雨曇子日記

エイティライフの数々です

ある忠魂碑

2020-08-15 15:45:33 | つれづれ

 

8 月 15 日 今日も暑い。

柏市名戸ヶ谷香取神社に来た。

 

 

社殿や鳥居は平成の大修理で新しくなっているが、樹木や石碑などから古い歴史がうかがえる。

 

            (鳥居下にある道祖神の祠)

               (欅の大木)

         (正徳五乙未の如意輪観音像)1715年

            (ずらりと並ぶ天保の百庚申)

 

私が、今日特に丁寧に見たのは、昭和 55 年造立の忠魂碑だ。

 

 

当時 96 戸だった村から 108 名の若者が戦地に送り込まれたことがわかる。

戦死された方の名前、年齢、期日、場所、などが詳しく記されている。

お名前の中に「小見山」の文字があった。

もしかしたら、名戸ヶ谷出身の元プロ野球選手で現早稲田大学野球部監督の小宮山悟氏のご親族かも知れない。

 

 

 

 

 


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2 コメント

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むらに残る戦争の歴史 (谷氏)
2020-08-16 11:33:24
☂☁子さま、お暑ううございます。
ブログが書けない谷氏ですが、
せめて☂☁子さんのブログに接して刺激を受けています。
それにしても心身ともにタフですね。
☂☁子さんが柏に定住されてから何年経つのか知りません。
当然、戦中から少年時代は故郷の愛知県刈谷に在中された。
小生の田舎にも忠君愛国碑があり、古くは日露戦争、203高地での犠牲になられた村人の名が刻んであったりしますが、
太平洋戦争での「忠魂碑」が建ったとか、の話は聞いていません。
しかし、名戸ヶ谷村では「昭和 55 年造立の忠魂碑」の碑があるということは凄いことです。
そして☂☁子さんが、生れ故郷でない、土地に居ついてその村の戦死者に思いをはせて祷る。
敗戦75年の8月15日、とても意義のある祈念日を読まさせていただきました。
なんか訳が分からくなったので中止します。

名戸ヶ谷村の香取神社に来た
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to mr.Tani (☂☁子)
2020-08-17 08:25:28
忠魂碑のブログ、”意義ある祈念日”と読んでいただき、うれしく思いました。
わたしは、千葉県北西部東葛地区に半世紀以上住み、この地が、終の棲家です。故郷は愛知県豊田市ですが、単に、”幼少期そこに住んだ”地に過ぎません。
ところで、占領下にあっては、戦争の犠牲者を悼む記念碑すら建てられなかったのですから、早く独立すべきでしたね。(サンフランシスコ講和反対)などとは言うべきではなかった。
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