ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

そうだ。美術館へ行こう!

2018-10-25 09:04:43 | エッセー
 素晴らしいお天気で、朝からとても気分が良い。今きれいな絵を展示中なので、夫と一緒に新宿の
鳥瞰できる美術館へ行こうと思った。視界が広くてそこでしばらく眺めていると、気持ちが晴れ晴れ
するが、私の好きな絵は彼も大体好みなので、夫の頭の刺激のために良いはずだ。
 記憶こそできないけれど、音楽の感受性は全く衰えていないし、久しぶりに美しい絵画に接するのは
楽しいし、グランマ、モーゼスの絵にも会いたい。今作成中のふりかけも、このお天気で乾燥状態も
良いので嬉しい!家事を手早く片付けて、出かけよう!

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久しぶりに「ピンクの呼吸」の取材依頼

2018-10-24 06:37:14 | エッセー
 夜8時過ぎにメールチェックをしたら、何年振りかに取材依頼が来ていたが
それは「こころが楽になる本」からで、扶桑社発売で文庫本だが、私の最も
ロングセラーで19年間も続けて発行されていた本だ。
 著書43冊、昔は出た本のほとんどが増刷されたので、おそらく80万部以上は
出版されているはずだ。でも、出版社が潰れ大型書店だけしかない現状の時代な
ので、目標50冊は不可能かも知れない。と思いつつも、でも、私がもっとも望ん
でいるのは本を書くことで、それは自分の考えを直接お伝えできるからだ。
 そのため、そんな意味ではブログの投稿は大変楽しく、また遣り甲斐もあり
現在の私の生きがいにもなっている。

 「ピンクの呼吸法は」20年以上前、バリ島へ行って、咲き乱れる美しく華やかな
ブーゲンビリヤの花を見て、またある本でヒントを得て創ったオリジナルの呼吸法だ。
 飛行機の中で一晩中、体に電気が走りっぱなしで、カラーに関する本がどうしても欲し
くて、新宿の紀伊国屋書店に直行したが、そんな本はまったくなかった。
 そのため、分厚いカタログから選んで取り寄せたが、カラーブームはそれから2・3年後に
やってきた。私はいつも時代の最先端を生きてきたのだ。世の中100歳時代、若さと健康度は
バツグン、心身両面の指導者としてのキャリア、プラス魔女度がある私が、このまま埋没
する訳があるはずがない。と、今朝は久方ぶりの「初志貫徹」の昔の自分に戻っていて
少々呆れながら、「期待のし過ぎは落胆の元」よと自分に言い聞かせている。
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忙しかった素晴らしいお天気の日

2018-10-23 10:40:41 | エッセー
 朝から素晴らしいお天気でウキウキした。さあ今日はがんばっていろいろな
事をしなければならない。「ふりかけ日和」だ、起きてすぐに火を通したエビ
を全部まな板の上で二つに割いてざるに並べて干した。
昨夜天ぷらにするつもりだったが、思いがけないことで時間がかかり、てんぷら
は止めた。とても良いお天気なので、またふりかけを作ろうと、カボチャも蒸して
ざるに並べて干した。ヘルシーなどこにもない「ふりかけづくり」に、物凄く手間
がかかるのに、私はちょっと凝っている。
※ふりかけ材料のエビとカボチャ

※8時間後の乾燥状態

夫はデイホームで4時半過ぎまで帰らないので、大掃除と張り切って雑巾がけを
したが、私は雑巾がけが大好きだが、これをすると必ず「私はヤッパリオバーさんだ」
と実感する。座り込んで拭いていて一気に立ち上がれず、動作が実にスロモーなのだ。
立っているときは今でも動作は人一倍早いのに・・・
 午後からスタジオのトイレが匂うと言われ、昨日頼んだ「クラシアン」の人が工事
に来た。我が家の5階建ての小さなビルは20年以上経ったので、老朽化したのか
最近いろいろな事続けて起きた。カメラ付きインターホンの故障、ドアの鍵とドア
チェックの故障、そして昨日はスタジオの水回りの工事で、昼間は私一人しかいない
ので、その対応はすべてやらなければならない。
※一人のお昼はいつも残り物の雑炊、青みはないけど美味しかった!

30何年かも以上も料理と買い物以外は、何もしなかった、仕事人間だった私がまるで
嘘のように、現在は主婦、世帯主のほとんどをこなしている。
 健康だからこそできるけれど、頼りがいがあり、すぐに手早く何でもやってくれた
いつも家にいた夫なのに、認知症なので判断、決断はすべて私がやらなければならない。
息子も娘も傍にいるが、それぞれ忙しいので、できるだけ迷惑をかけたくない。
 夕方 大先生から電話があり、それを話したら「ホントにあなたはよくやるね。ご主人が
羨ましいよ。いつでも待っているからね。あなたを傍に置いて一緒に暮らしたい」
とまた言われた。後の二人は大分年齢が下だけれど、先生は私より年上なので、メル
ヘンの世界かも・・・「思えば79歳過ぎて3人の人から結婚したい、なんて言われる
オバーさんなんていないでしょ」と、突然元気になったお調子者の私でーす!


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江の島水族館へ行って

2018-10-21 11:06:40 | エッセー
 友人達と一緒に行ったが、土曜日のためだけではなく、電車がとても混んでいて
驚いた。海岸はずーっと囲まれていて、砂浜に出るのがなかなか大変だったが
潮の香りがかすかに漂っていた。お天気なのに、なぜかあまり海は美しくなく
ちょっとがっかりした。水族館へ入ったら間もなく「イルカショー」が始まる
ので、その会場へ急いだが水族館の一番奥で、随分遠かった。
 会場は超満員で立っている人たちも大勢いたが、そのショーは私が今まで見た
ようなイルカの芸はあまりなく、女性が5人ダンスを踊っているのが不思議だった。
私が想像していた水族館のイメージと違って、家族連れや若い人達など、あまり
にも入場者が多すぎてゆっくりみられず、早々に外に出た。





江の島は花火大会があるそうで、若い人達であふれていて、どこのお店も行列が
できていて、入れるようなお店はなかった。駅前にあるスーパーも大勢並んでいて
何と整理員が二人もいて,入場制限をしていたほどだ。
江の島駅についてすぐに新宿行のロマンスカーの切符を買ってあったので、まだ
時間はあったが。ホームのベンチでしばらくおしゃべりをした。
 ロマンスカーは約一時間で、あっという間に新宿へ着いて、駅の近くの飲み屋
さんで飲んだが、その方がずっと楽しかった江の島行だった。


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「心の傷」成長後も消えず

2018-10-20 07:30:45 | エッセー
 これは読売昨日の新聞「平成の人生案内、親子編5」のタイトルだが、子供は虐待されて育つと
自分もまた自分の子供にそれをくり返すこと「虐待連鎖」が多いようだ。
 実は私も虐待ほどではないが、継母の感情のままに、怒られ過ぎと可愛がられ過ぎとで
育ててられた経験者だ。読み進めていて「不幸な経験を懸命に乗り越え立派な親になり、明るい
家庭を築いている人たちも少なくありません」と言う言葉を読んだら、突然涙が溢れた。
 子育てをしながら、「私なら絶対にこんなことはできない」と、自分が成育時にされたことを
思い出したことがよくあった。そのため、私は立派な親ではなかったが、「自分がされて辛かった
経験は絶対子供達はしない」と、心に決めて子供達を育てたつもりだ。
 大分昔のことだが、京都のPHP研究所から、執筆依頼のため編集者が来た。
内容は「考え方や行動を変えて、明るく楽しく、有意義に生きる」ためのノウハウだったはず
だった。ところが雑談の中から、編集者は、私の実際の子育てがユニークで、素晴らしいと
思ってくれたようだ。そのため、思いがけない子育ての本に変更し、その後出版された。

 生後7か月で母から離され、その原因となった人に育てられた私。
そのトラウマは今でもしっかり残っているので、それをコントロールしながら長年生き
てきた。東京で初めてできた「診療内科」は、東大病院だったが、その治療をなさっていた
「石川中助教授」はすでに有名だった。先生の研究所は神楽坂にあり、そこでは様々な心理療法や
ワークショップなどが行われていた。40代の頃私は勉強に通っていたが、そこには東大の心療内科の
患者さんが多く、石川先生は「小池さんのように明るい人がいてくれるととても助かるよ」とよく
おっしゃっていた。その日のワークショップは「子供の頃に悲しかったことを思い出して下さい」
と言うテーマだった。二人で組んで行ったが、最初に聴かれ役になった私は「幼い頃の記憶がまざまざと
次々思い出されて」慟哭し、とうとう一言も話せず、最後までずっと泣きじゃくっていた。
 石川先生は「明るい小池さんも色々あったのだね」と慰めてくれたが、心の奥にずっと埋没していた
悲しみがどっとあふれ出したのだ、と自己分析したが、それがもしかしたらカタルシスになったのかも
知れないと思っている。私は心療内科の患者さん達と一緒に勉強しながら、自分自身の屈折された内面
について随分気づいて、自分を変えるために努力できたと思っている。
 ※研究所の粘土のワーク 左奥 石川中助教授
  
昨年4月に子供達に思いがけないことを無断でされて、私は驚愕し大いに怒った。
そんな行為を子供達にさせたのは、「あまり言わな過ぎて、親としての権限が失墜した結果」で、私の
言動がその原因だとハッキリ気づいたが、この年齢になっても、そんな弊害はあるのだと思った。
 でも子供達はやった行為は、決して悪気ではなく、私達のためにやったのだと理解できたし、また
何時まで怒っているのは精神衛生上悪いことは、心理のプロとして熟知しているので忘れることにした。
 生後7か月で母と別れた淋しさは、潜在意識にしっかりとインプットされたているようで、「淋しさは
恐怖という、見捨てられ不安」もあった。子供の頃は継母の感情のままで育てられ、思春期には言葉の
暴力に傷ついたが、そんな屈折した私が、心理学を長年学習したお蔭で、比較的安定した気持ちをキープ
でき、まだ元気で生きていられるのだと思っている。
 それには「天性の性格」が随分有利に働いたと思っている。いずれにしても
「子育ては一人の人格を社会に送り出す大切な事業」だ。現在子育て中の方々には、「愛情をかけながら
大切に、できたら理性的に」と心して育てて頂きたいと心から思っている。
 その育てられ方によって、将来子供達は「天使」にもまた「悪魔」にもなれるのですから・・・
自分の経験、また心理カウンセラーとして、ぜひ、ぜひお伝えしたいと思っている。
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