朝日新聞 2019年12月26日
朝日新聞が「逮捕へ」と報じた25日朝。秋元司衆院議員(48)=東京15区=から「事実無根であり、全く関与してません」というメールが記者に届いた。午前10時36分には、「(出頭要請を受けて)今、向かっているところ」。東京地検が「収賄被疑者」として逮捕を発表したのは、その約1時間後のことだった。
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秋元司衆院議員「不正関与してません」 潔白をツイート
カジノを含む統合型リゾート(IR)をめぐる贈収賄事件で、東京地検特捜部はこの日、秋元議員を収賄容疑で逮捕した。現職の国会議員が逮捕されるのは2010年1月以来、およそ10年ぶりのことだ。秋元議員はいったいどんな人物なのか。巨大利権を生むとされるIRと、どんな関わりを持っていたのか。
16年12月、衆院の内閣委員会。一部野党が猛抗議する中、「カジノ解禁法」の採決が強行された。賭博罪に触れるカジノの合法化につながる重要法案だったが、委員会で費やされた時間はわずか5時間33分。委員長として審議を打ち切り、採決に踏み切ったのが秋元議員だった。
「荒っぽくなるが間違いなくやる」。前月、秋元議員は所属派閥の長でもある二階俊博・自民党幹事長との面会を終えた後、周囲に語った。連立を組む公明党内で賛否が割れ、長くたなざらしにされていた法案を委員長の職権で審議入りさせる意欲を示したものだった。これを聞いた党幹部からは、不用意な発言を慎むよう厳重注意を受けた。
IRは、安倍政権が成長戦略の目玉と位置づける。秋元議員が軸足を置いたIR実現を目指す議員連盟で、安倍晋三首相はかつての最高顧問でもあった。
解禁法の採決強行という「実績」をつくった秋元議員はその後、IR担当の副大臣を任され、より中心的な立場を担うことになる。
「大した力はないが、お調子者で、危ない筋とも付き合っていた」。自民ベテラン議員は秋元議員をそう評す。その議員活動をたどると、娯楽産業との最初の接点はパチンコ業界にあった。
女性の同意なしに性行為に及ぶ強制性交罪、もしくは準強制性交罪。前者は暴行がセットで、女性を抵抗できない状態にして性交する重罪だ。
強制性交で逮捕 写真で振り返る新井浩文の「美人女優たちとの交際記録」
今年2月、派遣型マッサージ店の女性従業員に対する強制性交罪で逮捕、有罪判決を受けたのが俳優の新井浩文だ。
この手の犯罪は当事者のみの密室で起きる場合が大半で、決定的な証拠が出ることは少ない。新井被告の場合も、被害女性Aさんが暗闇の中、力ずくで体を押さえつけられたと証言したのに対し、新井被告は「同意があったと受け取ってもおかしくない状況だった」と主張するなど、双方の言い分は食い違ったままだ。
そうなるとわかった上で、警察はなぜ新井被告を逮捕したのか? 全国紙の社会部記者が話す。
「何よりもAさんの本気度。被害に遭ってからすぐに警察署に駆け込み、被害届を提出した。逮捕までの7カ月間、新井被告は示談金を増額して行き、最後は2000万円を提示したという。言い方は悪いが、これほどの金額になると、示談に応じるパターンが多い。それでもAさんはお金ではなく、新井被告を罰する道を選んだ。裁判所も『Aさんの話は信じるに値する』と判断した」
一方でこんな話もある。スポーツ紙記者が解説する。
「薬物事件を見てもそうだが、警察が有名人を挙げたがる傾向にあるのは間違いない。正直、今回の事件の物的証拠は乏しく、新井のマンションの防犯カメラにも被害を連想させる映像は映っていなかった。それでも逮捕に踏み切ったのは、Aさんの証言の信憑性が高く、彼女が部屋を出る際に新井が5万円を渡したことなど、状況証拠において合理的な裏付けができると判断したからだろう」
新井被告は一審判決を不服として、控訴。高裁で判決が覆る可能性も残されている。ただ、法曹関係者によると、「覆る可能性は2~3割程度といったところでしょうか」と話す。
一方、ジャーナリストの伊藤詩織さんと同意のないまま性行為に及び、東京地裁から賠償命令を受けた元TBSワシントン支局長・山口敬之氏は、逮捕されていない。
あくまで民事で下された330万円の支払い命令は、同意なき性交で肉体的、精神的苦痛を負ったことへの損害賠償。山口氏はことあるごとに「私は法を犯してはいない」と繰り返しているが、それは正しい。
事件を簡単に振り返ると、伊藤さんは米国の大学に在籍した‘13年12月に、アルバイト先のバーで山口氏と知り合った。彼女は正社員としての就職先を求めるメールを山口氏に送信したことをきっかけに、帰国。‘15年4月3日彼と会食した際、意識を失い、ホテルで暴行を受けたとして、準強姦容疑(現在は準強制性交)で警視庁に被害届を提出した。
同6月に山口氏の逮捕状が発行されたが、逮捕直前に取り消されたという。対する山口氏は合意に基づく性行為だと反論。東京地検は‘16年7月、嫌疑不十分で不起訴とし、伊藤さんは翌17年5月に不起訴不当を訴えたが、東京第6検察審査会も同9月、不起訴を覆すだけの理由がないとして不起訴相当と議決した。
ここでも双方の主張は食い違っているが、1つ言えるのは逮捕状が発行されたという事実だ。
「逮捕状は捜査機関が作成し、それを裁判所が許可して初めて発行される。つまり裁判所も山口氏の逮捕には同意しているわけで、そう簡単に出したり、引っ込めたりすることはできない。逮捕後に嫌疑不十分で釈放されるケースはいくらでもあるが、土壇場で逮捕状自体が取り消されるのは、極めて異例と言わざるを得ない」(全国紙社会部記者)
そこで再三言われているのは、“山口氏が安倍晋三首相に近いため、何らかの便宜が図られたのではないか?”という疑惑だ。これについては当時の警視庁刑事部長の関与も指摘されているが、実際どうなのかはわからない。
当の山口氏も判決後の12月19日に外国特派員協会で行った記者会見で、
「この事案について、私はどの政治家にも警察にも、官僚にも、要するに誰にも何もお願いしていない」
と否定している。とはいえ、新井と山口氏では立件のハードルがあまりにも違いすぎると誰もが感じるだろう。前出の社会部記者は「むしろ、密室で1対1だった新井の事件よりも、伊藤詩織さんの件はホテルマンやタクシー運転手などの第三者が彼女の異変について証言しているため、証拠は多いはず」と話す。
やはり、すべては権力者によるサジ加減なのだろうか。
FRIDAYデジタル
…知人からの性暴力、高い立件ハードル
ジャーナリストの伊藤詩織さんが、姓を伏せて名前と顔を公開し、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開き、性被害を明らかにした日から2年あまり。
【写真まとめ】勝訴後の伊藤詩織さん
12月18日の東京地裁判決は、元TBS記者のジャーナリスト・山口敬之さんが合意のないまま性行為に及んだと認定した(山口さんが控訴)。
判決後の会見で伊藤さんは「全てはもしもの話」としながら、今の日本の刑法の問題に触れた。「日本の刑法に不同意性交がレイプだという規定があれば、私が経験したことも刑事事件では結果が変わったかもしれない」。
●警察官「よくあることだし、やめときなよ」
今回民事裁判で「合意のない性行為」が認められながらも、なぜ、伊藤さんの事件は刑事事件で不起訴処分となったのだろうか。
伊藤さんは被害から数日後に警察に相談した際、担当した警察官から「よくあることだし、やめときなよ」と言われたという。
警察官は、防犯カメラの映像など他に証拠が出てきても、捜査に消極的だった。伊藤さんが「なぜですか」と尋ねると「検察官からこうしたケースは起訴できないからやらないでほしいと言われている」と告げられたそうだ。
性犯罪は密室で起きることが多く、被害後に体液などの証拠も残っていないことが多いが、代理人の西廣陽子弁護士は会見で、「証拠が少ないからといって門前払いして欲しくない。まずは被害者の話を聞き、ある証拠をもって、どんどん捜査してほしい」と述べている。
証拠を集めて捜査するのは、被害者ではなく捜査機関だ。西廣弁護士はいう。
「今回の事件も、証拠がすごくたくさんあるわけではない。その中で、審理がなされると、真実が浮き彫りになるという裁判だった。やるべきことを捜査していただければ(ほかの性犯罪事件でも立件に)繋がるのではないかと思う」
●性暴力事件、立件のハードル
ここまでの流れを見ると、「起訴しなかった検察官が悪い」と思うかもしれない。ただ、西廣弁護士は「検事も意図的に起訴しなかったわけではないと思う。要件を満たさないという法律の壁がある」と話す。
今の日本の法律では、13歳以上の男女に対して「暴行または脅迫」を用いて性行為をした場合、刑法の強制性交等罪(13歳未満の男女の場合、暴行・脅迫要件はない)、「心神喪失または抗拒不能」となった人に性行為をした場合、刑法の準強制性交等罪が成立する。
合意のない性行為にも関わらず、これらの要件の認定ハードルが高いために立件されない事件があるとして、被害者団体などは要件の見直しを求めている。
刑事裁判では、被告人が有罪であることを検察官が「合理的な疑いを残さない程度」まで証明しなければならないという厳しいルールがある。検察は、証拠があって確実に有罪判決を取れるものでないと「公判を維持できない」と起訴したがらない。それは、日本の刑事事件における有罪率が非常に高いことにも現れている。
伊藤さんは「不同意だったことは、裁判官の目から見ても認められた。どういった法改正をすれば性犯罪の立件ハードルが下がるのか、置き換えて考えることもできる」と今回の事件を振り返る。
「今の日本のレイプに関する刑法には同意という言葉がありません。レイプされたサバイバーがどれだけ暴行を受けたかを証明しなくてはならない。これはレイプに関する刑法の問題点です」
●海外の規定と日本での議論は?
相手の同意がないまま、相手が拒絶しているのに性行為することそのものを犯罪として処罰する国は、イギリスの性犯罪法、アメリカのニューヨーク州法、カナダの刑法、スウェーデンの刑法など増えつつある。
日本でも、2014年~15年にかけて開かれた「性犯罪の罰則に関する検討会」で、暴行・脅迫要件や心神喪失・抗拒不能要件の緩和・撤廃について議論されたことがある。
委員からは「撤廃することが望ましい」、「不意打ち、偽計、威力、薬物の使用、被害者の知的障害などを不同意性交の要件にする」という意見も出たが、「外形的な証拠がない場合に被害者の主観を証明するのはかなり難しい」と緩和や撤廃はすべきでないという意見が多数をしめた。
このほかにも、検討会では、地位や関係性を利用した性暴力について、新たな規定を作ることも議論された。海外では、親だけでなく幅広く地位が上の関係にある人による性的行為を処罰する国もある。
こうして、2017年の刑法改正では「監護者性交等罪」が新しく設けられ、親など18歳未満の児童を現に監護する人が性交などをおこなった場合に罰せられることになった。しかし、職場の上司と部下、教員と生徒などを対象とする法律はない。
●さらなる刑法の見直しはあるか
性犯罪をめぐる刑法の規定は2017年、110年ぶりに大幅に改正された。その際の附則で、施行後3年をめどに、必要がある場合には実態に即して見直しをすることが盛り込まれた。
ただ、これは、必ず見直しされることを意味するものではない。「3年後見直し」が2020年に迫る中、被害者の当事者団体は、被害者や支援者の声を反映し、性犯罪に関する刑法改正に向けた審議をすみやかに行うことを求めている。
知り合い間の性暴力はれっきとした性犯罪であり、「よくあること」や「個人間の揉め事」として片付けられる話ではない。日本の刑法からこぼれ落ちている性被害者をどう救うのか。国は2020年以降、検討会を開き、議論を始めるべきだ。
弁護士ドットコムニュース編集部
高校で教師から2年半性的暴行 女性が語る『娘に暴行で無罪』への疑問
12/28(土) 東海テレビ放送
2019年3月、19歳の実の娘に性的暴行を加えた罪に問われた父親に裁判所は「性的虐待はあった」と認めたものの、判決は「無罪」でした。子どもへの性的虐待がなぜ「無罪」なのか。判決が波紋を広げています。
小雨の中、名古屋の栄の広場に集まった人々。その数およそ200人。
参加者:
「娘が今も言葉に表せない悲しみ、苦しみと闘っています」
別の参加者:
「『短いスカートを履いているのが悪い』『痴漢ぐらいで学校に迷惑をかけるなんて』と言われました」
訴えているのは「性暴力の撲滅」です。
被害者に寄り添う気持ちを表そうと花を持って集まり、「フラワーデモ」と名付けられたこの街頭活動。今、全国各地で行われています。
参加者:
「全て奪われるのが性暴力です。もうこんなこと本当に嫌なので、こうやって集まっている人たちの声が、きちんと社会を変えるようにやっていきましょう」
別の参加者:
「こういったこと(性暴力)があった時に、私はいろんな方に助けを求めました。一緒に声をあげましょう」
きっかけになったのは、ある“無罪判決”でした。
2017年、当時19歳の実の娘に性的暴行を加えたとして、準強制性交の罪で父親が起訴されました。
2019年3月の判決、名古屋地裁岡崎支部は「性的虐待はあった」と認定、しかし言い渡されたのは「無罪」。
その理由について名古屋地裁岡崎支部は「強い支配関係があったとは認めがたく被害者が『抗拒不能』な状態にあったとは認定できない」としたのです。
この『抗拒不能』、耳慣れない言葉ですが準強制性交罪の重要な要件です。
國田武二郎弁護士:
「心理的に抵抗できなかったかどうかが1つのポイントになるんです」
こう話すのは元検事で、数々の性犯罪事件を担当してきた國田武二郎弁護士。
國田弁護士:
「娘の立場からすれば、父親から犯されるというのは生涯に渡って深い傷を負うという意味では許せない行為。ただし、これはあくまでも道義的、倫理的な問題であって、これを法的にどういう犯罪で処罰するかというのは、これは別の問題で、今回の判決は考えさせられるものが多々あると思います」
今の法律では「同意のない」性行為だけでは罪に問うことはできません。
暴行や脅迫、心身喪失、そして抵抗できない状態である『抗拒不能』、このどれかが認められなければ罪は成立しないのです。
今回の裁判では、「娘の同意がなかった」ことは認められましたが、暴行、脅迫、心身喪失はなく、娘が父親に抵抗して拒んだ経験があることなどから、抵抗できない状態「抗拒不能」とは認められなかったのです。
國田弁護士:
「被害届を出して警察に父親が逮捕されると、後の生活が兄弟の生活が困るということで、なかなか言えなかったということ、それが果たして心理的にも抗拒不能、抵抗できない状態までなりえたかどうか。我々弁護士の世界でも賛否両論あります」
2017年の刑法改正で、親などによる18歳未満の子どもへの性的行為について暴行や脅迫などがなくても処罰する「監護者性交(等)罪」が新設されました。
しかし、今回の事件では被害者が当時19歳で、適用の範囲外です。
國田弁護士:
「処罰的に抗拒不能というためには、継続的に支配と非支配の関係があって、他に取るべき方法がなかったというところまで(ハードルを)高めないと、単に職場でのパワハラも抗拒不能かといわれると、それはあまりに処罰範囲を拡大し過ぎる。上司にものを言えない状態も抗拒不能なのかとなってしまう」
10代の時、性的暴行の被害を受けたという3人の女性に話を聞くことができました。
被害を受けた女性:
「ただただ唖然としちゃったなという感じ。抵抗だけで判断されると違うかなと」
同・別の女性:
「まずありえないの一言。それ(無罪)が判例になってしまうと基準になってしまうと」
同・涌井佳奈さん:
「(判決内容は)なんかあまりにもズレているなと思います」
涌井佳奈さんは高校生の時、2年半にわたり、教師から繰り返し性的暴行を受けたといいます。
涌井さん:
「性的暴行は血も何も出ないから、抵抗するとかじゃないんですよね。洗脳に近いよね。洗脳されたお前が悪いみたいになってきちゃうんですけど。やりやすい立場の人がいるんですよ。教師とか治療者とか親とか。性犯罪というよりも虐待に近いよね」
涌井さんは、性犯罪被害者の苦しい立場を司法がもっと汲み取るべきだと訴えます。
涌井さん:
「地位関係とか支配関係での構造の中での抵抗っていうのは争うところではないんじゃないかなって。背景をちゃんと汲み取ってほしいですね。年齢とか経験値とか。心理的に騙されるとか混乱させられるとか、抵抗までいかない心理状態の中で犯されてしまうことがほとんどだと思うので、例えば信頼している人との関係性の中だったり」
性暴力救援センター「なごみ」。
2016年、名古屋市昭和区の八事日赤に開設され、24時間体制で性暴力被害者の相談や治療に応じています。
「なごみ」には現在、およそ380人が通院。そのうち80人余りが、家族からの性暴力の被害者です。(2019年6月末時点)
片岡さん:
「親族の関係の人から被害を受け始めるのが小学校の低学年とか、もっと小さい時から始まっていて、おかしいなと気づいた時が中学とか。子供心に経済的なことを気にしたり、家族が壊れてしまうんじゃないかということをものすごく心配している。なのでなかなか(被害を)言えないということもあるし」
内閣府によりますと、家族などから性被害を受けた女性のうち、誰にも相談していない人の割合はおよそ6割。大半は声を上げていないのが現状です。
片岡センター長は、今回の無罪判決で被害者が、警察、司法に訴えても無駄と思い込み、さらに被害の声をあげなくなるのではないかと懸念しています。
片岡センター長:
「これだけひどい状況があるにも関わらず無罪だと言ったときには、今ものすごく苦しんでいる子どもたちがたくさんいるかもしれない。その子たちが声を上げられなくなるんではないか。こういう状況でいくら相談してもやっぱダメなんだとなると、こうゆうところ(なごみ)に相談しても仕方ないと思う」
子どもへの性的虐待がなぜ「無罪」なのか。判決に抗議の声や戸惑いが広がっています。
当時19歳の女性に対する準強制性交の罪に父親が問われた裁判では、一審の無罪判決後、検察側が控訴。12月に始まった控訴審では、娘の精神鑑定をした医師が検察側の証人として出廷し、「中学2年からの性的虐待の体験が積み重なり、諦めや無力感を抱くようになった」と指摘。
その上で、「養育者である父親に心理的・精神的に抵抗できなかった」と証言しました。
控訴審で検察側は「被害者の精神状態や心理状態を把握せずに誤った判断がされた」として、父親の有罪判決を求めていますが、弁護側は控訴棄却を主張しています。
「奥西元死刑囚が自白調書の大切さ知っていれば…」
12/31(火) 東海テレビ放送
4年前に無罪を訴えながら亡くなった奥西勝元死刑囚
「死後再審」…文字通り、本人が亡くなった後に裁判をやり直す「再審制度」のことです。
【画像で見る】名張毒ぶどう酒事件を大学生が研究調査「奥西元死刑囚が自白調書の大切さ知っていれば…」
今から58年前の1961年に起きた名張毒ぶどう酒事件の奥西勝元死刑囚は、無実を訴えながら4年前、獄中で死亡しました。遺族は今も裁判のやり直しを求めています。
こうした中、名古屋にある南山大学の学生が事件のあった現場を調査しました。
10月4日、奥西勝元死刑囚の命日に彼の墓前で手を合わせるのは、妹の岡美代子さん(89)、今も兄の無実を訴え、「死後再審請求」をしています。
裁判は現在、第10次の異議審が名古屋高等裁判所で行われています。
名張毒ぶどう酒事件は、1961年(昭和36年)三重県名張市葛尾で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が重軽傷を負いました。
一審では無罪、二審(控訴審)で逆転死刑判決となり、最高裁で死刑が確定しました。
奧西元死刑囚は、その後何度も再審請求をしましたが、2015年(平成27年)10月4日、八王子医療刑務所で亡くなりました。
89歳でした。
この夏、名古屋にある南山大学の学生が、冤罪や再審制度についてのレポートに取り組み、まとめました。レポートを発表したのは、法学部の菅原真研究室のゼミ生です。研究の対象としたのは、名張毒ぶどう酒事件。
Q.名張毒ぶどう酒事件を調べようとした理由は?
山本明日香さん(3年):
「そもそも再審制度について興味があって、たまたま履修した憲法の授業で、この名張毒ぶどう酒事件について知ったので、もう少し追究してみたいなと思って」
Q.判決文を読んで、矛盾点や疑問点は?
吉田和紗さん(3年):
「犯行動機から全てにおいて曖昧で、ずっと自白だけを頼りに裁判を進めている感じが強くて、自白をそんなに証拠として重視するべきではないと思っているので、その裁判で本当に有罪判決を下していいのかという点がすごく疑問でした」
勝井琴音さん(3年):
「再審請求などもたくさんされたと思うんですけれども、そちらの方がより説得力のある証拠に見えて、何故あの曖昧な証拠で死刑が決まったのかというのが、すごく疑問でした」
指導にあたった菅原教授にも、名張毒ぶどう酒事件に取り組もうと思った理由を聞きました。
南山大学法学部 菅原真教授:
「国家権力による冤罪事件は犯罪ですから、それを憲法研究者が扱わないのはおかしいんじゃないかと思いまして」
「東海地方で起きた憲法問題、あるいは法律事件の中で特に人権に関わる問題について、名張毒ぶどう酒事件が一番すぐにピンと浮かんだんですね」
菅原ゼミの学生は、この事件を研究・調査の対象として文献や判決記録を調べました。更に今年6月、ゼミ生23人が事件の現場となった葛尾の村や、関係する場所など数カ所を現地調査。
再審請求審では、奥西勝元死刑囚が公民館で1人になった10分間に、毒物を混入できたかどうか、それが争点の1つです。
学生の調査では、死刑が合理的で妥当な判決だったのでしょうか?
山本明日香さん(3年):
「『空白の10分』問題で、私の班は公民館から会長宅まで実際に歩いて時間を計ったんですけど、3分41秒しかかからなくて、結構遅めにゆっくり歩いて行ってもそれくらいしかかからなかったということなんですね。実際にこういったことをしてみて、やはり確定判決への疑いは増すばかりではありました」
吉田和紗さん(3年):
「仕出し屋さんの時計が狂ってしまうっていう話があったんですけど、実際にそこに行ってみると、道が舗装されているのもあるかもしれないけど、トラックが通ったからといって、時計が狂うほどではないかなというのもありましたし、とにかくたくさん疑問が生まれる現地調査でした」
「自白というのが現地に行くことによって、曖昧なものだったんだなと認識することができました」
勝井琴音さん(3年):
「奥西さんが虚偽自白におちる過程だったり、心理状況、また裁判官の判断についていろいろ調べたんですけど、その自白が誤判というところにもつながっているのかなというのも思いました」
雲龍季里さん(3年):
「奥西勝さんが、もっと調書の大切さを知っていればよかったのに…」
今回の調査の結果、判決の矛盾点や疑問点に気づく一方、司法の問題点も見えてきました。
Q.日本の再審制度と外国との違いについては?
小松未玖さん(3年):
「諸外国では法改正が何度も何度もされているにもかかわらず、日本ではされていない現実があることに対して、名張毒ぶどう酒事件も日本の司法の被害者でもあると思ったんです」
Q.再審制度と検察官のあるべき姿は?
山本明日香さん(3年):
「検察官とか裁判官も人間なので過ちを犯すし、正義も貫けない時もあるんじゃないかなと考えたときに、もちろん証拠開示を積極的に良心に従って検察官が行ってくれると良いとは思うんですけども、やはり内部の検察官同士の上下関係だとか制度や仕組みの問題があるのかなと思った」
Q.裁判官と冤罪については?
黒田亜衣さん(2年):
「裁判所というのが制度的に見ると、独立してると見えるかもしれないけど、現状としては独立してないのかなって。他の機関の影響を受けている点もあるので、そこを変えていかないと、冤罪というのは少なくならないんじゃないかなと思いました」
学生らは伊賀市にある奧西家の墓前で、彼の妹・岡美代子さんと面会しました。
岡美代子さん:
「ありがたいことでした。ちゃんとお墓まで来てくれて。孫くらいな生徒ですよって、うれしくてな。こんな生徒まで頑張ってくれて、助けてくれてと思うと、うれしくて」
今回の取材で最後に学生たちに聞きました。「名張毒ぶどう酒事件を調べた結論として、この事件が限りなく冤罪と思う方は?」と。
その場にいる学生7人全員が手をあげていました。
この事件について死後再審を行っている、妹・岡美代子さんはすでに89歳。裁判所は2017年の異議申し立てより、何の動きも見せていません。
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神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかった事件は、10月で発覚から2年が経った。被害者はSNSで知り合った自殺志願のある女性ばかり。ジャーナリストの渋井哲也氏は「SNS上で『死にたい』とつぶやいた人の相談にのる形のネットナンパを繰り返した。SNSを使って被害者の死にたいという気持ちを悪用した事件だ」という――。
【この記事の画像を見る】
※本稿は、渋井哲也『ルポ 平成ネット犯罪』(ちくま新書)の一部を再編集しています。
■「死にたい」気持ちを悪用された座間事件
ネットユーザーの自殺願望を利用した事件はたびたび起こっている。平成17年に男女3人が殺害された大阪の自殺系サイト殺人事件と同様に、苦しんでいる表情が見たいという自らの性的な欲望を満たすために、死にたいという被害者の気持ちを悪用した。
平成29年(17年)10月末に発覚した座間市の男女9人遺体事件の白石隆浩も被害者たちをネットで物色していた。白石はツイッターで「死にたい」「自殺」「安楽死」などとつぶやいた人たちを誘い出した。白石は被害者たちとどんなやりとりをしたのか。
自殺願望を抱く人たちがこの事件をどう考えているか、私はアカウントでつながっている人たちにDMを送り取材を申し込んだ。話を聞いた何人かには、白石とつながっていた女性もいた。
白石が現場アパートに住み始めたのはその年の8月からだが、その頃に開設した「死にたい」というアカウントで知り合った17歳のフリーター、直美(仮名)にDMが届いたのは9月12日。直美によると、彼女のツイートに白石が反応したのだという。
【白石】神奈川に住んでおります
【直美】関東一緒ですね
【白石】自殺をお考えですか?
【直美】はい
【白石】一緒に死にますか?
【直美】何歳ですか?
【白石】22歳です。首吊りの道具と薬を用意してあります
【直美】殺してもらえないですよね 首絞めて
【白石】本気で言ってるんですか?
【直美】首吊り2週間くらい前に失敗してなんかもー首吊りのやり方が失敗するとしか思えなくて
■「私も行って、殺されていればよかった」
自殺系サイトの掲示板や心中の相手募集では、よく見られる内容だ。自殺をめぐるネット・コミュニケーションでは、手段や道具などについて、具体的な話になっていくことは珍しくはない。
直美とのやりとりは、無料通信アプリ「カカオトーク」に移行し、首吊りの具体的な方法を伝えていく。情報は正しく、もし直美が実行して死んでしまったら、ネット心中するとして呼び出せなくなるが、白石はあまり考えていないのか。
数に頼るナンパ師のように、数多くやりとりをしている被害者予備軍のひとりだから、会えなくても仕方がないというくらいにしか思っていなかったようにも見えるが、むしろ被害者になる自殺願望が強い人からは、信用できる人と認識される可能性が高い。
現実社会では自殺の話ができることは少ないなので、そうしたやりとりができる相手は貴重なのだ。とはいえ、直美が白石に会うことはなかった。「(白石は)カカオで通話したがっていました。『信用できたら、会いませんか? 』とも言っていました。たまたま、別の人と電話をしていたので、通話することはありませんでした」。
ただ、こうも振り返る。「本当に殺してくれるのか、言っていることは本当なのか、と考えました。でも、神奈川は家からも遠いし、何もなかったら、時間と交通費だけがかかるだけ。でも(報道を見て)言っていることと同じことをしたんだな、と思いました。本当のことを言っていたんですね。私も行って、殺されていればよかった」。
■引き寄せられた女が抱く「絶望感」
自殺未遂を繰り返したり、自殺を考えている人の中には、殺されたい願望を持つ人がいる。直美はまさにそのひとりだ。直美は家庭が居場所と思えず違和感を抱いていた。高校に通っていた頃、そんな悩みを聞いてくれたのは、フェイスブックで知り合った30代の自称医師だった。
その年の冬、自称医師に呼び出され、秋葉原に行った。当時公務員を目指していた直美は、将来の話がしたかった。自称医師から「誰もいないところで話をしよう」と言われた彼女は、彼を信用して自宅に向かった。すると態度が急変し、レイプされてしまう。
病院で心的外傷後ストレス障害と診断された。「(自称医師は)ネットで知り合った最初の人で、信用していました」「最初は外にも出られませんでした。学校にも行けない」。直美は高校を中退した。
直美は精神的に辛(つら)い時にはよく散歩をしていた。座間事件が発覚する2週間ほど前の10月中旬の夜も気分転換に外を歩いていた。この時、見ず知らずの男に車内に引きずり込まれてレイプされた。「警察にも被害届けを出しました。(警察は)男の家に行ったようですが、知らないと言われたようで、まだ逮捕されていません」。こうした度重なる性被害体験が、彼女の自殺願望を強めた。 「今は、死にたいまま生きています。でも、20歳までは生きてないと思います。今年か、来年には死にたい」。こうした絶望感が、白石に引き寄せられるベースにあった。
■被告との面会、「ネットナンパ師」の手口
私は、本書の冒頭で示したように、白石被告に面会した。面接は1回30分なので時間が足りない。2回目の面会に向かった。面会室「3」に通された。前回の面会では、白石被告はネットナンパ師のような印象を受けた。その続きから聞く。
――ネットナンパで出会えたのは?
「正直、学生時代には全然会えていなかったんです。月にひとり会えればいいほう。社会人になってからは1、2週にひとりですね」
――どうして会えるように? コツが分かった?
「そうです。それに、スマホの普及でアプリが出てきたからです」
――学生時代は出会い系?
「そうです」
――アプリは?
「SNSやチャットアプリです」
――よく使ったのは?
「ぎゃるる、です。位置情報を利用して近い人に会えるので」
――スカウト時代は?
「ツイッターを使ったが、その時は出会い目的ではない」
――出会い目的のアカウントは、事件に関連して使っていたアカウント?
「そうです」
警察庁発表の「SNS等に起因する被害児童の現状と対策」(平成29年)によると、SNSを通した被害者は1813人で過去最高だった。そのうちツイッターは695人で最も多い。ぎゃるるは97人、ひま部は181人、ラインは105人。ちなみに出会い系サイトは29人だった。白石は、被害児童が使っているアプリの中でも上位のものを使ったことになる。
――事件に関連するアカウントはいくつ?
「5つです。〔@_〕〔@sleep〕〔@さみしい〕〔@死にたい〕〔@首吊り士〕です。それぞれコンセプトが違います。日常生活の話をつぶやくもの、死にたいとつぶやくもの、自殺の情報や幇助(ほうじょ)をしているとつぶやくもの、です」 ――一番、人気のあったのは?
「〔@死にたい〕ですね。つながった人の半分以上はこのアカウントです」
■ツイッターでつながった「自殺志願者」
たしかに、入手した情報では、〔@死にたい〕とやりとりしていたのは24人。〔@首吊り士〕とやりとりをしていたのは5人だった。
――スカウト時代は?
「出会い目的ではないが、アカウントは10個ありました。この時のアカウントは、警察に捕まった時に、削除に同意をさせられました。なので、スカウト時代のアカウントだ、とあるものは、自分のものではない。ダミーですね」
事件発覚当時、確認できるアカウントで古いのは平成28年(16年)3月に開設した「パチプロ~」というアカウントがあったが、ダミーということか。
「それに、風俗の女性が取材をされていましたが、スカウト時代に知り合った女性です。この時に会っていたことと、事件について関連づけて話をしているようですが、関連はない」
――事件では9人を殺害し、バラバラにしているが、そもそも、これらのアカウントを使って会ったのは何人だったのか?
「13人です」
――なぜ4人は無事だった?
「4人のうち1人は男性です。お金もなさそうだった。もう1人は、事件を起こした8月から10月まで付き合っていました。部屋にクーラーボックスがあったのを見て逃げ出した女性もいました。残りの1人は10日間だけ一緒に住んでいました」
前回の面会では恋愛はずっとしていないと言っていたが、事件直前は恋愛をしていたということか。恋愛感情はないが、付き合っていたということなのか。このあたりは聞けなかった。
■昏睡状態のままでのセックスに目覚める
――なぜ9人は殺害したのか?
「1人目は早く口説けた。お金を持っていることが分かった。ヒモになろうと思ったんです。アパートの契約までしてくれました。お金を出してくれました。しかし、他にも男がいることが分かりました。ということは(自分を捨てて)その男を選ぶかもしれない。相性のいい男性を探していましたから。もしそうなら出て行けと言われるかもしれない。殺すしかないと思った」
――2人以降はなぜ殺害した?
「(被害者が)昏睡状態のままでのセックスに目覚めてしまった。でも、そのまま帰らせようとすると通報されるかもしれない。執行猶予中だったので、見つかれば、今度は一発で実刑になるかと思った」
――(3人目の殺害になる)男性も殺せた?
「酒を飲ませた。酒には睡眠薬と安定剤を入れていた。眠ったところを絞殺したので、難しくはなかった」
――逮捕後、「本当に死にたい人はいなかった」と供述しているが、その意味は?
「DMなどで悩み相談になることがあったが、それぞれに理由があるということ。学校に行きたくないとか、家にいたくないとか、彼氏にふられたとか。ある女性はよくよく聞くと、『家出をしたい』と言っていた。『なぜ? 』と聞くと、『母親の管理がきついため』ということだった。そこで『うちに来る? 養うよ』と誘うと、簡単についてきた。こんな風に理由があったんです」
■発覚を恐れて殺害、バラバラに
ネットナンパの手法の一つに、相手の相談にのるというのがあるが、まさにネットナンパをしていた。その過程で、昏睡状態の相手とのセックスに快楽を覚えるが、事件の発覚を恐れて殺害し、バラバラにする。それを繰り返したに過ぎない。ただ、ツイッター由来の事件は見つかりやすいはずだ。そこに躊躇(ちゅうちょ)はなかったのだろうか。 ――見つかるとは思わなかったのか?
「1人目の女性を殺害する前に、過去のバラバラ事件がなぜ発覚したのかを調べたんです。山の中へクーラーボックスを運んでいる途中に職質された、などが書いてあった。それぞれの事件発覚に該当しない方法を実行しようと思ったんです。携帯電話は長い間、放置しないと警察は位置情報を特定できない。このことは、前回に逮捕された時、刑事に教わったんです。だから、殺害後、携帯を破壊した」
――殺害は躊躇しなかったのか?
「それはかなりある。殺害後は頭痛や吐き気があった。それに殺害しても入手できるのは、最大で50~60万円。売春で捕まっているのでスカウトはできない。詐欺や窃盗のスキルもない。ヒモになって女性に貢いでもらうしかない。そんな風に考えて、天秤にかけた。殺害するのは勇気がいった。しかし、1人殺害することで、それを乗り越えた」
――被害者は10、20代が多かった。30代以上は外したのか?
「誰を取材しました? OLの女性ですかね? お金を持っていればいいです。30代でも40代でも」
■「10人目になりたい」「私も殺されたかった」
――9人殺害となると、死刑になる可能性が高いがどう思っているのか?
「1人目を殺害した時点で、どのくらいの罪になるのかを調べました。強盗、強姦、殺人となるので、死刑は意識しました。そのため、死刑を回避することを考えたんです。殺人ではなく、同居人が自殺をしたことにして、遺棄しただけにしようと」
私の取材に「10人目になりたい」と言った人は少なくない。座間事件に関するアンケートをとった(平成29年11月20日から平成30年3月1日まで)。方法はグーグルアカウントで利用できるアンケートフォームを使った。そのアンケートを、筆者が利用するツイッターカウントでつぶやいた。回答者55の中で、有効なメールアドレスが記入されていた回答は52件(性別は、男性13、女性38、その他1。年代は10代12、20代18、30代9、40代5、不明8。職業は学生19、会社員10、無職9、フリーター7、自営業4、その他3)。
この事件で思ったことを自由回答で聞いた。「10人目になりたい」「羨(うらや)ましい」「一緒に死にたい」「私も殺されたかった」と、白石に殺害されたかったと思ったのは14人いた。 ――どう思うか?
「驚きです。その人たちはレイプされて殺されることもあるということを知っているのか? 」
――家族や被害者にこの時点で言いたいことはあるか?
「家族には『ごめんなさい』かな? いや、違うな。『もう忘れてください』だな。遺族にも『忘れてください』と言いたいです」。
30分が過ぎ、立会いの拘置所職員が「時間です」と、会話を制止した。面会室のドアの向こうに白石は消えていった。
■「リアルタイムメディア」が誕生させた男
豊川市主婦殺人事件などの「人を殺してみたかった」といった平成12年(2000年)頃に日本中で議論になった殺人動機のような側面があるのだろうかと想像していたが、性的欲求を満たすための凶行であり、しかも白石の受け答えはしっかりしていて、特に異様な感じがしなかった。だからこそ猟奇性が見える気もする。
リアルタイムメディアがこうした男を誕生させたという面もある。だからといって、メディア自体が悪ではない。多くのユーザーは普通に使っている。だからこそ、狂気が見える。
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渋井 哲也(しぶい・てつや)
ジャーナリスト
1969年、栃木県生まれ。長野県の地方紙「長野日報」の記者を経て、フリーに。子どもや若者を中心に、自殺や自傷、依存症などのメンタルヘルスをはじめ、インターネットでのコミュニケーション、インターネット規制問題、青少年健全育成条例問題、子どもの権利、教育問題、性の問題に関心を持っている。東日本大震災でも、岩手、宮城、福島、茨城、千葉県の被災地を取材している。中央大学非常勤講師。
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ジャーナリスト 渋井 哲也
【関連記事】
元TBS記者の不法行為に賠償命令
12/18(水)
木村正人 | 在英国際ジャーナリスト
刑事裁判と民事裁判で分かれた判断
[ロンドン発]ジャーナリストの伊藤詩織さん(30)が元TBS記者の山口敬之氏(53)にレイプされたと1100万円の損害賠償を求めていた裁判で、東京地裁は18日「酩酊状態で意識がない伊藤さんの同意がないまま性行為に及んだ」と認定し、山口氏に330万円の支払いを命じました。
伊藤さんは準強姦容疑で警視庁に被害届を出したものの、山口氏の逮捕は直前になって見送られ、東京地検は2016年7月、嫌疑不十分で山口氏を不起訴。伊藤さんは不服を申し立てましたが、東京第6検察審査会も2017年9月、不起訴相当にしました。
民事と刑事で判断が分かれました。ポイントは性行為に及ぶ際、相手方の「同意」を得ていたかどうかです。タクシー運転手の証言やホテルの防犯カメラの映像から伊藤氏が当時「酩酊状態で意識がない」のは初めから明らかでした。
2017年7月、110年ぶりに性犯罪に関する刑法が改正されました。強姦罪は強制性交罪に改められ、告訴がなくても起訴できる非親告罪になり、懲役の下限も3年から5年に引き上げられました。しかし相手の抵抗を著しく困難にするかなり強度の暴行脅迫が要件です。
準強制性交(旧準強姦)罪は心神喪失・抗拒不能となった人、例えば酩酊して抵抗できない状態となった人に性行為を行った場合に成立します。しかし被害者が心神喪失・抗拒不能であったかどうか、被害者が心神喪失・抗拒不能であることを加害者が認識していたか否かが争点になります。
伊藤さんは当時、酒に酔って「酩酊」していましたが、刑事事件で山口氏は不起訴になりました。嫌疑不十分の理由が分からないため、伊藤さんは民事裁判での真相究明を求めていました。この日の判決でようやく「同意」がなかったとして山口氏が伊藤さんの権利を違法に侵害していたと認定されたのです。
レイプ被害の女性は泣き寝入りするしかないのか
不起訴になった山口氏は逆に名誉毀損で1億3000万円の賠償を伊藤氏に求めました。さすがに東京地裁は山口氏の訴えを退けました。こんなことがいつまでもまかり通っていれば、性犯罪の被害を受けた女性は泣き寝入りするしかありません。
元検察関係者によると、日本の刑事裁判では被告人の自白が重視されており、強制性交罪で「不同意」が要件になると性犯罪の立証が難しいとして強度の暴行脅迫が要件とされているそうです。筆者の暮らす英国は日本と違って「同意」のない性行為は犯罪です。
それでも警察に届け出られたレイプ事件のうち警察に呼び出されたり、起訴されたりするのはわずか65件に1件に過ぎないと英紙ガーディアンが今年7月に報じています。女性の権利が十分に守られていないのは万国共通のようです。
英検察局はレイプと性犯罪の構成要件のカギとなる「同意」についてこう定めています。
【同意を欠いていると証明される場合】
・申立人が力づくで犯された、または脅迫があったと主張した場合(日本の強制性交罪における強度の暴行脅迫要件に該当)
・申立人が飲酒、薬物、睡眠、幼さ、精神障害といった理由により何が起きているのか、有効な同意を与えることができないことを意識していなかったという証拠があった場合(準強制性交罪における心神喪失・抗拒不能要件に該当)
・申立人が性交した人の身元について欺かれていたという証拠があった場合
【同意があっても有効と認められない場合】
・子供または重度の精神障害者のように、何が起きているのか理解できず、同意を与えることができない恐れがある場合
・同意を与える人が同意年齢に達していない場合。英国では16歳未満の少年または少女は法律上、同意を与えることができない
【被害者が同意していても法律で性行為が禁止されている場合】
近親相姦または違法な性交、同意年齢に達していない男子との性交、自然に反する性行動が含まれます。
【検察側が同意のないことを証明する必要がない場合】
・13歳未満の子供へのレイプ
・13歳未満の子供への挿入
・13歳未満の子供への性的暴行
・13歳未満の子供と性的行為を行うことを煽ったり、引き起こしたりする場合
・16歳未満の子供が関与する子供への性犯罪
・18歳未満の子供が信頼できる立場にある人と性的関係を持っている場合
・18歳以上の家族と関わっている18歳未満の子供
・被害者が選択に支障がある精神障害者
・被害者が脅迫または騙された精神障害者
・被害者が介護福祉士と性的関係を持った精神障害者
英国ではどのように同意の有無を認定しているか
同意については「選択により同意し、その選択を行う自由と能力がある場合」と定義しています。検察官はこれを2段階に分けて検討します。
(1)申立人が性的行為をするかどうかについて選択する能力を持っていたかどうか。年齢と理解する能力が問題になります。
(2)自由にその選択を行う立場にあったかどうか、いかなる方法でも制約されていなかったかどうか。決定的な問題は申立人が選択によって行為に同意しているか否かです。
飲酒や薬物の影響を判断するのは難しい
同意する能力は、申立人がアルコールに酔っている、または薬物の影響を受けている場合に特に問題になってきます。
【酩酊のレイプ事例】
飲酒またはその他の理由で申立人が性交をするかどうかを選択する能力を一時的に失っている場合、同意は認められず、性交はレイプになる可能性がある。
申立人が自発的にかなりの量のアルコールを消費しているにもかかわらず、性交するかどうか選択する能力があり、同意した場合はレイプには当たらない可能性がある。
容疑者・被告が被害の申立人に対して性行為に及ぶ前に「同意」を得るためにどんなステップを取ったかがポイントになるそうです。英BBC放送のドラマを視ていると最近、キスする前に必ず「キスして良い」と尋ねて相手の同意を得ているのは性教育の一環でしょう。
・被告は申立人が同意したと信じていたか
・もしそうなら被告は合理的にそれを信じていたのか
が大切です。
避妊なしセックスでレイプに問われたアサンジ被告
一世を風靡した内部告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジ被告(48)はスウェーデンでのレイプ容疑に問われ、英国で身柄を引き渡すかどうか大きな論争を巻き起こしたことがあります。
避妊具のコンドームを使用した場合にのみ申立人の女性が性交に同意することをアサンジ氏が知っているかどうかが争点になりました。申立人の同意なしにコンドームを使用しなかった場合、同意は認められず、性犯罪に当たると判断されています。
性的な接触には相手へのリスペクトや配慮は欠かせません。
TBSワシントン支局長という地位を利用してジャーナリスト志望の女性を酩酊させて性交に及んだ山口氏は論外ですが、手を握る、キスをする、胸に触ると段階を踏みながら言葉で相手の同意を確かめるのがグローバルスタンダードになっています。
(おわり)
在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
何事も中途半端になってしまう。
例えば、「作詞」
「作詞してみないか、俺が曲をつけてやるよ」
友人の作曲家のMさんが言うので、その気になった。
ところが、酒を飲んだ日にMさんとはケンカ状態になる。
険悪になったのは、カラオケ大会に向かく途中である。
「おい、帰るのか、車券を買ってくるのでここで待て、酒飲まないか」とMさんに呼び止められた。
その店で友人の奥さんも以前働いていたが、実は事情があって、その居酒屋だけは避けていた。
反社会的と想われる人たちがたむろす店で、彼らは昼間から酒を飲んで無頼にも車を運転しているのである。
「これからカラオケ大会か、先生送って行くよ」とMさんの酒飲み仲間の一人が言うので嫌な予感した。
「飲酒運転でつかまるのでは?!」と私は焦る。
軽の車は田圃の中の一軒家へ向かう。
その家へ着くと、男は高級車に乗り換えた。
そして、カラオケ大会会場へ。
だが、悪運であり、パトカーがサイレンを鳴らして後を追ってきたのである。
Mさんに酒を誘われても断るべきだった。
私は感情を抑制できなくなり、「嫌な酒を飲まされた」と吐き捨てるように言う。
4人分の居酒屋の支払いはMさん持ちだった。
「話にならん!」Mさんが怒るのも当然だった。
Mさんとは、その一件で疎遠となる。
“性暴力”被害女性が涙の告発
12/27(金) 文春オンライン
「週刊文春」に掲載されたライター・田村栄治氏の記事により明るみに出たフォトジャーナリスト・広河隆一氏のセクハラ、パワハラ問題。12月27日、検証委員会の報告書が自身が発行人を務めていた「DAYS JAPAN」のウェブサイトで公開された。報告書は、広河氏による性被害やセクハラ、パワハラが多数あったことを認定。検証委員会に寄せられた証言に基づき、報告書にまとめられたセクハラ被害(2004-2017年)は以下の通り。
【写真】広河氏“性暴力問題”の写真を全部見る
・性交の強要 3人
・性交には至らない性的身体的接触 2人
・裸の写真の撮影 4人
・言葉によるセクシャルハラスメント(性的関係に誘われる等)7人
・環境型セクシャルハラスメント(AVを社員が見える場所に置く)1人
また、報告書では広河氏のパワハラ行為についても分析している。
広河氏の実像を報じた「週刊文春」の記事 を受け、新たに寄せられた女性の告発を報じた2019年2月7日号の記事を再編集の上、公開する。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のまま。
◆◆◆
2018年末、発売と同時に大きな反響を呼んだ広河氏への女性7人の告発。「セックス要求」「ヌード撮影」などの被害を読んだある女性から、新たな告発が寄せられた。そこには、前回記事よりもさらに苛烈な、女性を「性の玩具」として扱う、おぞましい実態があった。(文・田村栄治)
◆◆◆
「涙が出ました、やっと救われます」。フォトジャーナリスト広河隆一氏(75)の性暴力を告発する本誌記事(1月3日・10日号)を読んだ首都圏の主婦から、そんな言葉で始まる被害証言が編集部に寄せられた。「墓場まで持っていくつもりでした」という彼女の口から語られたのは、人権尊重を掲げてきた写真家の行為とは想像しにくい、おぞましい性暴力の実態だった。
◆◆◆
“人権派”ジャーナリストとして国内外で知られ、報道写真誌「DAYS JAPAN(デイズジャパン)」(以下DAYS)を15年間発行してきた広河隆一氏。彼が立場を利用し、DAYSのスタッフやボランティアの女性たち7人に性暴力・セクハラを働いていたことを、私は本誌1月3日・10日号で報じた。
これを受け広河氏は、「私の向き合い方が不実であったため、このように傷つけることになった方々に対して、心からお詫びいたします」とのコメントを発表。DAYSを発行する会社と、福島の子どもたちの保養に取り組むNPOの役職を解かれたと述べた。
性加害者としての実像を暴かれ、すでに社会的地位や名誉を失墜した人物に追い打ちをかけるような報道は、妥当なのか――。今回の記事を書くにあたり、私にはためらいもあった。
だが、翔子さん(30代・仮名)が証言した広河氏の性暴力は、前回記事にも増して衝撃的な悪質さだった。人権尊重を唱える人物が他人の尊厳をどれほど見下せるのか。その「振り幅」を知らせることは、性暴力について社会の理解を深めるのに役立つと考えた。
広河氏が自らの性暴力を矮小化するのを放っておいてはいけないという思いもある。
前回記事が出た後、広河氏は「傷つけたという認識に欠けていた」(本人コメント)、「『加害者意識』を持っていなかった、持てなかったことに問題の本質がある」(毎日新聞への回答)などと説明している。しかし、彼の性暴力の凶悪さを知れば、そんな取り繕うような言葉で片付けられることではないと理解していただけるはずだ。
一人でも多くの被害者の声を伝えることで、誤解や軽視されがちな被害者の苦しみに、思いを致す人が増えるだろうという判断もあった。それが、性暴力やセクハラを減らすことにつながると私は信じている。被害者が体験を語り、加害者の責任を問うことが「癒し」に有効とされることも、今回の執筆を後押しした。
この先、性暴力に敏感な読者は注意して読み進めていただきたい。被害者の身元や被害の時期、場所などはあえて詳述していない。
◆◆◆
ジャーナリストに憧れていた翔子さん(当時20代前半)が広河氏と出会ったのは、2000年代後半の秋だった。大学で女性差別をテーマにした集会があり、広河氏が講演した。終了後、広河氏から声をかけられ、京王線・明大前の広河氏の個人事務所で、作品整理などのアルバイトをすることになった。
事務所に通い出してすぐ、新宿駅西口のヨドバシカメラに一緒に行くよう広河氏に言われた。取材機器を買った後、近くの居酒屋に誘われた。飲食を終え席を立つ間際、広河氏から目を合わされずに、こう言われたという。
「俺の女にならないか。妻とはセックスレスだ。俺の女になると、報道人生うまくやっていけるぞ」
は? という態度を翔子さんが見せると、広河氏は不機嫌そうに店を出たという。
冬が近づいたころ、広河氏から海外取材に同行してほしいと言われた。ジャーナリズムにも国際情勢にも疎い自分がなぜと思ったが、日本人に馴染みの薄い土地に行けることや、著名ジャーナリストの仕事を間近で見られることへの期待がふくらんだ。翔子さんも現地で写真を撮っていいと言われたことも魅力だった。
「『俺の女に』と誘われた一件もあったので、性的なことへの心配はありました。でも、現地妻がいるという噂を聞いていたし、向こうでドイツ人女性ジャーナリストたちと合流するという説明も受けていた。私は海外が初めてで、親も心配していたのですが、広河は『周りにはこう伝えなさい』と私に直筆のメモを渡しました。そこにも、現地で女性ジャーナリストたちと合流すると書いてありました」(翔子さん)
12月中旬、翔子さんは広河氏と2人、成田空港を飛び立つ。航空券やホテルは、DAYSのスタッフが手配したと聞いていた。
現地に着き、取材先の事務所に立ち寄ってからホテルに行くと、部屋は一つしか取っていなかった。広河氏は現地妻のところに行くのだろうと翔子さんは考えた。しかし、広河氏は当然のことのように部屋に一緒に入って来た。翔子さんは努めて平静を装い、取材先で会った人たちのメモを整理した。
少しして、広河氏にこう言われたという。
「取材先の男性スタッフたちが、君を貸してほしいと言っている。どうするか」
どういうことですか? と翔子さんが尋ねると、広河氏からは次のような言葉が返ってきたという。
「僕らの滞在中、彼らは君を借りてセックスしたいそうだ。彼らにとって君は外国人だからね。君はどうするか。彼らとセックスするか。それとも僕と一つになるか。どっちか」
混乱と絶望で茫然としていると、広河氏にシャワーを浴びるよう命じられた。眠りに落ちてほしいと願いながら20分以上シャワーを浴びていると、「何やってる! 待たせるな!」と怒鳴り声が聞こえた。シャワー室を出る前、洗面台の棚に置かれた小皿の中に、部分入れ歯が水に浸されているのを見た。
この日から帰国の途につくまでの2週間、日中は広河氏のインタビュー取材を撮影するなどし、夜は毎晩、同じホテルの部屋で広河氏に「レイプ」されたと、翔子さんは話す。
広河氏はバイアグラを常用し、「高い」とこぼしていたという。避妊具を使わず膣外射精で終わらせることもあったという。
現地で合流すると聞いていた人たちの姿を、翔子さんは最後まで見なかった。悪夢のような2週間をこう振り返る。
「恐ろしくて逃げ出したかった。妊娠と性病の恐怖も感じていた。でも、知らない国で誰にも助けを求められず、ただただ広河の言うことを聞くしかありませんでした。広河には『君のような学歴のない人は、こうしなければ報道では生きていけない』と言われ、きつく口止めされました」
帰国後、翔子さんは再び広河氏の事務所に通う。海外取材のデータ整理は自分しかできないという責任を感じていた。アルバイトを急に辞めれば、事務所や学校の人たちに、広河氏と何かあったと思われると考えた。頭は混乱していたが、必死に“普通”を装った。
「内面では常に罪悪感に襲われていました。父親より年上のおじいさんとセックスしたという事実が、ものすごく苦痛でした。
誰かに助けてほしい。けど、何があったか死んでも言えない。当時は広河のジャーナリストとしての地位は圧倒的だと感じていましたから、もし誰かに話しても、『ついて行ったあなたが悪い』と言われるだけだと思っていました。悲しくて、苦しくて、本当に辛い日々でした」(翔子さん)
だが、そんな苦痛などお構いなしのように広河氏にもてあそばれたと、翔子さんは話す。
日中、事務所でパソコンに向かって作業をしていると、広河氏がコンビニ弁当を差し入れに来ることがあった。室内に翔子さんだけのとき、広河氏にすっと背後に立たれた。後ろから胸をまさぐられ、指先で乳首をいじられたという。
興奮した広河氏からはたびたび、事務所の下の階にあった「資料室」に一緒に行くよう命じられた。室内にはセミダブルの青色エアーベッドがあり、その上でセックスを強要された。写真を撮られ、ビデオも撮影された。この部屋でセックスを強いられたのは4回ほどだったという。
資料室にエアーベッドが置かれていたことは、同時期にこの部屋に出入りしていた別のアルバイト学生の記憶とも合致する。
翔子さんが言う。
「セックスは苦痛でたまりませんでした。でも広河とのことがバレて、『海外取材のためなら、おじいさんともセックスする女だ』と思われたら、もう生きていけないと思っていました。嫌だ、怖い……そういう思いで自分を押し殺し、淡々と従っていました。
性行為をされているときは、『これは自分の身体ではない』と自分自身に言い聞かせていました。次第にセックスという行為が軽いものに思えてきて、『服従したほうがいい、それしか選択肢はない』と思うようになりました」
資料室でのセックスでも、広河氏は避妊具を使わないことがあったという。性行為中、翔子さんが惨めで泣きそうになると、ニヤニヤした表情の広河氏にこう言われたという。
「女性は嫌がると妊娠しやすくなるから気をつけろ。戦地に妊婦が多いのはレイプが行われているからだ」
翔子さんによると、セックスの際、肌が透けて見える前あきの白い上着を着るよう、広河氏に指示されたことがあった。蝶の形をした青色の器具を性器に装着され、明大前の商店街を歩くよう命じられたこともあった。広河氏は少し後をついてきて、リモコンで器具を作動させていたという。
このころ翔子さんは、アルバイトを終えて帰宅すると、自然と涙があふれ出た。体に重りをつけられたように感じ、ベッドから起き上がるのも億劫だった。頭がぼうっとし、考えることができなかった。
「自分は汚い、ダメな人間だ……。そう思って、このまま消えたくなりました」
ある日、資料室で何度目かのセックスを終えたあと、翔子さんの足の傷を見た広河氏に、「その足はなんだ。汚い肌だな。もう他の女を探そうかな」と言われたという。広河氏から年齢を尋ねられ、翔子さんが20代前半の実年齢を言うと、こんな言葉を浴びせられたという。
「もうセックスの女としては終わりだな」
この後、広河氏からの性暴力は減った。データ整理の仕事が終わったのをきっかけに、翔子さんは広河氏の事務所を去った。大学で初めて広河氏に声をかけられてから、9カ月が経っていた。
広河氏にさんざん蔑まれ、まるで玩具のように扱われたという屈辱感と、性的行為をきっぱりと拒絶できなかったことへの自責の念は、翔子さんの深い部分を侵した。
しばらくは人を信じることができず、うつのように無気力な状態が続いた。被害を誰にも知られたくないことから、親や友人と距離を置いた。医師やカウンセラーにも頼れず、精神的に孤立した。報道の仕事につくと広河氏といつ会うともしれないと恐れ、進路を変えた。
年月が経ち、男性に対して信頼と愛情をもてるようになってからも、背後から胸を触られると、広河氏の記憶がフラッシュバックした。嫌悪感とともに、激しい怒りが込み上げた。そのたび、懸命に抑え込まなくてはならなかった。
それでも結婚、出産をし、幸せな時間も訪れた。
「初めて子どもに授乳して乳首を吸われたとき、ああ乳首はこのためにあったんだと感じました。広河の呪縛から少し解放された気がしました」(翔子さん)
現在の翔子さんは一見、過酷な性暴力を生き延びてきたことを感じさせない。笑顔は明るく、物腰は柔らかだ。被害について語るときも落ち着きを失わない。「優しい夫と子どもたちに救われています」と翔子さんは話す。
広河氏の性暴力にあったことは「墓場まで持っていく」と決めていた。実際、これまで誰にも話したことはなかったという。
昨年暮れ、子どもを寝かしつけた後に布団に入ったまま携帯電話でニュースを読んでいると、広河氏を告発する本誌記事に目が止まった。性暴力の被害を受けた女性の話に涙が止まらなかった。封印していた記憶が翔子さんの奥底からあふれ出した。
「2週間毎日レイプされた」
「逃げたくても彼を頼るしか無かった」
携帯画面に打ち込み、送信した。「0時14分」という受信記録が本誌編集部に残っている。
自分でもなぜかわからなかったが、広河氏と行った海外取材の関係書類を捨てずに持ち続けていた。翔子さんは「広河を訴えたいという気持ちは、意識しなくなっていましたが、消えることはなかった。いつかこれが役立つ日がやって来ると感じていたのかもしれません」と話す。
一月上旬、私の取材に応じた翔子さんは、当時の日程表やビザの申請書類、パスポートのコピー、広河氏の手書きメモなどをバックパックから取り出し、私に渡すとこう言った。
「差し上げます。適当に処分してください。あー、これでやっと手放せます」
◆◆◆
翔子さんの証言を、広河氏はどう受けとめるのか。
広河氏に質問書を送信し、携帯電話にメッセージを2回残し、催促のメールも複数回送って6日間待ったが、返事はなかった。代理人の森川文人弁護士にも質問書を送ったが、なしのつぶてだった。
前述の毎日新聞では「『性行為の強要』については、女性との間に合意があったと認識していました」と述べている広河氏。本当にそうした感覚で翔子さんたちに性暴力を振るっていたとすれば、彼の心の闇はあまりに深い。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年2月7日号
早師走(はやしわす)
ご苦労(くろう)さんで
柚子(ゆず)の風呂(ふろ)
散歩友達の鈴木さんの絵手紙に添えられた句である。
「絵手紙は、孫たちにも出すからね。読めるようにと、ひらがなをつけた」と絵手紙を見せてくれた。
柚子には緑の葉までが描かれていた。
絵は太い筆1本描くそうだ。
「絵も句も、とても、いいですね」と褒めると鈴木さんが微笑む。
二日後、鈴木さんの句を呟いてみたら、吉岡さんが「柚子の句、覚えていたの、頭いいんだね」と感心するが、絵手紙を見ながら、句を3度、頭で諳んじたら記憶に留まったのだ。
絵と言えば、高校生時代には映画雑誌を毎月、小田急線豪徳寺の駅前の古本屋で買っていて表紙のアメリカ映画のスターたちの似顔絵を毎度描いていた。
それ以来、一度も絵は描いていない。
性暴力被害女性の手記
12/30(月) 創
当時は死と隣り合わせの生活だった
〔はじめに〕以下に掲載するのは月刊『創』(つくる)2019年8月号に掲載した性暴力被害女性の手記だ。『創』はジャーナリスト志望者によく読まれている雑誌だが、この手記を書いた女性もジャーナリズムの仕事に就こうと『創』を読んでいたという。そういう女性が、性暴力の被害を受け、志を遂げられないでいるという、二重に悲劇的な事態なのだが、彼女の体験したことを多くの人に考えてもらうために、本人の了解を得て、ここに公開することにした。(編集部)
私は性暴力被害当事者です。そして大学生時代からの『創』読者です。私は、かつてはジャーナリストを目指し、フリーランスの編集者、ライターとして活動をしていました。
最後の性暴力被害に遭って以降、出版業界を離れています。入院や社会的引きこもりの時期を経て、現在はようやく、フルタイムではありませんが、なんとか働くことが出来るようにまで社会への信頼を回復しています。
そもそも、私がジャーナリストを目指すようになったのは、18歳の時に最初の性暴力被害に遭ったためです。この最初の被害については後述しますが、早稲田大学在学時に、フラッシュバックに耐えながら読んだドストエフスキーの一節に触れ、報道の仕事に携わりたいと考えるようになりました。それは、虐待と社会的責任について無神論者イワンが語る、次の部分です。
「だいぶまえに、おれは、理解しないって決めたんだよ。もしなにかを理解しようと思ったら、とたんに事実を裏切ることになるからな、事実に寄り添っていることに、決めたのさ」(『カラマーゾフの兄弟2』亀山郁夫訳)
※当時読んだのは新潮社版ですが、よりわかりやすい後発の光文社版を抜粋しています。
なぜこの一節が胸を打ったのかというと、その頃の私は、フラッシュバックに襲われ、死と隣り合わせの生活を送りながらも、それを少しも理解することが出来ず、誰かに説明することも出来ず、社会から完全に孤立していたからです。そんな無力な自分にほとほと嫌気がさしていました。ですので、「暴力の被害(当時は性暴力という言葉はまだありませんでした)の苦しみを理解しようとすること自体が間違いなのだ」というイワンの語りは、目から鱗に思えました。
希望の光を見出した私は、「事実に寄り添う」ことを仕事にしたいと考えるようになりました。事実を伝えようとするなかで、自分なりの答えを見つけられるかもしれないと思ったからです。そして卒業を待たず、大学生ライターとして、いくつかの雑誌に文章を書くようになりました。
でも、一番「書きたい」と思う問題について、私の望むように書くことが出来るメディアは、当時の日本にはありませんでした。それは、性暴力についてです。「こういうことを書きたい」と話すと、当時は「上野千鶴子にかぶれちゃって」というような言われ方をよくされました。たしかに当時の私は、東大生でもないのに上野先生のゼミにもぐっていました。「女性学なんかやると就職に響くよ」と言われた時代です。ジェンダーという言葉を口にするだけで、笑われたのを覚えています。卒業論文では、性暴力について適切に取り上げてもらうことのできるメディアの有無について研究したのですが、主要メディアに関して言えば、本当に、一つもなかったのです。
他にも問題がありました。カラマーゾフ家のイワンの「暴力の被害を理解しようとしても無理」という言葉を真に受けたわけではないのですが、自分の被害から見える社会の問題点について、私は何年経ってもうまく語ることが出来ませんでした。ですので、「書きたい」と言われた側の編集者から見ても、「この子は一体何を書きたいのだろう」というのが、サッパリ分からなかっただろうと思います。
今では、当時よりも、私の書きたいこともはっきりしています。それをお伝えするために、ここで、私の最初の性暴力被害について、少し話させていただきたいと思います。
それは18歳最後の日でした。夏の夜、クーラーのない部屋は蒸し暑く、外気を入れるために窓を開けていました。翌日は1時間目から期末考査だったので、ロフトに腹ばいになって単語帳を広げ、一つ一つの単語を暗記していたことを覚えています。私の記憶はそこで途切れています。
「おい」
と言われて、頬をビンタされて起きました。点けていたはずの蛍光灯は消えており、私の腹の上に誰かが座っていました。私をビンタしたのはその男―自称「泥棒」―でした。男は私の身体を、あっという間にガムテープでぐるぐる巻きに縛り上げ、レイプしました。
その時思ったのは、「ああ、明日私はこの世にいない。ということは、テストは受けられないのか。あんなに勉強したのに」という、どうでもいいような、でも厳然たる事実でした。
涙も出ませんでした。口をガムテープで塞がれていたからというのもありますが、声もかれたようになって、少しも出ませんでした。男はナイフを持っていたので、声を出したり抵抗したりすれば、その場でぶすりとされて終わりだとわかっていました。それならまだいい方で、ガムテープをあと10センチ足して、私の鼻の穴を塞ぐこともできると考えて、ゾッとしました。死ぬ、死ぬ、死ぬ、と考え続けていました。
意外にも、男は私を殺しませんでした。去り際に、男は「財布を出せ」と話しかけてきました。けれど私の財布には2000円しか入っておらず、そのことを伝えるときに、私は突然、自分の心も体もすでに空っぽになってしまっている事実をひしひしと感じ、あまりの情けなさに、初めて嗚咽を洩らしました。すると犯人は、何も盗らずに、玄関から堂々と帰っていきました。
翌朝のテストを私は一番の成績で突破しました。当時の夢は、国連の職員になること。高い目標に向かって夜っぴて勉強していたのですから、それは当然の結果でした。自分としては、このまま、何事もなかったように生きて行くんだ、というつもりでいました。
けれどそれ以来、私は大学へ行くことが出来なくなりました。事件現場となったアパートの部屋で眠れなくなったからです。引っ越しをしてもそれは変わりませんでした。飲酒とオーバードーズ、自殺未遂を繰り返しました。疲れるために夜通しランニングをし、空が白んできた頃に、近所の運動公園や幹線道路沿いのツツジの植え込みの中で、死んだように眠りました。本当に、そんな場所でしか寝つけなかったのです。
自分の身体はもう死んでしまったから、もうどんなに傷つけたって構わないものだと思っていました。狂いたいのに狂えないことが苦しく、そのために死ぬことが出来ない自分の見苦しさが、情けなくて仕方なかったのです。結局そのまま、私は、その地方大学を辞めてしまいました。
その後しばらくして入り直した早稲田大学で、私は法学部や政治経済学部など、全ての学部の授業に顔を出すようになりました。憑かれたように勉強をし、教授を呼び止めてはいつまでもいつまでも質問をしました。ドストエフスキーだけでなく、刑法学や哲学、文化人類学、読めるものは手あたり次第に読みました。私には、どうしても解き明かしたい一つの謎があったからです。
性被害について誰かに話す時、必ず訊かれる質問があります。それは「抵抗しましたか?」というものです。そう訊かれるたびに当時の私は、狐につままれたような気持になりました。素朴に「抵抗していたら、ここにこうして生きている訳がないじゃないか」と思ったからです。けれど、そのことが法律上とても大きな意味を持つのだと、次第にわかってきました。抵抗しなかった女性の貞操ごときは「守るに値しない」という判例があることも知りました。それはなぜなのか。一体なぜ自分は、日本国民にとって守るに値しないのか。どうしても知る必要があったのです。
苦闘の日々を送りながらも、私は見た目には平穏に見えていたようです。けれどある種の人々からは、ターゲットと認識されるようになりました。これは、人生において、性暴力に遭ってからはっきりと変化したことの一つです。彼ら加害者たちは、常にターゲットを探しながら町を徘徊しています。こちらが恐怖を感じると解離しやすく、抵抗出来なくなるということを最初から知っていて、近づいてきます。それは今でも変わりません。まるで、彼らにしか見えない蛍光色の塗料が私の顔に塗られてでもいるかのように、彼らはそれを知っていて、近づいてくるのです。
18歳の時の事件を経験したために、私には「生き残るために我慢する」という無意識の癖がついてしまいました。ガムテープでぐるぐる巻きに巻かれ、死ぬ、と思うような状況下でも、我慢していたことで生き延びられたからです。自分にとって、それ以上の成功体験はありません。だから、その後の人生で加害者たちに狙われ続けても、必ず解離してしまい、いつも抵抗が出来ませんでした。私は被害に遭いつづけました。
こうした自分の中のメカニズムを理解したのは、ごく最近になってからです。ずっと、自分に何が起きてしまったのかがわからず、混乱して生きていました。自分はもしかして、レイプされるのがむしろ好きなおかしな人間なのではないか、と思おうとしたこともありました。でも、全てのことが、苦しくて苦しくてたまらないのです。これらのことを長い間、言葉にしたり、人に説明したりすることが出来ませんでした。それでも、なんとか、生きていました。
フリーライターとして細々と活動を続けていた私が、再び「もう生きていけない」と思うような事件に遭ったのは2012年のことでした。それは取材活動中に、取材相手から受けた性暴力被害でした。私は取材と事件の一部始終を録音していたので、取材中の雑談時に「あと2カ月で結婚式なんです」と話しているシーン(当時ようやく人生のパートナーと呼べるような男性に出会っていました)、暴力を受けそうになった際に「自分は以前にも被害に遭って、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療を受けている。こういうことは本当に困るのでやめてほしい」と、解離して呂律の回らない舌で伝えている様子も、音声に残っていました。
それでも、担当検察官は、この事件を不起訴処分としました。理由は「たくさんあるが、犯人の言い分にも一理あるから」。つまり、どうやらまたしても、ケガをするような抵抗を私が出来なかったからのようでした。
この事件は、私の心を徹底的に破壊しました。記憶が飛ぶようになりました。それは、無意識の我慢が行き過ぎて人格が分かれてしまったからなのですが(解離症状のひとつ)、この頃はまだ、それが自分でも分かりませんでした。文字が読めなくなり、書けなくなりました。このことは、文章を書いて生きてきた自分にとって、とてもショックなことでした。
事件の時、この目の前の人物(加害者)に「聞く耳がない」「伝わらない」とわかった時、自分の心が死ぬ音がしました。その音を、私はこれまでにも何度か聴いたことがあったのですが、この時は非常にはっきりとそれを聴きました。そして同時に、自分という人間はこれまで、「伝えたい」と思いながら、その想いに沿って切実に生きてきたことを初めて強く認識しました。本当に一時も、心が休まることなどなかったのです。人生で何度目の走馬灯なのか、もう数えきれないという事実を想い、フィアンセのことを想い、今度こそ自分が狂いそうになるのを感じました。
なぜこのような話をここに書かねばならないのか、というと、このようなつらい目に遭っても、日本では刑法によって守られないからです。ゆえに、この精神の奈落から自力で這い上がる他ないということを、伝える必要があるからです。このことを改めて伝えなければならないのは本当に残念です。なぜなら、私自身が、そうあってほしくないと願いながら学び、その後の人生を生きる中で、これが起きたからなのです。
長い間、性暴力とその影響について理解出来ない自分を無能だと感じ、そのために苦しんできました。けれどこの時、はっきりと感じました。性暴力を理解し、その認識によって変わるべきなのは、私ではなかったのだということを。
検察官と最後に面会した日、私は泣きながら言いました。
「この国の刑法は100年前*に、女性に参政権がない時代につくられた刑法ですよね。世界的に見ても、非常に遅れた刑法です。その刑法で私を裁くということを、よく考えて判断してください。もしもこのケースが不起訴になるようなら、私はもうそんな野蛮な国には住みたくありません」(*当時は104年前、現在は112年前に出来た刑法です。)
検察官は「そうなのですか」と言って、そして不起訴処分を下しました。
これは、一人の人間が下した、たった一つの判断にすぎません。今年に入ってからも、報道されているだけで、すでに4件もの無罪判決が相次いでいます。日本には、こんな判決が無数にあり、裁判にすらならないケースがほとんどです。「不起訴」と検察官が判断した理由を知ることが出来るデータすら存在しません。真昼の空にあって見えない星のように、私は、自分が生き残った意味が見えない社会で生きています。それでも、私たち被害当事者から輝きを奪うことなど、誰にも出来ないのです。
私は、この事件に遭う前に、日本の刑法の性犯罪規定については、すでに学んで多くを知っていました。ですから、自分が不起訴処分になった時、検察審査会に諮ることも考えたのですが、それでも刑法を変えなければ勝ち目がないだろうとわかっていました。だから時々こうして、ジャーナリストとしてではなく一人の当事者として、自分の想いや理解したことを書き綴っています。
けれども、心無い言葉を投げかけられたことは、一度や二度ではありません。2018年ごろ、私は一般社団法人Springのメンバーとして活動していたのですが、その頃お会いした議員の方に、私の受けてきた被害を指して「それって枕営業だよね?」と言われたのを覚えています。
瞬間的に、息がうまく吸えなくなってしまい、自分が過呼吸の症状を呈していることに気が付きました。そのため、うまく返事をすることが出来ず、薄ら笑いを浮かべることしか出来ませんでした。その時きちんと否定できなかったことを、とても後悔しています。
私は、今でも時々、見ず知らずのお爺さんから突然腕を引っ張られて連れて行かれそうになることがあります。本当に気を付けて日々を過ごしていても、です。この国が戦後74年間平和だったなどということは、私には全く信じられません。現実問題として、私には日本は戦場そのものです。なぜなら、自分が法律の埒外にいることがわかっているからです。次に性暴力を受けても加害者が罰されることはなく、自分の尊厳が法的に守られることもないということが、すでにはっきりとわかっているからです。アウシュビッツにあって、ガス室に送られるのを待っているような気分を、私はずっと味わっています。
社会には、加害者に関わり続ける責任があると思います。性被害について理解し行動を変える責務があると思います。なぜなら、性暴力は社会の外側の出来事ではなく、社会そのものの姿だからです。「加害者と被害者を向かい合わせて解決させてあげよう」などという甘い考えに堕ちず、「専門家の立場から解釈してあげよう」などと偉ぶらず、どうか目をそらさずに当事者の声に興味を持ち、耳を傾け続けてください。加害当事者、支援者、法曹人、当局者、どのような立場の方にでも、それは今日から、今この時から、すぐに出来ることだと思います。
「新しい社会を見せてください」
それが、私が今、伝えたいと思っていることです。ジャーナリストにならなかった、あの日まだ18歳だった一人の少女が、今、伝えたいと思っていることです。
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今年、最後の立川競輪。
輪子が大ファンのワッキーにとって久しぶりのレース。
この日、8レースから車券を買うつもりだったのに、トコ子さんと話をしていたら発売が締め切られてしまった。
1-5 2-5を500円買う予定だった。
結果は、2-5で1140円(4番人気)の配当。
次の9レースは、この日の勝負レースと藤代の宮田さんと古河から来ている飯島さんが言うので、9-3-4 9-3-7 9-3-1の3連単車券を買う。
ところが以下の展開に。
赤板の1コーナーで先頭に立った渡邉雄太選手は、叩きに来た栗山俊介選手を突っ張り打鐘前からハイペース。
渡邉選手が主導権をキープしたのもつかの間、今度は飯野祐太選手が最終ホーム手前から仕掛ける。
渡邉選手と飯野選手の踏み合いになり、脚を溜めていた谷口遼平選手に流れが向く。
北日本勢を目標にして2コーナーからのまくりで谷口選手が前団を仕留めた。
「(渡邉が)突っ張るとは思ってなくて。栗山さんが叩いた上を自分が叩かないことには意味がないと。そしたらまさかでした。そのあとはちょっとキツいなってところで飯野さんが行ってくれて、永澤(剛)さんがキメに内に降りたんで、飯野さん目がけてうまいこと行けました」
谷口のまくりに流れ込んだ北野武史が、息を切らせて振り返る。
「谷口君も自分も車番が悪かったけど、(周回中も3番手の)前中団が取れたんで最高だった。でも、(渡邉が突っ張って、谷口に)落ち着けって思ってたら、飯野君が仕掛けてくれた。結果的にすべてが中部勢に(流れが)向いた」
2車単 6-5-5 5800円(15番人気)
3連単 6-5-4 12万8770円(230)番人気
「勝負レースだと思ったがな」と藤代の宮田さんは渋い顔となる。
10レースは「第12回寺内大吉記念杯(FI)」の決勝戦。
輪子は気を取り直して、取手の1番鈴木 竜士選手から車券を買う。
113期の4番植原 琢也選手の番手で鈴木選手に流れが向くと思う。
ところが、植原選手は5番岡村 潤選手から車体を故障されてしまう。
機関車役の植原選手が離脱すれば、鈴木選手の出番がなくなるも同然に。
結果、9番稲毛 健太選手と2番園田 匠選手のラインで決まる。
2車単 9-2 1,230円(3番人気)
3連単 9-2-3 7370円(15番人気)
そして、ワッキー登場のKEIRINグランプリ2019。
輪子のこの日、7000円を持参して、残りは2000円のみとなってしまっていた。
「仕方ないワッキーに賭けよう」と3番ワッキーを軸に。
3-7 3-4を各1000円。
3-7が14・3倍
3-4が94・1倍
結果は以下
レースは7番手の脇本雄太選手が打鐘で上昇すると、誘導と車間を空けていた正攻法の新田祐大選手が合わせて踏み込む。最終ホームで脇本選手が新田選手を叩くが、村上博幸選手が1センターで捌かれて、逃げる脇本選手の後ろには福島勢が入り込む。2センターで新田選手が外を踏み込むと、佐藤 慎太郎選手は内を突いて鮮やかに中割り。最後は粘り込む脇本選手を、渾身のハンドル投げで捕らえた。
佐藤選手は「格別というよりも実感がわかない。グッときて涙が出そうになったけど、泣いたら後輩におちょくられますからね。(賞金王になって)競輪王、賞金王など、〝王〟というのが付くのを取りたかった。まあ夜王でも良いんですけどね。強い時だけでなく、諦めずに応援してくれたファンと喜びをわかちあえて嬉しい」と喜びを語った。連係した新田選手とは厚い信頼関係で結ばれていた。「(新田は)何本もG1を獲っている選手。そこに付くことだけを考えていたので気持ち的な楽だった」。来年はグランプリ王者として常に1番車を背負うことになるが「重圧というよりはレースの中での責任を感じる。1番車は位置取り(の仕事)も大変」と追い込み選手らしい発言も出た。「生涯競輪選手で居続けたい。デビューしてからやってきたことを1日1日ずつ、1戦1戦、1歩1歩やっていく。来年もその次ぎのグランプリも出たいですね」。
1番人気を背負った脇本雄太選手は惜しくも準優勝。
「グランプリ史上、何人かしかしていない先行逃げ切りに挑戦したが失敗。最後まで自分のレースがしたい意志があった。結果は残念だけど、あともうちょっと・・・」と〝先行日本一〟のプライドを持って戦っていた。「まだグランプリで終わりではない。戦いは続く」と来年の東京五輪を見据えていた。
脇本選手とのナショナルチーム対決が注目された新田祐大選手は「脇本と競いあっても良かったが、敵の選手を考えて1車下がった番手勝負の方が可能性があると思った。バックで清水が見えて、慌てていたんだと思う。それで脇本に合された」と脇本の強さを称える。後ろの佐藤の優勝に貢献したレースができたとを「凄い嬉しい。慎太郎さんはG1決勝とかでも『自分の走りをしろ』といってくれる。自分だけのレースになっても、今日も同じことを言ってくれた結果優勝に貢献できた」と語る姿からは厚い信頼関係で結ばれている様子をうかがうことができた。
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「3=4で6300円の配当なら2車複でもよかったな、6万3000円になったのにね」
輪子にとって、今年、一番の悔しい競輪の結果だった。
「でも、ワッキーに感動をもらったグランプリレースだった」
2車単 4-3 1万9190円(64番人気)
3連単 4-3-8 14万3920円(410番人気)
予 想 | 着 順 | 車 番 | 選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 | S / B | 勝敗因 |
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注 | 1 | 4 | 佐藤 慎太郎 | 11.3 | 差 | S | ||
◎ | 2 | 3 | 脇本 雄太 | 1/4車輪 | 11.5 | 逃 | B | |
3 | 8 | 平原 康多 | 3/4車輪 | 10.9 | ||||
○ | 4 | 7 | 新田 祐大 | 1/2車輪 | 11.5 | |||
× | 5 | 5 | 清水 裕友 | 1/2車輪 | 11.3 | |||
5 | 6 | 郡司 浩平 | 1/2車輪 | 11.3 | ||||
△ | 7 | 2 | 松浦 悠士 | 3/4車輪 | 11.2 | |||
8 | 1 | 中川 誠一郎 | 2車身 | 11.1 | ||||
▲ | 9 | 9 | 村上 博幸 | 4車身 | 11.8 |
12/30(月) 日本テレビ系(NNN)
■取り締まりの現状と厳罰化の背景
「あおり運転」が社会問題化するきっかけとなったのは、2017年6月に起きた「東名高速あおり運転死傷事故」だ。夫婦2人が死亡するなどしたこの事故を受け、警察庁は2018年1月、あおり運転に対しては厳正な捜査を徹底するよう全国の警察に指示を出した。
ただ、現在の道路交通法には、何が「あおり運転」に当たるのか定義する条文が存在しないため、実際の現場では、道路交通法違反のほか、刑法の暴行罪や強要罪など既存の法律を当てはめながら取り締まりが行われているのが現状だ。
実際には道路交通法の車間距離を不必要に詰める「車間距離保持義務違反」が適用されるケースが多く、高速道路で普通車の場合、違反点数は2点で、反則金9000円を支払えば刑事責任を問われることはない。
こうした中、2019年8月には常磐道で、いわゆる「あおり運転殴打事件」が起き、悪質な「あおり運転」には厳しい刑事罰を科すなど新たな法整備を求める声が高まっていた。
実際、2019年10月に警察庁が全国のドライバー約2500人を対象に実施したアンケートでも、「あおり運転」を抑止するために必要な方策について、「罰則の強化」と答えた人が全体の74.6%と最も多かった。また、全体の約35%の人が過去1年間に「あおり運転」の被害を経験していることも明らかになった。
■法律が定義する「あおり運転」とは?
こうした現状を踏まえ警察庁は、2019年12月、新たに「あおり運転罪」の創設と罰則などの強化に向けて法改正を進める方針を明らかにした。現在、検討されている改正案では、相手の通行を妨害する目的で「一定の違反」を行い、交通の危険を生じさせるおそれのある行為を「あおり運転」と定義した。
「一定の違反」には、車間距離を詰める行為や無理な進路変更などが想定されていて、罰則は懲役2年から3年以上とした上で、免許取り消しの対象とする案が検討されている。
また、これらの行為に加え、高速道路上で相手の自動車を停止させるなど、事故の危険性が高い行為をした場合には、より重い罰則を科す方針だ。
ただ、新たな「あおり運転罪」を適用するには、通行の妨害を目的とした意図的な違反、という要件を満たすことが必要になるため、ドライブレコーダーや防犯カメラの映像などから執ように違反行為を繰り返したことを立証できるかがポイントになってくるとみられる。
警察庁は、2020年の通常国会に「あおり運転罪」の新設などを盛り込んだ道路交通法の改正案の提出を目指している。
CSテレビのムービープラスで観賞した(12月28日午前1時~)
(Waterworld)は、1995年のアメリカのSF映画。ケビン・コスナーとケヴィン・レイノルズの共同出資で製作され、レイノルズが監督を務めている。
ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド、ユニバーサル・スタジオ・シンガポール、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのアトラクション(エリア)の一つとして採用されている。USJアトラクションのナレーションはテレビ放送版で主人公・マリナーの吹き替えをつとめた津嘉山正種が担当。
冒頭ではユニバーサル・ピクチャーズのシンボルである「ユニグローブ」が海面に覆われていく様子が描かれている。
ウォーターワールド
あらすじ
未来の地球は、温暖化の進行により北極・南極の氷が溶けて海面が上昇した結果、海だけが広がる海洋惑星となった。そんな状況下でも人類は、海の上で「環礁」と呼ばれる浮遊島を建造して生き残っていた。彼らの間では地球のどこかに存在すると伝えられる「ドライランド」という伝説が広まっていた。
一人で海を旅する男マリナーは、貴重品となっていた土と食料品を交換するため、ある環礁を訪れるが、そこでマリナーがミュータントであることが発覚し、彼は環礁の人々に捕えられてしまう。マリナーは処刑されそうになるが、そこに武装集団「スモーカーズ」が現れ戦闘が始まる。環礁で暮らすヘレンに助け出されたマリナーは、彼女とドライランドへの地図が彫られた少女エノーラと共に環礁を脱出し、ドライランドに向かうことになる。一方、ドライランドへの上陸を企むスモーカーズのディーコンは、取り逃がしたヘレンを探し出すように命令する。
初めはヘレンとエノーラを厄介者扱いしていたマリナーだったが、次第にエノーラの純粋さに心を開くようになる。マリナーたちはスモーカーズの追撃をかわしながらドライランドを目指すが、エノーラはスモーカーズに連れ去られ、マリナーのヨットも燃やされてしまう。
残されたマリナーとヘレンは、スモーカーズに襲撃された際に環礁から気球で脱出したグレゴールに助け出され、マリナーはエノーラを取り戻すためスモーカーズの根拠地エクソン・ヴァルディーズに乗り込む。マリナーは、エクソン・ヴァルディーズの石油に火を放ち沈没させ、ディーコンからエノーラを取り戻し、グレゴールたちの気球に乗りドライランドに向かう。
数日後、ドライランドに到着したマリナーたちだったが、マリナーはミュータントである自分は陸上には適合できないことを理解し、ヘレンやエノーラたちと別れ海に帰っていく。
ウォーターワールド | |
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Waterworld | |
監督 | ケヴィン・レイノルズ |
脚本 | ピーター・レイダー デヴィッド・トゥーヒー |
製作 | ケビン・コスナー ジョン・デイヴィス チャールズ・ゴードン ローレンス・ゴードン |
製作総指揮 | イロナ・ハーツバーグ アンドリュー・リクト ジェフリー・A・ミューラー |
出演者 | ケビン・コスナー デニス・ホッパー ジーン・トリプルホーン ティナ・マジョリーノ マイケル・ジェッター |
音楽 | ジェームズ・ニュートン・ハワード アーティー・ケイン |
撮影 | ディーン・セムラー |
▽大事なことは、命に負け癖をつけないことだ。
▽自分の親の気持ちを理解できないようでは、多くの人を幸福にしていくことはできない。
▽差別のない世界をつくるには、人権というものの根幹に「生命論」が必要だ。
生命に序列はない。
どんな生命に対して「この人は生きるに値しない」などと判断してはならない。
▽差別を乗り越えるには、相対して語られる「言葉」によって、人の心を打つような対話が必要だ。
▽差別をすることは、結局は自分自身をおとしめることになる-一人一人がそこに気付くような変化をつくりだすことが「平和の文化」ではないだろうか。
▽暴力とは人間の関係性を壊す行為や態度だ。
多様な人々が人類という<家族>を構成していることを想像できないため、暴力を使うのだ。
暴力は、それを使った人の人生も傷つける。
▽人間関係が希薄な今、人間対人間のリアルな関係を結び直すことが大切だ。
差異から学ぶ「勇気」。
他者への恐怖を乗り越える、勇気をもって相手を深く知る。
すると、異なる価値観や学ぶべきものがあることに気付くだろう。