先月アップした『二三月峠』に続く徳川vs武田の戦跡の峠『一言坂』。奇しくも『一二三』と続く峠となった。
元亀3年(1572年)本願寺や越前朝倉氏、比叡山延暦寺など反信長(信長包囲網)の動きに同調した武田信玄は織田・徳川領への侵攻を開始。三河・遠江の諸城を次々と落としていった。対する家康は武田軍に対峙。先行した本田忠勝、内藤信成の偵察隊が武田軍と遭遇。偵察隊はすぐに退却、家康本隊も退却したが武田軍が追撃、本田・内藤隊は本隊の殿となって、一言坂下で武田軍と戦闘になった。徳川軍は無事浜松城に撤退できたが、二俣城は包囲・陥落してしまう。そののち浜松城籠城から三方ヶ原の戦いへと進んでいくことになる(ウィキ『一言坂の戦い』)。
場所は静岡県磐田市一言にある県道413号線付近。行ってみると立派な石碑と案内看板が立てられている。
看板の内容によると、実際の『一言坂』は後ろにある坂道とのこと。
辿ってきた道なので、先にチェック済。竹藪の前にこれまた懇切丁寧な案内看板があった。
こちらは本田忠勝の活躍をリアルに解説していて例の『とんぼ切り』の大槍の話など書いてあった。
実際に訪れたのは昨年の10月。ちょうどNHKの大河ドラマ『どうする家康』が放送されていた頃。
三方ヶ原の戦いなどはとっくの昔に終わっていたし、レポートをアップするタイミングもここまで遅くちゃねえ・・・
歴史好きな皆さんのお目汚しにならなければいいのですが。
古戦場は双方の陣、首塚、胴塚、討ち死の場所、首洗い(首実検)の場所、点在してるから見て回るのがタイヘンです。
>「家康は野戦が得意」って誰が言ったんですかね。
たぶん江戸幕府の御用史家でしょうね。
三方ヶ原は敗けたものの小牧長久手や関ヶ原は
勝ったからでしょう。
古戦場をくまなく見て回ると大変なことになります。
動くコースでたまたま見つけたという程度にしか
私は関われませんわ。