「愛、それは赦しだった」 使徒言行録 7章54~8章1節
ステファノは、ヘレニストらによって議会に引き出され、彼らに唆された偽証人が裁判で証言しました。そのとき、ステファノは、神さまについて立派な説教をしました。そのため、石を投げつけられて殺され、最初の殉教者となりました。なぜ石を投げつけられて殺されたのかというと、それはステファノが神さまに対する冒涜罪としての石打ちの刑だったからです。けれども、唆しがあったり、偽証人による証言がなされたりと、この裁判は明らかに人間の思いによって行われたものであり、権力闘争であり、純粋に神さまへの思いでないことは明らかです。そう考えると、神さまを冒涜しているのは、むしろ神さまの名前を持ち出して、ステファノに石を投げつけている側の人たちです。それは、もはや信仰でも何でもありません。二元論的、原理主義的なものの考え方の行き着くところは、自分を「善」として、相手を「悪」とする、そして「悪」を神さまの名前を持ち出して殺すというものなのでしょうか。
それに対してステファノは、どうすれば、自分を殺そうとする者であっても救うことができるのか、そう考えていたのではないでしょうか。「善」とか「悪」を判断するのではなく、どうすれば「救う」ことができるのか、イエスさまの愛の教えに生きる者は、そのような弁証法的、自由主義的な考え方を持っていたのではないでしょうか。ステファノは、死に際して、「主イエスよ、私の霊をお受けください。」と言いました。命(霊)というものを大切にしていたことが伝わって来ます。また、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と大声で叫びました。ステファノは、イエスさまが十字架の上で叫ばれた言葉と同じ言葉を用いて、赦すことを通してイエスさまの愛を証明しました。