私は心を超えた魂の存在が重要ではないかと、痛切に感じるのは、自分自身が
求め、求めた瞑想を、インドの聖地リシケシで体感できたことからかも知れない。
最近私は何年か前に熟読した、付箋が沢山張ってある「魂の知能指数」を見つけて
改めて読んでいる。その内容は一言で申し上げると、「精神的な知能とは、私達が自
分自身を癒し、自分自身を完全に使うために、IQ(知能指数)やEQ(心の知能指
数)を超越したSQ魂の知能指数である」と、説明されている。
それは宗教界にいても得られない人もあり、全く関わりのない環境でも得る人も
あるそうだ。脳生理学的、インドのチャクラ、心理学的なユングなど、409ペーも
ある大変学術的な本だ。私的に捉えると、マインドの奥にソウルがあり、また「心の
琴線と言われる、もっと奥のもの」ではないかとも感じる。SQが自分にあるのかど
うかは分からないが、年齢とはアンバランスな心の高揚感は不思議でならない。
それは若い頃から「精神世界」に魅かれ、学習した結果かも知れないが、自分的に
は、「見えない世界もあり、自分を導いて下さる大きな力がある」と、信じているこ
とは確かだ。でも、それらは化学や科学など、論理で説明できることしか納得できな
い人にとっては、「バカらしい」と一笑されるかも知れない。でも、他人に何と言わ
れようが、見えない不思議なエネルギーの存在は、否定することはできない。
どんな出来事も、それらは決して偶然ではなく、すべて必然であると捉えれば、世界
中を震撼とさせている、新型コロナウイルスさえも、もしかしたら見えない力の警鐘
かも知れないと感じるのは、私だけであろうか?長年毎朝瞑想する習慣があるが
それは、もしかしたら疲弊し枯渇しきったマインドに、水が滴るように、ソウル
からエネルギーがチャージされるのではないかと感じる。
その時の言葉で表現できないような身体感覚は、ほとんど毎日のように感じている。
年齢と心、そのあまりにも差の大きさに、時折逡巡したり、戸惑いながら生きて行く
のが私の人生かも知れない。夜中に目覚めてずっと考えていて、「自分の生きている
価値は、今まで長年研鑽したり、体験した自分の持てる能力で人様のお役に立ちたい
こと」だと思った。心の奥から湧き上がってくるアイデアは、どうすれば活用できる
のだろう?でも、世間的の目、身近な人の目より、自分の気持ちに素直な自然体で
生きているので,そんな意味ではストレスはないが・・・
一気に書いたが私は一体何を言いたいのだろう?本当はコロナウイルスにと、その
精神生との関りについて書きたかったのかも・・・こんな変な文章毎日読んで
下さる方々に、感謝したくなりました。有難うございます。 能里子