ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
運がいいのか、悪いのか・後編
15:00にシーホークを出た私は篠栗に戻りVITAに乗って空港近くの
ヤナセの営業所に向った。
せっかくのシーホークだったがドアミラーを当て逃げで壊された
という事で気分が悪くせっかくの料理が美味しく感じない。
また終了後にすぐ車を運転するためアルコールも乾杯のビール1杯のみ、
(今ならそれでもマズイけど97年当時の話ですから)とてもじゃないが
味気ない。
営業所到着が16;30前で17:00には修理が終るとの事、30分の待ち時間
本来なら持参した本でも読むところだが予定外なので本も持ってきておらず
待っていたショールームに備え付けの本を読む。
「ドイツ車の歴史」という本で「ドイツ車は第2次大戦中にヨーロッパ大陸を
制圧するために作ったアウトバーンを高速で走って事故を起しても大丈夫な
ように頑丈に、なおかつ燃費も良くする必要があった」などと書かれていた。
17;00に修理完了、料金4,500強を払って営業所を出るが運悪く渋滞中。
篠栗の先輩の所にもう1度寄って帰ろうと思っていたら交差点を右折した先に
ラーメン屋が見えた。シーホークでいつもより食べてない事に気付いた私は
腹が減ってきたし先輩も2次会に必ず行くので19:00前後でなければ帰らないと
判断、篠栗に行くにしろ篠栗経由で真っ直ぐ帰宅するにしろ直進だが件の
ラーメン屋に行くつもりで右折レーンに入った。
17:12右折レーンの私の前に運送屋のトラックがいて歩行者信号が点滅を
始めたタイミングで右折して行った、私はそれに合わせ停止線で止まり対向
車線を見るといなかったのでブレーキから足を離した瞬間ドカ~ンともの凄い
衝撃がVITAを襲い一瞬頭がポーッとし気が付くと車はグチャグチャでガラスは
割れ左腕から出血しエアバッグも開いているではないか!
時計は17:13で止まっていた。
見ると1tトラックが前タイヤのやや後に衝突したらしい、VITAは180度回転
していたようで衝突したトラックもフロントガラスが落ちていた。
そこへ親切なオジさんが来て「大丈夫か?2次災害になるから早く出なさい」
と言われて脱出、見るとかなりグチャグチャだ。
とりあえず公衆電話から保険会社の事故報告と営業所の友人に電話をかけ
JAFのレッカーで運んでもらうと報告する。その後救急車でトラックの運転手と
共に外科に行きレントゲン検査などを受けたが2人とも骨などには一切異常なし。
トラック運転手は「50㌔ほどで運転していた」と迎えに来た会社の人に言って
いたがとてもじゃないが50㌔には感じなかった、恐らく渋滞中で歩行者信号が
点滅を始めたのでついつい焦ってアクセルに力が入ったに違いない。
ただこの運転手、人のよさそうな感じでお互いに罪のなすり合いはしないで
済んだ。
それからタクシーでヤナセの営業所まで行ったが車を降りて走って入ると友人が
驚いて「お前、生きとったや!」と叫んだ、友人に言わせると運ばれてきたVITAの
惨状を見て「入院かよくて足の骨折やな」と思っていたらしい。それが走って
入って来たので度肝を抜かれたようなのだ。
人間とは勝手なもので大した怪我もないのが分かると気になるのが車のローン、
「当然廃車」と友人に言われて5年ローンで買ったもののまだ1年しか経ってない
ので「残り4年間スクラップの車にローンを払うのか」
と
思うと気が滅入る自分がいた。
ところが友人が一言、「良かったのぉお前、車両保険に入っとうしまだ1年
経っとらんけん全額保障されるぞ」つまりローンは自らの車両保険の保証金で
払いきれるらしい。
で、「次の車はどうするや?よその会社の車でもよかけど。ただ10月過ぎると
どこの会社の車でも高くなるぞ」と友人は言う。翌日は祭日で次の週は用事が
あって車を買いに行くのは無理、ならば今日ここで友人から契約するしかない。
結局友人から再び左ハンドルのVITAを買うことになった、ただし色は青だ。
それから数日後警察に出頭し事情聴取を受けたがトラックの運転手も人身扱い
しないという事で合意に達し私の保険の契約金の金額が上がっただけで済んだ。
もし日本車だったら例え右ハンドルでも恐らくこんなほぼ無傷では
済まなかっただろう、ドイツ車さまさまである。
実際友人は「私を事故者の隣に立たせて撮影しVITAの安全アピールにしたら
どうか」などと同僚と半ば真顔で話していた。
考えてみるとお彼岸という事で宇美町に墓参りに行かなければ例のオバサン
軽と接触事故で当て逃げされずに済んだしこの大事故にも遭わずに済んだのでは
と思わないでもない。
しかし墓参りをしていたからこそこれ位で済んだのだ、大難が小難で済んだのだ
と思っている。
10月の第1週に青VITAを取りに行ってそれから宗像大社にお払いに行った。
それ以来、青VITAには04年3月までしっかり世話になり女房と知り合った時に
乗っていたのも青VITAだったから私にとって幸運を運んでくれた車になった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
ヤナセの営業所に向った。
せっかくのシーホークだったがドアミラーを当て逃げで壊された
という事で気分が悪くせっかくの料理が美味しく感じない。
また終了後にすぐ車を運転するためアルコールも乾杯のビール1杯のみ、
(今ならそれでもマズイけど97年当時の話ですから)とてもじゃないが
味気ない。
営業所到着が16;30前で17:00には修理が終るとの事、30分の待ち時間
本来なら持参した本でも読むところだが予定外なので本も持ってきておらず
待っていたショールームに備え付けの本を読む。
「ドイツ車の歴史」という本で「ドイツ車は第2次大戦中にヨーロッパ大陸を
制圧するために作ったアウトバーンを高速で走って事故を起しても大丈夫な
ように頑丈に、なおかつ燃費も良くする必要があった」などと書かれていた。
17;00に修理完了、料金4,500強を払って営業所を出るが運悪く渋滞中。
篠栗の先輩の所にもう1度寄って帰ろうと思っていたら交差点を右折した先に
ラーメン屋が見えた。シーホークでいつもより食べてない事に気付いた私は
腹が減ってきたし先輩も2次会に必ず行くので19:00前後でなければ帰らないと
判断、篠栗に行くにしろ篠栗経由で真っ直ぐ帰宅するにしろ直進だが件の
ラーメン屋に行くつもりで右折レーンに入った。
17:12右折レーンの私の前に運送屋のトラックがいて歩行者信号が点滅を
始めたタイミングで右折して行った、私はそれに合わせ停止線で止まり対向
車線を見るといなかったのでブレーキから足を離した瞬間ドカ~ンともの凄い
衝撃がVITAを襲い一瞬頭がポーッとし気が付くと車はグチャグチャでガラスは
割れ左腕から出血しエアバッグも開いているではないか!
時計は17:13で止まっていた。
見ると1tトラックが前タイヤのやや後に衝突したらしい、VITAは180度回転
していたようで衝突したトラックもフロントガラスが落ちていた。
そこへ親切なオジさんが来て「大丈夫か?2次災害になるから早く出なさい」
と言われて脱出、見るとかなりグチャグチャだ。
とりあえず公衆電話から保険会社の事故報告と営業所の友人に電話をかけ
JAFのレッカーで運んでもらうと報告する。その後救急車でトラックの運転手と
共に外科に行きレントゲン検査などを受けたが2人とも骨などには一切異常なし。
トラック運転手は「50㌔ほどで運転していた」と迎えに来た会社の人に言って
いたがとてもじゃないが50㌔には感じなかった、恐らく渋滞中で歩行者信号が
点滅を始めたのでついつい焦ってアクセルに力が入ったに違いない。
ただこの運転手、人のよさそうな感じでお互いに罪のなすり合いはしないで
済んだ。
それからタクシーでヤナセの営業所まで行ったが車を降りて走って入ると友人が
驚いて「お前、生きとったや!」と叫んだ、友人に言わせると運ばれてきたVITAの
惨状を見て「入院かよくて足の骨折やな」と思っていたらしい。それが走って
入って来たので度肝を抜かれたようなのだ。
人間とは勝手なもので大した怪我もないのが分かると気になるのが車のローン、
「当然廃車」と友人に言われて5年ローンで買ったもののまだ1年しか経ってない
ので「残り4年間スクラップの車にローンを払うのか」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
思うと気が滅入る自分がいた。
ところが友人が一言、「良かったのぉお前、車両保険に入っとうしまだ1年
経っとらんけん全額保障されるぞ」つまりローンは自らの車両保険の保証金で
払いきれるらしい。
で、「次の車はどうするや?よその会社の車でもよかけど。ただ10月過ぎると
どこの会社の車でも高くなるぞ」と友人は言う。翌日は祭日で次の週は用事が
あって車を買いに行くのは無理、ならば今日ここで友人から契約するしかない。
結局友人から再び左ハンドルのVITAを買うことになった、ただし色は青だ。
それから数日後警察に出頭し事情聴取を受けたがトラックの運転手も人身扱い
しないという事で合意に達し私の保険の契約金の金額が上がっただけで済んだ。
もし日本車だったら例え右ハンドルでも恐らくこんなほぼ無傷では
済まなかっただろう、ドイツ車さまさまである。
実際友人は「私を事故者の隣に立たせて撮影しVITAの安全アピールにしたら
どうか」などと同僚と半ば真顔で話していた。
考えてみるとお彼岸という事で宇美町に墓参りに行かなければ例のオバサン
軽と接触事故で当て逃げされずに済んだしこの大事故にも遭わずに済んだのでは
と思わないでもない。
しかし墓参りをしていたからこそこれ位で済んだのだ、大難が小難で済んだのだ
と思っている。
10月の第1週に青VITAを取りに行ってそれから宗像大社にお払いに行った。
それ以来、青VITAには04年3月までしっかり世話になり女房と知り合った時に
乗っていたのも青VITAだったから私にとって幸運を運んでくれた車になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )
« 蛾超獣・ドラ... | 王、長嶋にい... » |
ご無事で何よりです。
父は、「この歳になると、何よりも頑丈さがいい」といって、ドイツ車に乗ってます。
ホントにここまで重なるかと思いましたよ、当時は。
まさしく大難が小難で済んだ例ですが1つでもずれたら
更に悪い方向に行った気がします。
>まみ様
いやはやホントに守護霊様に守っていただいたとしか
思えません。今考えても冷や汗がでますし左腕の傷は残ってますから戒めにしてますよ。
「ドイツ車は200㌔のスピードで事故を起しても大丈夫なようにできているし石油輸入国なので燃費にも気を使っている」とドイツ車の歴史に書いてましたが、まさか1時間もしないうちに身をもって体験するとは思ってませんでした。ドイツ車はいいですよ。
そんな事あったんですか!?しかし本当に良かったですね…。車選びって・・・やはり重要なんですね。車買う時期が来たらドイツ車を買おうかと真剣に考え始めました。ドイツ車ってイイんですね~。しかしお金がなかったら困りますね(笑)
ボチボチ寒くなった来ますね、娘さんお元気ですか?
運が良かったとしか言いようがありません。
ただドイツ車はいいけどメンテナンス料金が高いです、
車検でも20万近くしましたので。
ヤナセの友人に言わせると「ベンツだったら相手の
トラックの運転手は死んでいた」そうですVITAでよかった
酒屋の息子のT内です(^^)
車検で20万も!?車検目当てにお金貯めておかないといけませんね…(笑)
申し訳ない、ついついイニシャルで苗字を後に考えたので・・・最近娘さんが生まれたばかりの友人が苗字後で
TKだったのです。その友人は北海道なので・・・
苗字が前だったら心当たりになりましたけどね(笑)
訪問ありがとうございました、これからも宜しくお願いします。