レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アドヴェントの光

2013-12-05 05:00:00 | 日記
歳を重ねるほど一年の流れが加速していくというのは何か理由のあることなのでしょうか?このブログを始めて一年以上経ちましたが、メイルでわざわざ「toshikitomaさんの一年前のブログです」とリンクを送ってきてくれます。

いつもはそのまま削除してしまいますが、先日去年のアドヴェントに書いたものを見てみました。全く同じで「月並みな物言いですが、とんでもない速さで月日は流れ明日(12月1日)の晩からはアドベントに入ります」と書いています。進歩のなさが露見してしまってますね。(^-^;

アドヴェントは「待降節」であり、キリスト・イエスの誕生、すなわちクリスマスに備えるための時期です。そのためもともとは自分のあり方を顧みて、正すべきところは正してクリスマスに臨む、という厳粛な時期であります。

「ヨーラ・ファスタ」というクリスマス前の断食(食事の節制)をする人がいるのもこのためです。教会歴を用いる宗派のキリスト教会に縁のない方はご存知ないと思いますが、アドヴェントの典礼色(教会の祭儀で用いる色)は紫で、これは復活祭前の受難節と同じ色なのですが、これも身を正すというところから来ているわけです。

ところが俗世は随分と違う道を進んでいっているわけで、実際のアドヴェントの時期はかなり違った雰囲気になっていることはご承知の通りです。ただ念のために断っておきますが、ワタシは個人的には、別に俗世のアドヴェントを全部否定しようとかいうつもりもないのです。特にここアイスランドでは、アドヴェントとクリスマスが(それがどのような形であれ)この暗い時期を耐え易くしてくれているのは確かですから。

俗世のアドヴェントは「師走」と同じく忙しい時期です。クリスマスのご馳走や家族揃っての集い、プレゼントの交換などが馬の鼻先のニンジンのようにぶら下がった日々です。

プレゼントを何にしようか、ご馳走を何にしようか、などと言う楽しい期待に(たとえそれがクレジットカードには重いものであっても)心を奪われている時には、なかなか本来の仕事とかには気持ちを集中できないこともあります。

しかしこれはある意味それなりに「恵まれた」立場にある人たちについてのことであるでしょう。アイスランドのような小さな社会であってさえも「生活を楽しんでいる人たち」と「生活に捕われてしまっている」人たちが別れてしまっています。

生活に捕われている人たちの中には、クリスマス前後の食卓に乗せる「食事パック」を受け取るために生活保護団体の列に並んだり、プレゼントを買うためのお金をどう工面しようかと悩んだり、ずっしり重いローンの負担で住む場所が無くなるのではないかと心配している人もいます。

また、フィリピンからの移民で故国の被災地の家族や親戚の生活を心配している人たちもいますし、病いを患っている人だっていますし、難民申請をしていて将来の見通しが立たない人もいます。決して皆がみなハッピーなわけではないのは世の常でしょう、残念ながら。

クリスマスの本来の意味はそのような「生活に捕われた人々」「大きな心配や不安に捕われた人」も含めて、というよりはむしろそのような人々をこそ照らす光をもたらすものです。

ところが皮肉なもので、皆がメリークリスマス待望的な忙しさに巻き込まれてしまうと、やはり生活に捕われた人たちや、ケアが必要な人たちへのサポートが二の次になっていってしまうように見受けられます。

もっともワタシ自身、門前の小憎とはいえ牧師ですから、世間を批評する前に自分自身の襟を正さなくてはなりません。とにもかくにも世間の流れに身を任せずに正しい(と思う)方向へ舵を取るのは、そうと意識しなくてはできないことですね。

皆様も師走の喧噪の中で確かな道をご自身のテンポで歩まれますよう。


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com


コメント (3)
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