薬師寺保栄vs辰吉丈一郎戦から30年経ち

 今から30年前の今日94年12月4日に名古屋市総合体育館レイン
ボーホールで行われたWBCバンタム級統一戦で正規王者の薬師寺
保栄が、暫定王者の辰吉丈一郎に2-0の判定勝ちでWBCバンタム
級タイトルを統一した日である。

 当時網膜剥離に罹患したボクサーは日本では試合ができなかっ
たのを辰吉は‘負けたら引退’という条件の下、正規王者・薬師寺に
挑んだ一戦は試合前から特に辰吉が薬師寺を挑発するなど大いに
盛り上がり試合自体も白熱した好試合となった。

 そんな中で薬師寺は冷静に左ジャブから右ストレートを次々に
ヒットさせてポイントを稼ぎ、2-0の判定でタイトルを統一した
のだが個人的に少し残念なところがあった。

 というのも辰吉が生命線である左を試合前から疲労骨折しハンデ
キャップマッチになってしまった事で本人は一切弁解しなかったが、
やはり試合中から得意の多彩な左が全く見られず右手一本で戦って
いたわけで両者ベストコンディションで戦わせてやりたかった感が
拭えない。

 それを差し引いても薬師寺の左ジャブから右ストレートを軸とし
たボクシングは素晴らしく完全に一皮むけた出来だったので、これ
から辰吉に代わって日本のボクシングをリードしてくれる存在にな
ると思ったのだった。

 ところが95年4月に行われたクワテモク・ゴメス戦との4度目の防
衛戦では勝ったものの辰吉戦とは別人のような試合ぶりで、続く7月
に行われたウエイン・マッカラーとの指名試合で1-2の判定で敗れ
王座を陥落し これがラストファイトになってしまう。

 一方敗れた辰吉は‘負けたら引退’という条件で試合したにも拘わら
ず引退を拒否し、一旦Sバンタムに上げてダニエル・サラゴサに2度
挑戦するも失敗した後3年後の97年11月にWBCバンタム級王者シリ
モンコン・ナコントンパークビューを7RにKOしてタイトルを奪還し
たのだから皮肉なものだった。

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