七月上旬、日本では梅雨明けを迎えている地域も増えていることと思います。これからが猛暑の夏本番ですね。
レイキャビクではイマイチ気温が上がらず、当初期待したほどの夏らしい夏にはなっていません。まったくの冷夏ではないんですけどねぇ、ちょっとフラストレーションが溜まってきてしまいます。
さて、日本と同じくアイスランドはかなりの長寿国です。毎年、世界の長寿国ランキングに顔を出しているのですが、2015年のランキングによりますと、アイスランド男性は平均寿命が81,2歳で世界第二位。一位はスイスの81,3歳。女性は84,1歳で、これは世界第10位だそうです。一位は我が日本で86,8歳。
男女を総合しますと、アイスランドは82,7歳で第六位。一位はまた日本で83,7歳だそうです。
で、長寿国であるということは、そのまま老人が多い国だ、ということにもなります。日本と比べて、それがことさらに社会問題化はしていないように見受けられますが、それは第一に人口の絶対数が少ないことや、高齢の人たちが基本的には家族とそれほど離れていない距離で生活できることが関係しているのではないかと思います。
数を調べたわけではないのですが、レイキャビク近郊を見回してみると、それ相応の数の高齢者向け集合住宅施設があります。いわゆる「老人ホーム」です。日本で「老人ホーム」というと、私が若かった頃には、「親を施設に押し付けている」的な、割と否定的なニュアンスがあったのですが、今はどうなのでしょうか?
私の親もそういう施設のお世話になっていますが、かなり良い生活環境で不満はない、というよりは遠距離在住の私は安心できています。
こちら、アイスランドでも「老人ホーム」はそれなりのステータスを持っていて、否定的なイメージはありません。ただ日本と同じく、お金がある人がより良い施設に入れる、ということはあるようですので、安易な総括はできないでしょう。
国連発表の統計 2009年から2012年までの平均値とのこと
アイスランドは割と最近までキリスト教ほぼ100%の国でしたので、各地域の教会の牧師さんやディアコニー(教会にあって、社会福祉系の要素が高い奉仕をするポジション)の人が、定期的に自分の教区にある老人施設を訪ねて、礼拝や祈りの会をすることが習わしになっています。
で、つい最近、レイキャビクのある教会の牧師ヘルギさんから大変興味深い話しを聞きました。ちょっとご紹介してみたいと思います。
ヘルギさんの教会の教区にある老人施設には、アルツハイマー病を患っている高齢者の方々が入居しているフロアがあるそうです。十人から十五人くらいの方がいるとのこと。
そのフロアは「介護付き」になっているということで、身の回りの手伝いをする介護士のスタッフが普段より常在しています。
ところがある晩、介護士の中の一人の方が急に亡くなってしまいました。特に病気持ちであったとかではないそうで、まったくの突然死であったようです。
毎日顔を合わせていたスタッフが急に亡くなってしまったのですから、同僚のスタッフはもとより、入居している高齢者の方々にもショックであると思われます。そこで、ヘルギさんが牧師としてその訃報を伝え、ショックを和らげる仲介者として呼ばれました。
アイスランドでは、牧師が事故などによる訃報を家族に伝える、という役目を伝統的に請け負っており、事故などの際にも警察などからも呼び出され、訃報をもたらす役目を頼まれることが普通になっています。
ヘルギさんが、その施設に出向いてみると、所長が「スタッフが亡くなったことは、既に入居者へは一応伝えてはあります」とのこと。「じゃあ、私は何をしに来たのか?」と思いつつヘルギさんは一同が集まったホールへ出向いたそうです。
ヘルギ牧師は改めて一同の世話を昨日までしていたスタッフが、急に亡くなったことを伝えました。老人の方々の中には、既にその報を忘れてしまったのか、初めて聞くかのように驚いた人もあったそうです。
そのあとしばらく祈りを捧げ、讃美歌を歌って偲ぶ時を過ごしました。ヘルギさんが言うには「同僚だったスタッフは皆、涙を流して悲しんでいました。それをね、老人の人たちが肩を抱いたり、手を握ったりして慰めていたのですよ」
そして「高齢者の人たちの中には、記憶が混乱したりして物事をきちんと把握できなくなっている人もあるんですけどね、『涙を流している人、悲しんでいる人をみたら、慰める』ということは身にしみていて、そう簡単にはどこかへ行っちゃわないんだな、と感じましたよ」
なるほど、と思いました。
その年代の人たちというのは、アイスランドがまだ本当の漁業酪農業の田舎だった時代を生活の場として来た世代です。優雅さは欠けていようとも、上辺ではない優しさとか助け合いというものを教えられ、教えてきた人たちです。「悲しんでいる人たちと悲しみを分かち合う」ということが身にしみついていても当然なのかもしれません。
「慰められた介護スタッフの人たちも、これは嬉しかっただろうと思いますよ。ある意味では、これは本当の意味で『仕事が報われる』ということかもしれないと思いました」
改めて、なるほど、ですねぇ。
「人間らしい振る舞い」「隣人のことを思うこと」がアルツハイマーを患う人たちを含めて高齢者の方々身にしみついているのなら、それは素晴らしいことですし、そのことの持つ意味を深く考えてみるべきだと思います。
なぜなら、今現在、様々な権力の側に立ち「その気があれば色々と良いことをできる」はずの立場にある人たちは、「人間らしい振る舞い」も「隣人のことを思うこと」も、すっかり忘れているように思われるからです。
どうやらアイスランドでは「高齢者から学べ」は安っぽいスローガンなどではなく、実際に実のあることのようです。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
レイキャビクではイマイチ気温が上がらず、当初期待したほどの夏らしい夏にはなっていません。まったくの冷夏ではないんですけどねぇ、ちょっとフラストレーションが溜まってきてしまいます。
さて、日本と同じくアイスランドはかなりの長寿国です。毎年、世界の長寿国ランキングに顔を出しているのですが、2015年のランキングによりますと、アイスランド男性は平均寿命が81,2歳で世界第二位。一位はスイスの81,3歳。女性は84,1歳で、これは世界第10位だそうです。一位は我が日本で86,8歳。
男女を総合しますと、アイスランドは82,7歳で第六位。一位はまた日本で83,7歳だそうです。
で、長寿国であるということは、そのまま老人が多い国だ、ということにもなります。日本と比べて、それがことさらに社会問題化はしていないように見受けられますが、それは第一に人口の絶対数が少ないことや、高齢の人たちが基本的には家族とそれほど離れていない距離で生活できることが関係しているのではないかと思います。
数を調べたわけではないのですが、レイキャビク近郊を見回してみると、それ相応の数の高齢者向け集合住宅施設があります。いわゆる「老人ホーム」です。日本で「老人ホーム」というと、私が若かった頃には、「親を施設に押し付けている」的な、割と否定的なニュアンスがあったのですが、今はどうなのでしょうか?
私の親もそういう施設のお世話になっていますが、かなり良い生活環境で不満はない、というよりは遠距離在住の私は安心できています。
こちら、アイスランドでも「老人ホーム」はそれなりのステータスを持っていて、否定的なイメージはありません。ただ日本と同じく、お金がある人がより良い施設に入れる、ということはあるようですので、安易な総括はできないでしょう。
国連発表の統計 2009年から2012年までの平均値とのこと
アイスランドは割と最近までキリスト教ほぼ100%の国でしたので、各地域の教会の牧師さんやディアコニー(教会にあって、社会福祉系の要素が高い奉仕をするポジション)の人が、定期的に自分の教区にある老人施設を訪ねて、礼拝や祈りの会をすることが習わしになっています。
で、つい最近、レイキャビクのある教会の牧師ヘルギさんから大変興味深い話しを聞きました。ちょっとご紹介してみたいと思います。
ヘルギさんの教会の教区にある老人施設には、アルツハイマー病を患っている高齢者の方々が入居しているフロアがあるそうです。十人から十五人くらいの方がいるとのこと。
そのフロアは「介護付き」になっているということで、身の回りの手伝いをする介護士のスタッフが普段より常在しています。
ところがある晩、介護士の中の一人の方が急に亡くなってしまいました。特に病気持ちであったとかではないそうで、まったくの突然死であったようです。
毎日顔を合わせていたスタッフが急に亡くなってしまったのですから、同僚のスタッフはもとより、入居している高齢者の方々にもショックであると思われます。そこで、ヘルギさんが牧師としてその訃報を伝え、ショックを和らげる仲介者として呼ばれました。
アイスランドでは、牧師が事故などによる訃報を家族に伝える、という役目を伝統的に請け負っており、事故などの際にも警察などからも呼び出され、訃報をもたらす役目を頼まれることが普通になっています。
ヘルギさんが、その施設に出向いてみると、所長が「スタッフが亡くなったことは、既に入居者へは一応伝えてはあります」とのこと。「じゃあ、私は何をしに来たのか?」と思いつつヘルギさんは一同が集まったホールへ出向いたそうです。
ヘルギ牧師は改めて一同の世話を昨日までしていたスタッフが、急に亡くなったことを伝えました。老人の方々の中には、既にその報を忘れてしまったのか、初めて聞くかのように驚いた人もあったそうです。
そのあとしばらく祈りを捧げ、讃美歌を歌って偲ぶ時を過ごしました。ヘルギさんが言うには「同僚だったスタッフは皆、涙を流して悲しんでいました。それをね、老人の人たちが肩を抱いたり、手を握ったりして慰めていたのですよ」
そして「高齢者の人たちの中には、記憶が混乱したりして物事をきちんと把握できなくなっている人もあるんですけどね、『涙を流している人、悲しんでいる人をみたら、慰める』ということは身にしみていて、そう簡単にはどこかへ行っちゃわないんだな、と感じましたよ」
なるほど、と思いました。
その年代の人たちというのは、アイスランドがまだ本当の漁業酪農業の田舎だった時代を生活の場として来た世代です。優雅さは欠けていようとも、上辺ではない優しさとか助け合いというものを教えられ、教えてきた人たちです。「悲しんでいる人たちと悲しみを分かち合う」ということが身にしみついていても当然なのかもしれません。
「慰められた介護スタッフの人たちも、これは嬉しかっただろうと思いますよ。ある意味では、これは本当の意味で『仕事が報われる』ということかもしれないと思いました」
改めて、なるほど、ですねぇ。
「人間らしい振る舞い」「隣人のことを思うこと」がアルツハイマーを患う人たちを含めて高齢者の方々身にしみついているのなら、それは素晴らしいことですし、そのことの持つ意味を深く考えてみるべきだと思います。
なぜなら、今現在、様々な権力の側に立ち「その気があれば色々と良いことをできる」はずの立場にある人たちは、「人間らしい振る舞い」も「隣人のことを思うこと」も、すっかり忘れているように思われるからです。
どうやらアイスランドでは「高齢者から学べ」は安っぽいスローガンなどではなく、実際に実のあることのようです。
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