これはその日の内に、人様のために役立つ善い行いをすることだが、昔の
知人は必ず毎日実行していた。人に親切にしたりすることがない時は、ゴミ
を拾ったりしていた。私もそんな知人を見習って「一日一善」を心掛けたが、なかなか難しかった。昔は新宿終点の小田急線で、まだ眠っている人の
様子を見てから、肩をそっと叩いてあげた。すると、びっくりして目を
開け、慌てて飛び降りていく人、丁寧に「ありがとうございます」とお礼
を言う人など。人によって随分反応が違うなと興味深かった。
粗忽な私は今でも外で知らない方に、日傘を忘れたり、落し物を拾ってもらったりすることがよくある。そんな時は本当に有難いと思うので、私も親切にしたいと思う。でも、昔ほど出歩かないので、親切にする機会はない。
今はスーパーで出しっぱなしのかごや、カートを自分の分と一緒に片付ける
ぐらいしかできない。でも、そんな時高齢でも少しは役に立てたと、内心とちょっと嬉しい気がする。
心理を学習して必要以上の親切は「大きなお世話」「干渉のし過ぎ」
「相手を自分の思い通りにしたい」そんな意味合いもあるのだと学習した
どちらかと言うとやさしくしたい性質の私に、大変効き目があった。
人様の役に立てるとダイレクトに感じたのは、カウンセリングルームの
個人指導だった。今看板は出しているが、事情があり以前のように全力集中
して対応できない、そのため、お断りすることが多い。
性格分析や、心理分析についてのアドバイス、カウンセリング、催眠法などで、劇的に変化するクライアントが多かった。
あれほど遣り甲斐のある仕事はなかった、しみでじみ感じた真夜中だった。