レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「仮面うつ」?のワタシと祈り

2019-12-01 00:00:00 | 日記
十二月ですね。日本では師走入りですが、こちらでもアドベント入りとなりました。アドベントについてはこれまでも何度も触れてきましたので、詳しくは書きませんが、キリスト教の暦では一年の始まりにあたる時期で、クリスマスに備える期間となります。

アドヴェントと往く年、そしてオーロラ


ですが、アドベント以前に遡り、ちょっと昨年に引き続きBlack Fridayについて一言。このBlack Friday、発祥の国アメリカでは感謝祭の「翌日の金曜日」とされているそうです。今年の場合は、先々週の金曜日(11月22日)でした。

それがです。こちらアイスランドでは、22日に「始まり」、ずーっと続いてピークが29日の金曜日でした。第五金曜日があったからなのかもしれませんが、私には単なる「エスカレート」としか思えませんでした。

「そんなに長い間、セールにして儲かるのか?」と普通思いますよね?金曜の晩のニュースでは「いくつかの店では、Black Fridayの以前に、何喰わぬ顔で値段を引き上げている 」とか。ウソの値下げをするためです。消費者連盟が注意を喚起していました。

Black Firday とマイ Sunshine Thursday




本文とは無関係ですが、iPhone11で撮ったもの


さて十一月ですが、私の誕生月なんですけど、世間一般には難しい月でもあります。寒くなり、暗くなってくるので多くの人が気分の落ち込みや、体調不良を訴える時期なのです。

日が短くなった日のことをskammdegi スカムデーイと呼ぶのですが、「スカムデーイはつまらない」と言うのが定番になっており、基本的にネガティブなオーラを放っています。

私は去年はこの「落ち込み」とかがまったくありませんでした。夏から筋トレに夢中になっていましたし、お酒もきっぱりと止めていましたので、多分そういうことの影響だったのでしょう。

今年は筋トレもサボりがち、晩酌もチラホラに舞い戻ってしまいましたが、そのため?今年は十一月は、またしても不調の月となりました。

十月の下旬に突如気温が下がり、私がアイスマン化してしまったことは書きましたが、その後もなんとなくすっきりしない日々が続いていました。

筋トレで筋を痛めたのか、右肩を回すと痛いし、夜遅く寝ても朝早く目が覚めるし。おかげで十一月の始めは、毎朝七時にはオフィスに出ていましたよ。「勤勉」!とその時は思ったのですが、その割には仕事の能率上がらず。

能率が上がらない、というのはある意味結果の話しなのですが、なぜ?という原因があるはずです。原因は簡単で、仕事が楽しく感じられないのです。これは私にしてはかなり稀なことで、私はかなり楽しんで仕事に取り組むタチの人なのです。

そこで思い当たったのが、「これはもしかして『仮面うつ』というものではないか?」ということでした。ご承知の方も多いかと思いますが、「仮面うつ」とはうつ病のひとつなのですが、「落ち込む」よりも、頭痛や身体の痛みのような「うつとは関係ない」ような症状となって現れるのだそうです。

そう考えてみると、「うつ」の種になるようなことはいくつかあるのです。以前アイスランドにいた難民の家族が、いろいろあって現在はフランスで難民申請をしています。その過程で、私も相当な援助をしていました。

フランスで一年が経過しましたが、そのまま滞在許可が出るような感じがしました。私は自分では判断できなかったのですが、当地の経験ある支援グループがそう言っていたのです。

それが三週間ほど前に申請拒否の結論。これには相当がっかりさせられました。

その直後、今度はレイキャビクの自分の集会に参加している、元難民(クルド人)の家族の中学生の男の子が心臓の疾患で手術が必要とのこと。直接言葉が通じないので、なかなか詳しいことがわからず心配させられました。

他にもいくつかそのようなネタはあります。難民関係の仕事をしていると、どうしても嬉しいことよりは、残念なこと、ヘビーなことの方が多くなります。




教会によくある祈りのキャンドル塔


そういうようなことが重なって、知らず知らずのうちにストレスになっていたのかもしれません。もっとも、そういう状況は一年を通してあることなので、別に特別なことではないはず。きっと、そこに気温の低下や日照の減少などのskammdegiの負のパワーが加わったでしょう。

もちろん私は医者ではありませんので、私の不調が仮面うつであったかどうかはわかりません。たとえそうだったとしても、ごく軽微のもののはずです。「なんか調子が上がらないなあ...」以上のトラブルはありませんでしたので。

ただ、「仮面うつ」とか勝手に理屈付けができると、それだけで楽になる気がします。「ああ、自分は今、こういう状態なんだ」みたいに考えられて、対処する道が見えてくるような気がするのです。

そしてつい最近。もうひとつの出来事がありました。

詳しくは書けませんが、教会のクワイアで歌っている若い音楽家の女性が、腫瘍が発見されて急遽入院手術。ICUで看護されています。

私は特に親しくしているわけではないのですが、以前難民支援の音楽会を開いた際に一緒に働いたことがあります。感じが良い女性ですし、才能がある人なので将来は大成するもの、と期待していました。

今現在、このことが頭から消え去ることはなく、大切な祈りの課題となっています。あんなに溌剌としていた人が、突然生きるか死ぬかの狭間に陥ってしまうとは...

これなども私の「うつ」を増す原因になるかのように思えます。ですが、そこが人間の不思議なところです。この出来事に想いを巡らしていると、いろいろ大切なことが見えてきて、それは私にとってはうつを作る重荷ではなく、うつを突破する力になるように思えます。

生きるということは、生きるための戦いを毎日続けていることです。もちろんその戦いのレベルはピンからキリまであるでしょうし、多くの場合そのような戦いのことなど意識に上らないことでしょう。

しかし、ある時にその戦いは鮮明に浮き上がってきます。この音楽家の女性は、今、大変な戦いをしています。フランスにいる難民の家族もそうですし、心臓疾患の手術を受けた男の子もです。




アドベント準備のできた教会聖卓


同じような、鮮明な戦いの状況にある人は、アイスランドだけでも大勢いるでしょうし、日本では、世界では見当も付かない人の数に上ることと思います。その中の、たったひとりの人の戦いさえも、私には代わって戦ってあげることはできません。私たちの誰もが、ですね。

これは厳しい現実です。ですが、逆に私たちを守るガード、恵みであるかもしれません。というのは、私たちの誰もが自分の戦いを持っており、それを続けなくてはならないからです。他の人の戦いまで戦うことは、私たちには荷が重すぎることに違いありません。

そのかわり、私たちは他の人の戦いを応援し、助力することはできます。祈ることができます。「祈りなんてなんにもならない」と笑う人は多くいますが、私は賛成しません。

祈るという静かな作業が、いかに多くの新しい考えや視点、新しい活力を人に与えてくれることか。祈りが次の行動のきっかけ、基になるのです。

私は、今、私の周囲にいる人たちのために祈りますし、また彼らの戦いのために祈ります。そして、それがそのまま私自身を助けてくれる力にもなるのです。私の十一月の不調病、はたまた「仮面うつ」?もこうして他の人のことを祈る中で消えていきましたから。

アドベントになりました。皆さんも師走の忙しさの中で「心」を「亡くす」ことのありませんよう、生活に中に平和を保ってお過ごしくださいますよう。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

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