「小5の妹を孕ませた内縁の父に殺意を持って…」私はこうして“暴力団員”になりました

2021年03月17日 21時04分28秒 | 事件・事故

3/17(水) 11:12配信

文春オンライン
 最大時約18万4000人を数えた暴力団構成員数は現在約2万8000人。取り締まりは年々厳しくなっており、彼らは真っ当な暮らしを送ることも困難になっている。そんな状況にもかかわらず、どうして暴力団に加入する人が絶えることはないのだろうか。

【写真】この記事の写真を見る(4枚)

 ここでは、暴力団についての著書を多数出版している廣末登氏による『 だからヤクザを辞められない 裏社会メルトダウン 』(新潮新書)を引用。暴力団に加入した男性の具体的な事例を紐解き、加入を決めた理由、そして脱退する難しさについて紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◇◇◇

生まれた時から背負う社会的ハンデとは

©iStock.com

 人は生まれてくる家を選ぶことはできません。ですから、家庭環境や貧困など生来的なハンデは、それが遠因で暴力団員になった人たちにとってどうしようもなかったことであり、同情の余地があると考えます。もっとも、不幸な家庭に生まれても非行や犯罪に走らない人もいます。だから「それだって、自己責任なんだよ」と仰るむきがあることも承知しています。しかし、不幸にも濃淡、強弱、割合というものがあります。筆者が聴取した暴力団離脱者の中には、成育環境が不幸の一言で片付けられるレベルではない人もいました。我々が当たり前に享受してきた少年時代の生活が、彼らには望めなかったのです。

 公的調査・研究では、暴力団組織への加入につき、家庭環境や地域社会からの社会的孤立が個人を暴力団へ押し込むプッシュ要因であり、暴力団組織所属者とのつながりや交友関係が、個人を暴力団へ引き込むプル要因となっていると分析しています。

 なぜなら、構成員の暴力団への加入理由を最終学歴別にみたとき、特に中学校卒業者で「暴力団以外に居場所がなかったから」63.9%、高等学校中退者で「信じられる人が暴力団にいたから」32.4%と高い割合を示しており、家庭にも地域社会にも居場所がなかった暴力団加入者の状況が見て取れます。ちなみに、暴力団加入検討時に暴力団以外に「信じられる人がいなかった」とする人の多くが「経済的に苦しかった」ことも加入理由にしています。

 この分析は、次項に紹介する人物たちの半生をみても肯定できるものです。

 子ども時代の家庭の貧困、親からの放置や虐待が自己責任でしょうか。子どもには重すぎる何かを背負って生まれてきた境遇が自己責任と非難されるべきでしょうか。筆者が考えるに、陽光あふれる船のデッキしか知らない人には、薄暗い船底に木霊する重たい軋みは、想像できないと思います。その重く暗い軋みとはどのようなものなのか──

そして男はヤクザになった
 まず、元暴Eさん。彼のことを書くのに、筆者はメモを見るまでもありません。あまりにも凄絶なその人生は、一度聞くと、忘れることができないものでした。子ども時代の概要を、本人の言葉でご紹介しましょう。

 ちなみに、この元暴Eさんとは、2014年に関西で出会い、話を聞くことができました。年齢は筆者とほぼ同年で、身長が170センチを少し超えるガッチリとした体格の持ち主です。風貌で印象的な点は、鬼のような入墨の眉毛。太さが通常の倍はあります。『北斗の拳』のケンシロウも真っ青です。暴力団員として生きているときは非常に有効な眉毛であったと思いますが、カタギの中で生活するためには、いつもソフト帽を目深にかぶっていました。指も数本が欠損していますから、バルタン星人のようでした。その後、元の暴力団組織に幹部として戻ったと彼の消息を風の便りに聞いたのは、2019年の秋です。

父親は指名手配犯
「おれの家は、親父が指名手配犯やったんですわ。せやから、あちこち逃げ回る生活でしたんや。おれが小学校に上がる前の年に関東で死にまして、オカンはおれを連れて、郷里に帰ってきたんです。そんとき、オカンの腹には妹がいてましたんや。

 帰郷して直ぐに、親父の友人いうんがなんや世話焼くいうて、家に出入りし、そんうちにオカンと内縁関係になりよりました。おれとしてはどうということは無かったんですが、ある事件──いうてもしょうもないことですわ──を切っ掛けに、虐待が始まったとですわ。

 あるとき、まあ、おれが小学校1年位やった思います。そのオッちゃんから『おまえ、そないにアイスばっか食いよったら腹下すで』と言われたんで、『関係ないわ』というような返事しよったん覚えています。そんなことでも、まあ、殴る、蹴るの虐待の毎日ですわ。こっちは子どもですやん、手向かいできんかったですわ。それからですよ、路上出たんは。

 まあ、小学校低学年ですやろ、公園のオッちゃんらのタンタン(たき火)当たりたいですが、怖いやないですか。で、あるとき、気づいたんですわ。こん人らが飲みよる酒(ワンカップ)持っていったら仲間に入れてもらえんちゃうかとね。子どもの手は、自販機に入りますから、相当抜いて持っていきましたわ。案の定、喜びはって『若!』『大将!』とか呼ばれて仲間になってましたわ。

アニキとの出会い
 小学校3年位に、おれみたいな仲間とスリ団つくって、電車専門のスリやりよりました。腹減ったら、デパ地下の試食くいまくりです。そないなことばっかしてますと、何度もポリの厄介になるわけですわ。小学生で、新聞にも載った位ワルさしましてん。子どもの頃は、アオカン(野宿)か児童相談所(児相)、教会の養護施設のどれかにおったような気がします。

 そないな生活のなか、初めて遊園地や動物園に連れて行ってくれたんは、近所のアニキでした。この人は、筋金入りの不良やってましたんやが、おれら子どもには優しかったんですわ。アニキに連れて行ってもらった動物園、生まれて初めて見るトラやキリン……今でも鮮明に覚えてますわ。いい時間やった。

小5の妹を孕ませた内縁の父
 おれもこのアニキのようになっちゃる思うて、不良続けよったある日、まあ、いつものように年少(少年院)から帰って、妹の通う小学校に行ったんですわ。すると、担任が『おまえの妹はここにおらんで』言うて、児相に行け言うとですわ。『はて、おれのようなワルとは違って、妹は大人しいんやがな』て不審に思いましたよ。で、児相に行って、『おい、兄ちゃんや、帰ったで』言うても、妹はカーテンの陰に隠れよるんですわ。『なんやね、おまえ』言うて、カーテンめくったら、ショックで言葉なかったですね。小学校5年生の妹の腹が大きいやないですか。『なんや、おまえ、どないしたんや』と問い詰めますと、妹は、泣きながら『聞かんといて』言うてました。聞かんわけにいきませんがな、とうとう口割らせましてん。まあ、あの時が、最初に人に殺意抱いた瞬間やったですわ。家に入り込んで、おれを虐待したオッちゃんにやられた言いよりますねん。もう、アタマの中、真っ白ですわ。出刃持って家に帰りましたら、ケツまくって逃げた後やったです。あの時、もし、そのオッちゃんが家におったら、間違いなく殺人がおれの前歴に刻まれとった思います。

 ヤクザになったんは、それから数年してからです。動物園とかに連れて行ってくれたアニキと、久々に街で会いまして、『おまえ、どないしてんのや』言うんで、『まあ、不良やっとります』言うたんです。そしたら『そうか、ブラブラしとんのやったら、おれん方来い』と言うてくれました。それからですわ、ヤクザなったの。『よし、おれはアニキだけ見て生きてゆこう。アニキ立てるんがおれの仕事や』と、決心しましてん。アニキと看護婦の嫁さん、それとおれの3人での生活がはじまったんです」

暴力団辞めたら即カタギ、とは簡単にいかないワケ
 人間は社会的動物です。この世に生を享け、最初に社会化(*1)されるのは家族社会です。この家族社会から躓くと、その後の人生は危ういものになります。手段の合法・非合法にかかわらず、生き抜くことしか考えません。筆者がこれまでに話を聞いた、13人の元暴や現役暴力団員の人たちの家庭環境も大同小異でした。彼らは、子ども時代から非合法的な社会の文化に親しんでいたといえます。子どもの頃にはコトの善悪は分かりませんから、そうした非合法な文化における価値観に染まるのは、彼らの責任だけではないと思うのです。

*1 社会化とは、人が社会規範への同調を習得する過程であり、社会の存続を可能にし、世代間の文化の伝達を可能にする過程をあらわす。

 自分自身、義務教育を父親の判断で殆ど受けられず、家庭内で日常的に暴力を受け、反発し、非行的な文化に染まった後に、そこからやっとのことで抜け出した筆者は、この主張には力をこめたいと思います。

 我々が常識と考えることは、暴力団の世界では非常識であり、またその逆も然りかもしれません。いずれにしても、暴力団をはじめとする非合法な社会の文化から立ち直ることは、非常に困難を伴うものであり、社会全体の支援なしには難しいというのが筆者の考えです。

カタギに転向する際の文化的な葛藤
 筆者が取材現場で見てきた暴力団真正離脱者の多くは、正業に就き更生するまでの間、合法と非合法の社会をドリフトするようにして、徐々に社会復帰しています。彼らもまた成長過程で、非合法な文化において社会化されてきました。そして、暴力団に加入し、暴力団の文化の中で暴力や脅しが日常的で、犯罪的な生活を送ってきています。このような犯罪組織における文化を、犯罪学では「非行副次文化」あるいは「非行サブカルチャー」といいます。

 暴力団社会の文化とカタギ社会の文化とでは、基本的に様々な違いがありますから、カタギ転向する際、離脱者は文化的な葛藤を経験します。それはたとえば、日常的な言葉遣いや態度、習慣というものから、感情の表出の仕方などです。ですから、「今日から足を洗って犯罪とは無縁のカタギになります」と言っても、いきなり別の人間になれるわけではなく、カタギ文化に受け入れられ、そこに馴染むよう努力することで、徐々に立ち居振る舞いが変わっていくものなのです。

 筆者が見る限り、社会復帰に成功している人は、地域社会に支えてくれる人がいた場合、あるいは、慣習的な社会に居場所などを持ちえた人でした。社会的に孤立した人、職場などのイジメに耐えられなかった人は、更生に至らず、再犯で逮捕されるか、元の組織に戻っています。

【続きを読む】 “パクられる覚悟だけで輝くことができるんで”…当事者が語る“半グレ集団”が増え続けるワケ  

 “パクられる覚悟だけで輝くことができるんで”…当事者が語る“半グレ集団”が増え続けるワケ  へ続く

廣末 登

 

【関連記事】


最新の画像もっと見る

コメントを投稿