前回、移住に関してEUとEU「外」の境の敷居が高い、というようなことを書きました。今回はそれに関連して心に浮かんだことを綴ってみたいと思います。
地球上の人の移住の動きについてはそれだけでひとつの専門の分野が学問としてあるのだそうです。移住というと私たちはおそらくすぐに移民労働者や戦災難民などを思い浮かべるでしょうが、例えばお金持ちがタックスヘイブンに移るとか、成功したアーティストが自分の活動に適した国へ移るとかいうことも恒常的にあるようです。
しかしそういうことを承知した上でも、人の流れは戦災地から平和な場所へ、貧しい場所から豊かな場所へというのが太い主流であると言って間違いではないでしょう。
先日、ネットで「世界まる見え! テレビ特捜部」という番組の何ヶ月か前に放映された分を見たのですが、その中でエルサルバドルからグアテマラを経てメキシコへ不法入国し、さらにアメリカを目指すカップルについてのミニドキュメンタリーをやっていました。
どこまでが本当でどこまでがテレビ用の粉飾なのかは分かりませんが、おそらく実際にそんな感じなんだろうな、と思わせられるものがありました。このカップルの場合は本国での貧困が密入国への動機だったようです。
メキシコ国境からの米国への密入国者の数が年間で62万人いるそうで、これはアイスランド国民総数の約二倍ですね。私が学生の頃によく言われた「南と北」はまだしっかりと存在するもののようです。
広大な陸の国境(一部は河のようですが)を有するメキシコ-米国とは異なり、アイスランドには陸路の国境がありません。イタリアのように海を挟んで短い距離に隣りの国があるわけでもありません。
北の海の孤島であるアイスランドにはいわゆる「密入国」を果たすことは難しいことでしょう。加えて人口が少ない上に国民総IDナンバー制を取っていることもあり、不法滞在者が隠れて生活することはほとんど不可能です。おそらく不法滞在の外国人の率というのは欧州一低いのではないかと想像します。
そんなアイスランドにも助けを求めて庇護申請者と呼ばれる人たちがやってきます。アサイラムシーカーです。庇護申請者は基本難民であるのですが、個人や家族などの少人数の単位で普通偽造旅券などを使って入国を試みます。
現在シリアの戦乱でシリア-ヨルダンの国境には難民が押し寄せていると報じられていますが、そのような「明らかな」難民と違い、庇護申請者は庇護を求める国の当局から「本当は犯罪者で逃げているのではないか」というようなうろんな目で見られてしまいます。
本来国連が難民(庇護申請者を含めて)として考えていたのは政治的、宗教的または人種的理由などにより、「国家から」迫害を受けているか受ける恐れのある人たちのことだったのですが、現在では部族間の争いや性的なオリエンテーション等による迫害等を含めて、より広い視点から難民を捉えるようになってきています。
私の仕事では、この庇護申請者の人たちとも定期的あるいは断続的に話しをしたりすることがあるのですが(申請の結果が出るまでには一年、二年という長い時間がかかることがあります)、確かに経済難民というか、よりよい仕事の機会を求めて来ている人たちも混ざっています。
経済的な理由での庇護申請は好ましいものではない、と私は考えています。それにより本来庇護を受けるべき人たちの問題の扱いが曖昧になってきてしまうからです。
しかしその一方で経済的な理由に基づく庇護申請者を悪く言う気持ちにも正直なれません。本当に度し難い貧困というものもあるようですし、そのような地域では「国を良くしよう」という気持ちを持つ個々人たちを貧困が飲み込んでいってしまうようです。
EUとEU外の間には越えがたい敷居がある、と前回文句を言いましたが、よくよく振り返ってみると自分自身もしっかりと「豊かな国」側の敷地に居座って、向こう側の「貧しい国の人々」の相手をしているような気がします。
「南と北」の問題は大戦後の1960年代から扱われ始め、1980年にブラント委員会が報告書「南と北」を出して南北の経済格差と個々人の安全保障について提言をした問題です。
決して過去の問題ではないですね。継続して考える必要があると思います。
「南と北」についての簡単な解説はこちら
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
地球上の人の移住の動きについてはそれだけでひとつの専門の分野が学問としてあるのだそうです。移住というと私たちはおそらくすぐに移民労働者や戦災難民などを思い浮かべるでしょうが、例えばお金持ちがタックスヘイブンに移るとか、成功したアーティストが自分の活動に適した国へ移るとかいうことも恒常的にあるようです。
しかしそういうことを承知した上でも、人の流れは戦災地から平和な場所へ、貧しい場所から豊かな場所へというのが太い主流であると言って間違いではないでしょう。
先日、ネットで「世界まる見え! テレビ特捜部」という番組の何ヶ月か前に放映された分を見たのですが、その中でエルサルバドルからグアテマラを経てメキシコへ不法入国し、さらにアメリカを目指すカップルについてのミニドキュメンタリーをやっていました。
どこまでが本当でどこまでがテレビ用の粉飾なのかは分かりませんが、おそらく実際にそんな感じなんだろうな、と思わせられるものがありました。このカップルの場合は本国での貧困が密入国への動機だったようです。
メキシコ国境からの米国への密入国者の数が年間で62万人いるそうで、これはアイスランド国民総数の約二倍ですね。私が学生の頃によく言われた「南と北」はまだしっかりと存在するもののようです。
広大な陸の国境(一部は河のようですが)を有するメキシコ-米国とは異なり、アイスランドには陸路の国境がありません。イタリアのように海を挟んで短い距離に隣りの国があるわけでもありません。
北の海の孤島であるアイスランドにはいわゆる「密入国」を果たすことは難しいことでしょう。加えて人口が少ない上に国民総IDナンバー制を取っていることもあり、不法滞在者が隠れて生活することはほとんど不可能です。おそらく不法滞在の外国人の率というのは欧州一低いのではないかと想像します。
そんなアイスランドにも助けを求めて庇護申請者と呼ばれる人たちがやってきます。アサイラムシーカーです。庇護申請者は基本難民であるのですが、個人や家族などの少人数の単位で普通偽造旅券などを使って入国を試みます。
現在シリアの戦乱でシリア-ヨルダンの国境には難民が押し寄せていると報じられていますが、そのような「明らかな」難民と違い、庇護申請者は庇護を求める国の当局から「本当は犯罪者で逃げているのではないか」というようなうろんな目で見られてしまいます。
本来国連が難民(庇護申請者を含めて)として考えていたのは政治的、宗教的または人種的理由などにより、「国家から」迫害を受けているか受ける恐れのある人たちのことだったのですが、現在では部族間の争いや性的なオリエンテーション等による迫害等を含めて、より広い視点から難民を捉えるようになってきています。
私の仕事では、この庇護申請者の人たちとも定期的あるいは断続的に話しをしたりすることがあるのですが(申請の結果が出るまでには一年、二年という長い時間がかかることがあります)、確かに経済難民というか、よりよい仕事の機会を求めて来ている人たちも混ざっています。
経済的な理由での庇護申請は好ましいものではない、と私は考えています。それにより本来庇護を受けるべき人たちの問題の扱いが曖昧になってきてしまうからです。
しかしその一方で経済的な理由に基づく庇護申請者を悪く言う気持ちにも正直なれません。本当に度し難い貧困というものもあるようですし、そのような地域では「国を良くしよう」という気持ちを持つ個々人たちを貧困が飲み込んでいってしまうようです。
EUとEU外の間には越えがたい敷居がある、と前回文句を言いましたが、よくよく振り返ってみると自分自身もしっかりと「豊かな国」側の敷地に居座って、向こう側の「貧しい国の人々」の相手をしているような気がします。
「南と北」の問題は大戦後の1960年代から扱われ始め、1980年にブラント委員会が報告書「南と北」を出して南北の経済格差と個々人の安全保障について提言をした問題です。
決して過去の問題ではないですね。継続して考える必要があると思います。
「南と北」についての簡単な解説はこちら
応援します、若い力。Meet Iceland
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