12月3日に雨が降り、4日、5日とも快晴。富士川町から雪を被った富士山がくっきりと見えました。
富士川町より(12月4日8:39)
富士川沿いの道の駅から見た富士山です。この辺の子供たちは、富士山の絵を描くと、右端に必ず出っ張り(宝永山)を描くのだそうです。
富士川町より(12月5日8:37)
宝永山辺りは前日に比べて新たに雪に覆われています。富士山腹の上の方は、前日の雪が飛ばされています。宝永山辺りに飛んだ雪が積もったのかもしれません。1日で様子が随分変わっているのに気づかされます。
<宝永山の爆裂火口>
宝永年間の1707年12月16日に富士山の中腹をえぐり取るように噴火してできたのが宝永火口です。その火山灰は、上空の偏西風に乗って西に流れ、小田原、藤沢、横浜、相模原辺りは15cmもの灰が降り積もったことが分かっています。
三島通過後の富士山(12月5日)
三島付近では、その爆裂火口がほぼ正面を向いています。
新幹線新富士手前より 12月5日
冨士市に入ると、宝永火口が右端に寄り、宝永山の出っ張りが見えるようになります。
富士山は活火山。その後300年、富士山は不気味な沈黙を保っています。11月26日、朝日新聞に「活火山『富士』はいま 沈黙の300年」という記事が掲載されました。
富士川町より(12月4日8:39)
富士川沿いの道の駅から見た富士山です。この辺の子供たちは、富士山の絵を描くと、右端に必ず出っ張り(宝永山)を描くのだそうです。
富士川町より(12月5日8:37)
宝永山辺りは前日に比べて新たに雪に覆われています。富士山腹の上の方は、前日の雪が飛ばされています。宝永山辺りに飛んだ雪が積もったのかもしれません。1日で様子が随分変わっているのに気づかされます。
<宝永山の爆裂火口>
宝永年間の1707年12月16日に富士山の中腹をえぐり取るように噴火してできたのが宝永火口です。その火山灰は、上空の偏西風に乗って西に流れ、小田原、藤沢、横浜、相模原辺りは15cmもの灰が降り積もったことが分かっています。
三島通過後の富士山(12月5日)
三島付近では、その爆裂火口がほぼ正面を向いています。
新幹線新富士手前より 12月5日
冨士市に入ると、宝永火口が右端に寄り、宝永山の出っ張りが見えるようになります。
富士山は活火山。その後300年、富士山は不気味な沈黙を保っています。11月26日、朝日新聞に「活火山『富士』はいま 沈黙の300年」という記事が掲載されました。