レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「名の知れぬ船員」の軌跡

2024-12-06 19:47:33 | 日記
こんにちは/こんばんは。

アイスランドでは、先週末の土曜日にAlthingiアルシンキ(国会)議員の選挙が行われました。当日は北部から東部、南部にかけての荒天が見込まれ、一部での投票日延期も予想されていました。

実際には投票は順調に行われ、開票も土曜の夜から始められスムーズに日曜日の未明には大勢が判明しました。こちらの結果の方は予想された通り、政権交代となりました。次の政権の組閣等はまだ「討議中」なので、選挙結果関係は次のブログくらいにご紹介できればと思います。

なんとなく感じていただけるかもしれませんが、「書きたいー!」と思うような結果ではありませんので、ワタシ的には。(^-^;

さて今回はローカルなニュースです。「アイスランド的だなあ...」と感じたのですが、よく考えると日本でもありそうな話しか?ただ日本でも「ローカル版」の話しではないかと思えるようなものです。




Flateyriからの美しい風景
Myndin er eftir Freysteinn_g_jonsson@unsplash_com


先週の土曜日、ちょうど選挙当日のMorgunbladid紙で見つけたのですが、これはもちろん全国紙で、しかも二面の扱い記事です。見出しは「驚きつつも答えを得て喜び」というようなもの。

小見出しでは「ノルウェー海軍従軍者の家族、墓を訪れる」

アイスランド北西部の小さな町Flateyriフラーテリの墓地に、「名の知れぬ船員の途」とだけ白塗り木製の十字架に記された墓があります。1942年4月にフラーテリ沖の海岸で発見された遺体を埋葬したものです。

この「名の知れぬ」ご遺体が第二次大戦にノルウェー海軍兵として従軍していたSigurds Arvids Nilsensシーグルズ・アルヴィズ・ニルセンさんであると、ノルウェー政府が公式に伝えたというのです。

記事はシーグルズさんの甥に当たるOdd-Arne Berg-Hannsenオッド-アルネ ベルグ-ハンセンさんによる話しに依っていますが、オッド-アルネさんの母イングリッドさんがシーグルズさんの三つ下の妹。残念ながらイングリッドさんはすでに亡くなられています。

「名の知れぬ船員」であったシーグルズさんは1918年生まれで、妹のイングリッドさんは1921年生まれ。シモンさんとエルドフリーザさんという方がご両親だったそうです。

第二次世界大戦が始まると、1940年にヒトラードイツはデンマーク、ノルウェーに侵攻。両国を占領下に置きますが、ノルウェーは臨時亡命政府を立てて抗戦を続けます。

シーグルズさんはDS Fanefjeldという船名の輸送船に対空砲撃手として従軍していました。DS Fanefeldは、1942年4月9日にフラーテリ沖の海洋でドイツの潜水艦の魚雷により撃沈させられました。

翌日、フラーテリの漁港を出たアイスランド漁船Ingolfur Arnarson IS501 のクルーが、ノルウェー海軍の軍服を着たご遺体を発見し収容。救命浮き輪にはFANEFJ... の文字が読み取れたそうです。




フラーテリにあるシーグルズさんの墓碑
Myndin er ur Mbl.is


ご遺体は同年4月17日に「名の知れぬ船員」としてフラーテリの墓地に埋葬されました。後に毎年6月の第一日曜日が「船員(漁民)の日」として制定されると、お墓には毎年この日に花が添えられるようになりました。

この「名の知れぬ船員」がシーグルズさんであると、今回正式に確認されたわけです。享年僅か23歳。

「母(シーグルズさんの妹)とは何度も叔父さんのことを話しましたよ。母は当時、できるだけの情報を得ようと走り回ったのですが、成果はありませんでした」とオッド-アルネさん。

「だから今回、今になってノルウェー政府が公式に知らせてきてくれたことに驚いていますし、同時に嬉しくもあります。家族は長い間、真相を探し求めてきたのですから」

オッド-アルネさん自身は現在72歳。妻のアンネ-カーリさんとノルウェー西海岸のHoreyヒュレイという町で暮らしています。船長として働いていましたが、今は引退しているそうです。




フラーテリの町
Myndin er ur Westfjordur.is


ノルウェー政府(あるいは海軍?)は、「名の知れぬ船員」と記された木製の墓碑に代えて、きちんとSigurds Arvids Nilsensと氏名の記された墓石を準備中で、来年の夏にフラーテリの墓地に設置する予定です。

オッド-アルネさんと家族もその際の式典に参加する予定とのこと。

「私たちはフラーテリの人々にとれも感謝していますよ。叔父さんにきちんとした敬意を持ち続けてくれて。そうでなかったら、私たちは永遠に叔父さんの運命を知ることがなかったでしょうから」

短い記事ですが、なぜ今までご遺体の公式な確認がなされなかったのか?どのような経緯で今回ことが動き出したのか?というようなことは説明されていません。

これがアイスランド的だと思うのですが、そういうようなことよりは、「名の知れぬ船員」が名をもったノルウェー海軍の船乗りとして、きちんと墓碑を得ること、そこに家族が墓参することができるようになること、が関心の的であるようです。

戦争という大きな嵐の後の残滓の一端なのでしょうが、哀しいものがありますね。僅か23歳ですよ。

今起こっている、ウクライナでの戦争やパレスチナでの戦闘。一体どれだけの同じような哀しい出来事が作られているのかと考えると、たまらないものがあります。

世界が落ち着いてくれることを願って止みません。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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コメント (2)
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