レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

逆翻訳の俳句、短歌?

2013-05-11 05:00:00 | 日記
前回はアイスランドでも俳句や短歌をアイスランド語でたしなむ人がいる、ということをご紹介しました。その際、定形は音数ではなくてシラブルの数で保つ、そのためか語数は日本の俳句や短歌に比して1.5-1.6倍になる、ということもお伝えしました。

さて俳句や短歌のアイスランドでの第一人者と見なされているピエトルさんという方が、自分の短歌をいくつか日本語に訳してくれ、と先日私に頼んできました。「逆輸入」とまではいかなくとも俳句、短歌の「逆翻訳」です。

詩歌の訳というのは難しいもので専門的な勉強をしていないと無理なものなのですが、「名訳でなくてもいいから」と言うので「試しにやってみっか!」という気持ちでやってみました。

もとの短歌の大意はこんなものです。
恥ずかしげに雪は地に舞い
草葉の中に消え行く
木々はますます葉を茂らせていく、私の目には

これは直訳も同然なのですが、アイスランド語の原歌の方はもっときれいなちゃんとした詩文です。ピエトルさんの名誉があるので念のため。

こうしてみると「語数が多い」と言った意味が分かっていただけると思います。これらを全て五七五七七に納めるのは難しいようです。

となるとどこかを捨てなければならないのですが、これは私の短歌ではありません。詠み手の感情を把握してからでないとカットとかはできないのですが、私も翻訳家ではありませんし、そこまでやってられない。大体不必要な言葉を削ることこそ俳句短歌の核心ではないか。なぜ訳者がしなければならないのか?と多少意地悪な気持ちにもなりました。スミマセン。m(_ _)m

結局訳としてはこのようなものにしてみました。
雪片のはにかみ舞いて草の上
消え行くそばの若葉眩しい

全然良い訳だとは自分でも思いませんが、これ以上は無理だと思います。ワタシ、アイスランド語で詩は作るのですが、不思議なことに日本語では全く詩歌の創作はしたことがありません。

実はそれでも俳句、短歌、川柳の本を読むのは好きで何冊も蔵書に入っています。というとまた誤解を招きかねません。本といっても専門的な本ではなく、趣味の入門書的な「ゼロから始める俳句」とか「六十歳からの短歌入門」とかの軽ーいハウツーものばかりです。



ワタシの教養書。俳句、短歌の入門書

なんでそういう本が好きかというと、やはり勉強になるんです。俳句や短歌そのものは作らないとしても詩的なものの見方や言葉の省き方、配置の仕方などはとても参考になります。

ちょっと関連していうならば、現代歌人の人気者穂村弘さんのエッセイ集もお気に入りの本で、大体全部読んでいます。穂村さんの歌の方は...あんまりよくわからない。またまたスミマセン。
m(_ _)m

アイスランド語での俳句に関して付け加えておくと、季語に関してどのように考えているのか興味があります。やはり季節にはちゃんと触れているのですが、どういう言葉が「季語」として認められているのか、というよりは認められて「いくのか」でしょうね。

「雪」とか「太陽」とかは自ずとしれているでしょうが、公式には夏冬の二季しかないアイスランド。貴重な春と秋、しかも往々にして冬と夏に引っ掻き回されてしまうこのふたつの季節はどのような季語を勝ち取ることができるのでしょうか?



応援します、若い力。Meet Iceland
コメント
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