レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ジュネーブ中街ワイワイ日誌(19-3)– 魔法の解けた日曜の晩餐

2019-10-09 00:00:00 | 日記
「ジュネーブ中街ワイワイ日誌」の三回目です。「ヨーロッパの教会が、どのような活動を難民や庇護申請者の人たちのために行なっているか?」ということを学ぶため、私たち牧師七人衆がジュネーブまでやってきました。

ここにある「ルーテル世界連盟」(LWF)や「世界教会評議会」(WCC)の本部を訪ねたり、また、ジュネーブルーテル教会、難民のための活動をしている教会やNPOを訪ねる予定です。

前回書きましたように、アイスランドからの視察団は七人なのですが、今回の訪問は、ジュネーブ在住のアイスランド人牧師夫婦の手引き?というかお世話をいただいて実現したものです。

場所と状況に応じて、この夫婦と彼らの子供さんたちまでジョイントしましたので、グループは最大十人にまで膨れ上がることがありました。

ジュネーブについてからの最初の二日間は、LWF及びWCC訪問に費やされました。ふたつの団体は、ひとつのかなり大きい建物に収まっています。




LWF WCC内のチャペル 木を多用した明るいデザイン


二日間で十六の説明というかレクチャーを受けました。双方とも「世界事務局」なので、世界中の色々な国から様々な人たちが集まっています。ひとつ共通していることは、「それなりに優秀な人たち」ということです。まあ、そういう事務局で職を得るのですから、そうでしょう。

ですが、ではレクチャーもそれなりに面白いか?というと、これがそうでもないんですよね。その人がパッションを持って語るか否か、によって話しの魅力はずいぶんと変わってきます。

参考になる話しはおおくありましたが、正直言って、私はこのレクチャー部分はそれほど感銘を受けませんでした。

LWF とWCC訪問で私が感じたことの第一は「オラはこういう場では働けないな」ということ。なんというか、やはり事務局なのです。教会の「現場」とは違います。

よくテレビの刑事物とかで「俺は現場のデカだ。本部の政治屋にはなれない」とかいう台詞があるじゃないですか。それと同じで、私はLWFでは退屈してしまうでしょう。

加えて、これも言い方が難しいのですが、優秀な人たちが集まっている故の、一種独特な雰囲気がありました。偉ぶっているのではないのですが、「ここはインターナショナル」「ここは世界を引っ張っています」的な空気はやはりあって、私は馴染めません。

その割には、建物は戦時中のものかいな?というくらい古臭いもので、これも私には非魅力的。

というわけで、二日間のLWF、WCC訪問は「それなりに有益だが、それなりに異次元」というのが私の感想でした。

三日目の土曜日は、ジュネーブを出て船でレマン湖を渡ります。船で三時間近くいったところにある小さな街モルシェというところへ行き、そこで働いている、これもアイスランド人の女性牧師の教会を訪ねたりしました。。




モルシェの街のレマン湖畔から 


そして、活動日としては最終日の日曜日。この日の午前中はジュネーブのオールドタウンの真ん中にあるジュネーブルーテル教会の礼拝に参加します。私たちのホテルから歩いて三分の距離。

この教会にはひとつの特徴があります。先に訪問したLWFに世界中から赴任しているスタッフや、その方たちの家族の皆さんとかが多く出席しているのです。当然、かなり質の高い礼拝になります。

それでもここには「エリート臭」はなく、非常に楽しく時を過ごしました。牧師はアメリカ人の男性で、ミネソタ出身とか。とても良い説教をしてくれました。会衆の中にわんさか牧師や神学博士とかいるのですから、ああいう教会で牧師をするのはものすごく優秀で、かつ鈍感な人でないと務まらないでしょう。あれ、失礼。(^-^;

同じ日曜日の午後は、夕方からジュネーブから車で一時間くらい行ったところにある、ジンジンという田舎の町の英国国教会の集会に参加しました。これまた、絵に描いたような「ヨーロッパの田舎町」で、きれいなところでした。

キャロルさんという女性牧師がつつがなく礼拝を進め、終了。「日程終了!」と一同が夕方の気持ち良い日差しの中で最後のディナーを何にしようか?と話していると、コーディネーター役のクリスティが「ああ、私たちキャロル牧師のお宅へお邪魔して軽い夕食をいただくの」だって。

一同、軽いショック。最後くらい好きなもの食べたかったのに... 加えて、この教会の皆さん、どちらかというと人見知りなのか、私たちに興味がないのか、ほとんど話しかけてくる人もおらず、私は「なんとつまらない集会だ」と内心思っていました。いや、内心ではなく、仲間内にそのように話していました。

で、「早く終わってくれますように」という罰当たりな願いを隠してキャロル牧師のお宅へ伺いました。




絵に描いたようなヨーロッパの田舎街ジンジンの教会


他にも五人の教会のメンバーの方が来てくれ、ピザとかサラダの準備。ワインも豊富にテーブルに出されました。特に大きな家ではなく、ブロックのアパートだったので、結構人でいっぱいに。

そしてです。突然魔法が解けたかのように、あるいは魔法がかかったのか?教会の人たちが人見知りをやめて、教会の難民の人たちに対する取り組みを話し始めたのです。私が食事が始まる前に話をした男性は、もとUNHCRの職員だったといいます。

引退後も個人的に難民に対するサポートを続けていて、話し始めた三分後にはすっかり意気投合して話しが盛り上がりました。というか、深い話しになりました。こういう話しをしたかったんだよ、私は。LWFよりは。

その男性の方、ケヴィンさんはオーストラリア出身ということでしたが、私よりは七、八歳は歳上でしょう。私の話すことをすべてわかってくれました。「振りをしている」のではないのはこちらにも良くわかるのです。

アイスランドからの他のメンバーも、それぞれに教会の他のメンバーの人たちと熱心に話し込んでいました。集まってくれた方々は、皆熱心な活動家だったのです。

美味しいピザが焼けて、ワイングラスが満たされると、皆が居間で円を作り座り込んで話し始めました。話しは難民の人たちに対するサポートに終始しました。こちらが話しを聞くだけではなく、こちらからもアイスランドでの取り組みの紹介やアイデアくを披露。

そのうちひとりのアフリカ系と思われる若い男の子がひょっこり現れました。「家に居候させている難民なのだけど、送還が決まってしまっていて...」とキャロル牧師。「心が引き裂かれる思い」

もっと話したかったのですが、私たちは翌朝は五時起きで帰国の予定。引き上げる前に「皆で祈りましょう」ということになりました。数人がお祈りをしてくれました。

この視察団はなんといっても「トシキのグループ」ですからね。私も一言でも祈りを口にするべきだったのですが、やめました。言葉を口にすると、涙が止まらなくなることがわかっていたので。

ホテルに戻ったのは夜の十時でしたが、私は若い女性牧師ふたりと近所のカフェへ出向きビールを一杯(ホントは二杯と半分)。三人とも良く飲み、良く笑いました。ジュネーブ滞在ももう終わりです。

知識としても、心通う体験としても、次に取り組むべき課題のインスピレーションとしても、多くの得るところがあったと思います。ですが、しばらくは心落ち着けて、これらのものを一度ダイジェストしないといけないですね。それはアイスランドに戻ってからのことです。

旅で出会った人たち皆と、同行した仲間たちに感謝。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is|

コメント
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