それなりに夏らしい天気が続いているレイキャビクです。「暑い」と感じることはまずありませんが -それでもたまに外で日差しの下にいると「暑い」こともあります- 「寒い」ことがないだけで、心持ちが良くなります。
日本のニュースにもついていくようにしていますが、大雨の被害は尋常ではないですね。コロナ の後でこれでは、本当にたまったものではないでしょうし、被災地の皆様にはお見舞い申し上げます。
一方、東京では木金と二百人を超えるコロナ新感染者ですか?困ったものですね。このタイミングで集会規制の緩和や、国内トラヴェルの支援が行われるとか。「これが正しい」という答えがない問題なので、為政者にとっても舵取りは難しいだろうと察します。
さて、本来のしょうもない話題に戻ります。
前回「ホンマでっか!? TV」に触れましたが、その続きから。八王子の話題の後、番組の後半ではさんまさん、所さん、そして郷ひろみさんが登場。なんでも当日がさんまさんの六十七歳の誕生日だったそうで、それにちなんだ企画。この御三方、みなさん同い歳なのだそうです。
その中で話題になったのですが、さんまさん、所さんが共通して口にしていたのが「六十七歳になっても、若い頃『六十後半はこんなやろうなあ』と考えていた有様とは、全然違う』ということ。 「昔は六十歳とかは、もっとこう悟ったようなもんだろうと想像してたけど、全然今までと同じや」とのこと。
これ、私の周囲を見渡しても、ほとんどの人が口にすることのように思われます。私自身もそう思います。今現在六十一歳になったのですが、若い頃、その辺の歳の人はこうだろう、と思っていたのとは雲泥の差がある自分です。
「オレ、セイチョウしないからなあ...」と感じていたのですが、同じようなことをあっちからも、こっちからも聞くようになって「ああ、これはワタシ限定のことではなく、みんな同じなんだ」と気が付かされました。
ということはですね、皆さん。もし皆さんがまだ四十歳かあるいはそれより若い世代としたら、あなた方が心に思っている「六十台はこうだろうイメージ」は、すべからず「ハズレ」だよ〜、ということなのです。(*^^*) 六十台とはまだそんなに「熟成」してはいないのでした。
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先週の日曜日、洗礼式の様子
さて、これが今回のお話しの前提となります。これからが本題。
実は先の五月に娘に赤ちゃんが生まれました。女の子。で、先週の日曜日にその赤ちゃんの洗礼式(キリスト教に入るための教会の儀式)が行われました。この洗礼式、アイスランドではこの機会に赤ちゃんに名前を命名する習慣があります。また、親戚や友人に赤ちゃんをお披露目する機会でもあります。
この赤ちゃん、愛称をドラミちゃんと言いますが、私にとっては初孫です。そういうことから、周囲の邦人の方々が「トーマさんも、いよいよ『おじいちゃん』ですねえ」とか言い始めたのです。
ギョギョ! おじいちゃん!? これこそ「ホンマでっか!?」です。
なんというか、「娘に赤ちゃんが生まれた」というのは事実です。おめでたいことで、なんの抵抗もありません。その孫から見た続柄が「祖父」であることも事実です。これらは客観的な事実関係。
しかしです。それが「おじいちゃん」と連携するとなると、そう簡単には受け入れられない。何せ、先に述べましたように、私自身はまだ熟成していない「万年青年」なのですから。それが「おじいちゃん」と呼ばれると「いやいや、まだそんな歳じゃないから」と言いたくなってしまうのです。
アイスランド語では「祖父」のことはafiアビ、「祖母」はammaアンマと言います。このアビ、アンマは孫から見ての「親の親」「祖父祖母」という続柄を示す意味しかなく、一般的な意味での「老人」「高齢者」という用法で使われることはありません。
こちらでは、割とよくあることなのですが、例えば女性が二十歳で娘を産んだとしましょう。そんなに特別なことではありません。その娘が、今度は自分が二十歳になった時に子供を産んだとします。すると、生まれた子供の母親の母親は、四十歳にしてアンマとなります。
アイスランド語では「アンマ」と言ってなんら問題も違和感もありません。だって「祖母」という族柄だけを指す言葉で、年齢は関係ない言葉ですから。
ですが日本語だと「おばあちゃん」となり、どこか違和感が出てきます。四十歳はどう考えても「高齢者」ではありません。だからおそらく日本では「若いおばあちゃんねえ」とか注釈を付ける羽目になるだろうと思うのです。
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洗礼式用のケーキ 中央に名前が書かれていますが、式終了まで「砂糖の皮」で秘匿
問題は何か、というと、日本語では「おじいちゃん」「おばあちゃん」という言葉には二重の意味があり、一方で「祖父」「祖母」という続柄を示しながら、同時にそれは「高齢者」を指す言葉になってしまっていることです。
多分、昔はそういうものだったのでしょう。孫ができる年齢というのは、社会的に見ても高齢者に属する年齢だったのだろうと思います。
ですが、平均寿命が九十歳近辺に達している昨今では、これはもう事実から乖離している面があるのではないでしょうか?さんまさん、所さん、郷ひろみさんたちだって、どうみても「おじいちゃんズ」ではないではないか。
で、ワタシは強く訴えたい! 「孫との関係」を指す意味において、従来の「おじいちゃん」「おばあちゃん」に替わる言葉を創るべきだ、と!
後から糾弾されないように、この辺で断り書きをしておきますが、別に「高齢者」が悪いとか、マイナスだとか言っているわけではないですよ。高齢者の方々は、人生への見識も知恵も豊かでしょうし、一方では肉体的な強さでは弱り始めているでしょうから、それにふさわしい敬意といたわりを社会から受けて然るべきだと考えます。
言いたいことは、「六十台では、まだその途上であるだけだよ〜」ということ。 人には歳相応の対応というものが必要なのです。幼稚園児に三角関数を教えることはしないでしょうし、高校生に年金相談窓口は必要ないでしょう。つまり、そういうことです。
孫ができたからといって、「おじいちゃん」「おばあちゃん」の冠を被せて、無理やり高齢者の範疇に押し込むのはヤメロー! 無理強いしなくたって、いずれ自然とその範疇に入っていくのだ、ワレワレは。
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洗礼式は、こちらではけっこうなお祝いになります
よろしい。それでは、アイスランド語のアビ、アンマに相当するような「高齢者」の意味を含まない「祖父」「祖母」を表す言葉を創るとしましょう。どんな言葉が良いでしょうか?
ウ〜ン... こちらに住んでいると、「アビさん」とか「アンマさん」とか横文字流用で済ませられるのですが、日本語を創るとなると多少のセンスが必要ですね。新語造成は圧倒的に若い世代の方々の方が得意でしょうから、ここはやはり一般公募か?
ちなみにデンマーク語ではfarmorファアモア(父の母=父方のアンマ)とかfarrfarファアファア(父の父=父方のアビ)、morfarモアファア(母の父=母方のアビ)、mormorモアモア(母の母=母方のアンマ)とか呼びます。単純。
でも、ファアファア、モアモア... ... パンダか!? (*^^*)
というわけで、今回はなんとか「おじいちゃん」入りに抵抗するワタシの必死の抵抗と悲痛な叫びの回でした。こんな内容のブログを書いているワタシは、どうやっても高齢者の域には達していないのでした。論より証拠。
もし、皆さんに良い新語の案がありましたら、是非ともご提示を。m(_ _)m
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
日本のニュースにもついていくようにしていますが、大雨の被害は尋常ではないですね。コロナ の後でこれでは、本当にたまったものではないでしょうし、被災地の皆様にはお見舞い申し上げます。
一方、東京では木金と二百人を超えるコロナ新感染者ですか?困ったものですね。このタイミングで集会規制の緩和や、国内トラヴェルの支援が行われるとか。「これが正しい」という答えがない問題なので、為政者にとっても舵取りは難しいだろうと察します。
さて、本来のしょうもない話題に戻ります。
前回「ホンマでっか!? TV」に触れましたが、その続きから。八王子の話題の後、番組の後半ではさんまさん、所さん、そして郷ひろみさんが登場。なんでも当日がさんまさんの六十七歳の誕生日だったそうで、それにちなんだ企画。この御三方、みなさん同い歳なのだそうです。
その中で話題になったのですが、さんまさん、所さんが共通して口にしていたのが「六十七歳になっても、若い頃『六十後半はこんなやろうなあ』と考えていた有様とは、全然違う』ということ。 「昔は六十歳とかは、もっとこう悟ったようなもんだろうと想像してたけど、全然今までと同じや」とのこと。
これ、私の周囲を見渡しても、ほとんどの人が口にすることのように思われます。私自身もそう思います。今現在六十一歳になったのですが、若い頃、その辺の歳の人はこうだろう、と思っていたのとは雲泥の差がある自分です。
「オレ、セイチョウしないからなあ...」と感じていたのですが、同じようなことをあっちからも、こっちからも聞くようになって「ああ、これはワタシ限定のことではなく、みんな同じなんだ」と気が付かされました。
ということはですね、皆さん。もし皆さんがまだ四十歳かあるいはそれより若い世代としたら、あなた方が心に思っている「六十台はこうだろうイメージ」は、すべからず「ハズレ」だよ〜、ということなのです。(*^^*) 六十台とはまだそんなに「熟成」してはいないのでした。
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先週の日曜日、洗礼式の様子
さて、これが今回のお話しの前提となります。これからが本題。
実は先の五月に娘に赤ちゃんが生まれました。女の子。で、先週の日曜日にその赤ちゃんの洗礼式(キリスト教に入るための教会の儀式)が行われました。この洗礼式、アイスランドではこの機会に赤ちゃんに名前を命名する習慣があります。また、親戚や友人に赤ちゃんをお披露目する機会でもあります。
この赤ちゃん、愛称をドラミちゃんと言いますが、私にとっては初孫です。そういうことから、周囲の邦人の方々が「トーマさんも、いよいよ『おじいちゃん』ですねえ」とか言い始めたのです。
ギョギョ! おじいちゃん!? これこそ「ホンマでっか!?」です。
なんというか、「娘に赤ちゃんが生まれた」というのは事実です。おめでたいことで、なんの抵抗もありません。その孫から見た続柄が「祖父」であることも事実です。これらは客観的な事実関係。
しかしです。それが「おじいちゃん」と連携するとなると、そう簡単には受け入れられない。何せ、先に述べましたように、私自身はまだ熟成していない「万年青年」なのですから。それが「おじいちゃん」と呼ばれると「いやいや、まだそんな歳じゃないから」と言いたくなってしまうのです。
アイスランド語では「祖父」のことはafiアビ、「祖母」はammaアンマと言います。このアビ、アンマは孫から見ての「親の親」「祖父祖母」という続柄を示す意味しかなく、一般的な意味での「老人」「高齢者」という用法で使われることはありません。
こちらでは、割とよくあることなのですが、例えば女性が二十歳で娘を産んだとしましょう。そんなに特別なことではありません。その娘が、今度は自分が二十歳になった時に子供を産んだとします。すると、生まれた子供の母親の母親は、四十歳にしてアンマとなります。
アイスランド語では「アンマ」と言ってなんら問題も違和感もありません。だって「祖母」という族柄だけを指す言葉で、年齢は関係ない言葉ですから。
ですが日本語だと「おばあちゃん」となり、どこか違和感が出てきます。四十歳はどう考えても「高齢者」ではありません。だからおそらく日本では「若いおばあちゃんねえ」とか注釈を付ける羽目になるだろうと思うのです。
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洗礼式用のケーキ 中央に名前が書かれていますが、式終了まで「砂糖の皮」で秘匿
問題は何か、というと、日本語では「おじいちゃん」「おばあちゃん」という言葉には二重の意味があり、一方で「祖父」「祖母」という続柄を示しながら、同時にそれは「高齢者」を指す言葉になってしまっていることです。
多分、昔はそういうものだったのでしょう。孫ができる年齢というのは、社会的に見ても高齢者に属する年齢だったのだろうと思います。
ですが、平均寿命が九十歳近辺に達している昨今では、これはもう事実から乖離している面があるのではないでしょうか?さんまさん、所さん、郷ひろみさんたちだって、どうみても「おじいちゃんズ」ではないではないか。
で、ワタシは強く訴えたい! 「孫との関係」を指す意味において、従来の「おじいちゃん」「おばあちゃん」に替わる言葉を創るべきだ、と!
後から糾弾されないように、この辺で断り書きをしておきますが、別に「高齢者」が悪いとか、マイナスだとか言っているわけではないですよ。高齢者の方々は、人生への見識も知恵も豊かでしょうし、一方では肉体的な強さでは弱り始めているでしょうから、それにふさわしい敬意といたわりを社会から受けて然るべきだと考えます。
言いたいことは、「六十台では、まだその途上であるだけだよ〜」ということ。 人には歳相応の対応というものが必要なのです。幼稚園児に三角関数を教えることはしないでしょうし、高校生に年金相談窓口は必要ないでしょう。つまり、そういうことです。
孫ができたからといって、「おじいちゃん」「おばあちゃん」の冠を被せて、無理やり高齢者の範疇に押し込むのはヤメロー! 無理強いしなくたって、いずれ自然とその範疇に入っていくのだ、ワレワレは。
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洗礼式は、こちらではけっこうなお祝いになります
よろしい。それでは、アイスランド語のアビ、アンマに相当するような「高齢者」の意味を含まない「祖父」「祖母」を表す言葉を創るとしましょう。どんな言葉が良いでしょうか?
ウ〜ン... こちらに住んでいると、「アビさん」とか「アンマさん」とか横文字流用で済ませられるのですが、日本語を創るとなると多少のセンスが必要ですね。新語造成は圧倒的に若い世代の方々の方が得意でしょうから、ここはやはり一般公募か?
ちなみにデンマーク語ではfarmorファアモア(父の母=父方のアンマ)とかfarrfarファアファア(父の父=父方のアビ)、morfarモアファア(母の父=母方のアビ)、mormorモアモア(母の母=母方のアンマ)とか呼びます。単純。
でも、ファアファア、モアモア... ... パンダか!? (*^^*)
というわけで、今回はなんとか「おじいちゃん」入りに抵抗するワタシの必死の抵抗と悲痛な叫びの回でした。こんな内容のブログを書いているワタシは、どうやっても高齢者の域には達していないのでした。論より証拠。
もし、皆さんに良い新語の案がありましたら、是非ともご提示を。m(_ _)m
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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