レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

野球の伝道師 レイキャビクを行く

2014-04-10 05:00:00 | 日記
野球の話しをもう少し。

アイスランドでは人気のスポーツは男女共にサッカーとハンドボールです。男子ハンドボールは2008年の北京オリンピックで堂々銀メダルを獲得しました。国のサイズを考えればチームスポーツで世界に通用したのは快挙だといってよいと思います。

サッカーはこれも男子ですが、イングランドやイタリアのリーグで活躍するような選手を何人も育ててきていますが、ナショナルチームとしてはまだヨーローッパで上位に入る力は持っていません。

バスケットもリーグ戦などもあるのですが、あくまでも一部のファンのスポーツといった域を出ていないと思います。

さて野球です。野球というスポーツのあることはおそらく多くのアイスランド人が知っていることでしょう。しかし「では、野球はどういうゲームか説明してください」といったら、答えられる人は皆無なのでないかと想像します。

私自身、何度かアイスランド人の知人に野球のルールを説明しようとしたことがありますが、途中でギブアップしました。とても難しいのです。ウソだと思ったらご自分で試してみてください。野球の仕組みとはとても複雑怪奇極まりないものです。

ひとつにはルールです。試合を理解する上ではもちろん全ての細かいルールや、まれな場合に関するルールは知らなくても大丈夫でしょう。それでもサッカーなどに比べたら何倍も複雑であることは確かです。

さらにルールではないのだが知らないとゲームが良く分からない、という「定石」というものが野球には山のようにありますね。フルカウントでの投球では一塁走者は自動的に走塁する、ノーアウト満塁では外野フライでランナーを帰す、左投手には右の代打を送るとかいった類いのものです。

さらにピッチングの組み立てとかの基本とかも加えると、誰かが野球を一ファンとして堪能するだけでも相当な知識がと見識が投入されているものといえると思います。

日本の一般的なファンの場合は、恐らく子供の頃から毎日のように野球中継を見たり話しを聞いたりしているうちに、自然とこれらのことを身につけてしまうものなのでしょう。

そういう長ーい時間をかけて学ぶ?野球というものを十分二十分で説明しろ、といわれてもそうは簡単には問屋が卸してくれないようで。

「ここでは野球のための伝道師が必要だ」などと冗談を言っていたのですが、三年ほど前でしょうか、あるマルティカルチァーのための集会でボストン出身のアメリカ人のおじさんと知り合いました。私には同じボストン出身の野球好きの友人がいるのですが、それとは別の人物です。

その方、仮にジョージさんとしておきますが、彼は野球ファンなだけではなく子供たちへの野球の指導に熱心な人でした。熱心、というのは私などが野球談義をする相手を捜しているだけなのに対して、本当に市内の小学校に出向いて野球を教えるための場所を交渉したり、プログラムを組んで子供たちを招待しようとしていることでした。

市のマルティカルチュラルポリシーを語るための集会で、ひょんなことから野球の話しになって知り合ったわけですが、もちろん我々の見解では「これこそマルティカルチャーの精神」というような感じで野球を広めることは素晴らしいことだ、というような話しをしたわけです。

で、私は口先男で身も心も野球伝道に捧げることからはタジタジとなって後ずさりしてしまいましたが、ジョージさんはそれなりに本気で活動を続けているようです。

少し前になりますがハフナフョルズルというレイキャビク近郊の港町の体育館で「無料野球体験ウィーク」が持たれた、というニュースをテレビでやっていました。そこでは小学校の学童たちがスポンジボールをティーバッティングの上に置いて、プラスチックのバットで打つ練習をする姿や、ゴムボールをピッチングする姿が映っていました。

日本の皆さんには分かりづらいと思うのですが、野球を間近に見慣れていないこちらの子供たちは、野球ボール大のボールの「投げ方」を知らないのです。日本の一般的な子供ならおおかたは自然に見知っていることだと思うのですが、こちらでは小手先だけで投げようとしたり、砲丸投げのように押し出そうとしたりと...

こういうこともマルティカルチャーの基礎知識たるべきでしょうね!論評するよりも前の事実収集です。

その後はジョージさんの働きは直接には見聞きしていませんが、元気に続けてくれていることを願います 。アメリカ暮らしをしていた子供などで野球を良く知っている子供などもいるようですから、後日何かしらの実を結んでくれるといいのですが。

まさしく野球の伝道者、ジョージさん。頑張ってください!(「人ごとかよ」: 陰の声)


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春 シーズン開幕!

2014-04-07 05:00:00 | 日記
四月になりました。今年の場合はここレイキャビクでもこのところ順調に春化が進んでおり、まだ白い芝の合間から白や紫、黄色の花の蕾が顔を出したりして(そこら中にあるのですが何という花か名前を知らない...(^-^;)「春」をアピールしています。

そして春と言えばプロ野球の開幕です。いささか無理やりの展開の気がしますが、私は野球シーズンの始まり、もうちょっと言うとスプリングキャンプの後半辺りから開幕へかけての雰囲気が大好きなのです。

シーズンでのチームの勝利、個人の好成績を目標として基礎から準備を始め、身体と精神の調子を整え高めていく、という過程はいつも魅力的に写ります。

もう二十年近く前になりますが「メジャーリーグ」というアメリカのコメディタッチの映画がありました。トム・ベレンジャー(大好き俳優の一人)やチャーリー・シーン等が出演していて第三作まであったと思います。もっとも三作目は相当落ちた出来だったようですが。

私が特に大好きなのはこのうちの第二作目で、とりわけ冒頭の春キャンプの珍騒動はとても気に入っています。もちろん今でもちょくちょく見ます。春が持っている希望に充ち満ちた情景がいいのです。

シーズンが始まり一ヶ月も経ってしまえば誰が勝ち組で誰が負け組かはおおかた明らかになってしまいますが、開幕時期ではまだ勝者もなし敗者もなし。皆が同等の期待と自信だけを持っています。この雰囲気、好きです。




Major League II : Myndin er ur en.wikipedia.org


さてプロ野球ですが、私は大学生頃までは結構なジャイアンツファンでした。実は高校入試の時に東海大相模も受験したのですが、その時の同学年にいたのが今の原監督です。別の志望校に受かったのでそこへは行きませんでしたが、ああいうスターがいまします学校へ行くのはどういう気分がするのかなあ、と後から思いました。ワタシなら劣等感に苛まれるのではないかと... 「世界が違う」と割り切れるものなのかなぁ...?

大学時代には(ちなみに学校名簿上はあの江川卓さんはワタシの先輩です)、1981年だったか野球ファンとしての黄金の年がありました。ジャイアンツ日本一、法政おお我が母校が六大学制覇、そしてドジャースがワールドシリーズを制したのです。

それ以降野球熱は冷めていってしまいました。唯一、野茂英雄投手は好きな選手でしたし、彼の大リーグへ挑戦していった姿には随分励まされました。ちょうど私がアイスランドへ移ったのと同じ頃だったんです。それもあってその1990年代はまだドジャースファンでした。

が、ずーと年を経て2005年春。松井が移ってきたNYヤンキースが気になっていた私は、ある時ネットでメジャーリーグの試合を「全て」生でも録画でも見られることを発見しました。もちろん料金を払わなければなりませんが、それほどの額じゃない。

その頃のヤンキースはレッドソックスから移籍したデーモン(ソックスファンからは「裏切り者のユダ」とこき下ろされましたが)やジーター、Aロッド、ジアンビ、そして松井秀樹等々の個性ある選手が揃っていて魅力あるラインアップでした。

そしてその日からあらためてヤンキースファンになりました。普通試合は米国東部時間の夜七時から始まることが多いのですが、それはレイキャビクの夜十一時。試合終了まで見るのはチトしんどいですが、三分の一でも半分でも「ナマ」で見れるというのは一体感が違います。(^_-)☆

しょうもないおじさんの昔話が続いてしまいましたが、先週末の金曜日、ついに出ましたね、マー君が! 今年のヤンキースは連敗スタートでずっこけていたので、ここらでガラッと空気を変えて欲しかったところです。

立ち上がりはハラハラしましたが、さすがです。中盤からは見ていて危なげない落ち着きがありました。ということで、久々にプレーボールからゲームセットまで観てしまいました。

さて、アイスランドと野球ということになりますと、残念ながら野球はまだまだマイナーなスポーツですねえ... 野球の話しで盛り上がるとしたら、こちらに住んでいるアメリカ人を見つけるしかありません。それでもアメリカ人の全てが野球好きでもないですけどね。

ひとりボストンからの友人がいます。野球好きのくせにレッドソックスファンではなく、なんとかというマイナーですらないチームを応援していて「生涯を通じてYankees haterだ」などと言っています。それでも以前何度か家でネットでの試合を一緒に観たりして、楽しくベースボールで発散しました。

野球はアイスランドで恋しくなるもののひとつです。今年はマー君のおかげで日本とそしてニューヨークと一体感を維持できそうです。頑張れ、マー君! Go,go, Yankees!


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アイスランドへの適応の鍵とは?(2)

2014-04-03 05:00:00 | 日記
アイスランドは北欧の中ではデンマークと並んで「言葉の非寛容の国」として知られています。「ここに住むなら言葉を習得しろ」という気風が強いのです。ですから移民の人たちの「社会への適応の鍵も言葉の習得がキーだ」というのが基本的な考え方として存在しています。

そんな社会の中で、昨今アイスランド語を学ぶことをせず自らのコミュニティの中で切り抜けていこうとする移民の数が増えていると言われています。数が圧倒的に多いポーランド移民がいつも指摘されるのですが、他の国からの人たちの中にももちろんそのような例はあることでしょう。

そもそも移民の「ホスト社会への適応」というのはどんなことなのでしょうか?考えてみれば随分と曖昧な概念に思えます。

私自身は適応というのは平たくいってしまえば「妥協」だと考えています。ある人が新しい社会へ移り住んできた時、その人がその社会と妥協をしてその人なりの新しい基本点を見出し、その人が「まあ嫌ではないな」というくらいの気分になれて、さらに社会のお荷物にもなっていなければ、それが適応だといっていいと思います。

この「妥協」が適応の第一歩、あるいは「最小限度の適応」なのです。もちろん「適応」にはさらに続くステージがあって、言葉の習得や文化の理解、人間関係の構築等々が続いていきます。しかし始めに「私はここに住む、少なくともある期間は」という覚悟と妥協ができないと、その人の移住はなかなか難しいものになると思われます。

アイスランドの人たちはよくペルーやタイから移民してきた人たちに向かって「全く異なる文化圏からやってきて、生活に適応するのが大変でしょう」などと言います。ですが私の見てきた範囲ではそれは違います。

適応するのに困難を見出すのは圧倒的に他の西ヨーロッパや北米からの移住者が多いです。自分自身の社会の基準をそのまま持ち込んできてしまい、アイスランドの社会との妥協点を見つけられない人が、彼らの中の方にむしろ多いのです。

さて適応の第一歩が「妥協」であるとしましょう。妥協というのは二者あるいはそれ以上の当事者によってなされますね。移民の場合の妥協は、自分自身とホスト社会の間の合意のようなものです。ただしその際にはお互いに自分なりの理解や期待がありますから、どうしても当事者間の理解 ・期待にズレが生じることがあります。

アイスランドに住む、という妥協(決断)をした移民は、例えば次のようなことを自分の理解、期待として挙げるかもしれません。
・自分は別にアイスランドに住むことが嫌ではないし、辛くもない。
・でも、別にアイスランド語はできなくてもいい。
・付き合いの範囲が同国人に限られてもいい。
・社会へ積極的に関わらなくてもいい。

これに対して社会の側の理解と期待は次のようなものであり得ます。
・移民はアイスランド語を学ぶべきだ。
・移民はアイスランドの文化や伝統に従うべきだ。
・移民はアイスランドの批判をすべきではない。
・移民たちだけで固まるべきではない。

このような理解や期待のズレが具体的に現れた例としてはこのようなものが挙げられます。
・アイスランド語がまだできない移民が医療機関へ行く時、公費で通訳を付けるべきか否かという議論。
・学校の親の集いに移民の親が参加しない。
・失業率が移民の方に高い。アイスランド人の理解は「まずアイスランド人に職を」移民は「生活しなければならないのだから同等」

これらのギャップに関してはよく検討して、どこからその差がきているのかを明確にすべきです。無策はますます大きなギャップをもたらす可能性大です。

さて「言葉」に関してですが、私自身身近に知っている例で長年住んでいても言葉はままならない。けれども生活に満足し楽しんでいる、という人たちはかなりいるようです。

ですから、その当人が辛いと感じて毎日を過ごしているのでなく、ここで暮らす決心をしているのなら、妥協という「最小限の適応」をしているのですからそれをまず認めるべきだと思います。「言葉ができない」=「不適応」という図式は改めるべきでしょう。

言葉ができない移民を頭ごなしに「不適応」という否定的な結論を持って見ることは、決して生産的、創造的な思考ではないと考えます。

そのことをIsbru(氷の橋)というアイスランド語を移民に教えている先生方の団体で提案してみました。徹底的な反論が来るだろう、と覚悟していましたが、それほどでもなくきちんと話しを聞いてくれました。私の人徳かな?へへ)

もちろん、そんなに簡単には何事も変らないでしょうが、何かを変えるには変えようと思うことのポイントをはっきりさせ、それから世間に訴えていかなくてはなりません。時間がかかりますが、それはそういうものですね。

でも、やりがいはあります。


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