安比スキー場を後にして、一気に東京へ向かうと思いきや
夫の進路は、八幡平を目指す。
この日、開通した道路をあがっていって、
松尾鉱山跡に。
ここに学習院の施設が昔あって(松尾村が栄えていた時の病院跡)
多くの生徒が、山登りや自然学習の足がかりとした。
地元の中学生でもその頃には上らなくなった岩手山に毎年登っていて
夫はその世話に、何年も通ったというので、思い出深い場所だという。
家族でも一回行ったことがあって、
ここから山を越えて、安比スキー場へ行ったこともある。
昔は、こんな風に施設があったが
今は建物はなくなり、公園となっている。
松尾鉱山で栄えた頃の、その頃にしては、最新のアパートが
今では、廃墟となって残っている。
最盛期には2万人近い人々が住んでいたところが、今は無人である。
こんな、雪の切通しのような道を通って登って行くと、
トイレの壁に、松尾村の歴史の展示があった。
なかなか、読ませる案内だった。
家へたどり着く時間を気にしながらも、うとうととしていたら
夫の「水芭蕉、水芭蕉!」の声に起こされて。
しぶしぶ、車から降り、写真撮影。
さあ、今度こそ、東京へと思ったら、
いや、「海鞘をさがす」とのことで、盛岡駅の海産物屋さんへ。
海鞘の刺身をたべ、海鞘の刺身を買い、海鞘の瓶詰を二つも買って、
やっと、帰路へ。
盛岡の街は、桜がちょうど咲いていた。
これで、今回の旅行の日記はおしまい。
(ほぼ一か月、かかってしまいました。
お付き合い頂き有難うございました。)
八幡平ー松尾ー盛岡ー東京! クリック!
おかはんをよろしく、ブログもあります!
夫の進路は、八幡平を目指す。
この日、開通した道路をあがっていって、
松尾鉱山跡に。
ここに学習院の施設が昔あって(松尾村が栄えていた時の病院跡)
多くの生徒が、山登りや自然学習の足がかりとした。
地元の中学生でもその頃には上らなくなった岩手山に毎年登っていて
夫はその世話に、何年も通ったというので、思い出深い場所だという。
家族でも一回行ったことがあって、
ここから山を越えて、安比スキー場へ行ったこともある。
昔は、こんな風に施設があったが
今は建物はなくなり、公園となっている。
松尾鉱山で栄えた頃の、その頃にしては、最新のアパートが
今では、廃墟となって残っている。
最盛期には2万人近い人々が住んでいたところが、今は無人である。
こんな、雪の切通しのような道を通って登って行くと、
トイレの壁に、松尾村の歴史の展示があった。
なかなか、読ませる案内だった。
家へたどり着く時間を気にしながらも、うとうととしていたら
夫の「水芭蕉、水芭蕉!」の声に起こされて。
しぶしぶ、車から降り、写真撮影。
さあ、今度こそ、東京へと思ったら、
いや、「海鞘をさがす」とのことで、盛岡駅の海産物屋さんへ。
海鞘の刺身をたべ、海鞘の刺身を買い、海鞘の瓶詰を二つも買って、
やっと、帰路へ。
盛岡の街は、桜がちょうど咲いていた。
これで、今回の旅行の日記はおしまい。
(ほぼ一か月、かかってしまいました。
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