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新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「イエスの教えが福音だった」

2015年07月02日 | 聖書のお話

「イエスの教えが福音だった」 使徒言行録 5章12~16節

 当時、宗教といえば、奇跡や不思議は業がつきものであったと思われます。手品のように超自然的な現象を起こしたり、手っ取り早く御利益につながるような奇跡や不思議な業は、きっと歓迎されていたことではないかと思います。人々の移動が盛んになり、異なる文化や宗教に触れる機会も多くなるにつれ、そんな奇跡にお目にかかる機会も増えていたのではないでしょうか。

 使徒たちもまた、「しるしや不思議な業」を行っていたことが伝えられています。それを見た人たちは、他の宗教と同じような受け止め方で、使徒たちの「しるしや不思議な業」を見てしまうものではないでしょうか。けれども、使徒たちが行ったことは、まじない師や占い師が行うようなそれではなく、体の不自由な人、病の人を癒やすという働きでした。そのことを理解し、使徒たちの働きを受け入れた、民衆と呼ばれていた人たちがいたと伝えられています。

 また、まだ使徒たちのことは詳しく分からないけれども、病気を癒やしてくれるという噂を聞いて、素朴にそのことを受け入れて、周辺の町々から使徒たちを訪ねてやって来た、群衆と呼ばれていた人たちがいたと伝えられています。使徒たちの働きは、実は使徒たちの働きではなくて、イエスさまがなされた福音宣教の働きであったということではないでしょうか。

 使徒たちは、多神教の社会にありがちな奇跡とか、まじない師や占い師がしているような不思議な業などではなく、イエスさまから「体の不自由な人や病気の人を癒やし、その人たちに神の国を告げ、互いに愛し合いなさい」と教えられていた〝福音〟を宣べ伝えていました。それが、使徒たちの手による「しるしや不思議な業」だったのではないでしょうか。

 


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