週1更新が途絶えてしまったが、あまり気にせず^^;ぼちぼち続けよう。
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6月末に『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(坂本龍一 新潮社)を読了。
坂本さんの生前にはこのタイトルに込められた切実さがよく分かっていなかったな。
・アルバム『async』について、「アルバムのミックス段階では、プロデューサーであるパートナーに諭されて、車上でのリスニングをしてみました。アメリカでは車を運転しながら音楽を聴くひとが多い。だから」云々とあった。
なるほど、当時「設置音楽展」の感想コーナーに「自分が音楽を聴くのは運転中スピーカーにつないだiPhone くらいで」みたいなことを書いたのだけど、その後に聞いた坂本さんの発言が、その感想に呼応しているように感じたのは、そういう経緯があったからなのね、と腑に落ちた。(別に自分の感想を読んだからってわけじゃない糠喜びだったってことだが、でもまぁ全くズレたことを書いていたわけでもないってことで、良し)
・2020年の12月12日のオンラインのピアノ・コンサート、とても親密な気持ちになった素敵な演奏だったのだけど(とブログにも書いた)、それが余命宣告を受けた翌日のことだったとは驚いた。観ているこちら側は何も分からないものだ。
・ちょうど再放送を録画した『スコラ 音楽の学校』ドラムズ&ベース編を観ていたところだったので、予定調和や台本の作りこみへの坂本さんの失望にはまったく気づかなかった。これも観ているこちら側は何も分からないものだなと思ったこと。
本の感想から離れるが
・『スコラ』ドラムズ&ベース編はYMOの細野晴臣さん、高橋幸宏さんが出演しているのだが、その第4回の最後で、幸宏さんが「体が動くうちにナマでどんどんやろうと」「今じゃなきゃできない演奏っていうのがあって、積み重ねて耳が覚えたことを、やっとできるようになった、それを今やりたくてしょうがない」と話し、坂本さんが幸宏さんと冗談で話していたこととして「でも、もうすぐ体が動かなくなるから、動かなくてもできる音楽をそろそろ追求しようかなと。でもそれYMOを始めた当初、30数年前から言ってるんですよね」と言っていて、そこに出演のピーター・バラカンさんが「でも70代、80代で立派にやっている人もいますよ」と返し、細野さんも「若い人には真似できないよね。老人力。憧れる」と話している。これは2010年の放送とのこと。言っても詮無いことだが、切ない…70代80代のお姿も見たかったなー…でもYMOに関しては、わだかまりのない良い形の晩年(?)があって本当に良かったなー…なんて。
この本にしても、本当に周到に、あらゆる面において語るべきことを語り、後の人々が参照できるように形として残していることに、改めて感嘆する。
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『街とその不確かな壁』(村上春樹)に、ちょっと文脈から逸脱してなぞらえてしまうと、私にとっての坂本龍一さんは、この小説の中の「子易さんの図書館」みたいな感じだったかなと思う。
田舎者にとっての「知への入り口」というのもあるし、親しみやすくウェルカムだが奥は深い。そして、亡くなったはずの子易さんが館内を軽やかに歩いている。話を聞こうと思えば、できる。でもたぶんきっとその姿はだんだん薄れていく…のかな?
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