今から40年前の今日79年3月20日は、公立高校合格発表の日
だった。
1週間前に行われた入試ではそれなりにできた感が強かったので
自身はあった一方、先述したように私の受けた西田川は地域の中で
最も志願者が多く競争率が高かったので内申書の成績に痛恨の1が
あった事もあり予断を許さない状態だった。
合格発表は9:00からだったので8:40に近場の友人宅に行って
一緒に合格者の受験番号が貼り出される中庭に到着し、そのまま時
を待っていると突然‘キャー’という声がするので合格者の受験番
号を貼ったボードが所定の位置に取り付けられ始めたのだ。
私の受験番号は372で張り出されるのは後のほうだから最初から
ガン見する事はなかったのだが300番台になると、さすがにドキド
キがあった中で一緒に行った友人が‘オイ!オマエ合格’と取り付
けられるボードの角度で372を見つけてくれたわけだし友人も合格
していたので2人で安堵の握手を何度もしたのだった。
喜びが一旦収まり改めてボードを確認していたら何と372の前は
370で371だった友人が落ちている事を知り愕然としたものだった。
ちなみに371の友人は模擬テストの結果を見ると私と互角かいい
ぐらいだったし、内申書の点数は私に1があったのに対し彼は3が
殆どだったので‘まさか’という想いだったし‘一歩間違えれば’
と背筋に冷たいものが走ったのを覚えている。
その後10:00から中学に登校し担任の先生に合格の報告をして
喜びに包まれたのだが不合格組は午後からの登校だったので、合格
発表会場とは違い手放しで喜びに浸る事ができたし初めて中学の卒
業を実感したのだ。
夕方は通っていた塾で合格報告に行くと嬉しい事に受講者は全員
合格しており、塾側が用意してくれたショートケーキを食べながら
の慰労会になったし翌日からは親戚筋などからもお祝いが来るなど
祝賀ムード一色で仲のいい友人宅に集まって合格祝いをも3・4回は
行われたわけで正しく人生を賭けた大勝負に勝ったのを実感した。
ただし公立校合格という人生最大の関門を潜り抜けた達成感に浸
り、それまで自粛していたTVも堂々と見る事ができるようになり
勉強をするという要素が完全に抜け落ちた日々を2ヶ月近く過ごす
事になるのである。