私は昼間の暇な時間に誰もいないガンジス河原で、大きな声でヴォイストレーニングを
したり、澄み切った空を見つめ(この空も日本と続いているのだ、家族は?ヨーガ教室や
ダンススタジオは?)と、思いめぐらしホームシックになりました。
一人で河原にいても若い男性達に囲まれましたが、多分高校生位の年齢かも知れません。
私の傍に3人来て、「どこから来たの?」「どうしてここにいるの?」「今どこに泊っているの?」
など、矢継ぎ早やに聞くのです。 インドの公用語は英語ですが、お互いに片言でも、結構会話は通じます。
私は「一人ずつ聞いて」と、3人を指差しながら「1」「2」「3」と言うと,、3人は
笑い転げました。日本人は若く見られるようで、中年の私を20代位だと思ったようです。
また同じ場所で彼らに会い、私がダンス教師だと言うと「教えて欲しい」と言われ
「では明日ね」と約束し、それからテープを持って、彼らに2回マンボを教えました。
3人の男の子達はみんなとてもカンが良く楽しそうで、4人で石がゴロゴロしている河原で
笑いながら踊りました。そんな3日間は私の気持ちがとても癒され、その辛い気持が吹き飛び
ました、もともと楽観的なので「何とかなる」と、明るい期待感さえ湧いてきたのです。
シバナンダアシュラムから帰ると、ガンジス河原で「空中浮揚の練習」で、河原を
走る。虚しくてバカらしく、泣きたくたくなりましたが、やらない訳にはいきません。
一人で参加したので誰も知り合いがなかったけれど、何となく気が合って、いつも
行動を一緒にしていた若い女性二人に、私がリシケシに来た目的や、今の焦燥感など
本当の気持ちを正直に打ち明けたのです。すると、二人とも私と同じような気持ちで
求めているものが得られないもどかしさが共通なのを知り、「何とかならないか」と
三人で相談しました。そして残りの期間の観光をパスしようと意見がまとまり、アシュラ
ムを訪れたのですが、二人とも英語が堪能だったのも、大変ラッキーでした。
ヨガニケタンでヨーガの研修できることが決まり、本当に嬉しくて、三人で抱き合って
喜びました。
「私達は他のアシュラムで研修七たいので、観光は一切パスして、帰国するデリーで
落ち合いたい」と、ツアーリーダーに報告すると、極端に嫌な顔をされました。
でも、私達にはそんなことを考える余裕は、まったくなかったのです。
(何のためにこのリシケシまで来たの?)と言う気持ちが、心の中で渦巻いていま
したから・・・・・・でも三人の気持ちが一致し、そこに留まることになったので(このリシ
ケシで私の求めたいたものがきっと得られる)と感じ、心の中に明るい希望が芽生え
ました。またそこで一生の師と仰ぐ先生にも巡り会え、求めに求めていた瞑想が
得られたのは、運命的とも思えるヨーガニケタン・アシュラムとの出会いでした。