宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「グル・リンポチェの灌頂を受ける」

2018年08月08日 | Weblog





(師善逝総集身)

「無上三宝之自性(むじょうさんぽうしじしょう)
我与六道有情衆(がよりくどううじょうしゅ)
直至菩提永帰依(じきしぼだいえいきえ)。」


(発菩提心)

「発心利益諸有情(ほっしんりやくしょうじょう)
上師正覚成弁已(じょうししょがくじょうべんい)
凡諸調伏之事業(ぼんしょちょうぶくしじごう)
誓願救渡諸群生(せいがんきゅうどしょぐんせい)。」


(七支供養)

「上師本尊空行至(じょうしほんぞんくうぎょうし)
日月蓮華座上坐(じつがつれんげざじょうざ)
身口意悉恭敬礼(しんくいしつきょうけいらい)
謹献内外秘密供(きんけんないがいひみつく)
発露懺悔罪業障(ほつろざんげざいごうしょう)
随喜成就秘密乗(ずいきじょうじゅひみつじょう)
軽転解脱密(けいてんげだつみつ)
請勿涅槃恒住世(ちんぶつねはんこうじゅうせ)
精蔵回向利衆生(せいぞうえこうりやくしょう)
願証眞実金剛義(がんしょうしんじつこんごうぎ)。」


グル・リンポチェの御姿を観じて誦す。

「面前虚空五光界(めんぜんこくうごこうかい)
獅座蓮華日月上(しざれんげじつがつじょう)
三身聖者集合体(さんしんしょうしゃしゅうごうたい)
根本上師蓮華生(こんぽんじょうしれんげしょう)
紅百光華寂忿姿(こうひゃくこうげふんぬし)
蓮帽法衣呪士服(れんごうほうえじゅしふく)
錦鍛斗篷紫威光(きんたんとほうしいこう)
右執五股金剛杵(うしつごここんごうしょ)
左托奔達長寿瓶(さらくほんたつちょうじゅへい)
左肩斜靠倚天杖(さけんしゃこくきてんじょう)
双足金剛跏趺坐(そうそくこんごうかふざ)
身語意之壇城中(しんごいしだんじょうちゅう)
広袤三根本護法(こうぼうさんこんぽんごほう)
集散威光閃耀爍(しゅうさんいこうせんようしゃく)
現前猶如親安住(げんぜんゆうにょしんあんじゅう)。」


何遍も誦す。

「オン・アー・ウン
ベンザ・グル・ペマ・シッディ・ウン。」



(上から「オン字」「アー字」「ウン字」)

グル・リンポチェの上丹田に 白色の「オン字」があり
喉元に 赤色の「アー字」があり
胸の中央に 青色の「ウン字」がある様子を観じ
その3つの文字から 自己に光が降り注がれ
身口意の灌頂となるのを観じつつ誦し

最後に グル・リンポチェが自己と融合する様子を観じる。




「上師三処三種字(じょうしさんしょさんしゅじ)
依次倶時放光芒(えじぐじほうこうぼう)
融入自身三処中(ゆうにゅうじしんさんしょちゅう)
得四灌頂浄四垢(とくしかんじょうじょうしく)
融入自身無分別(ゆうにゅうじしんむふんべつ)
超思法身本面目(ちょうしほうしんほんめんもく)。」


(回向)

「以我所修諸善業(にがしょしゅしょぜんごう)
速証ウゲン上師位(そくしょううげんじょうしい)
一切衆生而無余(いっさいしゅじょうにむよ)
咸令登臻其刹土(かんりょうとうしんごせつど)

此福已得一切智(しふくいとくいっさいち)
摧伏一切過患敵(さいぶくいっさいかかんてき)
生老病死猶波涛(しょうろうびょうしゆうはとう)
願度苦海諸有情(がんどくかいしょうじょう)。」

「本伝上師加持入心間(ほんでんじょうしかじにゅうしんかん)
本尊摂受獲得衆悉地(ほんぞんしょうじゅかくとくしゅしっち)
空行護法如影相伴随(くうぎょうごほうにょえいそうはんずい)
所欲任運成就願吉祥(しょよくにぬんじょうじゅがんきっしょう)。」


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四つのお願い

2018年08月08日 | Weblog




♪四つのお願い
https://www.youtube.com/watch?v=wMsdGFEJ5qA

♪愛が生まれた日
https://www.youtube.com/watch?v=QZzmw1R-Jm4

♪響きはtutu
https://www.youtube.com/watch?v=ikjauVV-YWM

♪L’AMANT
https://www.youtube.com/watch?v=tQFgSGog8h0

♪ルージュ
https://www.youtube.com/watch?v=-y0XadYQLy0

♪愛なき世界
https://www.youtube.com/watch?v=ZO6QHNieT7A



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「不思議な体験」

2018年08月08日 | Weblog






以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。

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自分は昔から好きな神社があって、そこの桜や銀杏を見にバイクで行ってた。
ある日その神社の近くで、中古住宅のオープンハウスやってたんだ。

今でも、その時どうして家なんか見ようと思ったのか分からないけど、
何故か家に入りたいと強く思ったんだ。

家なんか見学するのは初めてだし緊張したけど、中には爺さんがいて、
「この家は売れてるんやけど、まあ見てやってください」と言ってくれたので、安心して見せてもらった。

建物は古めだけど立派な邸宅って感じで庭も広い。
庭には大き目の桜が植えてあって良いなあと思い、桜を褒めると、
爺さんは「今度住む人には、桜を切って引き渡さなきゃアカンのや」と寂しそうに呟き、
何かをじっと考え込んでしまった。
帰り際、爺さんが俺の連絡先を知りたいというので教えて帰った。


数週間後、その爺さんから電話が掛かってきて、俺に住んで欲しいという。
しかも売値が相場より信じられないほど安い…
だが当時の俺の社会人ランクでは、まだまだ到底及ばない代物だったのに、
何故かトントン拍子で話が進み、偶然と不思議が絡み合い、俺は家を手に入れた。
爺さんは家の売主だったんだ。
爺さんはこんな事を言った。
「家と桜が、あんたに住んで欲しいって言うんですわ。こうするしか無いんですわ」

当初、自分には不釣合いな家だと思ってたけど、
あれから5年が経ち、自分でもビックリするぐらい昇進し、会社も大きくなり、それなりになって来た。
あとで知ったが、家の桜は例の神社から分けてもらった物だったらしい。
また今年も桜が綻んで来た。
神社の桜と家の桜が、俺と家を結びつけてくれた思っている。
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「バガヴァッド・ギーターの読誦によって 功徳を受ける」

2018年08月08日 | Weblog



バガヴァッド・ギーターを読誦する事によって

和平的精神、正しい導き
多くの困難な問題に対する解決
無知を払い 内なる強さ
輪廻転生からの解脱を得させ
悲苦を免れ ヴィシュヌの位に達し
神性への到達を容易にさせるなどの功徳が得られるとされ

毎日一つの章を読誦するならば
その人はルドラ星に至る事が得られ
二つの章を読誦する事で 月に至る事ができ

毎日読誦する事で
その人は馬を捧げる犠牲を捧げたのと等しい功徳が得られ
罪が除かれ 徳が増長するとされます。


以下 バガヴァッド・ギーターの第六章の一部であり


第六章を読誦する事で 万事吉祥が得られるとされます。



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http://maharishi.web.fc2.com/gita06e.htm


第六章


「聖なる主は言われた。

行為の成果を当てにせず、為されるべき行為を行う人、
そのような人がサンニャーシーであり、ヨーギーである。
火を持たず活動なき人は然にあらず。

人々がサンニャーサと呼ぶもの、それがヨーガであると知りなさい、
おおパーンドゥの子よ。
なぜなら、願望の誘因を放棄することなくヨーギーになる者は
一人もいないのだから。

ヨーガに昇ることを望む思索の人にとっては、行為が手段であると言われる。
ヨーガに昇った人にとっては、しかもそのような人にとってのみ、
静穏が手段であると言われる。

感覚器官の対象にも行為にも固執しないとき、願望の誘因をすべて放棄したとき、
その場合にのみ、人はヨーガに昇ったと言われる。

自己によって自己を高めるべきである。自己を堕落させるべきではない。
まことに、自分だけが自分の友であり、自分だけが自分の敵である。

自己のみによって自己を征服した人は、自分自身が自分の友である。
だが、自己を征服していない人の自己は、仇のように敵対する。

自己を征服した人、平安の内深くにある人、
そのような人の場合、超越的な自己は、熱さ冷たさにも、
快楽苦痛にも、毀誉褒貶にも、不動である。

知識と経験に満足し、動揺することがなく、
感覚器官の支配者であるヨーギー、
土塊であれ、石であれ、黄金であれ、
何を経験しても平衡を保っているヨーギー、
そのようなヨーギーは合一していると言われる。


傑出しているのは、支援者や友や仇敵のなかにあっても、
中立的な人や公平な人のなかにあっても、悪意のある人のなかにあっても、
親族のなかにあっても、高徳な人のみならず罪深い人のなかにあっても、
一様で変わらぬ知性を保つ人である。


ヨーギーは、つねに自身を集束すべきである。
閑静な場所にとどまり、独りで、精神と体を鎮め、
何も期待せず、所有するもの無く。

清潔な場所に、しっかりと安定した座所を設けて、
その高さは高過ぎず低過ぎず、聖なる草と鹿皮と布を重ねて敷いて。

その座に座り、精神を一点に向かわせ、感覚器官と想念との活動を鎮めて、
自己浄化のためにヨーガを実修すべきである。


胴体と頭と首を直立不動の状態に保ち、ぐらつかずに安定して、
鼻先に視線を向けたのち、どの方向も見ることなく。


心身を平安の内深くに保ち、恐怖から解放されて、
純潔の誓いを固守し、精神を鎮め、想念を私に委譲し、
かくして合一して座すべきである。私を超越者であると覚知して。



「月灯三昧経の偈」



この偈を誦したり聞いたりする事で 
無数劫という 途方も無い宇宙的時間の長さの中で
悪趣に堕ちる事なく
天神の守護を受け 大菩薩となり
無数の如来を供養する 最大の利益が得られるとされます。


「諸法但説一(しょほうたんせついつ)  
所謂法無相(しょいほうむそう)
是智者所説(ぜちしゃしょせつ)
如実而了知(にょじつにりょうち)
若説如是法(にゃくせつにょぜほう)
菩薩了知者(ぼさつりょうちしゃ)
彼得無碍弁(ひとくむげべん)
説億修多羅(せつおくしゅたら)
導師所加護(どうししょかご)
顕示于実際(けんじうじっさい)
不分別假名(ふぶべつかみょう) 
曾無有所説(そうむうしょせつ)
以一知一切(にいっちいっさい)
以一切知一(にっさいちいつ)
雖有種種説(すいうしゅじゅせつ) 
而不起于慢(にふきうまん)
其心能了知(ごしんのうりょうち) 
一切法無名(いっさいほうむみょう)
随順学諸名(ずいじゅんがくしょみょう)  
而演説眞実(にえんぜつしんじつ)
諸所聞音声(しょしょもんおんしょう)
了知其声本(りょうちごしょうほん)
了知声本已(りょうちしょうほんい)
不為声所染(ふいしょうしょせん)
知音声本際(ちいんしょうほんさい)
諸法相亦然(しょほうそうやくねん)
若能解一法(にゃくのうげいっぽう) 
不復処胞胎(ふぶしょほうたい)
一切法無生(いっさいほうむしょう)
能了此無生(のうりょうしむしょう)
知生説生者(ちしょうせつしょうしゃ) 
則能知宿命(そくのうちしゅくみょう)
若得于宿命(にゃくとくうしゅくみょう) 
能知所作業(のうちしょさごう)
若常知作業(にゃくじょうちさごう)
得堅固眷属(とくけんごけんぞく)
若于是空法(にゃくうぜくうほう)
菩薩能解了(ぼさつのうげりょう)
復有不知者(ぶうふちしゃ) 
此非煩悩際(しひぼんのうさい)
于非煩悩際(うひぼんのうさい)
凡愚妄分別(ぼんぐもうふんべつ)
是故于億劫(ぜこうおくごう) 
数流転生死(すうるてんしょうじ)
不能知妄想(ふのうちもうそう)
猶如大導師(ゆうにょだいどうし)
彼不作悪業(ふふさあくごう) 
又不堕悪道(ゆうふだあくしゃ)
是諸凡夫等(ぜしょぼんぷとう) 
不能知此義(ふのうちしぎ)
便起誹謗心(べんきひぼうしん)
如是滅苦法(にょぜめつくほう)
諸法不可得(しょほうふかとく)
非無諸法想(ひむしょほうそう)
若能如是知(にゃくのうにょぜち)
彼想亦不見(ひそうやくふけん)
我知如是想(がちにょぜそう)
凡夫妄分別(ぼんぷもうふんべつ)
于離分別法(うりふんべつほう)
知者不迷惑(ちしゃふめいわく)
此為智者地(しいちしゃじ) 
非是愚境界(ぎぜぐきょうかい)
是菩薩所行(ぜぼさつしょぎょう)
謂空無分別(いくうむふんべつ)
此是菩薩地(しぜぼさつじ)
仏子之所行(ぶっしししょぎょう)
仏法妙庄厳(ぶっぷみょうしょうごん)
謂説寂滅空(いせつじゃくめつくう)
是諸菩薩等(ぜしょぼさつとう)  
断除諸有習(だんじょしょうしゅう)
不為色所壊(ふいしきしょかい)  
安住于仏性(あんじゅううぶっしょう)
一切法無住(いっさいほうむじゅう) 
以無住処故(にむじゅうしょこ)
若能如是知(にゃくのうにょぜち) 
得菩提不難(とくぼだいふなん)
修施戒聞忍(しゅせかいもんにん)
習近善知識(しゅうこんぜんちしき)
若能知是業(にゃくのうちぜごう) 
速証菩提道(そくしょうぼだいどう)。」



「毒や水火の災が除かれ 福寿増長が得られる」



誦す事で 
毒や水火の災が除かれるとされ

朝に 洗面などを済ませてから
仏前で108遍誦す事で 福寿増長が得られ
不善や障難が除かれてゆくとされる。

「ナム・ブッダヤ
ナム・ダルマヤ
ナム・ソウギャ
ナム・ビサフ・タタギャタヤ
アルハテ・サンミャク・サンブッダヤ
オン・カラ・カラ・カラ・カラ
クロ・クロ・クロ・クロ
クルサッタナン・クロウサルバカヘナン・スヴァーハー。」
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