わるものと変わらざるもの」

陶、30.8×27.3×2.9cm
イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)蔵

1950年代、日本美再発見 

日米の血を受け継ぎ、洋の東西を越えた世界的視野から芸術を再び人々の生活の中に根付かせようとした彫刻家イサム・ノグチ(1904-1988)と、画家として戦前日本の抽象美術をリードする一方、理論家として西洋近代美術の潮流と古い日本の芸術文化に通じ、両者の共通項を抽象芸術に見出した長谷川三郎(1906-1957)。
1950年5月、19年ぶりに日本の土を踏んだノグチと、かねてより彼の作品に注目し、文通をも企図して対話を待ちわびていた長谷川は運命的に出会い、芸術家としての互いの関心事とビジョンが驚くほどよく似ていることを知り強く共鳴します。

爾来ふたりは固い友情で結ばれ、長谷川はノグチにとって建築、庭園、書、絵画、考古遺物、茶道、禅、俳句など、有形無形の日本の古い文化遺産への無二の案内役となり、ノグチが日本の美の本質を理解する上で重要な役割を果たしました。
一方、ノグチは対話を通して長谷川の制作意欲を奮い立たせ、長谷川が墨や拓本、木版を用いてそれまでにない創作の地平を切り開くきっかけを与えました。

長谷川三郎《自然》1953年
紙本墨、拓刷、二曲屏風一隻
各135.0×66.5cm
京都国立近代美術館蔵
*展示期間:2019年1月12日(土)~2月13日(水)

本展は、このふたりの芸術家の交友に焦点を当て、彼らが何を見、何を考え、何を目指したのかを、ふたりが共に歩んだ1950年代を中心に、ノグチ作品約50点、長谷川作品約70点を通して明らかにしようとするものです。
*会期中、一部作品の展示替えがあります。

基本情報

会期 2019年1月12日(土)~3月24日(日)
開館時間 10時~18時 
*2019年3月2日(土)は20時30分まで
*入館は閉館の30分前まで
休館日 木曜日(2019年3月21日[木・祝]は開館)、3月22日(金)
主催 横浜美術館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)、イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)、神奈川新聞社、tvk(テレビ神奈川)
後援 アメリカ合衆国大使館
助成 テラ・アメリカ美術基金
特別協力 全日本空輸株式会社
協力 FMヨコハマ、首都高速道路株式会社、株式会社ニコン、株式会社ニコンイメージングジャパン、みなとみらい線、横浜ケーブルビジョン

観覧料

一般 1,500円(前売 1,300円 / 団体 1,400円) 
大学・高校生 900円(前売 700円 / 団体 800円)
中学生 600円(前売 400円 / 団体 500円)
小学生以下 無料
65歳以上 1,400円(要証明書、美術館券売所でのみ対応)
先行ペア券 2,000円 
*1セット2枚で2,000円 
*販売期間:2018年9月1日(土)から11月11日(日)まで

*()内は前売および有料20名以上の団体料金(団体券は美術館券売所でのみ販売、要事前予約) 
*前売券は2018年11月12日(月)から2019年1月11日(金)まで販売 
*2019年2月24日(日)は観覧無料
*毎週土曜日は高校生以下無料(要生徒手帳、学生証)
*障がい者手帳をお持ちの方と介護の方(1名)は無料 
*観覧当日に限り本展の観覧券で「横浜美術館コレクション展」も観覧可 

■チケット取扱い 
横浜美術館(前売りはミュージアムショップ) 
セブンチケット(セブン-イレブン店内マルチコピー機 もしくはウェブサイト) 
イープラス(ファミリーマート店内Famiポート もしくはウェブサイト) 
*便利な電子チケット「スマチケ」もご利用いただけます。 

■特典つきグループチケット 
[対象]一般/大学・高校生/中学生の前売・当日券の定価3名以上 
[特典]横浜美術館特製ポストカード(非売品)を人数分プレゼント 
[チケット取扱い]セブンチケット(セブン-イレブン店内マルチコピー機 もしくはウェブサイト) 
*総合案内にて「引換券」と特典を引き換えてください。

■バレンタイン・ペア券
期間限定でバレンタイン・ペア券を販売します。 
お二人であればお友達でも親子でも、どなたとでもご利用いただけます。
[価格]2枚で2,500円(税込)
[販売期間]2019年2月8日(金)~2月20日(水)
[チケット取扱い]美術館券売所でのみ販売

関連イベント

オープニング・リレートーク「変わるものと変わらざるもの―1950年代のノグチと長谷川」
(イサム・ノグチと長谷川三郎展)

日程 2019年1月13日(日)
時間 13時30分~16時(13時開場)*休憩含む
講師 マシュー・カーシュ(ノグチ美術館キュレーター)
マーク・ディーン・ジョンソン(サンフランシスコ州立大学教授)
中村尚明(横浜美術館主任学芸員)
*日英逐次通訳有
会場 横浜美術館レクチャーホール
定員 220名(事前申込、先着順)
参加費 無料
申込方法 2018年12月15日(土)より申込受付開始
申込フォームはこちら

※お申込1名様につき1つのメールアドレスが必要です。  
 同じメールアドレスで複数名のお申込はできませんのでご注意ください。
申込締切 2019年1月12日(土)17時または定員に達し次第

記念講演会
「長谷川三郎 人と芸術」「甲南学園 長谷川三郎記念ギャラリーについて」
(イサム・ノグチと長谷川三郎展)

 

日程 2019年2月16日(土)
時間 14時~15時30分(13時30分開場)
講師 河﨑晃一(甲南女子大学教授)
森田啓子(甲南学園 長谷川三郎記念ギャラリー)
会場 横浜美術館円形フォーラム
定員 120名(申込不要、先着順)
参加費 無料

スライドレクチャー「イサム・ノグチの1950年代を中心に」(イサム・ノグチと長谷川三郎展)

 

日程 2019年3月3日(日)
時間 14時~15時30分(13時30分開場)。
講師 中村尚明(横浜美術館主任学芸員)
会場 横浜美術館円形フォーラム
定員 120名(申込不要、先着順)
参加費 無料

学芸員によるギャラリートーク(イサム・ノグチと長谷川三郎展)

 

日程 2019年2月1日(金)、2月15日(金)、3月2日(土)、3月15日(金)
時間 2019年2月1日(金)、2月15日(金)、3月15日(金):14時~14時30分
2019年3月2日(土):18時30分~19時
会場 企画展展示室
参加費 無料(事前申込不要、当日有効の本展観覧券が必要)

展覧会・ココがみどころ!(イサム・ノグチと長谷川三郎展)

横浜美術館のボランティアが展覧会の魅力をコンパクトに紹介します。

 

日程 2019年2月以降の毎週火曜日と土曜日
時間 いずれも11時~11時15分、13時30分~13時45分、14時30分~14時45分
会場 横浜美術館グランドギャラリー
参加費 無料(申込不要)

日本美とモダンの接点を求めて・・・
展覧会鑑賞と作品制作を通じてノグチと長谷川の神髄に迫る
(イサム・ノグチと長谷川三郎展)

*

長谷川三郎 《自然》1953年 
墨、紙・二曲屏風一隻 
各135.0×66.5 cm 
京都国立近代美術館蔵

■中村 尚明(展覧会担当 主任学芸員)
実技指導:市民のアトリエ エデュケーター 

彫刻家イサム・ノグチと親友で画家の長谷川三郎は、共に「古い東洋と新しい西洋」を結びつけようとしました。ふたりは日本の古い文化遺産を訪ね、日本美の本質を見極め、それを糧として全く新しい作品を次々と生み出しました。このワークショップ(2日間)では、初日にふたりの関西旅行の結果生み出された長谷川三郎の出品作を取り上げ、その成り立ちを学芸員の説明と展覧会鑑賞で辿ります。2日目に私たちに身近な材料と長谷川の拓本技法を用いてオリジナルな作品を作り、作家の創作を追体験することを目指します。
コース番号・日程 [57] 2019年2月17日(日)・24日 (日)【日曜、全2回】
時間 13時30分~16時30分
定員 15名
参加費 6,500円 ※材料費含む、観覧券付
申込方法 (1)申込みフォーム
(2)往復はがき 
申込締切 2019年1月28日(月)受付終了

「イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるもの」展関連資料コーナー

*

(出品資料の一部、参考図)

彫刻家イサム・ノグチ(1904-1988)と画家・長谷川三郎(1906-1957)は同時代に生まれ、互いに刺激を与え合いながら、国際的に活動した芸術家です。ともに幼少期から海外の文化に親しみ、活躍の場を世界に向けつつも、精神的な支柱となっていたのは東洋の伝統文化でした。ふたりは日本をはじめとしたアジアの文化を深く理解し、咀嚼(そしゃく)することで、前衛的な作品を生み出しました。 美術情報センターでは、展覧会をより深く理解していただくために、関連資料コーナーを設置しています。ノグチと長谷川による著書や作品集、展覧会図録を通して、彼らがどのように考え、創ってきたのかをご覧いただけます。ぜひ、この機会に彼らの思考に触れてください。

会期 2019年1月26日(土)~4月17日(水)(予定)
開催時間 10時~18時(3月2日[土]は20時30分まで)
*閉架資料の受付は17時30分まで
休室日 木曜日(ただし3月21日は開室)、3月22日(金)
会場 横浜美術館 美術情報センター
入場料 無料

M7~8弱地震、確率高い

2019年02月27日 17時36分37秒 | 社会・文化・政治・経済

日本海溝沿い、長期評価更新-政府調査委「十分注意を」

2/26(火) 17:13配信 時事通信
 政府の地震調査委員会は26日、日本海溝沿い地震の長期評価を更新した。

 東日本大震災と同じマグニチュード(M)9程度の超巨大地震が今後30年以内に起きる確率は、前回評価から変わらず、ほぼ0%とされた。
しかし、M7~8弱の地震について同確率を3段階にランク付けすると、青森県沖から茨城県沖の大半の区域が最も高いIII(26%以上)に分類された。

 平田直委員長は大震災後の調査結果を踏まえ、「M8程度までの地震が起きる可能性は依然として高い。
強い揺れや津波がまた襲ってくることに十分注意してほしい」と話している。
確率の計算は過去に起きた同規模の地震の回数や発生間隔に基づく。
ランク付けは今回から導入され、III、II(3~26%未満)、I(3%未満)の順。
区域やマグニチュード別の計12パターンの地震のうち、2011年11月の前回評価から確率が上がった主な地震は2パターンある。

 宮城県沖の巨大地震(M7.9程度)は、前回は大震災直後のためほぼ0%(I)とされたが、超巨大地震後に周辺で巨大地震が誘発される可能性などを考慮し、20%程度(II)に引き上げられた。
福島県沖の一回り小さい地震(M7~7.5程度)は、計算対象の地震の数え方を1600年以降の1回から1923年以降の2回に改め、10%程度(II)から50%程度(III)とされた。


児童虐待防止  対処できる人材育てよ

2019年02月27日 17時29分05秒 | 社会・文化・政治・経済

社説

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が死亡し、傷害容疑で両親が逮捕された事件では、児童相談所(児相)が虐待を疑いながら、一時保護を解除したことなどが、不適切な対応だったとされている。

 子どもの発したSOSを、関係機関が、きちんと受け止められなかった。これは、行政の不手際だといわざるを得ない。

 児童虐待の根絶に総力を挙げるとして、政府が関係閣僚会議を開いたのは、当然の成り行きだ。実効性のある対策を、速やかに打ち出すよう強く求めたい。

 児童虐待は、増加の一途をたどっている。

 警察庁が公表した2018年の犯罪情勢によると、虐待の疑いがあるとして警察が児相に通告した18歳未満の子どもは、初めて8万人を超えた。

 統計のある04年以降、増え続けており、過去5年間では3倍近くに膨れ上がった。

 暴言など心理的虐待、暴力による身体的虐待、ネグレクト(育児放棄)、性的虐待のいずれも前年を上回っている。

 事件が相次ぎ、通報が増えたこともあろうが、虐待は特異な事案ではなく、どこにでも存在する可能性が示された。

 これに対し、昨年摘発されたのは1300件余りにすぎない。

 残りの案件が、どのように扱われたのか、しっかり把握しておかねばなるまい。

 関係閣僚会議では、すべての虐待事案について、1カ月以内に安全確認することになった。

 児相が在宅指導している数万件が対象となる。全国の公立小中学校、教育委員会が虐待を疑うケースも点検する。事件に発展するリスクが高ければ、ためらわずに一時保護してもらう方針だ。

 緊急措置として必要だろう。虐待を阻止するのはもちろん、その芽も摘んでほしい。

 東京都目黒区で船戸結愛ちゃん=当時(5)=が死亡した事件を受けて、政府は昨年7月、子どもや保護者を支援する「児童福祉司」を増員する計画を打ち出した。

 今回は、これを予定より前倒しして進めるという。虐待の急増に対応するのに、不可欠な組織強化である。

 とはいえ心愛さんの件では、その児童福祉司の判断に問題があった。増員だけでなく、適切な対処のできる人材の育成も急務だ。虐待防止に向け、さらに工夫を重ねてもらいたい。

 2019年02月09日 京都新聞

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虐待対策で増員
福祉司の育成急務 自治体「体制作りを」

 毎日新聞2018年7月20日

政府が20日に決定した児童虐待防止の緊急総合対策では、来年度から4年間で児童福祉司約2000人の増員を盛り込んだ。児童相談所を設置する自治体からは歓迎の声が上がるが、採用後の人材育成には時間がかかり、スムーズに増員できるかが課題となりそうだ。

 今回の対策は、児童福祉司を550人増やす「児相強化プラン」(16~19年度)に上乗せする。児童福祉司の配置基準は、現行計画では「人口4万人に1人以上」だが、今回の対策で「同3万人に1人以上」に引き上げる


拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々

2019年02月27日 17時16分48秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 蓮池 透  (著)

商品の説明

内容紹介

2002年の日朝平壌会談のあと、安倍晋三は、本当に拉致被害者たちの北朝鮮一時帰国に反対したのか? 
その後、対北朝鮮強硬派として政治的な地位を高めた現首相、そして、その周辺に蠢いた数多くの人間たちの打算と裏切りを告発する、究極のインサイド・ストーリー!!

内容(「BOOK」データベースより)

完全に隠蔽されていた、日朝交渉の全裏面史!!

著者について

蓮池 透
蓮池 透(はすいけ・とおる)
1955年、新潟県に生まれる。東京理科大学工学部電気工学科卒業後、1977年、東京電力に入社。2002年、日本原燃に出向。同社燃料製造部副部長。核廃棄物再処理(MOX燃料)プロジェクトを担当。2006年、東京電力原子燃料サイクル部部長(サイクル技術担当)。2009年に東京電力を退社。

1978年に北朝鮮に拉致された蓮池薫の実兄。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)の事務局長などを歴任する。
著書には、『奪還 引き裂かれた二十四年』『奪還第二章 終わらざる闘い』(以上、新潮社)、『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』 『私が愛した東京電力 福島第一原発の保守管理者として』(以上、かもがわ出版)などがある。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

蓮池/透
1955年、新潟県に生まれる。東京理科大学理工学部電気工学科卒業後、1977年、東京電力に入社。

2002年、日本原燃に出向。同社燃料製造部副部長。核廃棄物再処理(MOX燃料)プロジェクトを担当。2006年、東京電力原子燃料サイクル部部長(サイクル技術担当)。2009年に東京電力を退社。1978年に北朝鮮に拉致された蓮池薫の実兄。

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)の事務局長などを歴任する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



 

 

 


日本が拉致問題を解決できない本当の理由

2019年02月27日 17時04分35秒 | 医科・歯科・介護
 
荒木和博  (著)

商品の説明

内容紹介

『産経新聞』のアベック失踪事件のスクープ記事、金賢姫元工作員の「李恩恵」証言、金正男の不法入国、小泉訪朝…。数々の好機を逃がし、いまだに被害者を救出できないのはなぜか。誰もが抱く〝国民的〟大疑問に答える。

内容(「BOOK」データベースより)

電撃的な小泉訪朝から7年がすぎた。

その後、5人の被害者とその家族が帰国し、新たに2人の人が政府によって拉致認定された以外、事態に進展はない。一方で、拉致の可能性のある「特定失踪者」はおよそ470人にのぼり、北朝鮮の建国いらい今日まで、拉致が通常の行為として行なわれているとの疑いが強まった。

なぜ日本はこれほど長いあいだ、北朝鮮の工作活動を許してきたのか。

「犯人」も「居場所」も分かっていながら、なぜ拉致問題をいっこうに解決できないのか。

救出運動の最前線に立つ著者が、不可解な膠着状態の真因に迫り、日本政府の驚くべき国家意思を浮き彫りにしていく。

拉致問題のとらえ方を一変させ、ポスト金正日に向けた救出策を示す画期的な報告。

著者について

1956年、東京生まれ。慶應義塾大学卒業。民社党全国青年部副部長、「救う会」事務局長を経て、03年に特定失踪者問題調査会代表に就任。拓殖大学海外事情研究所教授。編著書に『拉致救出運動の2000日』、著書に『内なる敵をのりこえて、戦う日本へ』『拉致―異常な国家の本質』ほか。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

荒木/和博
1956年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。民社党全国青年部副部長、「救う会」事務局長を経て、2003年、拉致の可能性の高い失踪者の調査機関「特定失踪者問題調査会」代表に。拓殖大学海外事情研究所教授。予備1等陸曹、「予備役ブルーリボンの会」代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 



 

 

 


シモーヌ・ヴェイユの思想

2019年02月27日 16時37分39秒 | 社会・文化・政治・経済

美の必然性
ヴェイユは美を重視し、それは神や真理へ至るためのほとんど唯一の道であるとしている。

したがって彼女の美に対する洞察はその思想の核心に近づいたものといえる。
美を愛することは魂の自然な本性に備わっているから、だれでも美には惹きつけられる。

もちろん、何を美しいと思い、愛するかには個人差がある。
金を愛する守銭奴もいれば、権力を愛するものもいる。
ヴェイユは享楽への愛を否定する。贅沢は高慢であり、己を高めようとすることである。

彼女の言う美や愛とはそのような対象への支配と逆の、自己否定である。
真に美しいものとはそれがそのままであってほしいものである。それに何かを付け加えたり減らしたいとは思わない完全性、それが「なぜ」そのようにあるのかという説明を要せず、それがそのままで目的としてあるもの。
「美は常に約束するけれど、決して何ものをも与えようとはしない。」という彼女の言葉はそのことを表している。美は何かの手段とならず、それ自身しか与えない。
人は美に面したとき、それを眺め、それ自身の内なる必然性を愛する。

そして必然性を愛するということは、対象への自己の支配力を否定することである。自己を拡張しようという欲求は対象を食べてみずからの内に取り込もうとするが、美は距離を置いて見つめる対象でしかない。それを変化させたり所有することは汚すことである。

美の前で人は飢えながらも隔たりをもってそれを見つめ、そのままで存在してほしいと願う。
不幸
ヴェイユは美のほかに不幸が真理に至る道になるという。説明不能でありながら魂に染み込んでくる実在的なものという点で美と不幸は共通する性質を持つ。ただし不幸は美のように、人にとって自然な道ではない。

自己を強大化し、他人を支配するための力を求めるのが魂にとっては自然なのである。

ヴェイユはそのような力の崇拝を嫌悪していた。弱者に対して野蛮に振る舞う人の本性を彼女は洞察している。

弱者は強者の前で意志の自由を失い、服従するだけの物質と化してしまう。人が力に屈服し、人格を失ってしまった状態。

それが不幸と呼ばれる。不幸はまったく理不尽に人に食い込んでくる。ヴェイユは工場のなかで魂のない奴隷へと下落したたくさんの人間を見、自らもそれを体験した。真の不幸は苦しんでいる当人すら自分の苦しみのありさまを理解できないほどに思考力を奪う。

そのように不幸な人は、人格としては存在すらしていないのである。
隣人愛は不幸な人の存在していない人格を存在させる。それは自らは飢えて相手を満たそうとする。

その人の人格を愛するというのではなく、ただ、その人自身であるということによってのみ愛するのだ。強いから、美しいから、善いから愛するのではなく、また、愛すべきものを自己に取り込もうとするのではなく、真の愛は不在として絶対の対象を求める。
存在していないものへの気遣い、それは注意力によって可能となる。

ヴェイユの注意は隔たりをもったはるか遠くの弱きもの、小さきものに注がれる。
注意力はヴェイユの思想の中で大きな位置を占めている。彼女は神への注意を祈りと呼び、真の宗教は極度の注意力を必要とするとしている。
注意とは思考を停止させ、無欲で純粋な待機状態になることである。
それは努力と忍耐を尽くさねば為しえないが、何かを得るための努力ではなく、むしろ徹底した待望なのである。人は努力したのに報いが得られないということに耐えられず、真実を歪めてでも報いを求めてしまう。
ヴェイユの注意とは報いではなく真実を求めるものであり、いかに悲惨なことでもそのままに見つめることだ。

この時の純粋さとは汚れを避けることではなく、汚れを見つめうる純粋さだ。

それは真理を報いとして求めるものでもない。
それは生命よりも真理を愛し、自分の不完全さを徹底して理解することを欲する。
いかに激しい苦痛のなかでも正しい方向へと向かう力、愛する力を失わないよう願うことはできる。
ヴェイユとて苦しみを好んでいたわけではなく、喜んで不幸を受け取れとは言わない。

そのようなことを言うのは、人々の不幸を見過ごしにすることだ。
喜びは喜びとして、不幸は純粋に不幸として受け取らなくてはならない。
しかし純粋な不幸を愛をもって受け入れるという奇跡をなしえたとき、不幸は神に触れる啓示になりうるというのである。
真空
自然なあり方として人は自己を増大させようとする。自らをすり減らすというのは自然なことではなく、超自然的なことである。

自己無化に貫かれるヴェイユの思索は根底で神と結びつく。

ヴェイユが残したノートを彼女の友人のティボンが編集した本『重力と恩寵』の冒頭にはこうある。
魂の自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。
この世はひたすら下落へと向かう重力に支配されており、それから免れようにも重力に支配された魂は誤りを犯す。

だから自分から高まろうとするのではなく、待望こそ必要とされるのである。

すべてをもぎ取られた真空としての待望である。
そして真空とは自然なことではない。

ヴェイユによれば下落から逃れて高みに昇るのは恩寵によってのみ可能であるが、重力の下降運動、恩寵の上昇運動とともに恩寵の二乗としての下降運動があり、これは重力と無関係に自ら下降する。
ヴェイユは自己否定としての神を語る。
キリストの受難もそのように捉えられている。神から最も離れており、神に立ち戻るのは絶対に不可能なほどの地点にある人のもとに、神が人としてやってきて十字架にかかったということは神の自己否定であるという。
ヴェイユによれば世界の創造も自己否定である。神は世界創造以前にはすべてであり、完全であった。
しかし神は創造によって自分以外のものが世界に存在することに同意し、自ら退いたのである。

神と神以外のものの総計は、神だけが存在する状態よりも小さい。創造とは拡大ではなく収縮である。
神の代わりに世界を支配するようになった原理は、人格の自律性、物質の必然性である。
神の自己否定によって存在を与えられた我々は神の模倣、つまり自己否定によって神に応えることができるという。
そして応答としての自己否定とは具体的には隣人愛と世界の美への愛なのである。
この愛とは、神がそのように創造した世界を受け入れることと言ってもよい。つまりそれ自身のために、自己の支配力を否定することである。
世界が善だから愛するというのではなく、悪をみつめ、悪を憎悪しつつも善と悪を造った神と、神が創ったこの世界を愛することを説く。
ヴェイユは偽りの慰めを退け、想像上の神を信じる者より神を否定する者の方が神に近いという。

全く神が欠けているということでこの世界は神そのものであり、この奥義に触れることで人ははじめて安らぐことができると、ヴェイユはノートに書き残している。
カトリック教会との関係
自らを「教会の門の前で人々を呼び集める鐘」[要出典]と評したりもしたが、洗礼は受けなかった。