前回、アドヴェントの忙しさの中で忘れられてしまいがちになる「生活に捕われた人」や「心配や不安に捕われた人」について少し触れました。そしてアドヴェントの時期の本来のメッセージは、そのような人を(こそ)照らす光が与えられる(キリストの誕生)、ということだということを書きました。
アドヴェントからクリスマスにかけてよく引き合いに出される聖書の語句にこのようなものがあります。旧約聖書のイザヤ書からの言葉ですが、キリストの誕生を預言するものとされます。
「わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる」(イザヤ書42:7)。
ここでいう「囚人」とは第一義的には独立を失って捕囚民となっていたユダヤの民のことですが、今日的な意味では人間的な罪や弱さ、あるいは社会からの差別や艱難を受けている人全てを指しています。
私が日常の生活で関わる中で「暗きに座する者」として挙げられるのは、いの一番に庇護申請者の人たちです。彼らは避難民なのですが、まだそうと認定されておらず庇護申請をしてその結果を待っている人たちです。
このブログでも何回か庇護申請者については触れたことがありますが、彼らは「そこにいるのだが、仲間ではない。人間ではあるのだが、何の権利もない。今日を生きていて、過去は戦争や迫害で埋め尽くされ、未来は暗くて何も見えない」と描写しても言い過ぎにはならないでしょう。
私は移民牧師として彼らとは定期的に接触する機会があります。付け加えておくと、彼らのある者はキリスト教徒であり、別の者はイスラム教徒であり、また他の者は何の宗教にも属していません。私はキリスト教の教会の牧師ですが、庇護申請者との関わりで根本になるのは「人間」であることで、宗教の違いには後ろに身を引いてもらいます。
その庇護申請者の中のひとりを紹介しましょう。名前は仮にヤシールとしましょう。ヤシールはアフガニスタンで生まれました。現在二十三歳。私の長男と同い歳です。もの静かで控えめな青年です。
彼が幼少の頃はタリバンが権勢をふるっていました。ヤシールはタリバンが差別の対象としているエスニックに属し、父親はそのために命を奪われました。そして母親は子供たちを連れてアフガニスタンからイランへ逃れていきました。ヤシールがまだ六歳だった時です。
ところがイランでもアフガン難民に対する差別が公然と存在し(これは現在でもそのようです)、十六歳になったヤシールはひとりでイランを抜け出しました。その後、トルコやギリシャで難民申請をしましたが、すでに難民でいっぱいになっている国ではまともな扱いを受けることはできませんでした。
そして二年前にアイスランドへやってきました。そしてここでやっと彼の難民申請はきちんとした審査のプロセスへ乗せられたのです。その間、彼は滞在場所の近くの高校にも通うことが許されました。
ここで終わっていたらアイスランドはなんと人道的な国なんだろうか!という良いお話しなのですが、残念ながらそうではありません。この十月に移民局は彼の難民申請を拒絶しました。
その理由云々を記すことはできないのですが、全く納得の行かない理屈(というより理屈になっていない)であることは確かです。当然ヤシールは内務省に上訴しました。今現在、まだ回答を待っているところです。
実は私は彼が息子と同じ年齢であることもあって、個人的な思い入れがあります。これまでの二十三年間で子供として、若者として、私が「当たり前の生活」と考えているような生活をどれだけすることができたのでしょうか?
足掛け八年の独りぼっちでの放浪と避難の生活。正直いって想像もつきません。「ギリシャにいた時は、一ヶ月シャワーも浴びれないことがあった」と彼は笑いますが、アイスランドで滞在を否決された時は「本当にどん底に突き落とされたようにパニックになってしまった」と涙声になります。
私も含めて庇護申請者を支援する民間の人たちは、申請が法律家たちの机の上に乗っている間には、直接問題に介入する術がありません。ただ訪問し、話し相手になり、うつになったり自暴自棄になったりしないようにできるだけのことをします。
また移民局や内務省に嘆願書を出したり、否定的な回答に対して抗議行動をすることもありますが、どれだけ直接の影響を与えられるのかは疑問です。
アドヴェントの、そしてクリスマスの光がヤシールにまで届くことを心の底から願います。そしてその願いを本当の願いにするために、光が届くように自分では何ができるかを探り、それをなせることを祈ります。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
アドヴェントからクリスマスにかけてよく引き合いに出される聖書の語句にこのようなものがあります。旧約聖書のイザヤ書からの言葉ですが、キリストの誕生を預言するものとされます。
「わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる」(イザヤ書42:7)。
ここでいう「囚人」とは第一義的には独立を失って捕囚民となっていたユダヤの民のことですが、今日的な意味では人間的な罪や弱さ、あるいは社会からの差別や艱難を受けている人全てを指しています。
私が日常の生活で関わる中で「暗きに座する者」として挙げられるのは、いの一番に庇護申請者の人たちです。彼らは避難民なのですが、まだそうと認定されておらず庇護申請をしてその結果を待っている人たちです。
このブログでも何回か庇護申請者については触れたことがありますが、彼らは「そこにいるのだが、仲間ではない。人間ではあるのだが、何の権利もない。今日を生きていて、過去は戦争や迫害で埋め尽くされ、未来は暗くて何も見えない」と描写しても言い過ぎにはならないでしょう。
私は移民牧師として彼らとは定期的に接触する機会があります。付け加えておくと、彼らのある者はキリスト教徒であり、別の者はイスラム教徒であり、また他の者は何の宗教にも属していません。私はキリスト教の教会の牧師ですが、庇護申請者との関わりで根本になるのは「人間」であることで、宗教の違いには後ろに身を引いてもらいます。
その庇護申請者の中のひとりを紹介しましょう。名前は仮にヤシールとしましょう。ヤシールはアフガニスタンで生まれました。現在二十三歳。私の長男と同い歳です。もの静かで控えめな青年です。
彼が幼少の頃はタリバンが権勢をふるっていました。ヤシールはタリバンが差別の対象としているエスニックに属し、父親はそのために命を奪われました。そして母親は子供たちを連れてアフガニスタンからイランへ逃れていきました。ヤシールがまだ六歳だった時です。
ところがイランでもアフガン難民に対する差別が公然と存在し(これは現在でもそのようです)、十六歳になったヤシールはひとりでイランを抜け出しました。その後、トルコやギリシャで難民申請をしましたが、すでに難民でいっぱいになっている国ではまともな扱いを受けることはできませんでした。
そして二年前にアイスランドへやってきました。そしてここでやっと彼の難民申請はきちんとした審査のプロセスへ乗せられたのです。その間、彼は滞在場所の近くの高校にも通うことが許されました。
ここで終わっていたらアイスランドはなんと人道的な国なんだろうか!という良いお話しなのですが、残念ながらそうではありません。この十月に移民局は彼の難民申請を拒絶しました。
その理由云々を記すことはできないのですが、全く納得の行かない理屈(というより理屈になっていない)であることは確かです。当然ヤシールは内務省に上訴しました。今現在、まだ回答を待っているところです。
実は私は彼が息子と同じ年齢であることもあって、個人的な思い入れがあります。これまでの二十三年間で子供として、若者として、私が「当たり前の生活」と考えているような生活をどれだけすることができたのでしょうか?
足掛け八年の独りぼっちでの放浪と避難の生活。正直いって想像もつきません。「ギリシャにいた時は、一ヶ月シャワーも浴びれないことがあった」と彼は笑いますが、アイスランドで滞在を否決された時は「本当にどん底に突き落とされたようにパニックになってしまった」と涙声になります。
私も含めて庇護申請者を支援する民間の人たちは、申請が法律家たちの机の上に乗っている間には、直接問題に介入する術がありません。ただ訪問し、話し相手になり、うつになったり自暴自棄になったりしないようにできるだけのことをします。
また移民局や内務省に嘆願書を出したり、否定的な回答に対して抗議行動をすることもありますが、どれだけ直接の影響を与えられるのかは疑問です。
アドヴェントの、そしてクリスマスの光がヤシールにまで届くことを心の底から願います。そしてその願いを本当の願いにするために、光が届くように自分では何ができるかを探り、それをなせることを祈ります。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com