ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

懐かしいインドの夢を見て(3)

2021-03-25 07:15:40 | エッセー

 瞑想タイムは私が今まで経験したことがないほど、心の奥の魂が癒されるような

空間だった。朝晩必ず瞑想に参加したが「これが瞑想だ」と感じる状態を体感したとき

歓喜と感動で涙が止まらなかった。アーサナ(ヨーガポーズ)は瞑想の後や、昼間にも

あり必ず毎日参加した。食事は朝夕だけで、そのため街の見学しながら毎日3人で昼食

に出かけた。リシケシの街へは馬車に乗り、ガンジスの対岸の街には渡し舟でいったが

色々なものがあり、本当にエキサイティングだった。どこを歩いても必ず男性が何人も

付いてきたり、蛇使いに追いかけられたり、3人でキャーキャーしながら逃げたのも

面白く怖い、でも楽しい時間の流れだった。私が見た夢はそんな懐かしい情景だった。

その頃日本女性は珍しかったらしく、瞑想の指導をしている女性の先生に、食事や

お茶に招かれたり、男性の先生はタクシーで美術館や、寺院に連れて行って頂いたり

スタッフのご夫婦にもお茶に招かれたり、また修行している方達からも関心を持たれ

たようだった。男性のヨーガの先生と街を歩くと、人だかりがするほどで「人生でこれほど

大勢に関心を持たれたのは初めて」と、3人でよく話したが、どこに行っても面白く、本当に

夢のように楽しい幸せな時間だった。

夕方になると男性達はベンチでギターを弾いて歌っていて、誘われた私達はいろいろ

な話をしたり、歌をうたったりした。ときどき知っている日本の歌を弾いてくれて、

毎夕楽しかった。色々な会話から私がヨーガ教室と、ダンススタジオを経営している

と話すと、みんな驚いていたが、それらの噂が流れて、余計に私達は関心を持たれた

のかも知れない。滞在したコテージは粗末なベッドだけで、シュラフの中で眠ったが

水道も、水洗トイレも付いていたが、3人で続けて使うと水が無くなるので、交代で

時間をずらせて使った。山の上のアシュラムはまるで星が降るように美しく、時々眺め

たが淋しがりの私なのに、ホームシックにならなかったのは、それだけ充実して、楽し

かった時間が流れていたのだろう。

コメント
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