宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

好きな文章 音楽編

2015年11月04日 | 
コラムニスト中野翠さんの文章で好きだったもの。
どこに載っていたのか探していたのだが、やっと発見。
『迷走熱』所収。
やっぱり初期の文章は楽しいなー(^^♪

■コラムタイトル「デジタルな私」

1986年ジョー・ジャクソンのコンサートに行ったときの話で、最初はおとなしく座って聴いていたが、内心踊りたくてウズウズ、しかしまだ立ち上がっている人はチラホラ、この段階じゃ悪目立ちしてしまう…と葛藤していたところ…

(引用)
…最新アルバム「大世界」の中でもノリやすい『ジェット・セット』の演奏が始まって、そのとたん、もう我を忘れて立って踊ってた。

 いつも、家で、このレコードをかけながら仕事をしていて、この曲がかかると、とたんに鉛筆をほうり投げて踊っているので、ほとんど条件反射のように立ちあがるアクションがインプットされていたのだった。
 曲が終わると、1秒後には何ごともなかったかのように別人の私が鉛筆を握り、机にしがみついている。
(引用終)

レコードとか鉛筆とかは時代を感じさせますが(鉛筆は今も使用しておられるらしいけど)、この仕事中のアクション、想像するとおかしくてたまらない。

「『分別』つうものが、一瞬にしてパカッとはずれ、一瞬にしてパカッと戻る。そのすばやさは、ほとんどデジタル」ということで、このタイトル。
「コンサートでも、終演の明かりがついたときには、すでに別人のようにすました私に戻っている。」
そうで。ハハハそのギャップがおかしい。

ほかにも今回あらたに共感(?)する文章を上記コラムの前ページにみつけた。

■コラムタイトル「不覚にも、ミーハー」

「友人に誘われて東京・渋谷のライブハウスに、アール・キングとジョニー・アダムスのコンサートを見に行く」

(引用 上のカッコ内の文章もそのまま引用してるってことなんですが)
 私は踊りたくて踊りたくて足の裏がムズムズしてきた。最後のほうで、もうガマンできず立ち上がって踊ってしまった。踊りつつススッと目立たない隅のほうに寄ってしまうところが、我ながらイマイチ小心ではあった。
 いいトシをしてコンサートにまぎれこんでるだけでも、けっこうツライものがあって、目立たないよう目立たないよう気を使っているというのに、ハッと気がついたときにはコロッと人格崩壊して踊り出している。それまでの気くばりが水のアワ。バカみたい。
(引用終)

ああ分かるわー場の空気を読む社会性と、ライヴにおける根源的喜びの発露とのせめぎ合いが…

ほかにもあるんだけれど、いったんこれにて。

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