夫が大学病院へ救急搬送六回目で、初めて「狭心症」と病名がついたのは
69歳だった。50歳から「原因不明の本態性高血圧」と診断され、長年
治療を受けていたが、それから時折入院してカテーテル手術を受け、リタ
イアしたのが七〇歳だった。まだ元気だったので、私は家族でハワイへ
4回行っただけだった夫を、彼が行きたい国を5か国最高の旅をプレゼント
した。
79歳で認知症を発症したが、穏やかで波長が合う私達は争ったことは
なかった。家庭人としては家族に幸せを与えてくれたし、私はヨーガ、心理
ダンス、ヒーリングなど研修の他、観光も含めても海外へ度々行ったが
嫌な顔一つせず、自由に羽ばたかせてくれた。
認知症になった夫を自分の持てる知識をすべて使い、工夫しながら長年
唯の一度も怒らせずに一人で介護してきた。明日92歳になる夫はこの3か月
ほど前から急激に衰えてきた。「幸せで長生きして欲しい」と介護する私を
長年お世話になった精神科の主治医の先生は、2年程前に「もしかしたら
奇跡に近いかも」と言って下さった。
昨日も夫の爪を注意深く切りながら(何時まで一緒に暮らせるのだろう)
ととても淋しくなった。去年12回目のカテーテル手術のため入院した夫は
わずか3日間の入院で急激に衰えた。そのためさまざまな方法を駆使して
1か月間、そのユニークは努力は功を奏してほぼ元に戻った。
そして今・・・夫は一人でトイレへ行ったが、それで目覚め、自分の気持ちを一所懸命いコントロールしている。寝息を立てて夫はすやすや眠っている。