融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

戦争の帰結は原爆投下

2015年07月27日 | 日記

 首相や政治家といった人たちは、戦争に対する想像力というものがあるのでしょうか。従軍慰安婦の問題については、中曽根さんが想像力を持っていると思います。概して勇ましいことを言っている人たちは、ベトナムで何が起こっていたか、沖縄で何が起こっていたか、シリアで何が起こっていたか、知っているどころか想像もできないのではないでしょうか。これは、勇ましことを言っている人たちに限らず、多くの人は、自分が見聞きしていないことについて、想像することが難しいからではないかと思います。

 入ってくるニュースは、勇ましいことばかり。嘘の情報を、あたかも事実のように伝えられ、そのまま受け止めて一喜一憂したのが、戦前・戦中の出来事ではなかったでしょうか。その帰結が、あの広島・長崎への原爆投下だったと思います。原爆を投下した人たちについても、どういった被害があったのかについて想像することが難しかったのではないかと思います。自分たちから近いところではなく、遠いところの話だったからではないでしょうか。

 ですから、簡単に、戦争を了とする考えを持とうとすることに、注意しないといけません。戦争が、どれだけ人の死を招き、苦しみや悲しみが長期に継続するものかということが、本当の意味で想像できないからです。何か、戦争始めたら、いいように戦況が進むと考えたり、不利になったら我慢したら良いとか、簡単に受け止めていないでしょうか。あの、広島・長崎への原爆投下を、前もって想像できたというのでしょうか。

 戦争の帰結は、原爆投下です。まず、戦争をしようという考えを持つのではなく、戦争をしないで済むように知恵を絞ることが求められています。簡単に、自分の子や孫を兵士として戦場に送るような決断をして良いのですか? 夢から覚めてますか?

 

 


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イエスさまの愛がクリスチャンのお手本

2015年07月27日 | 日記

 今日は、曇り空で強い日差しがなく、何となく過ごしやすいような気がします。午後からは、雨も降るという予報です。明日は、但馬地区合同CSキャンプがありますが、さてお天気はどうでしょうか。子どもたちにとって、夏休みの楽しい思い出になるようにと願っています。

 夏休みを過ごす子どもたちを見ていると、命が輝いているように見えて感動させられます。身体も成長し、考え方も大人になっていくだろう子どもたちを見ていると、歳を取って、体もあちこち痛くなっている自分と比べて、羨ましく思います。この子どもたちが、自分たちの未来を信じ、希望をもって生きることができるようにすることが、歳を取って老い先短くなった私の責任ではないかと感じています。

 今、多くの歳を取っている人が、戦争を了とする考え方を持っているのではないかと感じています。どんな理屈をつけても、その人たちの老い先はたかがしれています。一方で、未来を生きようとしている子どもたちの人生は、長く、可能性に満ちています。歳を取っている人が、戦争を了とする考えを持つということは、子どもたちの未来のことなど考えもせず、その命を奪ってしまうことを何とも思わないということです。

 歳を取ってしまい、感性が鈍くなり、思考が停滞することもあるだろうと思います。いくら威勢が良いことを言ったとしても、自分のことしか考えてないとしたら、その考えは品性下劣と言わざるを得ません。なぜなら、子や孫たちに「戦争に行け」と言い、「死んでこい」と言っているのだからです。自分は高い所にいて、子や孫の命を生け贄にして、自分の欲求を押し通し、人によっては利権を貪ろうとしたり、そんなことは悪魔の所行としか言いようがありません。

 イエスさまを信じ、その愛の教えを守っているキリスト者と呼ばれている人たちは、悪魔を信奉しているわけではないと思います。にも関わらず、世界のクリスチャンと呼ばれてる人たちや政治家も、戦争を了とする考え方を持っているというのはどういうことでしょうか。クリスチャンの皮を被った悪魔なのでしょうか。悪魔の所行ではなく、平和を創り出すために苦悩したり、お手本を示すといったことができないのでしょうか。それぞれが、自らの「品性愚劣度」を計ってみてはどうかと思います。

 集団的自衛権などと言って、戦争をしかけるのではなく、相手が責めてきたら、個別的自衛権で対応できるじゃないですか。何で、他国にまで戦争をふっかけなければならないのでしょうか。いくら「したり顔」になって話をしたとしても、結局子や孫の命を差し出し、外国に出かけて行って人を殺し、女性をレイプして殺すことを了としているのです。それを、悪魔に仕えていると言っているのです。

 イエスさまって、本当に凄い人だったと思います。なぜなら、自分を殺そうとしているどうしようもない人のために祈り、その人の罪を赦そうとしたからです。それが、クリスチャンのお手本ではないかと思わされます。

 


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