ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

インドは私を変えた (5)

2020-04-17 19:49:54 | エッセー

 私は昼間の暇な時間に誰もいないガンジス河原で、大きな声でヴォイストレーニングを

したり、澄み切った空を見つめ(この空も日本と続いているのだ、家族は?ヨーガ教室や

ダンススタジオは?)と、思いめぐらしホームシックになりました。

 一人で河原にいても若い男性達に囲まれましたが、多分高校生位の年齢かも知れません。

 私の傍に3人来て、「どこから来たの?」「どうしてここにいるの?」「今どこに泊っているの?」

など、矢継ぎ早やに聞くのです。 インドの公用語は英語ですが、お互いに片言でも、結構会話は通じます。

 私は「一人ずつ聞いて」と、3人を指差しながら「1」「2」「3」と言うと,、3人は

笑い転げました。日本人は若く見られるようで、中年の私を20代位だと思ったようです。

 また同じ場所で彼らに会い、私がダンス教師だと言うと「教えて欲しい」と言われ

「では明日ね」と約束し、それからテープを持って、彼らに2回マンボを教えました。

3人の男の子達はみんなとてもカンが良く楽しそうで、4人で石がゴロゴロしている河原で

笑いながら踊りました。そんな3日間は私の気持ちがとても癒され、その辛い気持が吹き飛び

ました、もともと楽観的なので「何とかなる」と、明るい期待感さえ湧いてきたのです。

 シバナンダアシュラムから帰ると、ガンジス河原で「空中浮揚の練習」で、河原を

走る。虚しくてバカらしく、泣きたくたくなりましたが、やらない訳にはいきません。

 一人で参加したので誰も知り合いがなかったけれど、何となく気が合って、いつも

行動を一緒にしていた若い女性二人に、私がリシケシに来た目的や、今の焦燥感など

本当の気持ちを正直に打ち明けたのです。すると、二人とも私と同じような気持ちで

求めているものが得られないもどかしさが共通なのを知り、「何とかならないか」と

三人で相談しました。そして残りの期間の観光をパスしようと意見がまとまり、アシュラ

ムを訪れたのですが、二人とも英語が堪能だったのも、大変ラッキーでした。

ヨガニケタンでヨーガの研修できることが決まり、本当に嬉しくて、三人で抱き合って

喜びました。

「私達は他のアシュラムで研修七たいので、観光は一切パスして、帰国するデリーで

落ち合いたい」と、ツアーリーダーに報告すると、極端に嫌な顔をされました。

 でも、私達にはそんなことを考える余裕は、まったくなかったのです。

(何のためにこのリシケシまで来たの?)と言う気持ちが、心の中で渦巻いていま

したから・・・・・・でも三人の気持ちが一致し、そこに留まることになったので(このリシ

ケシで私の求めたいたものがきっと得られる)と感じ、心の中に明るい希望が芽生え

ました。またそこで一生の師と仰ぐ先生にも巡り会え、求めに求めていた瞑想が

得られたのは、運命的とも思えるヨーガニケタン・アシュラムとの出会いでした。 

 

 

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インドは私を変えた (4)

2020-04-17 08:04:45 | エッセー

 私が瞑想を求めてインドの聖地リシケシへ行ったが、まだその頃インドへ行く人は

ヨーガをやっている人に限られていたようだ。初め研修した「シバナンダアシュラムの

様子にも触れてみようと思った。ヨーガツアーは時々あり、リシケシへ行くツアーは

あってもせいぜい1日か二日間で、1週間滞在というツアーはなかった。

その頃必死に瞑想を求めていた私は「聖地リシケシなら、きっと瞑想を経験できるだろう」

と大いに期待してツアーに参加した。私達一向は「シバナンダ、アシュラム」に宿泊し、修行

することになっていたが、そこはビートルズも修行したそうで、リシケシでは有名なアシュラム

らしい。やっとの思いでシバナンダ・アシュラムに着いたのに、どうもツアーリーダーが宿泊の

予約を取っていなかったらしく、その交渉のため大分待たされたのに結局宿泊はできなかった。

 そのため、近くのツーリストバンガローに泊まることになり、雨の中を仲間内でブー

ブー文句を言いながらそこまで歩いて移動した。そこは粗末で殺風景な部屋(ベッドに

毛布が一枚あるだけ)だったが、しかしアシュラムに泊まるために、全員シュラフ持参

なので大丈夫だった。その後リーダーから、修行はツーリストバンガローから毎朝通う

ことにすると説明された。私は瞑想を求めて必死の覚悟でリシケシまで来たのに、アシュ

ラムに泊まれないことに本当にがっかりしたが、どうすることもできなかった。

早朝シバナンダ・アシュラムに通うことになったが、朝のヨーガレッスンに参加する

ため毎朝4時に起きて、約40分かかる道を通った。早朝は大変寒い上に、真っ暗で

道には牛や馬の糞が落ちている、懐中電灯で足元を照らしながら歩いた。

一度誰かが牛の糞を踏んでしまい、大変な思いをしたようで、それからより注意深

く歩いた。空を見上げると、まるで星がとても美しく、しばし立ち止まって見とれた。

 ※シバナンダアシュラム、薄暗くすべてが厳格な宗教的な雰囲気だった。

アーサナ(ヨーガポーズ)は1時間半、何となく薄暗い陰気な部屋で行われたが

難しいポーズはなかったが、早朝のまだ目覚めていない体には大変ハードだった。

しかもそこはマントラ(呪文)を唱える講座だけで、私が求めた瞑想は全然行わ

れず本当に落胆した。約1時間半のレッスン後に食事が与えられたが、薄暗い部屋

の冷たい床の上にじかに座り、本当に粗末な食事で何だか乞食になったような気分

でとても情けなく、そんな時は日本へ帰りたいと思った。

シバナンダアシュラムでは朝5時半から8時までマントラ(呪文のようなもの)

や、ヨーガアーサナクラス、講義もありましたが、多分もしかして日本でいう、禅問答

のようなものがではないかと感じましたが、それらはすべてヒンズー語で、全然理解

できませんでした。私が求めていた瞑想に関する講座はまったくないらしく、大変

失望しました。たとえ言葉が理解できなくても、その雰囲気や内容に触れることがで

きればと思いました。またアシュラムに宿泊できなかったため、その往復に朝晩

大変時間をとられ、さらに求めていたものが得られず、私は欲求不満になりました。

昼間は誰もいないガンジス川の河原で、一人でぼんやりしたり、思い切り大きな声

を出して発声練習をしたりしました。自分が留守にしているヨーガ教室や、ダンス・ス

タジオのことを考えたりし、どうしようもない感情がこみ上げてきて、いつの間にか

涙を流していました。

 

あのときの焦燥感や悲壮感は、私がかって味わったことがないほど深刻で(瞑想を求めて

遠いリシケシまできたのに)と、焦りと、いらだちとか織りなす激しい感情でした。

 

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