「寂しい」はもともとは「さびしい」という言葉で、「さびしい」の音が転じて「寂しい」という言葉になりました。 「さびしい」も「寂しい」も意味的には違いはありません。
漢字で表記する場合、「寂しい」もしくは「淋しい」のいずれでもOKです。
意味的な違いとしては「寂しい」がさびしい状況だったり様子を表したりしますが、「淋しい」は「とても悲しい」という気持ち的な「さみしさ」を表します。
利根輪太郎は、時々、取手競輪場の正門に立つガードマンの人に「今日の入場者は、何名ですか?」と聴くのだ。
「600名ですね」と担当者は返事をする。
正門脇の奥の路地の食堂「さかえや」へ立ち寄る。
常連客の二人が、清算を終えて帰るところであった。
「なんとも さびしい」そんな感慨におちいる。
亡くなった競輪ファンたちの顔を思い浮かべて酒を飲む。
甘酒にビール。
ママさんと二人きりで会話を交わす。
追想する競輪ファンたち、宮さん、荻さんはともにタクシー運転手であり、二人は取手の納豆屋さんで働いていた時期もあった。
そして、トラック運転のトム君、仏壇屋の坂さん、藤代の武蔵さん、通称チャップリン、牛久のカーテン屋さん、作曲家の御園さん、当方の自宅の近くに住む菅さん、さらに通称会長さんも姿を見せなくなった。
85歳の壁と利根輪太郎は認識しているのだ。
自分も今後の長い競輪人生で、85歳になったの時にも取手競輪場へ自宅から歩いて行けるだろうかと・・・
彼らの中には、既に故人ともなった人もいたのだ。
さらに、スナック「リボン」のママさんとは、彼女が運転するベンツに乗って取手競輪場にも同伴していた。
彼女とはスナック「エイト」はじめ柏や藤代、戸頭まで酒を飲みに行った。
あの頃は、飲酒運転も法的に見過ごされた時代であったのだ。
彼女の旦那は、取手の地元の暴力団員の一人の有名な「T」とも知らずに・・・・
そのTの本妻は取手東口のぼったぐりバーのママだった。
当時、「リボン」のママさんは40代、当方30代、互いに惚れ込んだのだが、今、思えば深い肉体関係には至ることがならなかった。そのことが互いに幸いしたのだ。
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