ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

ダンスのDNAは4代目に続くかしら?

2021-06-19 07:56:41 | エッセー

ダンスのDNA4代目に続くかしら?

 孫娘の7か月になる赤ちゃんの動画が送られてきたが、何とも愛らしい。

コロナのために、まだ一度しかまだ会えないが、その成長が楽しみだ、

孫は「絶対にダンサーにしたい」と言っているそうだが、果たして実現できる

のだろうか?私がソシアルダンスを始めたのは、中学の卒業式の日だったが、友人

達数人誘って、春休みの期間だけレッスンした。私立高校だったが、もしも学校に

バレると退学になりかねないので、仕方なく諦め、しばらく休んだが、親に隠れて

レッスンに通っていた。

父は妹が上野出身のクラシックの歌手で、私がキングレコード専属の「桑原豆歌手隊」

の一員だったためか、父は私にどうしても声楽を続けさせたかったらしい。

 私が止めるとすぐ違う先生を見つけてきて、何度も声楽のレッスに通わされたが

実は隠れて習っている、ダンスの方がずっと楽しかった。

 結婚後子育てをしていた時、早く30歳になりたかったのは、子供達からある程度

手が離れ、何か勉強したいと思ったからだ。でもそれが待ちきれず、28歳の時夫を

そそのかし幼い子供達を置いて、夫婦で毎週3回ダンスのレッスンに6年通った。

 その結果私はダンス教師になったが、しばらくしてから、自分にはセンスも素質

もないとハッキリ気づかされた。

※ハワイへ一緒に行ったら金婚式のサプライズプレゼント 孫達と

 娘は小学校に入るとすぐバレーを始めたが、英米文学科の4大を卒業したのに

「私はダンスの先生になりたい」と、私のダンススタジオに就職した。

やがて結婚しそれから子育てをしながら、ジャズダンスに夢中になったが、その娘は

2歳からダンスを始め、小学生のとき「私はダンサーになる」とハッキリ言っていた。

 そして、希望の大学の舞踊科を卒業して、「ダンサー」の夢は実現した。

私には全然素質がなかったが、2代目・3代目とだんだん良くなるような気がしている。

 ようやくお座りができるようになった、愛らしい顔を見つめながら(4代目には

私のDNAは繋がっているのだろうか?)と考えた、ちょっと幸せな午後だった。

コメント
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