雨曇子日記

エイティライフの数々です

路線バスの旅Z 第六弾 奈良東大寺~岐阜高山

2020-07-20 20:06:50 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

マドンナに大島麻衣( 30 歳)さんを迎えての第六弾の旅。再放送が待ちきれず、鎌倉淳さんの「タビリス」から、その旅を追体験した。「タビリス」の記事は原稿用紙に換算すると 30 枚という大作で、旅の全貌が分かるのです。

 

     第一日(高速バスの利用を勧められる)

8 :16 に東大寺大仏殿を出発し、まず奈良駅に出て案内所で情報を集め、三重県に出て高山を目指します。

例によって県境では少し歩きますが、梅の名所月ヶ瀬を経て、三重県伊賀市「上野市駅」にお昼過ぎに到着します。この案内所で「名古屋行の高速バスはここから関バスセンターまでは、下道というか一般国道を走りますので、この区間は路線バスといっていいのではありませんか」というアドバイスを受ける。これを利用し、関バスセンター(鈴鹿市)に 15 : 06 に着いた。

そこから 7km 歩き亀山駅前に、さらに平田町駅に 19 : 27 に着き、ホテルキャッスルイン鈴鹿に宿泊した。

(芭蕉の生誕地伊賀市は、 558.17 ㎢もある広い都市で、奈良県、京都府、滋賀県と接していた。いつか行ってみたい)

 

     第二日(名古屋市金山行を教えられる)

平田町駅  8 : 18 出発。四日市駅~桑名駅~たちばなの里~(徒歩で愛知県に入り)~近鉄蟹江駅前から、少し歩いて名古屋行のバス停を探しているところで、(バスのツウ)とでもいうべき男性に、名古屋金山行の市営バスの戸田停留所を教えられ、一気に名古屋に入る。金山着 16 : 57 。

 

「タビリス」鎌倉淳さんは、桑名に着く前の近鉄六把野駅から(あるいは桑名からでも)岐阜を目指していれば、名鉄岐阜に 17 : 39 に着くルートのあったことを検証しておられる。(確かに、こちらの方が楽だ)

 

実際には、名古屋を北上し小牧に進み、知り合った高校の校長という人の勧めで、尾張一宮まで行き、ホテル東横イン一宮駅前店に投宿することになるが、午後 11 ; 00 過ぎ。

 

     第三日(美濃太田駅案内所にて活路を見出す)

尾張一之宮駅前 6 : 58 出発。遅い到着、早朝出発、連日の長距離の歩きで疲労困憊の筈。9 : 09 に着いた岐阜バスターミナルで、イラついたマドンナが「決め手がないと乗らないんですか?」「来たバスに乗っちゃうぐらいの勢いで勝負をかけていかないと進まないですよ」と、決断のつかない田中、羽田レギュラーを牽制する一幕もあったようだが、その後 15 : 45 に到着した美濃太田駅で、案内所係員の「八百津~下河原を経て福地峠を越えていくルート」が紹介され、行くべきルートが決定した。

「タビリス」鎌倉淳氏は、「丁寧に対応してくれた案内所係員のクリーンヒット」と称えている。

この日は「まつや旅館」(岐阜県加茂郡八百津町)に宿泊。

 

     第四日(薄氷の勝利)

高山濃飛バスセンターに 17 : 31 到着できたのだからいいのだが、鎌倉淳氏が「薄氷の勝利」というのは、全体で 46,6 km も歩いたし、三重県から直接岐阜に入らず、尾張一宮経由にしたこと、特に最後の詰めの部分、高山線白川口駅から一区進んだバス停「三掛」から、飛騨川べりの国道 41 号線を 12.5 km 歩き、やっと着いた焼石駅前から下呂駅、あとは、一気に高山に入ったそのゴールの仕方が、もう少し楽なルートが数本検証できただけに物足りなく感じたのだろう。

飛騨川は、今年七月上旬の豪雨で氾濫し、下呂市が水害に見舞われたことは記憶に新しいが、昭和 44 年(1969 )8 月 18 日には、未曽有の惨事を引き起こした。それは、白川口駅近くの国道 41 号線路上で集中豪雨を避けて避難していた観光バス 2 台を、近くの山から流れ落ちた土石流が、濁流渦巻く飛騨川に押し流し、乗客乗員 104 名の命を奪った事故だ。それは、日本バス事故最大のものであった。

ところで、到着地の高山市の面積は、2, 179.35 ㎢ で、これは東京都の面積に近い。それでいて人口は 10 万人に満たない。日本は大都市に人が集まり過ぎ、過疎地は益々過疎になっていく。  

 

 


ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z第 5 弾 四国ぐるり一周城めぐり

2020-07-07 19:56:12 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

徳島城(ここはかってかって空襲で天守閣を失った)鷲ノ門に集められた、バス旅レギュラー田中要次、羽田圭介・マドンナ小野真弓の三人に与えられた使命は、「四つの城(丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)の敷地内に入り三人一緒に天守閣を入れた記念写真を撮る」三泊四日のバス旅だ。さあ、どうする。一行は、どこからどこ行きのバスが出ているのかさえも分からず、地図を手に困った様子!

 

この旅が行われたのは、2018 . 2 . 25 ~ 2 . 28 で、私はこの再放送をBSテレ東「ローカル路線バスの旅z 第五弾」2020. 7 . 06 で見たのだ。

 

 

     第一日(完璧なスタート)

徳島駅に出て(頼もしき援軍)バス案内所で情報を得て、鳴門駅前➡弘田駅前➡高松駅➡高松空港➡丸亀駅と進み、ここで石垣の高さ日本一の名城・丸亀城をバックに一枚目の写真をゲット。

時刻は 18 時を過ぎ、とっぷりと日も暮れているので丸亀市泊。(空港に出て一気に丸亀市に来たのが良かった)

 

     第二日(22kmの歩き)

 

丸亀駅の案内所 8 時オープンを待ち構えるようにして情報を求めるも、はかばかしくいかず、善通寺ICバスターミナルにくるが、ここでも結果は得られない。9 : 03 。

そして、壮絶な歩きが始まる。

バスターミナル・・・2.5 km ・・・善通寺駅・・・1,5 km・・・車仙遊町駐車場前

駐車場前から旧西碑殿公民館前前まで 19 分はバスに乗るものの、ここから三豊市役所までの 6,5 km を歩き、観音寺駅~三豊総合病院まではバス。そこからは、・・・7 km ・・・道の駅とよはま・・・4.5 km ・・・川之江駅と歩いたのだ。

「バスが出ているのに何で歩くんですか、路線バスの旅ですよ!」待ち時間が多く、歩いたほうが早いと判断して歩きにした場面での、マドンナの叫びは、テロップで流れた。

「タビリス」の鎌倉淳さんによれば、後に羽田さんがスポニチの記事に次のような談話を寄せたそうだ。

「マドンナの、小野真弓さんから色々なことを学ばせてもらいました。等身大のご自身を無防備なほどにさらけ出すカッコよさが 4 日間続いていました」

羽田さんはむしろこう言うべきだった。

「僕の判断で、小野さんを思いっきり歩かせることになってごめんなさい」

 

     第三日(一日の半分以上もバスに乗った日)

 

大化の昔から四国の交通の要衝だった川之江(四国中央市)を 7 : 48 に出発。

イオンモール新居浜(ここで唐突に降りる必要は全くなかった)~新居浜~住友病院前~大街道~松山城 と進んできた。

このころ、夕闇は迫っていたが、松山城のケーブルカーは営業中で、三人は、松山城天守閣の撮影に成功、目標の 2 つめをゲットした。

道後温泉で宿泊かと思いきや、この旅はそんなに甘くはない、さらに大洲~宇和島とバスを乗り継ぎ、宇和島バスセンターに着いたのは、すでに 21 : 58 。それから、宇和島城のもう閉じている門の前まで行き、翌日の入場時刻を確かめた。

 

     第四日(最終目標高松城を目指す)

 

宇和島城のオープンは午前 6 時。 3 人は、この時刻に城に一番乗りをし、三番目の城との写真撮影。そして、宇和島バスセンター発宿毛駅行き 6 : 41 に乗車した。

8 : 28 に到着した宿毛(すくも)は高知県。ここにおいて、徳島県を出発した一行は、香川~愛媛を経て高知に達し、「四国ぐるり一周」を達成した。あとは、高知城記念写真撮影のみだ。

TV を見ていて、楽勝と思われたが、ここからのバス乗り継ぎが大変だった。

宿毛~中村駅(四万十市)~佐賀駅(黒潮町)~窪川(四万十町)~大野見(旧大野見村)~久礼(旧中土佐町)~須崎(須崎市)と来てやっと

高知城前に着いた。時刻は 19 :10 。城に入場できるのか?

城の坂道を上り、門前についてみると、木戸は開放してあった。めでたし、めでたし。そして、お疲れ様。

見ているだけで疲れるが、このシリーズは追っかけてみようと思う。地理の勉強になる。タビリスの検証記事も参考にする。

 

 

 


路線バス乗り継ぎの旅z 第四弾 岐阜城~鳥取砂丘

2020-07-01 17:41:41 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

ロケ 2017. 11. 15 ~ 11. 18     放送 2017. 12. 16  BS テレ東での 2020. 6. 29 再放送を観て。

 

     第一日

岐阜県公園歴史博物館を 8 : 50 に出発。(この時点では”麒麟が来る”岐阜大河ドラマ館はオープンしていない)

岐阜駅に出て、関ヶ原間間交差点から歩いて滋賀県に入り、柏原~近江長岡と東海道本線に沿って進み、長浜駅からは琵琶湖を北上。木之本バスターミナル着 18 : 01。「草野旅館」泊。

 

     第二日

木之本バスターミナル発 8 : 02 。

若狭湾に臨むJR小浜駅に 11 : 50 着 という快挙(絶妙な乗り継ぎ)をとげる。

(タビリスの鎌倉淳氏の分析によると、ここから舞鶴までのバスがつながらない 20 km を歩いていたらゴールできたそうだが)一行は、羽田さんの主張に従い近江今津駅に戻り、京都コースをとることにした。

結局この日、11. 7 km 歩き、湖西線安曇川駅から朽木学校前 に18 : 06 着。民宿「安曇川荘」宿泊。

朽木(くつき)は、鯖街道が村を縦断するものの、平成 17 年までは県下唯一の村であった(現在は高島市)。面積 165. 77 ㎢ 人口 2489 人 人口密度 15 人。 

 

     第三日

朽木支所前 8 :35 発の高島市営バスに 17 分乗って梅の木というところまできて、あとは、三千院のある京都大原までの 7 km を歩かねばならなかった。大原着 12 : 29 。

ここからは、観光客に交じって京都駅前~亀岡市~南丹市と来た。南丹市の「園部」から福知山市行が出ている。しかし、一行が 15 : 13 園部駅に着いた時、福知山行は終わり、途中の桧山行しかなかった。

園部で宿泊するか、宿があるかどうか不安だが桧山まで足を伸ばすか、ここで、三人の意見は分かれた。

「桧山に宿がない場合の引き返す便がある以上園部に留まるという論理は弱い」との羽田さんの主張が通って、というか、羽田さんがさっさとバスに乗り込んだので田中さん、マドンナ村井美樹さんも従った。

 

     第四日

幸い桧山で宿泊でき、7 : 09 の始発に乗り、福知山には 8 : 09 に、そして、9 : 08 山陰本線上夜久野駅に到着した。

あとは、和田駅、八鹿駅とつなげば、そこから、夢千代日記の湯村温泉に進み、そこからは、いっきに鳥取砂丘に出られる。成功は目前だった。

 

しかし、一日に数本しかないバスを捕まえるのは至難の業。玉置というバス停付近で八鹿行のバスを逃がしてしまった。

結局、この日は11 km 歩き、やっとバスをとらえて湯村温泉に到着したのは 16 : 25 。鳥取砂丘行最終バスは 15 : 05 だった。この旅はここまで。旅は不成功に終わった。

 

マドンナ村井美樹さんは悔し涙を流し、その強い達成意欲を見せつけたが、後年、テレ東「バス VS. 鉄道対決旅」が企画され、鉄道チームのキャプテンとなり鬼軍曹として活躍することになる。(時刻など、タビリス鎌倉淳氏のレポートから引用させていただきました)

 

 

 

 

 

 


路線バス乗り継ぎの旅Z 第二弾 山梨・抱き富士ビューポイント~栃木・那須岳ロープウエイ乗り場

2020-06-28 18:15:57 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

太川さんのシリーズに継ぐ路線バス旅第二弾である。

俳優田中要次・芥川賞作家羽田圭介&マドンナで、令和2年6月現在13弾まで続いているが、BSテレ東は最近2時間に短縮したこのシリーズを放送している。

6月8日放送の第二弾は不成功。東北本線氏家駅によれよれになって午後7時に到着できたに過ぎない。

彼らは油断して手を抜いたのか?宿泊のホテルで安眠をむさぼっていたのか?

いや、そうではない。三泊四日の道中、目的地到着を目指し、朝早くから夜遅くまで、ひたすら頑張ったのだ。バスがつながらず総計43.5㎞も歩いたのだ!

 

では、制作の局側が無理なコースを押し付けたのか!

どうやらそうではないらしい。鎌倉淳という方の”タビリス”によると、正解ルートはいくつもあり、見抜けなかっただけ、ということになる。また、こんなに歩く必要はなかったらしい。「そんなに、ガムシャラに歩く戦略だと、これから毎回失敗しますよ」などとスタッフに忠告されたという話まで載っていた。

第一日、富士山駅で「道志ルート」を教えられたが、結果的にはこのルートの方が良かったかも知れない。それに、これはタビリスで鎌倉さんが力説しておられたが、二日目、「川越駅西口」からは、「鴻巣」へ出るべきだった。

済んだことはさておいて

二日目、10時過ぎても朝食にありつけず、加須市根古屋を歩行中、和菓子「御よ志」に入った。「なにか腹の足しになるもの・・・」ということで、当店のソウルフード「いが饅頭」(赤飯を饅頭の上に載せてある)を店内で食べた。

実は私、令和元年6月12日、東武健康ハイキング「加須の歴史を訪ねるハイキング」の途中この菓子店に立ち寄って、名物「無花果菓子」を求め、加須市騎西地区は、埼玉県下一の無花果の産地と知った。

個人的には

バスで通過するより、せっせと歩くことは賛成です。でも、一日せいぜい10㎞が限度と思います。

 

加須のうなぎや

三日目昼食に入ったのは加須駅北口駅前のうなぎ屋である。

 

 

店主によると、プロデューサーがまず現れ、すぐ用意できるかを尋ね、「できる」と答えると田中さんたちが入って来たそうだ。

一行は、美味しそうに食べてくれたとのこと。その後に、カメラマンたちも素早く食べたそうだが、「あれでは、味わえなかったのではないか」と、その素早い食事の様子を、4年も前のこととなったが、今でも鮮明に覚えている様子だった。

その後、女性の化粧係が二人来て、田中、羽田、マドンナ舟山久美子さんの姿を整えたそうだ。

そんな話を聞くと、「これは、ロケ」と実感する。


路線バス乗り継ぎの旅z 第三弾 宮城・松島~秋田・白神山地

2020-06-16 12:01:39 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

BSテレ東 6. 15 の放送である。2017. 9. 23 放送 ロケ 2017. 9. 04 ~ 9. 07 の2時間にまとめての再放送。

 

     第一日 日本三景の一つ松島を出発・マドンナは ラブリ27歳

松島町役場~大和町役場~大衡村役場と乗り継いで行くが、みんな国道 4 号線に沿っている。地方自治体の中心は国道沿いにあるのだ。

吉川駅で 6 回目の乗り換え、何度も見ていたであろうラブリの大きな地図が妙なふうに破れ、田中・羽田さんが笑っていると、隣席の女子中学生も笑った。この中学生は、たまたま乗り合わせた乗客だと思われるが、「一関に行くのなら築館高校前で別のバスに乗り換えた方が早い」と案内してくれた。同じテレ東の「孤独のグルメ」だったら、中学生は役者さんだが、ここは違う。でも実によい一場面となっていた。

ところで。ラブリ(芸名・クリスチャンネーム)さんは、ウイキペディアで調べると、日本人の父フィリピン人の母を持ち、本名は白濱愛。2012 年の夏までの3年間に 5 回富士登頂を果たし、17 歳には四国遍路制覇、趣味は神社仏閣巡り、盆栽。特技に、絵画、乗馬、ヨガ・・・という方。モデル、タレントというよりアーティストが相応しい。

初日は、8 回乗り換え、乗車時間は約 4 時間半。9 : 58 に出発し ,平泉の「ホテル武蔵坊」に着いたのは午後7時を過ぎていた。

 

     第二日 北上に進み北上線にそってほっと湯田へ

いったん一関駅に戻り、イオン前沢、水沢駅前と乗り継ぎ、ここでの待ち時間を利用して「奥州宇宙遊学館」を見学した。ここは、国立天文台水沢キャンパスで、20 m アンテナを動かしてもらい、「月の表面に一円玉を置いたとして、その位置、動向を測定できる」というような説明を受けた。(この天文台は明治時代からあり、宮沢賢治も何度も通い「銀河鉄道の夜」の題材のヒントを得たことでも有名だ)

北上駅からは西に向かい、ほっと湯田駅までは一本のバスで到着し、秋田県側のバス停を目指して歩き始め、 10 km ほど行ったところで日が暮れた。街灯はないし、先刻会った村人によれば「クマが出る」とのことだし、怖いもの知らずの田中・羽田両レギュラーも、このまま歩き続けるのは危険と判断した。

一度超えた県境を岩手側に戻り、無人で暗く山小屋のような北上線「黒澤駅」から、そこに貼ってあった案内を見て、巣郷温泉「大扇」に電話を入れると、宿のおばあさんが車で迎えに来てくれたので、”ほっと湯田”でほっとしたのだった。

 

     第三日 大迂回をして大舘へ

扇屋の主人に秋田県側のバス停「下南郷」に送ってもらい、第三日をスタートさせるが、これを「ルール違反」と指摘するむきもあるようだ。しかし、それは可哀そう。これは、秋田のクマに免じて許してもらいたい。

さて、「下南郷」を 8 :38 に出発し、横手~大曲と乗り継いできた。ここからは、国道 13 号(羽州街道)を通って秋田市に出たいところだ。奥羽本線も秋田新幹線もこのルートを通っている。しかし、路線バスはつながらないのだ。しばらく考えて、大曲ばす案内所の女性職員が、「角館~田沢湖~鹿角市~大館市」の案を出してくれた。これよりほかにないとすれば、このルートで行くしかない。

観光客の多い角館、田沢湖、さらには、玉川、後生掛、蒸の湯など、秘湯地帯を横目に見て大舘駅前に着いたのは午後6時。決して弱音を吐かずむしろ先頭に立ってこのバス旅に立ち向かってきたマドンナ・ラブリさんはもとより、健脚自慢の田中・羽田のレギュラー陣もぐったり。7時間弱もバスを乗り継いできたのだ。

大舘駅前のホテルは取れず、グランドパークホテル大舘まで 20分以上も歩いた。

 

     第四日 薬師山スキー場からの 5 km の歩きが成否を分けた

昨夜泊まったホテルのある大舘本町から 10 分バスに乗り大舘駅に出て、案内所でしっかりルートを頭に入れ、9 : 25 発のバスで奥羽本線大舘駅の4つ先、鷹ノ巣駅に向かう。ここで一時間半近く待ち、薬師山スキー場入り口へ。12 : 24 だ。

鷹ノ巣駅の二つ先二ツ井駅に 13 : 30 までに着けば、能代バスステーションに出られる。そこからは、ゴールの五能線「あきた白神駅」へのバスが通じている。

三人は必死で歩き、ラブリさんは、「こんなに汗まみれになった姿をTVにさらすのは初めて」とぼやいた。

そして、感動的なゴールが待っていたのは言うまでもない。(鎌倉淳「タビリス」のデータを使わせていただきました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ローカル路線バス乗り継ぎの旅 Z 静岡・下田~愛知・師崎港

2020-06-03 20:06:27 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

太川・蛭子さんとマドンナによる路線バス乗り継ぎの旅が 25 弾で終わり、田中・羽田さん&マドンナの若いコンビびに引き継がれ、その第一回目の再放送が 6 月 2 日 BSテレ東であった。(ロケは、2017.3.6 ~ 9  放送は、 3 . 25 )

下田は、伊豆半島の先端にあって知名度は高いが、知多半島の師崎港は、知る人ぞ知るの地だ。

この旅は、静岡県から西隣の愛知県まで。昔の国名で言えば、伊豆~駿河~遠江~三河~尾張となる。

 

             第一日

マドンナに IMARU さんを迎え、下田駅前を堂ヶ島に向け元気に出発(8 : 50 )エメラルドの海の天窓洞を舟で観光、三島~沼津を経て富士市に 17 : : 20 に着いた。うまくバスを乗り継ぎ順調なすべり出し。

 

             第二日

富士駅 6 : 50 発のバスで 7 : 30 由比駅上に来たが、その先が行けない。とりあえず駅前の茶屋で名物の桜エビのついた朝食をとる。営業前だったが、女将さんの厚意に甘えた。(美味しそう)そして、元気を得て 6 km の歩きに挑んだ.。若いメンバーだから、軽々と歩く。新浦安橋~清水駅~と順調に乗り継ぎ、静岡駅前に 12 : 10 到着した。

静岡からは、相良~大東~報地~横須賀車庫前と来て浜松駅には 20 : 40 に着いた。

駿河の中心静岡市に対し遠江は浜松市。浜松市は面積 1.559 ㎢ 人口 79.7 万人、政令指定都市・国際会議観光都市、駅前に堂々と聳え立つのがオークラアクトシティホテル浜松。「あれしかないですね」と田中さんを先頭に一行はどんどんホテルに入っていき、「おい、おい、おい、おい、すごー」などと言いつつ部屋をとった。”勿体ないんじゃないこの部屋”誰かが言っていた。キートン山田さんとナレーターを務める太川さんは思わず「俺たちにはなかった」の一言を入れた。

 

この日、藤枝から大東に来て報地というバス停に向け歩いていた途中の道端にあった和食処「七海」(ななみ)での昼食がおいしそうだった。気になったのでネットで調べてみると、「掛川の食べる」に紹介されている名店。「さくらそば」が目を惹いた。

 

             第三日

浜松駅発 8 :22 の唯一西に向かうバスで湖西市役所( 9 : 24 )に行く。湖西市は、よくぞ浜松市に飲み込まれず残ったというような市。

ここから、11 : 21 発二川東町(豊橋市)行きのコミュニティバス(コーちゃんバス)があったが、2 時間の待ちは勿体ないからと歩きだす。

しかし、もくろんだバスに上手く乗り継げず 8 .2 km 歩くことになり、先の見えぬ不安と疲労で無口になったが、二川駅の手前でバスを拾い、”これぞミラクル”などと喜び合い、後は順調に乗り継いで豊橋駅前にたどりついたが、すでに 12 : 46 になっていた。

豊橋駅の案内所でこれから先のルートについて丁寧な案内を受け、丼の底にとろろご飯がかくれている豊橋名物カレーうどんで英気を養い、午後の行程に臨んだが、雨の中を歩く場面もあり、この日だけでも 11.5km 歩いたので、ヘロヘロになって東岡崎にたどりついた。日はとっぷり暮れ 18 : 43 になっていた。

 

             第四日

この旅は総計 34 km も歩いたが、この最終日は 17 km と最も歩くことになる。

出発は案内所のオープンを待ち 9 : 55 安城駅行となり、安城には 10 : 35 に着いた。安城市はコミュニティバス網がよく整い、バスも車体に A・B・1・2など大きくコース名を表示し、そのコースさえ理解していれば、遠くから見ても 行先がはっきりわかるようになっていた。また各停留所の表示に、地図と時刻表があった。ただ本数は少なく一時間、二時間と間隔は空いていた。

田中・羽田・IMALU三人の旅人は、その待ち時間を惜しんだ。岡崎の案内所が教えてくれた安城~東刈谷駅北口というコースを捨て、安城から碧南市を目指した。あんくるバスと碧南市のクルクルバスをうまく乗り継げばそれは可能と彼らは地図を見て判断したのだった。

だが、結果的には失敗だった。タッチの差で乗り継ぎに失敗し、歩きが増えた。碧南市大浜小学校から衣浦トンネルを通り知多半田駅への 6 km はこの日 2 度目の歩きだった。「走るのに使う筋肉がメチャクチャ痛い」と羽田さんが、「足の指が痛い」とIMARUさんが言った。

それでもトンネルにさしかかると、「これが、海底トンネルですか、わくわくするな」「ワーッすごいね」「海の底ってことですか、おもしろいですね」などと言いながら元気に歩き、隧道の終わりには田中さんが「サヨナラ―碧南!」と叫んだ。

 

半田駅に着いたものの、南下するバスはなく、いったん常滑に出て上野間に進み、そこから河和までの 6 km を歩けば、河和駅からのコミュニティバスの便はあるとの情報を得た。だが、上野間に着いた時点で 18 : 49 。河和駅まで歩いても最終バスは終わっているかも知れないし、夜道を歩くのは危険だし、ここで断念しても許される局面だったが、一行は歩きだした。

 

結果は、名古屋に通う人のためにバスはあり、21 : 04 見事師崎港に到着できたのだった。

一同がこの旅の成功を喜びあったのは言うまでもない。

 

 

            

 


ローカル路線バス乗り継ぎ旅 (最終)25弾

2020-05-26 12:01:33 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

リーダー太川陽介、相方蛭子能収、マドンナの女優新田恵利による三泊四日の旅最終回は、会津・飯盛山下~秋田・由利本庄だった。

 

5. 25 の BS テレ東の再放送で、初回は、 2017. 1 .  2 ロケは、前年の 12 月。

放送を見て次のように感じた。

 

*大勢の人がこの旅を温かく見守り応援している(運転手・各案内所の職員・地域の人々)

*郷に入れば郷のバス&徒歩

・福島県(会津バス。福島交通・本宮市営バス・本宮巡回バス・

     歩き 高坂・ 4km・赤津ガソリンスタンド・藤田南・ 6.3km・越川清水)

・宮城県(白石市営バス・ミヤコーバス(宮城交通)タケヤ交通)

・山形県(山交バス・最上川交通・庄内町営バス・

     歩き 小川町・9km・古口駅・草薙温泉・4.8km・清川駅・4km・狩川駅)

*郷には郷の山や川

今回の旅では磐梯山、蔵王の山並が見られた。ロケが冬だったから山々はうっすらと冠雪し、人を寄せ付けぬ厳しさがあった。川は最上川のゆったりした流れが映った。

このバス旅は、出発は早く到着は遅い(二日目、郡山ビューホテルアネックス発 6 : 25 Hパシフィック白石着午後 8 時すぎ など)視聴者でこの旅をそっくり真似しようとする人はいないだろう。でも、このひたむきな旅の姿勢には打たれる。安らぎや美食だけを求める旅のあり方には飽き足りないことに気づかされる。

 


ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅

2020-05-22 10:22:00 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

太川・蛭子「路線バスの旅」は4年前に25弾で終わり、その後、旅の形はいろいろ模索されてきたが、2020 . 5 . 21 テレ東 6 : 25 ~ 9 : 00 オンエアの対決旅を見て「これで決まり」と私は感じた。

 

3人一組の2チームで伊豆半島をめぐり、19の市・町に1つずつ設けられた観光ポイントに早く到達しポイントをゲットする。交通手段は路線バスと一万円分のタクシー&徒歩。一泊二日でゴール地点に午後6時までに到着しなければならない。

チームメンバー

*太川陽介・丸山桂里奈(元なでしこジャパン)・塚田僚一(ジャニーズABC・・・Z)

*川崎麻世・西野未姫(元AKB)・河合郁人(ジャニーズABC・・・Z)

 

第一日

午前九時、下田駅前に集合。ジャンケンで麻世チームが東回り、太川チームが西回りを取る。

*麻世チームのポイント

①峰温泉大噴湯(河津町)

②伊東マリンタウン伊豆太郎「海鮮つけ丼」(伊東市)

あまり先を見通さず、つきすすんだが無駄な動きが多く、夕方ごろ回り方のコツらしきものを学び明日に生かそうとする。

ホテル マツシモ三島(三島市)に宿泊。

 

*太川チームのポイント

①パリパリメロン最中(南伊豆町)

②明治の商家 中瀬邸(松崎町)

③堂ヶ島天窓洞(西伊豆町)

④土肥金山砂金館(伊豆市)

⑤韮山反射炉(伊豆の国市)

リーダー太川の長年のバス旅の経験から、常に先を見通し、先手、先手と行動した。そのため、この日まともな昼食は摂っていない。最後にゲットした韮山反射炉は、富士の背景と共に「ダブル世界遺産」とタクシー運転手が言っていた。

ニュー八恵園(伊豆の国市)に宿泊。

 

第二日

初日の行動を反省した麻世チームは、朝の 6 時台から行動を開始し、ポイントを稼いだ。

*麻世チームのポイント

③溶岩チョコラスク(長泉町)

④柿田川公園第二展望台(清水町)

⑤鰻の桜屋(三島市)

⑥五竜の滝(裾野市)

ゴールに定められた元箱根港には夕闇が立ち込めた締め切り直前に到着した。

 

一方の太川チームは前日のリードに気を良くして余裕ある行動。

*太川チームのポイント

⑥沼津魚河岸 丸天「ジャンボエビフライ定食」(沼津市)

⑦シロにゃんのお茶饅頭(函南町)

ここで勝利を確信し、早めにゴール地点に到着。太川チームバス旅の経験に物を言わせた勝利だった。

 

 

 


6府県踏破 路線バスの旅 第24弾 錦帯橋~天橋立

2020-05-19 11:18:14 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

ロケ: 2016. 8. 30 ~ 9. 2 放送 2016. 9. 24 再放送 2020. 5. 18 

第一日(広島県に入る)

錦帯橋~岩国駅~和木(わき)町

9時に出発し10時半には和木町に着いた。面積 10.58 ㎢ 人口 6179 人。山口県で一番の面積を持つ岩国市 873.72 ㎢ の東端に、盲腸のようにへばりつき、独立の自治体として存在する。

和木町の東は広島県で県境は小瀬川。バスは通じてないので広島県最初のバス停大竹駅までの 3 km を歩く。折りしも、 30℃の暑さ。リーダー太川陽介57歳、相棒蛭子能収69歳、マドンナ熊切あさ美36歳、それぞれタレントだから表情は明るいが早くも試練。

 

大竹駅~玖波(くば)駅~大野庁舎(廿日市市)~広鉄阿品(あじな)駅~阿品北~広島バスセンター~西条駅(広島市)~竹原(竹原市)とバスを乗り継いできた。

竹原は、”安芸の小京都”と言われ、瀬戸内交通の要衝。グリーンスカイホテル竹原到着は午後9時少し前で、マドンナ熊切あさ美さんはほっとした表情を浮かべた。この日は9本のバスを乗り継いだ。

 

第二日(広島を抜け岡山へ)

午前6時35分に竹原駅を出発し、三原駅~登山口~尾道駅前~福山駅前と進み 、福山城を観光。

城から眺める備後灘の眺めは素晴らしく、垣間見たTVの一シーンに過ぎないが印象に残った。

広島県東端の福山市~岡山県笠岡~乗時までのバス移動は順調だったが、そこから先がつながらず、寄島総合支所前までの4㎞は歩くこととなった。

これを1時間強で切り抜け、あとは、新倉敷駅~倉敷芸術科学大学~倉敷駅~岡山駅前産直市場と来て、岡山駅東口の東横INNに入ったのは午後7時過ぎ。三人の旅行者には、さすがに疲労の色が滲んでいた。

 

第三日(津山経由で鳥取へ)

岡山駅で旅行案内所のオープンを待って、じっくり進路についての情報を得、10時発のバスで津山バスセンターに向かう。

11時34分に着いた津山で得た情報は、鳥取に入るバスの便は無いとのこと。

中国山地を超えるルートをいろいろ探し、”物見峠”の道 8 . 5 ㎞ を徒歩で越すことに決定。

津山バスセンター発 13 : 25 ~桑山着 14: :20 ここから歩き始めた。そして、2時間30分をかけて、因美線那岐駅前に到着。

那岐駅前 17 : 05 ~17 : 18  智頭駅前 17 : 18 ~ 18 : 15  鳥取 19 :30 ~ 20 : 30 岩井温泉

そして、三日目の宿”花屋旅館”にたどり着いたのだった。

 

第四日(湯村温泉・出石経由で天橋立”ゴール”へ)

最終日となった。9時49分発のバスで兵庫県新温泉町湯村温泉に出る。10時12分着。

次に進む山陰本線八鹿駅行きまで3時間の待ち時間。NHKドラマ”夢千代日記”で知られたこの温泉町で茹で卵を作るなどして過ごし、八鹿を経由して城下町で知られた”出石”(いずし)に。さらに、中藤というに進み、ここで行き詰った。

岩屋上というまで歩けばそこから与謝海病院へのバスがあり、さらに天橋立ケーブル下へ繋がることを突き止めた。

問題は、最終バスに間に合うかだ。

それで、最終の丹後山地5㌔の歩きに入った。マドンナの熊切あさ美さんはもとより、69歳蛭子さんもぐったり。リーダー太川さんの励ましにより、命からがらという体で歩き通し、バスも最終に間に合い、めでたくゴール。時刻は午後7時40分。

三人が肩を抱き合って小躍りしたのもうなづける。30本のバスを乗り継ぎ、20.5㎞歩いた旅だった。

 

 


路線バスの旅 23弾 宮崎・青島~長崎・グラバー邸

2020-05-07 10:05:54 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

BSテレ東 5 月 4 日(月)17 :58 ~ 20 : 00 の放送を見た。

いつもの太川・蛭子さんに、マドンナ”はいだしょうこ”さんです。普段はほとんど歩かないそうです。

 

          第一日

宮崎市~高鍋町~都農町~日向市~延岡市~高千穂町と、宮崎県の海岸線を日豊本線に沿って北上し、西に向かい九州山地の山中、天孫降臨の高千穂に向かった。(チェックポイントの一つだから)

7 : 58 に青島を出発し高千穂バスセンターに到着したのはすでに夜の 9 時を過ぎていた。それから宿を探しビジネスホテル”かなや”が取れた。

この日 9km を歩いた、道端の果物を売る農家風の店で一行が食べた完熟マンゴーが、いかにもおいしそうだった。その都農町(つのちょう)を調べた。「ふるさと納税約 80 億円で全国トップクラス、面積 102.11㎢ 人口 10,024人 人口密度 98,2人」の町だった。

 

          第二日

高千穂の観光一番人気”真名井の滝”のボートは朝 7 : 30 から営業で、それに乗るためには7時に行っても予約の行列ができているほどの盛況ぶりらしい。何時ごろ出かけたか分からないが、とにかく早朝見学をして、17m の滝に感動し、次なる目標、阿蘇に向かった。

阿蘇には 12 時過ぎに到着し、草千里で雄大な阿蘇山を眺め、ややおいぼれの馬に乗り、観光気分を味わった。やまなみハイウエイを通って別府温泉に着いたのは6時過ぎ、夕闇が迫っていた。

宿泊のホテル”山水荘”混浴露天風呂に仲良く3ショット。第二のチェックポイントをゲットした。

 

          第三日

鉄輪(かんなわ)の山水荘を 7 : 30 に出発、再びやまなみ街道を阿蘇へ。

有名な黒川温泉バス停では大勢の観光客が乗り込み、補助席も使い切る超満員ぶり。南小国町役場前できわどく乗り換えに成功し、杖立~日田~杷木(はき)~浮羽(うきは)~久留米~佐賀 と乗り継いだ。7時過ぎに佐賀駅前のワシントンホテルに入った。

 

映像は勿論ないが、この夜 21 時 26 分、熊本県益城町を震源とする震度6強の地震に襲われる。

 

          第四日

熊本地震の余震頻発のなか、一行は佐賀から長崎に向かいます。画面には地震の気配は一切みられません。何事もなかったように行動しています。佐賀バスセンター~鹿島バスセンター~県界~阿弥陀崎~諫早~中央橋 と進み、グラバー園入り口に 13 : 45 に着きました。

成功です。720kmを、3泊4日、21台の路線バスを乗り継いでの旅でした。

この成功は、高鍋町バス案内所スタッフの熱心なルート検索から始まり、各案内所の助言あればこそと思います。

 

さて、この旅のロケは4月15日無事終わるわけですが、16日未明には阿蘇を震度6強の地震が襲います。あれから4年たった今も阿蘇は完全に立ち直ったとはいえません。熊本地震も含めてこのときの災害は被災者も多く甚大な被害を与えました。従って、この番組の放送は、やっと6月25日(土)被災地への励ましのテロップ入りで放送されたそうです。