こんにちは/こんばんは。
今回は多少真面目な話しになります。このブログは、門前の小坊主的な牧師であるワタシの、アイスランドはレイキャビク在住生活からのしょうもない小話しの綴れ織りです。
キリスト教の宣伝用にしているものではありませんので、あまりそっちの方面に深入りしないように気をつけています。
ですが、私自身がキリスト教徒ですので、話しが発展する中でどうしてもそれっぽい部分が出てくることは避けられません。それでも、それは考えていることをお伝えしたいからであって、キリスト教の宣伝が目的ではありません。その点、ご了解いただけますようお願いいたします。
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清涼感アップ用ピック その1
Myndin er eftir Thomas_Fatin@unsplash.com
今これを書いているのは3月11日金曜日です。十一年前のこの日も金曜日でしたね。もう十一年経ったのですか。
十一年経っても、家族を亡くされた悲しみや、故郷の町を失った思い、人生設計が一夜で変わってしまった方々の無念は癒やされるものではないと想像し、お悔やみを申し上げます。
東日本大震災が起こった当時は、私はまだブログを始めていませんでした。ブログで大震災に触れたのは、二年が過ぎた時でした。震災の起こった直後は、こちらの邦人社会もパニックになり、しばらくその状態が続きました。
二年経った頃には、落ち着きも戻り、遠方在住者である、私たちにとっての震災を考えることができた気がします。
アイスランド発 ガンバレNippon!
さて、アイスランドの社会・文化の中にBaenastundバイナシュトゥンドというものがあります。Baen(祈り)とStund(時間)というふたつの言葉がつながったもので「祈りの時」という意味になります。
ただbaenastundという時には、通常は個々人でではなく、複数の人が集まって祈りの時を持つことを意味します。大方の場合は教会に集まります。
こういう祈りの時は、日頃から定期的に行われているものもありますが、加えて、なにか大きな災害や事故等が起こった時に、特にそのことの故に持たれることもあります。
東日本大震災の折にも、四、五日のうちにbaenastundが市内のハウテイグス教会で持たれました。邦人の方々に加えて、日本に繋がりのあるアイスランド人の人たちや、特に繋がりはないが心を痛めた方々が参集してくれ、百人程度の会になったと記憶しています。
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2012年に交換留学中の日本の学生さんたちが催した追悼会より
Baenastundは礼拝式ではありませんので、特に定まった「式次第」というものはありません。ケース・バイ・ケースです。このハウテイグス教会での集まりの時は、オルガン奏と私ともうひとりの邦人の牧師さん、それにふたりのアイスランド人の牧師の方々が、自分で編んだ祈りを、それぞれ日本語とアイスランド語で祈りました。
「Baenastundに定まったフォームはない」と書きましたが、必要不可欠な要素はあります。それは集まる各人がそれぞれの祈りを心に携えてくる、ということです。集まる人たちが、それぞれ自分の祈りを持っていると、それが繋がってくるのです。
前に立って祈りを口にする牧師さんやある種の代表の方が祈る祈りが、参集者から切り離されたものではなく、すべてがひとつにまとまってくるのです。まとまりと繋がりが生まれてくると、わたしたちの各人が、お互いから慰めを受け、また慰めを送るようになります。
新約聖書のキリストの言葉に: 「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:19-20) というものがあります。
Baenastundで私がいつも感じることは、この祈りの時はセレモニーではなく「人との繋がりの時」ということです。それは身体の中の血管のようなもので、ひとつの身体を行き巡り、それを生かすエネルギーを分配するものです。
そしてその中心にあるのが心臓。Baenastundで言えばキリストということになります。
私たちは、震災から一年後の3月11日にも追悼と祈りの集まりを持ちました。相前後して、アイスランド大学へ交換留学に来ていた学生の皆さんも、独自の追悼の集いを持ってくれていました。
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これは「繋がった」平和を願う音楽会
Myndin er ur Visir.is/EGILL
私は、大抵の場合はこのbaenastundに参加した後には、慰めと元気をいただきます。ですが、時にはそうはいかない時もあります。
ここのところ、アイスランドはウクライナ問題が時事のトップにあります。小国アイスランドですが、ウクライナからの難民の人たちを1000〜1500人程度迎える準備が大急ぎで進んでいます。
これは、教会にも関係する問題なので、私もかなり時間を費やしていますし、それなりの緊張感の中にあります。
一週間前の日曜日には、また震災時と同じハウテイグス教会でウクライナ問題のためのbaenastundが持たれました。主催者がいまいちハッキリしていませんでしたね。
そして、こちらのロシア正教会の司祭(ロシア人)、カトリック教会のビショップ、アイスランド国民教会の副ビショップ、さらにスウェーデンにある正教会の高位聖職者の司祭らが列席しました。
このbaenastund、私はガッカリを通り越して、怒りさえ感じました。ほとんどウクライナの人たちへの祈りがなく、さらにロシアの善良な人たちへの支援の祈りもありませんでした。
あったのは高位聖職者である司祭さんの「肩書き」とほとんど意味のないメッセージのみ。感じるたことは、単に「我々、偉い司祭たちがこのことを考えているのだよ」といういやらしい上から目線の思い上がりでした。
私が思うには、参集した人たちはそれぞれの祈りを心に携えてきていたはずです。それが、見事に空振りになってしまいました。なんの繋がりも生まれませんでしたね。稀ではありますが、そういうこともあります。
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清涼感アップ用ピック その2
Myndin er eftir Jene_Yeo@unsplash.com
その一方で、翌日だか翌々日には、ランドマーク的な大きなハットゥルグリムス教会で、平和を願う音楽会が持たれ、ウクライナ出身の音楽家の人たちも参加していました。
こちらは入りきれないほどの多くの参加者が集まり、ニュースで見た限りでは涙を流している人も多くあったりして、心の繋がった集いになったのだろうと感じましたね。
大きな自然災害や、戦争などは、個々人では受け止めることができない重い出来事です。どう対処するにも、ひとりではなく、他の人々と繋がって立ち向かうことが大切だと考えます。
Baenastundとはそのような試み、アクションのひとつの形でしょう。「危機」というものには、できれば直面したくはないです。心が重くなります。その反面で、危機の中にあるからこそ、確かめられること、発見できることもあります。
東日本大震災に直面した際に、多くの日本人の方々がそのことを実体験として持たれたのではないかと想像します。
望むことではありませんが、危機に直面してしまった時には、より一層他の人たちとの繋がりを大切したいものです。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
今回は多少真面目な話しになります。このブログは、門前の小坊主的な牧師であるワタシの、アイスランドはレイキャビク在住生活からのしょうもない小話しの綴れ織りです。
キリスト教の宣伝用にしているものではありませんので、あまりそっちの方面に深入りしないように気をつけています。
ですが、私自身がキリスト教徒ですので、話しが発展する中でどうしてもそれっぽい部分が出てくることは避けられません。それでも、それは考えていることをお伝えしたいからであって、キリスト教の宣伝が目的ではありません。その点、ご了解いただけますようお願いいたします。
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清涼感アップ用ピック その1
Myndin er eftir Thomas_Fatin@unsplash.com
今これを書いているのは3月11日金曜日です。十一年前のこの日も金曜日でしたね。もう十一年経ったのですか。
十一年経っても、家族を亡くされた悲しみや、故郷の町を失った思い、人生設計が一夜で変わってしまった方々の無念は癒やされるものではないと想像し、お悔やみを申し上げます。
東日本大震災が起こった当時は、私はまだブログを始めていませんでした。ブログで大震災に触れたのは、二年が過ぎた時でした。震災の起こった直後は、こちらの邦人社会もパニックになり、しばらくその状態が続きました。
二年経った頃には、落ち着きも戻り、遠方在住者である、私たちにとっての震災を考えることができた気がします。
アイスランド発 ガンバレNippon!
さて、アイスランドの社会・文化の中にBaenastundバイナシュトゥンドというものがあります。Baen(祈り)とStund(時間)というふたつの言葉がつながったもので「祈りの時」という意味になります。
ただbaenastundという時には、通常は個々人でではなく、複数の人が集まって祈りの時を持つことを意味します。大方の場合は教会に集まります。
こういう祈りの時は、日頃から定期的に行われているものもありますが、加えて、なにか大きな災害や事故等が起こった時に、特にそのことの故に持たれることもあります。
東日本大震災の折にも、四、五日のうちにbaenastundが市内のハウテイグス教会で持たれました。邦人の方々に加えて、日本に繋がりのあるアイスランド人の人たちや、特に繋がりはないが心を痛めた方々が参集してくれ、百人程度の会になったと記憶しています。
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2012年に交換留学中の日本の学生さんたちが催した追悼会より
Baenastundは礼拝式ではありませんので、特に定まった「式次第」というものはありません。ケース・バイ・ケースです。このハウテイグス教会での集まりの時は、オルガン奏と私ともうひとりの邦人の牧師さん、それにふたりのアイスランド人の牧師の方々が、自分で編んだ祈りを、それぞれ日本語とアイスランド語で祈りました。
「Baenastundに定まったフォームはない」と書きましたが、必要不可欠な要素はあります。それは集まる各人がそれぞれの祈りを心に携えてくる、ということです。集まる人たちが、それぞれ自分の祈りを持っていると、それが繋がってくるのです。
前に立って祈りを口にする牧師さんやある種の代表の方が祈る祈りが、参集者から切り離されたものではなく、すべてがひとつにまとまってくるのです。まとまりと繋がりが生まれてくると、わたしたちの各人が、お互いから慰めを受け、また慰めを送るようになります。
新約聖書のキリストの言葉に: 「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:19-20) というものがあります。
Baenastundで私がいつも感じることは、この祈りの時はセレモニーではなく「人との繋がりの時」ということです。それは身体の中の血管のようなもので、ひとつの身体を行き巡り、それを生かすエネルギーを分配するものです。
そしてその中心にあるのが心臓。Baenastundで言えばキリストということになります。
私たちは、震災から一年後の3月11日にも追悼と祈りの集まりを持ちました。相前後して、アイスランド大学へ交換留学に来ていた学生の皆さんも、独自の追悼の集いを持ってくれていました。
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これは「繋がった」平和を願う音楽会
Myndin er ur Visir.is/EGILL
私は、大抵の場合はこのbaenastundに参加した後には、慰めと元気をいただきます。ですが、時にはそうはいかない時もあります。
ここのところ、アイスランドはウクライナ問題が時事のトップにあります。小国アイスランドですが、ウクライナからの難民の人たちを1000〜1500人程度迎える準備が大急ぎで進んでいます。
これは、教会にも関係する問題なので、私もかなり時間を費やしていますし、それなりの緊張感の中にあります。
一週間前の日曜日には、また震災時と同じハウテイグス教会でウクライナ問題のためのbaenastundが持たれました。主催者がいまいちハッキリしていませんでしたね。
そして、こちらのロシア正教会の司祭(ロシア人)、カトリック教会のビショップ、アイスランド国民教会の副ビショップ、さらにスウェーデンにある正教会の高位聖職者の司祭らが列席しました。
このbaenastund、私はガッカリを通り越して、怒りさえ感じました。ほとんどウクライナの人たちへの祈りがなく、さらにロシアの善良な人たちへの支援の祈りもありませんでした。
あったのは高位聖職者である司祭さんの「肩書き」とほとんど意味のないメッセージのみ。感じるたことは、単に「我々、偉い司祭たちがこのことを考えているのだよ」といういやらしい上から目線の思い上がりでした。
私が思うには、参集した人たちはそれぞれの祈りを心に携えてきていたはずです。それが、見事に空振りになってしまいました。なんの繋がりも生まれませんでしたね。稀ではありますが、そういうこともあります。
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清涼感アップ用ピック その2
Myndin er eftir Jene_Yeo@unsplash.com
その一方で、翌日だか翌々日には、ランドマーク的な大きなハットゥルグリムス教会で、平和を願う音楽会が持たれ、ウクライナ出身の音楽家の人たちも参加していました。
こちらは入りきれないほどの多くの参加者が集まり、ニュースで見た限りでは涙を流している人も多くあったりして、心の繋がった集いになったのだろうと感じましたね。
大きな自然災害や、戦争などは、個々人では受け止めることができない重い出来事です。どう対処するにも、ひとりではなく、他の人々と繋がって立ち向かうことが大切だと考えます。
Baenastundとはそのような試み、アクションのひとつの形でしょう。「危機」というものには、できれば直面したくはないです。心が重くなります。その反面で、危機の中にあるからこそ、確かめられること、発見できることもあります。
東日本大震災に直面した際に、多くの日本人の方々がそのことを実体験として持たれたのではないかと想像します。
望むことではありませんが、危機に直面してしまった時には、より一層他の人たちとの繋がりを大切したいものです。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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