こんにちは/こんばんは。
あいかわらず暖かい日が続いているレイキャビクです。夕方も相当明るくなってきたし、「はーるが来ーたー」と歌いたくなってきてしまいます。気温そのものは2~6度くらいのものなのですが、まだ二月中旬ですからね。
でも、これがアイスランド・トリックですので、もうふたつ、みっつは寒波、大雪があるものと思っていないと足元をすくわれてしまいます。
本文とは無関係 清涼感アップ用pic
Myndin er eftir Jonatan_Pie@Unsplash
先々週から先週の半ばにかけては、コロナの国内での新規感染者は「ゼロ」が一週間続いてくれました。こうなってくると、どうしても気は緩んできますし、あちらこちらで規則破りのパーティーやら、隔離期間無視という事例が報告されています。
このまま収まって欲しいのはもちろんですが、こちらの方も、まだ多少(で、済んでくれればありがたや)のぶり返しはあるものと心得ていた方が良い気がします。
さて、そういう中で、私自身の生活に小さな変化があります。それは自宅での筋トレを再開したことです。
今を遡ること三年弱前。2018年に、私は一時(いっとき)筋トレにはまり、自宅にダンベルや、チューブ、スツール等の用具を買い込みました。それらで、Youtubeで見る様々な筋トレ動画を参考にしながらエクササイズしたわけです。
効果はそれなりにあって、2018年の秋に撮った自分の写真をみたりすると、ウソのようですが、お腹はぺたんこでそれなりに割れているし、まあ健康体に見えますね。還暦前のあがきでした。
五十代最後の夏の密やかな楽しみ
とにかくその後、例によって「サボり」状態が続いていたのですが、ここのところ復活しました。
で、同時にまた、かつて見ていた筋トレyoutuberの皆さんの動画を見るようになりました。その中のひとりにkatochan33という方があります。加藤さんという方なのですが、名古屋方面のジムでトレーナーをされながら、ご自身、ボディビルやフィジークの大会に参加されています。一昨年、フィジークの日本オープンで念願の優勝を果たされています。
とても家庭的で誠実な方であることが動画から見て取れます。趣味の鉄道関係やバイシクル、子供主体の家庭内トピックもありますが、主体は筋トレの指導です。きちんと丁寧に説明、指導、実演してくれるので、非常に役に立つ動画チャンネルです。その分、一回の時間はちょと長め。
チャンネル登録者数は約二十三万人とのこと。このブログとは違うな。当たり前か?(*^^*)
Katochan33はこちら
Katochan33 Youtubeチャンネルはこんな感じ
Mndin er ur Youtube.com
何日か前、加藤さんの動画の中から、自宅でダンベルでできる脚のトレーニングの練習法を探していました。やっぱり足腰が弱ってきますからね、おじいちゃんは。ああ、そういう一般化はよくないですね。「ワタシは」弱ってきています。歩かないから。
その中で、ひとつ面白い回を見つけました。「面白い」というのは「笑い」の方の意味ではなく、「興味深い」という意味の方です。
実はそれは全然筋トレの話しではなく、視聴者の方への「失恋相談」だったのです。その動画自体はもう四年近く前にアップされたものなのですが、私はこの回を見るのは初めてだろうと思います。見たことあるかなあ... 記憶力も弱っているのです、ワタシは。
加藤さんは、「視聴者の方の質問に答えます」という動画を定期的にアップしているのですが、その回はコメント欄に投稿してきた方の嘆きに答えられたものでした。
「突然、彼女に振られてしまい、トレーニングにも集中できず、食事も摂れません... 」というような嘆きでした。
この方に対して、アドヴァイスをしてあげよう、という回だったのです。人気youtuberって大変ですね。人生相談までしてあげるんだ。「誰かに話しを聞いてもらいたいと思っていたら、加藤さんに行き当たった」とかも書いたあった気がします。誠実な人にはこういうことがあります。ワタシャ、ダメだなあ...
加藤さんは、「こういう相談にお答えするのは初めてです」と断りながらも、やはり誠実にお話しを始めました。
「自分にも、もう十年以上も前ですが振られた経験があります。そうなるんじゃないか?という不安があったので、一生懸命引き寄せようとしたのが、かえって彼女を押しやってしまったようです。若かったですね。
ずいぶんショックで、トレーニングに身が入らないようになりました。
ずいぶん長く引きずりましたが、トレーニングをやめてしまうことはなく、その後、今の奥さんと出会い、結婚し、今に至っています。
だから、今から思うと、『それで良かったんだ』ということになるのですが、それでも時折、『あの時、もし別れずにいて、一緒のままだったらどうなったのだろうか?』と考えることがあります」
そのようにして、ご自身の体験を離された後で「とにかく、後になって『それでも良かったんだ』と思えるような人生になってくれることを願います」という感じで結びにされていました。
日本オープンのフィジークで優勝した時の加藤さん
Myndin er ur Bodybuilding-report.jp
「あの時、もし違ったようになっていたら...?」というのは、いろいろな出来事について、誰でも時折は考えることではないかと思います。私も考えたことがあります。
私は離婚経験者です。前の奥さん(といっても、次の奥さんがいたわけでも、いるわけでもありません)がアイスランド人だったので、今ここに住んでいるわけです。
こどもがふたり、今はもう成人していますが、こちらに住んでいますので、離婚後も日本へ帰る、という気持ちはまったくありませんでした。
以前は時々考えました。「もし、前の奥さんと出会わずに、結婚もしなかったならば、今はどんな生活だったのだろうか?」
不測のアクシデントとかに見舞われなかったら、おそらく日本で普通の牧師生活を続けていることでしょう。年齢的にいっても、多分、今は中心的な働き手のひとり、になっていた「はず」です。
アイスランド、なんて国のことは何も知らず、国名を耳にしたことがあったとしても「よくそんなところに人が住めるな」とか憐んでいた「はず」です。
そんな「はず」だった自分が、現実にはもう三十年近くもここで暮らし、こうやって日本語でブログを書いているのですから、前の奥さんとの出会いは、ワタシ的にはかなり大きなターニングポイントだったといえます。
でも、結局離婚してしまいましたし。しかも、それから二十年を経過しています。それを思った時「なぜ、自分は今ここで暮らしているのだろう?」「もし、あの時出会っていなかったら」等々を考え、想像したことがこれまでに何度もありました。今では、そういうことはなくなっています。
なぜ、なくなったかというと、いつ考えても同じ考えに至ることがわかり、なんというか「解答済み」みたいになったからでした。
なぜ同じ考えに至るか、というと、自分としては何があっても変わってほしくないことがあるからです。それは子供たちです。もう成人しているとはいえ、この子たちのいない生活ということを考えることはできません。
物理的に「今は遠くに暮らしている」という意味ではなく、私の人生に子供たちが「そもそも存在しなかったら」という意味でです。
だからもし、天の神が現れて「トシキ、お前はなかなか良い人物だ。だが離婚してそのまま独り暮らしだな。哀れなもんだ。だから特別に『時を戻して』やろう、まだ独身の時代に。もう一回やりなおすチャンスを与えてやろう」と言ったとしましょう。
それでも私は「神様、お心はありがたいのですが、ノーサンキューです」と答えます。答える「でしょう」ではなくて、そう答えます。子供たちの存在まで「チャラ」になってしまうのなら、離婚くらい耐えられますし、なんならもう一回同じプロセスをたどったって構いません。
このトピック、何度繰り返して考えても、どんなパターンのシミュレーションをしても、いつも同じ結論に至ることがわかりました。それ以降は、そのことを考えることはなくなりました。
清涼感アップのPic No.2
Myndin er eftir Jeremy_Goldberg@Unsplash
つまり、私たちの人生はそのようにして作られているということでしょう。ビデオの編集のように、都合の悪いことはカットしてしまい、楽しい部分だけを繋げて人の一生を作ることはできないのです。
一時の幸せや幸運が落とし穴を作ることもあります。逆に、逆境の中でかけがえのないものを手にすることもあります。すべて繋がっているということでしょう。良いことだけの人生はあり得ないでしょうし、悪いことだけの人生もあり得ないはずです。
単純な真理だと思うのですが、これに気づいてからは、多少の失敗、不遇、落ち込みにはめげなくなりました。そこから上昇気流が湧いてくると確信できるからです。
スティーブ・ジョブスがこんなことを言っていたと記憶しています。
「人の未来には、多くの点(ドット)が見えている。でも、私たちはそれらの点がどのように結ばれて、何を形作るのかはわからないでいる。
通り過ぎて、過去を振り返るときだけ、私たちはそれらが何を作っていたのかを知ることができる」
名言というか、真理をついた言葉だと思います。このコロナの危機においては特に「座右の銘」になるのではないでしょうか?
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
Facebook: Toma Toshiki
あいかわらず暖かい日が続いているレイキャビクです。夕方も相当明るくなってきたし、「はーるが来ーたー」と歌いたくなってきてしまいます。気温そのものは2~6度くらいのものなのですが、まだ二月中旬ですからね。
でも、これがアイスランド・トリックですので、もうふたつ、みっつは寒波、大雪があるものと思っていないと足元をすくわれてしまいます。
本文とは無関係 清涼感アップ用pic
Myndin er eftir Jonatan_Pie@Unsplash
先々週から先週の半ばにかけては、コロナの国内での新規感染者は「ゼロ」が一週間続いてくれました。こうなってくると、どうしても気は緩んできますし、あちらこちらで規則破りのパーティーやら、隔離期間無視という事例が報告されています。
このまま収まって欲しいのはもちろんですが、こちらの方も、まだ多少(で、済んでくれればありがたや)のぶり返しはあるものと心得ていた方が良い気がします。
さて、そういう中で、私自身の生活に小さな変化があります。それは自宅での筋トレを再開したことです。
今を遡ること三年弱前。2018年に、私は一時(いっとき)筋トレにはまり、自宅にダンベルや、チューブ、スツール等の用具を買い込みました。それらで、Youtubeで見る様々な筋トレ動画を参考にしながらエクササイズしたわけです。
効果はそれなりにあって、2018年の秋に撮った自分の写真をみたりすると、ウソのようですが、お腹はぺたんこでそれなりに割れているし、まあ健康体に見えますね。還暦前のあがきでした。
五十代最後の夏の密やかな楽しみ
とにかくその後、例によって「サボり」状態が続いていたのですが、ここのところ復活しました。
で、同時にまた、かつて見ていた筋トレyoutuberの皆さんの動画を見るようになりました。その中のひとりにkatochan33という方があります。加藤さんという方なのですが、名古屋方面のジムでトレーナーをされながら、ご自身、ボディビルやフィジークの大会に参加されています。一昨年、フィジークの日本オープンで念願の優勝を果たされています。
とても家庭的で誠実な方であることが動画から見て取れます。趣味の鉄道関係やバイシクル、子供主体の家庭内トピックもありますが、主体は筋トレの指導です。きちんと丁寧に説明、指導、実演してくれるので、非常に役に立つ動画チャンネルです。その分、一回の時間はちょと長め。
チャンネル登録者数は約二十三万人とのこと。このブログとは違うな。当たり前か?(*^^*)
Katochan33はこちら
Katochan33 Youtubeチャンネルはこんな感じ
Mndin er ur Youtube.com
何日か前、加藤さんの動画の中から、自宅でダンベルでできる脚のトレーニングの練習法を探していました。やっぱり足腰が弱ってきますからね、おじいちゃんは。ああ、そういう一般化はよくないですね。「ワタシは」弱ってきています。歩かないから。
その中で、ひとつ面白い回を見つけました。「面白い」というのは「笑い」の方の意味ではなく、「興味深い」という意味の方です。
実はそれは全然筋トレの話しではなく、視聴者の方への「失恋相談」だったのです。その動画自体はもう四年近く前にアップされたものなのですが、私はこの回を見るのは初めてだろうと思います。見たことあるかなあ... 記憶力も弱っているのです、ワタシは。
加藤さんは、「視聴者の方の質問に答えます」という動画を定期的にアップしているのですが、その回はコメント欄に投稿してきた方の嘆きに答えられたものでした。
「突然、彼女に振られてしまい、トレーニングにも集中できず、食事も摂れません... 」というような嘆きでした。
この方に対して、アドヴァイスをしてあげよう、という回だったのです。人気youtuberって大変ですね。人生相談までしてあげるんだ。「誰かに話しを聞いてもらいたいと思っていたら、加藤さんに行き当たった」とかも書いたあった気がします。誠実な人にはこういうことがあります。ワタシャ、ダメだなあ...
加藤さんは、「こういう相談にお答えするのは初めてです」と断りながらも、やはり誠実にお話しを始めました。
「自分にも、もう十年以上も前ですが振られた経験があります。そうなるんじゃないか?という不安があったので、一生懸命引き寄せようとしたのが、かえって彼女を押しやってしまったようです。若かったですね。
ずいぶんショックで、トレーニングに身が入らないようになりました。
ずいぶん長く引きずりましたが、トレーニングをやめてしまうことはなく、その後、今の奥さんと出会い、結婚し、今に至っています。
だから、今から思うと、『それで良かったんだ』ということになるのですが、それでも時折、『あの時、もし別れずにいて、一緒のままだったらどうなったのだろうか?』と考えることがあります」
そのようにして、ご自身の体験を離された後で「とにかく、後になって『それでも良かったんだ』と思えるような人生になってくれることを願います」という感じで結びにされていました。
日本オープンのフィジークで優勝した時の加藤さん
Myndin er ur Bodybuilding-report.jp
「あの時、もし違ったようになっていたら...?」というのは、いろいろな出来事について、誰でも時折は考えることではないかと思います。私も考えたことがあります。
私は離婚経験者です。前の奥さん(といっても、次の奥さんがいたわけでも、いるわけでもありません)がアイスランド人だったので、今ここに住んでいるわけです。
こどもがふたり、今はもう成人していますが、こちらに住んでいますので、離婚後も日本へ帰る、という気持ちはまったくありませんでした。
以前は時々考えました。「もし、前の奥さんと出会わずに、結婚もしなかったならば、今はどんな生活だったのだろうか?」
不測のアクシデントとかに見舞われなかったら、おそらく日本で普通の牧師生活を続けていることでしょう。年齢的にいっても、多分、今は中心的な働き手のひとり、になっていた「はず」です。
アイスランド、なんて国のことは何も知らず、国名を耳にしたことがあったとしても「よくそんなところに人が住めるな」とか憐んでいた「はず」です。
そんな「はず」だった自分が、現実にはもう三十年近くもここで暮らし、こうやって日本語でブログを書いているのですから、前の奥さんとの出会いは、ワタシ的にはかなり大きなターニングポイントだったといえます。
でも、結局離婚してしまいましたし。しかも、それから二十年を経過しています。それを思った時「なぜ、自分は今ここで暮らしているのだろう?」「もし、あの時出会っていなかったら」等々を考え、想像したことがこれまでに何度もありました。今では、そういうことはなくなっています。
なぜ、なくなったかというと、いつ考えても同じ考えに至ることがわかり、なんというか「解答済み」みたいになったからでした。
なぜ同じ考えに至るか、というと、自分としては何があっても変わってほしくないことがあるからです。それは子供たちです。もう成人しているとはいえ、この子たちのいない生活ということを考えることはできません。
物理的に「今は遠くに暮らしている」という意味ではなく、私の人生に子供たちが「そもそも存在しなかったら」という意味でです。
だからもし、天の神が現れて「トシキ、お前はなかなか良い人物だ。だが離婚してそのまま独り暮らしだな。哀れなもんだ。だから特別に『時を戻して』やろう、まだ独身の時代に。もう一回やりなおすチャンスを与えてやろう」と言ったとしましょう。
それでも私は「神様、お心はありがたいのですが、ノーサンキューです」と答えます。答える「でしょう」ではなくて、そう答えます。子供たちの存在まで「チャラ」になってしまうのなら、離婚くらい耐えられますし、なんならもう一回同じプロセスをたどったって構いません。
このトピック、何度繰り返して考えても、どんなパターンのシミュレーションをしても、いつも同じ結論に至ることがわかりました。それ以降は、そのことを考えることはなくなりました。
清涼感アップのPic No.2
Myndin er eftir Jeremy_Goldberg@Unsplash
つまり、私たちの人生はそのようにして作られているということでしょう。ビデオの編集のように、都合の悪いことはカットしてしまい、楽しい部分だけを繋げて人の一生を作ることはできないのです。
一時の幸せや幸運が落とし穴を作ることもあります。逆に、逆境の中でかけがえのないものを手にすることもあります。すべて繋がっているということでしょう。良いことだけの人生はあり得ないでしょうし、悪いことだけの人生もあり得ないはずです。
単純な真理だと思うのですが、これに気づいてからは、多少の失敗、不遇、落ち込みにはめげなくなりました。そこから上昇気流が湧いてくると確信できるからです。
スティーブ・ジョブスがこんなことを言っていたと記憶しています。
「人の未来には、多くの点(ドット)が見えている。でも、私たちはそれらの点がどのように結ばれて、何を形作るのかはわからないでいる。
通り過ぎて、過去を振り返るときだけ、私たちはそれらが何を作っていたのかを知ることができる」
名言というか、真理をついた言葉だと思います。このコロナの危機においては特に「座右の銘」になるのではないでしょうか?
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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